まだ調べ中で中途半端な内容です。今まで書いたアルマダ海戦コラムをこちらに移動してるのでUPしました。

+ ご使用上の注意


アルマダ海戦 ~ご協力♥ほみさん~


アルマダ海戦は1588年7月31日~8月8日( グレゴリオ暦 )スペインのイングランド侵攻戦争です。
イングランドの異端キリスト教 英国国教会 、ネーデルラントへの介入 ノンサッチ条約 、植民地への海賊行為 私掠船 などなどが要因。
結果はスペインの負け。それ以降も2国間の海戦は続きます。
wikipedia

スペイン無敵艦隊(映画「 Elizabeth:The Golden Age 」)

+ スペイン王フェリペ2世の命令書

+ 大昔から海戦してるスペインとイングラド

+ アルマダ海戦で終わりじゃない!まだまだ続くスペインとイングランドの海戦

+ やっとスペインとイングランドが仲直り。が、しかし…


F&Bの艦隊リスト(ネタバレ)


史実と同じだけど、ネタバレを含んでるので隠してます。
wikipedia

+ イングランド艦隊

+ スペイン艦隊


艦隊リスト


アルマダ海戦の戦力

イングランド艦隊のプリマスは対スペイン艦隊、ダウンズは対パルマ公です。
主力艦隊のマーティン・フロビッシャー戦隊とジョン・ホーキンス戦隊は、たぶん状況に応じて指揮権が与えられた模様。
ついでに皆さんの年齢も。

イングランド艦隊 船名 乗員(年齢)
プリマス 主力艦隊 旗艦 アーク・ロイヤル号 最高司令官 エフィンガム男爵チャールズ・ハワード 52歳
トライアンフ号 分艦隊司令官 マーティン・フロビッシャー 53-57歳
ビクトリー号 分艦隊司令官 ジョン・ホーキンス 56歳
ゴールデン・ライオン号 艦長 トマス・ハワード 27歳
ドレイク戦隊 旗艦 リヴェンジ号 副司令官 サー・フランシス・ドレイク 約48歳
ダウンズ 海峡戦隊 旗艦 レインボー号 指揮官 ヘンリー・シーモア
ヴァンガード号 指揮官 ウィリアム・ウィンター 約67歳
ネーデルラント ネーデルラント艦隊 ??? 指揮官 ユスティヌス・ファン・ナッサ 29歳

スペイン艦隊は6戦隊(お名前は地名)に分かれてます。司令長官シドーニア公爵の命令をそれぞれの戦隊に伝える仕組み。
艦隊の統制を単純化できるらしい。
それぞれの戦隊には小戦隊が割り振られてます。補給小戦隊は補給物資(弾薬や食料?)や軍事物資(兵士?)を運ぶ 軍隊輸送船

スペイン艦隊 船名 乗員 結末
ポルトガル戦隊 旗艦 サン・マルティン号 司令長官 メディナ・シドーニア公爵 帰還
サン・マテオ号 損失
サン・フェリペ号 損失
サン・マルコス号 損失
ビスカヤ戦隊
(ビスケー湾戦隊)
旗艦サン・ファン・デ・ポルトガル号 副司令長官 ファン・マルティネス・デ・リカルデ 帰還
副旗艦サンタ・アナ号 指揮官 アレハンドロ・ゴメス・デ・セグラ 損失
副旗艦サンティアゴ号 帰還
ラ・マリア・ファン号 損失
カスティーリア戦隊 旗艦サン・クリストバル号 参謀長 ディエゴ・フローレス・デ・バルデス 帰還
アンダルシア戦隊 旗艦ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ号 指揮官 ペドロ・デ・バルデス 損失
副旗艦サン・フランシスコ号 副指揮官ディエゴ・エンリケ 帰還
サン・ファン・バウティスタ号 帰還
ギブスコア戦隊 旗艦サンタ・アナ号 指揮官 ミゲル・デ・オケンド 帰還
サン・サルバドール号 損失
レパント戦隊 旗艦ラ・レガソナ号 指揮官 マルティン・デ・ベルテンドーナ 帰還
ラ・ラタ・デ・サンタ・マリア・エンコロナーダ号 上陸部隊指揮官 アロンソ・デ・レイバ 損失
ガレアス小戦隊
ガレアス船
旗艦サン・ロレンソ号 指揮官ウーゴ・デ・モンカーダ 損失
ラ・ジローナ号 損失
補給小戦隊
ハルク船
旗艦 エル・グラン・グリフォン号 指揮官ファン・ゴメス・デ・ メディナ 損失


行程



①【1588年7月29日】 コーンウォール半島 ②【7月30日】 プリマス
●午後: フランシス・ドレイク がホーの丘でボウルズ
●夕方: スペイン艦隊 が作戦会議→プリマス湾の襲撃を否決
●夕方:準備完了の イングランド艦隊 が出撃
●朝: スペイン艦隊 の接近→ 狼煙台(のろしだい) に点火
●朝: イングランド艦隊 が出撃→ スペイン艦隊 の風上で合流
●午後: スペイン艦隊 が陣形を再編成
③【7月31日】プリマス:海戦 ④【8月1日】プリマス~ スタート岬
●朝: イングランド艦隊スペイン艦隊 が宣戦布告
●昼過ぎ: サン・サルバドール号 が爆発事故
●夕方: ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ号 が衝突事故
●夜: フランシス・ドレイク が離脱
●夜明け: スペイン艦隊 が陣形を再編成
●夜明け: ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ号 を拿捕
●午後: フランシス・ドレイク が合流
●夕方: サン・サルバドール号 を拿捕
●夕方: シドーニア公パルマ公 へ書状
⑤【8月2日】 ベリー・ヘッド ポートランド島 :海戦 ⑥【8月3日】ポートランド島~ ワイト島
●午前: トライアンフ号 が激潮帯にハマる
●午後: イングランド艦隊 が弾薬不足→補給を要請
●夕方: スペイン艦隊 が陣形を再編成
●夜明け: イングランド艦隊 が4戦隊に再編成
⑦【8月4日】ワイト島:海戦 ⑧【8月5-6日】 サンドウィッチ カレー
●夜: シドーニア公パルマ公 へ書状 ●夜: スペイン艦隊 が作戦会議→カレーでパルマ公待ちを決定
●夜: シドーニア公パルマ公 へ書状
●夜: ヘンリー・シーモア戦隊 が合流→弾薬補給
ネーデルラント戦隊 がダンケルを海上封鎖中
⑨【8月7日】カレー:海戦 ⑩【8月8日】 グラヴリーヌ :海戦
●早朝: イングランド艦隊 が作戦会議→火船を決定
スペイン艦隊 がカレー(フランス)から食料を購入
●真夜中: 火船 で奇襲→ スペイン艦隊 が散り散り
●真夜中: サン・ロレンソ号 が衝突事故
●朝: 最高司令官エフィンガム男爵サン・ロレンソ号 を集中砲火
●昼前: スペイン艦隊 が再集結→ イングランド艦隊 が追撃
●昼前: 海峡戦隊 が合流
●昼: 最高司令官エフィンガム男爵 が合流
●夕方前: ラ・マリア・ファン号 が沈没
●夕方前: サン・マテオ号 が漂流→ ネーデルラント戦隊 が拿捕
●夕方前: サン・フェリペ号 が漂流→ ネーデルラント戦隊 が拿捕
●夕方: イングランド艦隊 が弾薬不足
⑪【8月9日】帰国
●8月9日: スペイン艦隊 が作戦会議→帰国を決定
●8月31日: パルマ公 が八十年戦争を再開
●8月10日: ヘンリー・シーモア戦隊 が撤収
●8月13日: イングランド艦隊 が撤収
●8月19日: 女王エリザベス1世 がティルベリー演説


イングランド海峡での海戦


イングランド艦隊はスペイン艦隊の風上側を陣取ったし、大砲もスペイン艦隊の3倍撃ってます。ただ大砲が非力でした。
頑丈な船のスペイン艦隊は屁のカッパ。
トドメは刺せなかったけど、とりあえず上陸は阻止です。詳細はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=RgNYsAGgVYUをどうぞ。

衛星写真( NASA さんより)


①【1588年7月29日(ユリウス暦:7月19日)】コーンウォール半島


リザード岬 を視認したスペイン艦隊は作戦会議を開きます。
副司令長官リカルデと上陸部隊指揮官アロンソは「一部のスペイン艦隊でイングランド艦隊をプリマス湾に閉じ込める」を提案。
閉じ込めちゃえばスペイン艦隊は憂いなくイギリス海峡を通れます。
でも総司令官シドーニア公爵は「我々の目的はパルマ公との合流であーる。交戦は避ける」と却下しました。


+ サー・フランシス・ドレイクのボウルズ

+ 狼煙台(のろしだい)/ビーコン


②【7月30日(ユリウス暦:7月20日)】プリマス


29日スペイン艦隊を発見したイングランド艦隊は上げ潮(夕方はプリマス湾へ入ってくる)が終わると船を出撃させます。
翌日朝までには150隻が出撃。
2グループに分かれて、逆風を間切って間切って間切って… エディストーン の沖合で合流。スペイン艦隊の風上を陣取ります。


+ 風上を陣取ったイングランド艦隊

+ 三日月陣形(Crescent Formation)に変身したスペイン艦隊


③【7月31日(ユリウス暦:7月21日)】プリマス沖の海戦


スペイン艦隊の防御力バリバリな三日月陣形に対して、イングランド艦隊は 単縦陣 (船が一列に並ぶ陣形)で攻撃します。
でも三日月陣形の中に入るのは危険。
有効射程距離の砲撃ができず、お互い決定的な打撃ナシで終了しました。交戦中にスペイン艦隊の2隻が自爆してます。


+ 宣戦布告

+ プリマス沖の海戦

+ サン・サルバドール号の爆発

+ ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ号の衝突事故


④【8月1日(ユリウス暦:7月22日)】スタート岬


最高司令官エフィンガム男爵はスペイン艦隊を追撃しながら、散り散りになったイングランド艦隊の合流を待ちます。たぶんプリプリ。
プリプリの元凶は勝手に離脱したリヴェンジ号。
リヴェンジ号はヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ号を拿捕した後、イングランド艦隊に合流しました。


司令長官シドーニア公爵は一時停船してサン・サルバドール号の乗組員と貴重品を救助します。
その間にイングランド艦隊がどんどん風上側に合流。
もう救助も修理もムリ。破棄されたサン・サルバドール号はイングランド艦隊が拿捕しました。その後は風も凪いで皆さん潮任せ。


⑤【8月2日(ユリウス暦:7月23日)】ポートランド島沖の海戦


追い風が向かい風に変わって、スペイン艦隊は初めて風上側になります。よーし反撃のチャンスだー!接近戦だー!白兵戦だー!
イングランド艦隊は大砲を撃ちまくって接近戦のピンチを阻止。
お互い決定的な打撃ナシで終了しました。でもイングランド艦隊は弾薬が足りなくなってます。ヤバイ!


+ ポートランド島沖の海戦


⑥【8月3日(ユリウス暦:7月24日)】ワイト島


弾薬が足りないイングランド艦隊は積極的に攻撃できません。小競り合いしながらワイト島(王フェリペ2世が選んだ橋頭堡)へ。
夕方スペイン艦隊は ソレント海峡 の西側を通過。
最高司令官エフィンガム男爵は「ならば東側か?ワイト島の上陸は断固阻止だ!」と陣形を4戦隊に再編成します。機動力アップ!


+ スペイン艦隊がワイト島を橋頭堡(きょうとうほ)にしちゃうと超ヤバイ!


⑦【8月4日(ユリウス暦:7月25日)】ワイト島沖の海戦


4戦隊に分かれたイングランド艦隊は機動力を生かして上下からスペイン艦隊を攻撃します。ワイト島の上陸は断固阻止だ!
スペイン艦隊は応戦しながらソレント海峡の東側を通過。
もう司令長官シドーニア公爵の選択肢は「カレーへ行く」しか残ってません。イングランド艦隊も弾薬が残ってません。


+ ワイト島沖の海戦


⑧【8月5-6日(ユリウス暦:7月26-27日)】サンドウィッチ


最高司令官エフィンガム男爵はドーバー海峡で海峡戦隊と合流して、弾薬を補給したらスペイン艦隊にトドメを刺すことにします。
皆さん小競り合いもなくカレーへ。
分艦隊司令官マーティン・フロビッシャーや分艦隊司令官ジョン・ホーキンスは軍功を讃えられてナイトの爵位を授与。おめでとー♥


6日夕方スペイン艦隊はカレーに投錨します。ほぼ無傷でイングランド海峡を渡れました♥ でもパルマ公の使者はいない。ムカッ!
作戦会議で「カレーでパルマ公を待つ」と決定。
イングランド艦隊はスペイン艦隊の風上側に投錨します。そして海峡戦隊と合流。ふふふ、念願の弾薬が来たぜ!

+ イングランド艦隊はナイトの爵位。スペイン艦隊は絞首刑(残酷な画があるのでご注意下さい)

+ その頃パルマ公は何してたの?


⑨【8月7日(ユリウス暦:7月28日)】カレー沖の海戦


パルマ公待ちのスペイン艦隊はせっせと食料を補給します。イングランド艦隊はせっせと船を火船に改造します。
そして真夜中に火船で奇襲。
錨索を切って回避したスペイン艦隊はカレーの潮流で散り散り。初めて陣形が崩れた!混乱中に1隻が自爆してます。


+ スペイン艦隊がカレー(フランス)から食料を購入

+ イングランド艦隊の火船作戦!カレー沖の海戦

+ スペイン艦隊のトラウマ?アントウェルペン包囲戦の火船


⑩【8月8日(ユリウス暦:7月29日)】グラヴリーヌ沖の海戦


火船作戦!で散り散りになったスペイン艦隊はグラヴリーヌ沖へ流されながら陣形を立て直します。とーぜんイングランド艦隊は追撃。
そしてアルマダ海戦の中で一番の接近戦。一番の激戦。
イングランド艦隊は弾薬が尽きるまで砲撃。その後お互い船を修理。交戦中にスペイン艦隊の3隻が座礁、1隻が沈没してます。


+ サン・ロレンソ号の座礁

+ スペイン艦隊の再集結

+ グラヴリーヌ沖の海戦

+ ラ・マリア・ファン号の沈没、サン・マテオ号とサン・フェリペ号の座礁


⑪【8月9日(ユリウス暦:7月30日)】帰国


スペイン艦隊は風に押されて北東へ流れます。どんどんカレーから離れて行く…風と潮流とイングランド艦隊と戦って戻るのはムリ。
ってことで、司令長官シドーニア公爵はスペインへの帰国を決意。
それを知らないイングランド艦隊は追撃します。13日スコットランドの海域に入ったところで撤収。海戦が終わりました。


+ 司令長官シドーニア公爵の決意「スペイン艦隊の帰国」(残酷な画があるのでご注意下さい)

+ イングランド艦隊の撤収

+ 女王エリザベス1世のティルベリー演説


スペイン艦隊の帰国


北海に追い込まれた艦隊総司令官メディナ・シドーニア公は大西洋経由での帰国を決意します。
でも多くの船が破損。水も食料も武器も不足。航海情報(気候、 メキシコ湾流 、多くの岩礁、小さな島々…)も不足。
大西洋を経由するにはあまりにもキビシイ条件です。
wikipedia


アイルランド沖で南西の強風にあったスペイン艦隊は散り散りになります。
ア・コルーニャを出航した時のスペイン艦隊は130隻、アルマダ海戦で残った船は110隻、スペインに帰国できた船は84隻。
5,000人がアイルランドで命を落としたそうです。

+ 艦隊総司令官メディナ・シドーニア公の帰国計画


アイルランドに漂着した上陸部隊指揮官アロンソ・デ・レイバ


イングランドはアイルランドに漂着したスペイン軍を指名手配します。スペイン軍は敵地同然の地から脱出しなければいけなかった。
彼らの先頭に立ったのが上陸部隊指揮官アロンソ。
懸命に脱出を試みます。悲しいお話しだけど落ち込まないでね。アロンソって不撓不屈な騎士道精神を持った人だと思いませんか?

アルマダ海戦の地図の を拡大(上側が北です)

1588年9月7日 ブラックソッド湾 アロンソが乗船するLa Rata Santa Maria Encoronada号は強風でアンカーを失って漂着。
●Rata号(レパント・イタリア隊)の乗組員は419人。
●上陸後に船を焼却。
ブロードヘイブン湾 マストを失って漂着した船の乗組員達と合流。
ブラックソッド湾 Duquesa Santa Ana号とNuestra Senora de Begona号と合流。
●Duquesa号(アンダルシア隊)の乗組員は357人。
●Nuestra号(カスティーリア隊)の乗組員は297人。
2隻でスペインへ向けて出航。
●アロンソが乗船するDuquesa号の乗組員は600人。
ロクロス・モア湾
Loughros Mor Bay
Duquesa号は嵐で破損。アイルランドへの引き返しを余儀なくされる。
●アロンソはキャプスタン(アンカー巻き揚げ装置)で重傷を負う。
●Nuestra号は サンタンデール (スペイン)に無事到着。
キリーベグス港 ラ・ジローナ号(ナポリ・ガレアス隊)と合流。
キリーベグス族長(chieftain, MacSweeney Bannagh)の協力でラ・ジローナ号を修理。
10月25日 ラ・ジローナ号でスコットランドへ向けて出航。
●乗組員は1,300人。
10月28日の夜 ダンルース城 付近 ラ・ジローナ号が強風で舵が壊れて難破。
●生存者は9名。


ラ・ジローナ号


ラ・ジローナ号がスコットランドを目指したのは、乗組員が多すぎてスペインへの長い航行に耐えられなかったからです。
カトリック教徒がいるスコットランドで船を修理して帰国しようと計画。
生存者は、イングランド排斥運動で有名な北アイルランド王子 Sorley Boy MacDonnell の助けでスコットランドへ送り届けられてます。
wikipedia

ラ・ジローナ号(北アイルランドのお札:1994年頃)

+ アロンソもここに眠ってるのかしら?

+ その後のラ・ジローナ号


ようこそ日本へ♥日本に漂着したウィリアム・アダムスさん


ウィリアム・アダムス (1564–1620年: ジリンガム )はドレイク戦隊の貨物補給船リチャード・ダフィールド号の船長です。
アルマダ海戦の後 バーバリー商会ロンドン会社 の航海士に。
ロッテルダム商会( オランダ東インド会社 の前身)の「 テセル島 から極東を目指すので航海士募集中」に魅せられて転職します。

日本の王様は 豊臣秀頼 (豊臣秀吉の息子)

1598年5隻の船団が出航します。1隻はポルトガルが拿捕。1隻はスペインが拿捕。1隻は航海断念。1隻は沈没。
残ったのはウィリアムが乗船する リーフデ号 のみ。
1600年4月29日なんとか臼杵市(大分県)に漂着しました。日本に初めて来たオランダ船、初めて来たイギリス人。ようこそ日本へ♥

+ リーフデ号は海賊船デース!危ないデース!

+ 武士になったウィリアム・アダムス

+ クローブ号で繋がった日本とプリマス




※ものすごーくお世話になったサイト。詳細はこちらをご覧下さい。

  • 参考文献:アンガス・コンスタム著「図説スペイン無敵艦隊:エリザベス海軍とアルマダの戦い」(原書房)