ちょっとアレコレ見直しちゅーです

騎士(英語:Knight、スペイン語:Caballero)


騎士は中世盛期(11世紀~15世紀)の優秀な 騎兵 (馬に乗って戦う人)に与えられた称号。
起源はヨーロッパを征服した 古代ローマ (BC753-1453年)の エクィテス (馬に乗ったエリート軍人)まで遡れるのかも。
16世紀になると戦争で威力を発揮するのは銃や大砲。花形だった騎士の時代はオシマイになって、称号だけが爵位として残ります。
wikipedia

レコンキスタで活躍した英雄の騎士 エル・シッド (1043–1099:スペイン)

+騎士からテルシオ戦術へ

レコンキスタ(楽譜 Cantigas de Santa Maria (13世紀)のCDジャケット)

大砲の誕生

大砲がヨーロッパの戦争に登場したのは、たぶん13世紀レコンキスタ。イングランドは1346年 クレシーの戦い から使用。
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_cannon


火縄銃の誕生

火縄銃がヨーロッパの戦争に登場したのは、1415年 アジャンクールの戦い 。甲冑だって貫通しちゃう武器の登場です。
ってことで、戦術はガラリと変わって騎士の時代もオシマイ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Early_modern_warfare

アジャンクールの戦い(イングランドがカレーを手に入れた 百年戦争 の1つ)

テルシオの誕生

テルシオはスペインの将軍 ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ (1453–1515)が軍制改革したとっても強い戦術。
密集方陣 になったパイクの歩兵、 クロスボウ ・銃・大砲の投射兵が戦争の主流。
白兵戦(cut and thrust)で使うのはレイピア。
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テルシオ戦術(1568年 ハイリヘルレーの戦い



騎士と君主


騎士が花形だった中世盛期は、王様・貴族/教会・騎士が契約で結ばれてる 封建制 (F&B時代は王様が国を統治する 絶対君主制 )。
契約は「臣下の臣下は臣下でない」だから、王様が貴族の騎士に直接命令はダメ。
おまけに君主がちゃんと保護しないアホアホだと、騎士は別の君主へ転職しちゃったそうです。

封建制度

円卓の騎士 ガウェイン アーサー王伝説 )やフリーランスな自称騎士 ドン・キホーテ は、愛と浪漫を求めて旅する 遍歴騎士
16世紀のスペインは、遍歴騎士の物語『 アマディス・デ・ガウラ 』が人気です。
アマディスはドン・キホーテも憧れた騎士。

アーサー王伝説『 ガウェイン卿と緑の騎士 』(1400年頃:大英博物館)


騎士道


騎士道は忠誠、公正、勇気、武勇、慈愛、寛容、礼節、奉仕…などなど。時代や国によって色々です。
ベースはキリスト教の観念で、悪徳は「七つの大罪」美徳は「七つの美徳」頑張れば「聖霊の七つの賜物」が貰えるっぽい。
とはいえ守るのはムズカシイ…これを皮肉ったのが ミゲル・デ・セルバンテス 著『ドン・キホーテ』です。
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Joannes Galle著『 神の戦士 』(1586-1635:フランドル)

七つの大罪(罪源) 七つの美徳 聖霊の七つの賜物
色欲(Luxuria) →貞潔(Castitas) 上智/知恵(Sapientia) この世界において神の働きを認識できる
貪食(Gula) →節制(Temperantia) 聡明/理解(Intellectus) キリスト教徒としての正しい生き方を理解できる
貪欲(Avaritia) →寛大(Caritas) 賢慮/判断(Consilium) 善悪を正しく判断できる
怠惰(Acedia) →勤勉(Industria) 剛毅/勇気(Fortitudo) 恐怖を克服して信仰を全うするための覚悟がある
憤怒(Ira) →忍耐(Patientia) 知識(Scientia) 神の言葉を知っている
嫉妬(Invidia) →善意(Benevolentia) 孝愛(Pietas) 神や教会に対する深い崇拝の念を抱く
高慢(Superbia) →謙遜(Humilitas) 敬畏(Timor Domini) 神の偉大さや崇高さについて畏怖の念を抱く

+騎士道と戦争って矛盾しないの?
そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。 ~マタイによる福音書第26章52節~

キリスト教は 正戦論 で戦争を「正しい戦争(戦争オケ)」と「正しくない戦争(戦争ダメ)」に区別してます。
十字軍遠征も聖戦(正義のための戦争)だからオケ。
オケの判断は「 戦争のための法 」で法化してるので正当性もバッチリ。騎士道が戦争しても矛盾しません。

異教徒や異端者は容赦しない

騎士の戦い方も残虐にならないように「戦争における法(jus in bello)」で法化してます。
でもこれが適用されるのは相手がキリスト教徒の場合だけ。異教徒や異端者なら侵攻・殺戮・略奪は当たり前。
ひょえー!だから サン・バルテルミの虐殺 とかになっちゃうんですか!?

Theodor de Bry 画「新世界における残虐なスペイン」(16世紀:ネーデルラント)

虐殺に良心が痛んだのがメキシコの司教 バルトロメ・デ・ラス・カサス (1484–1566:スペイン)。
1542年スペイン王 カルロス1世 (王フェリペ2世の父親)に「インディオ虐殺ってどうなの?」と問題提起してます。
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騎士になるまでの道のり


叙任される騎士に身分は関係ナシ。
っといっても、馬・甲冑・武器…騎士はなにかと必要経費が多いので、それなりの身分がないとムリ。現実はキビシイですね。

小姓 (ペイジ) 7歳頃~ 宮廷や貴族の屋敷に仕えて、使い走りや家庭内の仕事をする。
馬や武器の扱い方、テーブルマナー、チェスの遊び方など騎士の初歩をお勉強。
従騎士 (エスクワイア) 14歳頃~ 先輩の騎士に仕えて、身の回りの世話をする。
武器を修理、戦場へ甲冑を運んで主人に着せながら戦場をお勉強。
騎士 (ナイト) 20歳前後 君主から叙任を受けた一人前の騎士。

+叙任式
叙任式の前夜、従騎士は入浴・断食・告解をして礼拝堂で夜通し祈りながら終生を騎士として生きる心構えをします(ビジリア)。
お洋服は白衣(清浄の象徴)と赤いローブ(傷つくことを恐れない象徴)。
復活祭の徹夜祭( Easter Vigil )やクリスマスイヴの真夜中のミサ(Midnight Mass)もビジリア。
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ジョン・ペティ 画『騎士のビジリア』

そして叙任式。従騎士は「敬意」と「忠誠」の証として君主に跪きます( オマージュ )。
君主が剣を従騎士の右肩→頭上→左肩に置いて、従騎士は騎士に。その後、立ち上がった騎士に王様が所属する騎士団を任命。
ポンポンは時代によって首だったり頬だったり抱擁だったり。
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12世紀の叙任式 フランシス・ドレイク

世界一周を達成したフランシス・ドレイクも、1581年『ゴールデン・ハインド号』の船上でナイトの爵位を授爵してます。
女王エリザベス1世にポンポンされてサー・フランシス・ドレイクに。



馬上槍試合


馬上槍試合は12~16世紀に流行った、ヨーロッパ中から騎士が集まって技量を争う競技大会。
試合の結果を記録するために 紋章リスト がありました。
wikipedia

王アンリ2世の馬上槍試合(1559年: Hôtel des Tournelles

フランス王アンリ2世(王アンリ3世の父親)は娘 エリザベート とスペイン王フェリペ2世の結婚祝宴会で馬上槍試合を開催。
ジョストに参加した王様は、右目を貫かれて死亡してます。
イングランド王ヘンリー8世(女王エリザベス1世の父親)は、息子 ヘンリー の誕生祝賀会で馬上槍試合を開催。

+フランス王アンリ2世の死を予言したノストラダムス
ミシェル・ノストラダムス はフランス王アンリ2世の王妃 カトリーヌ・ド・メディシス 達が重用した占星術師です。
四行詩集を主体とした予言本「百詩篇集」(初版:1555年)が有名。
王アンリ2世の馬上槍試合での死を予言しました。

ミシェル・ノストラダムス著「百詩篇集」(16世紀:フランス)

En l'an qu'un oeil en France regnera, フランスに隻眼が君臨するであろう年に
La court sera à un bien facheux trouble: 宮廷は非常に悩まされる困難に遭うだろう。
Le grand de Blois son ami tuera, ブロワの大物が友を殺すだろう。
Le regne mis en mal & doute double.  王国は悪くなり、疑念は二倍に。 ~百詩篇集:第3巻55番~



種目


21世紀も 国際試合 やテーマパーク Medieval Times Dinner and Tournament (アメリカ)で馬上槍試合が見れるそうです。
テーマパークは手づかみの中世料理付き。
ジョストの動画はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=KpwFkIpDFFYをどうぞ。

ジョスト 一騎討ち の競技。
馬に乗って、すれ違いざまに ランス (刃物が付いてない棒)で突き刺す。
お互いにかなりの衝撃。落馬した人が負け。
メレ 白兵戦 の競技。
2つのグループに分かれて、普段使ってる武器で戦う。騎馬戦もアリ。
戦場さながらの戦いっぷりで、とーっても危険。
決闘裁判 決闘 のご親戚。
パ・ダルム いまいち分からなかったけど、どうやら壮大な乱闘の競技っぽい。
個人や団体で陣地を守りながら、挑戦にきた相手と戦う。
数日間戦うので観客も飽きる。


宗教騎士団


大昔キリスト教やイスラム教の聖地エルサレム(イスラエル)はイスラム教徒に占領されてました。
イスラム教徒からエルサレムを奪還/防衛する 十字軍 (1096-1272年)で誕生したのが、カトリック教会の宗教騎士団(騎士修道会)。
構成メンバーは修道士。
巡礼者のために護衛や、王様や貴族から領地やお金をガンガン寄付されて病院や国際銀行も作ってます。
wikipedia

中世ヨーロッパの3大宗教騎士団(左から) 活動期間
テンプル騎士団
(フランス)
1128-1314
ホスピタル騎士団/聖ヨハネ騎士団
(イタリア)
1113→21世紀:マルタ騎士団
ドイツ騎士団
(ドイツ)
1199→プロイセン王国→21世紀:慈善団体


スペインの3大宗教騎士団


大昔イベリア半島はイスラム教徒に占領されてました。
イスラム教徒からイベリア半島を奪還する レコンキスタ (718-1492年)で誕生したのが、スペインの3大宗教騎士団。
ローマ教皇の管轄だったけど、1522年ローマ教皇ハドリアヌス6世はスペイン王に譲渡。
wikipedia

スペインの3大宗教騎士団 ローマ教皇
の認可
創設
カラトラバ騎士団
(カスティーリャ王国)
1164年 シトー会の修道士 Raimundo de Fitero
アルカンタラ騎士団
(レオン王国)
1177年 隠者 St. Julian de Pereiro
サンティアゴ騎士団
(レオン王国
カスティーリャ王国)
1175年 2国が発祥地を主張したままウヤムヤ
おまけ
モンテサ騎士団
(アラゴン王国)
1317年 アラゴン王ハイメ2世
国内にあるテンプル騎士団の領地を集めて新設


スペインのサンティアゴ騎士団


12世紀サンティアゴ騎士団は レオン王国 カスティーリャ王国 に領地があって、両方の王様から仕事を請け負ってました。
そんなわけでお互いが発祥地を主張。
カスティーリャ王 フェルナンド3世 が1230年両方の王様になって「本部は ウクレス (カスティーリャ王国)にしましょ♥」で一件落着。

サンティアゴ騎士団の本部 ウクレス修道院 (1931年スペイン文化遺産に登録)

シンボルは剣とホタテ貝の 聖ヤコブの十字架 。ホタテ貝は 聖ヤコブ (スペイン語:サンティアゴ)のシンボル。
お仕事はレコンキスタと聖ヤコブの聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラ に行く巡礼者の保護。
他に病院、修道院、大学も運営。
管轄区域は2都市、178村、200教区、海外(ポルトガル、フランス、イタリア、パレスチナ)…天下に名を轟かしてました。

中世から食べてるガリシア州名産 聖ヤコブのケーキ

グランドマスター (騎士団のトップ)は、サンティアゴ騎士団の管轄がスペイン王に譲渡されてからは王様が担当。
王フェリペ2世はスペイン3大宗教騎士団のグランドマスターです。
サンティアゴ騎士団の受章者は、陸軍指揮官 フリアン・ロメロ (1518-1577)、海軍提督 ペドロ・メネンデス・デ・アビレス (1519– 1574)、海軍提督サンタ・クルズ侯爵 アルバロ・デ・バサン (1526–1588)など。

エル・グレコ 画『フリアン・ロメロと守護聖人』(1612年頃)

+サンティアゴ騎士団は血統も重要
貿易商や商人(当時の感覚で汚れた職業)、ユダヤ人、ムーア人は、キリスト教徒でもサンティアゴ騎士団になれませんでした。
血統調査委員会が候補者の親族やご先祖様までビシバシ調査。
グランドマスターだからって、王様が勝手に「よーし今日から君はサンティアゴ騎士団だ!」って決められないのね。

ディエゴ・ベラスケス画『ラス・メニーナス』(1656年)

王フェリペ4世(王フェリペ2世の孫)のお気に入り宮廷画家 ディエゴ・ベラスケス は、1659年サンティアゴ騎士団を受章。
王様が血統調査委員会にプッシュして「画を売ってないベラスケスは商人じゃないからオケ」になった記録があります。
受章後『ラス・メニーナス』にもサンティアゴ騎士団のシンボルを追加。


+宗教騎士団の戦闘服
テンプル騎士団の戦闘服。
名称は皆さん呼び方がバラバラだったので漠然と書きました。あと馬のお洋服は カパリソン です。

戦闘服(13世紀)

ヒラヒラすると萌え萌えな騎士団のマント

テンプル騎士団の清廉潔白を表す白いマントは、1129年ローマ教皇の トロワ会議 で着用が認められてます。
メンバーはいつでもどこでもマントを着るのがルール。

サンティアゴ騎士団はこんな感じ?

マントを裾が長い クローク(Cloak) って書いたけど、wikipediaによるとクロークは騎士団人気で生まれた妄想とのこと。
でもクロークと呼んでる人が多かったので、クロークって書きました。長い方が萌えるし♥
他の呼び方は サーコート 、Cappae(カッパ?)などなど。ちなみにカトリック教会の聖職者のマントは Ferraiolo



世俗騎士団


14世紀すっかり影の薄くなった騎士団。
ところがどっこい、今度は各地で騎士道精神への名誉的な憧れが強まって 世俗騎士団 が誕生します。
宗教騎士団との違いは、ローマ教皇の認可を受けないで王様や貴族が勝手に作った騎士団。名誉勲章って感じっぽい。
wikipedia

リンリスゴー宮のガーター騎士団シッスル勲章金羊毛騎士団聖ミカエル騎士団

スコットランド女王メアリー の生家 リンリスゴー宮殿 の門には、王ジェームズ5世(父親)が受章した勲章が彫刻されてます。


イングランドのガーター勲章


ガーター勲章はイングランド最高峰の名誉。セシル家は親子で受賞してます。
羽織ってるのは受章者のマント。紫色のベルベット製(16世紀まで)に 聖ゲオルギウス十字 の刺繍。右手に持ってる棒はなに?
アホアホっぽい設立動機にはちゃんとご事情があるみたい。んが、萌えが足りなくて調べてません。

ウィリアム・セシル(1572年) ロバート・セシル(1606年)

世俗騎士団 設立 受章者
設立
1348年/王エドワード3世
動機
アーサー王伝説「円卓の騎士」に憧れて。
モットー
思い邪なる者に災いあれ。
1554:スペイン王フェリペ2世
1559:第4代ノーフォーク公トマス・ハワード(剥奪:1572)
1559:初代レスター伯ロバート・ダドリー
1575:フランス王アンリ3世
1588:クリストファー・ハットン
1588:第2代エセックス伯ロバート・デヴァルー(剥奪:1601)
1929:昭和天皇(剥奪:1941、復活:1971)
1998:平成天皇
ガーター騎士団
(イギリス)
設立
1430年/ブルゴーニュ公フィリップ3世
動機
ガーター騎士団をまねして。
モットー
我らの働きに報償に値しないものはない。
1505:イングランド王ヘンリー8世(まだ皇太子)
1531:スペイン王フェリペ2世(まだ皇太子)
1581:第7代メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン
1585:第3代パルマ公アレサンドロ・デ・ファルネーゼ
1589:第5代インファンタド公Iñigo Lopez de Mendoza
1599:第5代アルバ公Antonio Alvarez de Toledo
1928:昭和天皇
1985:平成天皇
金羊毛騎士団
(スペイン)
設立
1469年/フランス王ルイ11世
動機
金羊毛騎士団に対抗して。
モットー
大海への畏れ。
1532:第3代ノーフォーク公トマス・ハワード
1534:スコットランド王ジェームズ5世
1551:イングランド王エドワード6世(女王エリザベス1世の異母弟)
1566:初代レスター伯ロバート・ダドリー
1566:第4代ノーフォーク公トマス・ハワード

※その後、1578年王アンリ3世設立の 聖霊騎士団 がフランス最高峰。
聖ミカエル騎士団
(フランス)