スコットランド女王メアリーの系図




女王メアリーのざっくり年表の登場人物


女王メアリーは生まれたときから居場所も味方も運もナシのお嬢様って感じです。女王としての自覚と知恵もちょびっと足りなかった?
お陰様で波瀾万丈の人生。
波瀾万丈に関わった人はワンサカいるけど、ここでは頑張った皆さんに申し訳ないくらい省略しちゃってます。

William Hole 画「The Face of Scotland」(1898年: スコットランド国立肖像画美術館


女王メアリーの家族


紋章と在位 家族

1513–1542年
スコットランド王
父親 ジェームズ5世
(1512–1542年)
カトリック教徒
●母親は マーガレット・テューダー (イングランドヘンリー8世の姉)
●結婚を前提に人妻 Margaret Erskine を略奪(大貴族アースキン卿の娘)
●でも国益のためメアリ・オブ・ギーズと結婚

ソルウェイ湿原の戦い (1542年)の後急死
母親 メアリ・オブ・ギーズ
(1515–浮腫:1560年)
カトリック教徒
●父親は ギーズ公クロード (フランスの大貴族 ギーズ家
●母国フランスを頼りまくりながら女王メアリー不在のスコットランドを守る
マリ伯
異母兄 ジェームズ・ステュアート
(1531-暗殺:1570年)
カトリック教徒→プロテスタント教徒
●父親は王ジェームズ5世。母親はMargaret Erskine(大貴族アースキン卿の娘)
●父親が母親と結婚しなかったので庶子扱い
●女王メアリーと王ジェームズ6世の最高政治顧問に就任

1542–1567年
スコットランド女王
メアリー・ステュアート
(1542-処刑:1587年)
カトリック教徒
●生後6日でスコットランド女王に即位
●イングランドに負けてフランスへ亡命。フランス皇太子フランソワ2世と結婚
●フランス王フランソワ2世が死亡。スコットランドへ帰国
●異母兄マリ伯に負けてイングランドへ亡命。女王エリザベス1世が処刑

1567–1625年
1603–1625年
スコットランド王
息子 ジェームズ6世
イングランド王
ジェームズ1世
(1566-赤痢:1625年)
プロテスタント教徒
●父親は ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート 。名付け親は女王エリザベス1世?
●1歳でスコットランド王に即位
●イングランドへ亡命した母親とは生涯再会できず

王冠連合 (1人の王様がイングランドとスコットランドを統治)の王様1号


女王メアリーの結婚


スコットランド イングランド王(皇太子)
エドワード6世
●イングランド王ヘンリー8世の長男
●王ヘンリー8世が「息子と結婚させてスコットランドを頂くぜ!」と提案
●とーぜんスコットランドはお断り
フランス 1558-1560年 フランス王(皇太子)
フランソワ2世
(1544-脳炎:1560)

●フランス王アンリ2世の長男
●1559年フランス王に即位。あっという間に死亡
スコットランド 1565-1567年 ダーンリー卿
ヘンリー・ステュアート
(1545-殺害:1567)

●カトリック教徒。スコットランドとイングランドの王位継承権を持つ
●周囲の反対を押し切って結婚
●殺害されて結婚終了。犯人は夫ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン?
子供
スコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)
1567-?年 ボスウェル伯
ジェームズ・ヘップバーン
(1535年-獄死:1578)

●プロテスタント教徒。女王メアリーに忠誠を誓う経験豊富で優秀な軍人
●周囲の反対を押し切って結婚
●逃亡先の デンマーク=ノルウェー国王 で獄死


女王メアリーのざっくり年表(スコットランド編)


波瀾万丈な女王メアリーに申し訳ないくらい肝っぽそうな出来事だけ。ホントはもっと複雑でドロッドロで過酷でございます。
あとイングランドとスコットランドの国境は ハドリアヌスの長城 のちょっと南。
ハドリアヌスの長城は2世紀 ブリタンニア島 を支配してたローマ帝国がケルト人の侵入を防御するために建築しました。
wikipedia

William Robert Shepherd 画「Europe about 1560」(1923年:The Historical Atlas)


仲良しのフランスへ亡命


英国国教会のイングランドとカトリック教会のフランスは昔からとーっても仲が悪いです。
このとばっちりを受けたのがカトリック教会のスコットランド。
イングランドにガンガン攻められた女王メアリーは「古い同盟」を結んでるフランスへ亡命するはめに…。波瀾万丈の始まりです。

女王メアリーの亡命

スコットランド 1295年 スコットランドとフランスが「古い同盟」を締結
1542年 12月8日 皇太女メアリーが誕生
12月14日 スコットランド王ジェームズ5世が急死。女王メアリーが即位
アラン伯 ジェームズ・ハミルトン (女王メアリーの遠縁で次の王位継承者)が摂政になる
1543年 7月1日 イングランド王ヘンリー8世が息子エドワード6世と女王メアリーの婚約に失敗( グリニッジ条約
12月20日 イングランドがスコットランドへ侵攻( ラフ・ウーイングの戦い
1548年 7月7日 フランス王アンリ2世が息子フランソワ2世と女王メアリーの婚約に成功( ハディントン条約
フランス 1548年 8月7日 女王メアリーがフランスへ亡命
1558年 4月4日 女王メアリーがフランスとの密約書に署名
「女王メアリーが死んだらスコットランドとイングランドの王位継承権はフランスに譲る」
4月24日
女王メアリーがフランス皇太子フランソワ2世(王アンリ2世の息子)と結婚
11月17日 イングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位
1559年 7月10日 フランス王アンリ2世が急死。フランス王フランソワ2世(女王メアリーの夫)が即位
1560年 6月11日 母親メアリ・オブ・ギーズが死亡
12月5日 フランス王フランソワ2世が病死。 王シャルル9世 が即位
スコットランド 1561年 8月19日 女王メアリーがスコットランドに帰国

+ スコットランドとフランスは仲良し♥(古い同盟)

+ 母親メアリ・オブ・ギーズ「このままでは女王メアリー が危ないわ!フランスへ避難させましょう」(ラフ・ウーイングの戦い)

+ フランス王アンリ2世「ウチの嫁(女王メアリー)こそ正当なイングランド女王だ!」


女王メアリーが居ない間にスコットランドは脱フランス!脱カトリック教会!


摂政になった母親メアリ・オブ・ギーズは母国フランスに頼りまくり。フランスはスコットランドに内政干渉しまくりです。
おまけに女王メアリーはフランス皇太子フランソワ2世と結婚しちゃうし。
「行く末はフランスの属国じゃん」と考えたプロテスタント貴族達は 会衆指導層 を結成。脱フランス!脱カトリック教会!を目指します。
wikipedia


スコットランド 1542年 12月14日 スコットランド王ジェームズ5世が急死。女王メアリーが即位
アラン伯 ジェームズ・ハミルトン (女王メアリーの遠縁で次の王位継承者)が摂政になる
フランス 1548年 8月7日 女王メアリーがフランスへ亡命
1553年 7月 イングランド王エドワード6世が死亡。女王メアリー1世が即位
1554年 4月12日 母親メアリ・オブ・ギーズが摂政になる
7月25日 イングランド女王メアリー1世がスペイン皇太子フェリペ2世と結婚
1557年 12月 会衆指導層が「女王メアリーとフランス皇太子フランソワ2世の結婚反対」を直訴
1558年 4月24日
女王メアリーがフランス皇太子フランソワ2世(王アンリ2世の息子)と結婚
11月17日 イングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位
1559年 5月 ジョン・ノックスがジュネーヴから帰国。会衆指導層に合流
7月10日 フランス王アンリ2世が急死。フランス王フランソワ2世(女王メアリーの夫)が即位
9月?10月? 会衆指導層が「母親メアリ・オブ・ギーズの摂政クビ」を宣言。臨時政府を樹立
1560年 2月27日 会衆指導層とイングランドが「一緒にフランスを追い出そうね♥」の交渉開始( ベリック条約
4月 「会衆指導層とイングランド」vs「母親メアリ・オブ・ギーズとフランス」( リース包囲戦
6月11日 母親メアリ・オブ・ギーズが死亡
7月6日 会衆指導層とフランスが仲直りして脱フランス!( エディンバラ条約
8月17日 スコットランド国教会の誕生
12月5日 フランス王フランソワ2世が病死。 王シャルル9世 が即位
スコットランド 1561年 8月19日 女王メアリーがスコットランドに帰国

+ 会衆指導層「ヤバイ!行く末はフランスの属国じゃん」

+ 熱血おやじジョン・ノックス「ひゃっはー!俺も会衆指導層に合流するぜー!」

+ 会衆指導層とイングランド「一緒にスコットランドからフランスを追い出そうね♥」(ベリック条約&リース包囲戦)

+ 会衆指導層とフランスが仲直りして脱フランス!(エディンバラ条約)

+ ちょびっとだけ脱カトリック教会!の「スコットランド国教会の誕生」


様変わりしたスコットランドへ帰国。スコットランドは脱メアリー!


女王メアリーはカトリック教会のフランスで立派な「フランスかぶれ」に育ちます。王フランソワ2世が病死してスコットランドへ帰国。
女王なのにスコットランド国教会に改宗しない。女王なのに勝手に結婚。
「行く末に女王メアリーは邪魔じゃん」と考えたプロテスタント貴族たちは女王メアリーを廃位すことにします。
wikipedia


フランス 1558年 4月24日
女王メアリーがフランス皇太子フランソワ2世(王アンリ2世の息子)と結婚
11月17日 イングランド女王メアリー1世が死亡。女王エリザベス1世が即位
1559年 7月10日 フランス王アンリ2世が急死。フランス王フランソワ2世(女王メアリーの夫)が即位
1560年 6月11日 母親メアリ・オブ・ギーズが死亡
12月5日 フランス王フランソワ2世が病死。 王シャルル9世 が即位
スコットランド 1561年 8月19日 女王メアリーがスコットランドに帰国。異母兄マリ伯を最高顧問(the chief advisor)にする
9月6日 女王メアリーが枢密院のメンバーを指名(カトリック教徒は4名だけ)
1565年 7月29日
女王メアリーがダメ夫ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートと結婚
1566年 3月9日 ダヴィッド・リッチオ殺害事件
6月19日 女王メアリーが息子ジェームズ6世を出産
1567年 2月10日 ダーンリー卿殺害事件
5月15日
女王メアリーがイヌ夫ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンと結婚
6月15日 カーバリー・ヒルの戦い
7月24日 女王メアリーが反ボスウェル派に強要されてスコットランド女王を廃位。息子ジェームズ6世が即位
・異母兄マリ伯が摂政になる
1568年 5月13日 ラングサイドの戦い(45分くらいの戦い)
5月16日 元・女王メアリーがイングランドへ亡命

+ スコットランドへ帰国

+ ダメ夫ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートと結婚(ダヴィッド・リッチオ殺害事件)

+ 息子ジェームズ6世の誕生とダメ夫ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの暗殺(ダーンリー卿殺害事件)

+ イヌ夫ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンと結婚(カーバリー・ヒルの戦い)

+ スコットランド女王の廃位で脱メアリー!(小箱の手紙)

+ イングランドへ亡命(ラングサイドの戦い)

+ その後のスコットランド


元・女王メアリーのざっくり年表(イングランド編)


イングランドへ亡命した元・女王メアリーはアチコチのお城へ移動させられます(地図にあるお城の位置はテキトー)。
お城はスコットランド、フランス、スペインから離れたトコ。
他にも「お城を掃除しなくちゃ」とかで ウィングフィールド荘園 チャッツワース・ハウス ボクストン への移動もあります。

William Robert Shepherd 画「Europe about 1560」(1923年:The Historical Atlas)


英国国教会のイングランドへ亡命


元・女王メアリーは「きっと女王エリザベス1世が王座復活を助けてくれますわ♥ 」と信じてイングランドへ亡命します。
でも歓迎したのは「打倒女王エリザベス1世!」のカトリック教徒だけ。
カトリック教徒と一緒にアレコレやらかして元・女王メアリーは処刑されちゃいます。ビセンテはどんな活動をしてたんでしょね?
wikipedia


スコットランド 1568年 5月16日 元・女王メアリーがイングランドへ亡命
イングランド 5月18日 元・女王メアリーを カーライル城 に保護
(監視人:ノーサンバランド伯 トマス・パーシー
7月 元・女王メアリーを ボルトン城 に移動
10月 ダーンリー卿殺害事件 の査問委員会を開催
1569年 1月26日 元・女王メアリーを タトベリ城 に移動(監視人:シュルズベリー伯 G. Talbot
11月 北部諸侯の乱
1570年 元・女王メアリーを シェフィールド城 に移動
1571年 リドルフィ事件
1581年 ビセンテがメアリー・スチュアート救出作戦のリーダに就任
1583年 スロックモートン事件
1584年 10月19日 女王安全保障の契約 」の作成
12月24日 元・女王メアリーを タトベリ城 に移動
1585年 クリスマス前 元・女王メアリーを チャートリー城 に移動(監視人: アミアス・ポーレット
1586年 バビントン事件
7月6日 スコットランドとイングランドが「侵略されたら一緒に戦うぜ!」と約束( ベリック条約
8月11日 元・女王メアリーを逮捕
9月25日 元・女王メアリーを フォザリンゲイ城 に移動(監視人:アミアス・ポーレット)
1587年 2月8日 元・女王メアリーを処刑
3月(ユ:2月) ビセンテがホーの丘でカイトに出会う
7月 元・女王メアリーを ピーターバラ大聖堂 に埋葬
1588年 7-8月 スペインがイングランドへ侵攻( アルマダの海戦

+ 女王エリザベス1世「ダーンリー卿殺害事件の調査ぢゃ!」(小箱の手紙)

+ ローマ教皇「女王エリザベス1世は破門だ!」(北部諸侯の乱)

+ 女王エリザベス1世「ノーフォーク公トマス・ハワードを処刑ぢゃ!」(リドルフィ事件)

+ バーリー男爵と秘書官長ウォルシンガム「こーなったら徹底的にやるしかねー!」(スロックモートン事件)(女王安全保障の契約)

+ バーリー男爵と秘書官長ウォルシンガム「元・女王メアリーを処刑する証拠が揃った♥」(バビントン事件)

+ 女王エリザベス1世「元・女王メアリーを処刑ぢゃ!」(残酷な画があるのでご注意下さい)

+ 処刑の後始末


スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世に即位


晩年になっても女王エリザベス1世は相変わらず「次のイングランド王」を指名しません。でも死は確実に近づいてる。
強い王位継承権を持つのに指名されない王ジェームズ6世はハラハラ。
1603年 ロバート・セシル (女王エリザベス1世の重臣)の働きで円滑にイングランド王ジェームズ1世に即位できます。
wikipedia

同君連合の国旗

+ ロバート・セシルと王ジェームズ6世の「円滑な王位継承の準備」

+ ロバート・セシルと王ジェームズ6世の「王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世に即位」

+ 女王エリザベス1世と元・女王メアリー(王ジェームズ1世の母親)のお墓の引っ越し