イギリス海軍をお手本にした日本海軍


鎖国の日本(江戸:1603–1868年、明治:1868–1912年)は、アメリカからやって来た ペリーの黒船 で1854年世界デビュー。
世界は弱肉強食な 帝国主義 の時代でございます。
こりゃヤバイ!富国強兵だ!っと、イギリス海軍をお手本に 大日本帝国海軍 (1872- GHQ 指令第一号:1945年)を設立。
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大日本帝国海軍の軍服 (士官:時代不明、兵学校生:1939年頃)

日本海軍がお手本にイギリス海軍を選んだのは、世界の海を制する最強海軍だったからだそうです。
頑張ったのが初代海軍卿 勝海舟
ちなみに 大日本帝国陸軍 (1871–1945年)のお手本はフランス陸軍。その後 普仏戦争 (1870–1871年)に勝利したドイツ陸軍に変更。


この頃の日本を一言で言うと「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている(司馬遼太郎著「 坂の上の雲 」より)」です。
イギリスは日本の開化に貢献。
この小説の日本海軍は、ストイックでめちゃくちゃカッコイイですわよ♥

+ ユーモアを解せざる者は海軍軍人の資格なし

+ みんなで一緒にお勉強の「観戦武官」

+ 船の中では片手でご飯?

+ 軍艦はお名前が綺麗

+ 軍艦旗

+ まったく個人的な意見だけど、アロンソは髭剃って欲しいの


イギリス海軍をお手本にした海軍士官学校


世界デビューした日本はオランダ海軍、その後イギリス海軍をお手本に士官を養成する海軍兵学校も設立。
最初がオランダなのは、鎖国の日本が唯一交易してた国だから。右往左往してるは、 明治維新 で日本がバタバタしてるからです。
受験生は16~19歳。海軍兵学校に入学するための海軍予備校も誕生。

江田島兵学校(1942年頃じゃないかと)

お手本 海軍士官学校
オランダ 長崎海軍伝習所
(1855-財政難:1859年)
オランダ商館長 ヤン・ドンケル・クルティウス (滞日:1852-1860年)の勧めで設立。
オランダ海軍から先生を ご招待 。練習艦 観光丸 も頂いてます。
築地軍艦操練所
(1857-海軍所:1866年)
先生は長崎海軍伝習所の卒業生 勝海舟 や漂流した ジョン万次郎 など。
イギリス 海軍兵学校 築地軍艦操練所
(1869-1870年)
築地海軍兵学寮
(1870-1876年)
イギリス海軍から先生 ダグラス教官団 (滞日:1873-1875年)をご招待。
台湾出兵 (1874年)のアドバイザーもお願い。サッカーも教えてもらったらしい。
江田島海軍兵学校
(1876-1945年)
「一に海兵、二に陸士( 陸軍士官学校 )、三・四がなくて、五に東大」の超難関校。
卒業生の階級は 尉官
海軍大学校
(1888–1945年)
実務経験10年くらいの海軍士官(海軍兵学校の卒業生)から生徒を選抜。

+ 海軍兵学校のハンモックナンバー

+ 海軍三校


強くなって対等にならなくちゃの「富国強兵」


世界デビューした日本は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダと1858年 不平等な安政五カ国条約 を結びます。
その後もスペインとかアッチコッチが要求。
欧米列強に「イヤだ」とも言えず「強くなって対等にならなくちゃ」と決意。もし「イヤだ」と言ったら 兵庫開港要求事件 です。
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アジアを食べる欧米列強(20世紀はじめ頃)

条約を締結した日はこんな感じ。それぞれに有効期限があるようで、執行は前の条約が終了(たまに破棄)してからみたいです。
日本は欧米列強の親日度もチェックしながら、外交で条約改正を交渉。
最初に成功した日英通商航海条約は「日清戦争するぜ!」を後押ししてます。イギリスもロシアの南下政策を邪魔したかったの。
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和親条約と修好通商条約 通商航海条約 新・通商航海条約
日米 1854年3月31日 1858年7月29日 1894年11月22日 日清戦争
1894年7月25日

1895年11月30日
日露戦争
1904年2月8日

1905年9月5日
1911年2月21日
日英 1854年10月14日 1858年8月26日 1894年7月16日 1911年4月3日
日仏 1858年10月9日 1896年8月4日 1911年8月19日
日露 1855年2月7日 1858年8月19日 1895年6月8日 1907年7月23日
日蘭 1856年1月30日 1858年8月18日 1896年9月8日 1912年7月6日
●港を開港する
●外国人の犯罪を裁けない(領事裁判権)
●輸入関税率を決められない(関税自主権)
●各外国の待遇を平等に扱う(最恵国待遇)
●領事裁判権の撤廃
●関税自主権の一部回復
●日本と外国が対等の最恵国待遇
●外国人居留地の廃止(内地雑居)
●関税自主権の完全回復

+ 欧米列強ってなに?

+ 日本人は泣き寝入り「領事裁判権」


ロシアの南下政策が取り持った日本とイギリスのご縁


日本が世界デビューした頃のロシアは、南下政策でヨーロッパを征服中です。
皇帝は ファベルジェ・エッグ で有名な ニコライ2世 (在位:1894-1917年)の祖父 アレクサンドル2世 (在位:1855-1881年)。
アレクサンドル2世はアジアでも南下政策を開始。ってことで、宿敵イギリスは日本を使って阻止を目論みます。

地図(1914年:熊= ロシア帝国 、豚=

+ 南下政策ってなに?

+ 偶然生まれた日本とイギリスのご縁「日英和親条約」

+ ロシア「ぱんぱかぱーん!南下政策でシベリア鉄道も作りました♥」

日清戦争するぜ!の「日英通商航海条約」


Udo Keppler画「裏庭の復活祭」(1895年:オーストリア)


条約改正への道のり


この頃の 日本の仮想敵国 はロシア。日露戦争の後は1位ロシア、2位アメリカ、3位ドイツ、4位フランスだそうです。


作者不明「黒船来航」(たぶん横浜市の茶屋)
黒船来航 (1853年)
アメリカの黒船4隻が浦賀に来航。1隻は軍艦 プリマス
幕府は「みんな外異を見ちゃだめよ」禁令を発布。とーぜん民衆はスルー。
●アメリカの目論見
  近所で捕鯨するから港を使わせてね♥
開国(1854年)
アメリカと日米和親条約を結んで開国。日本の夜明けぜよ♥
欧米列強との 不平等条約 (1858年)
強くなって対等にならなくちゃ♥

ジョルジュ・ビゴー 画「日清戦争」
日清戦争 (1894–1895年)
韓国は権力闘争、鎖国派×開国派、親中派×親日派×親露派で混乱中。
怒った農民の 甲午農民戦争 で更に大混乱。
この大混乱をチャンス!と思った日本と中国が韓国を取り合うことに。
●日本の目論見
  韓国がロシアの植民地になると日本がヤバイ!韓国を親日にするわ♥
●中国の目論見
  韓国は中国の 子分 !日本にはあげないわよ♥
勝った日本は中国から 韓国独立 遼東半島 と台湾をゲト。
でも遼東半島は ロシア、フランス、ドイツの大反対 で放棄…ロシアがゲト。

ジョセフ・ケプラー 画「義和団の乱」
義和団の乱 (1899-1901年)
中国は欧米列強に連戦連敗。国民は「外国人>>>中国人」の待遇に不満MAX。
武装蜂起したのが義和団。外国人を追い出せー!と在外公館を襲撃。
中国も積年の恨みで欧米列強にヤケクソ宣戦布告。
●日本の目論見
  中国をギャフンと言わせて欧米列強に「極東の憲兵」と認めて貰うわ♥
●ロシアの目論見
  南下政策のチャンスだわ♥
負けた中国は欧米列強の半植民地に転落(中国分割)。もうボロボロ。
ロシアは 東三省 (満州のあたり)をゲト。日本ヤバイ!とってもヤバイ!

ジョルジュ・ビゴー画「日露戦争」
日英同盟 (1902-1923年)
ロシアが迷惑な日本とイギリスが同盟。
日露戦争 (1904-1905年)

日英博覧会(武器会社 ヴィッカース の展示場)
韓国併合 (1910-1965年)
日清戦争で中国から独立した韓国は、相変わらず混乱中で自立できない。
日本は「韓国ダメだ」と判断。1910年 日韓併合条約 で統治下に。
英(日英同盟)、米( 桂タフト協定 )、露( ポーツマス条約 )も承認済み。
1907年韓国の反対勢力が抗議( ハーグ密使事件 )したけど欧米列強スルー。
1909年ナショナリスト安重根が韓国統監 伊藤博文 を射殺。
欧米列強との条約改正(1911年)
強くなって対等になったわ♥
1910年ロンドンで 日英博覧会 を開催。
1912年北大西洋でイギリス客船 タイタニック号 が氷山にぶつかって沈没。

ルイ・グラッケン 画「終わらない軍拡ゲーム」
第一次世界大戦 (1914-1918年)
日本は日英同盟で参戦。ドイツから植民地の 中国山東省 と南洋諸島をゲト。
欧米列強はだんだん「日本のアジア進出」が商売の邪魔に…。
1922年 ワシントン海軍軍縮条約 で軍艦保有率を英5:米5:日3に決定。
ロシア革命 (1917年)
パンも満足に食べられない国民の不満爆発。テロやデモでロシア大混乱。
1917年皇帝 ニコライ2世 が退位。


色々ありがとうございましたの「日英同盟」


ロシアのアジア進出に困っていた日本とイギリスは日英同盟(1902-1923年)を結んでます。
日露戦争 (1904-1905年)では日本に資金援助とヨーロッパ情報を提供、日本にやって来る バルチック艦隊 の妨害とアレコレ援護。
1921年アメリカとフランスを追加した 四カ国条約 を結んで終了。
こちらは日英同盟の超ザックリ相関図。なんと!昼ドラも真っ青な利害関係でございます。大人の世界は複雑なんだねぇ。
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独: 三国同盟
独露再保障条約
露: 三国協商
露仏同盟
英仏協商 (1904年)
英露協商 (1907年)
英: 栄光ある孤立
・3B政策、3C政策
グレートゲーム
ボーア戦争
日: 下関条約
西・ローゼン協定
・龍岩浦事件(1903年)
日露協商
・日露協約(1907年)
米: 門戸開放政策


日本「えーん、お金がないよぉ」イギリス「よーし、まかせろ」


もうすぐ日露戦争の日本はお金が足りない。そして世の中には 外債 (外国に売る債券)という資金調達手段がありました。
でも世界の投資家は「日本は負けるから資金回収できないもーん」と判断。日本外債は超不人気。
そんな中で最初に£500万を引き受けてくれたのが ボーア戦争 でボロボロのイギリス。アメリカも£500万を引き受けてくれてます。

日本の外債はこんな感じ(1904年発行の見本らしい)

お金が足りないのは財政赤字のロシアも一緒。シベリア鉄道もフランスの 融資 (超お貧乏なソ連になって焦げ付いた模様)です。
ってことで、フランスとドイツに融資をお願い。
フランスとドイツは戦況が日本が有利になると「もしかして日本は負けないかも」と日本外債にも参加してます。

+ 戦争ってお金がいっぱい必要なのね

+ ご親切は無償の愛じゃない「アメリカの門戸開放政策」


日本「えーん、船がないよぉ」イギリス「よーし、まかせろ」


もうすぐ日露戦争の日本は船が足りない。そしてイタリアにはアルゼンチンがキャンセルした「リヴァダヴィア」がありました。
これを教えてくれたのがイギリス。同じく船が欲しかったロシアと競った末に日本が落札。
イタリアから日本に運ぶ時もイギリス海軍が護衛して、あわよくば撃沈しようとするロシアの邪魔してます。
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イタリア製の装甲巡洋艦 春日 (昔は「リヴァダヴィア」)

春日が煙出してるのは石炭で動くから。


日本「ロシアと戦うぞ」イギリス「日本が2国以上と戦うことになったら参戦するね」


フランス( 露仏同盟 )はロシアと仲良し。ドイツも儲かるならロシアに協力。中国( 露清密約 )もロシアからの一方的な仲良し。
でも「日本の背後にイギリスがいるしなぁ」ってことで日露戦争に参戦してません。
もし最初からイギリスが参戦する同盟だったら、この3国も自動的に参戦してたのかも。大人の世界は複雑なんだねぇ。

日英同盟の風刺画

日本にやって来るバルチック艦隊の燃料は石炭。イギリスは良質な石炭を持ってたけど、もっちろん売ってあげません。
フランスやドイツにも「イヤガラセしろ」と依頼して道中での石炭補給を邪魔。
味方になったら頼もしく、敵になったら恐ろしい国でございます。


+ モンテネグロ公国が日本に宣戦布告してた?


日本「どぞどぞ勲位菊花章頸飾」イギリス「どぞどぞガーター勲章」


日露戦争が終わった1906年、イギリスは明治天皇にガーター勲章を贈ってます。
イギリス王 エドワード7世 の名代コノート公 アーサー が来日して奉呈。これがイギリス王室で初めての日本公式訪問。
ちなみに日本もエドワード7世(1902年)とコノート公(1912年)に大勲位菊花章頸飾を贈ってます。
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ガーター勲章のローブを纏った大正天皇(1912年頃)

イギリスは日露戦争のお祝いに、イギリス海軍の英雄 ホレーショ・ネルソン提督 の遺髪も贈ってます。
江田島兵学校の遺髪室(非公開)に奉納。
ここには 東郷平八郎 (日露戦争は司令長官)や 山本五十六 (日露戦争は少尉候補生)の遺髪も奉納されてるそうです。
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