1578年ポルトガル王 セバスティアン1世 が子供ナシ(=王位継承者ナシ)で戦死します(1578年: Battle of Alcácer Quibir )。
ってことで、ポルトガルは次の王位継承でゴタゴタ。
ゴタゴタの中で王セバスティアン1世の摂政だった 枢機卿 エンリケが 王エンリケ1世 になります。
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独身の王エンリケ1世は枢機卿を辞めて結婚しようとします。子供ナシだと アヴィス王朝 が終わっちゃうもんね。
でもスペイン王 フェリペ2世 に気を遣ったローマ教皇 グレゴリウス13世 が辞任を拒否。
1580年1月31日王エンリケ1世は子供ナシであーっという間に死亡。ポルトガルはまたまた次の王位継承でゴタゴタしちゃいます。

次の王様は誰?

ポルトガル議会(the Regency of the Kingdom)は「次の王様=ポルトガルの独立を持続できる王様」について話し合います。
候補者はこちらの皆さん。
スペイン王フェリペ2世は「 イベリア半島の統合 西ゴート王国 の復活」を目論んで王位継承を強く主張してます。

ラヌッチョ1世・ファルネーゼ 父親:パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ
母親: マリア・デ・ポルトガル
長子相続 の正当な王位継承者
カタリナ・デ・ポルトガル 父親:ギマランイス公 ドゥアルテ
母親: イザベル・デ・ブラガンサ
ポルトガル在住で年齢もオケ
スペイン王 フェリペ2世 父親:神聖ローマ皇帝 カール5世
母親: イサベル・デ・ポルトガル
外国人だからダメダメ
庶子 アントニオ・デ・ポルトガル
(ポルトガル王アントニオ1世)
父親:ベージャ公 ルイス
母親:愛人ヴィオランテ・ゴメス
王位継承権ナシだからダメ
サヴォイア公 エマヌエーレ・フィリベルト 父親:サヴォイア公 カルロ3世
母親: ベアトリーチェ・デ・ポルトガル

最有力候補はネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼ(11歳)です。
でもネーデルラント総督パルマ公は王フェリペ2世の家臣。
ってことで、王フェリペ2世に気を遣って息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼの王位継承を積極的に主張しませんでした。

カタリナ・デ・ポルトガル(40歳)も王位継承を強く主張します。
ちなみに夫ブラガンサ公 ジョアン1世 (初代 王ジョアン1世 の庶子ブラガンサ公 アフォンソ1世 の血筋)も王位継承権アリ。
夫婦揃って王位継承権アリの優良株です。
王フェリペ2世は「カタリナ・デ・ポルトガルを辞退させるぜ!」と夫ブラガンサ公をこちらで買収しようとします。
でも夫ブラガンサ公は買収を拒否。
残念ながらカタリナ・デ・ポルトガルは「女性」「次女」がネックになって王位継承の競争から脱落しました。

サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトも王位継承を主張します。
でもサヴォイア公は1536年以降フランスに占領されちゃった領地の回復を願ってずーっと王フェリペ2世に仕えてるの。
お陰様で領地もジワジワ回復中。ってことで、すぐ辞退します。

スペイン王フェリペ2世vsポルトガル王アントニオ1世(庶子アントニオ・デ・ポルトガル)

庶子アントニオ・デ・ポルトガル( 王マヌエル1世 の孫)も王位継承を強く主張します。
でも庶子だから王位継承権ナシ(王位継承権が超弱い)。
実は 王セバスティアン1世 が死亡したときも王位継承を主張してポルトガル議会に却下されちゃいました。

14世紀ポルトガルは王位継承を争って内戦になったコトがあります(1383–1385年: Portuguese interregnum )。
なんやかんやでスペインを撃退した庶子ジョアンが初代 王ジョアン1世 に即位。
庶子アントニオは「この状況に似てませんかー!?」と訴えて支持をゲト。1580年7月24日「王アントニオ1世」を宣言します。

王フェリペ2世の領地(1580年)

王フェリペ2世は「イケイケのスペインと併合した方が儲かるんじゃね?」と考える貴族たちの支持をゲトします。
ってことで、庶子アントニオを打倒(1580–1583年: War of the Portuguese Succession )。
1581年 ポルトガル議会 に承認されてポルトガル王に即位します。念願の「 イベリア半島の統合 」であーる♥

ちなみに庶子アントニオの「王アントニオ1世」は20日で終了しちゃいました(1580年: Battle of Alcântara )。
その後 アゾレス諸島 、フランス、イングランドへ亡命。
王フェリペ2世が送った暗殺者から逃げながら1589年 アルマダの反撃 にも参加。1595年パリ(フランス)で死亡します。

「イベリア半島の統合」の終了

「イベリア半島の統合」でポルトガル領をゲトしたスペインは「 太陽の沈まない帝国 」になります。
王フェリペ2世はポルトガルの独立(法律、通貨、政府)を持続。
ポルトガルの貴族たちをスペイン宮廷で優遇。なんと「首都を リスボン に移す?」なんて提案もありました。

スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀)

でもポルトガルの利益はジワジワ減少していきます。台頭するイングランドやオランダがポルトガル領を攻撃し始めたの。
おまけにスペイン王 フェリペ4世 はポルトガルの独立をスルー。
1640年Win-Winな関係が終わったポルトガルは勝手にブラガンサ公ジョアン2世をポルトガル王 ジョアン4世 にしちゃいます(1640–1668年: Portuguese Restoration War )。