ネーデルラント17州


ネーデルラントは ヴァロワ=ブルゴーニュ家 の領地 ブルゴーニュ領ネーデルラント でした( ブルゴーニュ公国 )。
1477年最後の君主 マリー女公 と神聖ローマ皇帝 マクシミリアン1世 が結婚。
1482年マリー女公が死亡して ハプスブルク家 の領地 ハプスブルク領ネーデルラント になります。 神聖ローマ帝国 が支配したの。
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神聖ローマ皇帝 カール5世 の領地(1550年)

1556年神聖ローマ皇帝 カール5世 (王フェリペ2世の父親)が退位。ハプスブルク家は スペイン系 オーストリア系 に分かれます。
ってことで、ハプスブルク家の領地も分割。
ネーデルラントはスペイン系ハプスブルク家の領地 ネーデルラント17州 になります。スペイン王フェリペ2世の領地ね。


八十年戦争で「ネーデルラント連邦共和国」「スペイン領ネーデルラント」に分離


ネーデルラントは個別の州が集まった地域です。王フェリペ2世の支配にアチコチで不満爆発(1568–1648年: 八十年戦争 )。
ってことで、1581年北部7州が勝手に独立。
ネーデルラント17州は「北部の ネーデルラント連邦共和国 」「南部の スペイン領ネーデルラント 」に分離しちゃいます。

The Netherlands in the time of Elizabeth(1905年:Charles Colbeck著「The Public Schools Historical Atlas」)

州名 独立 備考
ネーデルラント連邦共和国
(21世紀: オランダ
01 フリースラント領 1581年
02 フローニンゲン領 1594年
(03) ドレンテ領 1591年 ・人口が少なかったのでフローニンゲン領の 州総督 が管轄
04 オーファーアイセル領 1591年
05 ゲルデルン公国 1581年 ・南部( Upper Guelders )はスペイン領ネーデルラントのまま
(06) ズトフェン伯領 1581年 ・ゲルデルン公国が併合(1591年独立)
07 ユトレヒト領 1581年
08 ホラント伯領 1581年
09 ゼーラント伯領 1581年
スペイン領ネーデルラント
(21世紀: ベルギー
10 フランドル伯領 アントウェルペン (英名:アントワープ)はこの辺
11 ブラバント公国
12 メヘレン領
13 リンブルフ公国
14 アルトワ伯領
15 エノー伯領
16 ナミュール伯領
17 ルクセンブルク公国
カンブレー ・1543年聖ローマ皇帝カール5世がフランスからゲト
神聖ローマ帝国 リエージュ司教領


ネーデルラント総督


王フェリペ2世は ネーデルラント総督(Governor/Governor-General) を置いてネーデルラント17州を統治します。
ネーデルラント総督の下で各州の 州総督(Stadtholder) が統治。
1581年勝手に独立したネーデルラント連邦共和国は 議会 で選ばれた オランダ総督(Stadtholder) がリーダになります。
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期間 ネーデルラント総督 備考
1555-1559年 サヴォイア公 エマヌエーレ・フィリベルト フェリペ2世の従兄弟
1559-1567年 パルマ公妃 マルゲリータ・ダウストリア フェリペ2世の異母姉
1567-1573年 アルバ公 フェルナンド・アルバレス・デ・トレド
1573-1576年 ルイス・デ・レケセンス
1576-1578年 ドン・フアン・デ・アウストリア フェリペ2世の異母弟
1578-1592年 パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ フェリペ2世の親戚
※1578-1581連邦議会が独自にオーストリア大公マティアスを招聘。
※1579年1月パルマ公は『アラス同盟』を結成、北部7州は『ユトレヒト同盟』を結成。
1592-1594年 マンスフェルト伯ペーター一世エルンスト
1594-1595年 オーストリア大公エルンスト
1595-1596年 ペドロ=エンリケス・デ・アセヴェド
1596-1598年 オーストリア大公アルプレヒト
1598-1621年 アルプレヒト/イザベラ夫妻共同統治 フェリペ2世の娘


八十年戦争(オランダ独立戦争)


八十年戦争(1568–1648年)は「スペインからの独立」を目指す ネーデルラント連邦共和国 の反乱です( オランダ独立戦争 )。
大まかに分けると「 最初の40年 」「 12年間の休戦 (1609-1621年)」「 三十年戦争 」って感じ。
イングランド女王エリザベス1世もネーデルラント連邦共和国を応援。1648年スペインが独立を認めます( ミュンスター講和条約 )。
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作者不明「Queen Elizabeth I Feeds the Dutch Cow」(1585年頃)

こちらの画は王フェリペ2世が牛(ネーデルラント連邦共和国)に跨がって無駄にメチャクチャいぢめてます。
女王エリザベス1世は牛にエサを与えて応援。
王フェリペ2世に抵抗する反乱軍リーダのオラニエ公 ウィレム1世 (オレンジ公ウィリアム)が元気になった牛の乳搾りしてます。

+ 反乱軍リーダのオラニエ公ってどんな人?


八十年戦争の始まり


王フェリペ2世にとってネーデルランドは「De landen van herwaarts over:その辺の地域」。ネーデルランドの自治なんて許しません。
ご不満なネーデルラント貴族たちは「権利と自由を守る 貴族同盟 (その後の 乞食党 )」を結成。
ネーデルラント各地でも「 偶像破壊運動 」が勃発。鎮圧しようと王フェリペ2世がスペイン軍を派遣して八十年戦争が始まります。
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サヴォイア公 1555年 オラニエ公が国家評議会に就任
王フェリペ2世(皇太子)がネーデルラント(ブルゴーニュ公)を継承
1556年 4月5日 王フェリペ2世がスペイン王に即位
パルマ公妃 1559年 オラニエ公がホラント伯領、ゼーラント伯領、ユトレヒト領の州総督に就任
1565年 12月 ネーデルラント貴族たち(貴族同盟)が嘆願書「条例の緩和」を作成
1566年 4月5日 ネーデルラント貴族たち(乞食党)が嘆願書「条例の緩和」をネーデルラント総督パルマ公妃に提出
8-10月 偶像破壊運動
1567年 4月17日 アルバ公がスペイン軍を率いてイタリアを出発
4月 オラニエ公が故郷ナッサウ伯領へ亡命
8月 アルバ公がスペイン軍を率いてネーデルラントに到着
9月5日 アルバ公が騒乱裁判所(血の裁判所)を設立
アルバ公がオラニエ公を「アウトロー宣告」して財産没収
9月9日 アルバ公がエフモント伯Lamoralとホールン伯Philip de Montmorencyを逮捕
アルバ公 1568年 6月5日 ネーデルラント総督アルバ公がエフモント伯Lamoralとホールン伯Philip de Montmorencyを処刑
八十年戦争

+ ネーデルラントのご不満

+ 「乞食党」と「海の乞食団」の誕生


スペイン軍の撤退


ネーデルラント総督アルバ公のスペイン軍は反乱軍オラニエ公の反乱をビシバシ制圧。制圧したついでに街で略奪しちゃいます。
ってことで、ネーデルラントが「スペイン軍を追い出せー!」と一致団結(1576年: ヘントの和約 )。
1577年2月ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアはスペイン軍を撤退します( Perpetual Edict )。
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+ ホラント伯領とゼーラント伯領の反乱(1572-1576年)