番長GSS



【マークツー・フォー・セール】

「…………っ……! かっ……あ、はあっ……!」

 放課後の部室棟に響く、途切れ途切れの苦しげで少し甘やかな悲鳴と、甲高い機械音。
 廊下を進んでいた一人の生徒が足を止め、教室の方をチラと見る。

 『科学部』。
 プレートに刻まれたその三文字を認識すると、生徒は何事もなかったかのように
 元の進路へと消えていく。

 超常的な力を持つ『魔人』たちの巣窟、私立希望崎学園。
 『戦闘破壊学園ダンゲロス』の名で恐れられるこの学校の科学部で、人体改造や
 人体実験が行われていないほうが、むしろ非日常なのであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 茅ヶ崎智沙希は、どこにでもいる普通の女の子であった。

 気が早く、その割に押しが弱いところがあるが、真面目で心優しい性格をしている。
 唯一、機械じみた耳だけが異質ではあったが、やや伸ばした髪で隠そうとする程度に
 少女は自身の『普通じゃなさ』を厭い、また折り合いをつけてもいた。

 生身の人間でありながら希望崎学園に入学したのは、コンプレックスだった自分の耳も、
 そこでなら『普通』に映るかもと考えたからだった。
 もしかしたら、異能への憧れも、少しはあったかもしれない。

 異質な耳は「魔人なのでは」という疑いを呼び、少女には親しい友はいなかった。
 単身臨んだ入学式で、少女はとりあえず、友達を作ることを目標にさだめた。
 まだ見ぬ友達との楽しい学園生活……そんな淡い夢は、間もなく打ち砕かれるのだった。



「Mk-II、醤油とってくれ」

「…………」

「おい、Mk-II」

「私だって、届かないよ」

「伸ばせば届くだろう」

 時刻は、午後八時ごろ。
 娘の前腕の一部がスライドし、中から一本のケーブルが伸びる。
 ふよふよと億劫そうに進んだそれは、テーブルの上の醤油に巻きつき、持ち上げ、
 彼女の対面に座る父の元へと運んだ。

「ありがとう、Mk-II」

 父の礼を、智沙希は無視した。
 違う料理を運んできた母に無愛想を咎められるが、それも無視した。

 ――――私は、そんな名前じゃない。

「やだわ、この子、反抗期かしら」

「難しい年頃だからなあ。Mk-IIはずっと良い子だったんだから、少しくらいひねた方が
 可愛げがあるというものだ」



 茅ヶ崎智沙希Mk-IIは、『普通』でも、『女の子』でもなかった。

 入学初日、彼女は科学部に拉致され、そこで自分を機械と勘違いした部員たちによって、
 解析的な、実験的な、口では言い表せないようなあんなことやこんなことをされた。
 予測したデータとの食い違いに首を捻る部員たちを、智沙希は熱く潤んだ瞳で睨んだ。

 ――――当たり前だ。私は、機械じゃない。
 もっと調べる必要がある、などと話すこの人たちに、明日は文句を言ってやるんだ。

 それは少女にとって、コンプレックスだった己の耳との戦いだったのかもしれない。
 智沙希はそれからほとんど毎日科学部へ足を運んだ。
 自分から進んで向かったこともあったし、部員に連れ去られたこともあった。

 意地に突き動かされるように部員たちの前へと進み出、しかし肝心の押しは弱い。
 故に言葉はたどたどしかったが、それでも精一杯の文句をぶつける日々。
 そして、そんなことは意に介さず実験台の上へ転がされる日々が続いた。

「……な、なにこれ…………」

 二年生に進級し、少しばかり経った、ある日。
 けたたましく鳴り響く目覚まし時計を止めようとして手を伸ばすと、皮膚が開き、
 腕から謎のケーブルが伸びて目覚ましを止めたのだった。
 眠気は完全に吹っ飛んでいた。

「お、お母さんっ! 大変、私の手から、なんか変なのがっ!」

 寝起き直後の着崩れたパジャマ姿で居間へと駆け込む少女に、両親はいつもと
 変わらぬ調子で、呆れたように笑っていた。

「おはよう、Mk-II。どうした、怖い夢でも見たのか?」

「だらしない格好しちゃって、早く着替えてらっしゃい、Mk-IIちゃん」

「……えっ」

 『智沙希』『ちさちゃん』と呼んでいた両親の認識も。
 笑い合った友達や、叱ったり褒めたりしてくれた教師の認識も。
 挙句、学校の書類や公的な記録も、なにもかも。

「――――これっ、あのっ、あなたたちの仕業じゃっ、」

「ヤッター! 茅ヶ崎智沙希Mk-IIの完成だー!」

「ちょっ……は、話を聞いてってばーっ!!」

 もちろん、科学部の面々も含め、世界の総てにおいて。
 茅ヶ崎智沙希は、茅ヶ崎智沙希Mk-IIとなっていた。

 変わってしまったのは、少女か、それとも世界か。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「なんなのよ、もうっ……!」

 帰宅後、智沙希は制服のまま倒れ込むようにベッドにダイブした。
 彼女を不可解な改名イベントが襲ってから一ヶ月が経った今も、彼女の心は
 未だささくれだっていた。

「あいつら、ひとの話も、ろくに聞かないでっ……あっ、あんなこと……!」

 思い出し、智沙希の頬がかあっと朱に染まる。
 一体何をされてしまったのか筆者には皆目見当もつかないが、読者諸氏のなかに
 その博覧強記を以て看破された方がいた場合は、是非とも皆に教えてあげてほしい。

「なんで、私ばっかり……ううぅーーーっ……!」

 頭から布団を被り、智沙希は機械じみた耳の後背部を、何かを探すように指でまさぐる。
 微かな快楽の甘噛みに肩を震わせること数秒、少女はお目当てのものへと辿り着く。
 それは端子の挿入口のような穴だった。

「…………んっ……」

 確かめるように指を這わせ、固く閉じた智沙希の口から熱を帯びた吐息が漏れる。
 と、少女は手首付近から一本のケーブルを引き出し、先端のコネクタ部分を慎重な
 手つきでその穴へと導き、呼吸をひとつ、カチッと押し込んだ。

「…………っ!」

 チチッ……チチチキッ……!
 生理的な嫌悪感を掻き立てるような機械音が生じ、智沙希はより一層身体を震わせる。

「んっ……んあっ……! ふっ、ぅんんっ……!」

 顔は紅潮しきり、目尻にはじわりと涙が滲む。
 枕をぎゅうと抱き締め、耐えるように、甘受するように、智沙希は悦楽の波間に漂う。

「あっ……やっ、んんっ……!」

 片手を制服の中に滑り込ませ、細い指が控えめな胸の上で躍る。
 止め処ない快楽の怒涛に決壊する寸前、少女は抱えた枕を思い切り咥えた。

「……ん、んんんんっ――――っっ…………!!」

 一際大きく少女の身体が跳ね、震える。
 欲求かなにかを読み取って作動していたのか、同時に機械音も停止した。

「はあっ……はあっ……!」

 しばし余韻に浸りながら、しかし真っ白な脳は不思議に回転する。
 このひと月、彼女なりに調べ、考え、出した仮説がある。

 まず、茅ヶ崎智沙希の身に起きた異変は、十中八九、魔人能力による現象であろう。
 能力者の『認識』を他者に、世界に押し付け、定着させ、書き換える。
 不服な『Mk-II化』の正体は、そのような『認識』で世界が上書きされたと推測できる。

 では、『Mk-II化』は誰の魔人能力により引き起こされたものか?
 それは魔人能力の発現の特徴を考えれば、自明であった。

 魔人能力の多くは『なりたい自分』を『なった自分』へと昇華するものである。
 血統的に魔人覚醒する者など、例外もないではないが、今回のケースについては
 大多数の魔人の同じ、自我の肥大化の結実と考えて差し支えなかろう。

 すなわち――――、認めたくはないが、原因は、他ならぬ――――、

「Mk-IIちゃーん! そろそろ御飯よー!」

 びくんっ! と布団を撥ね飛ばす勢いで跳び上がる。
 幸い母の声は部屋の外から叫んだもので、己の『行為』についてはバレていない、ハズ。

「……明日、あいつらに、訊いてみよう、かな」

 ――――忌々しい科学部の連中に頼るのは癪だが、認めてしまうのは、もっと嫌だ。
 部員の誰かが能力で智沙希の存在情報が書き換えた可能性もある……かもしれないし。
 とにかく、明日も尋ねよう。決意とともに、少女はケーブルを優しく抜いた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「よ、よし……今日こそ、頑張れ、私っ!」

 科学部、部室。
 その扉を前にして、智沙希は再三の気合を入れた。
 決意を秘めた眼差しで少女は扉を開け、中へ。

「おお、Mk-II君! 良いところに来た! 実は新しい実験方法を思いついてだな、」

「あのっ!」

 智沙希の発した大声に、研究意欲を露わにしていた科学部部長も思わず口を噤む。
 イニシアチブをとることができた。
 ――――これは、いけるんじゃないか? 智沙希は己を奮い立たせる。

「えーーーっと……。その、今日はですね、お、お話、というか……」

 口を開けば、相変わらず語気は弱弱しかったが。

 ・
 ・
 ・

「……つまりMk-II君が魔人かどうか、魔人だった場合は能力を、解析すればいいのだな」

「はい……」

 期せずして話はすんなりと通った。
 科学部の面々は智沙希自らの実験の申出に「ようやく部員としての自覚が……!」と
 瞳を潤ませていたが、否定するのも面倒なので智沙希は放っておいた。

(これで分かる、のかな……)

 本当を言えば、智沙希は、既に自身の能力と、その背景について見当がついていた。

 機械じみた耳は人を遠ざけ、少女には『居場所』と呼べるものが、自宅以外になかった。
 そんな己のコンプレックスを恐れることなく、「良い」と、「素晴らしい」と。
 そう認めてくれた科学部に、いつしか少女は安らぎを覚えていたのだった。

(だから、『こう』なのかも)

 『Mk-II化』。身体からはケーブルが伸び、性別も無くなった。
 科学部に溶け込むために機械化、というのは、我ながら単純な思考回路である。
 苦笑し、いつもは無理やりに乗せられていた実験台に、初めて自分の意志で横たわる。

「よい、しょ……っと」

 不安は、やはりある。ずっと、表面的には嫌悪感を露わにしていたのだから。
 これが終わったら、少し恥ずかしいけど謝って、ちゃんと仲間に加えてもらおう。
 取り付けられる器具にしばしば微かな声を漏らしながら、遂に実験が開始される。

「魔人能力は術者のリビドーが発現に関わることが多い。したがって、Mk-II君の
 メモリーの中で大量のリビドーが検出されたデータを抽出してみるが良いだろう」

「よろしくお願いしま……ん?」

 ――――大量の、りびどー?

「おっ! ちょうど昨日の夕刻に膨大なリビドーの反応があるじゃないか!
 能力のヒントがあるかもしれん! 早速モニターに映してみよう!」

 ――――それってもしかして、いや、もしかしなくて、

「あの、部長、あのですね、ちょっと待、」

「出力!」

 果たして全部員が見守る巨大モニターに、制服を乱し、胸元とスカートの中に
 手を差し入れた智沙希を俯瞰するイメージ映像が映し出された。
 途端に顔を真っ赤にする智沙希と、対照的に怪訝な表情でモニターを見つめる部員たち。

『んっ……ああっ……! やあんっ……! そっ、らめっ……!!』

 スピーカーからも、桃色の大音量が流れ出す。

「んん? なんだねこれは……」

「や、やめてえええーーーっ! 見ーーーなーーーいーーーでーーーーーっっっ!!」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 結局、この日の解析ではそれらしいデータは見つけられず、智沙希がただ恥をかいた
 だけで終わった。

「科学の発展に失敗は付き物! トライアル・アンド・エラーが肝要なのだ!
 明日も、共に励もうではないか! Mk-II君っ!!」

「っ……、ぜ、ぜえーーーーーったい! 嫌!! です! もう来ませんからっ!!」

 さっきまでの決意はどこへやら、そんなことを言い放った智沙希だったが、翌日以降の
 放課後も、科学部室からは少女の苦しげで、甘やかで、楽しそうな声が響いたという。



 おしまい

雨竜院畢プロローグSS

冷たい雨が朝の街を濡らしている。東京を焼いた核の炎を運良く免れたこの街にも、放射性物質を含んだ「黒い雨」は降り注ぎ、住民を怯えさせた。しかしそれも核の投下後せいぜい数日の話で、今降る雨はそれ以前のものと変わらない。
 道行く人々の多くは、どこか憂鬱めいた顔で傘を差していた。放射性物質や重金属を含有する、しないに関わらず、現代日本では多くの人間に雨は疎まれる。それは雨を司る一族が居を構えるこの街でも変わりない。

 大きく、古めかしい日本家屋の門を傘を差した男がくぐった。門には力強い書体で「雨竜院」の名を記された表札が掲げられている。平安時代の雨乞い師に端を発する、雨を司る一族・雨竜院家の屋敷だ。

 玄関まで来た男は傘を畳むと、それを骨組みが視認できなくなるほど高速で回転させた。遠心力は傘が纏っていた無数の雫を引き剥がし、濡れる前の状態に戻す。

「ただいま」

2mを軽く超える巨躯を窮屈そうに縮めながら、男は自分の家の敷居をまたぐ。彼は雨竜院家の長男で、名を雨弓(あゆみ)といった。魔人警官の職に就いており、夜勤を終えて今帰宅したところだった。

「あら、お帰りなさい」

廊下にいた雨弓の母が彼を出迎える。とはいっても、「あら」という言葉やお盆を抱えているところからすると、何か別な用があってたまたまそこに居合わせたのだろう。

「金雨(かなめ)が風邪引いたのか?」

お盆の上に乗っているスポーツドリンクとアイスノンを見て、雨弓が問う。彼には2人妹がいるが、下の妹・金雨は身体が弱く、体調を崩して寝こむことも多かった。
 その問いに対し、母は小さく首を横に振る。

「金雨じゃあないの……」

✝✝✝✝✝

「おかえりなさい……お兄ちゃん」

「ただいま、起こしちまったか?」

「ううん。もういっぱい寝たから、眠れなくて起きてたよ」

雨弓の上の妹・畢(あめふり)は自室でベッドに横になっていた。ドアの開く音にちらりと視線を向け、兄の姿を認めると上半身を起こしてやや苦しげに笑う。雨弓は母から受け取ったスポーツドリンクと、溶けたものに替わる新たなアイスノンを彼女に手渡した。

「熱は?」

「さっき計ったら、8度5分だって」

 熱に頬を紅潮させ、大きな瞳を潤ませた妹を見て雨弓は不謹慎だが愛らしく思うと同時に、懐かしさを覚える。いつも元気なこの妹が学校を休むほど体調を崩すなどここ数年無かったような気がする。身体の弱い金雨は元気に登校したらしいのに、だ。

「他に欲しいもの、あるか?」

「ん……じゃあ漫画とって欲しいな。読みたいの」

そう言われ、本棚から漫画を数冊取り出す。その際、それらと同じ棚の端に並んだやや古い1冊の本の背表紙が目に留まった。この本棚に収まった数少ない活字のうちの1つであるそれは、「金子みすゞ童謡全集」と題されていた。



「じゃあ、俺は寝るわ。起きたらまた来るから、お前も眠くなったら寝ろよ」

「うん、ありがとうね」

畢に漫画を渡し、溶けたアイスノンを回収すると部屋を後にする。ドアを閉めた後、雨音に混じってやけに大きな鳥の羽音が聞こえたような気がした。

 自室で部屋着に着替え夜勤に疲れた大きな身体をベッドに横たえると、やがて襲い来る睡魔に抗うことも無く、雨弓は眠りの世界へと落ちていく。その直前まで彼の頭にあったのは本棚の「童謡全集」のことだった。
 そして雨弓は夢を見た。とても懐かしい夢だった。

✝✝✝✝✝

 広い和室の中心に敷かれた子供用の小さな布団に、幼い畢が寝かされていた。熱に潤んだ瞳で天井を見上げていたが、フスマの開く音に、視線をそちらへと向ける。

「お兄ちゃん」

「ただいま、畢」

無作法に足でフスマを開けて入ってくるのは学校帰りの雨弓だった。大好きな兄が現れて、彼女は虚ろ気味だった顔に笑みを浮かべる。
 着崩した学生服の下の体は屈まなければ鴨居に頭をぶつける程背が高く普通の大人よりずっと逞しいが、顔つきのあどけなさは彼がローティーンの少年であることを示している。
 雨弓はどっかりと妹の布団の横に腰を下ろすと、抱えていた洗面器と長襦袢を脇に置き、彼女の汗に濡れた前髪をかきあげ額に手を当てた。まだ熱は引いてないことが、その掌を通じて伝わってくる。

「熱あって辛いだろうけど、汗拭いて着替えなきゃな。起きれるか?」

「無理……起こして」

甘えた声でそう言って天井に向けすっと手を伸ばす妹に、雨弓は苦笑いしその手を優しく掴んで体を起こしてやる。汗で肌に貼り付いた襦袢を脱がせ、洗面器に入れてきた濡れタオルで丁寧に身体を拭いていく。

「お兄ちゃん、雨止まないね……」

「ん、そうだな」

背中を拭いている最中、畢の発した言葉に雨弓が答える。
 この日は朝方からずっと雨が降っていた。雨脚の強さには時間によって波があったが、絶えることなく屋根を叩き、屋敷中に音を響かせている。

「嫌いか? 雨」

「……」

雨弓の問いに、畢は沈黙する。
 雨を司る雨竜院一族では、古来雨に感謝し雨を乞う神事を執り行い、風流なものとして詩歌を詠んできた。しかし、現代日本において雨は疎ましいものと捉えられがちである。幼い畢もそうした影響を受け、素直に雨を愛でようという気持ちにはなれなかった。

「……男の子は雨だと体育が潰れるって嫌がるし、傘差しても濡れちゃうし。それに、今日畢がおねしょした布団だって、雨だから外に干せないでしょ?」

「はは、そうだな。困るなあ雨は」

妹の言葉を否定するでも無く、雨弓は笑った。
背中を拭き終えると腕や脇の下にもタオルを這わせながら、「ん~」と何か思案するように唸った後、言う。

「でも、雨が降らなきゃ、生き物は生きていけないだろ?」

「……うん……」

「なんたって、世界で一番最初の雨は何百年も振り続けてそれが海になった、らしいぜ」

「ホント!?」

「親父が言ってた。その海から、生き物はみんな生まれたんだってさ」

半分ほど閉じられていた畢の瞳が驚きに見開かれる。くるりと振り向いて自分の顔を見る妹に、雨弓は口角を釣り上げた。
肩で結ばれた髪を解き、汗で蒸れたそれを梳くように拭いてやりつつ、雨弓はさらに雨の話をし続けた。古来、寝物語は最も幸福な会話形式である。それは恋い慕う男女間に限らず、親子間でも、兄妹間でも。
 兄の口から語られる、神代の昔からの雨の物語、例えばイザナミの漏らした尿から生まれた雨の神の話だったりインド神話の雨を司る竜神の話だったり、に畢は夢中になっていた。古の王のように、眠りに就く前のあらゆる子どもたちのように。

 新しい襦袢に着替えて布団に入った畢の頭上から言葉が雨のように降ってくる。

「ほこりのついたしば草を雨さんあらってくれました。
あらってぬれたしば草をお日さんほしてくれました。
こうしてわたしがねころんで空をみるのによいように」
(金子みすゞ「お日さん、雨さん」より)

雨弓が1つの雨の詩を読み終え、開かれた「童謡全集」へと落としていた視線を畢へ向けると、見るからにうとうとした様子で彼はフッと笑みを零す。彼が次の「睫毛の虹」を読み始めたとき、畢はもう眠りの世界へと落ちていた。

「雨弓君……畢ちゃん、寝た?」

「姉ちゃん、大丈夫?」

ススッとフスマが開いて、少年と少女が顔を出した。雨弓や畢の弟・時雨と従姉妹の雨雫だ。数分前、雨雫が畢の見舞いに来て一緒に部屋に入ろうとしたのだが、中で雨弓が畢に本を読んでやっている声に気づき、フスマのごく僅かな隙間から様子を伺っていた。

「本を読んであげるなんて雨弓君、畢ちゃんには優しいねぇ」

「俺は全方位に優しいっつーの! 時雨にも読んでやろうか?」

「お、俺もうそんな年じゃないよ! 姉ちゃんじゃあるまいし……」

畢の眠る部屋で、彼女を起こさないようにではあるが楽しげに談笑する。
 その後、時雨と雨雫が部屋を出て行っても、雨弓は持ってきた漫画を読むなどしながら、畢の傍に付き添っていた。しかしやがて退屈さからか眠気に襲われ、あぐらをかいたまま船を漕ぎはじめる。


「お兄ちゃん、起きて!」

「……ん? 寝てたのか、俺」

数時間後、畢に肩を揺すられて雨弓は目を覚ました。その直後、漂う甘い匂いに寝ぼけ気味だった彼の意識は一気に覚醒する。

「赤飯……?」

開け放たれたフスマの向こう、居間に置かれた大きな机には夕食の献立が並んでいたが、中でも大皿に盛られ、湯気と共に美味しそうな匂いを発する赤飯が目を引いた。

「そう、お祝いでおばさんが炊いてくれたんだ」

いつのまにか和室に戻って来ていた雨雫がそう言うと、雨弓は彼女の顔をじっと見つめた後で合点がいったような顔をし、そしてだいぶぎこちない笑みを浮かべて言った。

「お、おめでとう雨雫」

「君は何か勘違いしてないか!?」

顔を赤らめて声をあげる雨雫。「勘違い」の方の理由で赤飯が炊かれるのはこの3ヶ月後のことだった。

「ボクね、魔人になったんだ!」

大きな明るい声で、そう言う。雨弓の目が大きく見開かれた。

「畢が魔人に……本当か?」

「うん! 夢を見たんだ。雨降りのときに傘を差してお散歩してる、すっごく楽しい夢! それで、起きたら『ああ、ボク魔人になったんだなあ』ってわかっちゃった。ほら、アレ!」

畢が指さした先。窓から見える外の風景――夜の帳が降りた中、ほんのりと浮かび上がる小さな光が降無数に降りそそいでいた。つい先程畢が覚醒した魔人能力『あまんちゅ!』により、雨に混じったゆとり粒子が闇の中でだけわかる程度に薄く光っているのだ。

雨を司る一族・雨竜院家だが、長男たる雨弓の魔人能力は降雨に関わる類では無い。だから畢の降雨能力への覚醒は非常にめでたいことなわけだが、雨弓にはそんな家の伝統などはどうでもよかった。

「それに、ほらお兄ちゃん凄いでしょ!」

畢はその場で跳びはねると、くるりと宙返りを決めて軽やかに着地する。数時間前まで熱を出していたはずの身体で。魔人覚醒は、病弱な少女に健康な肉体も与えたのだ。

「ああ、凄い! 良かったなあ畢」

妹の頭に手を乗せて、柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でてやる。
 雨弓は単純に嬉しかった。雨を厭いていた妹が雨を降らせる能力に目覚めて、それを彼女自身喜んでいることが。
 この日が、魔人「雨竜院畢」の生まれた日となった。彼女は活発な性格になり、翌日には髪を短く切った。武傘「ウパナンダ」との出会いはまた少し先の話である。

✝✝✝✝✝

 朝から続く冷たい雨が街を濯いでいた。現代日本では疎まれがちな雨であるが、今傘を差して外を歩く人々が憂鬱めいた様子かと言えばそうでもない。むしろどこか楽しそうにさえ見えた。
そんな中、一際楽しそうな様子で道を往く2人がいた。大男の差す大きな傘に小柄な少女が入り、手を繋いで歩いている。男の傘に入る少女の左手にもどういうわけか傘が握られているが。

「えへへ、ボク不良だねえ」

「そうだなあ、お袋に知れたら怒られそうだ」

「全く、雨弓さんは……」

夕方になり、すっかり熱が引き体調の回復した畢を雨弓は外に連れ出していた。畢があるところに行きたいと零したからだが、学校を休んだ病み上がりの妹を「もう学校終わってる時間だからいいだろう」と連れ出す警察官の兄というのは褒められたことではなく、畢の持つ「ウパナンダ」もぶつくさと言っている。

「あ、見えたよ」

「おお、久しぶりだなあ」

2人の視線の先には、神社が建っていた。畢は毎週参拝に来ているが、雨弓が来るのはこれが3度目である。そこは雨竜院家ゆかりの神社などでは無く、畢も初めて訪れたのは前年のことだ。
 境内には社殿のみならず住居や道場、庭園もあって昔の武家や貴族の屋敷を思わせる広さだ。庭の石や池の水面、屋根瓦を叩く雨音が2人の耳を楽しませる。

「あ、オオワシちゃん!」

キョロキョロとあたりを見回した畢は、屋根の下で雨宿りする大きな猛禽を見つけるとウパナンダを差して駆け出す。「彼女」は、雨弓が眠っている間に畢のもとを訪れた客人(?)で、畢がここへ来たがった理由でもあった。

 楽しげに話す2人を見ながら、雨弓は1時間程前のことを思い出していた。
具合のよくなった畢が自分に嬉しそうに話す。

「オオワシちゃんが帰った後、眠くなって寝たら夢を見たんだ! お兄ちゃん覚えてる? 小さい頃、ボクが魔人になった日の夢!」

雨弓は驚いた。自分が先程見ていたものと恐らく同じ夢。
 昔の出来事を夢に見ること自体珍しいのに、兄妹揃って同じ日に同じ日の夢をとは。

(都合良すぎだろ……こういうの、なんて言うんだ? シンクロニシティ? ていうか――)

「奇跡」という言葉に思い至ったとき、脳裏をある少女の顔がよぎった。
 奇跡を、夢を愛し、先程畢を訪ねたというオオワシに跨っていた1人の少女。妹と同じように、周囲を振り回す奔放な少女。

 だから畢が「今日は無理だろうけど、お礼に行きたいな」と言ったときには、「じゃあ今行こうぜ」と連れ出した。実際奇跡なのかどうかなどわからないが、もしもこの奇跡を起こした存在がいるなら、恐らくそれはこの社にいるのだろうと雨弓は考える。

 柏手を打つ音は雨音に掻き消されることもなく境内に響いた。

「みんなとずっと仲良くいられますように」

隣で妹が願い事を唱えるのを聴きながら、雨弓は神妙な顔つきで拝殿に向かっている。その横顔に、畢はかつてこの神社を訪れた日を思い出していた。

 雨弓は夢に見たあの日から今までのことを思い返していた。
 畢が魔人になったあの日から9年程になる。その間に当然だが色々なことが変わった。
 時雨は魔人となって一家に貰われて行き、金雨が魔人になり、希望崎では友人も何人か失い、級友にも手をかけ、雨雫と付き合い出し、皆に驚かれながら警察官になり、雨雫を失った。血雨は十束学園を出て恋人を作り、恋人を失った。貰われてきた娘の涙も命を落とした。魔人の宿命なのか、得たもの以上を失ったのではとも思われる。

(あの子も、失くしたものの1つかな……)

少女の顔が再び雨弓の脳裏に浮かぶ。
 かつてこの神社を訪れたとき、一番に祈ったのは雨雫の死後の平安だった。無論今もそれを願う気持ちはあるが、しかし今一番に思うのは……。

「お兄ちゃん、そろそろ行こっか?」

「おう、そうだな」

自分を見上げる妹の頭にポンと手を置く。

 恋人さえ守れなかった男が願うことでは無いのかも知れないが、この妹が、悪意と敵意に塗れたあの戦争へ臨もうとしている妹が、命を落とすことの無いように、と。
 畢が望むような慈雨が、その未来に降りそそぐように、と。
 神事に携わる家に生まれながら殆ど信じていない神なるものに、そう祈った。


「ねえお兄ちゃん、小さい頃の夢見たって言ったでしょ?」

「ああ」

神社を出るとき自分より小さな少女とすれ違い、そちらにちらりと目を向けながら畢は問う。

「今日さ、その頃みたいに一緒に寝て……いい?」

「…………畢、お前」

「もうすぐ高校3年生でしょ?」

呆れる兄とウパナンダに、畢がシュンとする。すると、雨弓はボソリと呟くように言った。「今日だけな」と。今更言うまでもないだろうが、彼は妹に甘かった。

「えへへ、ありがとう! お兄ちゃん大好き―っ」

「雨弓さん……」

「寝小便すんなよ」

「し、しないよっ!」

優しい雨音をBGMに、兄妹とウパナンダは仲睦まじく会話しながら帰路につく。

 騒がしい参拝客の帰った神社で、話す声があった。

「お参りの人来てたんだ?」

「ええ、よく来てくださる方です」

小さな少女――リズの問いに、灰を人型に固めたような、奇妙な物体――社が答える。「彼」は、この神社に棲まう、否、この神社そのものたる付喪神だった。

「いい人?」

「ええ、とても」

言葉を交わしながら、社は心中で詫びていた。自らが祀るもう一柱の神に。

(申し訳ありません、お嬢様。参拝客を、お友達を、事の次第によっては、私は殺すかも知れません)

愛し合う者達、憎しみ合う者達、敵対する者達、皆に遍く降りそそぐ雨はいつまでも止む気配を見せなかった。

【ゼロ・トレラント・フリースキル】


 番長グループ所属、二年生の凛々島トウナは、良くも悪くも『真面目』であった。

 おのれの欠点を恥じることなく晒し、平気でいられる者たちが我慢ならなかった。
 ホーミング系の能力を持ちながらも苦手な投擲技術を鍛えんと努力し、手にマメすら
 出来なくなるほどに繰り返した投擲特訓は、そんな彼女の人となりをよく表している。
 風紀委員たちですら、彼女の前では襟元を正す。

 核が落ち――――あるいは冥王星が衝突し、混乱を極める希望崎学園において、
 トウナが所属する番長グループは学園の覇権を握るために、生徒会との決戦に臨む。
 第十次ダンゲロスハルマゲドンの開幕である。

 学園坂正門など、軽薄な者を多数擁する生徒会。
 トウナは彼らを打倒する決意を固め、義憤の炎を瞳に宿す。

 この頃、生徒会は戦力拡充のために役員の席数を増やしている。
 番長グループ古参たちも、生徒会に対抗するための新戦力の補強に打って出た。
 トウナも古参のひとりとして、優秀なる魔人のスカウトに奔走する日々が続いた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「うふふ、いいお天気……。きっと、素敵な一日になりますわねっ」

「ヒャッハー、その種籾をよこせー!」

「私のサイバネ蝶番は閉じたお前のロックごと扉を解錠してアバカム重点なんだよォー!」

 新顔たちは、みな個性と強さを兼ね備えた猛者ばかりであった。
 だが、そんな新顔たちの中に、トウナにとって我慢のならない連中がいた。

「……この服? 別に、目立ってもいいの。どうせみんないつか死ぬんだし」

 ヴィオレッタ。『緋より紅し藍より蒼し(リンガーヴァイオレット)』の異名を持つ、
 暗殺者の少女である。
 ゴシックでロリータな服装を好んでおり、制服着用違反を犯していながら自分には
 何らの『罪』もないと公言してはばからないその態度がトウナには我慢できなかった。

「校則違反は、明確な『罪』よ! いい加減認めなさい!」

「ふふっ……私は暗殺者よ。校則違反どころじゃない、多くの人間を殺めてきたわ。
 でも罪悪感なんてないの。所詮は俗人の理だし、結局、みんな死ぬんだもの」

 はぐらかすヴィオレッタに怒り心頭のトウナ。
 そして、彼女たちの後方に聞こえる別なる『軽薄なる者』の声に振り返る。

「メカーッ! どうしてもヒーロー部に入れてもらえないメカよ! こんなときは
 ヤケSpriteに限るメカ!」

「えっ……それって、共食、」

「うるさいメカよ新入り! 新入りは新入りらしく、新しいSpriteでも買ってくるメカ!」

「うう、分かりました……」

 茅ヶ崎智沙希Mk-II。科学部所属の、目も当てられないほど押しが弱い機械少女だ。
 そもそも彼女が番長グループに所属しているのも、勧誘を断りきれなかったことに
 端を発する。それを直さず、漫然としているのが鼻持ちならない。

「ちょっと、Mk-IIさん! 貴女もいい加減、嫌なことは嫌と、はっきり言いなさい!」

「ち、ちゃんと言ってるよっ。でも、みんな強引なんだもん……」

 あくまでも自分に非はないと言う、その厚顔無恥が許せない。
 ついでに言えば軽薄な百合原理が気に食わない。彼女は百合に一家言持っていた。
 鉄球でぶん殴ってやろうかと思っていると、突如として周りの者たちが騒ぎ出す。
「や、『矢』が来るぞォーーーッ!!」

 番長小屋の扉やら窓やらから、恐るべき量の矢が超自然的な軌道を描いて飛来する。

「きゃーっ!」「ふ、伏せろォーッ!」「危ねえッ!」

「ウギャアーーーーーーッ!!」

 グサグサグサーッ!! と、矢は過たず、全て合鴨シュウの膝に突き刺さった。
 一定範囲内で放たれた『矢』を自分の膝に引き寄せるパッシヴ能力『矢鴨事件』を
 持つシュウは、しばしばこのように矢を誘引し、その度に番町小屋は阿鼻叫喚となる。

「合鴨先輩! いい加減にそれ、なんとかしてください!」

「い、いつも迷惑かけるわね、凛々島……。お詫びのしるしにこれを……ウグッ!」

 そう言って、膝から抜いた矢をトウナに手渡す。
 トウナは血の滴るそれを「要りません!」とすっぱり切り捨て、相手が先輩だろうと
 構わず説教を始める。

「こんなんじゃ全く寛げませんよ! 誰ですか貴女をスカウトしてきた人は! 大体、」

「まあまあ、そこまでにしなされ」

 と、仲裁に入る者あり。
 彼――――否、彼女はダンゲロス男。名前と爺口調が紛らわしいが、女子高生だ。
 元はダンゲロスが大好きな人間であったが、死後魔人として覚醒し、女子高生として
 この世界に転生したのだ。
 クールビューティな風体からの爺口調がどうにもアンバランスだ。趣味も盆栽とかだし。

「わしらが出逢えたのも、全てはダンゲロスのおかげ……感謝を忘れてはならん……」

 何事にも不平不満を言わぬ、その達観した態度すらトウナには不快に映った。
 いやもちろん彼女自身ダンゲロスに携わる万物への感謝を忘れたことはないしそんなのは
 当たり前だけれど、それ(本音)とこれ(ゲーム処理)とは話が別なのだ。

「もうこんなところにいられるか! 私は抜けさせてもらいます!!」

 ――――こうして凛々島トウナは出奔した。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「――――まさか、君と肩を並べて歩く日が来るとはね」

 一時は敵対した二人。
 彼女は彼を惰弱と断じ、彼もまた圧倒的不利と知りながら彼女と戦う決意をした。

 凛々島トウナと学園坂正門。
 クラスメイトである二人は、放課後、こうして生徒会室への道を並んで歩いている。

「勘違いしないで。私はまだ貴方を認めてはいない」

「手厳しいなあ。まあ、宜しく頼むよ」

 正門だけでなく、生徒会にも不届き千万な輩は多い。
 だが、トウナは学園の秩序を守らねばならない。
 そのためには、かつて同じ釜の飯を食った仲である者たちをも倒す覚悟である。

「あ、学園坂せんぱい、凛々島せんぱい! お疲れ様です!
 ……凛々島せんぱい、今日も特訓、お願いできますか…………?」

「ええ。行きましょうか」

「はいっ!」

 衿串三(えりくし まふてぃーなびーゆえりん)。
 彼女は銃を武器として使うが、その才能はからきしだった。
 故に、投擲において血の滲むような努力を重ねたトウナに弟子入りを志願し、
 こうして特訓の日々を送っている。

 鉄球と鉛球。投擲と射撃。FS1とFS0。
 得物は少し異なるが、その胸に秘めた思いは同じ。

 トウナと生徒会。そして、番長グループ。
 決戦の日は近い。

蝶乃つがいプロローグ【ドアーズデイ・ディバイス】



「あははははは! 何それ! あはははははは!」

 ドアノブ少女は門をくぐって現れた相棒の姿を見るなり、身をのけぞらせて爆笑した。
 ――なお、読書の諸兄は御存じとは思うが、ドアノブ少女とは、三度の飯よりドアノブが好きな少女である。ドアノブかよと軽んじるなかれ、彼女は魔人でありながら雑誌のモデルをつとめたこともあるほどの美少女なのだ。
 そのドアノブ少女が、笑い転げている。久しぶりに出会った『友人』の姿に。

「うふふふははは! 頭おかしい貴方! その腕! どうしたのよ!」
「開く」

 少女――蝶乃つがいは、ドアノブ少女の目を真っ直ぐに見返した。

「もっと開く。開ける」

 蝶乃つがいはドアノブ少女を見た。それから壁に向き直った。
 そして腕を開いた……ナムサン! 異形のサイバネ腕を!
 少女の上半身側面に増設された無数のジョイント部。そこに繋がれているのは、少女の肩上から、実に足元にまで達する、縦一メートル七十センチ、横幅五十センチ、厚み五センチ近くの、巨大な一対の蝶番(ヒンジ)なのだ!
 その扁平な腕部がために、蝶野つがいのシルエットの横幅は以前の二倍以上に見える事だろう。長身とは言え、スレンダーな少女の肢体に、この腕は残酷なまでにアンバランスであった。だが、これこそが彼女の望みであったのだ。

「……イヤーッ!」

 彼女は右の蝶番で、壁に平行に触れる。
 スゥーッ! 壁の一角が長方形に切り取られて外れ、少女の腰のひねりに合わせ、滑らかに九十度回転! 中空に留まる! 核ミサイルにすら耐えた希望崎学園の壁が、さながら超高級マンションの自動クローズ式ドアの如くに、呆気なく道を開く!
 実際これは危険なことである――事実、彼女はここに来るまでに、核シェルターの壁を三コミュニティ分、銀行の金庫を七つ、魔人警官の戦車車両を三ケタ、高層ビルの大黒柱を数え切れぬほど――全てこの能力によって開閉してきている!
 開閉すること、それだけが彼女の望みであり、彼女自身は盗みや直接的な破壊活動は行わないが――それによってどれほどの被害が生じたのかおよそ見当もつかない!

「あははッ! なんでも開けるのね、その腕!」

 ドアノブ少女が笑った。手にしたドアノブを妖艶にねぶる。

「そう。開くだけ」

 蝶乃つがいは頷き、蝶番(ちょうつがい)めいたサイバネ指の関節を、愛おしそうに舐めた。時刻はウシミツ・アワー。

「行こう」
「ねぇ、あのさ」

 ドアノブ少女が蝶乃つがいを見上げた。

「楽しみ? ハルマゲドン」

 ……蝶乃つがいは微笑んだ。

かってにちきちきしてもいいぜ

 部室棟の廊下を小さな影が滑る。傘部の部長を務める2年生・雨竜院畢だ。この日傘部は休みで、彼女も弟の一四九〇と部室に寄って備品の整理をした後、友人と遊びに行くという彼と別れ帰ろうとしていた。

「んっ……あ、そこは恥ず……ふぁあっ」

「……!」

静かなはずの廊下に響く声。悲鳴と嬌声が入り混じったようなそれに畢は足を止める。前にもこんなことがあったような、と彼女は「アサルトファック研究部」の部室を覗いた夜とその後の自身の痴態を思い出し、頬を赤らめる。しかし、今この声が漏れ出すのはその部室ではない。
 畢の視線の先にある部室はドアが僅かに開いていて、「科学部」の名を示すプレートがかかっている。彼女はこの甘い悲鳴の主に心当たりがあった。

「畢……ちょっと、また……」

ウパナンダに咎められながらも、ドアへ近づき、恐る恐る隙間から中を覗く。そこには畢の予想通りの光景が広がっていた。

✝✝✝✝✝

 茅ヶ崎智沙希Mk-Ⅱは最近、自身の内から湧いてくる欲求に悩んでいた。そしてそれは性欲の類である、と自覚していた。無論彼女も思春期であるから、機械耳というだけの少女だったころからそれを鎮める行為を知っていたし、不本意に今の体になっても形を変えて残るそれにどうにか折り合いをつけていた。

 ただ今湧いてくる性欲は今までとはどうも違うのだ。これまでは自分を慰めるとか、科学部で「ちきちき」されるとか、自身の体のみで完結していた。しかし今は自分以外の他者――それもある特定の人物に対して性欲を発散したいと思っている。無論押しの弱い彼女にそんな行為を迫る気にはなれないのだが、心中では快楽に翻弄されるその人物を浮かべながら自分を慰めた。

 昼休みに校舎の屋上で、智沙希は自分の右手首を見つめる。思いつめた顔で手首を見つめる少女というのは傍目にはなかなかに危ないが、直後彼女の手首はガションと横にスライドし、手首の代わりに赤と緑のケーブルがウネウネと伸びてくる。

「岡田さん、ちきちきしたいよお……」

少女は呟く。
 恋と呼ぶには些か怪しいが、焦がれる相手が少女にはいる。岡田さん――異世界からやってきたという編入生だ。八の字眉で困ったような表情の多い彼女、涙目の彼女、優しげに笑う彼女。そういった表情に惹かれ、そしてもしも自分が「ちきちき」したら一体彼女はどんな表情になるのだろうと思わずにはいられなかった。
 この身体になったからなのか、元の身体でもそう思っていたかはわからないが、とにかく今の智沙希は岡田さんをちきちきしたいのだ。

「岡田さんをちきちき?」

頭上から声がして、ハッと顔を上げる。声の主が着ているレインコートが風で捲くれ上がり、座り込んだ智沙希と背の低い彼女の股間――パンツにプリントされたカエルさんが至近距離で対面すると形になった。

「畢……」

「お待たせ、智沙ちゃん」

弁当箱を抱えた友人の姿がそこにあった。

「それで……その岡田さんをちきちき、したいの?」

「う、うん……」

口に出してしまっただけに否定も出来ず、恥ずかしげに頷く。
 畢は自分を軽蔑するのでは、と内心怯えていた。見た目も言動も幼い彼女はこうした性的なことに疎いと思ったからだ。それも、「ちきちきしたい」などと言うアブノーマルな願望。
入学当初、非魔人にも関わらずこんな耳の自分に積極的に話しかけてくれ、今も「智沙ちゃん」と呼んでくれ(畢も本名は「Mk-Ⅱ」と認識していたが)、一緒に番長グループに入ってくれた友人を失うのが彼女は怖かった。

「そっか……」

箸を置いて虚空を見つめ、思案するように沈黙する。智沙希が不安な気持ちで見つめていると、ポッと顔を赤らめ、そして再び口を開いて言った。

「智沙ちゃん、ボクのことちきちきしてみない?」

✝✝✝✝✝

 部室棟にはもはや使われていない部屋がいくつもあり、施錠もされていないそれらは犯罪やいかがわしい行為に利用されていたのだが、その1つで智沙希は畢を待っていた。20分前まで科学部で「ちきちき」されていた火照りは未だ冷却されていないが、部室自体の温度は低く、科学部から借りてきた小型ストーブの電源を入れる。

(畢に見られてたなんて……しかもあの子が)

昼休みの屋上で、畢は科学部で智沙希がちきちきされるのを覗いてしまったこと、そしてそれを見て自分がいけない気持になってしまったことを告白する。智沙希のイメージと違い、畢は性欲が強かった。性に目覚めたのは遅く最近のことだが、目覚めたてだからこそか快楽に貪欲であった。

 畢の申し出に驚き、戸惑いながらも発情した瞳でそんなことを言う友人に智沙希もまた劣情を催す。
今思い出しても息が荒くなり、ただでさえ敏感な耳の感度が上昇していくのがわかる。かつて女性器であった部分の温度もまた。
 そうしているうちにドアが開き、部活を終えた畢が姿を現した。傘は持っておらず、エサをねだる子犬を思わせる表情をしている。ちょうど部屋は暖まったところだった。

「……じゃあ、その、よろしく」

「畢、本当にいいの?」

床にタオルを敷き、その上に座る。あれだけ積極的に来たにも関わらず、畢はここに来て妙にしおらしい様子を見せた。畢に経験は無いが、なんだか処女を捧げる前のようだ。実際、近しい行為と言えなくも無いが。そんな彼女を可愛らしく思いながら、智沙希はだからこそ躊躇してしまう。

「……うん、大丈夫! ちょっと恥ずかしくなってきちゃったけど、してほしいってのは変わらないから。智沙ちゃんは嫌?」

「う、ううん。でも……」

「智沙ちゃんがしないなら、ボクがくすぐっちゃうよ?」

そう言って、畢は手を伸ばす。智沙希の髪に隠れた、生来の機械耳に。耳の縁を、畢の小さな手がツツ……と撫でた。

「ひゃうっ……!」

性感帯を刺激され、電流のような快楽が智沙希を襲う。自分や科学部員達以外では初めての人からの、不意打ちの愛撫にビクンっと大きくその身を悶えさせた。智沙希が「や、やめっ」と拒絶しても畢は止まらない。

「……も、もう!」

両手首がガションガションとスライドし、それぞれの中から先端に別なパーツの付いたケーブルが伸びてくる。右のケーブルが畢の脇の下へ、左は脇腹へと這う。

(そう、それでいいんだよ智沙ちゃん……)

「アッハハハハハハハハハハ! ヒャッ!! アフン! ハッハハハハハハハハ!!」

畢は敏感なようで、くすぐりが始まると、すぐに笑い出した。涙を流し、座っていられなくなったのか床にごろりと崩れて笑い転げる。そして痒みはすぐに快楽へと摩り替わってゆく。

「アッヒャ、ンン……ッ!! ら、らめえ……アアっ!」

頬が上気し、笑い声にも嬌声が交じる。ケーブルがくすぐる白い腿の付け根には湿り気が生じ、下着に染みをつくってゆく。膨らみの無い胸の先端も固く尖り出していた。そして畢を責めながら、智沙希も端子の付いたケーブルを股間の「挿入口」へと伸ばし、慰め始めたのだ。

 以下は、畢の10分程続くちきちきへの反応のダイジェストのようなものである。

「ンアーッ!! もう、やめ! ボクおかしくなっちゃうううううっ!」

「ひぐっ……やめて、やめてよぉ智沙ちゃん、らめなのぉ……ボク、もう」

「出る……出ちゃうよぉぉぉっ!! 智沙ちゃんにかけ……あああああっ」

「だめなのぉ……そこは、そこされたら、ボク……」

「アッ…………ひ……フヘ……へ……」

✝✝✝✝✝

「……」

「……」

降りそそぐ熱いシャワーが2人の体に付いた色々なものを洗い流していく。畢が前に雨は心の重たいものも洗い流してくれると言っていたが、今智沙希に降りそそぐ雨にそんな効果は無いようだ。
 畢が発狂寸前なところで智沙希はやっと我に返り、彼女が正気に戻ると部室棟に備え付けられたシャワールームへ一緒に来たのだ。2人の間の沈黙が智沙希には痛かった。いつもお喋りな畢が今は一言も発さず、ただシャワーを浴びている。空間に響くのは水音のみだ。
 いつも押しの弱い性格だったから、その反動で抑えが効かなかったのだろうか。しかし、そんなことは被害者には何の言い訳にもならない。

「ごめんなさい、畢。やめてって言われたのに……怒ってるよね?」

仕切りの向こうの友人に詫びる。数秒の沈黙の後、声がかえってきた。

「そりゃあ……」

その答えに智沙希はビクリとするが、畢はさらに続ける。

「凄く、苦しくて恥ずかしかったよ……お腹も顔もつっちゃうし、おしっこはまだしも……」

一度洗った小さなお尻に、畢はまたシャワーを当てた。

「でも、智沙ちゃんにもかけちゃったし、それに最初の方はね、すっごく、その……気持ちよかったし、楽しかったよ」

その言葉にハッと顔をあげ、仕切りの向こうにいるだろう畢に目を向ける。畢はシャワーを止めるとピョンと飛び跳ねて仕切りの縁に掴まり、上から顔を出した。シャワーを浴びる智沙希の裸体を見下ろす形になる。

「畢……」

「だからね、ちゃんとやめてくれるなら、ボクは平気。元々ボクがしてって言ったんだし、さ」

引きつり気味な顔の筋肉で畢は笑う。智沙希は彼女が優しいな、と変態だな、と思って目頭を熱くした。

「岡田さんにも優しくちきちきして、気持ちよくなって貰えるように頑張ろうよ! ボク応援するよ」

「うん、ありがとう……」

シャワーを浴び終えて、身体を拭いた2人は全裸で固い握手を交わした。畢は右手、智沙希は右ケーブルで。

 智沙希が思いを寄せる少女――岡田さんが属する生徒会とのハルマゲドン開戦が決まるのはこの少し後の話である。

【ジ・アフタースキヤキ】


どうして おなかが へるのかな
けんかをすると へるのかな
なかよししてても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

核爆発によって壊滅した東京。
その荒れ果てた地に歌が響く。
時折とぎれる合間に耳を澄ませば、
ガリガリ ゴリゴリというような音が聞けるだろう。
その歌その音の主は荒野には似つかわしくない10歳程度の少女だった。
頑是無い少女、杉原昼子は崩れたビルの壁らしきものに腰掛け、
歌いながら時折、そこらの鉄骨やコンクリートを口に運び、
ガリガリ ゴリゴリと齧っている。

こんな所に少女が一人でいるのも不自然だが、
金属やコンクリートをいとも平然と齧り飲み下す様は、
いっそ不気味だ。
こんな荒野にも人はいる。核爆発の僅かな生き残りが逞しくも生きている。
だがその多くは大人で、群れている。
幼い少女が一人で生きられる土地ではないのだ。
まれに通りかかる者も、
何か見てはいけないものを見たような顔で、
遠回りして避けていく。

そんな昼子に話しかける女子高校生の声、
「こんばんは素敵なおチビさん。お隣いいかな?」
言うだけ言って、返事は待たずに天海真美は隣に腰掛ける。
そして、それ美味しいそうだね。などと言いながら、
手にしたスプーンで鉄骨をひとさじすくい口に運ぶ。
鉄骨のその一欠けはふるり ふるりと揺れ、
ガリガリともゴリゴリとも音を立てずにするりと喉を過ぎていく。
「うん、やっぱりプリンは最高だよね!あなたも食べる?」
見た目は鉄骨の欠片だがその柔らかな揺れ、微かに漂うバニラ、
それは間違いなくプリンである。
子供にとってプリンの魅力は絶対。
いつの間にか開いていた口の端からよだれがつぅと垂れる。
それを見た真美はプリンを口に含むと昼子と唇を合わせ、
プリンをそっと送り込み舌と舌を絡め味蕾の一つ一つにしっかりとなすりつける。
「ん、ふ……」
口を塞がれた昼子はたまらず鼻で息をつき、鼻腔にバニラが満たされる。
ファーストキッスはプリン味。
「ふふ、いきなりでごめんね。
スプーンが触れたとこがプリンになっちゃうからあーんしてあげられないんだ」
そう言ってまたひとくちキスをする。
ふたくちみくちとキスをして、鉄骨一本消える頃。
「あなたひとり?だったら、ねえ、一緒に来ない?
 私ね、希望崎学園ってとこにいるの。
 ずっと向こう、海の上にあるから壊れなかったんだよ!」
だが昼子は俯き、そしてコンクリ片を拾うと、
ゴリ とひとくち齧って齧り跡を見せる。
「ん?……ん?ん?あー!大丈夫だよ!!
 うちは誰もそんなの気にしないよ!
 変なのがいーーーーっぱいいるからね。そんなの超普通だよ?」
言ってずばりと左手を差し出す。
その手をじっと見つめる昼子。
右手のスプーンを口に運ぶ真美。
見つめる昼子。
口に運ぶ真美。
昼子。
真美。
「あ、そっか、知らない人に付いて行っちゃダメだよね。
 私は真美、天美真美。あなたのお名前は?」
そういう問題ではないのだけれど、つい勢いに押されて、
「昼子」
と答えてしまう。
「いい名前だね。なんだかぽかぽかするよ!」
そうして真美は、これで問題は無くなったものと昼子の手を取り歩き出す。
左手はあったかい女の子、右手はおいしいプリンをすくう。
プリンの味のキスを重ねてふたりの少女が希望に向かって歩いていく。
食べても食べても満たされないけど、なんだかとてもずっとしあわせ。
嬉しくなってぴょんっと跳んでふたりあわせて歌いだす。

どうして おなかが へるのかな
おやつをたべないと へるのかな
いくらたべても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

天野白草の妄想ノートより『花と華』

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縄張り争いに負けたホストの乙部こうきは敵対勢力の手に堕ち、凌辱されてしまう。
凌辱を手掛けたのは希望埼学園内遊郭の首魁・神田六馬。
彼の手管によって乙部の精はあの手この手で絞りつくされた。
干からび、素っ裸でゴミ捨て場に投げ捨てられた時、乙部は復讐を誓った。

「俺は死なねぇが…テメェは死ねッ!」

―――――時は満ちた。
いざ、決戦のバトルフィールドへ!!

天野白草の妄想ノートより『萎花』

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幼き日、毛利勘太郎は気味の悪い雰囲気をネタにいじめられていた。
幼き日、麦田しげるは気の弱さをネタにいじめられていた。

殴られ、蹴られ、罵られ。

そんな永劫とも思える苦痛の日々を過ごすうち、毛利は卑屈な気持ちに飲み込まれてしまった。
いじめっこの死体をぶちのめす妄想にふけり続け、ついには魔人として覚醒したのだ。
一方麦田は、どんなに打たれても、踏まれても、アスファルトに咲く花のように挫けず、ついには不屈の能力を持つ魔人として覚醒した。

それから時は過ぎ、二人は出会った。
片や未だに不良のサンドバック、片や不良も恐れる鋼のバンカラ。
その明暗は綺麗な程にくっきりと分かれていた。
卑屈に腰を曲げて揉み手を繰り返す毛利と、胸を張り威風堂々と闊歩する麦田が同じ背丈だと気づく人間がどれだけいるだろうか。

故に毛利は麦田が許せなかった。
毛利には麦田の存在が眩しすぎたのだ。

「昔はワシもいじめられとった…、がっ!
今はご覧の通りじゃ
お前さんも男だったらしゃんとせい
そうすりゃあ、今日みたいなことにはならん!」

厳しい語調ながらも、勇気づけようという気持ちを乗せて麦田は言った。

「へっへっへ、すみませんすみません」

できっこない、誰もがお前のように強く生きられると思うな。
そんな想いを噛み殺して、毛利はへこへこと受け流した。

毛利には麦田の存在が眩しすぎる。
『もし、自分も不屈の心で立ち向かっていたならば、あんな風になれたのだろうか?』そんな考えが頭をよぎる度、今の自分とのギャップに悶え苦しんでしまう。
できっこない、できるはずがない。
遥か高みから見下ろしてくる太陽のような「理想」にジリジリと炙られて、麦田の心の花は萎れていく。

『奴を消さないと……。オレは…… オレはッ―――――

―――――時は満ちた。
いざ、決戦のバトルフィールドへ!!

天野白草の妄想ノートより『全次元の統率者』

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兎守 境は次元の旅人である。
1つめの世界で彼はパートナーである兎と次元を渡る能力を得、家族を失った。
まもなく、その世界は滅びた。
2つめの世界で彼は旅人としてのスキルを得、親友を失った。
まもなく、その世界は滅びた。
3つめの世界で彼は新しい家族と新しい幸せを得、その世界で得たもの全てを失った。
まもなく、その世界は滅びた。

そして4つめとなるこの世界、希望崎学園で、彼はまたしても出会ってしまう。
全ての滅びの元凶に。

「(……ははっ、覚めない悪夢みたいだ)」

もう4度目の遭遇だというのに、その不気味な気配に慣れることは無い。
全身から水分という水分が夥(おびただ)しい勢いで噴出する。
足が震え、恐怖のあまり胃液が逆流しそうになる。
声を出すことはおろか、視線をそらすことすらできない。
限界まで高鳴った鼓動はしかし、体を動かすには至らない。

「「ギューーッ!」」

重苦しい呪縛を裂く、パートナーの兎の鳴き声。
その声に勇気づけられて彼は言葉を絞り出す。

「もうっ…逃げない……お前をこの世界で……倒すッ!」

少年・兎守の必死の宣戦布告に対し、
男のような、それでいて女のような、
若者のような、それでいて老人のような、
そんな声でその存在、『別次元のこうい生命体』は発した。

「ハルマゲンドンで決着をつけよう」


―――――時は満ちた。
いざ、決戦のバトルフィールドへ!!

天野白草の妄想ノートより『刀と剣』

===========
「ヒャッハー! 種籾をよこせー!!」

希望崎学園にこだまするモヒカンザコお手本のような恐喝文句。
それを受け、か弱き民の涙の血と涙を見逃せない世紀末救世主様がどこからともなく颯爽と駆け付け、モヒカンザコに対してオーバーキル気味な殺人拳法をくらわせる。
奇天烈な断末魔をあげ、水風船のように顔面を破裂させ息絶えるモヒカンザコ。

ここまで、教科書通り。
救世主様が立ち去った後、しばらくして、爆散したモヒカンザコを取り囲むように別のモヒカンザコ達が集結しはじめた。

「ヒャッハー!(先生ッ 今日も素敵な死にっぷりでした!)」
「ヒャッハー!(先生、このタオルよかったら使って下さい!)」
「ヒャッハー!(先生!どうやったらあんなに上手に死ねるんですか!)」

先生と呼ばれたモヒカンザコはむくりと立ち上がり、受け取ったタオルで自らの血と脳漿を拭って言った。

「ヒャッハー!(洗練されたモヒカンザコは日々の精進によってのみ成る。鍛錬を怠らないことだ。)」
「「「ヒャッハー!(せっ、先生!)」」」

彼こそは『モヒカン先生』
伝統芸能としてのモヒカンザコを後世へ伝えることこそが彼の使命である。

先生を湛えて賑わうモヒカンザコ達の前にエストック(鎧刺しの剣)を構えた少年が現れた。
それをいち早く察知したモヒカン先生は優しく生徒たちに言った。
「ヒャッハー!(教科書56Pに載っている問題の類題だ。簡単だろう?)」
それを受け、モヒカン生徒達は思い思いの台詞でもって闖入者を口汚く煽りたてる。
「ヒャッハー!(そうだ、いいぞ。なかなか形になってきたじゃないか。)」
生徒たちの成長を喜ぶ先生のモヒカン言語を理解していたかは定かではないが、少年は大きく舌打ちをした。

次の瞬間、先生以外の十数人のモヒカン生徒達は、少年の放った閃光のような剣技によって肉塊と化した。

「アヒィ 頼む、殺さないでくれェ~~!」

その事態を受けて、型通りの命乞いをするモヒカン先生に少年はまた大きな舌打ちをした。
腰から砕けて地べたにへたりこみ、小便を漏らすモヒカン先生の足元にカシャリと音を立て、何かが落ちた。
それは一振りの日本刀であった。

「剣士としてお手合わせ願えないだろうか、モヒカン先生……いや、『白金翔一郎』さん」

少年こと学園坂正門はフェンシング部に所属する魔人である。
彼は、『剣の魔人』の号で恐れられた希望崎学園を代表する魔人剣士・白金翔一郎に憧れ剣を手にし、以来真面目な性格に由来する弛まぬ鍛錬によって確かな実力を持つに至った。
そんな彼の最終目標は白金翔一郎と切り結び勝利を収めることであったのだが、しかし。

「ヒィィィ~~~~ッ!」

お目当ての白金翔一郎はご覧の有様である。
少年はひときわ大きな舌打ちをした後、

「今のあなたを殺す気にはなれない
来るハルマゲドンで、『白金翔一郎』としてのあなたを殺したい」

そう言い残して去っていった。

残された先生は周囲に人のいないことを確認した後、日本刀に手をかけた。
スラリと引き抜かれた刀身に映った瞳は「剣士」の、「白金翔一郎」のものであった。

―――――時は満ちた。
いざ、決戦のバトルフィールドへ!!

決めろ! キラメキファッション ~THE SUPER FASHION THE KIRAMEKI~第5ファッション 運命のダンゲロス本戦始まる!の巻


アオリ文:キメてやる! 青春のしまむらファッション


≪オレことしまむらのひろしはBAD BOYの服を着るのをやめた…
そしてついに俺たちの夢の一歩となる開戦の笛がなった。≫


ピィーッ! ワーワー


バタン!


しまむらのひろし「え!? 何だ!? GKが倒れたぞ!?」

浅草ランドウ「ひろし…GKは…」

ひろし「ダメだ…死んでる」

ランドウ「そんな! 試合は始まったばかりなのに!」

ひろし「ん? 何かダイイングメッセージを残している…
これは殺人事件だ…!! この『ε』の文字に手掛かりがあるはずだ!」

アキカン(緑)「よく考えるメカ ひろし君!」
【ひろしの相棒アキカン(緑):とっても愛らしくて人気者】

ダンゲロス男「これは えらいことじゃぁ~~~っ 儂、怖くて死にそうじゃぁ~~~っ」

ひろし「ゲロ男 心配するな 犯人はオレが必ず見つけてやる!」

ゲロ男「ひろし君…儂 ずっと前からひろし君のことが…」

ひろし「(も…萌え…!!)」

別次元のこうい生命体『*Hallow World*』

ひろし「お…おばけが出た!!」

乙部 こうき「チクショー ダンゲロスなんてくだらねぇ遊びやってられっか!」


ドカッ


ひろし「グアアーー! いきなりなにすんだ乙部!」

乙部「やめてやる! ダンゲロスなんてやめてやるぜ!
誰も俺のことなんてわかってくれねぇんだ!」


ゴゴゴゴゴ…


ひろし「(な 何てことだ… 乙部がグレやがった こんな時に…!!
これじゃ試合にならない! クソッ やるしかないのか…
仲間だけには使いたくなかったあの技を!)」


ミョミョミョミョミョ…


乙部「 !!  な 何だ!?」

ブシュウ ブシュウ

乙部「グ…グワアアーーー!! 何かが…何かが俺をしめつける! これは一体…!」

ひとし「俺の能力はどんなピンチでもあきらめない俺を見た相手を意のままに操ることができる『明日へと繋がる希望の光』
乙部…悪いがおとなしくしてもらうぜ!」


アオリ文:これがひろしの能力!!
バトルが始まる…!!


第5話おわり
→3月号は、乙部の恐るべき能力が明らかに!?そして真犯人とお化けと恋の行方は……必見!

ダンゲロスよ、ありがとう!


 1人の老人が今生涯を終えようとしていた。ベッドの上、全身を機械に繋がれた彼はヒューヒューと喘鳴音を漏らしている。
人工呼吸器の下、酷く苦しげにではあるが何か言おうとして口をパクパクと動かす。

「こ……ダ……無し……」

死を目前にして彼が思うのは妻子や孫、曾孫のことでは無かった。
そもそも彼は生涯独身、92歳童貞。医師や看護婦の他にこの病室にいるのは、兄弟やその子、孫である。

彼が童貞なのは、モテなかったからでは無い。ある種、宗教者のそれに近い感情からである。
神仏に仕える僧のように、彼はダンゲロスに生涯をかけて仕えた。少年時代、ダンゲロスに出会ってからダンゲロスのキャラクター以外に欲情したことは無い。
ビッチに逆レイプされるのを、触手に犯されるのを想像して自慰に耽った。

 3桁を超える数のキャンペーンを主催し、書いたSSの字数は億を超え、本戦のスタメンを逃したことは1度も無い。
先輩だったメンバーや、創始者の架神恭介が鬼籍に入ってもその情熱は色褪せず、生涯1プレイヤーであり続けた。
安楽死が法で認められていながら、彼は激痛に耐えながら最後のキャンペーンに参加した。今病室の外には彼を慕う多くのプレイヤーが集まっている。

 脳内を走馬灯のように駆け抜ける、ダンゲロスプレイヤーとしての数え切れない思い出。

「何か言いたいのか、大叔父さん?」

親族の1人が呼吸器越しに彼の最期の言葉を聴き取ろうと耳を近づける。
蚊の鳴くような声で、残り僅かな命を振り絞って、老人はその言葉を吐いた。

「この先……DANGEROUS……命の、保証、なし……!」

直前まで苦悶の表情を浮かべていた顔に、その瞬間だけは穏やかな笑みが浮かんだ。
 心拍数を示すグラフの小さな振れ幅が、完全に0になる。老人は「この先」へと旅立っていった。

✝✝✝✝✝

「この先、DANGEROUS! 命の保証なし」

 彼の目の前では立て看板が血のように赤い字で「この先」の危険性をそう警告している。
その下には矢印が添えられて、「私立希望崎学園この道を400m先」と。

「な……あ……こ、ここは……?」

何が起こっているのかわからなかった。
 自分はあの時、あの病室で死んだはずだ。死後の世界とやらに行くのか、現世を霊となって彷徨うのか、無に還るのか――今目の前に広がる光景は、そのどれとも噛み合わない。
この立て看板、これではまるで。

「おい、姉ちゃん!」

背後から野太い声が飛んでくる。自分のこととは思わなかったが、反射的に振り向くと学生服を着た男子高校生数名がウンコ座りをしてタバコをふかしていた。
彼らの視線は明らかに自分に向いており、周囲を見回しても、自分以外に人の姿は見当たらない。

「『姉ちゃん』というのは、ひょっとして儂のことか?」

「はあ? 他に誰がいんだよ!?」

自分の身体を見下ろしてみる。スカートの裾から覗く、白い脚。白魚のような手。
シワだらけで老人斑が浮き出ていた手足に、今は10代のハリとツヤが戻っている。髪は黒く、長い。

「何が、いったいなにが起こったのじゃ……まさか」

「その先に行ったってろくなこたあねえぜ。書いてあんだろ? 『この先、DANGEROUS! 命の保証なし』ってよお。この先は魔人の巣窟、『戦闘破壊学園ダンゲロス』だ」

「そんなとこ行くよりよお、俺らと遊ぼうよ。いっぱい気持ちいいことしたげるからさあ」

軽薄な口調で、男達が言う。それ自体はどうでも良かったが、1人目の男が、決定的なことを口にしていた。

「おい、小僧! 貴様今言ったな? 『魔人の巣窟』と。魔人がおるのか? あの希望崎なのか、ここは」

「そりゃあ、何をいまさら。近所どころか日本中誰でも知ってるぜ? 日本一の魔人学園希望崎のことはよ」

「あんたみたいな可愛い子が踏み込んだら2秒でレイプされちゃうよ? 俺らならもっと優しく……うぉっ?」

驚かれるのも無理は無い。突如、目の前の美少女の頬を涙が伝った。自分たちが怖かったにしても、他には怯える様子1つ見せず突然泣きだしたのだから異様である。
しかし彼らにとって驚くべき事態はこれに留まらない。

――ジョロロロロロロッ――

 スカートの裾から、黄金の液体が勢い良く流れ落ちたのだ。途切れ途切れになったり、脚を伝ったりすることも無い。一切の迷いの無い失禁。

 美少女の失禁に彼らの1人が股間をふくらませた直後、今度は少女の上の蛇口が開く。口から吐瀉物が溢れだした。
身体を折り曲げたり口を抑えたりすることも無く。

「ひぃっ!」

 彼らの中で生まれた恐怖が急速に増大する。希望崎近隣の不良達はそこの魔人に過剰な恐れを抱いている。
希望崎に近いこの場所で、突然理解できない現象が起これば、彼らの中では即ち魔人の仕業という図式なのだ。

 少女が尿溜まりに膝を付き、今度は秘所から透明な液体を迸らせたときには、全員背を向けて走り去っていた。

「ここは……ここは……ダンゲロスの……魔人の世界……」

初めて彼、否彼女は声をあげた。涙が後から後から溢れてくる。ずっと夢見ていた世界に、自分はやってこれたのだ。
先達が、自分が、後進が形作ってきた愛おしい世界に、今自分は立っているのだ。

「うおおおおおおぉぉっ! おおおおおおおおぉぉんっ!」

彼は狂喜し、泣きながら転げまわった。吐瀉物を尿を愛液をまき散らしてあたりを汚しながら。
描写は割愛するが、うんこも漏らした。



「ワシは……ダンゲロス世界の住人……」

撒き散らした汚物の上で大の字になり、空を見上げる。

神か悪魔かわからないが、自分をこの世界に転生させてくれた存在に、ダンゲロスを生み出した架神恭介に、ルールを教えてくれた先輩プレイヤーに、ダンゲロスに生涯を捧げた過去の自分に、ダンゲロスに関わる全てに……。

「ありがとう!」

海よりも深い言葉を、彼は呟いた。



 希望崎の制服に身を包み、準備を整える。改めて看板の前に立ち、警告の赤い文字を見据えた。

「この先、DANGEROUS! 命の保証なし」

「望むところじゃ、さあ行こうぞ儂よ、『この先』へ――」

ダンゲロスに全てを捧げた男――ダンゲロス男はこうしてダンゲロスの1キャラクターとして一歩を踏み出したのだった。
まずはこの処女を、どこの触手かレイパーに捧げようか、などと思いながら。

✝✝✝✝✝

「ここがゲームの世界で、生まれ変わった?」

「そんなことあり得ませんわ、ファンタジーやメルヘンじゃあ無いんですから」

話を聞いた番長グループの者達は多くが呆れて笑った。
 まあ、無理も無いとダンゲロス男は特に責めもしない。バニラ・シフォンには言われたくないとは思うが。
今こうしてダンゲロス世界の一員となり、ハルマゲドンに参戦しようという事実が、何よりも嬉しい。
徹底的に、この第二の生を満喫しようと彼はあの日誓ったのだ。

「私は信じる。だから、私を犯して――」

虎のぬいぐるみを抱いた幼い少女が、熱っぽい瞳でそう言う。

「おうおう! 犯してやるとも涙子嬢! ビッチとレイプはダンゲロスの華じゃ!」

勢い良く制服を脱ぎ捨てると、やや肉付きに欠けた裸体を踊らせ、涙子に襲いかかる。その日の午後は番長グループ全員で楽しく涙子を輪姦した。
 ダンゲロス男のダンゲロス人生は、まだ始まったばかりである。

弟を虜にする318の方法

バレンタインも迫ったある日の希望崎学園パソコン部の部室。
放課後になり、部員たちが会話をしたり各々のパソコンに向かい、思い思いの作業をしている。

そんな中、部屋の中央の椅子に座り、部長用と書かれたパソコンの画面を見つめるひとりの少女。
長く伸びた真っ青な髪。情報分析用のサングラス。ノースリーブのサイバーファッション。
まるでボーカロイドが現実に現れたような、あるいはサイバーパンク小説から抜け出してきたような姿の少女――彼女の名は一三一八。パソコン部の部長である。

彼女が見つめるパソコンの画面には「バレンタイン特集」とか「彼を虜にするチョコレートのつくり方」と書かれたページ。
そのパソコンが置かれた机の上には二枚の写真。
写真に写っているのは三一八の弟である一一と一四九〇である。

「ふふふ、一君も四九〇君もかわいい」

瞳がサングラスに隠れて表情は完全には伺いにくいが、口元は明らかに緩んでいる。
ほかの部員の目がなければ今にその場で悶え転がりそうな雰囲気だが流石に周囲の目があるのかそうした行動には出ない。
尤も、そうしたところでパソコン部の部員はいつもの発作が始まったとしか思わないだろうが。
ショタコンでさえなければよかったのにというのがパソコン部部員の総意であり、彼女を知る大抵の人間の評価である。
なお本人は否定してるし、そのようなイメージが広がるのは報道部あたりの陰謀であると主張するが、彼女がショタコンであることは事実なのだから仕方がない。

さて、そんな彼女が何をしているのかといえばバレンタインに向けて弟たちに渡すチョコを準備をしようといったところである。
いかにチョコを渡せば劇的になるか。どうすればチョコを上手く作れるか。
それを彼女の情報網を駆使し考えているところである。

「チョコに関してはこれでいいでしょう。問題は…」

マウスを操作し、画面を切り替えると映し出されたのはプロフィールつきの少女たちの写真。
三一八がライバルになりそうな相手をその技術や能力を駆使し集めたものである。
様々な少女たちが映し出されては次々と切り替えていくが、ふとその内の一枚で手を止める。
そこに写しだされていたのはまるで外観こそは幼いが中世から抜け出してきた魔女のような風体の少女。

一千四五。
三一八と同じ一家の一人であり、チョコレート作りの腕前も絶妙な三一八の可愛い妹である。
可愛い妹ではあるのだが、彼女は三一八のことを目の敵にしている。

理由は明白。千四五も三一八と同じようにブラコンであり、一を愛するお兄さまと慕っているからだ。

では彼女の何が問題なのか。
チョコレートの腕前。そんなことは問題ではない。
チョコレートの腕前が問題だというのならプロのパティシエに勝てなくなってしまう。
だからそんなことは問題ではない。

問題は千四五が何をしてくるかわからないということだ。千四五は愛するお兄様のためなら手段を選ばないところがある。
ゆえに姉妹だから大丈夫などと高をくくってはいられない。
むしろ姉妹という一に近い存在だからこそ危険であるとも言えるのだ。

「学校で渡してしまうのが一番安全でしょうけど」

学内には一のクラスメイトを始め、ライバルが多い。下手をするとスレ違う可能性もある。
三一八のパソコンを媒体にすればどこへでも簡単に移動することはできるが、行き先にパソコンがなければ自らの足で移動するしかない。

それに千四五が生徒会に協力しているという情報もある。
ひょっとするとハルマゲドンに乗じて自分を抹殺するのが目的なのではないかと疑いたくなるところだ。

だとするとやはり一家に戻ってから?
しかし、その場合でも千四五が問題となる。
いっそ目の前で渡してしまうべきか。

暫しの沈黙。そして三一八が再び口を開く。

「もう少し計画をねる必要がありますね」

決戦の地は近い。それまでにいかに完璧な作戦を練ることができるか。
三一八は机の上の弟たちの写真を見て微笑むと、再び思考の海に飛び込んでいった。

【なんか番長陣営ってメカ多くない?】




「ダンゲロスーッ!!
 かがみ先生ーッ!
 GMの皆さんーッ!
 参加者のー!
 SS陣のーっ!
 絵描きのーッ!
 みんなァァァァァァアアアアアア!!
 いつも!!!!!!!!!!!
 ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 雄叫びが、響き渡る。
 屋上で叫び声を上げる少女に驚き、があがあとカラスが離れていく。
 ――その建物は、戦闘破壊学園ダンゲロスのどこかに存在した。
 外壁には無数の矢が突き刺さり、ところどころ、どこかカラメルやプリンじみた毒々しい色に変わっている。
 上空に魔王の城の如く局所的に生じた暗雲からは、謎の粒子混じりの雨が間断なく降り注ぐ。
 その周囲には、有事の際の為にと敷かれた、超広範囲無差別無節操殺戮光魔法のセーフティモード破滅魔法陣。

 第十次ハルマゲドン、番長陣営アジト――『入口のない校舎』。

 『この校舎に入れない程度の魔人では、そもそもダンゲロスに参加する資格なし』――そういう意味を込めて、前ハルマゲドン番長陣営によって選ばれた場所である。
 しかし幸いにというべきか、今回の参加者はその試練を鼻歌交じりに突破していた。
 現在の『入口のない校舎』は、とある開閉フェチの魔人によって百を超えるドアが作られ、
 とあるプリン好きの魔人と雑食性の魔人によって虫食いだらけにされている。
 既にメンバーは全て揃っている。
 ここでは今日も、来るべきハルマゲドンに備え、おぞましき魔人達が、今日も生徒会を殲滅すべく邪悪な集会が開いているのだ――。

◆      ◆

「前から思っていたんだが――なんか番長陣営って、メカ多くないか?」

 星野千紗が、机に頬づえをつきながら、そう切り出した。
 薙刀に眼帯の、凛とした雰囲気を持つ美少女。
 武術に志した過去を持ち、一方で今はそれを反省し、彼氏を作る為に奔走しようとしている少女である。

「そ、そうかな? そんなことないと思うけど」
「ピガーッ! 対魔人専用自動迎撃ロボKIMOTO10032号機通称モトは強く賢イ!」
「(゚_。)?(。_゚)?」
「……私は開くだけ」
「お前たちのことを言っているんだが!?」

 アンテナ受信機のような形をした耳からコードを生やした少女が首を傾げ、
 剣呑極まりないキラーマシンが硬質な声で答え、
 宙に浮かぶ無数のがったいパーツが顔文字を模して疑問を表現し、
 天井に開いたドアからぶら下がる両腕蝶番の少女が、逆さ釣りの無表情で千紗を見下ろす。
 ずどーんと千紗の薙刀の石突が床を砕いた。 

「全くもう……こんなことで生徒会陣営に勝てるのか?」
「ロボだから、問題あるってわけじゃないと思う……よ?」
「それはそうだが……どうもメカは苦手でな……」

 千紗は幼い頃から薙刀の道場で育てられた武門の身である。
 家柄も純和風であり、機械オンチというほどではないが、苦手意識があるのだった。

「つうか、多いっつったら女が多すぎだろ……あーウゼーウゼー」
「何か文句があるのか? 乙部」
「……ってランドウが言ってたんスよ! 嫌だなー千紗サン!」
「乙部、貴様な……って違うぞ星野! こちらを睨むな!」

 くたびれた派手なスーツの少年――乙部が、隣にいる吸血鬼めいた男を指差す。
 乙部こうき。人に負担をなすりつけることに定評のあるダメホストである。
 一方、彼に指差された吸血鬼めいた男、ランドウは――千紗の鋭い視線に晒されて、慌てて、手にしたマヨネーズを両手にぶんぶんと振る。
 千紗が、予想外に強い拒絶に僅かに仏頂面を深めた。

「む……そこまで言わなくてもいいだろう」
「もー千紗ちゃん、そうやって怖い顔するから皆ビックリするんだよ」
「私はこれが素なんだ……」

 傘を持ったボーイッシュな少女が、ぽんぽんと千紗の肩を叩く。
 雨竜院畢(うりゅういん・あめふり)。
 基本的に表情の険が強く、避けられやすい千紗相手にも臆せず接する、ムードメーカー的な明るい少女だ。
 ……参考までに述べると、生徒会陣営は男12女11無性5両性2、男5女18無性5両1である。
 ゆえに今回の番長陣営、ちょっと女性勢力が強い。

「やれやれ……というか、ロボなら生徒会にも居ただろう」

 ランドウは、食堂からパクってきたと思われるドレッシング類を机の上に大量に置いている。
 彼は、血ではなく脂分しか摂取出来なくなった突然変異の吸血鬼である。
 見ているだけで胸やけがしそうなこの光景も、彼にとってはいわば輸血パックの血を摂取するようなものなのだ。

「確か……α? などという波動砲が」
「!! _| ̄|○」
「ああっ! 合体パーツくんが落ち込んだ!」
「ピガーッ! ランドウ、はやくあやまッテ!」
「何故だ!?」
「だめだよランドウくん! 合体パーツくんは昔ね、が、……あ、えと、その、が、」

 耳からコードを生やした少女が、フォローをしようとして――頬を赤く染める。
 何やら言い淀んでいる少女は、茅ヶ崎智沙希Mk-II。
 機械めいた耳を生まれつき持って生まれてきてしまい、興味を持たれた科学部に改造される内に本当に機械になってしまった悲劇(?)の少女である。
 あうあうと言い淀んでいた智沙希が、ランドウの疑問の視線に耐えかねるように、思い切って声を張り上げる。

「……が、合体する仲だったαくんが! 生徒会陣営にさらわれてからずっと落ち込んでるの!」

 α。大きな砲門を背中に抱える亀のような外観のロボットである。
 番長陣営に拾われ、一時期は懐いていたのだが、現在は諸事情で生徒会陣営にある。

「というか、彼も含めれば今回のハルマゲドンにおけるロボ枠は全部こっちにいたわけか……やっぱり多いじゃないかロボ」と千紗。
「可愛かったのになあ、あのコ」と畢。

 その時、天井からぶら下がった、両腕を巨大なちょうつがいに機械化した少女が朴訥と口を開いた。

「トウナと言い、私たち、奪われすぎ。――ガバガバ?」

 彼女の名前は蝶乃つがい。
 ちょうつがいフェチの少女で、この『入口のない校舎』を入口だらけにした主犯である。
 トウナというのは番長陣営に愛想をつかして生徒会に寝返った少女の名だ。

「つ、つがいちゃん、恥ずかしい言葉大きな声で言わないで!」
「……? それがなんで恥ずかしいんだ? わかるか畢?」
「え? ボクわかんない。なんで、智沙ちゃん?」
「ふへ!? あ、あう……////」
「ピガーッ! ……ピガ?」

 不意に武装だらけのキラーマシン……対魔人専用自動迎撃ロボKIMOTO10032号機通称モトが、首を傾げる。
 落ち込みのサインを作っていたはずの、なぞのがったいパーツが、彼の回りを飛び回っていたのだ。
 やがて、ぴかーん、と光る。

「(T-T)人(T-T)ガッタイシーケンスヲカイシシマス」
「ああっ! がったいパーツくん、悲しみのままに、超合体するつもりだよ!」
「なんだと!? ヒャッハー! 合体だァーっ!」

 智沙希の悲鳴じみた声に、にわかに数少ない男性陣が聞き付ける。
 どこからともなく現れたモヒカンザコ先生を筆頭に、毛利勘太郎、しまむらのひろし、ランドウや乙部までもが喝采を上げる。
 合体はやはり男の永遠のロマンなのだ。たぶん。

ランドウ「シクレ能力者のなぞのがったいパーツの能力か! これは注目だな!」
乙部「がったいパーツくんのー、ちょっといいとこ見てみたい! ヘイ一気! 一気!」
ひろし「な……!? これが、ダンゲリウム合金の、力……!?」
毛利「へへへ、こりゃあ見逃せませんぜ……」
モヒカンザコ先生「ヒャッハー! 合体! 合体!」

「……なんで男はあんなのに盛り上がるんだかな」
「科学部の人に似てるかも……」


「……なんで男はあんなのに盛り上がるんだかな」
「科学部の人に似てるかも……」

 やたら盛り上がりながら遠くへと行ってしまった男性陣を放置しつつ、千紗が残りの面々に向き直る。

「何の話だったか。……そうそう、こんなことじゃ生徒会に勝てないだろうということだ。つまり必要なのは」
「ドアの開閉」
「く、くすぐる……?」
「あーめあーめふーれふーれ」
「ふふ、昔は私もダンゲロスの戦術家だったんだが、膝に矢を受けてしまってね……」
「……トウナの気持ちがほんの少しだけ分かった……」

 千紗が肩を落とし、――そして、最後に割り込んできた声の主に気付く。

「つがい! ドアを閉めろ!」
「ん。がってんしょうち。――イヤーッ!!」

 割り込んできた台詞の主に気付いた千紗の号令に応じ、蝶乃がそこら中に開いていたドアを一瞬で閉めていく。
 カカカカカッ! その裏側に無数の矢が突き立つ音がした。
 だが――
 ドゴォン!
 ひと際巨大な物体――『その他の危険』と書かれた交通標識が、ドアと蝶乃を吹っ飛ばして、話に参加してきた少女の膝に直撃する!
 ……直撃する!
 ……直撃する!
 ……が、それだけだ。

「いやあ、ココは過ごしやすくて助かるよ。おーい蝶乃くん、大丈夫かい?」
「……なんとか」
「お前が今から生徒会に特攻すれば一網打尽に出来るんじゃないか……?」

 膝に、更に二、三本の矢が突き刺さった少女が、にこやかな表情で会釈した。
 彼女は合鴨シュウ。一定範囲内で放たれた『矢』を自分の膝に自動的に引き寄せる能力『矢鴨事件』の保有者であり、
 そして、生徒会陣営の一人である『危険度の高い存在を、距離を度外視して交通標識で狙撃する』能力者のターゲットにもなっている。
 どう考えても不幸極まりない少女だが、膝に最大100,000本の矢を受けてもなお平然と動く、他と隔絶した魔人耐久力はそれを周りに感じさせない。

「(T-T)人(T-T)ダイニガッタイシーケンスヲカイシシマス」
ランドウ「何だとっ、また合体するつもりか!」
乙部「へへへ、対魔人専用自動迎撃ロボKIMOTO10032号機通称モトじゃ満足出来ずに、あっという間に乗り換えやがったぜこのロボビッチ!」
モヒカンザコ先生「今度の狙いはアキカン(緑)様だ! シクレ能力の超合体が発動だーっ!」
毛利「金属なら何でも見境なしですかい! こりゃあちーとばかしまずいですぜ旦那ァ!」
ひろし「フフ、なんてやつだ、なぞのがったいパーツ……俺の相棒に相応しい!」

「あっちも楽しそうじゃないか」
「ボクも参加してこよーかな!」
「やめろ頼むから」
「は、はれんちです……!」
「……開閉、終了」

 標識によって天井から吹っ飛ばされた蝶乃が、今更ながらにいそいそと近づいてくる。
 相も変わらず頬に手を当てて首を振る智沙希を見て、千紗が首を傾げる。

「? だから、何で合体が破廉恥なんだ?」
「え!? いやその……あの……!」
「…………智沙希は、耳年増」
「もう! つがいちゃん!」
「?」
「…………分からないなら、それで、いいと思う」
「そう言われると尚更気になるな……」
「ねえねえ、合鴨さん! ボクが傘術教えてあげよっか? 矢くらい防げるよ」
「気持ちは嬉しいけど、大丈夫だよ畢。私の矢鴨事件は実は因果歪曲系能力でね。水際で防ぐのは難しいんだ。穴が開いてしまう傘が可哀想だ」
「いんがわいきょくー?」

 楽しげに雑談を始める千紗、シュウ、智沙希、蝶乃、畢。
 ハルマゲドン準備中とはいえ、穏やかな時間。
 だが、それも長くは続かなかった。
 ドドドド、という足音と共に――いや、それに先んじて――不意に、智沙希の周囲に合体パーツが展開したのだ。

「(T-T)人(T-T)ダイサンガッタイシーケンスヲカイシシマス」
「え!?」

 びく、と立ち上がる智沙希。その周囲には光を放つ無数のがったいパーツ!
 ざざざざざ、と更にその周囲に展開する男五人組!

モヒカンザコ先生「ヒャッハー! 次は茅ヶ崎智沙希Mk-IIだァー!」
ランドウ「次はどんな合体を見せてくれるか! 見物だな……」
乙部「智沙希ちゃんか! いいね、ほーら、パージ! パージ!」
ひろし「良い合体相手を見つけるまで諦めない精神! 俺も見習いたいくらいだぜ!」
毛利「ひひひ……コリャア永久保存版ですよ……!」

茅ヶ崎智沙希Mk-II「え、あう、……あう、あうあうあ……が、合体ってぇ……!」

 ぐるり、と一つずつ回転するパーツ!
 一回転を終えると、平坦だった部分からはマイナスドライバーネジめいた無数の結合パーツが顔を覗かせている!
 無数のオプショナルパーツ! ガルーダじみた二対の翼! 砲塔手甲! 射撃反動制御用アンカースカート! 日輪めいた飾りつき兜! 
 そして奇怪なことに――その変化は、少女の体にも同様に起きていた。
 科学部の設計した秘匿機構か?
 或いは少女の体が、知らずのうちにかの無骨な挿入物を求めているのやもしれぬ。
 事実、少女は狼狽しながらも、自らの体の奥が、火が灯ったように熱くなっていることに気付いていた。
 その肩に、腕に、――耳に! 螺子込まれるのを待つかのように裂け目が生じる!
 マイナスドライバーの受け入れ口めいた挿入部!
 ――パァン、と邪魔な制服が光のリボンとなり、吹き飛び始める!
 きゃあ、と体を隠そうとするも、その動きすら新たな挿入部が開く予備動作にしかならない!
 肩甲骨部にクーラーのような排熱口が!

「合体!「合体」!ヘイ合体!「合体!「いけいけ合体!「合体!」合体!」「合体!「合体」!」

 少女の回りを囲んだ男たちが、謎のテンションでやんややんやと囃したてた。
 ぷるぷると震える茅ヶ崎智沙希Mk-II――否、これからの展開次第では、その名が更に変化するであろうことは想像に難くない!
 頬を真っ赤に染め、目尻には羞恥に涙を溜め、ぷしゅうぷしゅうと排気口から白い息が漏れ出る。

「お、おい、いい加減に――」

 ぽかーんとしていた星野千紗が、今更ながらに止めようとするが、あまりに遅い!
 ぎゅる、とがったいパーツの接合部が回転する! ひ、と智沙希が息を呑んだ。体を抱いて、内またに身を締めて、

「やっ、やめ、まってお願い、いいけど、ゆっくり、優しくして――」

 ―― 合 ☆ 体!

「あっ、あぁぁあァああぁああああああん……っ!!」

 ざきゅざきゅざきゅざきゅ、と露わになった少女の素肌に無骨な接合部が捻子込まれる。
 少女は全身を襲う莫大な異物感に耐えようと身を固め、しかし耐えきれない。
 かふ、と息を吐いて、大きく身をのけ反らせて――悲鳴とも嬌声ともつかない叫び声を上げ、

「やめてええええーーー!!」

 ――その全身から、幾千幾万にも及ぶ無数のコードが伸びて、周囲を襲った。

ランドウ「やっやっtゴハァ!」
モヒカンザコ先生「流石なぞのがったいパーツッ! 俺達に出来ないことを平然とやってのけrひでぶ!」
ひろし「完成していたのか……! 茅ヶ崎智沙希Mk-Ωの誕生dガハッ!」
乙部「能力発動! 不利転――俺は死なないけど君のためなら死ねrうげぇ!」
毛利「旦那ァ人を壁にするとかそりゃああまりにも殺生jオウフ!」

 快哉を上げかけた男勢五人が、一瞬にしてコードの濁流に弾き飛ばされ、穴だらけの外壁を外へと吹っ飛んで行く。
 彼女のコードは、男性への干渉を否定するのだ。
 そして、次に来たのは無論、遠目に見守っていた女子勢である。

「全員、退避ーっ!」
「あ、こりゃ無理だねー」
「智沙ちゃん……わ、すごい。……どれだけ、気持ちいいかな……」
「! ――!」

 逃げようとしたのは、星野と、蝶乃だけだった。
 合鴨シュウは、理不尽に対する慣れと諦めから。
 そして雨竜院畢は――外見からは意外なことに――純粋な『くすぐり』へのあこがれから、抵抗なくコードに全身を絡め取られた。

「――――!」

 蝶乃つがいは、一目散に逃げ出す。純粋な危機感であった。
 何故なら――茅ヶ崎智沙希Mk-IIのコード、及びその魔人能力の名は『チキチキ』。
 詳細は伏せるが、いわばそれは、アンドロイド、サイボーグ系女子に対する特攻だ。
 少女の背後から、コードが数本襲い掛かる。
 蝶乃は咄嗟に、両腕のちょうつがいでそれを払い落そうとして――肩。
 するりと。
 眼を見開く。肩の接合部に入りこんだコードから――『ちきちき』と音がした。

「ひ、にゃあっ!?」

 可愛らしい悲鳴が上がる。口を抑えようとしても、肝心の腕は『ちきちき』されて制御が出来ない。
 かくん、と足が脱力し、うつ伏せに倒れた蝶乃は、一瞬で驚くほど乱れた表情のまま――濁流に飲み込まれる。

「蝶乃! 合鴨! 畢! ――くふっ、あ、あは、あははは、ひん、ひゃあっ!」

 壁際に追い詰められた星野千紗。愛用の薙刀で振り払うにはあまりに数が多すぎる。瞬く間に制服の袖やスカートの裾から侵入され、こちょこちょとくすぐられる。
 こそばゆい感触にたまらず薙刀を取り落とし、尻もちをつき、更に全身をコードに群がられる。
 切り裂いた濁流の遠くに、翼から生えたジェットエンジンで宙に浮かぶ智沙希の姿が見えた気がした。


「ああもう! やっぱり、メカは、苦手だーーーーーーーっ!!」

◆      ◆

 遠くから、ダンゲロスの一般生徒がヒソヒソと言葉を交わしていた。

「おい見てみろ」
「なんだ?」
「第十次ハルマゲドンの番長陣営アジト――『入口のない校舎』。空に浮かぶ暗雲が一層濃くなってやがる」
「なんだありゃ……あそこだけ集中豪雨を受けてるみてえだ」
「よく見てみろ、キラキラ輝く粒子が混じってる……ありゃあ魔人能力に違いねえ」
「コジマ粒子か? カラテ粒子か? どっちにしろ物騒な代物に間違いないぜ」
「――うおっ! 今のは、雷か? 地響きも……」
「中で何が起きてるか、考えるだけでも恐ろしいぜ……くわばらくわばら」

◆       ◆


「うわーん、また漏らしちゃったよう……外、きっとすごく雨降ってる……」
「ごめんね、ごめんね畢ちゃん……辛かったよね?」
「んーん! 智沙ちゃんこそ大丈夫? でも、ぁのね……ちょっと、耳貸して」
「?」
「……また後で、二人だけで、しよ?」
「!!! …………ん、んぅ……///」


「くー、ふ、う。……あ、う、うう。うぐう……」
「はっはっは、随分やられたね千紗くん。大丈夫かい? ホラ、畢ちゃんのゆとり粒子の混じったジュースだよ、飲みなさい」
「あ、ありがとう……。……一生分、くすぐられた、気がするよ……」
「そういう感覚なら、いやあ、千紗君は健全だね」
「なんでそんなに元気なんだ、合鴨は……」
「これも矢鴨事件のちょっとした応用さ。ほら、つがいくんは……あちゃー、こっちは完全にグロッキー入っちゃってるなあ」
「………………」
「つがい……ん? あれは、智沙希から剥がれた、がったいパーツか」
「…………(T-T)人(T-T)ダイサンガッタイシーケンスヲ」
「やめろォ!!?」

 畢と智沙希が無邪気ながらも淫靡なひそひそ話をする。
 星野千紗が薙刀で、がったいパーツを追い払う。
 合鴨が蝶乃を介抱する。
 外へ吹き飛ばされた男たちが、今更のように戻って来る。

 ――第十次ハルマゲドン開催まで、あと二日。


【終了】

Chocolate Rain


「ギブミーチョコレート」

荒廃した東京の治安維持に当たっていた米軍の女性兵士はある日の任務中、1人の少年にそう言われた。
 有名な言葉である。第二次大戦後、軍人だった彼女の祖父は焼け野原の東京に進駐していた際、ボロボロの服を着た子供に実際そうねだられたと言う。

(グランパから聞いてたけど、70年経って私が言われるなんて……)

不謹慎な感動を覚えつつ、彼女は胸ポケットからスニッカーズを取り出す。
 彼女は知らない。少年の言葉には単に菓子への欲求以上の意味があることを。その日が何の日なのか、クリスチャンの彼女は当然知っていたのだが、日本においてどういう意味を持つかまでは知らなかった。

「ヒャッハー! 女ぁッ! チョコレートを寄越せー!」

数十m先から改造バイクに跨ったモヒカンザコが1人、メイスをブンブンと振り回して突っ込んでくる。このモヒカンザコは射殺されるという、モヒカンザコには不名誉な死を遂げることとなる。
 この日は2月14日――バレンタインデーであった。

✝✝✝✝✝

 ――話は少しだけ前に遡る。核が投下されてバレンタインどころでは無さそうな希望崎だが、魔人の巣窟だけあり逞しいもので、その日が近づくと生徒達の間には浮ついた空気が漂い始める。それは近々死闘に臨もうという生徒会・番長グループのメンバーでさえ例外では無い。



 部室棟の廊下は暖房が効いておらず、外とそう変わらない寒さだ。だから雨竜院畢は「パソコン部」のドアを開けたとき、中の暖かな空気が自分を迎えてくれることを期待していた。

「こんに……寒っ!」

ぶるり、と小さな身を震わせる。漏れ出して来たのは、彼女の予想に反して冷気であった。

「どうしました? 何か御用ですか?」

近くのデスクに座っていた部員と思しき男子生徒が立ち上がり、側に積まれた毛布を手に取って声をかける。畢は礼を言って毛布を受け取り、羽織ると部長はいるかと訪ねた。彼女が入学してから初めてこの部室へ来たのはその部長に会うためであった。

「部長ですか。ちょっと待ってくださいね」

彼は部室の奥の方にある、一番大きなデスクへと向かった。少しスペースを置いてそのさらに奥には数台のスーパーコンピュータが鎮座している。パソコン部部室はスパコンの稼働中冷却のために季節に関わらず冷房をガンガンに効かせており、部員は皆厚着をしていた。来客用の毛布やどてらも用意されている。
 男子部員がそのデスクに置かれたPCのキーボードを素早くタイプすると、3つのモニタのうち、中央の最も大きいものが青白い光を放った。

(な、なんだろう……)

床を這うケーブルを踏まぬようにしながら、畢も好奇心に背中を押されてデスクに近づく。目が眩む程の発光。PCなどよく知らない畢にも異様だとわかった。長方形の光源を、目を細めながら見つめる。そして、予想だにしない現象が目の前で始まる。
 映し出されたのは、左の掌だった――白魚のような、という形容の似合う、恐らくは女性の。それだけでもちょっとした驚きだが、そんなのは序の口の更に取っ掛かりでしかない。

「わっ……あっ!」

青白い光に包まれて、左手はモニタの外の世界へと顕現した。立体映像などではない。明らかに質量を持った実在として。
手首の下には当然白くほっそりとした腕が伸びている。肘から先がモニタの外へと這い出し、デスクの縁をがっしりと掴むと、今度は右手が映し出され、同じように外世界へと這い出してデスクを掴んだ。

「さ……さい……」

次に映し出されたのは、恐らく人間の頭。長く垂れた群青色の髪が邪魔してどんな顔かは窺い知れないが、畢にはその人物が誰かわかっていた。
 しかし、そんなことよりも目の前の現象が恐ろしかった。海馬の奥底に眠ったトラウマ――超有名なホラー映画の中でも最も有名な一場面――が脳内で再生される。その映画の幽霊と同様に、その青い髪の女・一三一八(にのまえ さいばー)の頭部もまた、現実へと飛び出す。艶やかな青髪がさらさらと揺れた。
 電脳世界から現実世界へ、2次元から3次元へ、情報から物質へ――今眼前のモニタは、2つの世界を繋ぐ門と化している。三一八の魔人能力『電脳妖精譚』(サイバーワールド・フェアリーテイル)……物理法則を安々と超越する魔人能力の中でも、一際奇跡めいた奇跡が目の前で展開されていたのだが、今の畢にはただただホラーであった。

 邪魔にならぬようにと、部員がデスクの椅子をどかす。デスクを掴む両手に力を込めると、三一八の首から下が水面を跳ねる魚の如くに一気に飛び出す。そして勢いをそのままに、両手を軸にしてその体はぐるりと弧を描いて、リノリウムの床に音もなく着地した。
 如何にもサイバーパンクな衣装に身を包んだ細い肢体が青白い後光を受けて直立している。青い髪を輝かせ、幻想性と未来性が同居した彼女はサングラスの奥の怜悧な瞳で畢を見下ろす。

「部長、こちらがお客さんですが……」

「はい」

部員が困った様子で言う。
 2人に見下された畢は床にへたり込み、黄色い水たまりを尻の下に広げていった。

✝✝✝✝✝

「ごめんね、三一八ちゃん。部室の床汚しちゃって……」

「いえ、貴女の失禁癖は聞いていたのに、『アレ』を見せた私が悪かったです」

畢はシュンとして、三一八は冷静な様子で、お互いに詫びる。雨も降っていないのに雨合羽の畢とサイバーファッションの三一八が共に歩いているとなかなかに目立つようで、すれ違う人の多くが2人を横目で見ていった。

 戦闘破壊家族・一家と雨を司る一族・雨竜院家は魔人一族同士、それなりに歴史ある縁を結んでいた。今、「四九〇」(しぐれ)の名で一家に属する少年が魔人覚醒までは雨竜院家の子として育てられ、現在でも畢達と兄弟姉妹の交流があることがそれを示している。
 とはいえ、圧倒的な子沢山を誇る一家で畢が四九〇以外に親しくしている者は片手で足りる程度で、一家でも基本PC内にいる三一八など番長グループで一緒になるまで存在は知っている程度だった。

「普段は回線上を移動しているので、長距離を歩くというのはなかなか疲れますね」

「へー、凄いねえ。パソコンの中ってどんな感じなの?」

取り留めのない会話をしながら歩く内、2人は雨竜院家の屋敷へと辿り着く。
 家にあがり、畢の母に挨拶すると台所に案内される。そこには、エプロンを着けた1人の少女が待っていた。

「はじめまして、妹の金雨(かなめ)です」

(妹さん……いるとは聞いてましたが、いくつなんでしょうか)

三一八も自己紹介し、互いにペコリと頭を下げる。お下げにした長めの金髪、顔立ちは姉妹だなと思わせるものがあるが色白で畢に比べるとおとなしそうな印象を受けた。外見だと畢のそれより少し年上、11、2歳くらいに見えるが、姉が「ああ」なことを考えると妹も実年齢より幼い外見なのかも知れない。

「かなちゃんは見た目通り11歳だよ」

「……っ!」

「お姉ちゃん」

一度自室に戻った畢がいつの間にか三一八の背後にいて不意にそう告げる。驚く妹と三一八にいたずらっぽく笑って見せた。
 学校では何故か雨合羽を着ている畢も家ではそうでないらしく、パーカーベストにショートパンツとカジュアルな私服に着替えていた。金雨と同様にエプロンを着る姿を見ながら思った。短い髪、幼い顔立ちに性徴の感じられない身体つき、今の服装……まるで。

(可愛い男の子にも見えますね……)

「三一八ちゃん、顔赤いよ?」

「な、なんでもありませんっ!」

頭に疑問符を浮かべた畢からさっと目を逸らし、自分もエプロンをつける。三一八は所謂ショタコンだった。
 全員がエプロン姿になると、畢が「始めよっか」と宣言する。目線の先には流し台に並べられたボウルにカップや型抜きなどの調理器具とチョコレートや生クリームなどの材料。読者諸氏にはもうおわかりだろう、彼女らはバレンタインデーのチョコレートを作るために集まっているのだ。

「お料理なんて家庭科の授業くらいでしか経験がありませんけど、大丈夫でしょうか?」

「平気平気! パティシエさんみたいな難しいことはボクも出来ないけど、手順を守れば美味しく作れるのを選んだから」

そう言って、お菓子作りの本をパラパラと捲り、付箋の貼られたページを開いてチョコレートを使った比較的簡単なレシピを三一八と金雨に見せていく。

「私は……これ、作りたいです」

「私はこれかな……」

「じゃ、作ろう!」

2人が指さしたレシピを見て畢がにんまりとしたのが作業開始の合図となる。

 自身でも作業をこなしつつ調理経験の乏しい2人に指示を出す畢の姿に、三一八は感心していた。ベーキングパウダーをこぼしてしまった金雨を甲斐甲斐しくフォローする姿など、学校での危なっかしい彼女とは違う「姉」としての顔にも。

「三一八ちゃんは、誰にチョコあげるの?」

計量する三一八の横で刻んだ板チョコを湯煎にかけながら、畢が問う。

「……弟の……」

「しーくんと、一ちゃん? ボクもあげるよ!」

あげる相手が一致していたことが畢には嬉しかったようでまたにんまりとする。しかし三一八にはそれが些か面白く無かった。

 畢は三一八のことを最近までよく知らなかったが、三一八は以前から畢を意識していた。それは嫉妬によるものだった。ショタコンである三一八は弟の一や四九〇を溺愛している。
 しかし、一はともかく、四九〇に関しては畢の方が圧倒的に多くの時間を共にしているのだ。今も同じ傘部に所属し、高校生の姉弟とは思えない程仲がいい。
 簡単に作れるチョコのレシピなどネットに頼ればすぐなのに、付き合いの浅い彼女にチョコ作りを教えてもらえないかなどと申し出たのは、半分が大げさではあるが敵情視察めいた理由からだった。

「どうして、私も一君や四九〇君にあげると嬉しいのですか?」

「ん? 自分の好きな人を、自分以外も好きでいてくれるんだよ。嬉しいじゃない?」

きょとんとした顔で、そう言う。サイバーサングラスに表示された畢の体温・脈拍の数値は彼女の言葉に嘘が無いことを示していた。
 綺麗事だ、と三一八は思う。そんなことを平然と受け入れられる人間がどれだけいるだろうか、と。

 畢が持ったパンで溶けていくチョコレートのように、ドロリと絡みつくような、触れれば火傷するような、制御できない嫉妬の念を抱く人種もいるのだ。雨竜院家までチョコを作りに来た理由のもう半分は「彼女」が家にいた場合、作るところがの目に入ることを恐れたからだった。



「ヘクシュッ……」

「風邪? 2月だし、気をつけなきゃね」

羽山莉子の隣を歩く、つい先程知り合った少女は可愛らしく鼻を鳴らし、大きな三角帽子を上下に揺らした。

「……いえ、きっと噂してるのよ、お兄様が私のこと……」

「そ、そう……」

チョコレートのような恋心と憎悪を抱えた小さな魔女は、ふふふ……と幼い美貌に笑みを浮かべ、それを見た莉子はやはりあまり関わりたくないな、と思った。



 魔女ほどでは無いが、今の自分もこうして嫉妬に動かされている。いるはずなのだが、畢の無邪気な笑みを見ていると、彼女にはそんな気持ちを抱くのもバカバカしいような気がしてくる。

(それでも、四九〇君と部活が一緒なのはやはり羨ましい……)

手や顔を粉やチョコレートで汚しながら、彼女らの作業はその後1時間半ほど続き、そして……。

「これが……」

「スゴイ……」

「頑張ったね―2人共」

大げさに拍手しながら、畢が2人を称える。
 生チョコにトリュフチョコ、チョコレートブラウニー……出来上がったお菓子を見つめる少女の瞳は、クリエイターが作品を見るようなそれだ。

「後は箱とか袋に詰めて渡すだけだね! 三一八ちゃん、初めてなのに上手だね」

「”ラ・フェ・リュミエール”(光の妖精)ですから、物理肉体でもこのくらい余裕です。でも、ありがとうございました」

「ボクも楽しかったよ! 三一八ちゃんとも仲良くなれたし、ね」

避難と敵情視察のために来たはずなのに、3人で作っているのが楽しくて、三一八はこれまでほぼ無表情だった顔を初めて綻ばせた。

✝✝✝✝✝

 ――バレンタイン当日。

「ヒャッハー! チョコを寄越せぇっ! 寄越さねえなら消毒だあっ!」

火炎放射器を持ったモヒカンザコ先生が吠える。
 モヒカンザコ先生――本名白金翔一郎は学生時代はイケメン剣道部部長であり、毎年バレンタインデーには食べ切れない程のチョコを貰っていた。モヒカンザコとなった今、彼にチョコを渡す者は皆無である。しかし彼は貰うのではなく奪い取るこの暮らしに満足していた。
 噴き出す炎が次々に汚物(チョコレート)を消毒し、消し炭に変えていく。教え子のモヒカンザコ達も先生に倣い、校内の各所で汚物を見つけては奪われるか消毒かの二択を迫っていた。頑張れモヒカンザコ達よ。謎の拳法家に消毒されるその時まで。

「んっ……」

「……」

2人の少女――天海真美と杉原昼子が口吻を交わしていた。傍目には舌を絡ませたディープキスのようにも見えるが、今はまだそんな関係では無い。
 天海に咀嚼され、流動食のようになったプリンが昼子に流し込まれる。天海の唾液とプリンの甘さが混じった極上の甘露。しかし、今日のそれは少しばかり特別であった。

(これって……)

2人の唇が離れると、ツツ……と甘い銀の糸が引いた。

「バレンタインだから、ね」

天海が笑う。いつもとは違うチョコレート味のプリンに、昼子は顔を真っ赤に染め上げる。


「一君……」

「三一八姉さん」

ある階段の踊場にて。

 一は既にいくつかのチョコレートを抱えており、どういうわけか制服があちこち傷ついている。それを見て「やはりモテるのだな」と三一八は心中で溜息をつく。

「逆にいっぱい貰ってた方が三一八ちゃんもなんかあげやすいでしょ!? ゴー!」

三一八のインカムから漏れて来る聞き覚えのある声に一は首を傾げるが、直後彼女が抱えている物を認めて、言った。

「姉さん、それってもしかして……」

「これはその……一君にと作りました。受け取って貰えます?」

「うん、もちろん」

一がすっと近寄ると、三一八の方が小柄な彼を見下ろす形となって、見上げる子犬のような瞳にドキリとする。リボンで小奇麗にラッピングされた透明な袋にはトリュフチョコが可愛らしく詰まっていた。
姉の細い指からその袋を受け取ると、一は少女のような顔に可憐な笑みを浮かべて礼を言う。

「一君……撫でてもいいですか?」

「ふぇ? あ、姉さん恥ずかしいよぉ……」

柔らかな髪を恐る恐るといった様子で撫でられて、一は声をあげるも拒絶する気持ちにはなれない。それに、くすぐったいけれどとても心地よいと感じたから。

「へえ……」

「あ、四九〇君」

一がパッと三一八から離れる。いつのまにか一の後ろで2人の時間を見つめていた四九〇を、一は振り返るとじとっとした目で睨む。

「酷いよ四九〇君……」

「わ、悪い……。姉ちゃんに言われてここに来たんだけどさ、三一姉ぇ……その」

やや恥ずかしげに四九〇が言う。一もそうだったが、彼の赤らめた顔もまた三一八には素晴らしく魅力的だった。

「受け取って貰えますか? チョコレート」

「うん、ありがとう」

四九〇もチョコレートを受け取ると、三一八は彼の頭にすっと手をかざそうとする。撫でられるのが恥ずかしい四九〇は身を引きそうになるが、背後からガシッと肩を掴まれた。振り向けば、一が珍しく意地の悪い笑みを浮べている。四九〇も諦めて、姉の掌に頭を委ねた。いやいやだった割には、それは酷く心地よかった。

✝✝✝✝✝

 写真の中で優しげに微笑む恋人。その前に、頑張って焼いたガトーショコラを切り分けた皿を置く。

「私達、クリスマスもバレンタインも一緒に過ごせなかったから……」

雨竜院血雨は亡くした恋人の遺影を前に寂しげに笑った。

「辛気臭いかな? お供え物って感じだし……」

同じベッドに腰掛けている取飲苦さば子に問う。その笑みは自嘲的だ。

「いいと思いますよ。辛いときは辛気臭くても……」

さば子がマグカップを持って後ろを向くと、汚い音が数秒響いた後、甘く優しい香りがただよい始める。

「私からのバレンタインチョコです。辛気臭くても、辛くなりすぎないように……」

マグカップの中ではホットチョコレートが湯気を立てていた。
 自分用に切り分けたガトーショコラをフォークで口に運び、咀嚼し、ホットチョコレートで流し込む。似たような甘さが重なってあまりいいとは言えない組み合わせだが、なんだか優しさが染み渡るように思われた。

「ありがとう、さば子ちゃん」

ガトーショコラを切り分けた皿をさば子にも差し出す。さば子は自分ではコーヒーを飲んでいて、一瞬手が止まった。

✝✝✝✝✝

 一家の食卓はいつも喧騒の中にある。

「このカレー、ちょっとだけチョコレートの匂いがするね」

「ホントだ~」

暴走双子姉妹・刹那と模糊は夕食のカレーについての発見に声をあげると、∞がそれに答える。

「一君がバレンタインだからって作ってくれたんだ。最後にチョコレートを隠し味に入れてあるんだよ」

「バレンタインのカレー! 一お兄凄いねえ」

「凄い凄―い。お風呂もお湯がチョコレートだったりするのかなあ」

「しないわ」

模糊の言葉に二六(テルマエ・ロマエ)が突っ込む。いつも通りの、騒がしい一家の食卓。

「あれ? その一お兄は?」

「私達もお兄ちゃんにチョコ用意してたのに~」

「ああ、それはねえ……名誉の負傷と言ったところ、かな」

∞が笑う。

 一は自室のベッドの中でうんうんと唸っていた。机の上には今日貰ったチョコが並んでいる。その中の1つは既に食べた形跡があり、綺麗に開封された黄色と黒の包装から闇より黒い塊が覗いていた。

✝✝✝✝✝

 ドルンドルンと音を立てて、透明なグラスに琥珀色の液体が満ちてゆく。
 雨弓は大きな手でチョコレートを1つ摘み、口に放り込んだ。噛み砕けばチョコレートと、それにコーティングされた洋酒漬けのさくらんぼ、2つの風味が口中に広がっていく。数秒置いてグラスの酒を一口で飲み干し、満悦といった様子で小さく息を吐く。

「お酒にチョコって、変な感じ」

畢は兄の晩酌にジュースで付き合いながらそんなことを言う。

「合うもんだよ、酒によるけど。畢と金雨がくれたのも美味かったぜ。ありがとな」

「えへへ、良かった。……ところでさ、そのチョコは誰にもらったの?」

兄からチョコレート、また兄へと視線を移し、問う。今兄に向けるのは疑いの目だった。対して雨弓は苦笑しつつ答えた。

「お前が疑ってるようなのじゃねえよ。くれたの結婚してる人だし」

「……そっか」

安堵とがっかりが半々の気持ちで、畢は少し目を伏せた。
 雨弓に恋人が出来たら雨雫はどう思うんだろうか。自分は同じ人を好きな人がいたら嬉しいけれど、死んでしまった雨雫には、共に愛することも叶わない。
 彼女にしては複雑な思いを抱えながら前髪を何気なく指で弄んでいると、今度は雨弓の方から言葉をかけてくる。

「お前こそ、今年は本命の相手とかいたのかい? この前のお参りじゃ秋みたいに『恋が出来ますように』とか言わなかったしな」

雨弓の言葉はからかい半分であった。しかし、言われた畢は少しばかり驚いた顔をした後、女狐めいた笑みを浮かべる。

「んふふ……去年まではいなかったけど、今年はどうだろうね。お兄ちゃんには内緒」

雨弓がピタリと固まる。
 畢は「ボクだっていつまでもお兄ちゃんにベッタリじゃないんだからね!」と宣言して、ジュースを飲み干し、グラスを持ってタタタッと駆けて行った。
 石像のようになっていた雨弓だが、畢がいなくなるとハッと我に返り、そして項垂れる。

「え……マジで? いるの? いや、いるともいってねーけど……うぇええ……」

そのまま頭を抱えて暫く呻いていた。畢はブラコンだが、雨弓もあまり人のことを言えないようだ。四九〇はその晩、雨弓に「畢の周辺にそれらしい男子はいるか」と電話で散々聞かれることとなる。





 降り頻る淡い光の群れが街を包んでいる。恋が実った者、実らなかった者、実りに近づいた者……全ての人の頭上に、遍く輝いていた。

バレンタイン・鬼吸


その日、浅草ランドウが教室へ入るといつもと様子が違っていた。
正確には男子の様子が違っていた。
どこかそわそわとしてそれでいて何でもない風を装い、
周囲の隙を見て机のなかに手を入れては、
殆どの者が失望を隠そうとしつつも隠しきれていない。
席に着いたランドウは自分も密かに、
それでいて確信をもって机に手を入れる。
そこには思ったとおり大量に何かが詰まっていた。
何かとはチョコレートだ。
男子諸君はすでにお分かりだろう。
そう、今日はバレンタインデーなのだ。
今日、ランドウは勝ち組だ。
心に大いなる喜びが湧き上がる。
しかし彼は誰にも見せつけない、誇らない。
それは「彼女たち」への裏切りだ。
彼、浅草ランドウは突然変異の脂肪を吸う吸血鬼だ。
その力で女子たちのダイエットを密かに請け負っている。
女子というものは太っているという事を知られるのを嫌うものだし、
人には言えないような方法でダイエットを行っているなどとは、
口が裂けても言えないだろう。
このチョコは彼との繋がりを知られぬよう密かに贈られた表には出せない感謝だ。
だから彼も誰にも見せないのだ。

さてこのように、これらのチョコは本命ではない。義理だ。
それでも彼は嬉しい。
もちろんそれは彼女たちの感謝の気持ちが嬉しいのでもあるが、
純粋にチョコそのものが嬉しいのだ。
なにしろチョコの主成分はココアバター、油だ。
前述したとおりかれは脂肪を吸う吸血鬼なのだが脂肪以外のものは殆ど吸収できない。
それで普段の主食はマヨネーズだ。
あるいはもこみちばりにオリーブオイルをどばどばかけた料理だ。
だが、あれらはあまりよろしくない。
うまいのはうまいが、普通の人間にとっての旨み調味料だばだば料理とでも言おうか、
何か本能のみで反応する味。料理人たちが苦闘し編み出したレシピたちを否定する味。
人間らしい理性で味わう料理ではない気がしてなんだか情けなくなるのだ。
だがチョコは違う。油たっぷりなのに不自然に追加したのではない完成系なのだ。
バレンタインにはチョコ以外にも洋菓子類を貰う事もあるが、
それらもバターをふんだんに使っていることが多い。
もともとの正しいあり方として油たっぷりなのだ。
後ろめたさと無縁のうまさなのだ。
それが、感謝の証として贈られるのだ。
だから、浅草ランドウは、バレンタインデーが好きだ。

メタポイド RETURN OF DANGEROUSMAN


まぶしい光に包まれて、ダンゲロス男は目を覚ます。
彼はさっきまで戦場にいた。
そして敵の刀で首を刎ねられ死亡した。
だが、ここは戦場ではない。
だが、彼の首は何事もなく胴体と繋がっている。
すらりと伸びた手足も、小ぶりだが形のいい胸も綺麗なものだ。
セーラー服を着た、いつも通りの女子高生ぶりだ。
いつも通りといえば、
【この先、DANGEROUS!命の保証なし】
の看板も見慣れたものだ。目覚めたとき大抵はこれが目の前にある。
今回も舞台は希望崎学園。通称「戦闘破壊学園ダンゲロス」だ。
次いで彼はポケットを探る。
携帯電話を見つけ日時を確認する。2015年××月××日。
その日付を記憶の中の膨大なキャンペーン情報と照合する。
大銀河一のダンゲロスマニアである彼の脳内には、
ダンゲロスに関するあらゆる情報が詰まっているのだ。
照合の精度を上げるため周囲をチェック。
希望崎学園の建つこの夢の島から橋を渡った向こう、
東京本土が爆撃でも受けたように荒廃している。
これは……第十次ダンゲロスハルマゲドン!
瞬間的にそのキャンペーンの全情報が脳内を駆け巡る。
その結末さえも。
だがそれがどうした。
それはそれ、これはこれだ。
勝つにせよ負けるにせよ、かつてのキャンペーンをなぞって何が楽しい。
どう楽しんだっていい、ダンゲロスは自由なのだ。
「よし、それじゃあ今回も楽しんでくるかのう」
そうして彼は何万回、何億回目かも分からぬ戦いへ、
しかし初めと変わらぬ新鮮な喜びと感謝に満ちて歩き出した。
ダンゲロスよ、ありがとう!


『ダンゲロス男になった翌日』


ダンゲロス男になった翌日、私は番長Gとともに散歩に出かけた。
もう冬だというのに木は青々としている。
モヒカンザコの表情は希望と活気に満ち、額から流れる無辜の村民の血が太陽光を反射していた。

「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日とある一流企業に足切りされた白川さんが、ほっとしたように私たち番長Gに言った。
「ええ、これからは人が人をチキチキし合う時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない智沙希が、白川さんの肩に手を置いて優しく言った。
「合鴨という人を御覧なさい。二本の矢が膝に貫通しているじゃないですか」
別次元のこうい生命体がそう言って微笑んだ。

白金翔一郎は長年使ってきた日本刀を質に入れ、トゲ付き棍棒を購入した。
「剣術はもう不要だ。これからは日本中に断末魔を響かせよう」
一仕事終えたモヒカンザコの表情で男は言った。

青空のなかをを冥王星が横切っていった。

紅井涙子SS 「惨劇の記憶」


2013年、1月――。

その日、紅井涙子は数年ぶりにウキウキとした気分でいた。
こんな気持ちになるのは、両親がクリスマスのプレゼントを買ってきてくれると言った、
あの日以来かもしれない、そう思っていた。

涙子は今、映画館の椅子に座っている。館内は満員だ。
上映前から周囲の熱気のようなものが伝わってくる感じがして、
そんな雰囲気に触発されて、更に気分が高揚してくる。
そう、今日は国民的人気漫画が、遂に映画化され、公開される日なのだ。

涙子は、小さいころからその漫画の熱心なファンだった。
彼女の両親がまたその漫画の熱狂的なファンで、単行本が発売されては、
家族で内容について語らったりした。
その漫画は涙子にとって、両親との大切な思い出の一つだった。

けれども彼女の両親はもういない。両親の死により、孤児となった彼女の生活はすっかり貧しくなり、
楽しく漫画を読むこともできなくなった。この映画も、見ることはできないと思っていた。
今の彼女は映画の入場料を払う、お小遣いすら貰えないのだ。
ところが、今年は違った。なんと彼女の今の育ての親が、「今年は特別だ」と言って、
2000円ものお年玉をくれたのだ。

「これで好きなものを買いなさい」

普段は自分に酷く辛く当たっていた彼らが見せた優しさに、涙子は涙して喜んだ。
(今にして振り返れば、その時に見せた彼らの微笑みには、まったく別の意味が込められていたのだが)
手にした2000円によって、涙子は映画を見るだけでなく、映画館でジュースやお菓子を買うこともできた。
涙子は中学生なので学生料金で、映画館には1000円で入れた。1000円もの豪華な食事は、普段は貧しくてカップ麺付けの
涙子にとっては久々の豪華な食事だ。

「まるでお姫様になったみたい!」

まったく一般的なことをしているだけの今の状況が、涙子にはしかし、たまらなく嬉しいひと時であった。
涙子は、手の中に両親の形見、紅い虎のぬいぐるみを抱えて映画が始まる時を楽しく待っていた。
「虎ちゃんも楽しもうね。パパとママの分まで……」心の中でぬいぐるみに語りかける。
不思議と虎の顔も微笑んでいるように見えた。

ビィィィ――――、と開幕のブザーが鳴り響く。遂に始まるのだ――。
涙子だけでなく、会場全体が自然と厳粛な雰囲気に包まれる。
スクリーンの前を覆っていた幕が、ゆっくりと開いていき……。
静寂が、館内を支配した。

それからの二時間の記憶が、その後の涙子にはあまりない。
ただただもう、辛くて、悲しくて、寂しくて、喚きたくて、泣きたくて、叫びたくて、
泣きたくて、叫びたくて、泣きたくて、叫びたくて、哭きたくて、
そんな気持ちだった。
世の中にはなんでこんなに酷いことをする人がいるのだろう、こんなに辛いことが世の中にあるのだろうか、
神様ごめんなさい、私なんて生まれてこなければ良かったのかな、そう思った。
恐るべきことにその映画を見ていた二時間の間に味わった精神的な辛さは、
彼女がこれまでに受けた全ての苛めや虐待を合わせても、両親が死んでしまったあの時の辛さよりも、
そしてその後に起こった惨劇よりも、なおいっそう酷いもののように感じられた。
涙子がその二時間の記憶だけを忘却の彼方へ無意識に沈めてしまってのも無理のないことである。

ガタッ……。突如、涙子の隣で音がした、涙子が目を向けるとセーラー服姿の女性が倒れている。
黒髪ロングの眼鏡をかけた女性だ。口からは白い泡を吹き、目からは涙がとめどなく流れ、全身が激しく痙攣している。
「なんで、なんで、ダンゲロス世界にアレが……。あんまりだ。そんな……。嘘だぁーーーー!!」
と、涙子の耳によく分からない、うわ言のような叫びが聞こえてくる。
だが、こんな風になってしまうのも無理はないな、と涙子は思う。
皆、あまりのことにこれまで味わったことのない精神的なショックを受けたのだ。
「しっかりしてください!」涙子はその女性を起こそうと、近寄って声をかけた。その時、

「ウギャオオーーーーーーーー!!!」

突如、館内の中心からも大きな叫び声が響いた。
涙子が驚き振り返ると、男の人が立ち上がり、全身から大きな叫び声を上げていた。
「あの人もあの映画で心を……!」そう思った涙子の目に次の瞬間信じられないものが目に映った。
男の体色が緑色に変化していき、体型が大きく変わっていく、
皮膚が膨れ上がり、服が破け、みるみるうちに、巨大な……巨大な触手へと変化した!!

「ウルォォォ……」男は、いや、巨大な触手は、たちまち近くいた数人の女性客に絡みつき、その体を舐り始めた。
「キャァァーーー!」館内からたちまち悲鳴が上がる。戸惑う涙子。だが、悲鳴の中に一つ異質な叫びが含まれていることにすぐに気付いた。

「ヒャッハー!犯せ!殺せ―――!」突如、今度は館の隅の席から愉快な叫び声が響いた。
そこでは、頑強な体躯に、大きな、トサカのような頭をした男が、何故か右手に大きな棍棒を持って暴れまわっている。
「あそこに座っていたのも普通の男性だったはず――!」涙子は思ったが、瞬時に理解した。

「あの男性も変化してしまったんだ! あの映画の、あまりの精神的ダメージによって!」

周囲を見回すと、もはや、まともな状態でいる人間は一人もいないようだった。
触手へと変化した人間、体格と髪型が変化し、暴れまわる人間が約半数、そして残りの人間も自暴自棄になったか、
いや、やはり精神を破壊されてしまったのだろう。男性は「もうどうにでもなっちまえー!」と周囲の女性へと襲いかかり、
そして女性の側もまた、「犯して―!!私を犯して―!!」と悲鳴のような嬌声を上げて、
むしろこの状況を喜んでいるような状況にまでなっている。
館内は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。

ちなみに。
この状況となったのは、涙子のいる映画館だけではない。
関西中の映画館でこれと同じような状況が起きていた。
そして、巨大な触手と暴徒の群衆は、映画館の外に溢れ、関西中の人間にこの症状は感染していく。
彼らに接触した人間も脳内に「あの映画の映像」が流れ込み、精神を破壊され、
やはり触手か暴徒へと変形していくのである。
このパンデミック現象は後に、あの映画のタイトルをもって呼称されるが、それはまた別の話である。
(なお関西以外の土地ではこの事態を事前に察知した、魔人公安の活躍によって映画公開が差し止められ、
惨劇が未然に防がれていた。関西方面だけは魔人コバヤシの暗躍により、
公開が差し止められなかった)

涙子にはもはや訳が分からなかった。だが、暴れている皆が、表面上はこの宴に酔っているように見えて、
心には深い絶望で支配されていることが伝わってきた。
「もう止めてみんな! こんな、こんなことをしても!」
無駄と分かっても、叫ばずにはいられない涙子。その目に涙が溢れる。だが、その姿によって、むしろスイッチを入れてしまったことに彼女は気付かなかった。
周りの触手達、暴徒達、はその瞬間、全て涙子に目を向けた。そして涙する少女を前に、彼らの精神は大きく刺激された。

「ウォォォ、獲物、エモノだぁぁぁーーー!!」

そしてたちまち彼女へと皆が襲いかかっていく!
一番手は最初に館内中央で暴れ出した触手だった。まず先端から黄色い体液を吹き出して、涙子へと振りかける。
涙子の身に着けた服は、その体液によって、たちまちところどころ溶けて行った。
涙子の手から、抱えていた紅い虎のぬいぐるみが零れ落ちる。絶望感に支配される涙子。
そして触手が涙子の、まだ幼さを残す体へと這いより……。

(編者注:ここからのシーンを詳細に描くことはやろうと思えばできますが、
あまりに悲惨なのと、健全な青少年諸君も目にしていることから差し控えさせていただきます。
あまり夜中までエッチな話題のラジオを続ける大人は良くないと思います)

凌辱は、終わりなく続くかと思われた。
かわるがわる、触手と暴徒が涙子を犯しぬいた。涙子という餌によって、館内のこの狂ったパーティータイムは絶頂を迎えていた。
手番が一巡したのか、今涙子には最初に襲い掛かった触手が再び纏わりついていた。
なお、館内ではこの狂宴の発端となったあの映画がまだ繰り返し流れていた。
「俺、○○になら裏切られてもいいよ!」スクリーンから明るい少年の声が空しく場内に響き渡る。

「裏切りか……。皆、私を裏切ったな。プレゼントをくれるといって、死んじゃったパパもママも、友達も、あの新しい親達も、
そして、あの映画も」
既に虚ろな目となっていた涙子。その頭にこれまでの人生がフラッシュバックしてゆく。
「裏切られてもいいなんて嘘。辛くてもいいなんて嘘。皆忘れたいんだ。本当に辛いことは。あんな映画のことは!」
涙子の目に光が戻る。

「なら、私が忘れさせる!」

涙子は、自ら進んで触手へと手を伸ばし、その体を抱擁した。
「良いんだよ……全て、忘れて……、今は皆で嬉しいことを考えれば」
そして、触手へと口づけした。
オオオオオオオオ……。場内から歓声が上がる。まるで全てを祝福するかのように。
涙子が座っていた席に残された紅い虎のぬいぐるみの目が怪しく光った。

翌日。
映画館内に踏み込んだ魔人公安によって涙子は救出された。
いや、救出という言い方は正しくないのかもしれない。
映画館内には涙子以外に生きた人間は残っていなかったのだから。
魔人公安達が目にしたのは、おびただしい量の血に溢れた館の中心に、ただ一人、1本の触手と戯れていた少女の姿である。
少女は涙し、笑いながら、「みんな、みんな、忘れよう。楽しもう」と触手に絡みつかれていた。
救出を担当した公安の証言によると、不思議なことに最初は少女を憐れむ気持ちがあったが、次にはこの少女と一緒に楽しみたい、
少女をどうにかしたい……という気持ちが湧いたという。
なお、館内の人間は全てが肉片一つどこから骨すら残らない惨状であったが、一番惨たらしく感じられたのは映画館のスクリーンだったという。
そこには巨大な獣が数百回にも渡って爪を立て掻き毟った跡が残されており、更にこれも巨大な獣のものと思われる牙によって、
無数の巨大な穴が開いていたという。
無論、スクリーンの表面は紅い血にまみれており、巨大な憎しみの跡が感じられるようだったという。

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最終更新:2013年02月16日 17:05