篠山電気鉄道の現役車輌

篠山電鉄 こっそりひっそり目立たずに… 小さな電車のいる小さな鉄道会社の話。車輌編 ※仮竣工です。読みにくい事をご承知下さい。

全長:mm(連結器含まず)
全幅:mm
全高:mm
自重:㌧
制御装置:
制動装置:
空気圧縮機:
主電動機:(kw×)
ギア比:
台車:
集電装置:
定員:名(座席名)
製造: 
経歴

電動旅客車

モハ31(モハ11+13の復旧車)
全長:16930mm(連結器含まず)
全幅:2638mm
全高:4247mm
自重:31.2㌧
制御装置:PC‐101‐C2
制動装置:SME、AMM(貨車用)
空気圧縮機:DH‐16
主電動機:SE‐119‐C(52kw×2)
ギア比:3.24
台車:木南KN-16
集電装置:トロリーポール→パンタグラフ
定員:108名(座席48名)
製造:昭和30年篠山電鉄東吹車輌工場
経歴
昭和32年:火災事故でモハ11と13が被災して廃車
昭和35年:再生工事開始
昭和37年:モハ31として竣工
昭和51年:トロリーポール(ホイール式)からパンタグラフへと交換。助士台の窓が一段下降窓から二段アルミサッシに交換、運転台窓はアルミサッシハメ殺しに改造
平成元年:モハ81の竣工で事業用に転用、台車交換(木南KN-16→住友KS‐33)

・火災に遭ったモハ11、13の復旧車。元々は二両別々に復旧する予定でしたが、焼損が酷かったことや乗客の増加を受けて二両を一旦解体し台枠から組み立てなおし(といっても状態の悪い部分を除いて切り接いだだけ。車体も焼け焦げた現物を四苦八苦して再生。まともに新造したのは屋根と窓、乗降扉くらい)、損傷した電装品は近隣各社の廃棄品をかき集め、台車も当時廃却が進んでいた南海のものを破格で引き取って16m級3扉ボギー車としてなんとか完成を見たのが当車です。今でこそ、こういった例は近江鉄道モハ220くらいしかないのですが、この車輌が製造された時期だとこういう無茶をする中小私鉄の自社工場は珍しくありませんでした。まぁ、焼け爛れた車体を炙って叩き直してまで切り接いで使い回すという涙ぐましさは当時から篠電が「持たざる会社」だった事の証左でもあります。「篠山電鉄」と「東吹車輌工場」の銘板は誇らしさこそありますけれども。再生工事開始から竣工まで2年も要したのは実際に難工事だったということもありますが、小私鉄の一工場には負担が大きすぎたと言う事なのかもしれません。コレの復旧工事のため部品確保用にモハ12(当時はサハ代用)は解体されました。永らく活躍してきましたが、台枠も含めて全体的に疲弊が激しくワンマン改造されないまま使用された後平成に入った直後にモハ81、モハ91が竣工したこともあって旅客運用から撤退。架線点検用の櫓を屋根に載せて車体側面には竹製の梯子を担ぎ、事業用車兼救援車となっています。工事の時だけのそのそ出てくるので捕捉は難しいかというとそうでもなく、架線点検やらレール運搬、夏場の除草剤散布などなど、この鉄道の保線関係はこの車輌が受け持っているので割と国鉄篠山にひょっこり現れたりしてますからその気になれば捕捉は簡単です。

モハ51形(51~53)(江ノ電800類似の自社発注車)
全長:13600mm(連結器含まず)
全幅:2500mm
全高:4120mm
自重:24.8㌧
制御装置:直接式
制動装置:SME
空気圧縮機:DH‐16
主電動機:TDK‐525‐2(37.5kw×2)→不明(40kw×2)
ギア比:3.37
台車:板台枠BWタイプ(汽車製造製)
集電装置:トロリーポール→パンタグラフ
定員:104名(座席36名)
製造:昭和23~24年汽車製造
経歴
昭和23年:汽車製造で51と52が竣工
昭和24年:汽車製造で53が竣工
昭和32年:火災事故でモハ52が半焼
昭和33年:モハ52復旧
昭和34年:モハ53電動機交換(40kw×2)
昭和42年:モハ51、52も休車中だったモハ21、22から電動機交換(40kw×2)
昭和51年:トロリーポール(ホイール式)からパンタグラフへと交換、正面窓が固定式(アルミサッシハメ殺し)に改造され、左右の窓は上下式のアルミサッシに改造
昭和55年:保全工事竣工:客室窓のアルミサッシ化、客用扉はステンレスHゴム付きへと交換、施工:篠山電鉄東吹車輌工場
平成3年:ワンマン改造

・戦後初めての自社発注車です。大きな期待が込められていたこともあって、形式には一挙に50番台が振られました。車輌的には、同時期に汽車製造で製作されていた山梨交通モハ7形(後に上田丸子を経由して江ノ電へ移籍して800形となる)に類似しますが、当初から三扉で設計されていた点が大きく異なります(扉幅は全て900mmに統一)。僅かにアンダーパワーの感がありましたが、モハ11とモハ13を火災で焼失していた篠電にとっては非常にありがたい存在となりました。最も、この火災ではモハ52も半焼の被害を受けており、昭和33年上半期は電動車3両(モハ12、モハ14、モハ51)という予備車無しの危機的状態に陥ります。篠電の車輌連中の中では珍しく軌道車輌が設計元となっているので少々幅が狭く、扉部分には張り出し式のステップがついています。モハ21形のモーターを移植してもらったので若干足が良くなりました(笑)。ワンマン化改造済み、非冷房ながら扇風機と暖房は完備(笑)。両数も多いので当鉄道の主力です。

モハ61(東急中古)
全長:15840mm(連結器含まず)
全幅:2740mm
全高:3886mm
自重:30.5㌧
制御装置:HL
制動装置:SME
空気圧縮機:DH-16
主電動機:TDK‐31S‐C(63.4kw×2)
ギア比:3.04
台車:DT10→TR‐14
集電装置:パンタグラフ
定員:115名(座席40名)
製造:昭和16年川崎車輌(東急デハ3303として)
   昭和34年篠山電鉄東吹車輌工場(モハ61)
経歴
昭和16年:川崎車輌にてデハ3303として竣工
この間、戦災に遭っている
昭和22年:クハ3232へ改造
昭和33年:旧車体が廃棄され、篠電がスクラップ扱いで購入
昭和34年:篠電東吹工場にて再電装。モハ61として竣工する
昭和43年:車体傷みが激しい事から休車処置となり、西武建設所沢工場にて外板張替え・アルミサッシ化・台車取り換えが行われて復帰
昭和51年:トロリーポール(ホイール式)からパンタグラフへと交換
昭和63年:保全工事竣工:客用扉をステンレス製に交換、
平成3年:ワンマン改造竣工

・当鉄道では実は最も古いだろうと目される古豪、モハ61です。元はといえば東急の3300形の一員デハ3303ですが元を辿れば恐らくは院電にも行き当たるだろうと言われています。同車は戦災からの応急復旧車だったために程度が非常に悪い事で有名な車輌で復旧の際に電装も撤去されてクハ3232になっていました。が、昭和33年に更新のためにこの旧車体が解体されるということで車輌不足に喘いでいた篠電がスクラップ扱いのタダ同然に引き取り再電装、晴れてモハ61として生まれ変わります。ですが、やはり応急復旧車は程度が悪くて篠電の工場でも太刀打ちが出来ないほどに状態が悪化した事から急遽廃車予定だったモハ21を復帰させて同車を休車処置とすると共に、西武建設に送って徹底的な修理を受けて漸くまともな電車になりました。以降は他形式と共に活躍してきましたが、より大型のモハ81や亀電中古のモハ91が購入されたことで近年は増結車扱いでツーマン列車にしか顔を出さないようになっています。

モハ71、(元つるりん、北恵那中古)
全長:15540mm(連結器含まず)
全幅:2735mm
全高:4240mm
自重:29.32㌧(モハ71)
制御装置:RPC151
制動装置:SME
空気圧縮機:DH‐16
主電動機:TDK‐31S‐C(63.4kw×2)
ギア比:3.2
台車:日本車輌D‐16(モハ71)
集電装置:パンタグラフ
定員:100名(座席40名)
製造:昭和30年日本鉄道自動車工業(これは名義上のみで実際は昭和5年浅野造船所)(モハ71)
経歴
※譲渡前の経歴は省略
昭和42年:北恵那鉄道デ8を購入、
昭和51年:トロリーポール(ホイール式)からパンタグラフへと交換
昭和

・元北恵那鉄道デ8。書類上は昭和30年日本鉄道自動車の新造車だが、紛れもなくその姿は「つるりん」のモハ100形そのもの。

 

モハ81(元伊予鉄110形モハ115)
全長:17050mm(連結器含まず)
全幅:2734mm
全高:4146mm
自重:34㌧
制御装置:HL
制動装置:SME
空気圧縮機:DH‐25
主電動機:WH556‐J6(75kw×2)
ギア比:3.94
台車:住友KS‐33L(モハ91)、
集電装置:PS13
定員:120名(座席名)
製造:昭和42年西武所沢工場(これは名義上のみで実際は昭和2年川崎造船)
経歴:

モハ91形(元亀電300形)
全長:15000mm(連結器含まず)
全幅:2600mm
全高:mm
自重:㌧
制御装置:HL
制動装置:SME
空気圧縮機:DH‐16
主電動機:(40kw×)
ギア比:3.04
台車:
集電装置:
定員:名(座席名)
製造: 
経歴

・客車
ハフ1(元上田交通デハ2322)
全長:11800mm(連結器含まず)
全幅:2720mm
全高:4100mm
自重:17㌧
制動装置:手ブレーキ、SME
台車:NT‐28B
定員:100名(座席28名)
製造:昭和22年日本鉄道自動車工業 
経歴


ハフ2(元亀電300形)
全長:mm(連結器含まず)
全幅:mm
全高:mm
自重:17㌧
制動装置:SME
台車:
定員:
製造: 
経歴


ハ2(元篠山軽便鉄道ハ1?)
全長:7522mm(連結器含まず)
全幅:mm
全高:mm
自重:6.4㌧
台車:二軸固定
定員:64名(座席12名)
製造:不明
経歴

 

ハフ5
全長:6477mm(連結器含まず)
全幅:2740mm
全高:4247mm
自重:6.9㌧
制動装置:手ブレーキ
台車:二軸固定
定員:20名(座席16名)
製造:昭和25年篠山電鉄東吹車輌工場
経歴
昭和25年:篠山電鉄東吹車輌工場にてト2から改造し竣工
昭和40年頃?:引き通し管装備(自車ブレーキは手ブレーキのみ)
昭和48年:保全工事。扉のプレス化、窓のアルミサッシ化

 

ニフ4
全長:6477mm(連結器含まず)
全幅:2740mm
全高:4247mm
自重:6.4㌧
制動装置:手ブレーキ
台車:二軸固定
積載荷重:荷物2㌧
製造:昭和25年:篠山電鉄東吹車輌工場(ハフ4)
   昭和44年:    同上    (ニフ4)
経歴
昭和25年:篠山電鉄東吹車輌工場にてト2から改造し竣工
昭和40年頃?:引き通し管装備(自車ブレーキは手ブレーキのみ)
昭和44年:荷物車に改造。

 


・貨車
トム51
全長:8056mm
全幅:2740mm
自重:8.5㌧
積載荷重:15㌧
台車:二軸、一段リンク
製造:昭和17年若松車輌(加悦鉄道トム51)
経歴
※加悦鉄道時代の経歴は省略
昭和41年:廃車に伴い篠山電鉄が譲受し、元車号のまま竣工。
昭和?年:アオリ板、床面修繕工事

・元加悦鉄道車。昭和17年若松車輌製の15㌧積み無蓋貨車で国鉄トム50000とは同形車。加悦では昭和41年に廃車されますが、篠電が当時老朽化が進行していた古典貨車の代替として購入しました。最も、この頃には既に貨物輸送は廃止されていたので転入から今に至るまで専ら保線用資材の運搬、バラストや除草剤散布に使用されています。ちなみにこの車輌、加悦(日本冶金)の社章を消し検査表記を書き換えただけで殆ど加悦当時のままとなっています。普段は割とそのままなのですが、夏場の長期間作業となる場合(特に除草剤散布でこうなることが多い)は荷台にテント(運動会とかでよく出されているアレ)が張られています(笑)。そういうわけで貨車連中では最も出番の多い車輌で何かと便利に使われているようです。

チ4、チ5
全長:8056mm
全幅:2740mm
自重:8㌧
積載荷重:15㌧
台車:二軸、一段リンク
製造:昭和17年若松車輌(加悦鉄道トム52、53)
   昭和43年篠山電鉄東吹車輌工場(チ4、チ5)
経歴
※加悦鉄道時代の経歴は省略
昭和41年:廃車に伴い篠山電鉄が譲受し、改造。チ4、チ5として竣工。
昭和?年:床面修繕工事

・こちらも元加悦鉄道車。昭和17年若松車輌製の15㌧積み無蓋貨車で国鉄トム50000とは同形車。加悦では昭和41年に廃車されますが、篠電が当時老朽化が進行していた古典貨車の代替として購入しました。元々、レール運搬に使用する予定だったホチですが2両連結でも全長が少々短く、25m定尺レールの運搬が不可能だった為に遊車兼長物車として各所を改造した車輌です。なので、長物車を名乗ってはいますしそれに準じた改造も受けていますが自身が荷物を載せる事は極めて稀で、25mレール輸送の時以外はまず出てきません。近年稼動報告がなく、休車との情報もありますが車籍上の変更はなく今も現役車です。

ホチ1、ホチ2
全長:11700mm
全幅:mm
自重:㌧
積載荷重:
台車:木南KN‐16改
製造:昭和42年篠山電鉄東吹車輌工場(モハ21、22から改造)
経歴

・亀電中古だったモハ21は木造車体の老朽化こそすれ台枠の程度は比較的良好でした。モハ21形廃車後はコレを切り接いで再び電車を作るような無茶はしなかった篠電でしたが、当時保線作業に残っていた古典貨車(ト1、ワフ1、チ1、チ2、チ3の5両。何れも明治生まれの骨董品かそれに類する改造車)の老朽化が余りにも激しかった事から台枠周りを利用して長物車へと改造される事となりました。台車はモハ時代と変わらず木南のデッドコピー台車のままですが、手ブレーキを取り付けたりバネをかなり硬く設定し直したので貨車としては十分な実用性と積載力を確保しています。これも専ら工事用でレールや架線柱などのトムでは対応できない長物の運搬に使用されています。貨車連中ではまだ動く方。

貨車一覧
トム51
チ3、チ4
ホチ1、ホチ2 計5両

最終更新:2013年04月13日 17:14