イングランド領カレー(Pale of Calais)


イングランド領カレーはイングランド王 エドワード3世 が1346年 カレー包囲戦 でゲトした大陸で唯一のイングランド領です。
古英語「Pale」は「area:行政区画、jurisdiction:管轄」って意味。
イングランドから船で物資をホイホイ運べる大陸への一番近い貿易拠点になります。1360年 ブレティニー条約 で調印。
wikipedia

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William Robert Shepherd 画「Central Europe about 1477」(1926年:The Historical Atlas)

もしフランスと戦争になったらイングランド領カレーは「重要な軍事拠点」になります。逆にフランスにとっての「致命的な弱点」。
なんとしても奪い返さなくては!
ってことで、ギーズ公 フランソワ が1558年 カレー包囲戦 で奪還します。1559年 カトー・カンブレジ条約 で調印。


カレーをゲトしちゃいました♥(1346年:カレー包囲戦)


カレー包囲戦はイングランド王 エドワード3世 とフランス王 フィリップ6世 の王位継承を巡る エドワード戦争 (1337–1360年: 百年戦争 の第1段階)の1つです。
王フィリップ6世が王エドワード3世の政策をアレコレ妨害。
頭に来た王エドワード3世は「王フィリップ6世って正当な王様?」と宣戦布告。「重要な軍事拠点」のカレーを占拠しちゃいます。
wikipedia

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詳細は フランス君主一覧 イングランド君主一覧 をどうぞ

1295年 フランスとスコットランドが「対イングランドで協力」を締結 古い同盟
1327年 1月25日 イングランド王エドワード2世が廃位。王エドワード3世が即位
1328年 2月1日 フランス王シャルル4世が死亡。4月1日王フィリップ6世が即位
1334年 5月14日 スコットランド王デイヴィッド2世がフランスへ亡命 スコットランド独立戦争
1336年 12月26日 王フィリップ6世が王エドワード3世へ「亡命者ロベール3世の引き渡し」を要求
1337年 4月30日 王フィリップ6世が王エドワード3世の領地ギュイエンヌを没収 臣下全員の召集
王エドワード3世が「王フィリップ6世って正当な王様?」と異議申し立て
11月9日 イングランドが キャドザント (フランドル)を襲撃 キャドザントの戦い
1340年 1月24日 王エドワード3世が「俺がフランス王だ!」を宣言
1360年 10月24日 イングランドとフランスが「イングランド領カレーの取り扱い」を締結 ブレティニー条約

+ 領地ギュイエンヌで「イングランド王エドワード3世はフランス王フィリップ6世の臣下」
イングランド王エドワード3世は領地 ギュイエンヌ (フランス)の領主 アキテーヌ公爵 です。王エドワード3世の 正式称号
King of England, Lord of Ireland and Duke of Aquitaine …1340年まで
イングランド国王、アイルランド卿、アキテーヌ公
King of England and of France and Lord of Ireland …1340年から
イングランドおよびフランス国王、アイルランド卿
イングランドの王様が「⑦フランス王フィリップ6世の臣下アキテーヌ公爵」なの。この複雑な関係で2人はギクシャクします。

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Jean Froissart 著「 Froissart's Chronicles 」(15世紀)

領地ギュイエンヌ(フランス)ってなに?

イングランド王エドワード3世はフランスに領地を持つ アンジュー朝 プランタジネット朝 の1つ)の王様です。
アンジュー朝の始まりは 女王マティルダ とフランス貴族アンジュー伯 ジョフロワ4世 の結婚。
王ヘンリー2世 とアキテーヌ女公 アリエノール の結婚で巨大な アンジュー帝国 になりました。王ヘンリー2世の正式称号は
King of England, Duke of Normandy and of Aquitaine and Count of Anjou (あと Count of Maine Count of Nantes も所有)
イングランド国王、ノルマンディー公およびアキテーヌ公およびアンジュー伯

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左側:フランスの半分が領地のアンジュー帝国(1180年:イングランド王 ヘンリー2世
右側:なんやかんやで領地が減っちゃったアンジュー帝国(1223年:イングランド王 ヘンリー3世

巨大なアンジュー帝国は 失地王ジョン でどーんと減ります。フランス王 フィリップ2世 を怒らせちゃったの。
忠誠を誓った臣下は王様に楯突いちゃダメダメ!
なんやかんやで王エドワード3世のフランスの領地は「領地ギュイエンヌ(12世紀: ガスコーニュ )」だけになります。

忠誠を誓った臣下は王様に楯突いちゃダメダメ!

王エドワード3世がフランスに領地を持ってるのは⑦王フィリップ6世から領地支配を認められてるからです( 封建制度 )。
「王様が 臣下 土地 を与る」「臣下は王様に 忠誠を 誓う」って関係。
もし臣下が忠誠を誓わなかったら王様は臣下の領地を没収するコトができます。2人はビミョーな関係なの。

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封建制度

ちなみに封建制度だと「国なんて外国に攻められたとき集まるモワモワした存在だべさ( 地方分権 )」って感じです。
私達が考える国とは感覚が違うの。
116年続いた百年戦争でイングランドとフランスは「国でビシッと一致団結するだべさ( ナショナリズム )」に目覚めます。

カレーに関係ないお話しだけど…百年戦争が終わると地方分権から中央集権へ

独立心旺盛な封建制度(地方分権)で「国でビシッと一致団結するだべさ」はムリです。
ってことで、15世紀になると王様が貴族や教会の権力を制限。
王様へ権力を集中させて国を統一した 中央集権国家 が誕生します( 中央集権 )。こちらは中央集権した代表的な皆さん
wikipedia

フランス 王シャルル7世
(在位:1422–1461年)
フランス王 ルイ11世
(在位:1461−1483年)
・百年戦争を終わらせてフランスにあるイングランド領地の大半を奪還
・貴族の権力を弱体化
フランス陸軍 を設立
スペイン カスティーリャ女王 イサベル1世
(在位:1474–1504年)
アラゴン王 フェルナンド2世
(在位:1479–1516年)
レコンキスタ を終わらせて財源、法律、 スペイン軍 を改革
・貴族の権力を弱体化
・カトリック教会以外の宗教を異教化
・新大陸へ進出( アメリカ大陸の植民地化
イングランド 王ヘンリー7世
(在位:1485–1509年)
薔薇戦争 を終わらせて王位継承を解決
・貨幣と度量衡を統一。厳しい徴税で歳入を安定させて財政を健全化
・法と秩序を強化して貴族の腐敗をチェック
イギリス海軍 を設立

権力が王様へ集中しすぎると王様>>>議会になります。「王権は神から付与されたものぢゃ( 王権神授説 )」を使えば無敵。
王様の権力が憲法で制限されてないの( 絶対君主制 )。
Royal Central (Extraordinary Elizabethans)さんによるとイングランド女王エリザベス1世は「 イングランド議会 を重宝しつつ権力を振るった絶対君主制」です。

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権力の集まり方

王様の権力が憲法で制限されてないと王様は議会をスルーして好き勝手に振る舞うコトができます。
ってことで、王様の権力を憲法で制限( 立憲君主制 )が誕生。
アレコレをぜーんぶ議会で決めるから王様<<<議会になります。もし王様が好き勝手に振る舞ったら怒られちゃうの。
21世紀のイギリス、スペイン、日本は立憲君主制。フランスは立憲君主制からなんやかんやで王様ナシ( 共和制 )です。

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21世紀の君主

こちらは2012年女王エリザベス2世の即位60年祝賀会 ダイヤモンド・ジュビリー ウィンザー城 での昼食会です。
スペインは「 ジブラルタル はウチのものじゃ!」で出席キャンセル。
ジブラルタルは イギリスの海外領土 です(1713年: ユトレヒト条約 )。祝賀の一環で エドワード王子 が訪問しちゃったの。

カレーに関係ないお話しだけど…F&Bの後イングランドは絶対君主制から立憲君主制へ

絶対君主制の女王エリザベス1世はイングランド議会と協力してイングランドを治めてます。三人寄れば文殊の知恵だもんね。
議会の始まりは封建制度の寄り合い。
「王様は法を守って議会と一緒にアレコレ決めましょう(1215年: マグナ・カルタ )」のお約束で発展しました。

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左側:1278年 王エドワード1世 の議会(1524年頃:Thomas Wriothesley著「Garter Book」)
右側:女王エリザベス1世の議会(1682年:Sir Simonds D'Ewes著「The Journals of all the Parliaments during the Reign of Queen Elizabeth」)

女王エリザベス1世の次の 王ジェームズ1世 は「王権は神から付与されたものぢゃ( 王権神授説 )」で議会をスルーします。
好き勝手にガンガン課税したの。
次の 王チャールズ1世 も議会をスルー。王権の強化はヤバイぜ!と議会は 権利の請願 を提案したけどスルーされます。
  • 贈与、公債、献上金、租税…は議会で決めましょう。王様は好き勝手に決めたり強要したりしないでね。
  • 王様は臣民を好き勝手に逮捕、投獄しないでね。
「権利の請願」は「王様はマグナ・カルタをすっかり忘れちゃったみたいだけど思い出してくださいよお♥」って内容です。
実は女王エリザベス1世も法律をスルーできる権力を持ってる。
やったら殺されちゃうかもしれないけど…。「請願」は王様が法律をスルーしたとき個人が救済を求める手段です。

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イギリス革命

スルースルーで 清教徒革命 が勃発すると王チャールズ1世は処刑されます。でも イングランド共和国 も議会をスルー。
王様を復活させても議会をスルー( 王権復古 )。
もうスルーはダメだぜ!と議会は 権利の章典 で王様の権力を憲法で制限( 名誉革命 )。イギリスは立憲君主制になります。
  • 王様は法を守って議会と一緒にアレコレ決めるコト。法を守らないのは違法だからねっっっ!
  • 議会の同意ナシに平時に 常備軍 を持たないコト。
  • 王位継承者からカトリック教徒を排除するコト
「権利の章典」の正式名称は「臣民の権利と自由を宣言し、かつ、王位の継承を定める法律」です。
王様は臣民の権利と自由を犯しちゃダメダメ!
私達は生まれたときから当たり前に持ってるけど、ジェフリーやナイジェルは保証されてないんですね。ほえー。

この頃の イギリス軍 は議会が5年ごとに「軍隊は平時でも必要でーす」と可決して維持してました。
王様が軍隊を持つのを警戒したのね。
ちなみにイギリス軍は「 British Army :イギリス陸軍」「 Royal Navy :王立海軍」「 Royal Air Force :王立空軍」。


+ 忠誠を誓った臣下が王様に楯突いたら領地を没収しちゃうからね♥
昔、④フランス王 シャルル4世 はイングランド王 エドワード2世 (王エドワード3世の父親)の領地ギュイエンヌを没収しました。
2人の関係がギクシャクしちゃったの(1324年: サン=サルド戦争 )。
なんやかんやで王エドワード2世が「臣下のくせに王様に楯突いてごめんなさい」と謝って返してもらってます。

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Jean Froissart著「Froissart's Chronicles」

ちなみにフランスへ謝罪に行ったのは妻の王妃イザベラと息子の王太子エドワード3世(王エドワード3世)です。
王様は膝を付かぬって感じ?
イングランドの王様は領地ギュイエンヌで「王様のプライド」と「楯突いたら没収さちゃう」のジレンマに陥っちゃうんですね。

カレーに関係ないお話しだけど…謝罪の後アホアホな王エドワード2世のお尻がアッー!

F&Bでも話題になる王エドワード2世は 両性愛 同性愛 )のアホアホな王様です。寵愛する男性を重臣にして露骨に優遇。
アホアホと臣下の関係はギクシャク。
頭に来た臣下たちはクーデタを起こしたけど失敗してフランスへ亡命します(1321年: Despenser War )。
wikipedia

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Marcus Stone 画「Edward II. and his Favourite, Piers Gaveston 」(1872年)

ってことで、ギクシャクのイングランドはアホアホ支持派と不支持派に分かれます。不支持派の代表は王妃イザベラ。
アホアホと王妃イザベラの関係もギクシャクなの。
フランスへ謝罪に行った王妃イザベラは亡命した臣下たちと「打倒!王エドワード2世!」のクーデタを計画しちゃいます。

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Jean Froissart著「Froissart's Chronicles」
左上:Jean Froissart remettant son ouvrage au roi d'Angleterre(1395)
右上:Isabelle de France et le prince Edouard débarquant en France(1325)
左下:Isabelle de France et le prince Edouard débarquant en France(1325)
右下: Siège de Bristol (1326)

フランスから帰国した王妃イザベラは亡命した臣下たちと一緒にクーデタを起こします(1326年: Invasion of England )。
他の臣下たちも王妃イザベラを応援。
忠義を尽くす臣下を失ったアホアホはあっさり負けて廃位。息子の王エドワード3世が即位します。

I William Trussell, on behalf of the whole people of England, and authorized by the parliament, do hereby withdraw the fealty and homage sworn to you. I no longer am bound in faith to you, and I deprive you of all royal power and dignity. We claim and hold nothing from you as king; and in all time to come declare you to be a mere private person.
私William Trussellはイングランドの人々に代わり議会代表者として、貴殿へ誓われた 忠義 忠誠 について述べます。もはや私と貴殿を結ぶ信頼は消えました。私は貴殿から全ての王の権力と尊厳を奪います。我々は王としての貴殿に何も求めません。今から貴殿は単なる私人となります。 ~sir James Mackintosh著「The history of England」より~

アホアホは イングランド議会 の代表 William Trussell (その後王エドワード3世の 秘書長官 )から廃位宣言されます。
£5/日の生活費を支給されて バークレイ城 で監禁生活。
記録によると「贅沢品を購入した」だけど一部の記録者が「しばしば虐待されてた」と書いてるので真実は不明です。

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アホアホのお尻がアッー!

アホアホが私人になっても忠誠を誓い続ける「王様の騎士たち(household knights)」がいます。美しい…。
王様の騎士たちは何度かアホアホ救出に挑戦。
政権安定のために王妃イザベラはアホアホを殺します。アホアホの肛門にアツアツの 火箸 を刺したってウワサあり。


+ アレコレ妨害ってなに?
English claims to the French throne
Edward responded to the confiscation of Aquitaine by challenging Philip's right to the French throne
国家 主権国家体制


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14世紀のヨーロッパ

フランスがイングランドの「俺がフランス王だ!」を妨害

イングランド王エドワード3世の母親は⑥フランス王 シャルル4世 の妹 イザベラ です。死亡した⑥には跡取りの息子ナシ。
フランスは 王位継承法(サリカ法典) で「王位継承は男性のみ」なの。
法律的に正当な王位継承者の王エドワード3世は「⑥に一番近い男性血族の俺がフランス王だ!」と主張します。

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Jean Froissart 著「 Froissart's Chronicles 」(15世紀)

フランスの貴族たちは「イングランド人がフランスの王様」に大反対。緊急会議で「女系の王位継承はダメ」と決定します。
ってことで、遠い男系男性血族の⑦王フィリップ6世が即位。
王エドワード3世は「これ以上ごねると領地 ギュイエンヌ を没収さちゃうかも?」としぶしぶ⑦に忠誠を誓います。

フランスがイングランドのスコットランド侵攻を妨害

イングランドはスコットランドをゲトしようとガンガン侵攻中です(1332–1357年: 第二次スコットランド独立戦争 )。
操り人形 エドワード・ベイリャル をスコットランド王にして南部諸州をゲト。
その後もガンガン侵攻。正当な王様のスコットランド王 デイヴィッド2世 はフランスへ亡命します。

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William Hole 画「Heroes from Scotland's history」(1898年: スコットランド国立肖像画美術館

フランスはスコットランドと「もしイングランドがスコットランドに侵攻したら助けるね♥」と約束してます(古い同盟)。
ってことで、追い出された王デイヴィッド2世を歓迎。
フランス海軍を ノルマンディー (イギリス海峡)に配置してイングランドへプレッシャーを掛けます。

フランスがイングランドの主権を妨害

ギュイエンヌも フランドル ネーデルラント の1つ)もフランス配下の領地です。臣下が楯突いたら領地を没収できるの。
フランスは封建制度を大いに利用してギュイエンヌやフランドルに干渉。
王様と臣下の関係ならオケだけど王様と王様の関係だと「イングランドへの内政干渉」になります。封建制度の矛盾ね。

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カエル野郎ウザイ!

イングランド王エドワード3世はギュイエンヌからワインを輸入、フランドルへ 羊毛を輸出 する課税で儲かってます。
だからフランスの干渉にイライラ。
カエル野郎ウザイ!ってことで、ネーデルラント諸国と反フランス連合(the anti-French coalition)を結びます。
wikipedia

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14世紀のフランドル

ちなみに14世紀のフランドルは スヘルデ川 を境に「西側:Royal Flanders」「東側: Imperial Flanders 」に分かれてます。
Royal Flandersはフランス配下の独立領地(1305年: Treaty of Athis-sur-Orge )。
Imperial Flandersは 神聖ローマ帝国 の配下(調べてませーん)。
なんやかんやでF&B時代はスペイン配下です(1556年:スペイン王フェリペ2世が父親から ブルゴーニュ公爵 を相続)。

フランス寄りのフランドルは反フランス連合の参加に消極的。イングランドは羊毛の輸出をストップして圧力を掛けます。
輸出のストップでフランドルの羊毛手工業もストップ。
羊毛手工業者の反乱でフランドルは中立( Four Members )を選びます。なんやかんやで1340年反フランス連合に参加。

よろしい、ならば戦争だ

フランス貴族ボーモン・ル・ロジェ伯 ロベール3世・ダルトワ は⑦フランス王フィリップ6世の側近でした。
領地 アルトワ を継承するために書類を偽造して有罪。
王エドワード3世はなんやかんやでイングランドに亡命したロベール3世を歓迎。フランス法廷の詳細な情報をゲトします。

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左側:作者不明「Procès de Robert d'Artois à Amiens, le 9 juin 1329, en présence du roi de France Philippe VI de Valois」
右側:作者不明「Edouard III et Robert III d'Artois」(15世紀)

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(1337年: キャドザントの戦い



たったの1週間でカレーが陥落しちゃいました♥(1558年:カレー包囲戦)


カレー包囲戦はフランス王 アンリ2世 とスペイン王 カルロス1世 のイタリアを巡る イタリア戦争 (1551–1559年)の1つです。
スペイン王フェリペ2世(皇太子)と結婚したイングランド女王メアリー1世もフランスへ宣戦布告♥
イングランド領カレーはフランスにとっての「致命的な弱点」。ってことで、フランスのギーズ公 フランソワ に奪還されちゃいます。
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作者不明「Capture of Calais from the English in 1558 by Francis de Lorraine , Duke of Guise」(16世紀)

1551年 8月15日 オスマン帝国が マルタ騎士団 トリポリ 要塞を征服
※フランスは地中海を支配するハップスブルグ家を牽制するために オスマン帝国と協力
トリポリ包囲戦
1553年 7月 イングランド王エドワード6世が死亡。女王メアリー1世が即位
1554年 7月25日 イングランド女王メアリー1世がスペイン王フェリペ2世(皇太子)と結婚
1556年 1月16日 スペイン王カルロス1世が退位。王フェリペ2世が即位
2月5日 スペインとフランスが「イタリア戦争の休戦」を締結。でもすぐに再戦 ヴォーセル休戦条約
(Treaty of Vaucelles)
1557年 3-7月 スペイン王フェリペ2世がイングランドに滞在♥
6月 イングランドがフランスへ宣戦布告♥
スペインとフランスが破産宣言
1558年 1月1日 ギーズ公フランソワが サンガット とFréthun Niellesへ出陣 カレー包囲戦
1月3日 ギーズ公フランソワが大砲を Fort Risban へ移動してガガガガガっと侵攻
1月7日 イングランド領カレー副官のウェントワース男爵トマス・ウェントワースが降伏
1月23日 フランス王アンリ2世がカレーへ入城
11月17日 イングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位
1559年 4月2日 イングランドとフランスが「イングランド領カレーの取り扱い」を締結 カトー・カンブレジ条約
4月3日 スペインとフランスが「イタリア戦争の講和」を締結
5月8日 イングランドが英国国教会に逆戻り 国王至上法
6月22日 スペイン王フェリペ2世とエリザベート・ド・ヴァロワ(王アンリ2世の娘)が結婚
7月10日 フランス王アンリ2世が死亡。 王フランソワ2世 が即位

+ イングランドもフランスへ宣戦布告♥
イングランドは女王 メアリー1世 とスペイン王 フェリペ2世 (皇太子)の結婚で「 女王メアリー1世の結婚法 」を制定します。
2国間の契約って感じ。
なんやかんやで「イングランドを王フェリペ2世の好き勝手にさせないぜ!」の内容です。
  • イングランドはスペインの同盟(union)になるがスペインの衛星国(satellite)にはならない
  • 女王メアリー1世の領地は王フェリペ2世が共同統治する。ただし女王メアリー1世と結婚(=生きてる)してる間だけオケ。
  • 公文書は2人で連名、議会は2人で召集すること。
イングランドはスペインのどんな戦争にもイングランド軍を提供する気ナシ。とーぜんイタリア戦争も参戦する気ナシです。
でも女王メアリー1世の心はユラユラ。
政治家達は「イングランドは財政難と食糧難だし、フランスとの貿易に支障が出るし、そもそも違法じゃん!」と大反対します。

愛の宣戦布告♥

結婚したスペイン王フェリペ2世(皇太子)はその後スペイン王に即位してスペインへ帰ります。別居生活の夫婦。
そんな寂しい日々に愛する夫がイングランドに来た♥
女王メアリー1世は王フェリペ2世から「イングランドもイタリア戦争に参戦してくれないかな?」と説得されちゃいます。

愛する夫の頼み♥ ってことで、女王メアリー1世は政治家達の大反対を押し切ってフランスに宣戦布告します。
頭に来たフランスがカレーを襲撃。
イングランドは「宣戦布告しただけ」だけどイングランド領カレーを失っちゃいました。完全に女王メアリー1世の失策。

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左側:女王メアリー1世と王フェリペ2世の6ペンス銀貨(1557年:イングランド)
右側:女王メアリー1世の 紋章 (1554-1558年):イングランド( ライオン とか)とスペイン(とか)の 合作

名声を損なった女王メアリー1世は名誉挽回する機会もなくその直後に死亡。女王エリザベス1世が即位します。
ちなみに女王メアリー1世のモットーは「VERITAS TEMPORIS FILIA:真実は時の娘」。
意味は「真実は、今日は隠されているかもしれないが、時間の経過によって明らかにされる(明らかになる)」だそうです。


+ なんでたったの1週間で陥落しちゃったの?
カレー包囲戦はイングランド軍2,500人、フランス軍27,000人。ギーズ公フランソワの完全勝利で終わります。
ちなみにフランスの戦利品は3ヶ月分の食料と銃300丁。
イングランド領カレー副官 トマス・ウェントワース 曰く「要塞の防御力の低さを イングランドの枢密院 は無視した」そうです。

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ガガガガガっと侵攻するフランス軍

イングランド領カレー副官トマス・ウェントワースはロンドン塔へ

トマス・ウェントワースは最後の イングランド領カレー副官 です。イングランド領カレーを失っちゃったんだもんね。
フランスで捕虜になった1年後イングランドに帰国。
なんと! 外患罪 (フランスと共謀してカレーを渡した)の嫌疑で ロンドン塔 へ収監されたけど無罪放免になります。

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William Hogarth画「 The Gate of Calais 」(1748年)

こちらは1748年カレーを訪れた画家 William Hogarth がスパイ容疑で逮捕された経験をもとに描いた風刺画です。
カレーにはイングランド領カレーの建造物がいっぱい残ってたの。
まだイングランドの武器を装飾してる港や橋をスケッチしてスパイと誤解されました。この武器ってカレー包囲戦のヤツ?



カレーをフランスへ売却(1559年:カトー・カンブレジ条約)


イタリア戦争中のスペインとフランスは相次いで 破産宣言 します。それに ユグノー もウザくなってきた…戦争してる場合じゃない。
ってことで、仲直りして戦争終了(カトー・カンブレジ条約)。
イングランド領カレーは「イングランドがフランスへ売却。これからはフランス領カレー」ってコトになります。
wikipedia

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Giorgio Di Giovanni (1500-1559)画「the Peace of Cateau-Cambresis between Henry II and Philip II」(16世紀)

+ カトー・カンブレジ条約で「これからはフランス領カレー」
カトー・カンブレジ条約でフランスは「イタリアの権利を放棄」してカレー、 サルッツォ Three Bishoprics …をゲトします。
スペインはイタリアをゲト♥
これで60年間続いたスペインとフランスのイタリアを巡る イタリア戦争 (1494–1559年)が終了します。
wikipedia

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1560年頃のヨーロッパ

イタリアの ミラノ公国 ナポリ王国 シチリア サルデーニャ プレシディ領 はスペインの統治下になります。
北イタリアはスペインの間接的な統治下。
唯一独立してるのは サヴォイア公国 ヴェネツィア共和国 だけ。18世紀前半までイタリアはスペインの影響下に入ります。

イングランド領カレーの売却

イングランドとフランスもカトー・カンブレジ条約で「イングランド領カレーの扱い」を締結してます。
イングランド領カレーは「イングランドが失う」じゃなく「イングランドがフランスへ売る」って感じで手打ち。
  • イングランド領カレーの当座の領有権はフランスとする。
  • ただしフランスは8年以内にイングランドへ50万クラウン払ってカレーを買い取ること。
交渉は互いの全権大使の間でサクサク決まったそうです。なんかフランスはカレー包囲戦に勝ったのに弱気っぽくない?
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William Robert Shepherd画「Europe about 1560 」(1923年:The Historical Atlas)

ちなみにカトー・カンブレジ条約のちょっと前にイングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位してます。
女王エリザベス1世は英国国教会を復活。
ってことで、もうイングランドとスペインは女王メアリー1世の頃のようなラブラブ同盟国じゃなくなっちゃいます。


+ カトー・カンブレジ条約で「スペイン王フェリペ2世が再婚」
スペイン王フェリペ2世は②イングランド女王メアリー1世が死亡すると女王エリザベス1世に「結婚しない?」と持ちかけます。
イングランドとの同盟をこのまま継続したかったの。
でも結婚は叶わず。ってことで、③ エリザベート・ド・ヴァロワ (フランス王アンリ2世の娘)と再婚します。
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Pompeo Leoni 画「Cenotaph for Philip II of Spain and his family」(16世紀:エル・エスコリアル宮殿)

こちらは エル・エスコリアル宮殿 の大聖堂(たぶん主祭壇の右手にある壁の上部)に飾られてる銅像です。
②女王メアリー1世がいない…。
理由は分からなかったけど政治的な意味合い?ちなみに②女王メアリー1世はエル・エスコリアル宮殿に住んだことないです。

フランス王アンリ2世が死亡。王フランソワ2世(スコットランド女王 メアリー・ステュアート の夫)が即位

王フェリペ2世と③エリザベートの結婚はカトー・カンブレジ条約で決まった「2国の絆をより強固に!」の結婚です。
フランス王アンリ2世はカトー・カンブレジ条約と結婚を讃えて祝宴を開催。
祝宴の 馬上槍試合 で目を負傷して 敗血症 で死亡。幼く病弱な 王フランソワ2世 が即位します。

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左側:作者不明「Tournament between Henry II and Lorges」(16世紀)
右側:作者不明「Catherine de Médicis et de ses enfants」(1561年頃)

ギーズ公 フランソワ は幼く病弱な王様をサポート。王アンリ2世と同じく ユグノー (プロテスタント)を冷遇します。
ユグノーは「王様を誘拐して俺達がサポートするぜ!」を計画( アンボワーズの陰謀 )。
計画は失敗してカトリックvsユグノーの対立がどんどん悪化。泥沼な ユグノー戦争 (1562–1598年)へ発展します。



ユグノー戦争の混乱に乗じてカレーの奪還計画(1563年:ル・アーヴル包囲戦)


フランスは ヴァシーの虐殺 をキッカケにカトリックvsユグノーの泥沼な ユグノー戦争 (1562–1598年)が始まります。
イングランドはユグノーと協力(ハンプトン・コート条約)。
でもユグノーにあっさり裏切られて「カレーの奪還」を失敗します。永遠にさよならイングランド領カレー(ル・アーヴル包囲戦)。

1558年 11月17日 イングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位
1559年 5月8日 イングランドが英国国教会に逆戻り 国王至上法
1560年 12月5日 フランス王フランソワ2世が死亡。王シャルル9世が即位
1562年 3月1日 フランスがユグノーを虐殺 ヴァシーの虐殺 第1次ユグノー戦争
5月8日 ユグノーがル・アーヴルからカトリックを追放
9月22日 イングランドとユグノーが「お互い協力して打倒フランス」を締結 ハンプトン・コート条約
10月4日 イングランドがル・アーヴルを占拠
1563年 2月18日 フランスのギーズ公フランソワが暗殺 オルレアン包囲戦
3月19日 フランスとユグノーが仲直り アンボワーズ勅令
5月22日 ユグノー軍がフランス軍と一緒にイングランドを攻撃 ル・アーヴル包囲戦
(Siege of Le Havre 1563)
7月28日 イングランドが降伏
1564年 4月11日 イングランドがル・アーヴルを放棄 トロワ条約
(Treaty of Troyes 1564)
1567年 9月29日 ミチェラード事件 第2次ユグノー戦争

+ ハンプトン・コート条約で「ユグノー戦争の混乱に乗じてカレーの奪還計画」
即位した女王エリザベス1世はイングランドを英国国教会に戻します。英国国教会はカトリック教会(フランスとスペイン)の敵。
ってことで、カトリック教会の敵ユグノーと協力(ハンプトン・コート条約)。
イングランドは「ユグノーに資金を提供」、ユグノーは「イングランドに ル・アーヴル ディエップ を提供」を約束します。

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William Robert Shepherd画「Europe about 1560 」(1923年:The Historical Atlas)

イングランドは事前にユグノーがカトリックを追い出したル・アーヴルを占拠します。もしフランスが抗議してきたら
「イングランド軍を引っ込める代わりに私のカレーを返せ」と交渉する目論見♥
でも何故かユグノー軍がフランス軍と一緒にイングランド軍を攻撃。イングランド軍は降伏します(ル・アーヴル包囲戦)。

えっ!なんでユグノーはイングランドを裏切っちゃったの?

泥沼なユグノー戦争は ルーアン包囲戦 ドルーの戦い 、…、 オルレアン包囲戦 でギーズ公フランソワも暗殺されます。
おまけにル・アーヴルまでイングランドが占拠。
フランス王 シャルル9世 は「このままじゃヤバイ!」とカトリックvsユグノーを仲直りさせます(アンボワーズ勅令)。

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Jacques Tortorel画「Peace of Amboise, 13 March 1563」(1570年)

アンボワーズ勅令でユグノーは「お家の中、 baillage sénéchaussée の郊外での自由」を保証されます。
もうイングランドは不要ね。
ってことで、ユグノー軍がフランス軍と一緒に邪魔なイングランド軍を攻撃。イングランドはフランスから追い出されます。


+ トロワ条約で「永遠にさよならイングランド領カレー」
イングランドとフランスは「フランスがル・アーヴルの全権と引き替えに12万クラウン支払う」で手を打ちます(トロワ条約)。
カレーへの明言はナシ。
でもフランスは「ル・アーヴルの全権を放棄したイングランドはカレーに対する全権も失った」と解釈してます。

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Jacques de Vaulx画「Plan du Havre」(1583年)

さよならしてもカレーは「私のカレー」

イングランド女王エリザベス1世はカレーにさよならしても「フランス女王」を名乗ります。女王エリザベス1世の正式称号は
By the Grace of God, Queen of England, France and Ireland, Defender of the Faith, etc.
神の恩寵によるイングランド、フランスおよびアイルランド女王、信仰の擁護者、その他
だから「私のカレー」なの。紋章にも フランスの紋章 フルール・ド・リス )をどーんとご使用してます。
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左側:イングランド女王エリザベス1世の紋章(使用期間:1558-1603年)
右側:グレートブリテン王ジョージ3世の紋章(使用期間:1714-1801年)

残念ながらカレーがイギリスに戻ることは二度とナシ。でもその後の王様達もずーっと「フランス王」を名乗ります。
最後の「見せかけのフランス王」はグレートブリテン王 ジョージ3世
1801年 グレートブリテン王国 グレートブリテン及びアイルランド連合王国 になったのを機会に止めます。



ユグノー戦争でスペインもカレーをゲトしちゃいました♥(1596年:カレー包囲戦)


スペインはイングランドと 英西戦争 (1585–1604年)、ネーデルラントと 八十年戦争 (1568–1648年)してます。
ついでにフランスの宣戦布告で 仏西戦争 もスタート(1595–98年)。
ってことで、スペインは「重要な軍事拠点」のカレーを占拠します(カレー包囲戦)。2年後フランスへ返却(ヴェルヴァン条約)。
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1588年 7-8月 スペインとイングランドとネーデルランが アルマダ海戦 英西戦争
八十年戦争
12月23日 フランス王 アンリ3世 がギーズ公 アンリ1世 (カトリック同盟)を暗殺 三アンリの戦い 第8次ユグノー戦争
1589年 8月2日 カトリック同盟が王アンリ3世を暗殺。王アンリ4世(ユグノー)が即位
1593年 7月25日 フランス王アンリ4世がカトリックに改宗
1594年 2月27日 王アンリ4世が 戴冠式
3月22日 王アンリ4世がパリへ入城
1595年 1月 フランス王アンリ4世がスペインに宣戦布告 最終ユグノー戦争
(仏西戦争)
9月17日 ローマ教皇がフランス王アンリ4世の破門を解除
1596年 3月29日 スペイン領ネーデルラント総督 アルブレヒト ブリュッセル を出発 カレー包囲戦
3月下旬 総督アルブレヒトが ヴァランシエンヌ フランドル軍 と合流
4月8日 総督アルブレヒトがカレーに到着
4月24日 総督アルブレヒトがカレーを占拠
5月23日 フランスが降伏
イングランドとフランスが「対スペインで協力」を締結 三国同盟
10月31日 ネーデルラントも「対スペインで協力」に参加
1598年 5月2日 スペインとフランスが「仏西戦争の講和」を締結 ヴェルヴァン条約
9月13日 スペイン王フェリペ2世が死亡。王フェリペ3世が即位
1604年 8月28日 スペインとイングランドが「英西戦争の講和」を締結 ロンドン条約 英西戦争
1609年 4月9日 スペインとネーデルラントが「八十年戦争の講和」を締結 12年休戦 八十年戦争

+ なんでフランス王アンリ4世はスペインに宣戦布告したの?(仏西戦争)
ユグノー戦争でフランスはバラバラ。即位したフランス王 アンリ4世 は「このままじゃヤバイ!戦争を終わらるぜ!」と考えます。
でも カトリック同盟 もスペイン(カトリック同盟を支援)も非協力的。
カトリックはユグノーの王アンリ4世を拒否してるの。ってことで、王アンリ4世は邪魔なスペインに宣戦布告します。
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フランスの宗教分布
左側:Les guerres de Religion(1562-1577年):1559年の王アンリ2世の領土
右側:Les guerres de Religion(1578-1598年):1585年の王アンリ4世の占拠地

中途半端な王様のフランス王アンリ4世

カトリック同盟が王アンリ3世を暗殺。王アンリ4世(ユグノーの盟主: ナバラ国王 の王様)が即位します。
死の床で王アンリ3世は「王政術の名においてカトリックへ改宗して下さい。もし拒むなら残忍な戦争は続きます」と懇願。
「ユグノーの王様にカトリックのフランスは束ねられない」と考えたの。でも王アンリ4世は改宗しません。

三アンリの戦い(灰色:F&B時代以外)

ってことで、カトリックもカトリック同盟もユグノーの王様を拒否。ローマ教皇もユグノーの王様を 破門 します。
王アンリ4世は 王位継承法(サリカ法典) に則った正式な王様。
でも 即位式 塗油 で神授王権を授かる儀式)も受けられない中途半端な王様です。

王位継承の混乱に乗じてスペイン王フェリペ2世「中途半端なら俺がフランス王をやりましょう♥」

王フェリペ2世と結婚した③ エリザベート (王アンリ3世の姉)は自分の権利(Claims to a crown)を全て夫に譲ってます。
夫婦の娘 イサベル・クララ・エウヘニア も誕生。
ってことで、王フェリペ2世は「中途半端なら娘イサベルに代って俺がフランス王をやりましょう♥」と主張します。
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フランスは王位継承法(サリカ法典)で「 親族継承 を禁止」してるから王フェリペ2世の主張を却下します。
でも パリ高等法院 は「娘イサベルの王位継承権はオケ」と判決。
パリ高等法院はカトリック支持なの。そんなこんなでユグノーのフランス王アンリ4世はカトリックへの改宗を決心します。

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Frans Pourbus the Younger 画「Portraits of Archduke Albrecht and Archduchess Isabella」(17世紀)

ちなみに娘イサベル・クララ・エウヘニアは1599年スペイン領ネーデルラント総督 アルブレヒト と結婚します。
夫婦で スペイン領ネーデルラント を統治。
反スペインの 南部ネーデルラント と仲直りして「スペイン領ネーデルラント黄金時代」を築きます(1609年: 12年休戦 )。

王アンリ4世「カトリックへ改宗したぜ♥ スペインへ宣戦布告するぜ♥」

「ユグノーの王様にカトリックのフランスは束ねられない」と悟った王アンリ4世はカトリックへ改宗。即位式を受けます。
「改宗」でカトリックは王様に服従。でもカトリック同盟は引き続き王様を拒否。
ちなみに正式な即位式の ノートルダム大聖堂 はカトリック同盟が占拠中だったので シャルトル大聖堂 でやってます。

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作者不明「Consecration and Coronation of Henri IV at Chartres Cathedral」(16世紀後半)

やっと王アンリ4世は「パリへ入城=王様を拒否してたパリ(フランスの首都)の降伏」を果たします。
「パリへ入城」で多くの街は王様に服従。ローマ教皇も王様の破門を解除。
王アンリ4世は服従を拒否したカトリック同盟120人をパリから追放。一緒にスペイン兵も追放されたっぽいです。

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作者不明「Départ des Espagnols de Paris par la porte Saint-Denis le 22 mars 1594」(16世紀)

ユグノーは「王アンリ4世のカトリックへの妥協」に不満。弱体化したカトリック同盟もスペインの支援で生き延びてます。
なんとしてもユグノー戦争を終わらるぜ!
ってことで、王アンリ4世はカトリックとユグノーへ意思表明してスペインへ宣戦布告します。
  • カトリックへは「スペインが宗教を口実にフランスを乗っ取ろうとしてる」
  • ユグノーへは「俺はスペインの操り人形でカトリックへ改宗したんじゃない」
カトリックとユグノーの共通の敵スペイン!を大義名分にフランスを一致団結するって感じなのかしら?


+ カレーをゲトしちゃいました♥(1596年:カレー包囲戦)
スペインは王アンリ4世の宣戦布告でイングランド、ネーデルラント、フランスを相手に戦うことになります。きゃー!大変!
ってことで、「重要な軍事拠点」のカレーを占拠(カレー包囲戦)。
カレーを占拠するとスペインが イングランド海峡 をコントロールできるの。イングランドやネーデルラントの介入を邪魔できます。
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Iodoco Hondio画「Nova Europae descriptio」(1596年)

ちなみに宣戦布告した王アンリ4世はカトリック同盟(スペインが支援)が占拠する北フランスをガンガン攻めてます。
アッチコッチを取ったり取られたり。
王アンリ4世がカトリック同盟の街 ラ・フェール を攻撃中(Siege of La Fère)にスペインは手薄なカレーを攻めます。

スペイン領ネーデルラント総督アルブレヒト(スペイン)が フェイント攻撃 で手薄なカレーを占拠♥

カレーにはユグノー軍とイングランド傭兵(イングランドの支援)のフランス混成軍7,000人が駐屯中です。
総督 アルブレヒト が率いるスペイン軍12,000人はカトリック同盟の応援にラ・フェールへ…っと見せかけてカレーへ侵攻。
ラ・フェールを攻撃中の王アンリ4世は援軍を送る余裕ナシ。ってことで、カレーをホイホイ占拠しちゃいます。

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Frans Pourbus the Younger 画「Portraits of Archduke Albrecht and Archduchess Isabella」(17世紀)

余裕ナシの王アンリ4世は女王エリザベス1世にカレーへの援軍を頼みました。でも女王エリザベス1世のお返事は
「イングランドの援軍が欲しいなら代わりに私のカレーを返せ」
なんやかんやで最終的にアホアホのエセックス伯 ロバート・デヴァルー が率いるイングランド軍6,000人をカレーへ送ったけど全ては後手後手でした。悠長に駆け引きしてる場合じゃなかったの。

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作者不明「Siege the city of Calais 1596」(1613年頃)

スペインのカレー侵攻の知らせを聞いたネーデルラント総督オラニエ公 マウリッツ も援軍を準備しました。
でも準備の初日にカレーが陥落。
その後、海から船で突入した王アンリ4世もスペイン砲兵隊に撃破されます。有能な総督アルブレヒトは準備万端だったの。

そういえばアルマダ海戦(1588年)のとき有能な総督アルブレヒトは何してたの?

アルブレヒトは神聖ローマ皇帝 マクシミリアン2世 (王フェリペ2世の叔父)の5番目の息子です。11歳でスペイン宮廷へ。
王フェリペ2世はアルブレヒトをトレド大司教にしようと計画。
でもトレド大司教 Gaspar de Quiroga y Vela が予想以上に長生きで計画変更。1583年初代 ポルトガル副王 に任命します。

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1580年 スペインはポルトガルを併合 (1580年: Battle of Alcântara

アルブレヒトはポルトガル副王としてアルマダ海戦(無敵艦隊はリスボンから出航)に参加してます。
無敵艦隊の準備に係わりながらスペイン軍の「問題」を学んだっぽい。
アルマダ海戦の スペイン領ネーデルラント総督 はパルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ (王フェリペ2世の親戚)です。

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Vicente Urrabieta 画「Reunida en Lisboa - la soberba Armada española que se llamó invencible, salle de aquel puerto contra Inglaterra, a mando del Duque de Medinasidonia, á fines de mayo de 1588」(1850年頃)

1596年2月11日アルブレヒトはスペイン領ネーデルラント総督に就任すると速攻でカレーをゲトします(カレー包囲戦)。
カレーをゲトすると速攻で帰国。
7月次のターゲット フルスト (ネーデルラント)をゲト( フルスト包囲戦 )。王アンリ4世は後日こう語ってます。

There are three things that seem unbelievable and yet are equally true: that Queen Elizabeth is a virgin, that I am a good catholic and that Albert can be called a capable general.
信じがたい真実が3つあります。1つは女王エリザベスが処女であること。もう1つは私が良きカトリック教徒であること。そしてアルブレヒトが有能な将軍であること。
~Luc Duerloo著「Dynasty and Piety:Archduke Albert (1598-1621) and Habsburg Political Culture in an Age of Religious Wars」さんより~


+ ヴェルヴァン条約で「カレーをフランスへ返しましょう」
イングランド、ネーデルラント、フランスは「カレーをスペインに取られちゃった!ヤバイ!」と手を結びます(三国同盟 )。
と同時にお互いナイショで「スペインと仲直り♥」を模索。
最初に仲直りしたのはフランス。「ネーデルラントを助けない」を条件にスペインはカレーを放棄します( ヴェルヴァン条約 )。
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Bernardino Poccetti ?画「Peace of Vervins 1598」(1600年)

フランスが「スペインと仲直り♥」できたのはフランスがカトリックの国だったからです。
在仏スペイン大使曰く「スペイン王フェリペ2世はカトリックの国じゃないイングランドやネーデルラントと仲直りする気ナシ」。
仲直りしたフランスに三国同盟はもう不要。ってことで、三国同盟は短い活動で解散しちゃいます。

スペインをビビらせるぜ!の「三国同盟」

スペインに侵攻され続けてるフランスとネーデルラントは前から「俺たち同盟しない?」と考えてました。
うーん、2国だけじゃ心許ないからイングランドも誘っちゃう?
イングランドがいれば 神聖ローマ帝国 のプロテスタントも参加するかも。でも女王エリザベス1世は同盟に興味ナシでした。
  • フランスはたまに手を結ぶときもあるけど所詮は永遠の敵。大国になるとイングランドの脅威になって困っちゃう。
  • ネーデルラントの海軍はけっこう強い。これ以上強くなるとイングランドの競争相手になって困っちゃう。(17世紀になると 大英帝国 オランダ海上帝国 は競争相手になります)
ところがスペインがカレーを占拠して状況は一変(カレー包囲戦)。「私のカレー」なんて言ってる場合じゃないです。
ヤバイ!目の前にスペインが居座った!
スペインに占拠されるくらいならフランスが支配してる方がまだマシ。ってことで、三国同盟への参加を考えます。

王アンリ4世は女王エリザベス1世に「俺たちスペインと戦う?仲直りする?」の選択を託します。
貴女にはフランスと一緒にスペインと戦う道がある。もし一緒に戦わないならフランスは「スペインと仲直り♥」の道を選ぶ。フランスだけが「スペインと仲直り♥」したら、スペインの余った戦力は貴女へ向かうでしょう。

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左側:England France United Provinces Triple Alliance Medal(1596年:イングランド)
右側:ネーデルラント(1596-1598年)

三国同盟は先ず「スペインと仲直り♥」が目的のイングランドとフランスだけで調印されます。「公式の条約」は
  • お互いナイショで「スペインと仲直り♥」しない。
  • イングランドはフランスへスペインと戦う兵4,000人を送る。その費用はフランスが負担する。
でも実際の「非公式の条約」は
  • イングランドはフランスへ兵2,000人だけ配置する。配置する場所はイングランドが勝手に決める。
「公式の条約」は他国に三国同盟への参加を促すエサです。参加国が多ければ多いほどスペインはビビるもんね。
最初に食い付いたのはネーデルラント。
「スペインから独立♥」が目的のネーデルラントはこの条項(↓)の追加お願いしたけどとーぜん却下されます。
  • イングランドとフランスはネーデルラントの同意ナシに「スペインと仲直り♥」しない。
こんな条項を追加したら「スペインと仲直り♥」どころか「スペインと全面戦争♥」になっちゃうもんね。
大人の世界だなあ。
大人ついでに ネーデルラント はイングランドとフランスから世界で初めて独立国家と認められます。おめでとー!

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三十年戦争 後の神聖ローマ帝国の宗教分布(1648年)

三国同盟は デンマーク=ノルウェー 、イタリア、 スコットランド 、神聖ローマ帝国のプロテスタント…にも声を掛けます。
でも皆さん反応ナシ。
神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世 (王フェリペ2世の親戚)が「スペインと仲直り♥」の調整役を買って出たけど「あいつはスペインの仲間だ」としか思えずスルーします。

「三国同盟」を利用しながら「スペインと仲直り♥」

フランスは三国同盟に調印した直後からイングランドとネーデルラントにナイショで「スペインと仲直り♥」を模索します。
模索しつつ兵を出し合ってスペインを撃退(1597年: アミアン包囲戦 とか)。
なんやかんやで「ネーデルラントを助けない」を条件に「スペインと仲直り♥」に成功します(ヴェルヴァン条約)。おめでとー!

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作者不明「 サマセット・ハウス会議 」(1604年)

フランスの模索を察知したイングランドもナイショで「スペインと仲直り♥」を模索します。
模索しつつ艦隊を出し合ってスペインを撃退(1596年: Capture of Cadiz とか)、 イングランド海峡 北海 の監視を強化、海軍を強くするためにネーデルラント海軍の元帥 Johan van Duvenvoorde から戦艦建造を伝授、…。
女王エリザベス1世は三国同盟を大いに利用しながら協力はなるべく回避。
なんやかんやで「ネーデルラントを助けない」を条件に「スペインと仲直り♥」に成功します(ロンドン条約)。おめでとー!




最終更新:2017年04月19日 16:43