「【キリスト教】修道会と修道士」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

【キリスト教】修道会と修道士」(2013/02/20 (水) 14:28:42) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#contents_line(level=2,sep=/) *修道会 修道会は、会則/戒律(ルール)を決めて共同生活するグループ。ローマ教皇の認可が必要です。 清貧(贅沢しない)・貞潔(生涯未婚)・服従(神様に仕える)の三誓願+αを立た修道士が、修道院で共同生活してる。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Religious_order]] サー・フランシスの[[バックランド・アビー>http://en.wikipedia.org/wiki/Buckland_Abbey]](Buckland Abbey)やフェリペ2世の[[エル・エスコリアル宮殿>http://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]](Monasterio de El Escorial)も修道院。 Abbeyは修道士達のコミュニティ、Monastery(スペイン語:Monasterio)は修道士達が生活する建物って感じ。 |BGCOLOR(#cccccc):CENTER:修道会|BGCOLOR(#cccccc):CENTER:認可|BGCOLOR(#cccccc):CENTER:創設者|BGCOLOR(#cccccc):CENTER:備考| |BGCOLOR(#cccccc):[[ベネディクト会>http://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_Saint_Benedict]]&br()(黒い修道士)|529|ヌルシアのベネディクトゥス|・カトリック教会最古の修道会。&br()・16世紀修道士ペドロ・ポンセ・デ・レオンがろう学校を設立。| |BGCOLOR(#cccccc):[[シトー会>http://en.wikipedia.org/wiki/Cistercians]]&br()(白い修道士)|1098|モレームのロベール&br()シトーのアルベリック&br()スティーヴン・ハーディング|・初心に戻ろー!っとベネディクト会から独立。&br()・祈り、学習、労働が活動(?)の中心。&br()・彫刻や美術による教示を禁止。(キリスト教は基本[[偶像崇拝を禁止>http://en.wikipedia.org/wiki/Early_Christian_art_and_architecture]]。)| |BGCOLOR(#cccccc):[[ドミニコ会>http://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]&br()(主の犬)|1216|聖ドミニコ|・修道会会則により私有財産を認めない托鉢修道会。&br()・神学の研究に励み多くの学者や異端審問官を輩出。&br()・1602年宣教師フランシスコ・デ・モラレス達が来日。| |BGCOLOR(#cccccc):[[フランシスコ会>http://en.wikipedia.org/wiki/Franciscan]]&br()(乞食僧団)|1223|アッシジのフランチェスコ|・修道会会則により私有財産をテッテー的に認めない托鉢修道会。&br()・説教活動が活動の中心。1593年宣教師ペドロ・バプチスタ達が来日。| |BGCOLOR(#cccccc):[[ヒエロニムス会>http://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymites]]&br()(???)|1373|Pedro Fernández y Pecha&br()Fernando Yáñez y de Figueroa|・イベリア半島の王様達、特にスペイン王フェリペ2世は絶大に支持。&br()・スペイン王カルロス1世(フェリペ2世の父)はユステ修道院で隠居生活。&br()・スペイン領アメリカとポルトガル領アメリカで宣教。&br()・19世紀スペイン王の衰退と共に消滅。(女子修道院は健在。)| |BGCOLOR(#cccccc):[[イエズス会>http://en.wikipedia.org/wiki/Society_of_Jesus]]&br()(教皇の精鋭部隊)|1540|フランシスコ・ザビエルなど&br()パリ大学の学友6名|・高等教育(学校や神学校の設立)、宣教、プロテスタント阻止が活動の中心。&br()・各地に設立した大学から、多くの学者、各国の法律家・官公吏を輩出。&br()・世界で積極的に宣教活動。1549年宣教師フランシスコ・ザビエル達が来日。&br()・カトリック教会にはびこる汚職、不正、霊的倦怠(意味不明)を激しく批判。| **修道士の生活 修道士の1日は神様への祈りと労働。 労働は醸造(ワインやリキュールの薬草酒)、印刷、図書文献管理、聖具製造、修道士育成、知的研究…など。 &ref(修道士の生活_ホセ・デ・シグエンサ.JPG,,height=200)ホセ・デ・シグエンサ神父は『ヒエロニムス会の歴史』を執筆(エル・エスコリアル宮殿の図書室) **フランシスコ会とイエズス会の修道服 フランシスコ会は&bold(){灰色の人}。腰に苦行縄を巻いて裸足。縄は神様の象徴で、3個の結び目(清貧・貞潔・服従の三誓願)がある。 イエズス会は&bold(){黒色の人}。日本で宣教活動する時は、日本人の尊敬と信用を高めるために絹製だったみたいです。 ←ラウルはこっち。 |&ref(修道服_南蛮屏風.JPG,,width=400)|&ref(修道服_トンスラ.JPG,,width=200)トンスラ(ローマ・タイプ)| ※神戸市立博物館の狩野内膳筆『南蛮屏風』(桃山時代)に描かれた宣教師 *手話と指文字 動作+表情の単語で会話する[[手話>http://en.wikipedia.org/wiki/Sign_language]]は、10世紀頃から[[沈黙の行>http://en.wikipedia.org/wiki/Vow_of_silence]](イエズス会は[[霊操>http://en.wikipedia.org/wiki/Spiritual_Exercises_of_Ignatius_of_Loyola]]:28日×5時間の黙想)で使う[[修道院手話>http://en.wikipedia.org/wiki/Monastic_sign_languages]]があった。 っといっても修道士がよく使う簡単な名詞(食べ物、医療、部屋、聖具…)と動詞(立つ、座る、跪く、告白する…)が少々。 足りない単語は指文字とジェスチャーでカバー。 [[指文字>http://en.wikipedia.org/wiki/Fingerspelling]]は、指で一文字ずつ「L・O・V・E」って書きながら会話。15世紀頃ヨーロッパに広まった。 修道士のナイショ話し、記憶術、説教活動の補助(布教中のフランシスコ会)にも活躍。 実は710年[[聖ベーダ>http://en.wikipedia.org/wiki/Bede]](イングランド)がラテン語とギリシャ語の指文字を研究してるけど、ハイレベルすぎて広まらなかったそうです。 |&ref(手話と指文字_LOVE(手話).JPG,,height=150)手話(イギリス)|&ref(手話と指文字_LOVE(指文字).JPG,,height=150)指文字(アメリカ)| 聴覚障害者(deaf)に手話+指文字+口話を教えた先生第1号は、ベネディクト会の修道士[[ペドロ・ポンセ・デ・レオン>http://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Ponce_de_Le%C3%B3n]]。 この時代は「聴覚障害者に教育はムリ」が常識だったから、とーっても大胆です。 1570年頃サン・サルバドル修道院(スペインのオーニャ)にろう学校を設立。生徒は法的な相続手続きに読み書きが必要な貴族の子供達。 &ref(手話と指文字_ペドロ・ポンセ・デ・レオン.JPG,,height=200)ペドロの個人授業 [[イングランドの手話>http://en.wikipedia.org/wiki/British_Sign_Language]]にも、1570年聴覚障害者の手話の記録があります。 ←っとしか書いてないので詳細はわかりませんでした。 ろう学校は1760年一般人トマス・ブレイドウッドがエジンバラに設立。こちらも生徒は裕福な貴族の子供達。 **ついでにクシャミ 指文字じゃないけど、指で十字架を作るのは「Good luck」ってコト。よく使うジェスチャーです。 16世紀のイングランドでは咳やクシャミした時、魔除けのおまじない。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Crossed_fingers]] &ref(手話と指文字_クシャミ.JPG,,height=150)私のトコでは「エンガチョ」なの 誰かがクシャミしたら「Bless you/God bless you(イングランド)」「Salud(スペイン)」。 起源が分からないくらい大昔からある習慣だそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Bless_you]] ---- ----
#contents_line(level=2,sep=/) *修道会 修道会は、会則/戒律(ルール)を決めて共同生活するグループ。ローマ教皇の認可が必要です。 清貧(贅沢しない)・貞潔(生涯未婚)・服従(神様に仕える)の三誓願+αを立た修道士が、修道院で共同生活してる。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Religious_order]] サー・フランシスの[[バックランド・アビー>http://en.wikipedia.org/wiki/Buckland_Abbey]](Buckland Abbey)やフェリペ2世の[[エル・エスコリアル宮殿>http://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]](Monasterio de El Escorial)も修道院。 Abbeyは修道士達のコミュニティ、Monastery(スペイン語:Monasterio)は修道士達が生活する建物って感じ。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:修道会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:認可|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:創設者|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:備考| |BGCOLOR(lightgrey):[[ベネディクト会>http://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_Saint_Benedict]]&br()(黒い修道士)|529|ヌルシアのベネディクトゥス|・カトリック教会最古の修道会。&br()・16世紀修道士ペドロ・ポンセ・デ・レオンがろう学校を設立。| |BGCOLOR(lightgrey):[[シトー会>http://en.wikipedia.org/wiki/Cistercians]]&br()(白い修道士)|1098|モレームのロベール&br()シトーのアルベリック&br()スティーヴン・ハーディング|・初心に戻ろー!っとベネディクト会から独立。&br()・祈り、学習、労働が活動(?)の中心。&br()・彫刻や美術による教示を禁止。(キリスト教は基本[[偶像崇拝を禁止>http://en.wikipedia.org/wiki/Early_Christian_art_and_architecture]]。)| |BGCOLOR(lightgrey):[[ドミニコ会>http://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]&br()(主の犬)|1216|聖ドミニコ|・修道会会則により私有財産を認めない托鉢修道会。&br()・神学の研究に励み多くの学者や異端審問官を輩出。&br()・1602年宣教師フランシスコ・デ・モラレス達が来日。| |BGCOLOR(lightgrey):[[フランシスコ会>http://en.wikipedia.org/wiki/Franciscan]]&br()(乞食僧団)|1223|アッシジのフランチェスコ|・修道会会則により私有財産をテッテー的に認めない托鉢修道会。&br()・説教活動が活動の中心。1593年宣教師ペドロ・バプチスタ達が来日。| |BGCOLOR(lightgrey):[[ヒエロニムス会>http://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymites]]&br()(???)|1373|Pedro Fernández y Pecha&br()Fernando Yáñez y de Figueroa|・イベリア半島の王様達、特にスペイン王フェリペ2世は絶大に支持。&br()・スペイン王カルロス1世(フェリペ2世の父)はユステ修道院で隠居生活。&br()・スペイン領アメリカとポルトガル領アメリカで宣教。&br()・19世紀スペイン王の衰退と共に消滅。(女子修道院は健在。)| |BGCOLOR(lightgrey):[[イエズス会>http://en.wikipedia.org/wiki/Society_of_Jesus]]&br()(教皇の精鋭部隊)|1540|フランシスコ・ザビエルなど&br()パリ大学の学友6名|・高等教育(学校や神学校の設立)、宣教、プロテスタント阻止が活動の中心。&br()・各地に設立した大学から、多くの学者、各国の法律家・官公吏を輩出。&br()・世界で積極的に宣教活動。1549年宣教師フランシスコ・ザビエル達が来日。&br()・カトリック教会にはびこる汚職、不正、霊的倦怠(意味不明)を激しく批判。| **修道士の生活 修道士の1日は神様への祈りと労働。 労働は醸造(ワインやリキュールの薬草酒)、印刷、図書文献管理、聖具製造、修道士育成、知的研究…など。 &ref(修道士の生活_ホセ・デ・シグエンサ.JPG,,height=200)ホセ・デ・シグエンサ神父は『ヒエロニムス会の歴史』を執筆(エル・エスコリアル宮殿の図書室) **フランシスコ会とイエズス会の修道服 フランシスコ会は&bold(){灰色の人}。腰に苦行縄を巻いて裸足。縄は神様の象徴で、3個の結び目(清貧・貞潔・服従の三誓願)がある。 イエズス会は&bold(){黒色の人}。日本で宣教活動する時は、日本人の尊敬と信用を高めるために絹製だったみたいです。 ←ラウルはこっち。 |&ref(修道服_南蛮屏風.JPG,,width=400)|&ref(修道服_トンスラ.JPG,,width=200)トンスラ(ローマ・タイプ)| ※神戸市立博物館の狩野内膳筆『南蛮屏風』(桃山時代)に描かれた宣教師 *手話と指文字 動作+表情の単語で会話する[[手話>http://en.wikipedia.org/wiki/Sign_language]]は、10世紀頃から[[沈黙の行>http://en.wikipedia.org/wiki/Vow_of_silence]](イエズス会は[[霊操>http://en.wikipedia.org/wiki/Spiritual_Exercises_of_Ignatius_of_Loyola]]:28日×5時間の黙想)で使う[[修道院手話>http://en.wikipedia.org/wiki/Monastic_sign_languages]]があった。 っといっても修道士がよく使う簡単な名詞(食べ物、医療、部屋、聖具…)と動詞(立つ、座る、跪く、告白する…)が少々。 足りない単語は指文字とジェスチャーでカバー。 [[指文字>http://en.wikipedia.org/wiki/Fingerspelling]]は、指で一文字ずつ「L・O・V・E」って書きながら会話。15世紀頃ヨーロッパに広まった。 修道士のナイショ話し、記憶術、説教活動の補助(布教中のフランシスコ会)にも活躍。 実は710年[[聖ベーダ>http://en.wikipedia.org/wiki/Bede]](イングランド)がラテン語とギリシャ語の指文字を研究してるけど、ハイレベルすぎて広まらなかったそうです。 |&ref(手話と指文字_LOVE(手話).JPG,,height=150)手話(イギリス)|&ref(手話と指文字_LOVE(指文字).JPG,,height=150)指文字(アメリカ)| 聴覚障害者(deaf)に手話+指文字+口話を教えた先生第1号は、ベネディクト会の修道士[[ペドロ・ポンセ・デ・レオン>http://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Ponce_de_Le%C3%B3n]]。 この時代は「聴覚障害者に教育はムリ」が常識だったから、とーっても大胆です。 1570年頃サン・サルバドル修道院(スペインのオーニャ)にろう学校を設立。生徒は法的な相続手続きに読み書きが必要な貴族の子供達。 &ref(手話と指文字_ペドロ・ポンセ・デ・レオン.JPG,,height=200)ペドロの個人授業 [[イングランドの手話>http://en.wikipedia.org/wiki/British_Sign_Language]]にも、1570年聴覚障害者の手話の記録があります。 ←っとしか書いてないので詳細はわかりませんでした。 ろう学校は1760年一般人トマス・ブレイドウッドがエジンバラに設立。こちらも生徒は裕福な貴族の子供達。 **ついでにクシャミ 指文字じゃないけど、指で十字架を作るのは「Good luck」ってコト。よく使うジェスチャーです。 16世紀のイングランドでは咳やクシャミした時、魔除けのおまじない。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Crossed_fingers]] &ref(手話と指文字_クシャミ.JPG,,height=150)私のトコでは「エンガチョ」なの 誰かがクシャミしたら「Bless you/God bless you(イングランド)」「Salud(スペイン)」。 起源が分からないくらい大昔からある習慣だそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Bless_you]] ---- ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: