イングランド王国


イングランドは1541年 王ヘンリー8世 (女王エリザベス1世の父親)から勝手にアイルランド王も名乗ってます。
女王エリザベス1世が亡くなった1603年スコットランド王 ジェームズ6世 がイングランドも統治。
1707年合併して グレートブリテン王国 。1801年アイルランド王国も合併して グレートブリテン及びアイルランド連合王国 になります。
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イングランド




ランズ・エンド


ペンウィズ半島の左端っこにあるランズ・エンドは、 ブリテン島 ブリテン諸島 で一番大きい島)の最西端です。
イギリスの最西端はもうちょっと左にある シリー諸島
2012年ロンドン・オリンピックの聖火リレーはランズ・エンドからスタートしてます。
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エディストーン


ナイジェルも避けるエディストーンはプリマスの22.5km南にある岩礁です。イギリス海峡からプリマス港に入る時にとっても危険。
座礁したらアウト。
ってことで、灯台を建築。引退したスミートン灯台の先っぽ( スミートン・タワー )は ホーの丘 にあります。
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歴代の灯台
1698-1703年 ウィンスタンレイ灯台(Winstanley's lighthouse)
1705-1755年 ラディヤード灯台(Rudyard's lighthouse)
1759-1877年 スミートン灯台(Smeaton's lighthouse)
1882年-現在 ダグラス灯台(Douglass's lighthouse)


イングランドとフランス




白い崖


白い崖はイングランド南東部に広がる、白くて柔らかいチョーク(石灰質プランクトンの遺骸)の壁です。
有名な『ドーバーの白い崖』は最高110mの高さで、1年に1cmくらい成長。たまに崩壊するからご注意。ここから落ちたら痛いです。
昔ブリテン島(イングランドがある島)が『アルビオン』と呼ばれたのは、白い崖のalbus(ラテン語:白い)が語源。
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+ イギリスのスゴイ自然ベスト10


イングランド領カレー


イングランド領カレーはイングランド王 エドワード3世 が1346年 カレー包囲戦 でゲトした大陸唯一のイングランド領です。
イングランドにとっての「重要な軍事拠点」。逆にフランスにとっての「致命的な弱点」。
ってことで、ギーズ公 フランソワ が1558年 カレー包囲戦 で奪還。
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William Robert Shepherd 画「Central Europe about 1477」(1926年:The Historical Atlas)


プリマス




ホーの丘


ホーの丘はプリマスの公共スペース。伝説によると 巨人ゴグとマゴグ が白い石灰岩を掘って芝地を露出させたそうです。
うーん、16世紀の画が見つからない…。
1588年 アルマダ海戦 でスペイン艦隊がイングランドに現れたとき フランシス・ドレイク はここで ボウルズ をやってました。
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上側:ホーの丘(21世紀: Mount Batten から)
左下:Thomas Allom画「The Hoe&Citadel、Plymouth - The Regatta Starting」(1831年)
右下:Paul Girardet画「The Armada is in Sight!」(1882年)

+ 案内マップ


バックランド・アビー


バックランド・アビーは1278年デボン伯爵夫人 Amice de Clare が建築した シトー会 (カトリック教会の修道会)の修道院です。
英国国教会を作った王ヘンリー8世は、カトリック教会の排除で修道院も没収。
リチャード・グレンヴィル (ウォルター・ローリーの従兄弟)が購入して住居に改造します。
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リチャード・グレンヴィルは ロアノーク植民地 (北アメリカの植民事業)に失敗。1581年フランシス・ドレイクに売却します。
ドレイクの子孫は1946年までここに居住。
21世紀は誰でも訪問オケ。サー・フランシスの ドレイクの太鼓 もケースに入って展示中です。


プリマスの市壁


プリマスの 市壁 は15世紀初期には街を囲んでいたらしいです。外敵の攻撃から街を守る壁なんだけど…街を守るには軟弱。
1593年ジョン・スパーク市長は「スペイン人が街を燃やすってウワサが!」と強化を嘆願。
枢密院は嘆願をスルー。とーってもその後、市壁は次々と道路に立て替えられて1765年消滅しました。


左側: Wenceslaus Hollar 画「Siege of Plymouth」(1643年)
右側:消滅したホー・ゲート(21世紀:hoegate street)


ドレイクス島(セント・ニコラス島)


ドレイクス島はセント・ミカエル島→セント・ニコラス島→ドレイクス島(ここ100年前頃)と名前が変わった島です。
1135年島に セント・ミカエル 教会を建築。その後 セント・ニコラス 教会になって島の名前も変更。
ゴールデン・ハインド号は1577年ここから出発して1580年ここに帰国しました。1583年フランシス・ドレイクは島の総督に就任。
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ドレイクス島( エッジカム山 から)


狼煙台(のろしだい)/ビーコン


イギリスのあちこちにある小高い丘 ビーコン・ヒル のように地名に「ビーコン」が付く場所は狼煙台の名残だそうです。
灯台 が登場するまでは狼煙台が灯台。
プリマスのどこに狼煙台があるのか分かりませんでした。街の中にBeacon Parkという地名があったけど詳細不明。
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左側:プリマスのどこかにある狼煙台
右側:映画監督 シェーカル・カプール の狼煙台コンセプト(2007年: Elizabeth:The Golden Age


乾ドック/船渠(せんきょ)


F&B時代の乾ドックはぜーんぜん分かりませんでした。どうも街の近くにプリマス・ドックというのがあったみたいです。
アルマダ海戦の後、イングランドはドレーク海軍基地(21世紀のデヴォンポート海軍基地)を建築。
1690年 王ウィリアム3世 が「ここは狭い!」っとデヴォンポートへ移築。ヨーロッパ初の石製(それまでは木製)の階段式ドック。
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デヴォンポート海軍基地(1765年頃)

乾ドック は船を造ったり、修理したりする工場。
この浮式ドックは著者不明『Descrittione dell'artifitiosa machina』に描かれてるのもで、特許を取るための解説らしいです。
上からロープで船を引き上げる仕組み。たいへんだー!

浮式ドック(1560年:イタリアのヴェニス)


セント・アンドリュー教会


セント・アンドリュー教会は15世紀中頃に建てられた教会です。
第二次世界大戦の真っ最中、1941年3月ナチス・ドイツの爆撃( プリマス・ブリッツ )で大きく破損。
1957年に修復(というか新築)が完成しました。
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左側:プリマス・ブリッツで破壊されたセント・アンドリュー教会(1940年代)
右側: William George Hoskins 著「A New Survey of England:Devon」(1954年)


ハーフ・ティンバー様式のお家


ハーフティンバー様式は材木(Timber)で組んだ軸組(Framing)の間を漆喰、煉瓦、石で埋める 木骨造建築 です。
軸組は隠さないでお披露目。
右側は16世紀プリマスに建てられた私掠船船長&商人 William Parker のハーフ・ティンバー様式のお家 Merchant’s House, Plymouth
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+ お家の中はどうなってるの?

+ ついでにウィリアム・シェイクスピアの生家


ロンドン




16世紀のロンドン


もともとのロンドンは建物の半分がカトリック教会のお屋敷や修道院です。人口の1/3が修道士。
1534年王ヘンリー8世は 英国国教会へ宗教改革
ってことで、カトリック教会を排除したついでにカトリック教会が持ってるお屋敷も修道院も建物はぜーんぶ没収します。
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1580年頃

スペインは重要な商業都市アントワープ(ネーデルラント)を破壊。ロンドンはヨーロッパの重要な商業都市に様変わりします。
ネーデルラントやフランスのプロテスタントもロンドンへガンガン亡命。
ロンドンは街も人口もガンガン大きくなっていきます。1530年50,000人だった人口は、1600年200,000人に増加。
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+ ちょびっとだけど街はこんな感じ


ホワイト・ホール宮殿


ホワイト・ホール宮殿は白色の石を使った建物。もともと ヨーク大司教 のロンドン公邸「York Place」です。
1240年頃ヨーク大司教 ウォルター・ド・グレイ は政治の中心 ウェストミンスター宮殿 の近所に土地を購入して邸宅を建築。
ヨーク大司教になった トマス・ウルジー枢機卿 が手間暇かけて大邸宅にグレードアップします。
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John Thomas Smith 著「Antiquities of Westminster」(1807年)

ある日王ウルジー枢機卿は「ローマ教皇へ王様の離婚を説得」で失敗。怒ったヘンリー8世はウルジー枢機卿の全財産を没収します。
どさくさに紛れて財産じゃないロンドン公邸まで没収。
政治の中心はホワイト・ホール宮殿に移ります。1691年と1698年の火災で宮殿の大半が焼失。お金が無くて再建できませんでした。

+ 平面図


ウェストミンスター宮殿


11世紀に建てられた最初のウェストミンスター宮殿はイングランド王のお家です。1512年の火災で宮殿のアチコチ焼失。
ってことで、王ヘンリー8世はお家をホワイト・ホール宮殿に引っ越し。
焼失を免れたウェストミンスター・ホールを イングランド議会 王立裁判所 に使用します。 星室庁(Star Chamber) もこちら。
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Henry William Brewer画「Palace of Westminster in the reign of Henry VIII」

どんどん拡大したウェストミンスター宮殿は1834年の火災で宮殿の大半が焼失します。
焼失を逃れたのはウェストミンスター・ホール、 聖ステファン教会 回廊と 聖メアリー礼拝堂地下室 ジュエル・タワー だけ。
1840年から30年かけて再建。21世紀は 貴族院 庶民院 イギリス議会議事堂 に使ってます。

+ 平面図

+ 女王エリザベス1世はウェストミンスター宮殿へ歩いて行くの?


ニューゲート監獄


ニューゲート監獄(1188-1902年)は ロンドン市城壁 に7つある門の1つ ニューゲート の敷地にある刑務所です。
1188年 王ヘンリー2世 の命令で建築。
イギリス史上最悪の刑務所で賄賂や虐待が横行してます。これを改善したのが19世紀キリスト教の慈善家 エリザベス・フライ
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左側:Henry William Brewer画「Poster of Newgate in the sixteenth century」
右側: 5ポンド紙幣 のエリザベス・フライ(発行:2002年5月21日-現在)

+ 平面図(残酷な画があるのでご注意下さい)

+ クリンク監獄(残酷な画があるのでご注意下さい)


劇場


イングランド初の劇場は レッド・ライオン (1567–1568年: ホワイトチャペル )です。でもあっという間に失敗。
初の成功は大きな劇場 シアター座 (1576年: ショアディッチ )。
シアター座の成功でその後どーんどん劇場が建てられます。ってことで、劇団は劇場、 宿 法曹院 で公演♥
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薔薇座( The Rose Playhouse さんより)

+ 後援者がいない劇団は「放浪者」

+ よーし!劇場を建てちゃうぞー!(残酷な画があるのでご注意下さい)

+ よーし!グローブ座も建てちゃうぞー!


ロンドン橋


ロンドン橋が石の橋になったのは1209年です。それまでは何度も崩壊を繰り返した木製で London Bridge is broken down ♪
橋の上に住宅、商店、礼拝堂を建築。
なんか画のテムズ川が激流っぽいけど、水流が狭いアーチを通るので実際すさまじい急流だったそうです。
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Peter Jackson画「Old London Bridge, c 1600」

+ 凍るテムズ川

+ 16世紀のロンドン橋


デットフォード王立造船所


デットフォード王立造船所は英国海軍の重要な造船所&海軍基地です。別名「海軍の揺りかご」。
1513年王ヘンリー8世(女王エリザベス1世の父親)が創立。
その後どーんどん拡大。軍艦が大きくなってくると浅瀬のテムズ川では不便になって1869年に閉鎖します。
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左側:絶賛展示中のゴールデン・ハインド号(1581年頃)
右側: John Evelyn 画「Map of Deptford Strond or West Greenwich belonging」(1623年)

女王エリザベス1世は世界一周を終えた ゴールデン・ハインド号 をデットフォード王立造船所で公開展示しました。
残念ながら1660年朽ち果てて解体。
1581年 フランシス・ドレイク は展示中の船内でナイトの爵位を授与してます。サー・フランシス・ドレイクになったの。

+ ウォルター・ローリーの外套


ロンドン塔


ロンドン塔は女王陛下の宮殿にして要塞です。造幣所、天文台、銀行、監獄、王立動物園を装備。
13世紀から身分の高い人々専用の監獄&処刑場にご使用。
最後の住人は王ジェームズ1世。21世紀は徳川秀忠(江戸幕府の2代目将軍)がジェームズ1世に贈った甲冑が展示されてます。
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Anton van den Wyngaerde 画「Panorama of the Tower and Greenwich」(1543年)

+ 平面図

+ ロンドン塔に収監された王女エリザベス1世


21世紀のハムステッド


ハムステッドは チャリング・クロス の北西4マイル(6.4 km)にあるロンドンの最高級住宅街の1つです。大富豪が大勢お住まい。
お名前の由来は 古英語 の「ham+stede」(homestead)。
丘がある広大な公園 ハムステッド・ヒース では皆さんピクニックを楽しんでます。
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ハムステッド・ヒース

ハムステッドは開発は17世紀になってから。16世紀は丘しかない「非常に景色が良い場所」「非常に空気が健康に良い場所」です。
1603年 ロンドンの大疫病 が発生。
政治家 William Wade の記録によると大勢のロンドン市民がハムステッドに避難したそうです。
British History Online (Hampstead: Settlement and Growth)さんより~

+ アパートメント


ポーツマス




ウィンチェスター大聖堂


ウィンチェスター大聖堂は642年ウェセックス王 チェンワルフ が十字形の教会 オールド・ミンスター を建てたのが始まりです。
11世紀ノルマン人がイングランドを征服( ノルマン征服 )。
主教ウォークリン (たぶん ルーアン大聖堂 の司祭)は1093年オールド・ミンスターを破壊してウィンチェスター大聖堂を建てます。
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大聖堂
左側:オールド・ミンスター
右側:ウィンチェスター大聖堂(21世紀)

1534年王ヘンリー8世の宗教改革で ベネディクト会 修道院 は解散。ウィンチェスター大聖堂は英国国教会の大聖堂になります。
女王メアリー1世は1554年大聖堂で王フェリペ2世と結婚。
ちなみにF&B時代ウィンチェスター大聖堂の主教は元気ハツラツな Thomas Cooper (任期:1584–1594年)です。

+ 平面図


アランデル城


アランデル城は1067年初代アランデル伯(第1期)ロジャー・デ・モンゴメリーによって建てられたお城。
持ち主はオービニー家→王様→フィッツァラン家と代わり、1556年第19代アランデル伯(第2期)の娘メアリー・フィッツァランが第4代ノーフォーク公トマス・ハワード(レディ・アンの舅)と結婚してハワード家が城主となった。
リドルフィ陰謀事件とかいろいろあったけど、現在もハワード家が住んでいる。
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アラン川 図書室

※リドルフィ陰謀事件
ロベルト・ディ・リドルフィ(1531–1612)の「女王エリザベス1世を暗殺してメアリー・スチュアートをイングランド女王にする」という計画。ウォルシンガムに阻止されて失敗。
第4代ノーフォーク公は1569年「メアリーと結婚」の嫌疑で逮捕。解放後に今度は「スペイン王フェリペ2世と一緒にリドルフィ陰謀事件に参加」の嫌疑で逮捕。
爵位もお城も没収されて処刑。その後お城は後継者に返還された。 ←wikipedia要出典の内容。


ハートフォードシャー



ニュー川 は1613年ロンドンの飲料水のために作られた人工水路です。F&B時代の最寄りはリー川?


ティバルト・ハウス


ティバルト・ハウスはCullynges→Tongs→William de Tongge→Thebaudes(1440年)→Tibbolds→Theobaldsと名前が変わったお屋敷。
バーリー男爵ウィリアム・セシルは、1564~1585年ここにお屋敷を建築。
庭は フォンテーヌブロー宮殿 (フランス)にならって、植物学者 ジョン・ジェラード が設計。
バーリー男爵の宮廷での地位にふさわしい建物で、女王エリザベス1世は1572~1596年の間に8回訪問してます。
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王ジェームズ1世の頃 1630年

1607年ソールズベリー伯ロバート・セシルと王ジェームズ1世は、ティバルト・ハウスとハットフィールド宮殿を交換。
ティバルト・ハウスは王様のお気に入りだったそうです。
その後ティバルト・ハウスを相続したのは、王チャールズ1世(王ジェームズ1世の息子)。
ピューリタン革命 で処刑されて、ついでに王様の財産ティバルト・ハウスも1650年頃破壊。なんということを…。


ハットフィールド宮殿


オールド・パレスは1485年頃イーリー大司教 ジョン・モートン が建築したお屋敷。
英国国教会を作った王ヘンリー8世は、カトリック教会の排除でお屋敷も没収。
王様の子供達(メアリー1世、エリザベス1世、エドワード6世)はここで幸せな子供時代を送ったそうです。
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1553年女王メアリー1世が即位して、英国国教会だったイングランドはカトリック教会に逆戻り。
女王様は「英国国教会がエリザベス1世を女王にしようと計画するかも?ヤバイ!」と、エリザベス1世をハットフィールド宮殿に監禁。
そんな女王様も1558年死亡。エリザベス1世は庭のオークの下で、この知らせを聞いたそうです。

オールド・パレス ハウス

ティバルト・ハウスと交換したソールズベリー伯ロバート・セシルは、1611年近所にジャコビアン様式の豪華なハウスを建築。
オールド・パレスは3/4を破壊して厩舎(馬のお家)に使用してます。なんということを…。


リー川


リー川は16世紀までロンドンへ穀物を運ぶ重要なルート。川がグニャグニャしているので12世紀頃からアレコレ改良されてます。
1577年 ウォーサン・アビー 閘門 (こうもん:段差のある川で船を上げ下げする装置)第一号も建築。
F&B時代はもっとシンプルな川だったのか?詳細は分からなかったです。あと ボウ・クリーク はリー川とテムズ川の合流点。
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ハートフォードの上流 ボウ・クリーク

需要なさそうだけど21世紀のリー川はこんな感じです。