イケニ族の女王ブーディカ


チャリオットに乗るブーディカの像


現在のイギリス、東ブリタンニアノーフォーク地域を治めていたPケルト言語圏域のケルト人イケニ族の女王だった。
夫プラスタグス王の死に乗じて王国を蚕食し、あまつさえ彼女と娘たちを辱めたローマ帝国の侵略軍に対し、数多くの部族を纏め上げ大規模な反乱を起こした故事で知られている。

60年から61年頃、ガイウス・スエトニウス・パウリヌス総督率いる軍がウェールズ北部のモナ島(現在のアングルシー島)で戦闘に当たっていた機に乗じ、ブーディカはイケニ族やトリノヴァンテス族らを率いて反乱を起こした。
トリノヴァンテスの故地カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)奪回や各地のローマ帝国植民地を次々に攻略し、クィントゥス・ペティリウス・ケリアリスが率いたローマ軍第9軍団ヒスパナを打ち負かした。
さらにブーディカ軍は市制が敷かれてわずか20年のロンディニウム(現在のロンドン)を破壊し尽くし、さらにはウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)にも攻め入り数万人もの人々を殺戮した。
当時のローマ皇帝ネロは軍の撤退を決断したが、最終的にブーディカはワトリング街道の戦いでスエトニウスの戦略の前に敗れた。

これらの出来事は歴史学者タキトゥスとカッシウス・ディオによって纏められていた。
一時は忘れられていたこの歴史書はルネッサンス時代に再発見され、ビクトリア朝の時代には当時の女王ヴィクトリアと同じ意味を有する名を持つ伝説の女王としてブーディカの伝記は広く知れ渡った。
それ以降、ブーディカはイギリスの重要な文化的象徴として認知されている。

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最終更新:2013年02月11日 00:49