東プロ、 東京“待ったなし!”アクション
会のミニ歴史
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toupuro
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「東京。をプロデュース」のミニ歴史
2005年、当会の前身が生まれた経緯から現在までの簡単な歴史です。
「東京。をプロデュース2007」 (2005年~2007年)
「力を合わせて都知事変えよう」と最初に声を上げたのは都立高校の保護者を中心としたグループでした。東京都教育委員会が、あまりに学校現場を無視した非教育的通達を次々と繰り出してくるので、「こんな教育委員会を任命する知事を変えなきゃ大変なことになる」と2005年秋にスタートしました。
都立高校の保護者も、様々な党や市民グループに所属している人も、皆同じ一人の東京都民という立場で集まり、各政党、団体を駆け回り、候補者の一本化を呼びかけました。2006年11月には各方面に協力いただき「大胆シンポジュウム」を開催しました。
都立高校の保護者も、様々な党や市民グループに所属している人も、皆同じ一人の東京都民という立場で集まり、各政党、団体を駆け回り、候補者の一本化を呼びかけました。2006年11月には各方面に協力いただき「大胆シンポジュウム」を開催しました。
2006年11月26日「大胆シンポジュウム」。都議会民主党幹事長(当時)の田中良氏、革新都政の会の吉田万三氏をはじめ、社民党、生活者ネット、新社会党の方々に参加いただきシンポジュウムを開催した |
しかし統一は成らず、2007年都知事選公示直前に、浅野史郎氏コールに至りましたが、石原氏3選を阻止することは出来ませんでした。
「東京。をプロデュースⅡ」 (2007年秋準備会、2009年正式発足~2010年)
その後、次こそはなんとしても力を合わせて都政を変えられないものかという都民の声が集まり、1年余の準備の後、2009年1月下旬新たに「東京。をプロデュースⅡ」が立ちあがりました。
数々の学習会や、シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」シンポ (2010年2月13日)などを開催。様々な分野で東京の問題に取り組んでいるグループとの繋がりを深めました。 |
「東京“待ったなし!”アクション」 (2010年~2011年)
2010年10月1日、より広い地域、より広いジャンルの人々との繋がり拡大を目指して「東京“待ったなし!”アクション」へと組織を発展させました。
共同代表:
共同代表:
- 土肥信雄(学校に言論の自由を求める元三鷹高校校長)
- 斉藤ゆかり(東京生まれ東京育ち 中野区在住主婦、子ども3人が都立高校を卒業)
井の頭公園での旗揚げイベント |
文化人等の協力も得て素晴しい活躍をされている方々と交渉することができました。しかし、総合的な論議と判断の結果、2011年の都知事選に関しては擁立を見送るという決断をいたしました。(取り組みの記録 参照)
「東京。をプロデュース」 (2011年9月~)
2011年の都知事選を目指した「東京“待ったなし!”アクション」は、総括をもってその活動を終了いたしました。そして会の名称を、皆さまの間にもかなり浸透してきた「東京。をプロデュース」に再び戻し、次の都知事選に向けて準備を開始することと致しました!