長髭族と人間たちの関係について "Of Dwarves and Men"より -The Peoples of Middle-Earth

 第三紀のドワーフたちの間では、彼らの七人の父祖がそれぞれ"覚醒した"場所の名が言い伝えられている。しかし西方の人間達と、エルフたちの間では、そのうちの二ヶ所のみしか知られていない。最も西寄りなのが炎髭族(Firebeard)と広腰族(Broadbeam)の二種族の祖が覚醒した場所と、最も古くに創られまた最も早くに目覚めた長髭族(Longbeard)の祖が覚醒した場所である(1)。最初の二種族の場所は、ベレリアンドの巨大な東の壁である、エレド=リンドンであり、第二紀以降、残存部が青の山脈となる所である。次の長髭族の場所がグンダバド山(クズドゥル起源の名)であり、ドワーフ達から崇められていた場所であるが、第三紀にはサウロン配下のオーク達に占拠されており、これがドワーフ達がオークを激しく憎悪する主要な理由の一つとなっていた(2)。他の二つの場所、鉄拳族(Ironfist)と堅髭族(Stiffbeard)、黒巻毛族(Blacklock)と石足族(Stonefoot)の起きた場所は遥か東の方で、青の山脈とグンダバド山の二点間の距離よりもさらに遠いものであった。これら四ヶ所は、異なった血統のドワーフ達のコミュニケーションを遠く引き裂いてしまうことになったが、初期の頃には時折グンダバド山において、派遣された使節による会議が開かれていた。ドワーフたちの力が大いに必要とされる時には、最も遠くにいる者たちも己が眷属のために助けを送った――オークたちに対する大戦争の時などである。彼らドワーフは、敵や大災害(例えばベレリアンドの大破壊など)による大きな圧迫を除いて、己の父祖ゆかりの地を離れた所に移住したり、終の棲家や館を築いたりすることは気の進まないことであったが、彼らは偉大で、不屈の旅人たちであり、また、優れた道の敷設者でもあったので、全てのドワーフの血族達は共通の言葉を共有していった(3)。

 しかし、遥か昔のドワーフ達は秘密主義的なところがあり[削除: -長髭族と同じように-]、エルフ達とは殆ど取引を行わなかった。第一紀の終わりに、西方でエレド=リンドンのドワーフ達と、シンゴル王の取引関係がドリアスの惨事と荒廃によって終わりを告げ、その記憶がドワーフとエルフの関係を後世に渡って毒すこととなった。この頃、東や南から人間の移民の群れがベレリアンドに先兵をもたらしたが、エリアドールの遥か東や、ロヴァニオン(特に北方の部分)の大部分を、既に彼らの血族が占めていたのにも関わらず、彼らの数は多数と言えるほどではなかった。そこですぐに長髭族と人間の間で取引が始まった。長髭族は7つのドワーフの氏族の中でも、最もプライドが高かったが、彼らは最も賢く、また広い視野の持ち主でもあった。人間は彼らを畏怖し、彼らから学ぶことを熱望した。また長髭族も自分たちの目的ために彼らを進んで利用した。このようにして、こういった地域で経済や、後のドワーフと人間(ホビット含む)特有の取引が育っていった。人間は牛飼いや羊飼い、耕作者といった食料の主要な供給者となることで、それらと引き換えにドワーフの建築業者、道路建設者、鉱夫、そして手工業者などから便利な道具や武器、優れた匠の業物などを得た。初期の頃は、ドワーフ達は交換でモノを手に入れるのと比べると、労働時間だけでなく、長く多い苦役を経た上でモノを手に入れていたため、これはドワーフたちにとっては大きな利益となった――人間たちがより賢くなり、自身の技術を磨く前のことではあるが。一番の有利な点は、彼らの仕事を進めるのに余計な時間を割かずに済むようになり、彼らの技術(特に治金術)がより洗練され、カザード達の衰退と減少が始まる前に、極めて優れた業に達したことである。

 このシステムの発達はゆっくりとしたものであり、また、長髭族が彼らの隣人の言葉を学ぶ必要があると感じる以前には、長期に渡るものであった。またその頃は、彼らドワーフが、余所者から個別に認識してもらうための名前も、まだ取り入れてはいなかった。このプロセスは物々交換や交易によって始まったものではなく、戦争によって始まったものであった。長髭族はアンドゥインの谷間を南下して広がっていき、彼らの最も重要な大邸宅であり要塞でもある、モリアを築いた。そしてまた東にも広がっていき、鉄鉱石の鉱脈が主要な産物となる、くろがね連山に辿り着いた。彼らはくろがね連山と、エレド=ミスリン、東の霧降り山脈の谷々を自分たちの土地と見做した。しかし彼らはモルゴスのオーク達に襲われた。宝玉戦争とアングバンド攻城戦の最中、モルゴスが全戦力を必要とした際、これらの襲撃は止んだ。しかし、モルゴスが敗北し、アングバンドが破壊されたことにより、オークの群れが棲家を探し求めて東方へと逃げてきた。今や彼らの主人はなく、全体のリーダーシップを取れる人物もなかったが、彼らは良い装備を身につけており、残酷で、凶暴で、向こう見ずに攻撃を仕掛けてきた。戦いにおいて、彼らドワーフ達はオーク達に数で圧倒されたため、言葉を話す民の中でも恐るべき戦士揃いの彼らも、喜んで人間たちと同盟を結ぶことにした(4)。

 このようにしてドワーフと連合した人間の大半は、宝玉戦争においてエルダールと同盟を組んだ、金髪で背の高い"ハドル家の族"と、種族・言語において同族に当たる者達であった。これらの人々は、緑森大森林にぶつかるまで、西に向かって進んで来たと思われる。彼らはそこで分かれることとなった。ある者達は大河アンドゥインに辿り着いて、渡河し、そこから谷々を北上していった。またある者はエレド=ミスリンと森の北端の間を通過していった。この人々(既に大集団となり、多くの氏族に分かれていた)のうちの少数が、エリアドールへと入って行き、最終的にベレリアンドへと至ることになる。彼らは勇敢で、誠実で、忠義に厚く、モルゴスとその下僕共を憎む者達であった。最初は彼らはドワーフ達が、影の下にあるのではないかと怪しんでいた(5)。だが、彼らはオークどもの攻撃を受け易かったことから、ドワーフと同盟を組む事を喜んだ。彼らの大部分は点在した村や農場に住み着いているうえ、小さな町に彼らが寄り集まっても、せいぜいが溝と木のフェンス程度の貧相な防御手段しかなかった。また彼らの武装(主に弓矢)は軽装であったが、それは彼らが僅かな金属しか持っておらず、また鍛冶屋の数も少なく、優れた技術もなかったからであった。ドワーフ達は人間たちのある一つの助けと引き換えに彼らを見直した。人間は獣を飼い慣らし、馬術を習得していて、また多くの者達が、巧みで恐れを知らぬ乗り手であった(6)。彼らは時たま、家から遥か遠くにまで馬に乗って偵察に行き、また彼らの敵の動きを監視していた。もしオークどもが大きな奇襲のため、公然と恐れずに集まったならば、彼らは騎兵の大軍団を集めて、オーク達を包囲し殲滅しただろう。このようにして、北方におけるドワーフと人間の同盟は、第二紀の初めには強力な力を発揮するようになり、その攻撃は速やかにして勇壮で、防御に回れば優れて堅固なものであった。また、この地域におけるドワーフと人間の間で、互いに尊び重んじるようになっていき、しばしば友情を暖めていった。

 長髭族が人間たちとコミュニケーションを取るために、彼らの言語を取り入れるようになったのは、ドワーフと人間が戦争や土地を守る(7)ために協力していた、そんな最中のことであった。彼らは特別な友情関係を結んだ人間に対して、自分たちの言葉を教えるのを厭わなかったが、人間にとってドワーフの言葉は難しく、孤立した単語(多くは彼らの言語に取り入れ、適応させたもの)を学ぶのよりも時間がかかった。長髭族は他のドワーフと同じく、厳格な秘密主義者たちであった。このためエルフも人間も、彼ら個人の決して多種族(8)には明かさぬどんな名前でも完全に理解したことはなく、また彼らが書写の技法を身につけても、決して刻みつけたり書いたりすることはなかった。そこで彼らは同盟者達に認識してもらうため、人間的な名前(Mannish name)を名乗った。この習慣は長髭族の間で第四紀に至るまで、またそれ以上に持続した。この名は親しい人間の友人と話す時や、互いの民の歴史や記憶を話す時に見られた。また彼らの年代記(ドワーフと人間が出会うずっと前)の中で、記憶に残るドワーフたちによく似た名前を付けたりもした。だがこれら古代のもので、ただ一つの名が、第三紀になっても保たれていた。ドゥリン――人間やエルフにも知られている、長髭族の太祖に与えられた名前である。(ドゥリンの名は、第二紀の北方の人間たちの間で、単純に"王"を表す単語として使われていた)(9)。長髭族のその名前群(ドゥリン)は、第三紀1980年に起きたモリア(カザド=ドゥーム)の荒廃前にまで遡らなければ、目録に載っていない。それらは全て同じ類のものであり、長期間に渡って死んだ(使われなかった)人間的な名前であった。
 これらの名前は第二紀の初期にドワーフ達に取り入れられ、彼らの言語と同じく殆ど変化せずに保たれながら、およそ4000年の長きに渡って、または同盟がサウロンの力によって破壊されて以降、与えられ続けてきた(そしてまた繰り返されてきた)と推測される。このようにして、後の人間たちにとって、これらは特別なドワーフ的名前(Dwarvish Name)となり(10)、長髭族は彼ら特有の伝統ある語彙を手に入れた。彼らが内々で使用する本当の名前を、完全に秘密にし続けたままで。

 第二紀が過ぎ行くに連れ、非常に大きな変化が訪れた。第二紀600年に、ヌーメノール人の最初の船が中つ国の岸に姿を現したのだが、この驚異的な出来事の噂は遠い北方にまでは届かなかった。そして同じ頃、サウロンが身を隠していたのをやめて、美しい姿をとって現れたのである。長きに渡り、彼はエルダールの信頼や友情を努力して得ようとし、ドワーフや人間に気を払うようなことは殆ど無かった。しかし、徐々に彼の中でモルゴスへの忠誠心が再び戻り、軍事力を探し求め、オークや他の第一紀の邪悪なものどもを指揮統率し、密かに南方の、後にモルドールとして知られる、山で囲まれた地域に巨大な城塞を築いた。第二紀中頃(1695年)にサウロンはエリアドールを侵略し、エレギオン(ベレリアンドの大破壊から逃れたエルダールによって作られた王国で、モリアの長髭族と同盟関係にあった)を滅ぼした。この出来事は、北方の人間と長髭族との同盟関係に終焉をもたらすこととなった。モリアは数世紀にわたって難攻不落の地であったが、増強されたオークどもとそれを率いるサウロンの下僕達によって、山々は再び侵略されてしまった。グンダバド山は再奪取され、エレド=ミスリンはオークの横行する地となり、モリア-くろがね連山間の連絡は途絶してしまった。同盟を結んでいた人間たちは、このオークとの戦争だけでなく、邪悪な人間との戦いにも巻き込まれた。サウロンは多くの凶暴な氏族が住まう東方(古くはモルゴスによって堕落させられた)の地域を手に入れ、土地と戦利品を餌に東方人達を西方へとけしかけた。この大難が過ぎ去った後(11)、古の同盟を結んだ人間たちは減少・散乱してしまい、古くて貧しい不毛の土地に残るか、洞窟や森の境に住み着くかになった。

 エルフの伝承・知識に精通した者達は、言語において言葉を話す民族(Speaking-People)の話語の変化は、後代のそれに比べるとエルダールの時代の方はよりゆっくりとしたものであった、と考える。エルダールの言語は主にその意図によって変化し、ドワーフのそれは彼ら自身の意思により変化に抵抗し、人間の多くの言葉は、世代の早い移り変わりに連れて、軽々しく変化していった。アルダにおける全てのものは移ろいゆく――ヴァラールの祝福された地にあってさえも。しかしその地での変化は非常にゆっくりとしたものであったため、大きな時の中では(ヴァラールを除いて)その変化に気づくことはできない。ヴァリノールにおけるエルダールの言語の変化は、このようにして止まった。しかし初期の頃のエルダールは、彼らの言語をより拡げ洗練させてゆき、音や(言語)構造すらも変え続けていった。このようにして中つ国に残されたエルダールたちの言語は、ヴァリノールの上のエルダールのものから大きく分岐してしまったため、他の話し手からすればどちらも理解できないものとなっていた。というのも、エルダール達が非常に長い間分かたれていたため、中つ国において最も保たれてきたシンダリンでさえ、年月を経ると共に変化を受け易くなっていった――テレリはノルドールに比べると、意図的に言語を変えていくことに対し、懸念して自制したり管理したりするようなことはなかったからだ。



※クリストファー氏の注釈
(1)についての抄訳
  • 長髭族の祖は一人で眠っており、連れはいなかったらしい。
  • 4つの場所で7つのドワーフ族の祖が目覚めた。長髭族のみが単独で目覚め、それ以外はペアで目覚めたようだ。内訳は炎髭族と幅広族、鉄拳族と堅髭族、黒巻毛族と石足族である。
  • 炎髭族と幅広族はエレド=リンドンで目覚め、これらの血族はノグロドとベレゴストのドワーフ達だと思われる。
(2)
  • 長髭族の祖が目覚めた地はエレド=ミスリン(遥か北方の灰色山脈のこと)という案もあったが、これは廃案になった。
(3)
  • ドワーフ達の父であるヴァラ、アウレは、ドワーフのためにこの言語を作り、彼らを眠りにつかせる前にこの言葉を教えていた。
  • ドワーフ達が目覚めてから時が経つにつれ、変化し、多岐に渡っていった。
  • だが、第三紀においてさえ、その変化や分岐は非常に遅く小さいものだったため、各氏族ごとの言葉にコンバートする事が 容易だった。
  • 彼らに言わせると、クズドゥルの変化をエルフや人間の言語の変化と比べるのは、硬い岩の風化と雪が解けるのを比べるようなもの、らしい。
(4)
  • ドワーフ達の繁殖力は弱い。
  • それに対して人間のそれは、エルフ達と比べてさえ強いものである。
(5)
  • というのも、彼らは遥か東方で邪悪な意思持つ者達と出会っていたからだ。
  • 上記は後に鉛筆で書かれたもの。前のページには東方で目覚めたドワーフ達がモルゴスの影に入り、邪悪に染まったとタイプされている。
(6)
  • 今までに好んで馬に乗るようなドワーフは一人たりとも居なかった。
(7)
  • この時、まだヌーメノール人は中つ国の岸に姿を現しておらず、バラド=ドゥアの土台もまだ建設されていない。
  • この時代の年代記は闇に包まれている。
  • 長髭族はエレド=ミスリン、エレボール、くろがね連山、そして霧降り山脈東側ロリエンの国境までを支配下においていた。
  • 北方の人間たちは、森を貫いて北東のくろがね連山に通じていたドワーフの大街道(the Great Dwarf Road)近くに住んでいた。
  • 古森街道(the Old Forest Road)は荒廃したドワーフの大街道の名残である。
(8)
  • 個々を識別するための個人名だけである。種族や家系、彼らの館の名前は隠さなかった。
(9)
  • 父(束教授)はどうも此処に、ドゥリンを長髭族にとっての"本当"のMannish nameであるかのように書いたようだ。しかしこれは勿論、ノルウェー語由来のものであり、"翻訳"されたものである。
(10)
  • 似たようなものとして、エルフ起源のものである"ルーン文字"が、第三紀においては人間の間では広くドワーフ流のものと認識されていた例がある。
(11)
  • サウロンはヌーメノール人に敗北しモルドールに押し返され、長きに渡って西方を悩ますことがなく、その間東方へ支配域を広げていった。




  • クリストファー氏の注釈はもっと色々書かれてますが、HoME11の内容にまで広がる部分については、今は訳してません。 -- 名無しさん (2013-01-18 01:10:59)
  • アタニとその言語は翻訳する予定はないです、何方か他の方よろしくお願いします。 -- 名無しさん (2013-01-18 23:02:44)
  • これにて長髭族と人間は一応終了。誤訳部分やもっといい訳し方等ありましたら、気にせず修正しちゃって下さい。 -- 名無しさん (2013-01-20 23:42:05)
  • お疲れさまでした!注釈はどこまでやるか迷いますよね -- 名無しさん (2013-01-21 00:26:35)
  • どうもです。確かに注釈は迷いますねー。実の所抄訳にすることで、省略してる部分があったりしますw -- 名無しさん (2013-01-24 00:59:09)
  • 幅広族の名称を修正。中つ国wikiにドワーフ族の名前が載っていたのを知ったのでそちらを参考にしました。Broadbeamを幅広族にしちゃうとbroadの意味だけでbeamの部分が欠落してしまうので、前から自分でも今一つだなあと思ってはいたんですが。当初は大尻族にしようかと思ったんですけど、大尻ってのも何だかねえ。いいのが思いつかないのでとりあえず幅広にしたんですが。まあそんなわけで広腰族に改名です。 -- 名無しさん (2014-05-10 12:15:30)
なまえ:
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最終更新:2014年05月10日 12:15