グランデってなに?


グランデは王様が スペイン貴族 に与える「最大の 個人の尊厳 」です。貴族にとって超ウルトラな名誉。
爵位と一緒に子、孫、…が 世襲
王様はグランデの貴族を「mi Primo:私の従兄弟」、それ以外の貴族を「mi Pariente:私の親戚」と呼んで区別してます。
wikipedia


王族の面前に出た貴族は王様から「着帽のままでオケ」「着席のままでオケ」と声をかけられるとグランデになります。
その後グランデの特権が「課税の免除」「逮捕の免除」、…どーんどん拡大。
お陰様で王様への忠誠を捨てるグランデまで出てきちゃった。ってことで、1470年代後半 カトリック両王 が特権を減らします。

+ グランデの皆さん(元ネタがスペイン語なので訳は超テキトー)


インファンタド公(サンティリャーナ侯)…ビセンテやエボリ大公夫人はここ


メンドーサ家 アラバ Íñigo López (1040–1076年頃)から発祥したスペインの貴族です。14-17世紀宮廷で最有力な貴族の1つ。
スペインとアメリカ大陸で20以上の上流貴族に枝分かれしたメンドーサ家の主流は本家筋 インファンタド公
ちなみに1625年第6代インファンタド公女 Ana de Mendoza y Enríquez de Cabrera は領地800に家臣8万人以上を所有してます。
F&B時代は第5代インファンタド公 Íñigo López de Mendoza y Mendoza です。王フェリペ2世の寵臣。
息子Diego Hurtado de Mendoza y Enriquez de Cabrera(父親より前に死亡)がいたっぽい。この人がサンティリャーナ侯かしら?
2人の娘IsabelとMencíaは フェリア公 アルバ公 に嫁いでます。


エボリ大公夫人 Ana de Mendoza de la Cerda y de Silva Cifuentes は枢機卿 Pedro González de Mendoza から連なる分家筋です。
ちなみに「la Cerda」は ラ・セルダ家 のコト。
カスティーリャ王 アルフォンソ10世 の息子 Ferdinand de la Cerda からの血筋で本家筋の皆さんは メディナセリ公 です。
エボリ大公 Ruy Gómez de Silva はポルトガル系 シルバ家 です。
1526年スペイン王 カルロス1世 に嫁ぐ イサベル・デ・ポルトゥガル (王フェリペ2世の両親)に付き添ってスペインへ移住。
王フェリペ2世の 小姓 になったのが縁で2人は親友になります。
  • 1559年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世からエボリ大公を拝受。
  • ?年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世からグランデを拝受。
  • 1572年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世から パストラーナ公 を拝受。
F&B時代は第2代パストラーナ公Ruy II Gómez de Silva y Mendozaです。メリート大公とエボリ大公は継承してないっぽい?
フランカヴィッラ公 Diego de Silva y Mendoza が継承( De Silva Fernández de Híjar Portugal家 )。
Anaは メディナ・シドーニア公 に嫁いでます。


アスコリ大公…アロンソはここ


レイバ家 ナバラ のJuan Martínez(1350-1384年)から発祥したスペインの貴族です。
Juan MartínezはLeyva領主Sancho e di Aldonza Lopez de Avellaneda( signore di Leyva:21世紀の ラ・リオハ州 Leiva )の息子。
  • ?年 Antonio de Leyva が?からアスコリ大公(príncipe de Áscoli)を拝受。
レイバ家は資料によって年代、お名前、爵位がビミョーに違うのでビシっとは分かりませんでした。


アロンソ・デ・レイバの系図は Genealogía familiar (Alonso Martinez de Leyva)さんを参考にしました。
これによるとAlonso Martinez de Leyvaの父親Sancho Martinez de Leyvaは
Alonso Martinez de Leyvaは
  • ミラノの守備隊長(Capitán General de la Caballería de Milán)
  • Alcuesca隊の指揮官(Comendador de Alcuesca)
妻Mariana Suarez de Mendoza y de la Cerda、息子Sancho Martinez de Leyvaです。


パルマ公…ラウルの母方はここ


ファルネーゼ家 はイタリアから発祥した有力貴族です。15世紀傭兵隊長 Ranuccio Farnese il Vecchio からイケイケがスタート。
孫Alessandro Farneseがローマ教皇 Paul III になってもっとイケイケ。
ローマ教皇Paul IIIは権力を利用してファルネーゼ家の勢力と財産をガンガン増やします。
ちなみに神聖ローマ皇帝 カール5世 (王フェリペ2世の父親)もパルマとPiacenzaを狙ってました。
ローマ教皇Paul IIIは血縁を結ぶコトでこれを回避。
ってことで、1538年14歳のOttavio Farneseと Margaret of Parma (王フェリペ2世の義理姉)が結婚します。


F&B時代は ネーデルラント総督 第3代パルマ公 Alexander Farnese (王フェリペ2世の甥)です。
1565年 Maria of Guimarães (ポルトガル王 マヌエル1世 の孫)と結婚。
王族と結婚したけど 紋章 ポルトガルの紋章 (5個の inescutcheon :小さい盾)を決してご使用しませんでした。

+ ポルトガル王の最有力候補になった息子Ranuccio I Farnese


アルバ公…ラウルの父方はここ


トレド家(またはアルバレス・デ・トレド家) は13世紀 カスティーリャ王朝 から発祥したスペインの貴族です。
1085年から連続で トレド 市長に就任してジワジワ台頭。
最初に姓「Álvarez de Toledo」を名乗ったのはJuan Álvarez de Toledo(Álvaro Ibáñez y de Juana García Carrilloの息子)だそーです。


F&B時代は第5代アルバ公 Antonio Álvarez de Toledo (第3代アルバ公 Fernando Álvarez de Toledo の孫)です。
子供ナシの第4代アルバ公 Fadrique Álvarez de Toledo から爵位を継承。
母親 Brianda de Beaumont からもアレコレ爵位を継承。この辺の詳細はぜーんぜん分からなかったです。


メディナ・シドーニア公


スペインのグランデ。1455年カスティーリャ王フアン2世がニエブラ伯フアン・アロンソ・ペレス・デ・グスマン(Juan Alonso Pérez de Guzmán y Suárez de Figueroa)に初代公位を授けたことに始まる。
wikipedia





※ものすごーくお世話になったサイト。詳細はこちらをご覧下さい。