スペイン帝国


スペイン帝国 は本国、植民地、属領( 副王 が統治する地域)の総称です。
植民地の 西インド諸島 、アメリカ大陸の一部、 フィリピン諸島 が「インディアス」。メキシコ属領が「 ヌエバ・エスパーニャ 」。
イケイケなスペイン帝国は地球規模なのでご近所じゃないものはこちら【登場場面】全体をどうぞ。



スペイン


アロンソの領地リオハは ラ・リオハ州 に丸印つけてます。リオハ・ワインの生産地として有名だからこれかなぁって。



レイノサ(レイノーサ)


カンタブリア州 レイノサは カンタブリア山脈 にある高原の村です。
郷土料理はマス、イノシシ、シカ。
ご近所に Alto Campooスキー場 やイベリア半島の重要な川の1つ エブロ川 の源流( フォンティブレ )があります。
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レイノサの風景

+ レイノサのロスコ


リオハ


ラ・リオハ州はカンタブリア山脈と川(エブロ川、 オハ川 、…)が美味しいワインを育みます。
聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路 (赤線)を歩く巡礼者が「あそこのワインはウマイ!」と評判を拡散。
あっ、ラ・リオハ州はシェリー酒も有名。あと レイバ村 があったのでとりあえずチェックしときました。
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ナバレテ の風景

+ リオハのワイン


ピレネー山脈


ピレネー山脈はスペインとフランスを分ける430km続く山脈。最高峰は アネト山 の3,404mです。
峠は① イバニェタ峠 、② Port de Larrau 、③ Col de la Pierre St Martin 、④ ソンポルト峠 、⑤ Col du Pourtalet …などなど。
イバニェタ峠のフランス側は三アンリの1人ナヴァール王 アンリ・ド・ブルボン ナヴァール王国 です。マル印はかなりテキトー。
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+ イバニェタ峠


カディス


カディスはスペイン商船を護る インディアス艦隊 (たぶんビセンテのお仕事)の母港です。母港は本拠地ってこと。
日本語だとぜーんぶ「カディス湾」だけど、外側は Golfo de Cádiz (大きい湾)、内側は Bahía de Cádiz (小さい湾)なのでご注意。
サー・フランシス・ドレイク はこの地図でカディスをガンガンやっちゃいました。
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+ ガンガンやっちゃった「スペイン王の髭焦がし」


16世紀のカディス


1572年より前


リスボン


リスボンは1255年からポルトガル(F&B時代は王フェリペ2世が統治中)の首都です。
ヨーロッパのハブ港で、アフリカやインドから運ばれたスパイス・奴隷・砂糖・織物…は全部リスボンに到着。
1588年5月28日スペイン艦隊アルマダはここから出航します。
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16世紀のリスボン


ポルトガル王 マヌエル1世 は1510年テージョ川沿いに リベイラ宮殿 を建築。山頂の サン・ジョルジェ城 は影が薄くなってます。
1583年からは Council of Portugal (ポルトガル植民地の統括機構)と ポルトガル副王 の住居。
F&B時代は アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1599年王フェリペ2世の娘 イサベル と結婚)がお住まいです。

1598年

+ ちょびっとだけど街はこんな感じ


海軍本部ってどこにあるんですかー!?


海軍本部が何者でどこにあるのかぜーんぜん分かりませんでした。ポルトガル語オテアゲデスorz
とりあえずテージョ川沿いにある立派な建物は 通商院 食料庫 っぽい。
通商院はポルトガル植民地を統括する組織だし、造船所(The Ribeira das Naus shipyard)の隣にあるし…アヤシイ感じしませんか?
wikipedia(リスボンの地図)

1598年


サン・ヴィセンテの塔(ベレンの塔)


サン・ヴィセンテの塔は16世紀ポルトガル王マヌエル1世がヴァスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して作った要塞です。
テージョ川を出入りする船を監視。
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マドリード




16世紀のマドリード


こちらは Anton van den Wyngaerde 画「Vista de Madrid:マドリードの風景」(1562年)です。人口30,000人くらい。
1561年王フェリペ2世は首都をバリャドリッドからマドリードに遷都。
以降マドリードはスペインの首都。あっ、 王フェリペ3世 (フェリペ2世の息子)が一時バリャドリッドに戻してます(1601-1606年)。
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城壁の外
1 カサ・デ・カンポ (王室の狩場) 2 サンビセンテの丘? 3 カンポ・デ・モロ (闘牛場?)
4 バルガス宮殿 5 セゴビア橋 6 なめし革工場?(las Tenerías del Pozacho)
7 サン・フランシスコ教会(Iglesia de San Francisco) 8 トレド橋
城壁の中
1 アルカサル宮殿 (マドリード王宮) 2 サン・ミゲル・デ・ラ・サグラ教会 3 サン・フアン大聖堂
4 サンティアゴ教会 5 ガオナ塔(Torre Gaona) 6 サン・サルバドール教会
7 グアダラハラ門 8 ラ・ベガ門 9 ナリグエス塔
10 サン・ミゲル・デ・ロス・オクトエス教会 11 サン・ニコラス教会 12 サン・フスト教会
13 セラーダ門 14 サン・ペドロ教会 15 オビスポ礼拝堂
16 サン・アンドレス教会 17 ロス・ラッソ塔(Torre de Los Lasso) 18 ムーア門


マドリード王宮


F&B時代のマドリード王宮は、9世紀スペイン征服中のイスラム教徒ムーア人が要塞として建築したアルカサル城です。
1537年 王カルロス1世 (王フェリペ2世の父親)はここを王宮に改造。
王フェリペ2世は首都をマドリードに遷都して、アルカサル城を本格的な王宮に大改造してます。
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残念ながらアルカサル城は1734年クリスマスイブに全焼しちゃいました。王フェリペ2世が愛した多くの美術品も消滅。
ってことで、1738年 王フェリペ5世 はここに マドリード王宮 を新築。
21世紀は1階 Royal Armoury of Madrid に王フェリペ2世が 馬上槍試合 で着る鎧(The tournament pieces)が展示されてます。
ちなみにセゴビアにあるもう1つの アルカサル城 は白雪姫のお城のモデルになりました。

+ 平面図


デスカルサス・レアレス修道院


デスカルサス・レアレス修道院は1559年建築の クララ童貞会 女子修道院。以前は王子フェリペ2世一家が暮らした宮殿がありました。
ポルトガル王家の嫁 フアナ・デ・アウストリア (王フェリペ2世の妹)は夫が亡くなり、スペインに帰国して修道院を創設。
未亡人や未婚の貴族達に大人気。皆様の持参金も集まってヨーロッパの裕福な修道院の1つになります。
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神聖ローマ皇帝の嫁 マリア・デ・アブスブルゴ (王フェリペ2世の妹)も夫が亡くなりここで生涯暮らしました。
有名な作曲家 トマス・ルイス・デ・ビクトリア は1587年からここでマリアの 神父
マリア死後は修道院オルガン演奏者として生涯奉職。この方は1565年 イエズス会ドイツ人神学校 (ローマ)で カントル もやってます。


マドリード周辺


うーん、アビラとパストラーナ城がとっても遠い…どっちかです。



グアダラマ山脈


東西に80km続く山脈。最高峰は ペニャララ山 の2,428mです。
動物は スパニッシュ・ヤギ ノロジカ ヤマネコ イノシシ 、キツネ、ウサギ、 イベリアカタシロワシ …などなど。
山脈の主成分は花崗岩。エル・エスコリアル宮殿やアビラの市壁もこれ使ってるのかしら?
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東西南北をグアダラマ山脈で囲まれたエル・エスコリアル宮殿は アバントス山 の麓にあります。

山脈とエル・エスコリアル宮殿


エル・エスコリアル宮殿(正式名:エル・エスコリアル・サン・ロレンソ修道院)


1557年8月10日( 聖ロレンソ の日)スペインは サン・カンタンの戦い でフランスを撃破します。
王フェリペ2世は破産宣告するほど貧乏だったけど「聖ロレンソの顕彰と勝利」の記念にエル・エスコリアル宮殿を建築。
なんと建築期間21年(1563-1584年)です。設計は ルネサンス建築 フアン・バウテイスタ・デ・トレド
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+ 平面図


パストラーナ(訳はテキトー)


パストラーナは1174年カスティーリャ王 アルフォンソ8世 から カラトラバ騎士団 を拝受しました。
1369年 王エンリケ2世 からなんかの特権(privilegio de villazgo)を拝受して急成長。
1541年アレコレあってAna de la Cerda y Castro(エボリ大公夫人 アナ・デ・メンドーサ の祖母)がパストラーナを購入しました。
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1569年王フェリペ2世の重臣エボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ (エボリ大公夫人の夫)がパストラーナを購入しました。
王フェリペ2世は感謝の印に「 パストラーナ公爵 」の爵位をプレゼント。
パストラーナは 公爵領 になります。1573年からRuy II Gómez de Silva y Mendoza(エボリ大公夫人の息子)の公爵領です。
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+ パストラーナ城


アビラ


アビラは クラウディオス・プトレマイオス 著「 Geography 」(150年頃)に登場する古代都市Abulaかもしれません。
Abulaは ヒスパニア で最初にキリスト教に改心した街の1つ( 聖セグンド )。
街は16世紀に繁栄。 José Martínez Ruiz 著「El alma castellana」によると「おそらくスペインで最も16世紀の街」です。
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+ アビラの市壁


アビラの聖ヴィセンテ教会


殉教者ヴィセンテはローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスに迫害されて、遺体は岩中に埋めらました。
1175年その上に教会を建築。
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聖ヴィセンテのお墓


ネーデルラント


ネーデルラント(Low Countries:低地の国々)は個別の国が集まった地域。21世紀のベルギー、オランダ、ルクセンブルクです。
F&B時代はスペインと北部7州(オランダ)で 八十年戦争 (1568–1648年)の真っ最中。
南部は スペイン領ネーデルラント 。北部7州は1579年 ユトレヒト同盟 を結んでスペインに徹底抗戦してます。
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+ なんでネーデルラントがスペイン領なの?

+ 海の乞食団


アントウェルペン/アントワープ


アントウェルペンは16世紀前半に国際経済で繁栄した大都市です。
イングランド・ヴェネツィア・スペイン・ポルトガル・ユダヤ…多くの外国商人が住み、何百の船、何千の荷馬車が往来。
スペイン王フェリペ2世の統治によって街ボロボロ、経済ボロボロ。(カトリックを強制された貴族・プロテスタントが反乱→1568年八十年戦争→アントウェルペンは1585年降伏)
迫害されたプロテスタントは北部7州(オランダ)へ亡命、国際経済の繁栄も一緒に亡命。
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16世紀 1598年




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