※16世紀を目指して調べたけどそうじゃないものも入っちゃてるかも。あと英語を訳したキリスト教用語は日本語ビミョーです。


16世紀のキリスト教


16世紀のヨーロッパはあちこちで 宗教改革 (プロテスタントの脱カトリック教会運動)が絶賛勃発中です。
複雑な時代なのねー。
カトリック教会はプロテスタントの誕生をきっかけに「このままだと信徒が減る!ヤバイ!」といろいろ反省して標準化します。
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F&Bに関係しそうなトコだけ

+ なんで複雑な時代になっちゃったの?

+ ローマ教皇ってなに?

+ 贖宥状(しょくゆうじょう)ってなに?

+ 95ヶ条の論題ってなに?

+ 二重予定説ってなに?


教派分布


ビセンテが妄想した ザクセン選帝侯領 とヘッセン方伯領はブランデンブルク辺境伯領の下あたりです。
どっちも神聖ローマ帝国の 領邦国家
F&B時代のヘッセン方伯領は ヘッセン=カッセル ヘッセン=ダルムシュタット ヘッセン=マールブルク に分裂してます。

1555年頃
アイルランド王国 イングランド王国 オーストリア大公国 オスマン帝国
サヴォイア公国 神聖ローマ帝国 スイス原初同盟 スウェーデン王国 スコットランド王国 スペイン王国
デンマーク王国
ナポリ王国 ネーデルラント ノルウェー王国
ハンガリー王国 フランス王国 ブランデンブルク辺境伯 プロシア公国 ポーランド王国 ポルトガル王国
ローマ教皇領 ロシア・ツァーリ国


教派


ピューリタンは1560年代カルヴァン派の聖職者達が始めた「英国国教会からカトリックっぽさを排除したい」です。
F&B時代は長老派教会を組織する トマス・カートライト が地下でこっそり活動中。
女王エリザベス1世はカンタベリー大主教 ジョン・ホイットギフト を使って弾圧中。
レスター伯ロバート・ダドリーやフランシス・ウォルシンガムはピューリタンを後援しながら英国国教会との仲裁をしてるみたいです。
実態が分からなかったので表に入れてません。
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西方教会 東方教会
プロテスタント(新教) ローマ・カトリック(旧教) オーソドックス
ルター派 英国国教会 カルヴァン派 カトリック教会 東方正教会
地域 ザクセン選帝侯領、アン・オブ・クレーヴズ イングランド フランス、ネーデルラント、スコットランド、ヘッセン方伯領 スペイン、フランス、スコットランド女王メアリー、イングランド女王メアリー1世 東欧など
統治 領邦君主 イングランド国王 教会会議 ローマ教皇(教皇首位説) コンスタンディヌーポリ全地総主教庁
教職者 牧師、伝道師、万人祭司 主教、司祭(牧師)、執事、伝道師 総会議長、牧師、伝道師、万人祭司 教皇、枢機卿、司教、司祭(神父)、助祭 主教、司祭(神父)、輔祭、教衆、伝教師
修道制 女子修道院のみ なし なし 修道会/宣教会 修道院
礼拝 聖餐式 ミサ 聖体礼儀
儀式 礼典(洗礼、聖餐) 聖奠(洗礼、聖餐)、
聖奠的諸式(婚姻、叙階、堅信、告解、終油)
礼典(洗礼、聖餐) 秘蹟(洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、終油) 機密(洗礼、傅膏 、聖体、痛悔、神品、婚配、聖傅)
教義 「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」 カトリックとほぼ同様 ルター派より徹底した聖書主義、二重予定説 秘蹟の恩寵、マリアの崇敬 聖俗一致、聖肉一致
聖人 あり あり なし あり あり
離婚 保守的に可 可(離婚相手が存命中は再婚不可) 不可 不可


16世紀に誕生した英国国教会


英国国教会は1534年「 国王至上法 」でカトリック教会から独立した「王様がトップのカトリック教会っぽいプロテスタント」です。
誕生してからの150年間は王様によって宗教方針がアレコレ変化。
イングランドもゴタゴタ。1701年「 王位継承法 」で「王様と王様の妻はイングランド国教会の信徒じゃないとダメダメ」になります。
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王様
王ヘンリー8世
王エドワード6世
女王ジェーン・グレイ
(クーデター失敗で処刑)
女王メアリー1世
女王エリザベス1世
王ジェームズ1世
王チャールズ1世
ピューリタン革命 で処刑)
護国卿 オリバー・クロムウェル
イングランド内戦 で即位)
王チャールズ2世
王政復古 で即位)
王ジェームズ2世
大同盟戦争 で追放)
王ウィリアム3世
名誉革命 で即位)

こちらは「王様の宗教メータ」です。カトリック信徒の女王メアリー1世はイングランドをカトリック教会に出戻り。
ピューリタン信徒の護国卿オリバー・クロムウェルは イングランド共和国 を樹立。
王チャールズ2世は死に際にカトリック信徒へ改宗。王ジェームズ2世はカトリック信徒の最後の王様です。 宗教改革 って大変なのね。

+ 国王至上法ってなに?

+ 国王至上法への道のり(残酷な画があるのでご注意下さい)


ミサ


ミサは聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)です。
16世紀の主催日はたぶん日曜日と トリエント・カレンダー (ローマ教皇ピウス5世が作ったカレンダー)で決められた日。
ローマ教皇が主催のミサは「 教皇ミサ 」、司教が主催のミサは「 荘厳司教ミサ 」といいます。
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ローマ教皇 ベネディクト16世 の公演(2011年: エル・エスコリアル修道院

16世紀のミサの式次第(式の順序)はとーっても長い時間をかけてアレコレする トリエント・ミサ です。
式文(唱えたり歌ったりする文章)がラテン語のみなので別名 ラテン・ミサ
21世紀は1969年に誕生した 新しいミサ (トリエント・ミサの中身をアレコレ廃止・省略)が主流です。現地語でオケ。


十字架の印(十字を切る)


十字架 磔になって処刑されたキリスト のシンボルです。十字架の印は「十字架を3Dで辿る」の儀式。
印の順番は額→心臓(胸の中央)→左肩→右肩。「 聖霊 」は 三位一体 。「 アーメン 」は祈りや 賛美歌 の結びの言葉。
トリエント・ミサでは十字架の印が33回(イエス・キリストが地球にいた年数)あるそうです。
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スペイン語
En el nombre del Padre,
y del Hijo
y del Espíritu Santo.
Amén.
英語
In the Name of the Father,
and of the Son,
and of the Holy Ghost.
(=and of the Holy Spirit.)
Amen.
ラテン語
In nomine Patris,
et Filii,
et Spiritus Sancti.
Amen.

16世紀が何語なのかは分かりませんでした。英語はラテン語「Spiritus:聖霊」を「Ghost(21世紀はSpirit)」と訳してるっぽい。
英国国教会も手の動きはカトリック教会と一緒。
「十字架の印なんて不要!」って意見(後のピューリタン)もあったけど、1604年 聖公会祈祷書 で「必要!」とキッパリ決定します。

+ 小さい十字架の印


ロザリオ


カトリック教会はミサがなくても毎日 聖マリアへの祈り (アヴェ・マリア)をします。
やり方は、十字架の印→信仰宣言→主の祈り→聖マリアへの祈り→栄唱の後に、主の祈り→聖マリアへの祈り→黙想を5回。
ロザリオは間違えないように回数を確認するためのもの。
「天にましますわれらの父よ…(主の祈り)」「めでたし聖寵満ち満てるマリア…(聖マリアへの祈り)」と唱えながら珠を移動。
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ちょっと見づらいけどスペイン王フェリペ2世が左手にロザリオを持ってます。( アロンソ・サンチェス・コエリョ 作)


+ 黙想ってなに?


儀式(サクラメント)


サクラメントは「神様の見えない恩寵を目に見える」「体感して受け取ることができる」の儀式です。
教派によってやり方がいろいろ。
キリスト教用語も英語は同じなにのに日本語だと違ったり、その逆だったり、…複雑です。ここではなるべくカトリック教会を。
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Rogier van der Weyden 画「 The Seven Sacraments Altarpiece 」(1445-1450年:ネーデルラント)

カトリック教会 秘跡 洗礼 堅信 聖体 キリスト教入信の儀式
告解 終油 いやしの儀式
叙階 結婚 交わりと使命を育てる儀式
英国国教会
39箇条
聖奠(せいてん) 洗礼 聖餐 イエス・キリストが制定した儀式
洗礼 聖餐(=聖体)
聖奠的諸式 懺悔 聖婚 堅信、 聖職按手 (=叙階)、終油 聖霊の導きで教会がする儀式
プロテスタント教会 礼典 洗礼、聖餐(=聖体) 新約聖書に書いてある儀式

+ 七つの秘蹟


洗礼(バプテスマ)の秘蹟


洗礼はキリスト教への入信の儀式。 入信者 は洗礼式で洗礼を受けると原罪と今までにやっちゃった罪が赦されます。
幼児は 幼児洗礼 。大人は成人洗礼(Adult baptism)で「信仰」「いままでの罪の痛悔」「キリスト教の教え」のバッチリ理解が必須。
「神様に対する契約の証人」「信仰生活の導き手」「後見人」として 名付け親 (代父母)が洗礼式に立ち会います。
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サン・パブロ教会 で幼児洗礼を受けるフェリペ2世( Palacio de Pimentel のタイル)

+ 原罪ってなに?

+ 洗礼ってどんなコトするの?

+ 洗礼名ってなに?

+ ついでにF&Bに登場する皆さんの洗礼名の由来♥(ネタバレ)

+ 洗礼の次は堅信


聖体(ホスチア)の秘蹟


聖体は聖変化した聖体(パン:神様の御体、水で薄めたワイン:神様の御血)を口にして神様を身体の中に受け入れる儀式です。
イエス・キリストの最後の晩餐が由来。
洗礼を受けてない人が気軽に食べちゃダメっぽいです。
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ミサの中の「 聖餐 」で司祭は御血が入ってる 聖杯 (カリス)に浸した御体を信者の舌の上に乗せます。
飲み込んだりバリバリ噛んだりするっぽい。
バリバリ噛むのは賛否両論。口の中で溶ける聖体もあります。聖体を食べられない幼児や病人はワインでもオケ。

+ 聖変化ってなに?


終油の秘蹟


終油の秘蹟(Extreme Unction)は死を迎えるカトリック教徒が受ける最後の儀式です。死を迎える魂の死への準備。
病死以外の死刑囚が受けられるのは告解と聖体のみ。
時代によって名前や方法が変わるのでF&B時代の方法はちんぷんかんぷん。1970年初期からは 病者の塗油 になります。
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Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント)

1 告解 教徒が洗礼後に犯した罪の赦しのために司教・司祭に告白する。いない場合は誰でもオケ。
もし罪を犯したままだと地獄や煉獄に行っちゃう。天国に行けない。
2 終油 教徒に平穏や勇気を与えるために司教・司祭が教徒の体(額や唇など)にオリーブ油や純正植物油を塗る。
告解できない教徒はこれで罪の赦しオケ。
3 聖体 教徒にあの世に旅立つ体力回復、永遠の命を与えるために司教・司祭・助祭・ 臨時奉仕者 が聖体を与える。
聖体を口にできない時は、たぶんワインでもオケ。告解や終油ができなかった教徒にも必ずやる。

+ 最後の審判で「永遠の生命」を与えてもらうぞー!

+ どんな人が地獄へいくの?


大斎日(カ:だいさい、英:たいさい)と小斎日(しょうさい)


大斎と小斎は食べる量を減らす日です。元ネタは 初代教会 の水曜日と金曜日の断食。
神様への集中(spiritual focus)、自身への鍛錬(self discipline)、 神様の模倣 、罪のゆるし(performing penance)をするためのもの。
21世紀もカトリック教徒は金曜日に 魚フライ を食べる習慣があります。
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Daniele Crespi 画「The Fasting of St. Charles: 聖カルロ・ボッロメーオ の大斎日」(1625年頃:イタリア)

大斎日 断食 の日。1日に1回十分な食事を摂って、あとの2食は少ない量に抑える。
小斎日 禁欲 の日。鳥獣の肉、卵(16世紀はお肉ってジャンルなの)、乳製品を食べないようにする。お魚は食べてもいい。

+ 修道院の小斎日ってどんな感じ?


年間スケジュール


全部は把握できてないけどなるべくF&B時代の開催日、なるべくカトリック教会の名称です。
英国国教会は調べてる途中で力尽きたorz
年中やってるのは16世紀の食料事情もあるようです。あと7歳以下の子供、病人、体力が必要な仕事、学生、旅行者は免除かも。


四旬節 キリスト教徒の最重要日 ▲復活祭 までの46日間。復活祭は1587年は3月29日、1588年は4月17日です。
祈願節 ▲昇天日 (木曜日)までの3日間。祈願節 は年に4回あるみたいだけど、よく分からなかったです。
待降節(アドベント) ▲クリスマス までの4週間。日曜日から始まる。
四季の斎日 ・冬…待降節の第3日曜日からの一週間。
・春…四旬節の第1日曜日からの一週間。
・夏… ▲聖霊降臨祭 (神様の聖霊が降ってきた出来事)から ▲三位一体の祝日? (日曜日)までの一週間。
・秋… ▲十字架称賛祝日 (処刑に使った十字架が発見された出来事)の後の日曜日からの一週間。
重要な ビジリア ・▲聖霊降臨祭の前の土曜日。
▲諸聖人の日 (すべての聖人と殉教者を記念)の前夜10月31日。
・▲クリスマス・イブの12月24日。 などなど。

+ とっても大変な四旬節

+ 四旬節が終わった!復活祭のイースター・エッグだ!

+ イエス・キリストの誕生だ!公現祭のロスコだ!(残酷な画があるのでご注意下さい)


スペイン異端審問


スペイン異端審問はスペイン、スペインの領土、スペインの植民地で 異端 の容疑者を裁判するカトリック教会のシステムです。
1478年 カトリック両王 がユダヤ教徒とイスラム教徒を確実に改宗させるために設立。
最後の処刑は1826年 理神論 を唱えた教師 Cayetano Ripoll 。ヨーロッパ中から「時代遅れ」とドン引きされて1834年廃止します。
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González de Montes, Raimundo著「Sanctae Inquisitionis Hispanicae artes aliquot detectae, ac palam traductae. English」(1569年)

+ スペイン異端審問の組織

+ スペイン異端審問の流れ