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#contents_line(level=2,sep=/) *海軍 海軍は軍艦を使って作戦を実行する軍事組織です。船で敵をやっつける軍隊ってことね。 現役最古の海軍は[[スペイン海軍>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]]。 現役最古の軍艦は[[イギリス海軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy]]の帆船[[HMS ヴィクトリー号>http://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Victory]](進水:1765年)。どちらも古い歴史を持つ海軍です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy]] &ref(海軍.JPG) |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀のざっくり[[イギリス海軍>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_Service_(United_Kingdom)]]組織| |BGCOLOR(lightgrey):[[ロイヤル・ネイビー>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy]]|[[水上艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_surface_fleet]]|・船名には必ずHMS(Her/His Majesty's Ship:陛下の船)が付いてる。&br()・軍艦旗は&ref(海軍(軍艦旗:白).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[白色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/White_Ensign]])。| |~|[[潜水艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_Submarine_Service]]|~| |~|[[艦隊航空隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Fleet_Air_Arm]](FAA)|~| |~|[[補助艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Fleet_Auxiliary]](RFA)|・補助艦隊は給油とかする船。予備艦隊はイザっていう時の志願兵。&br()・船名には必ずRFA(Royal Fleet Auxiliary)が付いてる。&br()・軍艦旗は&ref(海軍(軍艦旗:青).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[青色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Ensign]])。| |~|[[予備艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_Reserve]](RNR)|~| |~|CENTER:||・他にも医者、看護師、警察、従軍牧師などなど。&br()・ちなみに&ref(海軍(軍艦旗:赤).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[赤色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Ensign]])は海軍じゃない商船旗に使用。| |BGCOLOR(lightgrey):[[ロイヤル・マリナーズ>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines]]|[[特殊舟艇部隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Special_Boat_Service]](SBS)|・[[海兵隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Marine_%28military%29]]は[[水陸両用作戦>http://en.wikipedia.org/wiki/Amphibious_warfare]]をする歩兵。特殊舟艇部隊は選りすぐりの[[特殊部隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Special_forces]]。| |~|[[海兵隊予備隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines_Reserve]](RMR)|~| |BGCOLOR(lightgrey):[[退役した人達?>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_Careers_Service]]|>|CENTER:調べてません。| #region(close,イケイケ時代の白色戦隊、青色戦隊、赤色戦隊ってなに?) [[太陽の沈まぬ帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/The_empire_on_which_the_sun_never_sets]]の[[スペイン帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Empire]]が衰退すると、イングランドはメキメキ頭角を現して[[大英帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/British_Empire]]になります。 なんとイケイケ時代は世界の20%を支配。 ってことで、海軍を白色戦隊、青色戦隊、赤色戦隊の3部隊(1652-1864年)に分けて広大な領地を守りました。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/British_ensign]] &ref(海軍(白青赤).JPG) #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン帝国とポルトガル帝国から始まった植民地帝国}} ヨーロッパの植民地帝国は、15世紀スペイン帝国とポルトガル帝国の「[[新大陸の発見>http://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_European_exploration]]」([[大航海時代>http://en.wikipedia.org/wiki/Age_of_Discovery]])から始まります。 植民地からの奴隷、香辛料、金銀、…でウハウハ。 歯向かったら海軍が大砲ドーン。強い国が弱い国を支配([[植民地主義>http://en.wikipedia.org/wiki/Colonialism]])するのが当たり前。そーゆー時代です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Colonial_empire]] &ref(海軍(白青赤:植民地帝国).GIF) } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでに植民地帝国の交易}} こちらは1750-1800年に植民地を行き交った大英帝国、スペイン帝国、[[オランダ海上帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_Empire]]の交易船です。 三角っぽいルートだから[[三角貿易>http://en.wikipedia.org/wiki/Triangular_trade]]。 大英帝国はアフリカから奴隷、西インド諸島から砂糖、中国から紅茶…アフタヌーン・ティーを楽しめます。 &ref(海軍(白青赤:貿易).JPG) この地図は[[Spatial.ly>http://spatial.ly/]](Colonial Shipping Routes)さんが交易船の[[航海日誌>http://en.wikipedia.org/wiki/Logbook]]から起こしてます。すごーい! } #endregion #region(close,ついでに軍艦旗にも登場するユニオン・ジャックができるまで) イギリスの国旗ユニオン・ジャックは「国が合体した時に意匠が組み込まれた」です。 [[ウェールズ>http://en.wikipedia.org/wiki/Wales]]の国旗[[赤い竜>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Wales]]は13世紀イングランド[[王エドワード1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_I_of_England]]がスルっと征服、ズルズル統治したので仲間はずれ。 国旗掲揚は上下にご注意。逆さ掲揚すると侮辱または[[遭難信号>http://en.wikipedia.org/wiki/Distress_signal]]になっちゃいます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_the_United_Kingdom]] &ref(海軍(ユニオンジャック).PNG) |BGCOLOR(lightgrey):①イングランド王国|BGCOLOR(lightgrey):③グレートブリテン王国|BGCOLOR(lightgrey):⑤グレートブリテン及びアイルランド連合王国| |[[セント・ジョージ・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_England]]|[[グレートブリテン・フラッグ>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Great_Britain]]|[[ユニオン・ジャック>http://en.wikipedia.org/wiki/Union_Jack]]&br()&br()※[[南アイルランド>http://en.wikipedia.org/wiki/Southern_Ireland]]が独立しても国旗はそのまま。| |BGCOLOR(lightgrey):②スコットランド王国|BGCOLOR(lightgrey):④アイルランド王国|~| |[[セント・アンドリュー・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Scotland]]|[[セント・パトリック・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Patrick%27s_Flag]]|~| #endregion **軍艦と艦隊 軍艦は[[軍艦旗>http://en.wikipedia.org/wiki/Ensign]]を掲げた船。軍艦旗を掲げると「私は海軍に所属してまーす。あなたと戦えまーす。撃ち合えまーす」と宣言してます。 サンマ漁船でも軍艦旗を掲げたら攻撃対象なのでご注意。 なんと第二次世界大戦でヒーヒーの日本は漁船まで監視艇に徴用してました。軍艦がいっぱい集まったのが[[艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_fleet]]です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Warship]] &ref(海軍_軍艦.JPG)[[ニコラス・ヒリアード>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The Battle of Gravelines」(17世紀初:イングランド) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:イギリス海軍|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:スペイン海軍|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ちなみに日本海軍と海上自衛隊| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀|&ref(海軍(軍艦旗:白).PNG,,height=60)Royal Navy|&ref(海軍_軍艦(スペイン海軍:21世紀).PNG,,height=60)Armada Española|&ref(海軍_軍艦(海上自衛隊:21世紀).PNG,,height=60)旭日旗| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:アルマダ海戦|&ref(海軍_軍艦(イギリス海軍:チューダー).PNG,,height=60)チューダー|&ref(海軍_軍艦(スペイン海軍:ブルゴーニュ十字).PNG,,height=60)ブルゴーニュ十字|| #region(close,アルマダ海戦の軍艦旗はビシッと分かってません) 沢山の画家がアルマダ海戦を描いてるけど軍艦旗がバラバラ。どうやらアルマダ海戦の軍艦旗はビシッと分かってないっぽいです。 こちらは8月8日(ユリウス暦:7月29日)グラヴリーヌ沖の海戦。 軍艦旗の詳細は[[Royal Museums Greenwich>http://www.rmg.co.uk/]](Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588)さんをどうぞ。 &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦).JPG)[[Philip James de Loutherbourg>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_James_de_Loutherbourg]]画「Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588」(1796年) #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド海軍の軍艦旗}} [[チューダー朝>http://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_dynasty]]の軍艦旗(Tudor Ensign)&ref(海軍_軍艦(イギリス海軍:チューダー).PNG,,height=30)は「緑白の縞模様」「青を追加」「赤を追加」「黄褐色を追加」もあります。 縞模様は3本、4本、5本、…。 [[カタルーニャ>http://en.wikipedia.org/wiki/Catalonia]](スペイン)も使ってたという説もアリます。もーなにがなにやら。 &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍).JPG)作者不明「アルマダ海戦」(16世紀:イングランド) チューダー家の色(Tudor Colours:緑白)と合わせたイングランド国旗[[セント・ジョージ・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/St_George%27s_Cross]]&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_セント・ジョージ・クロス).PNG,,height=30)も軍艦旗です。 アレコレある中の1つはこんな&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_緑白).PNG,,height=30)感じ。 縞模様は1630年に軍艦旗から消滅。ちなみに[[イギリス東インド会社>http://en.wikipedia.org/wiki/East_India_Company]]&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_イギリス東インド会社).PNG,,height=30)やアメリカ国旗&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_アメリカ国旗).PNG,,height=30)が受け継いでます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン海軍の軍艦旗「ブルゴーニュ十字:Cruz de Borgoña/Cruz de San Andrés」}} [[ブルゴーニュ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Cross_of_Burgundy]]([[聖アンデレ>https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_the_Apostle]]が磔にされた十字架[[聖アンデレ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Saltire]]の形)は1506-1701年スペイン海軍の軍艦旗です。 もともとは[[ヴァロワ=ブルゴーニュ家>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Valois-Burgundy]]のエンブレム。 [[ブルゴーニュ公国>https://en.wikipedia.org/wiki/Duchy_of_Burgundy]]は1477年ヴァロワ=ブルゴーニュ家最後の君主ブルゴーニュ公[[マリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_of_Burgundy]]と神聖ローマ皇帝[[マクシミリアン1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Maximilian_I,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の祖先)の結婚でハプスブルク家の配下になりました。 ちなみに[[ブルゴーニュ公領>https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Burgundy]]は1477年[[ナンシーの戦い>https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Nancy]]でフランスに取られちゃってます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Spanish_flags]] &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:スペイン海軍).JPG) 左側:[[Philip James de Loutherbourg>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_James_de_Loutherbourg]]画「Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588」(1796年) 右側:ブルゴーニュ公国(1467–1477年) その後ブルゴーニュ公国はアレコレの結婚がご縁で[[ハプスブルク家のスペイン>https://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Spain]]になります。 スペイン王になった神聖ローマ皇帝[[カール5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)はブルゴーニュ十字をスペイン海軍の軍艦旗に採用。 15-16世紀の[[ネーデルラント>https://en.wikipedia.org/wiki/Seventeen_Provinces]]([[ブルゴーニュ領ネーデルラント>https://en.wikipedia.org/wiki/Burgundian_Netherlands]])も似た旗をご使用してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ピロピロしてるのは「三角旗」}} 三角旗は[[中世>http://en.wikipedia.org/wiki/Middle_Ages]](5-15世紀)から使われてる旗です。16世紀は[[紋章旗>http://en.wikipedia.org/wiki/Heraldic_flag]]として形やサイズが決まってました。 晴れ舞台や国葬でご使用。 海戦だと部隊旗。長さ20~60ヤードのスリットが入った三角旗([[吹流し>http://en.wikipedia.org/wiki/Windsock]])をメインマストか[[船首楼>http://en.wikipedia.org/wiki/Forecastle]]に掲げます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Pennon]] &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:三角旗).JPG)[[アブラハム・オルテリウス>http://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Ortelius]]画「Karte der pazifischen Oceans aus dem Jahr 1589」(1589年:ネーデルラント) 吹流し(Streamer)はピロピロ具合で風向や風速を目視で確認できます。 高速道路にあるアレと一緒。 ちなみにこの画は追い風なのに軍艦旗や吹流しが反対方向へピロピロしてる。自然の摂理から外れちゃってます。 } #endregion **戦争になるとドーンと跳ね上がる軍事費 軍事費(防衛費)は人件費、装備(軍艦や大砲)、兵器の開発、…アレコレの費用です。国を守るためのお金。 世の中がきな臭くなるとドーンと上昇。 こちらはイギリスの軍事費。詳細は[[Charts and Tables of Public Spending in the United Kingdom>http://www.ukpublicspending.co.uk/]](Make Custom Chart)さんをどうぞ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Military_budget]] |&ref(海軍_軍事費.PNG)|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[イギリス戦争一覧>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_wars_involving_the_United_Kingdom]]| |~|1688–97|[[大同盟戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War]]| |~|1700–21|[[大北方戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Northern_War]]| |~|1701–14|[[スペイン継承戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_Spanish_Succession]]| |~|1744-63|[[カーナティック戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Carnatic_Wars]]| |~|1756–63|[[七年戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Years%27_War]]| |~|1775–83|[[アメリカ独立戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/American_Revolutionary_War]]| |~|1803–15|[[ナポレオン戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Napoleonic_Wars]]| |~|1812–15|[[米英戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_1812]]| |~|1914-18|[[第一次世界大戦>https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_I]]| |~|1939-45|[[第二次世界大戦>https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II]]| 16世紀のスペイン軍は[[常備軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Standing_army]](戦争じゃなくても設立されてる軍隊)。戦争のプロだからとーっても強いです♥ でも毎日アレコレとお金が掛かるの。 軍事費は「戦時のときは戦費」「平時のときは維持費」。スペイン経済が下降してきたとき膨大な維持費が拍車を掛けたそうです。 **イギリス海軍 最初の海軍は9世紀です。海軍の父[[アルフレッド大王>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_the_Great]]([[七王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Heptarchy]]の1つ[[ウェセックス>http://en.wikipedia.org/wiki/Wessex]])がヴァイキング(デーン人)と戦うために設立。 っといっても必要な時にアチコチから船を集めて終わったら解散。 正式な国家海軍は1660年[[王チャールズ2世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_II_of_England]]が設立します。21世紀のイギリス海軍はこの流れ。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Royal_Navy]] &ref(イギリス海軍.JPG)アルフレッド大王vsヴァイキング #region(close,海軍本部) [[海軍本部>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty]](16世紀:Council of the Marine)は1546年王ヘンリー8世が設立した「海軍を管理する機関」です。 最高責任者は[[主要閣僚>http://en.wikipedia.org/wiki/Great_Officer_of_State]]の1人[[海軍卿>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_High_Admiral]]。 1628年[[王チャールズ1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]がイギリス海軍の[[海軍本部委員会>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty_Board_(United_Kingdom)]](Board of Admiralty)にしたっぽい。21世紀は[[海軍委員会>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy_Board]]です。 &ref(イギリス海軍_海軍本部.JPG)[[昔の海軍本部>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty_House,_London]](1808年) #blockquote(){&u(){&bold(){海軍卿ってなに?}} 海軍卿は海軍の全責任を負う大臣です。21世紀になると勲章のようなものっぽい。 F&B時代の海軍卿は[[エフィンガム男爵チャールズ・ハワード>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]。 アルマダ海戦の最高司令官で「開戦&停戦の交渉」「海戦中の指揮権譲渡(現場の指揮官が自由に判断)」をやってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_High_Admiral]] &ref(イギリス海軍_海軍本部(海軍卿).JPG)[[英西戦争>http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_%281585%E2%80%931604%29]](1585–1604年)の終結(1604年8月28日:[[サマセット・ハウス>http://en.wikipedia.org/wiki/Somerset_House]]) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍卿|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:備考| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー8世|1513-1525年|ノーフォーク公トマス・ハワード|アランデル伯爵フィリップ・ハワードの祖先| |~|1525-1536年|サマーセット公[[ヘンリー・フィッツロイ>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_FitzRoy,_1st_Duke_of_Richmond_and_Somerset]]|王ヘンリー8世の庶子| |~|1542-1543年|サマセット公エドワード・シーモア|トーマス・シーモアの兄| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):王エドワード6世|1547-1549年|スードリー男爵トーマス・シーモア|女王エリザベス1世との結婚を画策して失敗| |~|1549-1550年|ノーサンバランド公ジョン・ダドリー|ジェーン・グレイを女王にして失敗| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|CENTER:|||| |~|1585-1619年|エフィンガム男爵[[チャールズ・ハワード>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]&br()※1596年からノッティンガム伯爵|アルマダの海戦の指揮官| |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世|~|~|~| |~|1619-1628年|バッキンガム公[[ジョージ・ヴィリアーズ>http://en.wikipedia.org/wiki/George_Villiers,_1st_Duke_of_Buckingham]]|敗戦続きで士官[[ジョン・フェルトン>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Felton_(assassin)]]が暗殺| |BGCOLOR(lightgrey):王チャールズ1世|~|~|~| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス2世|1964-2011年|イギリス女王エリザベス2世|| |~|2011年-|エディンバラ公フィリップ王配|女王エリザベス2世の夫。元帥もやってる| } #endregion #region(close,王立造船所) 造船所は船を造ったり修理するトコです。 イングランド初の王立造船所は1495年王ヘンリー7世(女王エリザベス1世の祖父)が設立した[[ポーツマス王立造船所>http://en.wikipedia.org/wiki/Portsmouth_Dockyard]]。 当時のヨーロッパ最新鋭の[[乾ドック>http://en.wikipedia.org/wiki/Drydock]]で21世紀も絶賛使用中。現役最古の乾ドックです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_Dockyard]] &ref(イギリス海軍_王立造船所.JPG)[[Nicholas Pocock>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Pocock]]画「Plymouth Dockyard」(1798年) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:&tooltip(王立造船所){造船所や嵐の避難所が王立造船所になったので、創業時期は参考程度}|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:備考| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー7世|1495年-現在|Portsmouth Royal Dockyard(HMNB Portsmouth)|| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー8世|1513-1869年|Deptford Royal Dockyard|| |~|1512-1869|Woolwich Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|1567-1984年|Chatham Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):イングランド共和国|1650-1714年|Harwich Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):王チャールズ2世|1667-1960年|Sheerness Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):王ジョージ3世|1814-1926年|Pembroke Royal Dockyard|Milford Royal Dockyard(1794-)が移動| |BGCOLOR(lightgrey):王ジョージ4世|1824年-現在|Devonport Royal Dockyard(HMNB Devonport)|Plymouth Dockyard(1690-)として創立| #blockquote(){&u(){&bold(){海軍委員会(21世紀の海軍委員会とは別物)}} 海軍委員会は1546年王ヘンリー8世が設立した「海軍がちゃんとお仕事できるようにする機関」です。 たぶん海軍本部とは別の機関っぽい。 資料によってアレコレ違うのでよく分かりません。とりあえず王立造船所の運営、軍艦の管理(造船や修理)をやってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy_Board]] &ref(イギリス海軍_王立造船所(海軍委員会).JPG)[[デットフォード王立造船所>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]](1581年) 海軍委員会の最高責任者は[[Lieutenant of the Admiralty>http://en.wikipedia.org/wiki/Lieutenant_of_the_Admiralty]](21世紀:[[Vice-Admiral of the UK>http://en.wikipedia.org/wiki/Vice-Admiral_of_the_United_Kingdom]])です。 F&B時代の最高責任者は[[ジョン・ホーキンス>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]](1547-1595年)っぽい。 あっ!Vice-Admiral of the UK(海軍本部の役職)と[[Vice admiral>http://en.wikipedia.org/wiki/Vice_admiral_(Royal_Navy)]](中将:士官のランク)は別物です。複雑だねぇ。 } #endregion #region(close,改革のイングランド海軍) イングランド海軍は[[テューダー朝>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Tudor]](1485-1603年)で王立造船所を設立、軍艦を製造、海軍の組織化が始まります。 未来の常備軍イギリス海軍の基盤を作った重要な期間。 スペインやフランスに比べたらまだ小さな常備軍だけど、大砲・軍艦・戦略(戦い方)を改革して追いついていきます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_navy]] &ref(【共通の画】アルマダ海戦.JPG,【共通】共通の画)アルマダ海戦(数字は資料によって違うのでご注意) #blockquote(){&u(){&bold(){王ヘンリー8世の「海の防衛計画」}} [[王ヘンリー8世>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]](女王エリザベス1世の父親)はフランスとの戦争を警戒して大型軍艦(great ships)を増強します。 参考にしたのはスペインやポルトガルの「舷側から大型大砲がニューっと出る大型軍艦」。 1509年5艦だった軍艦は1514年30艦に増えます。戦争しないときは軍艦を海賊撃退にビシバシご使用。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_navy]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(王ヘンリー8世:軍艦).JPG) 左側:アンリ・グラサデュー号(1546年頃:軍艦記録書「[[Anthony Roll>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Roll]]」) 右側:[[Giovanni Stradano>https://en.wikipedia.org/wiki/Stradanus]]画「The Invention of Gunpowder and the First Casting of Bronze Cannon」(1600年:ネーデルラント) こちらの[[キャラック船>https://en.wikipedia.org/wiki/Carrack]][[アンリ・グラサデュー号>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Grace_%C3%A0_Dieu]](1514年)はイングランド初[[2層甲板>https://en.wikipedia.org/wiki/Two-decker]]の大型軍艦です。 王ヘンリー8世はブロンズ製大砲の製造工場も設立。 ちなみに16世紀末になると[[高炉>https://en.wikipedia.org/wiki/Blast_furnace]]を利用した鉄製の製造技術を開発。ブロンズ製ほど頑丈じゃないけど安くて簡単に造れます。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(王ヘンリー8世:防衛).JPG)[[デヴィルズ岬>http://en.wikipedia.org/wiki/Devil%27s_Point,_Devon]]の要塞(1509-1539年頃:プリマス) 王ヘンリー8世は没収した修道院の売却金や輸入課税を「海の防衛」に提供します(1536-1541年:[[修道院の解散>https://en.wikipedia.org/wiki/Dissolution_of_the_Monasteries]])。 テムズ川河口、ソレント海峡、プリマス、…に砦を建築。 砦は大砲を設置した[[要塞>https://en.wikipedia.org/wiki/Fortification]]でイングランドにやって来た敵の軍艦をビシバシ撃って海岸を守ります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Device_Forts]] } #blockquote(){&u(){&bold(){女王メアリー1世の「スペインとの同盟」}} 1554年[[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]はスペイン王フェリペ2世と結婚。イングランドとスペインは同盟国になります。 海軍は維持のみでほとんど手を付けず。 とりあえずフランスとの戦争(1557-1559年:[[英仏戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-French_War]])も問題なく乗り切れたからオケじゃね?って感じです。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王メアリー1世).JPG)16世紀のガレオン船 同盟国になって2国間の貿易も活発化。イングランドの港にはスペインの軍艦や商船がワンサカやって来ます。 王フェリペ2世は「スペイン船をマネしてオケ」を許可。 ってことで、船大工たちはガレオン船を調査。その後スペインとの戦争に役立っちゃいます(1585–1604年:[[英西戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_(1585%E2%80%931604)]])。 } #blockquote(){&u(){&bold(){女王エリザベス1世の「強い海軍」}} 女王エリザベス1世はスペインとの戦争を警戒して「強い海軍」に重点を置きます。 1559年39艦だった軍艦を+30艦する計画も立案。 アルマダ海戦の[[アーク・ロイヤル号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Ark_Royal_(1587)]](1587年[[ウォルター・ローリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Raleigh]]から購入)や[[リヴェンジ号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Revenge_(1577)]](1577年)もイングランド海軍の軍艦です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_early_warships_of_the_English_navy]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王エリザベス1世).JPG)[[Cornelis Verbeeck>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Verbeeck]]画「A Naval Encounter between Dutch(right) and Spanish (left) Warships」(1618-1620年:オランダ) 王立造船所は[[船首楼>https://en.wikipedia.org/wiki/Forecastle]]と[[船尾楼>https://en.wikipedia.org/wiki/Aftercastle]]が小さい新型ガレオン船[[レイジー>https://en.wikipedia.org/wiki/Razee]]を開発します。最初の成功は[[Dreadnought号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Dreadnought_(1573)]](1573年)。 より速い、より動きやすい軍艦でコンセプトは「タラの頭と鯖の尾」。 新型ガレオン船の登場で[[戦術>https://en.wikipedia.org/wiki/Sailing_ship_tactics]]は従来の[[切り込み>https://en.wikipedia.org/wiki/Naval_boarding]](敵船に乗り込んで戦う)から砲撃戦(敵船を大砲で撃つ)に変わります。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王エリザベス1世:私掠船).JPG)John June画「Sir Francis Drake engaging [[the Cacafuego>https://en.wikipedia.org/wiki/Nuestra_Se%C3%B1ora_de_la_Concepci%C3%B3n]], a rich Spanish ship」(16世紀) 「強い海軍」にはお金が必要。ってことで、女王エリザベス1世は1560年[[私掠船>https://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]「女王の海賊:[[海の犬>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]]」を開始します。 女王が「敵国の船を襲ってオケ([[私掠免許状>https://en.wikipedia.org/wiki/Letter_of_marque]])」を許可した合法な海賊。 [[新世界>https://en.wikipedia.org/wiki/New_World]]から金品を運ぶスペイン船を略奪して安定した収入をゲト。私掠船もイングランド海軍の1つです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){サー・フランシス・ドレイクの「海軍の組織改革」}} [[フランシス・ドレイク>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Drake]]は海軍の常識を破って「能力と経験を持つ艦長の命令が唯一絶対であーる!」を採用してます。 イングランドもスペインも「社会的地位が重要」が常識だったの。 牧師や肉屋の息子だって優秀なら貴族出身者と対等です。ってことで、中流階級出身の優秀な指揮官がいっぱい誕生。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_tactics_in_the_Age_of_Sail]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(フランシス・ドレイク).JPG)この人は大尉([[軍隊記念日>http://en.wikipedia.org/wiki/Armed_Forces_Day]]のパレード) 1590年フランシス・ドレイクと[[ジョン・ホーキンス>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]]は慈善事業「負傷した船乗りのための年金制度」を作ります。 船乗りたちから6ペンス/月を強制徴収。 こちらは徴収したお金を保管する金庫チェスト。1845年海軍本部は年金制度を[[グリニッジ病院>https://en.wikipedia.org/wiki/Greenwich_Hospital,_London]]に委託します。 ~[[Royal Museums Greenwich>http://www.rmg.co.uk/]](Chatham chest)さんより~ &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(フランシス・ドレイク:年金).JPG)チャタム・チェスト(1625年) 1592年2人はチャタムに慈善事業「傷した船乗りの病院:The Hospital of Sir John Hawkins Knight」も作ります。 お名前はジョン・ホーキンスが命名。 第2病院も1594年に作ってるっぽいけど詳細は分かりませんでした。 } #endregion **スペイン海軍 最初の海軍は中世後期です。[[アラゴン王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_Aragon]]や[[カスティーリャ王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_Castile]](その後[[レコンキスタ>http://en.wikipedia.org/wiki/Reconquista]]で[[スペイン王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Spain]]に合体)が組織。 現役最古の海軍。 海戦、植民地(新大陸の発見)、貿易(貿易船の護衛)に大活躍します。[[アルマダ>http://en.wikipedia.org/wiki/Armada]]は海軍/艦隊って意味。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]] &ref(スペイン海軍.JPG)[[マゼラン海峡>http://en.wikipedia.org/wiki/Strait_of_Magellan]]を発見した[[フェルディナンド・マゼラン>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Magellan]]とスペイン艦隊(1520年) #region(close,地中海でブイブイのスペイン海軍) 地中海は大昔から交易が盛ん。貿易船を保護しなくちゃ!ってことで、アラゴン王国やカスティーリャ王国は海軍を組織します。 14-15世紀アラゴン王国は地中海で最大の海軍を保有。 アラゴン王国、[[ヴェネツィア共和国>http://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_Venice]]、[[ジェノヴァ共和国>http://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_Genoa]]の海軍が地中海をブイブイ言わせてました。 &ref(スペイン海軍_地中海.JPG)[[地中海交易>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Mediterranean_region]](中世後期) アラゴン王国は「アラゴン連合王国」(アラゴン王がサルデーニャ王国、ナポリ王国、…を統治する[[同君連合>http://en.wikipedia.org/wiki/Personal_union]])です。 とーっても広範囲。 ピークは1441年アラゴン[[王アルフォンソ5世>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfonso_V_of_Aragon]](在位:1416–1458年)が統治した赤文字の皆さん。 #blockquote(){&u(){&bold(){その後オスマン帝国海軍もブイブイ}} [[オスマン帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_Empire]]も14世紀初めに海軍を設立。国土の拡大と共に地中海でブイブイになっていきます。 そして地中海の国々と海戦。 1453年[[コンスタンティノープルを陥落>http://en.wikipedia.org/wiki/Fall_of_Constantinople]]させると、ヴェネツィア共和国やジェノヴァ共和国の利権を奪っていきます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_Navy]] &ref(スペイン海軍_地中海(オスマン帝国).JPG)[[レパントの海戦>http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Lepanto]](1571年) } #endregion #region(close,世界でブイブイのスペイン海軍) 1469年アラゴン[[王フェルナンド2世>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_II_of_Aragon]]とカスティーリャ[[女王イサベル>http://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_I_of_Castile]]が結婚してスペイン王国が誕生します。海軍も王様の配下へ。 スペインは[[スパニッシュ・メイン>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Main]]、南米、東インド諸島…と植民地を拡大。 ってことで、海軍は西インド諸島ルートと太平洋ルートに分かれて[[私掠船>http://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]から商船を護ります。あっ!1580年ポルトガルも併合♥ |>|>|&ref(スペイン海軍_世界.JPG)16世紀| |BGCOLOR(lightgrey):スペイン|西インド諸島ルート&br()([[インディアス艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_treasure_fleet]])|セビリア~ハバナ~ベラクルス、ポルトベロ、カルタヘナ&br()※スペイン領から運ばれた金銀財宝は全部ハバナに集荷されてセビリアへ。| |~|太平洋ルート&br()([[マニラ・ガレオン>http://en.wikipedia.org/wiki/Manila_Galleon]])|マニラ~アカプルコ~ベラクルス&br()※アカプルコ~ベラクルスはロバで陸送。| |BGCOLOR(lightgrey):[[スペイン併合ポルトガル>http://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_Union]]|ポルトガル・ルート|調べてませーん。| #blockquote(){&u(){&bold(){ビセンテのお仕事♥ インディアス艦隊}} インディアス艦隊(スペイン語:Flota de Indias)はセビリア~ハバナの金銀財宝を運ぶスペイン商船を護る船です。 王フェリペ2世が海軍総司令官[[ペドロ・メネンデス・デ・アビレス>http://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Men%C3%A9ndez_de_Avil%C3%A9s]]の勧めで設立。 1550年17隻だった軍艦は16世紀末には50隻以上のすごーく大きな艦隊になります。1790年まで大活躍。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_treasure_fleet]] &ref(スペイン海軍_インディアス艦隊.JPG)イングランドをやっつけるインディアス艦隊(1591年:[[フローレス島の戦い>http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Flores_(1591)]]) } #blockquote(){&u(){&bold(){なんで金銀財宝がセビリアに集まるの?}} セビリアには植民地統治の政府機関[[通商院>http://en.wikipedia.org/wiki/Casa_de_Contrataci%C3%B3n]]があります。 通商院が輸入品への海軍護衛料(税率:最大40%)、[[輸入関税>http://en.wikipedia.org/wiki/Quinto_Real]](20%)、植民地投資金(最低10%)…を徴収。 商船は必ず航海と金銀財宝の記録係を雇わなくちゃいけません。 &ref(スペイン海軍_世界(セビリア).JPG,,height=200)[[アロンソ・サンチェス・コエリョ>http://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]]画「セビリアの風景」(16世紀後半) 商船は通商院の許可制でスペイン生まれのスペイン人のみ。もちろん「税金なんて払わないもーん」の密輸船もありました。 そんなトラブルは[[インディアス枢機会議>http://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_the_Indies]]が対応。 セビリアのじっくり動画はこちら[[http://www.youtube.com/watch?v=v3y3K42rNKk]]をどうぞ。 } #endregion *階級 階級は元帥(OF-10)>大将(OF-9)>…>[[見習水兵>https://en.wikipedia.org/wiki/Ordinary_seaman_(rating)]](OR-1)の順にエライです。[[OF>http://en.wikipedia.org/wiki/Ranks_and_insignia_of_NATO_Navies_Officers]]や[[OR>http://en.wikipedia.org/wiki/Ranks_and_insignia_of_NATO_Navies_Enlisted]]は[[NATO>http://en.wikipedia.org/wiki/NATO]]標準規格の階級符号。 ちなみにフランシス・ドレイクの最終階級は中将(OF-8)。 21世紀は海軍士官学校で専門教育を受けた人達が士官になります。F&B時代はまだ海軍士官学校がナイ。 &ref(階級.JPG)江田島海軍兵学校の卒業生は[[少尉候補生>http://en.wikipedia.org/wiki/Army_ranks_of_the_Japanese_Empire_during_World_War_II]](1943年:日本) |>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍士官学校| |BGCOLOR(lightgrey):イギリス|[[ポーツマス海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_Academy]](1733-1837)、[[ダートマス海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Britannia_Royal_Naval_College]](1863-)、[[グリニッジ海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_College,_Greenwich]](1873–1998)、…| |BGCOLOR(lightgrey):スペイン|[[Spanish Royal Academy of Naval Engineers>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Spanish_Royal_Academy_of_Naval_Engineers]](1772-)、…、[[Escuela Naval Militar de Oficiales>http://en.wikipedia.org/wiki/Escuela_Naval_Militar_de_Oficiales]](1943-)| |BGCOLOR(lightgrey):日本|[[長崎海軍伝習所>http://en.wikipedia.org/wiki/Nagasaki_Naval_Training_Center]](1855-59)、…、[[江田島海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_Japanese_Naval_Academy]](1876-1945)、[[防衛大学校>http://en.wikipedia.org/wiki/National_Defense_Academy_of_Japan]](1952-)、…| **イギリス 王様は[[陸海空軍の最高指揮官>http://en.wikipedia.org/wiki/Commander-in-chief_of_the_British_Armed_Forces]]、海軍で一番エライのが政治家の海軍卿(1413年~)です。戦うのは指揮官の[[大将>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiral_%28Royal_Navy%29]](1297年~)から? イギリス海軍は女王エリザベス1世の頃から大きな艦隊へ。 ってことで、大将を[[白色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/White_Ensign]]、[[青色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Ensign]]、[[赤色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Ensign]]に組織化。戦隊を束ねる総司令官の元帥(1690年~)が誕生します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_and_United_States_military_ranks_compared]] &ref(階級_イギリス.JPG)ケンブリッジ公ウィリアム王子(2009年から陸海空の大尉) |>|>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[士官(Officers)>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_officer_rank_insignia]]| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:将官|&ref(階級章_イギリス(OF-10).PNG)|OF-10元帥|&ref(階級章_イギリス(OF-09).PNG)|OF-9大将(提督)|&ref(階級章_イギリス(OF-08).PNG)|OF-8中将|&ref(階級章_イギリス(OF-07).PNG)|OF-7少将| |~|~|Admiral of the Fleet|~|Admiral|~|Vice‑Admiral|~|Rear‑Admiral| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&ref(階級章_イギリス(OF-06).PNG)|OF-6准将・代将|&ref(階級章_イギリス(OF-05).PNG)|OF-5大佐|&ref(階級章_イギリス(OF-04).PNG)|OF-4中佐|&ref(階級章_イギリス(OF-03).PNG)|OF-3少佐| |~|~|Commodore|~|Captain|~|Commander|~|Lieutenant‑Commander| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:尉官|&ref(階級章_イギリス(OF-02).PNG)|OF-2大尉|&ref(階級章_イギリス(OF-01).PNG)|OF-1中尉・少尉|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:見習士官|&ref(階級章_イギリス(OF-D).PNG)|OF-D士官候補生| |~|~|Lieutenant|~|Sub‑Lieutenant|~|~|~|Midshipman| |>|>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[その他(Other Ranks)>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_ratings_rank_insignia]]| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:准士官|&ref(階級章_イギリス(OR-09).PNG)|OR-9一等准尉|&ref(階級章_イギリス(OR-08).PNG)|OR-8二等准尉|>||>|| |~|~|Warrant Officer Class 1|~|Warrant Officer Class 2|~|~|~|~| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍下士官|&ref(階級章_イギリス(OR-07).PNG)|&tooltip(OR-7上等兵曹){フォーマルの袖章はボタン3つのようです}|&ref(階級章_イギリス(OR-06).PNG)|OR-6兵曹|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍兵|&ref(階級章_イギリス(OR-04).PNG)|OR-4水兵長| |~|~|Chief Petty Officer|~|Petty Officer|~|~|~|Leading Rate| #region(close,アルマダ海戦はスペイン王フェリペ2世が勝手に決めちゃったけど…) 陸軍・海軍・空軍の最高指揮官は女王/国王です。でも21世紀は王様が勝手に「アイツ生意気だからぶっ潰す!」はできません。 軍隊は政治の統制下(文民統制:シビリアン・コントロール)。 軍事介入の判断は国民が選挙で選んだ政治家が話し合って決めます。もし民意を無視したら次の選挙で死んじゃうの。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Civilian_control_of_the_military]] &ref(階級_イギリス(勝手).JPG)[[イギリス下院>http://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_the_United_Kingdom]]は[[シリア騒乱>http://en.wikipedia.org/wiki/Syrian_Civil_War]]への軍事介入を否決(2013年) #endregion #region(close,階級ごとの指揮範囲) イギリス海軍は人員35,920人、軍艦77隻。スペイン海軍は人員20,800人、軍艦54隻。海上自衛隊は人員42,431人、軍艦136隻です。 戦争は大勢の人達で戦う。 ってことで、海軍は人員と軍艦の闘能力をビシバシ発揮することが出来る階層的組織になってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Military_organization]] |>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀の一般的な指揮範囲| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:指揮官|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:指揮の範囲|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:艦艇の種類|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:艦艇の規模| |BGCOLOR(lightgrey):元帥、大将|海軍、海軍本部|海軍内の全艦艇|2個以上の艦隊| |BGCOLOR(lightgrey):大将、中将|艦隊|海洋の全艦艇、指定された海域別|2個以上の戦闘艦隊、任務部隊| |BGCOLOR(lightgrey):中将|戦闘艦隊、任務部隊|全艦種から多数|2個以上の任務群| |BGCOLOR(lightgrey):少将|任務群|補助的艦艇の集合体|2個以上の戦隊、任務隊| |BGCOLOR(lightgrey):少将、准将・代将|戦隊、任務隊|通常は主力艦|艦艇数は少数| |BGCOLOR(lightgrey):少将、准将・代将|小艦隊・隊群、任務隊|通常は主力艦以外|同一または類似の艦種が少数| |BGCOLOR(lightgrey):大佐、中佐|任務分隊|単艦|1隻| #blockquote(){&u(){&bold(){アルマダ海戦のイギリス海軍}} 16世紀のイギリス海軍はビシッと分からなかったけど、アルマダ海戦ではこんな感じの命令系統になってると思います。 かなりテキトーなので雰囲気だけお楽しみ下さい。 詳細はアンガス・コンスタム著「図説スペイン無敵艦隊:エリザベス海軍とアルマダの戦い」(原書房)をどうぞ。 &ref(階級_指揮範囲.PNG)こんな感じ? } #endregion #region(close,階級章) 階級章は[[帽子>https://en.wikipedia.org/wiki/Peaked_cap]]([[帽章>https://en.wikipedia.org/wiki/Cap_badge]]、[[スクランブルエッグ>https://en.wikipedia.org/wiki/Scrambled_egg_(uniform)]])や上着(襟章、肩章、腕章、袖章)に付けるバッジです。 国、陸海空、階級を識別。 ショルダーボード(shoulder board)は将官の階級章。[[飾緒>https://en.wikipedia.org/wiki/Aiguillette]]と剣は士官のアクセサリー。どちらもフォーマルで付けます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_officer_rank_insignia]] &ref(階級_階級章.JPG) 左側:中将[[David Steel>https://en.wikipedia.org/wiki/David_Steel_(Royal_Navy_officer)]] [[CBE>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_British_Empire]]はフォーマル軍服「Blue No. 1 dress」を着用(2012年の階級と勲章) 右側:中将[[Sir Charles Montgomery>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Montgomery_(Royal_Navy_officer)]] [[KCB>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Bath]] [[ADC>https://en.wikipedia.org/wiki/Aide-de-camp]]はフォーマル軍服「Ceremonial Day Dress」を着用(2012年の階級と勲章) #blockquote(){&u(){&bold(){階級はジャケットの袖章で一目瞭然}} 船で知らない士官に出会ったらジャケットの袖に付いてる袖章(Sleeve lace)で階級がバッチリ判明します。 士官候補生は襟章。 [[スクランブルエッグ>https://en.wikipedia.org/wiki/Scrambled_egg_(uniform)]](ツバに装飾された葉形刺繍のスラング用語)でも大まかに偉さを判明できます。 &ref(階級_階級章(袖章).PNG)士官の袖章 こちらの服装はたぶんイブニング軍服「Blue No. 2 dress」。お夕飯や夜会に着用します。 タイやベストのオプションを変えて公式[[ディナードレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Mess_dress]](2A)、公式ドレス(2B)、船上での非公式(2C)に対応。 船の帰港で甲板に整列するときも着用してるっぽいです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ジャケットを脱いだら階級章は肩章や胸章}} 残念ながらお仕事中はシャツとタイだけの「Blue No. 3 dress」になります。ジャケットかっこいいのに…。 ってことで、階級章は肩に付いてる肩章へ。 画像をアレコレ検索した感じだとジャケットじゃないときは肩章を付けてるっぽいです。階級章って大事なのね。 &ref(階級_階級章(肩章).JPG) 2015年からはもっと残念なシャツだけの戦闘服「No. 4 dress」を採用して階級章は胸に付いてる胸章になりました。 今までより動きやすくてどんな気象状況にも対応。 袖には自分の専門分野を表すSpecialist badges(職務章?)が付いてます。帽子も[[野球帽>https://en.wikipedia.org/wiki/Baseball_cap]]を採用。さよなら乙女の浪漫。 &ref(階級_階級章(肩章2).JPG)双眼鏡にも階級章? } #blockquote(){&u(){&bold(){敬礼は海軍だけが手のひらが下向き}} ついでに陸海空で違う敬礼は海軍だけが手のひらが下向き。 いつも甲板掃除や索具を触って手のひらが汚れてるから「上官に汚れた手を見せるのは失礼」って隠したらしい。 中世から騎士には敬礼があったようだけど、F&B時代がどうだったかは分かりませんでした。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Salute]] &ref(階級_階級章(敬礼).JPG)左から海軍、陸軍、空軍 } #endregion **スペイン うーん、課長とか部長ならピンとくるんだけど…大将とか少佐と言われてもちんぷんかんぷんです。 よし!F&Bで勝手におもいっきりイメージだ! ついでに師団長タキ・レイゼン(百日の薔薇)は、海軍でいうところの分艦隊長ミゲル・デ・オケンドあたりだそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]] &ref(階級_スペイン.JPG)アストゥリアス公フェリペ王子(2009年から陸海空の中佐) |>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:士官(Officers)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:F&B(アルマダの海戦)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:将官|&image(階級章_スペイン(OF-10).PNG)|OF-10&br()元帥格の大将||||||イングランド女王エリザベス1世&br()スペイン王フェリペ2世| |~|&image(階級章_スペイン(OF-09).PNG)|OF-9&br()大将|OF-8&br()中将|OF-7&br()少将|OF-6&br()准将|||フランシス・ドレイク(OF-8)&br()ジョン・ホーキンス&br()メディナ・シドーニア公&br()ディエゴ・フローレス・デ・ヴァルデス| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&image(階級章_スペイン(OF-05).PNG)|OF-5&br()大佐|OF-4&br()中佐|OF-3&br()少佐||||マーティン・フロビッシャー&br()ミゲル・デ・オケンド&br()ファン・マルティネス・レカルデ&br()アロンソ| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:尉官|&image(階級章_スペイン(OF-02).PNG)|OF-2&br()大尉|OF-1&br()中尉|OF-1&br()少尉|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:見習士官|OF-D&br()士官候補生&br()志願者||ジェフリー&br()ナイジェル&br()ビセンテ| |>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:その他(Other Ranks)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:下士官&br()准士官|&image(階級章_スペイン(OR-09).PNG)|OR-9&br()准尉|OR-9&br()兵曹長|OR-8&br()上等兵曹|OR-7&br()一等兵曹|OR-6&br()二等兵曹||ルーファス| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:兵卒|&image(階級章_スペイン(OR-05).PNG)|OR-5&br()上級伍長|OR-4&br()一等伍長|OR-3&br()二等伍長|OR-2&br()一等水兵|OR-1&br()二等水兵|見習水兵|カイト&br()レオ| *萌えまくりの軍服 松岡なつきさん曰く「見てみたいわ。ギーブス・アンド・ホークスのブレザー・スーツを着たジェフリーとナイジェルを!」。 激しく賛成!画集でたらいいですね♥ その暁には是非とも軍服もお願いします。残念なことにF&B時代は軍服ないので、皆さんこんな感じで戦ってます。これはこれで♥ &ref(軍服.JPG)[[フランシスコ・デ・スルバラン>http://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_de_Zurbar%C3%A1n]]画「[[The Defense of Cadiz against the English>http://es.wikipedia.org/wiki/Defensa_de_C%C3%A1diz_contra_los_ingleses]](1625年:[[カディス遠征>http://en.wikipedia.org/wiki/C%C3%A1diz_Expedition_(1625)]])」(1634年:スペイン) こちらの画はイングランド海軍[[エドワード・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Cecil,_1st_Viscount_Wimbledon]]([[ロバート・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cecil,_1st_Earl_of_Salisbury]]の甥)に襲撃されたカディス湾(スペイン)です。 カディス知事Gobernador de Cádizが[[Maestro de campo>http://en.wikipedia.org/wiki/Maestro_de_campo]](21世紀:[[参謀長>http://en.wikipedia.org/wiki/Chief_of_staff]])に指示中。 参謀長は指揮・命令・指導を調整して下に命令する人。1534年スペイン[[王カルロス1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)が設立しました。 **イギリス海軍ご用達のギーブス・アンド・ホークス [[Gieves&Hawkes>http://www.gievesandhawkes.com/]]は1771年創業の老舗テーラーです。イギリス王室の陸軍と海軍の軍服を提供したのが始まり。 軍服、階級章、剣もネットで絶賛販売中の模様。 海軍のタイで税込み£70(≒1万円)くらい。ふつーの人も買えるのかしら?あと1865年創業の[[Dege&Skinner>http://www.dege-skinner.co.uk/]]も老舗の1つだそうです。 &ref(軍服_ギーブス・アンド・ホークス.JPG)昔の軍服コレクション **イギリス海軍の軍服 士官の軍服は1748年から、海軍兵の軍服は1857年から導入。21世紀の軍服をちょびっと調べただけでも怒濤の種類です。 ってことで、検索するとよく登場する軍服だけご紹介。 剣は普段のお仕事中は装備してません。あと軍服のコートは[[グレートコート>http://en.wikipedia.org/wiki/Greatcoat]]というそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_uniform]] &ref(軍服_イギリス海軍.JPG) 軍服はBlue(冬服)とWhite(夏服)の2種類で、No1(式典)No2(夜会)No3(任務服)No4(特殊なお仕事の難燃服)があります。 A~Dは状況ごとの服装ってことかなあ? 詳細はこちら[[Royal Navy(水上艦隊)>http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20090127182544/http://www.royalnavy.mod.uk/]](Home→Training and People→RN Life→Uniforms and Badges of Rank)をどうぞ。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:階級|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No1:フォーマル(B)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No2:イブニング(B)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No3:任務(青AC/白AB、海軍兵は青AD/白AB)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No4:作業| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&ref(軍服一覧_フォーマル(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(佐官).JPG,,height=180)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:准士官|&ref(軍服一覧_フォーマル(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(准士官).JPG,,height=180)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍兵|&ref(軍服一覧_フォーマル(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(海軍兵).JPG,,height=180)| *アルマダ海戦のお洋服 #include(【共通】アルマダ海戦の武器と装備) **ダブレットとホーズ 16世紀の男性服はダブレット([[ジャケット>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacket]])とホーズ([[ズボン>https://en.wikipedia.org/wiki/Trousers]])です。ダブレットの上にジャーキン(ジャケット)を着てもオケ。 カラフルで装飾も凝りまくり。 甲冑はダブレットとホーズの上からアレコレ装着。お洋服の詳細は[[Costume Fashion History>http://world4.eu/]]や[[Costumes of All Nations >http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Costumes_of_All_Nations_(1882)]]をどうぞ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ.JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「Sir Martin Frobisher」(1577年頃:イングランド) 右側:作者不明「Philip II, King of Spain」(1580年頃) #region(close,ダブレット) ダブレットは中世後半~17世紀中頃の体にフィットした男性用ジャケットです。袖口は手首にピッタリしてる。 元々は挫傷や擦傷を防止する[[鎧下>https://en.wikipedia.org/wiki/Gambeson]]。 15世紀後半からはふつーの見せるジャケットになります。シャツや下着(drawers)の上に着用。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Doublet_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット).JPG)[[Giovanni Battista Moroni>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Battista_Moroni]]画「The Tailor」(1570年頃:イタリア) #blockquote(){&u(){&bold(){装飾と刺繍}} [[テューダー王朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_period]](1485–1603年、エリザベス朝:1558–1603年)にダブレットの装飾は花開きます。 切り込み、[[刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Embroidery]]、[[パスマントリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Passementerie]](フリンジ、タッセル、金銀モールの縁飾り)…。 肩袖は翼や[[Piccadill>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadill]](カットワークレース)で装飾。裾のスカート([[ペプラム>https://en.wikipedia.org/wiki/Overskirt]]みたいの)でホーズのウェストを隠します。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット_装飾).JPG)フェンシング・ダブレット(1580年:イングランド) } #blockquote(){&u(){&bold(){ウェストラインはV字型}} ダブレットのウェストラインは前方にV字型です。 形を保つために16世紀末はお腹部分にパット([[Peascod belly>https://en.wikipedia.org/wiki/Peascod_belly]])をセット。別名「Goose belly:ガチョウのお腹」。 1625年頃パットはお腹から胸に移動していきます。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット_V字型).JPG) } #endregion #region(close,ホーズ) ホーズは中世~17世紀の多種多様な男性用ズボンです。初期のホーズは脚にピッタリしてるウール製タイツ。 その後ズボン(ホーズ)とストッキング(靴下)に分割。 16世紀後半に人気のホーズはTrunk(短いホーズ)、カボチャ(膝上ホーズ)、[[Pluderhosen>https://de.wikipedia.org/wiki/Pluderhose]]、ベネチアン(膝下ホーズ)です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hose_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ).JPG)神聖ローマ帝国(16世紀) #blockquote(){&u(){&bold(){コッドピース(中英語:Cod=Bag/Scrotum)}} コッドピースは体型を誇張する15~16世紀の下着。巨大化と装飾のピークは1540年頃で1590年代までに消滅します。 ときどき小物を入れるポケットにもご使用。 誕生の理由は16世紀前半に蔓延した梅毒と関係するかもしれないそうです。中で薬に浸した包帯で包んでたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Codpiece]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_コッドピース).JPG) 左側:[[ハンス・ホルバイン>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Portrait of Henry VIII」(1537年頃) 右側:イギリス軍のボディアーマー[[Osprey body armour>https://en.wikipedia.org/wiki/Osprey_body_armour]](21世紀) お洋服にはちょっと…のコッドピースだけど、21世紀の戦場ではとーっても大切な弱点を守るアイテムっぽいです。 痛がってる場合じゃないもんね。 Groin protectorは状況に応じて着脱可能。こちらのボディアーマーは[[イギリス海兵隊>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines]]もご愛用してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){社会の窓(前開き)}} 社会の窓はトイレでアレを出し入れする衛生的な穴。コッドピースの大人気でフォールフロント(fall-front)が誕生します。 ここからアレを出してコッドピースをパカッ。 その後ボタンで留めるフライフロント(fly-front)に進化します。[[ジッパー>https://en.wikipedia.org/wiki/Zipper]]は1851年までお待ち下さい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Fly_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_社会の窓).JPG) 左側:革製ブリーチ(16世紀:ヨーロッパ) 右側:ダブレットとブリーチ(1625-1635年:イギリス) その後のその後フォールフロントは穴を布で覆う開閉機能式になります。布はボタンで留めるの。 F&B時代にはナイっぽい。 ってことで、ぜーんぜん萌えなくてこれ以上は調べませんでした。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_社会の窓2).JPG)フォールフロント(1850年代) } #blockquote(){&u(){&bold(){萌えの危機!?ホーズからブリーチへ}} 16世紀末からホーズは「ブリーチ」と呼ばれるようになります。ホーズと同じダブダブで裾が脚にピッタリしたズボン。 ウェストと裾はボタン、[[ドローストリング>https://en.wikipedia.org/wiki/Drawstring]]、バックル、ブローチで留める。 ブリーチは19世紀前半から私達も履いてるダブダブで裾が脚にピッタリしない「ズボン」になるっぽいです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Breeches]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_ブリーチ).JPG) 左側:ダブレットとブリーチ(1625-1635年:イギリス) 右側:[[Dirck Hals>https://en.wikipedia.org/wiki/Dirck_Hals]]画「Joyful Gathering or Merry Company」(17世紀:ネーデルラント) ウェストがボタンになったら[[タック>https://en.wikipedia.org/wiki/Pleat]]が重要になるんじゃない?と調べたらぜーんぜん分かりませんでした。 とりあえず履くのは楽チン。 ただね…ジェフリーが1人で履けようになっちゃいます。そうなると萌えが減っちゃいますよね! &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_ブリーチ2).JPG)[[Francesco Beccaruzzi>https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Beccaruzzi]]画「A Ballplayer and His Page」(16世紀:イタリア) } #endregion #region(close,ホーズはペティコートと結ぶ?ダブレットと結ぶ?) ちょびっと調べてみたらホーズを結ぶのは圧倒的にダブレットが多かったです。F&Bもダブレットですよね♥ ペティコートは女性用のお洋服かも? ダブレットとホーズには均一にリボン穴(Eyelet Holes)が開いてます。リネンや絹のリボンをお互いのリボン穴に通す仕組み。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(結ぶ).JPG)メディチ家のご子息[[ドン・ガルツィア>https://en.wikipedia.org/wiki/Garzia_de%27_Medici]](1547–1562年:イタリア)のダブレットとホーズ(レプリカ) #blockquote(){&u(){&bold(){リボンは隠さないとね}} ダブレットは裏身頃に付いてるウェストバンド(正式名称は分かりませんでした)にリボン穴が開いてます。 ウェストバンドは裾のスカートで隠蔽。 ってことで、見た目スッキリ。あっ、ガルツィアさんのダブレットは直接リボン穴が開いてるから隠れてません。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(結ぶ_隠す).JPG) 左側:トスカーナ大公[[コジモ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Cosimo_I_de%27_Medici,_Grand_Duke_of_Tuscany]]のサテン製ダブレット。リネン製裏地との間に生綿詰め(1574年頃:イタリア) 右側:[[Giovanni Battista Moroni>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Battista_Moroni]]画「The Tailor」(1570年頃:イタリア) } #endregion #region(close,ジャーキン) ジャーキンは16~17世紀の短くて体にピッタリ合う袖ナシ男性用ジャケットです。明るい革製が一般的。 ダブレットの上に着用。 16世紀はダブレットに[[お腹パット>https://en.wikipedia.org/wiki/Peascod_belly]]が入ってるのでジャーキンは首で閉じます。17世紀になるとウェストで閉じて胸を強調。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Jerkin_(garment)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン).JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「A Giant Porter」(1580年:イングランド?) 右側:作者不明「Sir Walter Raleigh and his Son」(1602年:イングランド) #blockquote(){&u(){&bold(){シャツの上にも着用っぽい}} シャツの上にもジャーキンを着るっぽいです。いくつか画をチェックしたら労働者階級(?)の皆さんが着用。 ちなみにシャツは男性用下着。 貴族の皆さんは「下着姿でお出かけできるかー!」なの?うーん、でも夏は暑いわよね。詳細は分からなかったです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_シャツ).JPG) 左側:[[Annibale Carracci>https://en.wikipedia.org/wiki/Annibale_Carracci]]画「The Beaneater」(1580-1590年:イタリア) 右側:[[Bartolomeo Passarotti>https://en.wikipedia.org/wiki/Bartolomeo_Passarotti]]画「The Butcher's Shop」(1580年代:イタリア) 肉屋のオッサンが着てるジャーキンは革紐で閉じてるのかしら?紐で閉じる方法は後見頃にも使えます。 こちらのジャーキンはリボンをご使用。 左右がちょびっとズレてれるのが気になる。16世紀のおしゃれな男性はこんな生ぬるい装いはしないと思います。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_シャツ2).JPG)ジャーキン(1570–80年:ヨーロッパ) } #blockquote(){&u(){&bold(){装飾と刺繍}} ジャーキンの装飾と刺繍もダブレットに負けないくらいゴージャスです。一番上に着るから装飾と刺繍もゴージャスも倍増? ダブレットとお揃いのジャーキンもアリ。 実はこのジャーキンは[[メトロポリタン美術館>http://www.metmuseum.org/]]の分類だとダブレットで紹介されてます。違いが分からない…。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_装飾).JPG)ジャーキン(1580年:ヨーロッパ) } #endregion #region(close,ベルト) ベルトは[[青銅器時代>https://en.wikipedia.org/wiki/Bronze_Age]]からご使用のお洋服を整えるアイテムです。きつく締めればウェストを引き締めて肩と胸を強調。 剣帯(Sword belt)は[[鞘(さや)>https://en.wikipedia.org/wiki/Scabbard]]を装備するベルト。 戦うとき素早くレイピアを抜けます。ダブレットやジャーキンのベルト通しはF&B時代の画をチェックしたけどナシっぽい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Belt_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト).JPG) 左側:スウェーデン王[[グスタフ2世アドルフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Gustavus_Adolphus_of_Sweden]]のベルトとハンガー(16世紀末- 17世紀初め:the Royal Armouries、Sweden) 右側:作者不明「初代レスター伯[[ロバート・ダドリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_1st_Earl_of_Leicester]]」(1564年頃:イングランド) #blockquote(){&u(){&bold(){剣帯の装い}} 剣帯はダブレットやジャーキンの上に装備します。F&B時代の画をチェックしたけどマントの上には装備しないっぽい。 左側はいろいろな剣帯。 時代も地域もビシッとは分かりませんでした。参考程度なの。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_装備).JPG) 左側:拾いモノ 右側:[[Luigi Gentile>https://en.wikipedia.org/wiki/Luigi_Primo]]画「Man in a Red Cloak」(1630-45年:ネーデルラント) ちなみに21世紀イギリス海軍の士官はフォーマルやイブニングのとき剣帯を装備します。もう剣で戦う時代じゃないのね。 剣帯はジャケットの下っぽい? サイドベント(両サイドの切り込み)から鞘がにょーん。鞘を手に持ってる写真も多かったです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_装備2).JPG)フォーマルNo1 } #blockquote(){&u(){&bold(){ポーチ(pouched over the belt)}} ベルトには小物を入れるポーチも装備できます。ダブレットやホーズにポケットが無くてもこれで安心。 とりあえず中世にはあるっぽい。 キュッってするトコは口金式(double ring frame)や巾着式があります。ちなみに[[バグパイプ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bagpipes]]演奏者のポーチは[[スポーラン>https://en.wikipedia.org/wiki/Sporran]]。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_ポーチ).JPG) 左側:[[Francesco Terzi>https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Terzi]]画「[[Archduke Ferdinand II>https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_II,_Archduke_of_Austria]]」(1557年:神聖ローマ帝国) 右側:ポーチ(Olaf Goubitz著「Purses in Pieces」) } #endregion #region(close,イングランドの刺繍と奢侈禁止令(しゃしきんしれい)) イングランドの刺繍は[[アングロ・サクソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxons]](5世紀)から続いてます。現存する最古の刺繍は11世紀[[バイユーのタペストリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Bayeux_Tapestry]]。 第一の開花は中世の教会の刺繍。 これは[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_England]]の宗教改革で減少。第二の開花は[[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]](1558–1603年)で衣類や家具に刺繍するようになります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/English_embroidery]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍).JPG)半身の絹製ダブレット(1600年:東ヨーロッパ) #blockquote(){&u(){&bold(){中世の刺繍}} [[中世イングランド>https://en.wikipedia.org/wiki/England_in_the_Middle_Ages]]の金銀糸や絹糸を使った豪華な刺繍は「[[オーパス・アングリカナム>https://en.wikipedia.org/wiki/Opus_Anglicanum]](English work)」といいます。 教会の衣装、壁掛け、…に刺繍。 ヨーロッパの王や法王に大人気で外交の贈り物にもご使用。あっ、[[コープ(Cope)>https://en.wikipedia.org/wiki/Cope]]は聖職者が礼拝式で着るクロークです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_中世).JPG)オーパス・アングリカナム[[Butler-Bowden Cope>https://en.wikipedia.org/wiki/Butler-Bowden_Cope]](1330–50年:イングランド) 中世は豪華な衣類を教会の礼服にリメイクしてました。1534年[[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]はカトリックを捨てて[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_England]]を新設。 カトリック修道院もぶっ潰すぜー! ってことで、修道院のオーパス・アングリカナムは個人の壁掛け、クッション、バックにリメイクされます。ちょwww } #blockquote(){&u(){&bold(){エリザベス朝の刺繍}} エリザベス朝になると[[錦>https://en.wikipedia.org/wiki/Brocade]]やビロードの衣装や家具に色とりどりの糸で刺繍されます。赤、深紅色、青、緑、ピンクが人気。 金銀糸、[[ボビンレース>https://en.wikipedia.org/wiki/Bobbin_lace]]、[[パスマントリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Passementerie]]、宝石、[[アップリケ>https://en.wikipedia.org/wiki/Appliqu%C3%A9]]で装飾。 いくつか画をチェックしたらやっぱり男性より女性の衣装の方が華やかです。女王エリザベス1世の衣装は息を呑む美しさ♥ &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_エリザベス朝).JPG) 左側:[[ニコラス・ヒリアード>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The "Hardwick Hall" portrait of Elizabeth I of England」(1599年頃:イングランド) 右上:作者不明「Sir Walter Raleigh」(1598年:イングランド) 右下;[[エステル記>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Esther]]が刺繍されたキャビネット(1665年以降:イングランド) 息を呑む美しさの刺繍はプロがデザインして「刺繍のパターンブック:Embroidery Pattern Books」で発表します。 針仕事は熟練のアマチュア女性が担当。 こちらは16世紀イタリアのパターンブックです。イングランドは見つからなかったの。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_エリザベス朝2).JPG)Fero Lunardo著「刺繍のパターンブック」(1559年:イタリア) } #blockquote(){&u(){&bold(){きゃー♥ ボビンレースも素敵♥}} ボビンレースは金銀糸や絹糸を使ったレース織物です。1493年[[スフォルツァ家>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Sforza]](イタリア)の記録ではボビンを12個ご使用。 スペイン軍の移動でヨーロッパ中に流行。 織り方も簡単だし道具も安いので女性や[[慈善学校>https://en.wikipedia.org/wiki/Charity_school]]、[[救貧院>https://en.wikipedia.org/wiki/Almshouse]]、[[女子修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/Convent]]の皆さんが織ってます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Bobbin_lace]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_ボビンレース).JPG) 左側:[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Portrait of Queen Elizabeth I」(1573-1575年:イングランド) 右側:[[Giacomo Ceruti>https://en.wikipedia.org/wiki/Giacomo_Ceruti]]画「Women Working on Pillow Lace (The Sewing School)」(1720年代:イタリア) ボビンレースは型紙に添ってボビン糸を捻りながら編んでいきます。編みの変化はピンを止めればオケ。 うーん、観た方が分かりやすいかも…。 編み方の動画はこちら[[https://www.youtube.com/watch?v=YWQ-KZoePIo]]をどうぞ。すっごい忍耐力が必要だと思う。 } #blockquote(){&u(){&bold(){きゃー♥ 宝石も素敵♥}} こちらは16世紀中頃にスペイン領[[マルガリータ島>https://en.wikipedia.org/wiki/Isla_Margarita]]で発見された当時最大の真珠[[ラ・ペレグリナ(西語:巡礼者)>https://en.wikipedia.org/wiki/La_Peregrina_pearl]]です。 真珠はスペイン王フェリペ2世(まだ皇太子)に献上。 その後、妻となったイングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]の胸元を飾ります。1558年メアリー1世が亡くなるとスペインへ返却。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_宝石).JPG) 左側:[[Antonis Mor>https://en.wikipedia.org/wiki/Antonis_Mor]]画「 Mary I of England」(1554年:イングランド) 中側:[[Juan Pantoja de la Cruz>https://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Pantoja_de_la_Cruz]]画「Portrait of Margaret of Austria」(1606年:スペイン) 右側:The Victoria and Albert Museum(21世紀:イギリス) 返却された真珠はスペイン[[王フェリペ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_III_of_Spain]](王フェリペ2世の息子)や[[王フェリペ4世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_IV_of_Spain]](〃の孫)の妻達の胸元を飾ります。 1808年[[ナポレオン>https://en.wikipedia.org/wiki/Napoleon]](フランス)がスペインを支配。 その後、真珠はフランスへ渡って新たに「彷徨う人」と命名されます。なんやかんやで21世紀はロンドンの宝石商が所有。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_宝石2).JPG) 左側:王フェリペ2世が2番目の妻イングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]にプレゼントしたPearl of Kuwait(Mary Tudor pearl) 中側:王フェリペ2世が2番目の妻イングランド女王メアリー1世にプレゼントしたEl Grande 右側:王フェリペ2世が3番目の妻[[エリザベート・ド・ヴァロワ>https://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_of_Valois]]にプレゼントしたEl Estanque こちらは王フェリペ2世が所有する宝石です。16世紀のスペインが最強と呼ばれるのも納得!スゴイ! [[Pearl of Kuwait>https://en.wikipedia.org/wiki/Pearl_of_Kuwait]]は王フェリペ2世の母親[[イサベル・デ・ポルトゥガル>https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_of_Portugal]]の遺品。 [[El Estanque>https://es.wikipedia.org/wiki/El_Estanque]]は王フェリペ2世がアントワープのCarlo Affetatoから80.000エスクードで購入した当時最大のダイヤモンドです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){奢侈禁止令の金糸刺繍}} 奢侈禁止令は「贅沢は敵だ!皆さん倹約に励みましょう」の法令です。カトリック教だと[[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]の「傲慢の罪」。 14~17世紀イングランドもビシバシ発布。 生地、衣類、毛皮、装飾、…アレコレを規制して輸入を規制してます。国外への資金流出を嫌がったのね。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sumptuary_law]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_奢侈禁止令).JPG) 右側:[[ニコラス・ヒリアード>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Elizabeth I, the Phoenix portrait」(1575年頃:イングランド) 中側:[[Marcus Gheeraerts the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Marcus_Gheeraerts_the_Younger]]画「Margaret Laton」(1620年頃:イングランド) 左側:現存する「Margaret Laton(中側)」のジャケット[[Margaret Laton's embroidered jacket>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Laton%27s_embroidered_jacket]](1620年頃:イングランド) 女王エリザベス1世も絹、布、金銀の輸入過多で1574年6月15日に奢侈禁止令「若い紳士の浪費は破滅の元」を発布してます。 でも皆さん守らない。 ってことで、何度も[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]は更にキビシイ法令を発布。もーイタチごっこです。 } #endregion **シャツとラフ(襞襟:ひだえり) 16世紀の男性服はダブレットの下にリネン製シャツ(下着)を着て、ダブレットが汚れないように襟首と手首にラフを付けます。 下着のせいなのかシャツの肖像画は少々。 シャツとラフは汚れたらビシバシお洗濯できます。きっとダブレットはビシバシお洗濯できないもんね。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_シャツとラフ.JPG) 左側:[[Giovanni Antonio Fasolo>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Antonio_Fasolo]]画「Portrait of Ippolito Porto」(16世紀:イタリア) 右側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「Sir Martin Frobisher」(1577年頃:イングランド) #region(close,シャツ) シャツは20世紀まで男性用下着です。でも下層階級の労働者(貴族以外の庶民?)にとってはカジュアル・ウェア。 16世紀は襟首と袖口に刺繍、フリル、レースを装飾。 もう隠してる場合じゃないぜ!ってことで、17世紀になると「見せる下着」に変身。色のついたシャツは19世紀前半に登場します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Shirt]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ).JPG) 左側:リネン糸と絹糸で刺繍されたリネン製シャツ(1540年頃:イングランド) 右上:[[Scipione Pulzone>https://en.wikipedia.org/wiki/Scipione_Pulzone]]画「自画像」(1574年:イタリア) 右下:[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Titian]]画「[[Man with a Glove>https://en.wikipedia.org/wiki/Man_with_a_Glove]]」(1520年頃:イタリア) #blockquote(){&u(){&bold(){シャツは長方形}} F&Bキャラクターブックを眺めてみたらナイジェル達のシャツはダブダブの肩下がりでとーってもカワイイです♥ 16世紀のシャツは皆さんダブダブの肩下がり。 これはシャツが長方形だからです。21世紀のシャツみたいにカーブや斜めに裁断されてないの。 &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_長方形).JPG)作者不明「Portrait identified in Cartwright's inventory as [[Nathan Field>https://en.wikipedia.org/wiki/Nathan_Field]]」(1615年:イングランド) シャツは下着なので仕立屋じゃなくアマチュア女性(仕立屋組合が管理してる主婦やthe Silk Women)が担当してます。 長方形なら構造が簡単。 あとシャツは消耗品なので生地を贅沢に使ってる場合じゃない。長方形なら生地を隅から隅まで無駄なく使えます。 ~[[The Renaissance Tailor>http://www.renaissancetailor.com/index.html]](Demonstrations>Accessories:Western European>Shirts)より~ &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_長方形2).JPG) } #blockquote(){&u(){&bold(){労働者にとってはカジュアル・ウェア}} 16世紀イングランドの大多数の住民はお貧乏な労働者です。熟練した職人(大工、石工、仕立て屋)はちょびっと余裕アリ。 余裕アリならキリスト教の義務[[慈善>https://en.wikipedia.org/wiki/Charity_(practice)]] でお貧乏を救済([[Tudor Poor Laws>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_Poor_Laws]])。 この頃の平均寿命は約40歳。1590年代には長期間不作が続いて[[飢饉>https://en.wikipedia.org/wiki/Famine]]になり更に生活が困難になります。 ~[[National Portrait Gallery>http://www.npg.org.uk/]](Elizabeth I & Her People)さんより~ &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_カジュアル・ウェア).JPG)海の労働者(1590–1650年:Museum of London) } #blockquote(){&u(){&bold(){ブラックワーク刺繍}} [[ブラックワーク刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Blackwork]]は15~16世紀に人気の幾何学模様(曲線の茎、花、果物…)の刺繍です。刺繍糸は黒色。 リネン/綿製のシャツ、スモック、ラフ、[[コイフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Coif]]、…に刺繍。 王ヘンリー8世に嫁いだ[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]が刺繍服を持参したので別名「スパニッシュ・ブラックワーク」です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/English_embroidery]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_刺繍).JPG)女性用コイフ(1590-1610年:イングランド) 女王エリザベス1世はクッションなどにもブラックワーク刺繍してます。刺繍糸はときどき色つき糸や金糸もご使用。 とーっても華やか♥ でもジェフリーやナイジェルが[[金糸刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Goldwork_(embroidery)]]したら[[奢侈禁止令>https://en.wikipedia.org/wiki/Sumptuary_law]]で怒られちゃいます。あっ、ナイジェルはしないか…。 &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_刺繍2).JPG) 左側:[[Hans Holbein the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Jane Seymour, Queen of England」(1536年:イングランド) 右側:[[Hans Eworth>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Eworth]]画「Elizabeth Hardwick」(1560-1569年頃:イングランド) } #blockquote(){&u(){&bold(){シャツがもっとダブダブでナガナガになると寝間着}} もっとダブダブで膝下まで延びたシャツは寝間着です。[[シュミーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Chemise]]やスモック(smock)とかとも呼ぶっぽい。 16世紀の貴族は贅沢に刺繍した寝間着(wrought night-shirts)。 庶民の皆さんはハダカかふつーのシャツが寝間着。19世紀までダブダブでナガナガのシャツが寝間着です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Nightshirt]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_寝間着).JPG) } #endregion #region(close,ラフ) ラフは16世紀中頃~17世紀中頃の襟首(Ruff:ラフ)と手首(Cuffs:カフス)に付けるダブレットの汚れ防止[[フリル>https://en.wikipedia.org/wiki/Ruffle]]です。 汚れたら取り外してお洗濯。 お洗濯したら型崩れ/色落ち防止に糊付け([[デンプン>https://en.wikipedia.org/wiki/Starch]])。糊付けの間に[[植物染料>https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_dye]]で黄色、ピンク、藤色に染めることもあります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Ruff_(clothing)]] &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ).JPG) 左側:[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The "Hardwick Hall" portrait of Elizabeth I of England」(1599年頃:イングランド) 右側:[[Juan Pantoja de la Cruz>https://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Pantoja_de_la_Cruz]]画「La infanta Isabel Clara Eugenia」(1599年:スペイン) #blockquote(){&u(){&bold(){ラフの蛇腹にはアイロン掛けしないとね}} 16世紀ラフに使う[[アイロン>https://en.wikipedia.org/wiki/Clothes_iron]]はストーブの上に置いて熱くする金属シリンダ製「Goffering Iron:ひだ付けアイロン」です。 アイロンの上部に「Poking-stick」が刺さってる。 このPoking-stickでラフの精巧な蛇腹(figure-of-eight)を1つ1つ丁寧に整えます。かー!めんどくせー! &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_アイロン).JPG)Goffering Iron } #blockquote(){&u(){&bold(){ラフってどうやって装着するの?}} ラフは扇型(standing ruff)と円盤型(ruff)があります。前は解放スタイル(open styles)と閉鎖スタイル(closed styles)。 時代と共に広くなったり高くなったり。 16世紀末になるとラフは[[襟>https://en.wikipedia.org/wiki/Collar_(clothing)]]や[[バンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bands_(neckwear)]]に世代交代。1630年代スペイン王[[フェリペ4世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_IV_of_Spain]]も贅沢なラフを使用禁止にしてます。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着).JPG) ラフは襟首に巻いたらリボンやボタンで留めます。解放スタイルは胸側、閉鎖スタイルは背中側で留めるっぽい。 台襟がダブレットの中にスポッ。 ちなみに21世紀の猫ちゃん達が病院で付けられる[[エリザベスカラー>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_collar]]のお名前はラフが由来です。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着2).JPG)ラフ(21世紀) ラフは時代と共に広くなったり高くなったり。幅1mのラフを付けた人もいるそうです。もうエリマキトカゲ。 16世紀後半~17世紀前半はラフの支え[[サポータス>https://en.wikipedia.org/wiki/Supportasse]]が登場。 ラフによってWhisks(Wisks)、[[ピカディル>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadill]]、Rebatos、…があります。真鍮針金を直接ラフの中に入れてもオケかも。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着3).JPG)サポータス(21世紀) } #blockquote(){&u(){&bold(){アイロンなんてめんどくせー!ピカディルならカイトも楽チン?}} 16世紀後半~17世紀前半ピカディルは糊付けされた固い立ち襟になります。穴にリボンを通してダブレットと固定。 仕立屋ロバート・ベイカーが考案して大流行。 ロバートは1611年ロンドンに仕立屋を開店。このお店がある通りは[[ピカデリー通り>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadilly]]と呼ばれるようになります。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_ピカディル).JPG)こんな感じ? 上側:ピカディル(1600-1615年:イングランド)、ピカディルとダブレット(1590-1610:スペイン) 下側:付け襟(1630年頃:ネーデルラント)、作者不明「William Shakespeare」(1610年:イングランド) その後、ピカディルは幅広レースを使う[[付け襟>https://en.wikipedia.org/wiki/Collar_(clothing)]](Falling Collar)に進化。あと16世紀は襟付きシャツの画もあります。 F&Bキャラクターブックを眺めてみたらナイジェル達も襟付きシャツ♥ 襟付きシャツはビシっとは分かりませんでした。もしかしたら「William Shakespeare」の画は襟付きシャツかも。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_アイロン2).JPG)作者不明「Thomas Cavendish, Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) 16世紀末ピカディルやラフの代わりに長い布を首に布を巻く[[バンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bands_(neckwear)]]([[ネクタイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Necktie]])も登場。詳細は分かりませんでした。 こちらのフランシス・ドレークが首に巻いてるのは[[クラバット>https://en.wikipedia.org/wiki/Cravat]]? クラバットは17世紀[[ハプスブルク君主国>https://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Monarchy]]の外人部隊[[The Croats>https://en.wikipedia.org/wiki/Croats_(military_unit)]](東ヨーロッパ人の混合兵士)が巻いたのが始まりです。 } #endregion #region(close,手荒れが心配なお洗濯) お洗濯は水辺でジャブジャブ。汚れは板や岩(beetling-stone)の上に洗濯物を置いて棒(washing-beetles)で叩きます。 井戸から水を運んでタライでジャブジャブもオケ。 お水の代わりに熱湯でジャブジャブする場合もあります。[[洗濯板>https://en.wikipedia.org/wiki/Washboard]]は1797年、[[回転式洗濯機>https://en.wikipedia.org/wiki/Washing_machine]]は1858年までお待ち下さい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Laundry]] &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯).JPG) 左側:Salomon Trismosin著「[[Splendor Solis>https://en.wikipedia.org/wiki/Splendor_Solis]]:太陽の輝き」(1582年:ドイツ) 右側:[[Tintoretto>https://en.wikipedia.org/wiki/Tintoretto]]画「The Miraculous Fall of Manna」(16世紀:イタリア) タライに水と洗濯物を入れて足でジャブジャブもオケです。これならF&B時代の主婦も手荒れの心配ナシ。 手で搾ったら物干し竿で空気乾燥。 汚れてない草の上に広げて乾燥する場合もあります。ハンドクリーム[[白色ワセリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Petroleum_jelly]]は1872年までお待ち下さい。 #blockquote(){&u(){&bold(){洗濯洗剤は灰汁}} ヨーロッパではガンコな汚れを落とすために灰汁(the ash [[lye>https://en.wikipedia.org/wiki/Lye]])を洗濯洗剤や漂白剤として使ってたかもしれません。 石鹸も灰汁と脂肪の合成物。 [[アメリカ先住民>https://en.wikipedia.org/wiki/Native_Americans_in_the_United_States]]は[[Chlorogalum>https://en.wikipedia.org/wiki/Chlorogalum]]や[[ユッカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Yucca]]の根をご使用。私達が使ってる[[合成洗剤>https://en.wikipedia.org/wiki/Laundry_detergent]]は1917年までお待ち下さい。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_洗剤).JPG)灰汁を作る農民ご夫婦(1884年:アメリカ) 灰汁の作り方は皆さんイロイロ。とりあえず樽の中に小石、藁、藁灰を敷いて軟水を入れます。熱湯の水でもオケ。 硬水のイギリスやスペインは雨水とかをご使用。 しばらくすると樽の下から濾過された灰汁がポタポタ出てきます。樽に栓をして数ヶ月放置する人もいるっぽい。 } #blockquote(){&u(){&bold(){主婦は昔から黄ばみと戦ってる!}} 黄ばみの原因になる皮脂汚れは鍋で洗濯物をグツグツ煮る「煮洗い」で撃退。私も梅雨や夏はバスタオルを煮ちゃいます♥ 18世紀後半[[塩素>https://en.wikipedia.org/wiki/Chlorine]]を発見するまでは漂白広場[[ブリーチフィールド>https://en.wikipedia.org/wiki/Bleachfield]]もオケ。 水と太陽光で漂白するそうです。[[ホワイトフィールド>https://en.wikipedia.org/wiki/Whitefield,_Greater_Manchester]](イングランド)のお名前は中世の漂白広場が由来っぽい。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_黄ばみ).JPG) 左側:詳細不明 右側:[[ヨース・デ・モンペル>https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_de_Momper]]画「Een bleekveld in een dorp」(1650:ネーデルラント) } #blockquote(){&u(){&bold(){亜麻糸も灰汁で漂白(イングランド語:bowking/bucking)}} [[リネン>https://en.wikipedia.org/wiki/Linen]]は亜麻糸([[亜麻>https://en.wikipedia.org/wiki/Flax]]の茎の繊維)で織られた柔らで強靭な布。強靭だから帆船時代の帆布にもリネンを使ってます。 お洋服になる亜麻糸は織る前に灰汁で漂白。 こちらは主婦のハンドブック[[Gervase Markham>https://en.wikipedia.org/wiki/Gervase_Markham]]著「The English Housewife」(1615年:イングランド)の漂白方法です。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_漂白).JPG)[[ジャン=フランソワ・ミレー>https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Fran%C3%A7ois_Millet]]画「Laundress」(1861年頃:フランス) &italic(){&color(silver){.....cover the uppermost yarn with a bucking cloth, and lay therein a peck [about 16 pints] or two (according to the bigness of the tub) of ashes more; then pour into all through the uppermost cloth so much warm water, till the tub can receive no more; and so let it stand all night: the next morning you shall pull out the spigot [peg used to stop hole] of the bucking tub, and let the water therein run into another clean vessel, and as the bucking tub wasteth, so shall you fill it up again with the lye which cometh from the bucking tub, ever observing to make the lye hotter and hotter till it seethe [boil].....}} 亜麻糸を漂白布(bucking-cloth)で覆ったら16パイント(≒9Kg)の灰を置いて、漂白桶(bucking-tub)を温水で満たします。 一晩寝かせます。 翌日、漂白桶の栓を抜きます。抜いた灰汁は沸騰させて再び漂白桶に入れます。 ~テキトーな訳だから原文もご一緒に~ &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_漂白2).JPG)[[Jost Amman>https://en.wikipedia.org/wiki/Jost_Amman]]画「Das Ständebuch」(1568年:ドイツ) ハンドブックの続きは分かりませんでした。乾秀明著「17世紀イングランド亜麻織物工業について」さんによると この作業を4時間繰り返したら亜麻糸をジャブジャブ洗って干します。 その後1週間水に浸けて天日干ししたら、亜麻糸玉にして織布工へ運ぶそうです。洗浄/漂白の行程に3週間。ひぇー。 } #endregion **パンツと靴下 16世紀のおパンツはコッドピースばっかり脚光を浴びてるので詳細は分かりませんでした。皆さんおパンツ履いてたのかしら? 靴下もちんぷんかんぷん。 調べてるうちに「なんで海軍なのにおパンツ調べてるんだろ…」って感じに心折れたので中途半端な内容です。 &ref(洋服_パンツと靴下.JPG)Braun and Schneider著「[[Münchener Bilderbogen>https://de.wikipedia.org/wiki/M%C3%BCnchener_Bilderbogen]]」(1900年頃:ドイツ) #region(close,おパンツ(underpants)) [[トランクス>https://en.wikipedia.org/wiki/Boxer_shorts]]は1925年([[エバーラスト社>https://en.wikipedia.org/wiki/Everlast_(boxing)]])、[[ブリーフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Briefs]]は1935年([[ジョッキー・インターナショナル社>https://en.wikipedia.org/wiki/Jockey_International]])に誕生します。 トランクスの誕生でウェストが革ベルトからゴムに変身。 でもこれはドラえもんくらい未来のお話し。16世紀のおパンツはぜーんぜん違うものです。ジェフリーやビセンテはどれ? [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Undergarment]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ).JPG)16世紀後半の荷馬車の御者 #blockquote(){&u(){&bold(){ブレーがおパンツ}} ブレーは[[ケルト人>https://en.wikipedia.org/wiki/Celts]]や[[ゲルマン人>https://en.wikipedia.org/wiki/Germanic_peoples]]の頃から着てる革、ウール、リネン、綿製ズボンです。中世期後半からは下着にご使用。 アレを出し入れする社会の窓はナシ。 オッサンが履いてるタイツみたいのは「ショース(chausses)」。ショースはその後ホーズに進化します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Braies]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_ブレー).JPG) 左側:[[Morgan Bible>https://en.wikipedia.org/wiki/Morgan_Bible]]/fol.18r(1240年頃:フランス) 右側:13世紀のお洋服 } #blockquote(){&u(){&bold(){コッドピースがおパンツ}} コッドピースは体型を誇張する15~16世紀の下着。巨大化と装飾のピークは1540年頃で1590年代までに消滅します。 ときどき小物を入れるポケットにもご使用。 誕生の理由は16世紀前半に蔓延した梅毒と関係するかもしれないそうです。中で薬に浸した包帯で包んでたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Codpiece]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_コッドピース).JPG)[[ピーテル・ブリューゲル>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「[[The Wedding Dance>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wedding_Dance]]」(1566年:ネーデルラント) コッドピースはホーズの社会の窓からアレを出してパカッです。 パカッとしたらボタン、snaps([[鈎ホック>https://en.wikipedia.org/wiki/Hook-and-eye_closure]]のこと?)、リボンでコッドピースをホーズに留めるからトイレが楽チン。 ってことで、出し入れが大変なブレーは消滅します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){シャツがおパンツ}} 16世紀の[[シャツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Shirt]]は裾が長い(the long tails)です。この長い裾を股間の下までズズズっとたくし込んでカバー。 お父さん達が着てる[[ワイシャツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Dress_shirt]]のテールはその名残。 シャツおパンツは16世紀からだとか、18世紀からだとか、…アレコレの説があるのでご注意下さい。 ~[[History Extra>http://www.historyextra.com/]](From loincloths to corsets: a brief history of underwear with Horrible Histories’ Greg Jenner)さんより~ &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_シャツ).JPG) 左側:[[Titian>https://en.wikipedia.org/wiki/Titian]]画「Madonna with the Child, St Anthony of Padua and St Roch」(15世紀後半:イタリア) 右側:[[Maître des Cortèges>https://fr.wikipedia.org/wiki/Ma%C3%AEtre_des_Cort%C3%A8ges]]「Le Cortège du bélier」(17世紀:フランス) こちらの海戦中でお洋服が乱れてるブッシュさん(左側)とシャツ(右側)はだいたい同年代のイギリス海軍の軍服です。 裾が長いシャツは本物だけど非正規(私物ってこと?)。 ハイカラーの襟を2つの[[ドーセットボタン>https://en.wikipedia.org/wiki/Dorset_button]]で留めて[[ストック・タイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Stock_tie]](ネクタイ)を巻きます。 &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_シャツ2).JPG) 左側:セシル・スコット・フォレスター著「[[ホーンブロワーシリーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Horatio_Hornblower]]」の[[ウィリアム・ブッシュ>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Bush_(Hornblower)]] 右側:イギリス海軍のシャツ(1807年:National Maritime Museum) } #endregion #region(close,ついでにおパンツが水着) 16世紀イングランドの男性はハダカで海、湖、川を泳いでます。ハダカが恥ずかしかったら下着を着て泳いでもオケ。 ハダカで泳ぐのは1860年禁止。 Drawersやcaleçonsという下着を着て泳がなくちゃいけなくなります。でも「俺はハダカで泳ぐぜ!」が大勢いたそうです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Swimsuit]] &ref(洋服_パンツと靴下(水着).JPG)Divers with goggles for coral harvesting(17世紀) #blockquote(){&u(){&bold(){公衆浴場もおパンツ?}} [[公衆浴場>https://en.wikipedia.org/wiki/Public_bathing]]にも下着を着てる画があります。男性が着てる紐パンは人類初の下着[[ロインクロス>https://en.wikipedia.org/wiki/Loincloth]](中世から[[ブレー>https://en.wikipedia.org/wiki/Braies]]に進化)。 右上の公衆浴場はゲイが出会う[[有料発展場>https://en.wikipedia.org/wiki/Gay_bathhouse]]。 ちなみに1492年カスティーリャ女王[[イサベル1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_I_of_Castile]]はイスラム教徒が造った有料発展場を閉鎖してます([[レコンキスタ>https://en.wikipedia.org/wiki/Reconquista]])。 &ref(洋服_パンツと靴下(水着_風呂).JPG) 左側:[[Jost Amman>https://en.wikipedia.org/wiki/Jost_Amman]]画「Bathing and cupping」(1568年:ドイツ) 右上:[[Albrecht Dürer>https://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_D%C3%BCrer]]画「The Men’s Bath」(?年:ドイツ) 右下:リネン製パンツ(15世紀) } #endregion #region(close,靴下と靴) 15世紀のウール製ホーズ(21世紀の[[タイツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Tights]])は16世紀にupper-stocks(ズボン)とnether-stocks([[ストッキング>https://en.wikipedia.org/wiki/Stocking]])に分離します。 このストッキング(中英語:stock=手足を包むもの)が靴下。 靴は足の甲でリボンを結ぶタイプ。靴もブーツも足底はペッタンコで厚い革製[[靴台>https://en.wikipedia.org/wiki/Patten_(shoe)]]が足裏を道路のゴミから防御します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hose_(clothing)]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下).JPG) 左側:作者不明「Philip II, King of Spain」(1580年頃) 中側:Giovanni Battista Moroni画「The Gentleman in Pink」(1560年) 右側:Antonis Mor画「Portrait of Philip II in Armour」(1557年) #blockquote(){&u(){&bold(){ずり落ちる靴下はガーターでピタッ}} 16世紀の靴下は綿、リネン、ウール、絹製の[[織布>https://en.wikipedia.org/wiki/Woven_fabric]]。ずり落ちないようになるべく足にフィットを目指して作られてます。 でもやっぱり落ちる。 ってことで、17世紀初め私達にお馴染みの[[編み物>https://en.wikipedia.org/wiki/Knitted_fabric]]の靴下が登場します。これなら足にフィットするわ♥ &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ガーター2).JPG) 左側:リネン製の織布ストッキング(1590-1615年頃:イングランド) 右側:ウール製の編み物ストッキング(1640年頃:イングランド) ジェフリーやビセンテは靴下を[[ガーター>https://en.wikipedia.org/wiki/Garter_(stockings)]](16世紀はただのリボンっぽい)で留めてずり落ちを防止してます。 靴下とcanionsを留めてもオケ。 canionsの正体はぜーんぜん分からなかったです。カボチャホーズ(膝上ホーズ)の下に履く[[レギンス>https://en.wikipedia.org/wiki/Leggings]]っぽいものらしい。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ガーター).JPG)Giovanni Battista Moroni画「The Gentleman in Pink」(1560年) } #blockquote(){&u(){&bold(){お金持ちの靴はヒール}} 16世紀の靴はモカシンみたいにペッタンコ。リボン、紐、キルティング、…アレコレのアクセサリが付いてます。 スペイン、イタリア、ドイツでは切り込み(slashing)も流行。 フランスではだんだん切り込みが時代遅れになって代わりに赤い靴台の流行が始まります。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_靴).JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「The Company of Captain Rosecrans」(1588年:ネーデルラント) 右側:ベルベット製ペッタンコ靴(1550-1574年:イタリア?) 世間はペッタンコだけど王族の皆さんはハイヒール(イタリアの[[チョピン>https://en.wikipedia.org/wiki/Chopine]]とか)を履き始めます。背を高く見せるぜ! イングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]もハイヒール。 ってことで、1580年頃からお金持ちの男性にもヒール(heel)が流行。英語「well-heeled」は「お金持ち」って意味です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Shoe]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_靴2).JPG) 左側:作者不明「Sir Walter Raleigh and his Son」(1602年:イングランド) 中側:[[Willem Pieterszoon Buytewech>https://en.wikipedia.org/wiki/Willem_Pieterszoon_Buytewech]]画「Merry Company」(1620年:ネーデルラント) 右側:[[アンソニー・ヴァン・ダイク>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Robert Rich, Second Earl of Warwick」(1632-1641:イングランド) F&Bキャラクターブックを眺めてみたらジェフリーやビセンテ達もヒールを履いてます♥ 世間の皆さんも1610年頃からローヒール。 17世紀にはレースやリボンがパフパフした精巧なバラ結び「shoe roses」のアクセサリに進化します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでにブーツ(内容はほとんど17世紀前半です)}} 16世紀の[[ブーツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Boot]]はペッタンコで足にフィットした乗馬のときに履く靴です。足首までのブーツもたまにアリ。 ヒールは1620年頃から流行。 17世紀になるとトップは膝下で折り曲げられます。馬を傷つけないように膝上で折り曲げるミリタリースタイルも登場。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1600%E2%80%9350_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ブーツ).JPG) 左上:[[Jacob Duck>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Duck]]画「Soldiers arming themselves」 左下:[[Anthony van Dyck>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Portrait of Lord John Stuart and his brother Lord Bernard Stuart」(1638年頃:スコットランド) 右側:[[Adriaen van Nieulandt>https://en.wikipedia.org/wiki/Adriaen_van_Nieulandt]]画「Prince Maurits with His Horse and Groom」(1624年:ネーデルラント) 乗馬のとき馬に合図を送る[[拍車>https://en.wikipedia.org/wiki/Spur]]はアクセサリにもご使用。17世紀は蝶々っぽいモノで拍車を留めてる画が多い感じです。 ブーツのトップはどんどん拡大。 拡大は1630年頃に[[三銃士>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Three_Musketeers]]でお馴染みのトップがガパッと開いたbucket-topブーツの登場で落ち着きます。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ブーツ2).JPG) 左側:[[Daniël Mijtens>https://en.wikipedia.org/wiki/Dani%C3%ABl_Mijtens]]画「Charles I」(1600-49年:イングランド) 中側:イングランド王[[チャールズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]のものと思われるブーツホーズ 右側:[[Anthony van Dyck>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Portrait of Lord John Stuart and his brother Lord Bernard Stuart」(1638年頃:スコットランド) 17世紀の靴下は足首に精巧なclocks(靴下と違う色のデコレーション)や刺繍が施されてます。ブーツ履いたら擦れちゃう…。 ってことで、ブーツライナー[[ブーツホーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Boothose]]を着用。 頑丈なリネン製ブーツホーズを履けば大切な靴下を護れます。トップにレースの装飾が付いてるブーツホーズもあり。 } #endregion **マントと帽子 16世紀のマントは腰丈の[[クローク>https://en.wikipedia.org/wiki/Cloak]]または[[ケープ>https://en.wikipedia.org/wiki/Cape]]です。悪天候や旅行のときは丈の長いクローク([[Mantle>https://en.wikipedia.org/wiki/Mantle_(clothing)]])を着用。 フードや袖付きもアリ。 こちらは16世紀後半のマントと帽子の着こなし。悲しくなるくらい地味な感じだけど、ホントはとーってもファッショナブルです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_マントと帽子.JPG)Hottenroth Friedrich著「Edad Moderna - Trajes De Los Españoles Y Portugueses En La Segunda Mitad Del Siglo Xvi」 #region(close,マント) &ref(洋服_マントと帽子(マント).JPG) 左側:クローク(1570-90年頃:イングランド)、手袋(1600-30年:?)、帽子(1600-10年:?) 右側:ケープ(1590-1600年:スペイン) #endregion ---- ----
#contents_line(level=2,sep=/) *海軍 海軍は軍艦を使って作戦を実行する軍事組織です。船で敵をやっつける軍隊ってことね。 現役最古の海軍は[[スペイン海軍>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]]。 現役最古の軍艦は[[イギリス海軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy]]の帆船[[HMS ヴィクトリー号>http://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Victory]](進水:1765年)。どちらも古い歴史を持つ海軍です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy]] &ref(海軍.JPG) |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀のざっくり[[イギリス海軍>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_Service_(United_Kingdom)]]組織| |BGCOLOR(lightgrey):[[ロイヤル・ネイビー>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy]]|[[水上艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_surface_fleet]]|・船名には必ずHMS(Her/His Majesty's Ship:陛下の船)が付いてる。&br()・軍艦旗は&ref(海軍(軍艦旗:白).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[白色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/White_Ensign]])。| |~|[[潜水艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_Submarine_Service]]|~| |~|[[艦隊航空隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Fleet_Air_Arm]](FAA)|~| |~|[[補助艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Fleet_Auxiliary]](RFA)|・補助艦隊は給油とかする船。予備艦隊はイザっていう時の志願兵。&br()・船名には必ずRFA(Royal Fleet Auxiliary)が付いてる。&br()・軍艦旗は&ref(海軍(軍艦旗:青).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[青色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Ensign]])。| |~|[[予備艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_Reserve]](RNR)|~| |~|CENTER:||・他にも医者、看護師、警察、従軍牧師などなど。&br()・ちなみに&ref(海軍(軍艦旗:赤).PNG,,height=30)(イケイケ時代の[[赤色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Ensign]])は海軍じゃない商船旗に使用。| |BGCOLOR(lightgrey):[[ロイヤル・マリナーズ>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines]]|[[特殊舟艇部隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Special_Boat_Service]](SBS)|・[[海兵隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Marine_%28military%29]]は[[水陸両用作戦>http://en.wikipedia.org/wiki/Amphibious_warfare]]をする歩兵。特殊舟艇部隊は選りすぐりの[[特殊部隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Special_forces]]。| |~|[[海兵隊予備隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines_Reserve]](RMR)|~| |BGCOLOR(lightgrey):[[退役した人達?>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_Careers_Service]]|>|CENTER:調べてません。| #region(close,イケイケ時代の白色戦隊、青色戦隊、赤色戦隊ってなに?) [[太陽の沈まぬ帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/The_empire_on_which_the_sun_never_sets]]の[[スペイン帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Empire]]が衰退すると、イングランドはメキメキ頭角を現して[[大英帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/British_Empire]]になります。 なんとイケイケ時代は世界の20%を支配。 ってことで、海軍を白色戦隊、青色戦隊、赤色戦隊の3部隊(1652-1864年)に分けて広大な領地を守りました。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/British_ensign]] &ref(海軍(白青赤).JPG) #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン帝国とポルトガル帝国から始まった植民地帝国}} ヨーロッパの植民地帝国は、15世紀スペイン帝国とポルトガル帝国の「[[新大陸の発見>http://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_European_exploration]]」([[大航海時代>http://en.wikipedia.org/wiki/Age_of_Discovery]])から始まります。 植民地からの奴隷、香辛料、金銀、…でウハウハ。 歯向かったら海軍が大砲ドーン。強い国が弱い国を支配([[植民地主義>http://en.wikipedia.org/wiki/Colonialism]])するのが当たり前。そーゆー時代です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Colonial_empire]] &ref(海軍(白青赤:植民地帝国).GIF) } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでに植民地帝国の交易}} こちらは1750-1800年に植民地を行き交った大英帝国、スペイン帝国、[[オランダ海上帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_Empire]]の交易船です。 三角っぽいルートだから[[三角貿易>http://en.wikipedia.org/wiki/Triangular_trade]]。 大英帝国はアフリカから奴隷、西インド諸島から砂糖、中国から紅茶…アフタヌーン・ティーを楽しめます。 &ref(海軍(白青赤:貿易).JPG) この地図は[[Spatial.ly>http://spatial.ly/]](Colonial Shipping Routes)さんが交易船の[[航海日誌>http://en.wikipedia.org/wiki/Logbook]]から起こしてます。すごーい! } #endregion #region(close,ついでに軍艦旗にも登場するユニオン・ジャックができるまで) イギリスの国旗ユニオン・ジャックは「国が合体した時に意匠が組み込まれた」です。 [[ウェールズ>http://en.wikipedia.org/wiki/Wales]]の国旗[[赤い竜>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Wales]]は13世紀イングランド[[王エドワード1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_I_of_England]]がスルっと征服、ズルズル統治したので仲間はずれ。 国旗掲揚は上下にご注意。逆さ掲揚すると侮辱または[[遭難信号>http://en.wikipedia.org/wiki/Distress_signal]]になっちゃいます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_the_United_Kingdom]] &ref(海軍(ユニオンジャック).PNG) |BGCOLOR(lightgrey):①イングランド王国|BGCOLOR(lightgrey):③グレートブリテン王国|BGCOLOR(lightgrey):⑤グレートブリテン及びアイルランド連合王国| |[[セント・ジョージ・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_England]]|[[グレートブリテン・フラッグ>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Great_Britain]]|[[ユニオン・ジャック>http://en.wikipedia.org/wiki/Union_Jack]]&br()&br()※[[南アイルランド>http://en.wikipedia.org/wiki/Southern_Ireland]]が独立しても国旗はそのまま。| |BGCOLOR(lightgrey):②スコットランド王国|BGCOLOR(lightgrey):④アイルランド王国|~| |[[セント・アンドリュー・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Scotland]]|[[セント・パトリック・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Patrick%27s_Flag]]|~| #endregion **軍艦と艦隊 軍艦は[[軍艦旗>http://en.wikipedia.org/wiki/Ensign]]を掲げた船。軍艦旗を掲げると「私は海軍に所属してまーす。あなたと戦えまーす。撃ち合えまーす」と宣言してます。 サンマ漁船でも軍艦旗を掲げたら攻撃対象なのでご注意。 なんと第二次世界大戦でヒーヒーの日本は漁船まで監視艇に徴用してました。軍艦がいっぱい集まったのが[[艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_fleet]]です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Warship]] &ref(海軍_軍艦.JPG)[[ニコラス・ヒリアード>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The Battle of Gravelines」(17世紀初:イングランド) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:イギリス海軍|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:スペイン海軍|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ちなみに日本海軍と海上自衛隊| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀|&ref(海軍(軍艦旗:白).PNG,,height=60)Royal Navy|&ref(海軍_軍艦(スペイン海軍:21世紀).PNG,,height=60)Armada Española|&ref(海軍_軍艦(海上自衛隊:21世紀).PNG,,height=60)旭日旗| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:アルマダ海戦|&ref(海軍_軍艦(イギリス海軍:チューダー).PNG,,height=60)チューダー|&ref(海軍_軍艦(スペイン海軍:ブルゴーニュ十字).PNG,,height=60)ブルゴーニュ十字|| #region(close,アルマダ海戦の軍艦旗はビシッと分かってません) 沢山の画家がアルマダ海戦を描いてるけど軍艦旗がバラバラ。どうやらアルマダ海戦の軍艦旗はビシッと分かってないっぽいです。 こちらは8月8日(ユリウス暦:7月29日)グラヴリーヌ沖の海戦。 軍艦旗の詳細は[[Royal Museums Greenwich>http://www.rmg.co.uk/]](Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588)さんをどうぞ。 &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦).JPG)[[Philip James de Loutherbourg>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_James_de_Loutherbourg]]画「Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588」(1796年) #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド海軍の軍艦旗}} [[チューダー朝>http://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_dynasty]]の軍艦旗(Tudor Ensign)&ref(海軍_軍艦(イギリス海軍:チューダー).PNG,,height=30)は「緑白の縞模様」「青を追加」「赤を追加」「黄褐色を追加」もあります。 縞模様は3本、4本、5本、…。 [[カタルーニャ>http://en.wikipedia.org/wiki/Catalonia]](スペイン)も使ってたという説もアリます。もーなにがなにやら。 &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍).JPG)作者不明「アルマダ海戦」(16世紀:イングランド) チューダー家の色(Tudor Colours:緑白)と合わせたイングランド国旗[[セント・ジョージ・クロス>http://en.wikipedia.org/wiki/St_George%27s_Cross]]&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_セント・ジョージ・クロス).PNG,,height=30)も軍艦旗です。 アレコレある中の1つはこんな&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_緑白).PNG,,height=30)感じ。 縞模様は1630年に軍艦旗から消滅。ちなみに[[イギリス東インド会社>http://en.wikipedia.org/wiki/East_India_Company]]&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_イギリス東インド会社).PNG,,height=30)やアメリカ国旗&ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:イングランド海軍_アメリカ国旗).PNG,,height=30)が受け継いでます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン海軍の軍艦旗「ブルゴーニュ十字:Cruz de Borgoña/Cruz de San Andrés」}} [[ブルゴーニュ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Cross_of_Burgundy]]([[聖アンデレ>https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_the_Apostle]]が磔にされた十字架[[聖アンデレ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Saltire]]の形)は1506-1701年スペイン海軍の軍艦旗です。 もともとは[[ヴァロワ=ブルゴーニュ家>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Valois-Burgundy]]のエンブレム。 [[ブルゴーニュ公国>https://en.wikipedia.org/wiki/Duchy_of_Burgundy]]は1477年ヴァロワ=ブルゴーニュ家最後の君主ブルゴーニュ公[[マリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_of_Burgundy]]と神聖ローマ皇帝[[マクシミリアン1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Maximilian_I,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の祖先)の結婚でハプスブルク家の配下になりました。 ちなみに[[ブルゴーニュ公領>https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Burgundy]]は1477年[[ナンシーの戦い>https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Nancy]]でフランスに取られちゃってます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Spanish_flags]] &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:スペイン海軍).JPG) 左側:[[Philip James de Loutherbourg>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_James_de_Loutherbourg]]画「Defeat of the Spanish Armada, 8 August 1588」(1796年) 右側:ブルゴーニュ公国(1467–1477年) その後ブルゴーニュ公国はアレコレの結婚がご縁で[[ハプスブルク家のスペイン>https://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Spain]]になります。 スペイン王になった神聖ローマ皇帝[[カール5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)はブルゴーニュ十字をスペイン海軍の軍艦旗に採用。 15-16世紀の[[ネーデルラント>https://en.wikipedia.org/wiki/Seventeen_Provinces]]([[ブルゴーニュ領ネーデルラント>https://en.wikipedia.org/wiki/Burgundian_Netherlands]])も似た旗をご使用してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ピロピロしてるのは「三角旗」}} 三角旗は[[中世>http://en.wikipedia.org/wiki/Middle_Ages]](5-15世紀)から使われてる旗です。16世紀は[[紋章旗>http://en.wikipedia.org/wiki/Heraldic_flag]]として形やサイズが決まってました。 晴れ舞台や国葬でご使用。 海戦だと部隊旗。長さ20~60ヤードのスリットが入った三角旗([[吹流し>http://en.wikipedia.org/wiki/Windsock]])をメインマストか[[船首楼>http://en.wikipedia.org/wiki/Forecastle]]に掲げます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Pennon]] &ref(海軍_軍艦(アルマダ海戦:三角旗).JPG)[[アブラハム・オルテリウス>http://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Ortelius]]画「Karte der pazifischen Oceans aus dem Jahr 1589」(1589年:ネーデルラント) 吹流し(Streamer)はピロピロ具合で風向や風速を目視で確認できます。 高速道路にあるアレと一緒。 ちなみにこの画は追い風なのに軍艦旗や吹流しが反対方向へピロピロしてる。自然の摂理から外れちゃってます。 } #endregion **戦争になるとドーンと跳ね上がる軍事費 軍事費(防衛費)は人件費、装備(軍艦や大砲)、兵器の開発、…アレコレの費用です。国を守るためのお金。 世の中がきな臭くなるとドーンと上昇。 こちらはイギリスの軍事費。詳細は[[Charts and Tables of Public Spending in the United Kingdom>http://www.ukpublicspending.co.uk/]](Make Custom Chart)さんをどうぞ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Military_budget]] |&ref(海軍_軍事費.PNG)|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[イギリス戦争一覧>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_wars_involving_the_United_Kingdom]]| |~|1688–97|[[大同盟戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War]]| |~|1700–21|[[大北方戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Northern_War]]| |~|1701–14|[[スペイン継承戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_Spanish_Succession]]| |~|1744-63|[[カーナティック戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Carnatic_Wars]]| |~|1756–63|[[七年戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Years%27_War]]| |~|1775–83|[[アメリカ独立戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/American_Revolutionary_War]]| |~|1803–15|[[ナポレオン戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Napoleonic_Wars]]| |~|1812–15|[[米英戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_1812]]| |~|1914-18|[[第一次世界大戦>https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_I]]| |~|1939-45|[[第二次世界大戦>https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II]]| 16世紀のスペイン軍は[[常備軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Standing_army]](戦争じゃなくても設立されてる軍隊)。戦争のプロだからとーっても強いです♥ でも毎日アレコレとお金が掛かるの。 軍事費は「戦時のときは戦費」「平時のときは維持費」。スペイン経済が下降してきたとき膨大な維持費が拍車を掛けたそうです。 **イギリス海軍 最初の海軍は9世紀です。海軍の父[[アルフレッド大王>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_the_Great]]([[七王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Heptarchy]]の1つ[[ウェセックス>http://en.wikipedia.org/wiki/Wessex]])がヴァイキング(デーン人)と戦うために設立。 っといっても必要な時にアチコチから船を集めて終わったら解散。 正式な国家海軍は1660年[[王チャールズ2世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_II_of_England]]が設立します。21世紀のイギリス海軍はこの流れ。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Royal_Navy]] &ref(イギリス海軍.JPG)アルフレッド大王vsヴァイキング #region(close,海軍本部) [[海軍本部>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty]](16世紀:Council of the Marine)は1546年王ヘンリー8世が設立した「海軍を管理する機関」です。 最高責任者は[[主要閣僚>http://en.wikipedia.org/wiki/Great_Officer_of_State]]の1人[[海軍卿>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_High_Admiral]]。 1628年[[王チャールズ1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]がイギリス海軍の[[海軍本部委員会>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty_Board_(United_Kingdom)]](Board of Admiralty)にしたっぽい。21世紀は[[海軍委員会>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy_Board]]です。 &ref(イギリス海軍_海軍本部.JPG)[[昔の海軍本部>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty_House,_London]](1808年) #blockquote(){&u(){&bold(){海軍卿ってなに?}} 海軍卿は海軍の全責任を負う大臣です。21世紀になると勲章のようなものっぽい。 F&B時代の海軍卿は[[エフィンガム男爵チャールズ・ハワード>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]。 アルマダ海戦の最高司令官で「開戦&停戦の交渉」「海戦中の指揮権譲渡(現場の指揮官が自由に判断)」をやってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_High_Admiral]] &ref(イギリス海軍_海軍本部(海軍卿).JPG)[[英西戦争>http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_%281585%E2%80%931604%29]](1585–1604年)の終結(1604年8月28日:[[サマセット・ハウス>http://en.wikipedia.org/wiki/Somerset_House]]) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍卿|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:備考| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー8世|1513-1525年|ノーフォーク公トマス・ハワード|アランデル伯爵フィリップ・ハワードの祖先| |~|1525-1536年|サマーセット公[[ヘンリー・フィッツロイ>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_FitzRoy,_1st_Duke_of_Richmond_and_Somerset]]|王ヘンリー8世の庶子| |~|1542-1543年|サマセット公エドワード・シーモア|トーマス・シーモアの兄| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):王エドワード6世|1547-1549年|スードリー男爵トーマス・シーモア|女王エリザベス1世との結婚を画策して失敗| |~|1549-1550年|ノーサンバランド公ジョン・ダドリー|ジェーン・グレイを女王にして失敗| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|CENTER:|||| |~|1585-1619年|エフィンガム男爵[[チャールズ・ハワード>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]&br()※1596年からノッティンガム伯爵|アルマダの海戦の指揮官| |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世|~|~|~| |~|1619-1628年|バッキンガム公[[ジョージ・ヴィリアーズ>http://en.wikipedia.org/wiki/George_Villiers,_1st_Duke_of_Buckingham]]|敗戦続きで士官[[ジョン・フェルトン>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Felton_(assassin)]]が暗殺| |BGCOLOR(lightgrey):王チャールズ1世|~|~|~| |~|CENTER:|||| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス2世|1964-2011年|イギリス女王エリザベス2世|| |~|2011年-|エディンバラ公フィリップ王配|女王エリザベス2世の夫。元帥もやってる| } #endregion #region(close,王立造船所) 造船所は船を造ったり修理するトコです。 イングランド初の王立造船所は1495年王ヘンリー7世(女王エリザベス1世の祖父)が設立した[[ポーツマス王立造船所>http://en.wikipedia.org/wiki/Portsmouth_Dockyard]]。 当時のヨーロッパ最新鋭の[[乾ドック>http://en.wikipedia.org/wiki/Drydock]]で21世紀も絶賛使用中。現役最古の乾ドックです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_Dockyard]] &ref(イギリス海軍_王立造船所.JPG)[[Nicholas Pocock>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Pocock]]画「Plymouth Dockyard」(1798年) |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:&tooltip(王立造船所){造船所や嵐の避難所が王立造船所になったので、創業時期は参考程度}|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:備考| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー7世|1495年-現在|Portsmouth Royal Dockyard(HMNB Portsmouth)|| |BGCOLOR(lightgrey):王ヘンリー8世|1513-1869年|Deptford Royal Dockyard|| |~|1512-1869|Woolwich Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|1567-1984年|Chatham Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):イングランド共和国|1650-1714年|Harwich Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):王チャールズ2世|1667-1960年|Sheerness Royal Dockyard|| |BGCOLOR(lightgrey):王ジョージ3世|1814-1926年|Pembroke Royal Dockyard|Milford Royal Dockyard(1794-)が移動| |BGCOLOR(lightgrey):王ジョージ4世|1824年-現在|Devonport Royal Dockyard(HMNB Devonport)|Plymouth Dockyard(1690-)として創立| #blockquote(){&u(){&bold(){海軍委員会(21世紀の海軍委員会とは別物)}} 海軍委員会は1546年王ヘンリー8世が設立した「海軍がちゃんとお仕事できるようにする機関」です。 たぶん海軍本部とは別の機関っぽい。 資料によってアレコレ違うのでよく分かりません。とりあえず王立造船所の運営、軍艦の管理(造船や修理)をやってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Navy_Board]] &ref(イギリス海軍_王立造船所(海軍委員会).JPG)[[デットフォード王立造船所>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]](1581年) 海軍委員会の最高責任者は[[Lieutenant of the Admiralty>http://en.wikipedia.org/wiki/Lieutenant_of_the_Admiralty]](21世紀:[[Vice-Admiral of the UK>http://en.wikipedia.org/wiki/Vice-Admiral_of_the_United_Kingdom]])です。 F&B時代の最高責任者は[[ジョン・ホーキンス>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]](1547-1595年)っぽい。 あっ!Vice-Admiral of the UK(海軍本部の役職)と[[Vice admiral>http://en.wikipedia.org/wiki/Vice_admiral_(Royal_Navy)]](中将:士官のランク)は別物です。複雑だねぇ。 } #endregion #region(close,改革のイングランド海軍) イングランド海軍は[[テューダー朝>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Tudor]](1485-1603年)で王立造船所を設立、軍艦を製造、海軍の組織化が始まります。 未来の常備軍イギリス海軍の基盤を作った重要な期間。 スペインやフランスに比べたらまだ小さな常備軍だけど、大砲・軍艦・戦略(戦い方)を改革して追いついていきます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_navy]] &ref(【共通の画】アルマダ海戦.JPG,【共通】共通の画)アルマダ海戦(数字は資料によって違うのでご注意) #blockquote(){&u(){&bold(){王ヘンリー8世の「海の防衛計画」}} [[王ヘンリー8世>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]](女王エリザベス1世の父親)はフランスとの戦争を警戒して大型軍艦(great ships)を増強します。 参考にしたのはスペインやポルトガルの「舷側から大型大砲がニューっと出る大型軍艦」。 1509年5艦だった軍艦は1514年30艦に増えます。戦争しないときは軍艦を海賊撃退にビシバシご使用。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_navy]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(王ヘンリー8世:軍艦).JPG) 左側:アンリ・グラサデュー号(1546年頃:軍艦記録書「[[Anthony Roll>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Roll]]」) 右側:[[Giovanni Stradano>https://en.wikipedia.org/wiki/Stradanus]]画「The Invention of Gunpowder and the First Casting of Bronze Cannon」(1600年:ネーデルラント) こちらの[[キャラック船>https://en.wikipedia.org/wiki/Carrack]][[アンリ・グラサデュー号>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Grace_%C3%A0_Dieu]](1514年)はイングランド初[[2層甲板>https://en.wikipedia.org/wiki/Two-decker]]の大型軍艦です。 王ヘンリー8世はブロンズ製大砲の製造工場も設立。 ちなみに16世紀末になると[[高炉>https://en.wikipedia.org/wiki/Blast_furnace]]を利用した鉄製の製造技術を開発。ブロンズ製ほど頑丈じゃないけど安くて簡単に造れます。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(王ヘンリー8世:防衛).JPG)[[デヴィルズ岬>http://en.wikipedia.org/wiki/Devil%27s_Point,_Devon]]の要塞(1509-1539年頃:プリマス) 王ヘンリー8世は没収した修道院の売却金や輸入課税を「海の防衛」に提供します(1536-1541年:[[修道院の解散>https://en.wikipedia.org/wiki/Dissolution_of_the_Monasteries]])。 テムズ川河口、ソレント海峡、プリマス、…に砦を建築。 砦は大砲を設置した[[要塞>https://en.wikipedia.org/wiki/Fortification]]でイングランドにやって来た敵の軍艦をビシバシ撃って海岸を守ります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Device_Forts]] } #blockquote(){&u(){&bold(){女王メアリー1世の「スペインとの同盟」}} 1554年[[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]はスペイン王フェリペ2世と結婚。イングランドとスペインは同盟国になります。 海軍は維持のみでほとんど手を付けず。 とりあえずフランスとの戦争(1557-1559年:[[英仏戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-French_War]])も問題なく乗り切れたからオケじゃね?って感じです。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王メアリー1世).JPG)16世紀のガレオン船 同盟国になって2国間の貿易も活発化。イングランドの港にはスペインの軍艦や商船がワンサカやって来ます。 王フェリペ2世は「スペイン船をマネしてオケ」を許可。 ってことで、船大工たちはガレオン船を調査。その後スペインとの戦争に役立っちゃいます(1585–1604年:[[英西戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_(1585%E2%80%931604)]])。 } #blockquote(){&u(){&bold(){女王エリザベス1世の「強い海軍」}} 女王エリザベス1世はスペインとの戦争を警戒して「強い海軍」に重点を置きます。 1559年39艦だった軍艦を+30艦する計画も立案。 アルマダ海戦の[[アーク・ロイヤル号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Ark_Royal_(1587)]](1587年[[ウォルター・ローリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Raleigh]]から購入)や[[リヴェンジ号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Revenge_(1577)]](1577年)もイングランド海軍の軍艦です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_early_warships_of_the_English_navy]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王エリザベス1世).JPG)[[Cornelis Verbeeck>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Verbeeck]]画「A Naval Encounter between Dutch(right) and Spanish (left) Warships」(1618-1620年:オランダ) 王立造船所は[[船首楼>https://en.wikipedia.org/wiki/Forecastle]]と[[船尾楼>https://en.wikipedia.org/wiki/Aftercastle]]が小さい新型ガレオン船[[レイジー>https://en.wikipedia.org/wiki/Razee]]を開発します。最初の成功は[[Dreadnought号>https://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Dreadnought_(1573)]](1573年)。 より速い、より動きやすい軍艦でコンセプトは「タラの頭と鯖の尾」。 新型ガレオン船の登場で[[戦術>https://en.wikipedia.org/wiki/Sailing_ship_tactics]]は従来の[[切り込み>https://en.wikipedia.org/wiki/Naval_boarding]](敵船に乗り込んで戦う)から砲撃戦(敵船を大砲で撃つ)に変わります。 &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(女王エリザベス1世:私掠船).JPG)John June画「Sir Francis Drake engaging [[the Cacafuego>https://en.wikipedia.org/wiki/Nuestra_Se%C3%B1ora_de_la_Concepci%C3%B3n]], a rich Spanish ship」(16世紀) 「強い海軍」にはお金が必要。ってことで、女王エリザベス1世は1560年[[私掠船>https://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]「女王の海賊:[[海の犬>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]]」を開始します。 女王が「敵国の船を襲ってオケ([[私掠免許状>https://en.wikipedia.org/wiki/Letter_of_marque]])」を許可した合法な海賊。 [[新世界>https://en.wikipedia.org/wiki/New_World]]から金品を運ぶスペイン船を略奪して安定した収入をゲト。私掠船もイングランド海軍の1つです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){サー・フランシス・ドレイクの「海軍の組織改革」}} [[フランシス・ドレイク>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Drake]]は海軍の常識を破って「能力と経験を持つ艦長の命令が唯一絶対であーる!」を採用してます。 イングランドもスペインも「社会的地位が重要」が常識だったの。 牧師や肉屋の息子だって優秀なら貴族出身者と対等です。ってことで、中流階級出身の優秀な指揮官がいっぱい誕生。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_tactics_in_the_Age_of_Sail]] &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(フランシス・ドレイク).JPG)この人は大尉([[軍隊記念日>http://en.wikipedia.org/wiki/Armed_Forces_Day]]のパレード) 1590年フランシス・ドレイクと[[ジョン・ホーキンス>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]]は慈善事業「負傷した船乗りのための年金制度」を作ります。 船乗りたちから6ペンス/月を強制徴収。 こちらは徴収したお金を保管する金庫チェスト。1845年海軍本部は年金制度を[[グリニッジ病院>https://en.wikipedia.org/wiki/Greenwich_Hospital,_London]]に委託します。 ~[[Royal Museums Greenwich>http://www.rmg.co.uk/]](Chatham chest)さんより~ &ref(イギリス海軍_イングランド海軍(フランシス・ドレイク:年金).JPG)チャタム・チェスト(1625年) 1592年2人はチャタムに慈善事業「傷した船乗りの病院:The Hospital of Sir John Hawkins Knight」も作ります。 お名前はジョン・ホーキンスが命名。 第2病院も1594年に作ってるっぽいけど詳細は分かりませんでした。 } #endregion **スペイン海軍 最初の海軍は中世後期です。[[アラゴン王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_Aragon]]や[[カスティーリャ王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_Castile]](その後[[レコンキスタ>http://en.wikipedia.org/wiki/Reconquista]]で[[スペイン王国>http://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Spain]]に合体)が組織。 現役最古の海軍。 海戦、植民地(新大陸の発見)、貿易(貿易船の護衛)に大活躍します。[[アルマダ>http://en.wikipedia.org/wiki/Armada]]は海軍/艦隊って意味。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]] &ref(スペイン海軍.JPG)[[マゼラン海峡>http://en.wikipedia.org/wiki/Strait_of_Magellan]]を発見した[[フェルディナンド・マゼラン>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Magellan]]とスペイン艦隊(1520年) #region(close,地中海でブイブイのスペイン海軍) 地中海は大昔から交易が盛ん。貿易船を保護しなくちゃ!ってことで、アラゴン王国やカスティーリャ王国は海軍を組織します。 14-15世紀アラゴン王国は地中海で最大の海軍を保有。 アラゴン王国、[[ヴェネツィア共和国>http://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_Venice]]、[[ジェノヴァ共和国>http://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_Genoa]]の海軍が地中海をブイブイ言わせてました。 &ref(スペイン海軍_地中海.JPG)[[地中海交易>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Mediterranean_region]](中世後期) アラゴン王国は「アラゴン連合王国」(アラゴン王がサルデーニャ王国、ナポリ王国、…を統治する[[同君連合>http://en.wikipedia.org/wiki/Personal_union]])です。 とーっても広範囲。 ピークは1441年アラゴン[[王アルフォンソ5世>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfonso_V_of_Aragon]](在位:1416–1458年)が統治した赤文字の皆さん。 #blockquote(){&u(){&bold(){その後オスマン帝国海軍もブイブイ}} [[オスマン帝国>http://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_Empire]]も14世紀初めに海軍を設立。国土の拡大と共に地中海でブイブイになっていきます。 そして地中海の国々と海戦。 1453年[[コンスタンティノープルを陥落>http://en.wikipedia.org/wiki/Fall_of_Constantinople]]させると、ヴェネツィア共和国やジェノヴァ共和国の利権を奪っていきます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_Navy]] &ref(スペイン海軍_地中海(オスマン帝国).JPG)[[レパントの海戦>http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Lepanto]](1571年) } #endregion #region(close,世界でブイブイのスペイン海軍) 1469年アラゴン[[王フェルナンド2世>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_II_of_Aragon]]とカスティーリャ[[女王イサベル>http://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_I_of_Castile]]が結婚してスペイン王国が誕生します。海軍も王様の配下へ。 スペインは[[スパニッシュ・メイン>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Main]]、南米、東インド諸島…と植民地を拡大。 ってことで、海軍は西インド諸島ルートと太平洋ルートに分かれて[[私掠船>http://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]から商船を護ります。あっ!1580年ポルトガルも併合♥ &ref(【共通の画】スペイン_インディアス艦隊.jpg,【共通】共通の画)スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀) |BGCOLOR(lightgrey):スペイン|西インド諸島ルート&br()([[インディアス艦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_treasure_fleet]])|セビリア~ハバナ~ベラクルス、ポルトベロ、カルタヘナ&br()※スペイン領から運ばれた金銀財宝は全部ハバナに集荷されてセビリアへ。| |~|太平洋ルート&br()([[マニラ・ガレオン>http://en.wikipedia.org/wiki/Manila_Galleon]])|マニラ~アカプルコ~ベラクルス&br()※アカプルコ~ベラクルスはロバで陸送。| |BGCOLOR(lightgrey):[[スペイン併合ポルトガル>http://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_Union]]|ポルトガル・ルート|調べてませーん。| #blockquote(){&u(){&bold(){ビセンテのお仕事♥ インディアス艦隊}} インディアス艦隊(スペイン語:Flota de Indias)はセビリア~ハバナの金銀財宝を運ぶスペイン商船を護る船です。 王フェリペ2世が海軍総司令官[[ペドロ・メネンデス・デ・アビレス>http://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Men%C3%A9ndez_de_Avil%C3%A9s]]の勧めで設立。 1550年17隻だった軍艦は16世紀末には50隻以上のすごーく大きな艦隊になります。1790年まで大活躍。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_treasure_fleet]] &ref(スペイン海軍_インディアス艦隊.JPG)イングランドをやっつけるインディアス艦隊(1591年:[[フローレス島の戦い>http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Flores_(1591)]]) } #blockquote(){&u(){&bold(){なんで金銀財宝がセビリアに集まるの?}} セビリアには植民地統治の政府機関[[通商院>http://en.wikipedia.org/wiki/Casa_de_Contrataci%C3%B3n]]があります。 通商院が輸入品への海軍護衛料(税率:最大40%)、[[輸入関税>http://en.wikipedia.org/wiki/Quinto_Real]](20%)、植民地投資金(最低10%)…を徴収。 商船は必ず航海と金銀財宝の記録係を雇わなくちゃいけません。 &ref(スペイン海軍_世界(セビリア).JPG,,height=200)[[アロンソ・サンチェス・コエリョ>http://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]]画「セビリアの風景」(16世紀後半) 商船は通商院の許可制でスペイン生まれのスペイン人のみ。もちろん「税金なんて払わないもーん」の密輸船もありました。 そんなトラブルは[[インディアス枢機会議>http://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_the_Indies]]が対応。 セビリアのじっくり動画はこちら[[http://www.youtube.com/watch?v=v3y3K42rNKk]]をどうぞ。 } #endregion *階級 階級は元帥(OF-10)>大将(OF-9)>…>[[見習水兵>https://en.wikipedia.org/wiki/Ordinary_seaman_(rating)]](OR-1)の順にエライです。[[OF>http://en.wikipedia.org/wiki/Ranks_and_insignia_of_NATO_Navies_Officers]]や[[OR>http://en.wikipedia.org/wiki/Ranks_and_insignia_of_NATO_Navies_Enlisted]]は[[NATO>http://en.wikipedia.org/wiki/NATO]]標準規格の階級符号。 ちなみにフランシス・ドレイクの最終階級は中将(OF-8)。 21世紀は海軍士官学校で専門教育を受けた人達が士官になります。F&B時代はまだ海軍士官学校がナイ。 &ref(階級.JPG)江田島海軍兵学校の卒業生は[[少尉候補生>http://en.wikipedia.org/wiki/Army_ranks_of_the_Japanese_Empire_during_World_War_II]](1943年:日本) |>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍士官学校| |BGCOLOR(lightgrey):イギリス|[[ポーツマス海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_Academy]](1733-1837)、[[ダートマス海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Britannia_Royal_Naval_College]](1863-)、[[グリニッジ海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Naval_College,_Greenwich]](1873–1998)、…| |BGCOLOR(lightgrey):スペイン|[[Spanish Royal Academy of Naval Engineers>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Spanish_Royal_Academy_of_Naval_Engineers]](1772-)、…、[[Escuela Naval Militar de Oficiales>http://en.wikipedia.org/wiki/Escuela_Naval_Militar_de_Oficiales]](1943-)| |BGCOLOR(lightgrey):日本|[[長崎海軍伝習所>http://en.wikipedia.org/wiki/Nagasaki_Naval_Training_Center]](1855-59)、…、[[江田島海軍兵学校>http://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_Japanese_Naval_Academy]](1876-1945)、[[防衛大学校>http://en.wikipedia.org/wiki/National_Defense_Academy_of_Japan]](1952-)、…| **イギリス 王様は[[陸海空軍の最高指揮官>http://en.wikipedia.org/wiki/Commander-in-chief_of_the_British_Armed_Forces]]、海軍で一番エライのが政治家の海軍卿(1413年~)です。戦うのは指揮官の[[大将>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiral_%28Royal_Navy%29]](1297年~)から? イギリス海軍は女王エリザベス1世の頃から大きな艦隊へ。 ってことで、大将を[[白色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/White_Ensign]]、[[青色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Ensign]]、[[赤色戦隊>http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Ensign]]に組織化。戦隊を束ねる総司令官の元帥(1690年~)が誕生します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_and_United_States_military_ranks_compared]] &ref(階級_イギリス.JPG)ケンブリッジ公ウィリアム王子(2009年から陸海空の大尉) |>|>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[士官(Officers)>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_officer_rank_insignia]]| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:将官|&ref(階級章_イギリス(OF-10).PNG)|OF-10元帥|&ref(階級章_イギリス(OF-09).PNG)|OF-9大将(提督)|&ref(階級章_イギリス(OF-08).PNG)|OF-8中将|&ref(階級章_イギリス(OF-07).PNG)|OF-7少将| |~|~|Admiral of the Fleet|~|Admiral|~|Vice‑Admiral|~|Rear‑Admiral| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&ref(階級章_イギリス(OF-06).PNG)|OF-6准将・代将|&ref(階級章_イギリス(OF-05).PNG)|OF-5大佐|&ref(階級章_イギリス(OF-04).PNG)|OF-4中佐|&ref(階級章_イギリス(OF-03).PNG)|OF-3少佐| |~|~|Commodore|~|Captain|~|Commander|~|Lieutenant‑Commander| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:尉官|&ref(階級章_イギリス(OF-02).PNG)|OF-2大尉|&ref(階級章_イギリス(OF-01).PNG)|OF-1中尉・少尉|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:見習士官|&ref(階級章_イギリス(OF-D).PNG)|OF-D士官候補生| |~|~|Lieutenant|~|Sub‑Lieutenant|~|~|~|Midshipman| |>|>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[その他(Other Ranks)>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_ratings_rank_insignia]]| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:准士官|&ref(階級章_イギリス(OR-09).PNG)|OR-9一等准尉|&ref(階級章_イギリス(OR-08).PNG)|OR-8二等准尉|>||>|| |~|~|Warrant Officer Class 1|~|Warrant Officer Class 2|~|~|~|~| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍下士官|&ref(階級章_イギリス(OR-07).PNG)|&tooltip(OR-7上等兵曹){フォーマルの袖章はボタン3つのようです}|&ref(階級章_イギリス(OR-06).PNG)|OR-6兵曹|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍兵|&ref(階級章_イギリス(OR-04).PNG)|OR-4水兵長| |~|~|Chief Petty Officer|~|Petty Officer|~|~|~|Leading Rate| #region(close,アルマダ海戦はスペイン王フェリペ2世が勝手に決めちゃったけど…) 陸軍・海軍・空軍の最高指揮官は女王/国王です。でも21世紀は王様が勝手に「アイツ生意気だからぶっ潰す!」はできません。 軍隊は政治の統制下(文民統制:シビリアン・コントロール)。 軍事介入の判断は国民が選挙で選んだ政治家が話し合って決めます。もし民意を無視したら次の選挙で死んじゃうの。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Civilian_control_of_the_military]] &ref(階級_イギリス(勝手).JPG)[[イギリス下院>http://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_the_United_Kingdom]]は[[シリア騒乱>http://en.wikipedia.org/wiki/Syrian_Civil_War]]への軍事介入を否決(2013年) #endregion #region(close,階級ごとの指揮範囲) イギリス海軍は人員35,920人、軍艦77隻。スペイン海軍は人員20,800人、軍艦54隻。海上自衛隊は人員42,431人、軍艦136隻です。 戦争は大勢の人達で戦う。 ってことで、海軍は人員と軍艦の闘能力をビシバシ発揮することが出来る階層的組織になってます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Military_organization]] |>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:21世紀の一般的な指揮範囲| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:指揮官|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:指揮の範囲|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:艦艇の種類|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:艦艇の規模| |BGCOLOR(lightgrey):元帥、大将|海軍、海軍本部|海軍内の全艦艇|2個以上の艦隊| |BGCOLOR(lightgrey):大将、中将|艦隊|海洋の全艦艇、指定された海域別|2個以上の戦闘艦隊、任務部隊| |BGCOLOR(lightgrey):中将|戦闘艦隊、任務部隊|全艦種から多数|2個以上の任務群| |BGCOLOR(lightgrey):少将|任務群|補助的艦艇の集合体|2個以上の戦隊、任務隊| |BGCOLOR(lightgrey):少将、准将・代将|戦隊、任務隊|通常は主力艦|艦艇数は少数| |BGCOLOR(lightgrey):少将、准将・代将|小艦隊・隊群、任務隊|通常は主力艦以外|同一または類似の艦種が少数| |BGCOLOR(lightgrey):大佐、中佐|任務分隊|単艦|1隻| #blockquote(){&u(){&bold(){アルマダ海戦のイギリス海軍}} 16世紀のイギリス海軍はビシッと分からなかったけど、アルマダ海戦ではこんな感じの命令系統になってると思います。 かなりテキトーなので雰囲気だけお楽しみ下さい。 詳細はアンガス・コンスタム著「図説スペイン無敵艦隊:エリザベス海軍とアルマダの戦い」(原書房)をどうぞ。 &ref(階級_指揮範囲.PNG)こんな感じ? } #endregion #region(close,階級章) 階級章は[[帽子>https://en.wikipedia.org/wiki/Peaked_cap]]([[帽章>https://en.wikipedia.org/wiki/Cap_badge]]、[[スクランブルエッグ>https://en.wikipedia.org/wiki/Scrambled_egg_(uniform)]])や上着(襟章、肩章、腕章、袖章)に付けるバッジです。 国、陸海空、階級を識別。 ショルダーボード(shoulder board)は将官の階級章。[[飾緒>https://en.wikipedia.org/wiki/Aiguillette]]と剣は士官のアクセサリー。どちらもフォーマルで付けます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_officer_rank_insignia]] &ref(階級_階級章.JPG) 左側:中将[[David Steel>https://en.wikipedia.org/wiki/David_Steel_(Royal_Navy_officer)]] [[CBE>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_British_Empire]]はフォーマル軍服「Blue No. 1 dress」を着用(2012年の階級と勲章) 右側:中将[[Sir Charles Montgomery>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Montgomery_(Royal_Navy_officer)]] [[KCB>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Bath]] [[ADC>https://en.wikipedia.org/wiki/Aide-de-camp]]はフォーマル軍服「Ceremonial Day Dress」を着用(2012年の階級と勲章) #blockquote(){&u(){&bold(){階級はジャケットの袖章で一目瞭然}} 船で知らない士官に出会ったらジャケットの袖に付いてる袖章(Sleeve lace)で階級がバッチリ判明します。 士官候補生は襟章。 [[スクランブルエッグ>https://en.wikipedia.org/wiki/Scrambled_egg_(uniform)]](ツバに装飾された葉形刺繍のスラング用語)でも大まかに偉さを判明できます。 &ref(階級_階級章(袖章).PNG)士官の袖章 こちらの服装はたぶんイブニング軍服「Blue No. 2 dress」。お夕飯や夜会に着用します。 タイやベストのオプションを変えて公式[[ディナードレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Mess_dress]](2A)、公式ドレス(2B)、船上での非公式(2C)に対応。 船の帰港で甲板に整列するときも着用してるっぽいです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ジャケットを脱いだら階級章は肩章や胸章}} 残念ながらお仕事中はシャツとタイだけの「Blue No. 3 dress」になります。ジャケットかっこいいのに…。 ってことで、階級章は肩に付いてる肩章へ。 画像をアレコレ検索した感じだとジャケットじゃないときは肩章を付けてるっぽいです。階級章って大事なのね。 &ref(階級_階級章(肩章).JPG) 2015年からはもっと残念なシャツだけの戦闘服「No. 4 dress」を採用して階級章は胸に付いてる胸章になりました。 今までより動きやすくてどんな気象状況にも対応。 袖には自分の専門分野を表すSpecialist badges(職務章?)が付いてます。帽子も[[野球帽>https://en.wikipedia.org/wiki/Baseball_cap]]を採用。さよなら乙女の浪漫。 &ref(階級_階級章(肩章2).JPG)双眼鏡にも階級章? } #blockquote(){&u(){&bold(){敬礼は海軍だけが手のひらが下向き}} ついでに陸海空で違う敬礼は海軍だけが手のひらが下向き。 いつも甲板掃除や索具を触って手のひらが汚れてるから「上官に汚れた手を見せるのは失礼」って隠したらしい。 中世から騎士には敬礼があったようだけど、F&B時代がどうだったかは分かりませんでした。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Salute]] &ref(階級_階級章(敬礼).JPG)左から海軍、陸軍、空軍 } #endregion **スペイン うーん、課長とか部長ならピンとくるんだけど…大将とか少佐と言われてもちんぷんかんぷんです。 よし!F&Bで勝手におもいっきりイメージだ! ついでに師団長タキ・レイゼン(百日の薔薇)は、海軍でいうところの分艦隊長ミゲル・デ・オケンドあたりだそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Navy]] &ref(階級_スペイン.JPG)アストゥリアス公フェリペ王子(2009年から陸海空の中佐) |>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:士官(Officers)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:F&B(アルマダの海戦)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:将官|&image(階級章_スペイン(OF-10).PNG)|OF-10&br()元帥格の大将||||||イングランド女王エリザベス1世&br()スペイン王フェリペ2世| |~|&image(階級章_スペイン(OF-09).PNG)|OF-9&br()大将|OF-8&br()中将|OF-7&br()少将|OF-6&br()准将|||フランシス・ドレイク(OF-8)&br()ジョン・ホーキンス&br()メディナ・シドーニア公&br()ディエゴ・フローレス・デ・ヴァルデス| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&image(階級章_スペイン(OF-05).PNG)|OF-5&br()大佐|OF-4&br()中佐|OF-3&br()少佐||||マーティン・フロビッシャー&br()ミゲル・デ・オケンド&br()ファン・マルティネス・レカルデ&br()アロンソ| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:尉官|&image(階級章_スペイン(OF-02).PNG)|OF-2&br()大尉|OF-1&br()中尉|OF-1&br()少尉|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:見習士官|OF-D&br()士官候補生&br()志願者||ジェフリー&br()ナイジェル&br()ビセンテ| |>|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:その他(Other Ranks)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:下士官&br()准士官|&image(階級章_スペイン(OR-09).PNG)|OR-9&br()准尉|OR-9&br()兵曹長|OR-8&br()上等兵曹|OR-7&br()一等兵曹|OR-6&br()二等兵曹||ルーファス| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:兵卒|&image(階級章_スペイン(OR-05).PNG)|OR-5&br()上級伍長|OR-4&br()一等伍長|OR-3&br()二等伍長|OR-2&br()一等水兵|OR-1&br()二等水兵|見習水兵|カイト&br()レオ| *萌えまくりの軍服 松岡なつきさん曰く「見てみたいわ。ギーブス・アンド・ホークスのブレザー・スーツを着たジェフリーとナイジェルを!」。 激しく賛成!画集でたらいいですね♥ その暁には是非とも軍服もお願いします。残念なことにF&B時代は軍服ないので、皆さんこんな感じで戦ってます。これはこれで♥ &ref(軍服.JPG)[[フランシスコ・デ・スルバラン>http://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_de_Zurbar%C3%A1n]]画「[[The Defense of Cadiz against the English>http://es.wikipedia.org/wiki/Defensa_de_C%C3%A1diz_contra_los_ingleses]](1625年:[[カディス遠征>http://en.wikipedia.org/wiki/C%C3%A1diz_Expedition_(1625)]])」(1634年:スペイン) こちらの画はイングランド海軍[[エドワード・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Cecil,_1st_Viscount_Wimbledon]]([[ロバート・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cecil,_1st_Earl_of_Salisbury]]の甥)に襲撃されたカディス湾(スペイン)です。 カディス知事Gobernador de Cádizが[[Maestro de campo>http://en.wikipedia.org/wiki/Maestro_de_campo]](21世紀:[[参謀長>http://en.wikipedia.org/wiki/Chief_of_staff]])に指示中。 参謀長は指揮・命令・指導を調整して下に命令する人。1534年スペイン[[王カルロス1世>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)が設立しました。 **イギリス海軍ご用達のギーブス・アンド・ホークス [[Gieves&Hawkes>http://www.gievesandhawkes.com/]]は1771年創業の老舗テーラーです。イギリス王室の陸軍と海軍の軍服を提供したのが始まり。 軍服、階級章、剣もネットで絶賛販売中の模様。 海軍のタイで税込み£70(≒1万円)くらい。ふつーの人も買えるのかしら?あと1865年創業の[[Dege&Skinner>http://www.dege-skinner.co.uk/]]も老舗の1つだそうです。 &ref(軍服_ギーブス・アンド・ホークス.JPG)昔の軍服コレクション **イギリス海軍の軍服 士官の軍服は1748年から、海軍兵の軍服は1857年から導入。21世紀の軍服をちょびっと調べただけでも怒濤の種類です。 ってことで、検索するとよく登場する軍服だけご紹介。 剣は普段のお仕事中は装備してません。あと軍服のコートは[[グレートコート>http://en.wikipedia.org/wiki/Greatcoat]]というそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Navy_uniform]] &ref(軍服_イギリス海軍.JPG) 軍服はBlue(冬服)とWhite(夏服)の2種類で、No1(式典)No2(夜会)No3(任務服)No4(特殊なお仕事の難燃服)があります。 A~Dは状況ごとの服装ってことかなあ? 詳細はこちら[[Royal Navy(水上艦隊)>http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20090127182544/http://www.royalnavy.mod.uk/]](Home→Training and People→RN Life→Uniforms and Badges of Rank)をどうぞ。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:階級|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No1:フォーマル(B)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No2:イブニング(B)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No3:任務(青AC/白AB、海軍兵は青AD/白AB)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:No4:作業| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:佐官|&ref(軍服一覧_フォーマル(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(佐官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(佐官).JPG,,height=180)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:准士官|&ref(軍服一覧_フォーマル(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(准士官).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(准士官).JPG,,height=180)| |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:海軍兵|&ref(軍服一覧_フォーマル(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_イブニング(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_任務(海軍兵).JPG,,height=180)|&ref(軍服一覧_作業(海軍兵).JPG,,height=180)| *アルマダ海戦のお洋服 #include(【共通】アルマダ海戦の武器と装備) **ダブレットとホーズ 16世紀の男性服はダブレット([[ジャケット>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacket]])とホーズ([[ズボン>https://en.wikipedia.org/wiki/Trousers]])です。ダブレットの上にジャーキン(ジャケット)を着てもオケ。 カラフルで装飾も凝りまくり。 甲冑はダブレットとホーズの上からアレコレ装着。お洋服の詳細は[[Costume Fashion History>http://world4.eu/]]や[[Costumes of All Nations >http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Costumes_of_All_Nations_(1882)]]をどうぞ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ.JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「Sir Martin Frobisher」(1577年頃:イングランド) 右側:作者不明「Philip II, King of Spain」(1580年頃) #region(close,ダブレット) ダブレットは中世後半~17世紀中頃の体にフィットした男性用ジャケットです。袖口は手首にピッタリしてる。 元々は挫傷や擦傷を防止する[[鎧下>https://en.wikipedia.org/wiki/Gambeson]]。 15世紀後半からはふつーの見せるジャケットになります。シャツや下着(drawers)の上に着用。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Doublet_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット).JPG)[[Giovanni Battista Moroni>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Battista_Moroni]]画「The Tailor」(1570年頃:イタリア) #blockquote(){&u(){&bold(){装飾と刺繍}} [[テューダー王朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_period]](1485–1603年、エリザベス朝:1558–1603年)にダブレットの装飾は花開きます。 切り込み、[[刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Embroidery]]、[[パスマントリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Passementerie]](フリンジ、タッセル、金銀モールの縁飾り)…。 肩袖は翼や[[Piccadill>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadill]](カットワークレース)で装飾。裾のスカート([[ペプラム>https://en.wikipedia.org/wiki/Overskirt]]みたいの)でホーズのウェストを隠します。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット_装飾).JPG)フェンシング・ダブレット(1580年:イングランド) } #blockquote(){&u(){&bold(){ウェストラインはV字型}} ダブレットのウェストラインは前方にV字型です。 形を保つために16世紀末はお腹部分にパット([[Peascod belly>https://en.wikipedia.org/wiki/Peascod_belly]])をセット。別名「Goose belly:ガチョウのお腹」。 1625年頃パットはお腹から胸に移動していきます。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ダブレット_V字型).JPG) } #endregion #region(close,ホーズ) ホーズは中世~17世紀の多種多様な男性用ズボンです。初期のホーズは脚にピッタリしてるウール製タイツ。 その後ズボン(ホーズ)とストッキング(靴下)に分割。 16世紀後半に人気のホーズはTrunk(短いホーズ)、カボチャ(膝上ホーズ)、[[Pluderhosen>https://de.wikipedia.org/wiki/Pluderhose]]、ベネチアン(膝下ホーズ)です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hose_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ).JPG)神聖ローマ帝国(16世紀) #blockquote(){&u(){&bold(){コッドピース(中英語:Cod=Bag/Scrotum)}} コッドピースは体型を誇張する15~16世紀の下着。巨大化と装飾のピークは1540年頃で1590年代までに消滅します。 ときどき小物を入れるポケットにもご使用。 誕生の理由は16世紀前半に蔓延した梅毒と関係するかもしれないそうです。中で薬に浸した包帯で包んでたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Codpiece]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_コッドピース).JPG) 左側:[[ハンス・ホルバイン>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Portrait of Henry VIII」(1537年頃) 右側:イギリス軍のボディアーマー[[Osprey body armour>https://en.wikipedia.org/wiki/Osprey_body_armour]](21世紀) お洋服にはちょっと…のコッドピースだけど、21世紀の戦場ではとーっても大切な弱点を守るアイテムっぽいです。 痛がってる場合じゃないもんね。 Groin protectorは状況に応じて着脱可能。こちらのボディアーマーは[[イギリス海兵隊>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Marines]]もご愛用してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){社会の窓(前開き)}} 社会の窓はトイレでアレを出し入れする衛生的な穴。コッドピースの大人気でフォールフロント(fall-front)が誕生します。 ここからアレを出してコッドピースをパカッ。 その後ボタンで留めるフライフロント(fly-front)に進化します。[[ジッパー>https://en.wikipedia.org/wiki/Zipper]]は1851年までお待ち下さい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Fly_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_社会の窓).JPG) 左側:革製ブリーチ(16世紀:ヨーロッパ) 右側:ダブレットとブリーチ(1625-1635年:イギリス) その後のその後フォールフロントは穴を布で覆う開閉機能式になります。布はボタンで留めるの。 F&B時代にはナイっぽい。 ってことで、ぜーんぜん萌えなくてこれ以上は調べませんでした。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_社会の窓2).JPG)フォールフロント(1850年代) } #blockquote(){&u(){&bold(){萌えの危機!?ホーズからブリーチへ}} 16世紀末からホーズは「ブリーチ」と呼ばれるようになります。ホーズと同じダブダブで裾が脚にピッタリしたズボン。 ウェストと裾はボタン、[[ドローストリング>https://en.wikipedia.org/wiki/Drawstring]]、バックル、ブローチで留める。 ブリーチは19世紀前半から私達も履いてるダブダブで裾が脚にピッタリしない「ズボン」になるっぽいです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Breeches]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_ブリーチ).JPG) 左側:ダブレットとブリーチ(1625-1635年:イギリス) 右側:[[Dirck Hals>https://en.wikipedia.org/wiki/Dirck_Hals]]画「Joyful Gathering or Merry Company」(17世紀:ネーデルラント) ウェストがボタンになったら[[タック>https://en.wikipedia.org/wiki/Pleat]]が重要になるんじゃない?と調べたらぜーんぜん分かりませんでした。 とりあえず履くのは楽チン。 ただね…ジェフリーが1人で履けようになっちゃいます。そうなると萌えが減っちゃいますよね! &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ホーズ_ブリーチ2).JPG)[[Francesco Beccaruzzi>https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Beccaruzzi]]画「A Ballplayer and His Page」(16世紀:イタリア) } #endregion #region(close,ホーズはペティコートと結ぶ?ダブレットと結ぶ?) ちょびっと調べてみたらホーズを結ぶのは圧倒的にダブレットが多かったです。F&Bもダブレットですよね♥ ペティコートは女性用のお洋服かも? ダブレットとホーズには均一にリボン穴(Eyelet Holes)が開いてます。リネンや絹のリボンをお互いのリボン穴に通す仕組み。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(結ぶ).JPG)メディチ家のご子息[[ドン・ガルツィア>https://en.wikipedia.org/wiki/Garzia_de%27_Medici]](1547–1562年:イタリア)のダブレットとホーズ(レプリカ) #blockquote(){&u(){&bold(){リボンは隠さないとね}} ダブレットは裏身頃に付いてるウェストバンド(正式名称は分かりませんでした)にリボン穴が開いてます。 ウェストバンドは裾のスカートで隠蔽。 ってことで、見た目スッキリ。あっ、ガルツィアさんのダブレットは直接リボン穴が開いてるから隠れてません。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(結ぶ_隠す).JPG) 左側:トスカーナ大公[[コジモ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Cosimo_I_de%27_Medici,_Grand_Duke_of_Tuscany]]のサテン製ダブレット。リネン製裏地との間に生綿詰め(1574年頃:イタリア) 右側:[[Giovanni Battista Moroni>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Battista_Moroni]]画「The Tailor」(1570年頃:イタリア) } #endregion #region(close,ジャーキン) ジャーキンは16~17世紀の短くて体にピッタリ合う袖ナシ男性用ジャケットです。明るい革製が一般的。 ダブレットの上に着用。 16世紀はダブレットに[[お腹パット>https://en.wikipedia.org/wiki/Peascod_belly]]が入ってるのでジャーキンは首で閉じます。17世紀になるとウェストで閉じて胸を強調。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Jerkin_(garment)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン).JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「A Giant Porter」(1580年:イングランド?) 右側:作者不明「Sir Walter Raleigh and his Son」(1602年:イングランド) #blockquote(){&u(){&bold(){シャツの上にも着用っぽい}} シャツの上にもジャーキンを着るっぽいです。いくつか画をチェックしたら労働者階級(?)の皆さんが着用。 ちなみにシャツは男性用下着。 貴族の皆さんは「下着姿でお出かけできるかー!」なの?うーん、でも夏は暑いわよね。詳細は分からなかったです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_シャツ).JPG) 左側:[[Annibale Carracci>https://en.wikipedia.org/wiki/Annibale_Carracci]]画「The Beaneater」(1580-1590年:イタリア) 右側:[[Bartolomeo Passarotti>https://en.wikipedia.org/wiki/Bartolomeo_Passarotti]]画「The Butcher's Shop」(1580年代:イタリア) 肉屋のオッサンが着てるジャーキンは革紐で閉じてるのかしら?紐で閉じる方法は後見頃にも使えます。 こちらのジャーキンはリボンをご使用。 左右がちょびっとズレてれるのが気になる。16世紀のおしゃれな男性はこんな生ぬるい装いはしないと思います。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_シャツ2).JPG)ジャーキン(1570–80年:ヨーロッパ) } #blockquote(){&u(){&bold(){装飾と刺繍}} ジャーキンの装飾と刺繍もダブレットに負けないくらいゴージャスです。一番上に着るから装飾と刺繍もゴージャスも倍増? ダブレットとお揃いのジャーキンもアリ。 実はこのジャーキンは[[メトロポリタン美術館>http://www.metmuseum.org/]]の分類だとダブレットで紹介されてます。違いが分からない…。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ジャーキン_装飾).JPG)ジャーキン(1580年:ヨーロッパ) } #endregion #region(close,ベルト) ベルトは[[青銅器時代>https://en.wikipedia.org/wiki/Bronze_Age]]からご使用のお洋服を整えるアイテムです。きつく締めればウェストを引き締めて肩と胸を強調。 剣帯(Sword belt)は[[鞘(さや)>https://en.wikipedia.org/wiki/Scabbard]]を装備するベルト。 戦うとき素早くレイピアを抜けます。ダブレットやジャーキンのベルト通しはF&B時代の画をチェックしたけどナシっぽい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Belt_(clothing)]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト).JPG) 左側:スウェーデン王[[グスタフ2世アドルフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Gustavus_Adolphus_of_Sweden]]のベルトとハンガー(16世紀末- 17世紀初め:the Royal Armouries、Sweden) 右側:作者不明「初代レスター伯[[ロバート・ダドリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_1st_Earl_of_Leicester]]」(1564年頃:イングランド) #blockquote(){&u(){&bold(){剣帯の装い}} 剣帯はダブレットやジャーキンの上に装備します。F&B時代の画をチェックしたけどマントの上には装備しないっぽい。 左側はいろいろな剣帯。 時代も地域もビシッとは分かりませんでした。参考程度なの。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_装備).JPG) 左側:拾いモノ 右側:[[Luigi Gentile>https://en.wikipedia.org/wiki/Luigi_Primo]]画「Man in a Red Cloak」(1630-45年:ネーデルラント) ちなみに21世紀イギリス海軍の士官はフォーマルやイブニングのとき剣帯を装備します。もう剣で戦う時代じゃないのね。 剣帯はジャケットの下っぽい? サイドベント(両サイドの切り込み)から鞘がにょーん。鞘を手に持ってる写真も多かったです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_装備2).JPG)フォーマルNo1 } #blockquote(){&u(){&bold(){ポーチ(pouched over the belt)}} ベルトには小物を入れるポーチも装備できます。ダブレットやホーズにポケットが無くてもこれで安心。 とりあえず中世にはあるっぽい。 キュッってするトコは口金式(double ring frame)や巾着式があります。ちなみに[[バグパイプ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bagpipes]]演奏者のポーチは[[スポーラン>https://en.wikipedia.org/wiki/Sporran]]。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(ベルト_ポーチ).JPG) 左側:[[Francesco Terzi>https://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_Terzi]]画「[[Archduke Ferdinand II>https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_II,_Archduke_of_Austria]]」(1557年:神聖ローマ帝国) 右側:ポーチ(Olaf Goubitz著「Purses in Pieces」) } #endregion #region(close,イングランドの刺繍と奢侈禁止令(しゃしきんしれい)) イングランドの刺繍は[[アングロ・サクソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxons]](5世紀)から続いてます。現存する最古の刺繍は11世紀[[バイユーのタペストリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Bayeux_Tapestry]]。 第一の開花は中世の教会の刺繍。 これは[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_England]]の宗教改革で減少。第二の開花は[[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]](1558–1603年)で衣類や家具に刺繍するようになります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/English_embroidery]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍).JPG)半身の絹製ダブレット(1600年:東ヨーロッパ) #blockquote(){&u(){&bold(){中世の刺繍}} [[中世イングランド>https://en.wikipedia.org/wiki/England_in_the_Middle_Ages]]の金銀糸や絹糸を使った豪華な刺繍は「[[オーパス・アングリカナム>https://en.wikipedia.org/wiki/Opus_Anglicanum]](English work)」といいます。 教会の衣装、壁掛け、…に刺繍。 ヨーロッパの王や法王に大人気で外交の贈り物にもご使用。あっ、[[コープ(Cope)>https://en.wikipedia.org/wiki/Cope]]は聖職者が礼拝式で着るクロークです。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_中世).JPG)オーパス・アングリカナム[[Butler-Bowden Cope>https://en.wikipedia.org/wiki/Butler-Bowden_Cope]](1330–50年:イングランド) 中世は豪華な衣類を教会の礼服にリメイクしてました。1534年[[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]はカトリックを捨てて[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_England]]を新設。 カトリック修道院もぶっ潰すぜー! ってことで、修道院のオーパス・アングリカナムは個人の壁掛け、クッション、バックにリメイクされます。ちょwww } #blockquote(){&u(){&bold(){エリザベス朝の刺繍}} エリザベス朝になると[[錦>https://en.wikipedia.org/wiki/Brocade]]やビロードの衣装や家具に色とりどりの糸で刺繍されます。赤、深紅色、青、緑、ピンクが人気。 金銀糸、[[ボビンレース>https://en.wikipedia.org/wiki/Bobbin_lace]]、[[パスマントリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Passementerie]]、宝石、[[アップリケ>https://en.wikipedia.org/wiki/Appliqu%C3%A9]]で装飾。 いくつか画をチェックしたらやっぱり男性より女性の衣装の方が華やかです。女王エリザベス1世の衣装は息を呑む美しさ♥ &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_エリザベス朝).JPG) 左側:[[ニコラス・ヒリアード>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The "Hardwick Hall" portrait of Elizabeth I of England」(1599年頃:イングランド) 右上:作者不明「Sir Walter Raleigh」(1598年:イングランド) 右下;[[エステル記>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Esther]]が刺繍されたキャビネット(1665年以降:イングランド) 息を呑む美しさの刺繍はプロがデザインして「刺繍のパターンブック:Embroidery Pattern Books」で発表します。 針仕事は熟練のアマチュア女性が担当。 こちらは16世紀イタリアのパターンブックです。イングランドは見つからなかったの。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_エリザベス朝2).JPG)Fero Lunardo著「刺繍のパターンブック」(1559年:イタリア) } #blockquote(){&u(){&bold(){きゃー♥ ボビンレースも素敵♥}} ボビンレースは金銀糸や絹糸を使ったレース織物です。1493年[[スフォルツァ家>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Sforza]](イタリア)の記録ではボビンを12個ご使用。 スペイン軍の移動でヨーロッパ中に流行。 織り方も簡単だし道具も安いので女性や[[慈善学校>https://en.wikipedia.org/wiki/Charity_school]]、[[救貧院>https://en.wikipedia.org/wiki/Almshouse]]、[[女子修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/Convent]]の皆さんが織ってます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Bobbin_lace]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_ボビンレース).JPG) 左側:[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Portrait of Queen Elizabeth I」(1573-1575年:イングランド) 右側:[[Giacomo Ceruti>https://en.wikipedia.org/wiki/Giacomo_Ceruti]]画「Women Working on Pillow Lace (The Sewing School)」(1720年代:イタリア) ボビンレースは型紙に添ってボビン糸を捻りながら編んでいきます。編みの変化はピンを止めればオケ。 うーん、観た方が分かりやすいかも…。 編み方の動画はこちら[[https://www.youtube.com/watch?v=YWQ-KZoePIo]]をどうぞ。すっごい忍耐力が必要だと思う。 } #blockquote(){&u(){&bold(){きゃー♥ 宝石も素敵♥}} こちらは16世紀中頃にスペイン領[[マルガリータ島>https://en.wikipedia.org/wiki/Isla_Margarita]]で発見された当時最大の真珠[[ラ・ペレグリナ(西語:巡礼者)>https://en.wikipedia.org/wiki/La_Peregrina_pearl]]です。 真珠はスペイン王フェリペ2世(まだ皇太子)に献上。 その後、妻となったイングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]の胸元を飾ります。1558年メアリー1世が亡くなるとスペインへ返却。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_宝石).JPG) 左側:[[Antonis Mor>https://en.wikipedia.org/wiki/Antonis_Mor]]画「 Mary I of England」(1554年:イングランド) 中側:[[Juan Pantoja de la Cruz>https://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Pantoja_de_la_Cruz]]画「Portrait of Margaret of Austria」(1606年:スペイン) 右側:The Victoria and Albert Museum(21世紀:イギリス) 返却された真珠はスペイン[[王フェリペ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_III_of_Spain]](王フェリペ2世の息子)や[[王フェリペ4世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_IV_of_Spain]](〃の孫)の妻達の胸元を飾ります。 1808年[[ナポレオン>https://en.wikipedia.org/wiki/Napoleon]](フランス)がスペインを支配。 その後、真珠はフランスへ渡って新たに「彷徨う人」と命名されます。なんやかんやで21世紀はロンドンの宝石商が所有。 &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_宝石2).JPG) 左側:王フェリペ2世が2番目の妻イングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]にプレゼントしたPearl of Kuwait(Mary Tudor pearl) 中側:王フェリペ2世が2番目の妻イングランド女王メアリー1世にプレゼントしたEl Grande 右側:王フェリペ2世が3番目の妻[[エリザベート・ド・ヴァロワ>https://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_of_Valois]]にプレゼントしたEl Estanque こちらは王フェリペ2世が所有する宝石です。16世紀のスペインが最強と呼ばれるのも納得!スゴイ! [[Pearl of Kuwait>https://en.wikipedia.org/wiki/Pearl_of_Kuwait]]は王フェリペ2世の母親[[イサベル・デ・ポルトゥガル>https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_of_Portugal]]の遺品。 [[El Estanque>https://es.wikipedia.org/wiki/El_Estanque]]は王フェリペ2世がアントワープのCarlo Affetatoから80.000エスクードで購入した当時最大のダイヤモンドです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){奢侈禁止令の金糸刺繍}} 奢侈禁止令は「贅沢は敵だ!皆さん倹約に励みましょう」の法令です。カトリック教だと[[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]の「傲慢の罪」。 14~17世紀イングランドもビシバシ発布。 生地、衣類、毛皮、装飾、…アレコレを規制して輸入を規制してます。国外への資金流出を嫌がったのね。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sumptuary_law]] &ref(洋服_ダブレットとホーズ(刺繍_奢侈禁止令).JPG) 右側:[[ニコラス・ヒリアード>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Elizabeth I, the Phoenix portrait」(1575年頃:イングランド) 中側:[[Marcus Gheeraerts the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Marcus_Gheeraerts_the_Younger]]画「Margaret Laton」(1620年頃:イングランド) 左側:現存する「Margaret Laton(中側)」のジャケット[[Margaret Laton's embroidered jacket>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Laton%27s_embroidered_jacket]](1620年頃:イングランド) 女王エリザベス1世も絹、布、金銀の輸入過多で1574年6月15日に奢侈禁止令「若い紳士の浪費は破滅の元」を発布してます。 でも皆さん守らない。 ってことで、何度も[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]は更にキビシイ法令を発布。もーイタチごっこです。 } #endregion **シャツとラフ(襞襟:ひだえり) 16世紀の男性服はダブレットの下にリネン製シャツ(下着)を着て、ダブレットが汚れないように襟首と手首にラフを付けます。 下着のせいなのかシャツの肖像画は少々。 シャツとラフは汚れたらビシバシお洗濯できます。きっとダブレットはビシバシお洗濯できないもんね。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_シャツとラフ.JPG) 左側:[[Giovanni Antonio Fasolo>https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Antonio_Fasolo]]画「Portrait of Ippolito Porto」(16世紀:イタリア) 右側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「Sir Martin Frobisher」(1577年頃:イングランド) #region(close,シャツ) シャツは20世紀まで男性用下着です。でも下層階級の労働者(貴族以外の庶民?)にとってはカジュアル・ウェア。 16世紀は襟首と袖口に刺繍、フリル、レースを装飾。 もう隠してる場合じゃないぜ!ってことで、17世紀になると「見せる下着」に変身。色のついたシャツは19世紀前半に登場します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Shirt]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ).JPG) 左側:リネン糸と絹糸で刺繍されたリネン製シャツ(1540年頃:イングランド) 右上:[[Scipione Pulzone>https://en.wikipedia.org/wiki/Scipione_Pulzone]]画「自画像」(1574年:イタリア) 右下:[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Titian]]画「[[Man with a Glove>https://en.wikipedia.org/wiki/Man_with_a_Glove]]」(1520年頃:イタリア) #blockquote(){&u(){&bold(){シャツは長方形}} F&Bキャラクターブックを眺めてみたらナイジェル達のシャツはダブダブの肩下がりでとーってもカワイイです♥ 16世紀のシャツは皆さんダブダブの肩下がり。 これはシャツが長方形だからです。21世紀のシャツみたいにカーブや斜めに裁断されてないの。 &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_長方形).JPG)作者不明「Portrait identified in Cartwright's inventory as [[Nathan Field>https://en.wikipedia.org/wiki/Nathan_Field]]」(1615年:イングランド) シャツは下着なので仕立屋じゃなくアマチュア女性(仕立屋組合が管理してる主婦やthe Silk Women)が担当してます。 長方形なら構造が簡単。 あとシャツは消耗品なので生地を贅沢に使ってる場合じゃない。長方形なら生地を隅から隅まで無駄なく使えます。 ~[[The Renaissance Tailor>http://www.renaissancetailor.com/index.html]](Demonstrations>Accessories:Western European>Shirts)より~ &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_長方形2).JPG) } #blockquote(){&u(){&bold(){労働者にとってはカジュアル・ウェア}} 16世紀イングランドの大多数の住民はお貧乏な労働者です。熟練した職人(大工、石工、仕立て屋)はちょびっと余裕アリ。 余裕アリならキリスト教の義務[[慈善>https://en.wikipedia.org/wiki/Charity_(practice)]] でお貧乏を救済([[Tudor Poor Laws>https://en.wikipedia.org/wiki/Tudor_Poor_Laws]])。 この頃の平均寿命は約40歳。1590年代には長期間不作が続いて[[飢饉>https://en.wikipedia.org/wiki/Famine]]になり更に生活が困難になります。 ~[[National Portrait Gallery>http://www.npg.org.uk/]](Elizabeth I & Her People)さんより~ &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_カジュアル・ウェア).JPG)海の労働者(1590–1650年:Museum of London) } #blockquote(){&u(){&bold(){ブラックワーク刺繍}} [[ブラックワーク刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Blackwork]]は15~16世紀に人気の幾何学模様(曲線の茎、花、果物…)の刺繍です。刺繍糸は黒色。 リネン/綿製のシャツ、スモック、ラフ、[[コイフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Coif]]、…に刺繍。 王ヘンリー8世に嫁いだ[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]が刺繍服を持参したので別名「スパニッシュ・ブラックワーク」です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/English_embroidery]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_刺繍).JPG)女性用コイフ(1590-1610年:イングランド) 女王エリザベス1世はクッションなどにもブラックワーク刺繍してます。刺繍糸はときどき色つき糸や金糸もご使用。 とーっても華やか♥ でもジェフリーやナイジェルが[[金糸刺繍>https://en.wikipedia.org/wiki/Goldwork_(embroidery)]]したら[[奢侈禁止令>https://en.wikipedia.org/wiki/Sumptuary_law]]で怒られちゃいます。あっ、ナイジェルはしないか…。 &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_刺繍2).JPG) 左側:[[Hans Holbein the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Jane Seymour, Queen of England」(1536年:イングランド) 右側:[[Hans Eworth>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Eworth]]画「Elizabeth Hardwick」(1560-1569年頃:イングランド) } #blockquote(){&u(){&bold(){シャツがもっとダブダブでナガナガになると寝間着}} もっとダブダブで膝下まで延びたシャツは寝間着です。[[シュミーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Chemise]]やスモック(smock)とかとも呼ぶっぽい。 16世紀の貴族は贅沢に刺繍した寝間着(wrought night-shirts)。 庶民の皆さんはハダカかふつーのシャツが寝間着。19世紀までダブダブでナガナガのシャツが寝間着です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Nightshirt]] &ref(洋服_シャツとラフ(シャツ_寝間着).JPG) } #endregion #region(close,ラフ) ラフは16世紀中頃~17世紀中頃の襟首(Ruff:ラフ)と手首(Cuffs:カフス)に付けるダブレットの汚れ防止[[フリル>https://en.wikipedia.org/wiki/Ruffle]]です。 汚れたら取り外してお洗濯。 お洗濯したら型崩れ/色落ち防止に糊付け([[デンプン>https://en.wikipedia.org/wiki/Starch]])。糊付けの間に[[植物染料>https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_dye]]で黄色、ピンク、藤色に染めることもあります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Ruff_(clothing)]] &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ).JPG) 左側:[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「The "Hardwick Hall" portrait of Elizabeth I of England」(1599年頃:イングランド) 右側:[[Juan Pantoja de la Cruz>https://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Pantoja_de_la_Cruz]]画「La infanta Isabel Clara Eugenia」(1599年:スペイン) #blockquote(){&u(){&bold(){ラフの蛇腹にはアイロン掛けしないとね}} 16世紀ラフに使う[[アイロン>https://en.wikipedia.org/wiki/Clothes_iron]]はストーブの上に置いて熱くする金属シリンダ製「Goffering Iron:ひだ付けアイロン」です。 アイロンの上部に「Poking-stick」が刺さってる。 このPoking-stickでラフの精巧な蛇腹(figure-of-eight)を1つ1つ丁寧に整えます。かー!めんどくせー! &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_アイロン).JPG)Goffering Iron } #blockquote(){&u(){&bold(){ラフってどうやって装着するの?}} ラフは扇型(standing ruff)と円盤型(ruff)があります。前は解放スタイル(open styles)と閉鎖スタイル(closed styles)。 時代と共に広くなったり高くなったり。 16世紀末になるとラフは[[襟>https://en.wikipedia.org/wiki/Collar_(clothing)]]や[[バンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bands_(neckwear)]]に世代交代。1630年代スペイン王[[フェリペ4世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_IV_of_Spain]]も贅沢なラフを使用禁止にしてます。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着).JPG) ラフは襟首に巻いたらリボンやボタンで留めます。解放スタイルは胸側、閉鎖スタイルは背中側で留めるっぽい。 台襟がダブレットの中にスポッ。 ちなみに21世紀の猫ちゃん達が病院で付けられる[[エリザベスカラー>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_collar]]のお名前はラフが由来です。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着2).JPG)ラフ(21世紀) ラフは時代と共に広くなったり高くなったり。幅1mのラフを付けた人もいるそうです。もうエリマキトカゲ。 16世紀後半~17世紀前半はラフの支え[[サポータス>https://en.wikipedia.org/wiki/Supportasse]]が登場。 ラフによってWhisks(Wisks)、[[ピカディル>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadill]]、Rebatos、…があります。真鍮針金を直接ラフの中に入れてもオケかも。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_装着3).JPG)サポータス(21世紀) } #blockquote(){&u(){&bold(){アイロンなんてめんどくせー!ピカディルならカイトも楽チン?}} 16世紀後半~17世紀前半ピカディルは糊付けされた固い立ち襟になります。穴にリボンを通してダブレットと固定。 仕立屋ロバート・ベイカーが考案して大流行。 ロバートは1611年ロンドンに仕立屋を開店。このお店がある通りは[[ピカデリー通り>https://en.wikipedia.org/wiki/Piccadilly]]と呼ばれるようになります。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_ピカディル).JPG)こんな感じ? 上側:ピカディル(1600-1615年:イングランド)、ピカディルとダブレット(1590-1610:スペイン) 下側:付け襟(1630年頃:ネーデルラント)、作者不明「William Shakespeare」(1610年:イングランド) その後、ピカディルは幅広レースを使う[[付け襟>https://en.wikipedia.org/wiki/Collar_(clothing)]](Falling Collar)に進化。あと16世紀は襟付きシャツの画もあります。 F&Bキャラクターブックを眺めてみたらナイジェル達も襟付きシャツ♥ 襟付きシャツはビシっとは分かりませんでした。もしかしたら「William Shakespeare」の画は襟付きシャツかも。 &ref(洋服_シャツとラフ(ラフ_アイロン2).JPG)作者不明「Thomas Cavendish, Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) 16世紀末ピカディルやラフの代わりに長い布を首に布を巻く[[バンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bands_(neckwear)]]([[ネクタイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Necktie]])も登場。詳細は分かりませんでした。 こちらのフランシス・ドレークが首に巻いてるのは[[クラバット>https://en.wikipedia.org/wiki/Cravat]]? クラバットは17世紀[[ハプスブルク君主国>https://en.wikipedia.org/wiki/Habsburg_Monarchy]]の外人部隊[[The Croats>https://en.wikipedia.org/wiki/Croats_(military_unit)]](東ヨーロッパ人の混合兵士)が巻いたのが始まりです。 } #endregion #region(close,手荒れが心配なお洗濯) お洗濯は水辺でジャブジャブ。汚れは板や岩(beetling-stone)の上に洗濯物を置いて棒(washing-beetles)で叩きます。 井戸から水を運んでタライでジャブジャブもオケ。 お水の代わりに熱湯でジャブジャブする場合もあります。[[洗濯板>https://en.wikipedia.org/wiki/Washboard]]は1797年、[[回転式洗濯機>https://en.wikipedia.org/wiki/Washing_machine]]は1858年までお待ち下さい。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Laundry]] &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯).JPG) 左側:Salomon Trismosin著「[[Splendor Solis>https://en.wikipedia.org/wiki/Splendor_Solis]]:太陽の輝き」(1582年:ドイツ) 右側:[[Tintoretto>https://en.wikipedia.org/wiki/Tintoretto]]画「The Miraculous Fall of Manna」(16世紀:イタリア) タライに水と洗濯物を入れて足でジャブジャブもオケです。これならF&B時代の主婦も手荒れの心配ナシ。 手で搾ったら物干し竿で空気乾燥。 汚れてない草の上に広げて乾燥する場合もあります。ハンドクリーム[[白色ワセリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Petroleum_jelly]]は1872年までお待ち下さい。 #blockquote(){&u(){&bold(){洗濯洗剤は灰汁}} ヨーロッパではガンコな汚れを落とすために灰汁(the ash [[lye>https://en.wikipedia.org/wiki/Lye]])を洗濯洗剤や漂白剤として使ってたかもしれません。 石鹸も灰汁と脂肪の合成物。 [[アメリカ先住民>https://en.wikipedia.org/wiki/Native_Americans_in_the_United_States]]は[[Chlorogalum>https://en.wikipedia.org/wiki/Chlorogalum]]や[[ユッカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Yucca]]の根をご使用。私達が使ってる[[合成洗剤>https://en.wikipedia.org/wiki/Laundry_detergent]]は1917年までお待ち下さい。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_洗剤).JPG)灰汁を作る農民ご夫婦(1884年:アメリカ) 灰汁の作り方は皆さんイロイロ。とりあえず樽の中に小石、藁、藁灰を敷いて軟水を入れます。熱湯の水でもオケ。 硬水のイギリスやスペインは雨水とかをご使用。 しばらくすると樽の下から濾過された灰汁がポタポタ出てきます。樽に栓をして数ヶ月放置する人もいるっぽい。 } #blockquote(){&u(){&bold(){主婦は昔から黄ばみと戦ってる!}} 黄ばみの原因になる皮脂汚れは鍋で洗濯物をグツグツ煮る「煮洗い」で撃退。私も梅雨や夏はバスタオルを煮ちゃいます♥ 18世紀後半[[塩素>https://en.wikipedia.org/wiki/Chlorine]]を発見するまでは漂白広場[[ブリーチフィールド>https://en.wikipedia.org/wiki/Bleachfield]]もオケ。 水と太陽光で漂白するそうです。[[ホワイトフィールド>https://en.wikipedia.org/wiki/Whitefield,_Greater_Manchester]](イングランド)のお名前は中世の漂白広場が由来っぽい。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_黄ばみ).JPG) 左側:詳細不明 右側:[[ヨース・デ・モンペル>https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_de_Momper]]画「Een bleekveld in een dorp」(1650:ネーデルラント) } #blockquote(){&u(){&bold(){亜麻糸も灰汁で漂白(イングランド語:bowking/bucking)}} [[リネン>https://en.wikipedia.org/wiki/Linen]]は亜麻糸([[亜麻>https://en.wikipedia.org/wiki/Flax]]の茎の繊維)で織られた柔らで強靭な布。強靭だから帆船時代の帆布にもリネンを使ってます。 お洋服になる亜麻糸は織る前に灰汁で漂白。 こちらは主婦のハンドブック[[Gervase Markham>https://en.wikipedia.org/wiki/Gervase_Markham]]著「The English Housewife」(1615年:イングランド)の漂白方法です。 &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_漂白).JPG)[[ジャン=フランソワ・ミレー>https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Fran%C3%A7ois_Millet]]画「Laundress」(1861年頃:フランス) &italic(){&color(silver){.....cover the uppermost yarn with a bucking cloth, and lay therein a peck [about 16 pints] or two (according to the bigness of the tub) of ashes more; then pour into all through the uppermost cloth so much warm water, till the tub can receive no more; and so let it stand all night: the next morning you shall pull out the spigot [peg used to stop hole] of the bucking tub, and let the water therein run into another clean vessel, and as the bucking tub wasteth, so shall you fill it up again with the lye which cometh from the bucking tub, ever observing to make the lye hotter and hotter till it seethe [boil].....}} 亜麻糸を漂白布(bucking-cloth)で覆ったら16パイント(≒9Kg)の灰を置いて、漂白桶(bucking-tub)を温水で満たします。 一晩寝かせます。 翌日、漂白桶の栓を抜きます。抜いた灰汁は沸騰させて再び漂白桶に入れます。 ~テキトーな訳だから原文もご一緒に~ &ref(洋服_シャツとラフ(お洗濯_漂白2).JPG)[[Jost Amman>https://en.wikipedia.org/wiki/Jost_Amman]]画「Das Ständebuch」(1568年:ドイツ) ハンドブックの続きは分かりませんでした。乾秀明著「17世紀イングランド亜麻織物工業について」さんによると この作業を4時間繰り返したら亜麻糸をジャブジャブ洗って干します。 その後1週間水に浸けて天日干ししたら、亜麻糸玉にして織布工へ運ぶそうです。洗浄/漂白の行程に3週間。ひぇー。 } #endregion **パンツと靴下 16世紀のおパンツはコッドピースばっかり脚光を浴びてるので詳細は分かりませんでした。皆さんおパンツ履いてたのかしら? 靴下もちんぷんかんぷん。 調べてるうちに「なんで海軍なのにおパンツ調べてるんだろ…」って感じに心折れたので中途半端な内容です。 &ref(洋服_パンツと靴下.JPG)Braun and Schneider著「[[Münchener Bilderbogen>https://de.wikipedia.org/wiki/M%C3%BCnchener_Bilderbogen]]」(1900年頃:ドイツ) #region(close,おパンツ(underpants)) [[トランクス>https://en.wikipedia.org/wiki/Boxer_shorts]]は1925年([[エバーラスト社>https://en.wikipedia.org/wiki/Everlast_(boxing)]])、[[ブリーフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Briefs]]は1935年([[ジョッキー・インターナショナル社>https://en.wikipedia.org/wiki/Jockey_International]])に誕生します。 トランクスの誕生でウェストが革ベルトからゴムに変身。 でもこれはドラえもんくらい未来のお話し。16世紀のおパンツはぜーんぜん違うものです。ジェフリーやビセンテはどれ? [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Undergarment]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ).JPG)16世紀後半の荷馬車の御者 #blockquote(){&u(){&bold(){ブレーがおパンツ}} ブレーは[[ケルト人>https://en.wikipedia.org/wiki/Celts]]や[[ゲルマン人>https://en.wikipedia.org/wiki/Germanic_peoples]]の頃から着てる革、ウール、リネン、綿製ズボンです。中世期後半からは下着にご使用。 アレを出し入れする社会の窓はナシ。 オッサンが履いてるタイツみたいのは「ショース(chausses)」。ショースはその後ホーズに進化します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Braies]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_ブレー).JPG) 左側:[[Morgan Bible>https://en.wikipedia.org/wiki/Morgan_Bible]]/fol.18r(1240年頃:フランス) 右側:13世紀のお洋服 } #blockquote(){&u(){&bold(){コッドピースがおパンツ}} コッドピースは体型を誇張する15~16世紀の下着。巨大化と装飾のピークは1540年頃で1590年代までに消滅します。 ときどき小物を入れるポケットにもご使用。 誕生の理由は16世紀前半に蔓延した梅毒と関係するかもしれないそうです。中で薬に浸した包帯で包んでたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Codpiece]] &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_コッドピース).JPG)[[ピーテル・ブリューゲル>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「[[The Wedding Dance>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wedding_Dance]]」(1566年:ネーデルラント) コッドピースはホーズの社会の窓からアレを出してパカッです。 パカッとしたらボタン、snaps([[鈎ホック>https://en.wikipedia.org/wiki/Hook-and-eye_closure]]のこと?)、リボンでコッドピースをホーズに留めるからトイレが楽チン。 ってことで、出し入れが大変なブレーは消滅します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){シャツがおパンツ}} 16世紀の[[シャツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Shirt]]は裾が長い(the long tails)です。この長い裾を股間の下までズズズっとたくし込んでカバー。 お父さん達が着てる[[ワイシャツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Dress_shirt]]のテールはその名残。 シャツおパンツは16世紀からだとか、18世紀からだとか、…アレコレの説があるのでご注意下さい。 ~[[History Extra>http://www.historyextra.com/]](From loincloths to corsets: a brief history of underwear with Horrible Histories’ Greg Jenner)さんより~ &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_シャツ).JPG) 左側:[[Titian>https://en.wikipedia.org/wiki/Titian]]画「Madonna with the Child, St Anthony of Padua and St Roch」(15世紀後半:イタリア) 右側:[[Maître des Cortèges>https://fr.wikipedia.org/wiki/Ma%C3%AEtre_des_Cort%C3%A8ges]]「Le Cortège du bélier」(17世紀:フランス) こちらの海戦中でお洋服が乱れてるブッシュさん(左側)とシャツ(右側)はだいたい同年代のイギリス海軍の軍服です。 裾が長いシャツは本物だけど非正規(私物ってこと?)。 ハイカラーの襟を2つの[[ドーセットボタン>https://en.wikipedia.org/wiki/Dorset_button]]で留めて[[ストック・タイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Stock_tie]](ネクタイ)を巻きます。 &ref(洋服_パンツと靴下(パンツ_シャツ2).JPG) 左側:セシル・スコット・フォレスター著「[[ホーンブロワーシリーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Horatio_Hornblower]]」の[[ウィリアム・ブッシュ>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Bush_(Hornblower)]] 右側:イギリス海軍のシャツ(1807年:National Maritime Museum) } #endregion #region(close,ついでにおパンツが水着) 16世紀イングランドの男性はハダカで海、湖、川を泳いでます。ハダカが恥ずかしかったら下着を着て泳いでもオケ。 ハダカで泳ぐのは1860年禁止。 Drawersやcaleçonsという下着を着て泳がなくちゃいけなくなります。でも「俺はハダカで泳ぐぜ!」が大勢いたそうです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Swimsuit]] &ref(洋服_パンツと靴下(水着).JPG)Divers with goggles for coral harvesting(17世紀) #blockquote(){&u(){&bold(){公衆浴場もおパンツ?}} [[公衆浴場>https://en.wikipedia.org/wiki/Public_bathing]]にも下着を着てる画があります。男性が着てる紐パンは人類初の下着[[ロインクロス>https://en.wikipedia.org/wiki/Loincloth]](中世から[[ブレー>https://en.wikipedia.org/wiki/Braies]]に進化)。 右上の公衆浴場はゲイが出会う[[有料発展場>https://en.wikipedia.org/wiki/Gay_bathhouse]]。 ちなみに1492年カスティーリャ女王[[イサベル1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_I_of_Castile]]はイスラム教徒が造った有料発展場を閉鎖してます([[レコンキスタ>https://en.wikipedia.org/wiki/Reconquista]])。 &ref(洋服_パンツと靴下(水着_風呂).JPG) 左側:[[Jost Amman>https://en.wikipedia.org/wiki/Jost_Amman]]画「Bathing and cupping」(1568年:ドイツ) 右上:[[Albrecht Dürer>https://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_D%C3%BCrer]]画「The Men’s Bath」(?年:ドイツ) 右下:リネン製パンツ(15世紀) } #endregion #region(close,靴下と靴) 15世紀のウール製ホーズ(21世紀の[[タイツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Tights]])は16世紀にupper-stocks(ズボン)とnether-stocks([[ストッキング>https://en.wikipedia.org/wiki/Stocking]])に分離します。 このストッキング(中英語:stock=手足を包むもの)が靴下。 靴は足の甲でリボンを結ぶタイプ。靴もブーツも足底はペッタンコで厚い革製[[靴台>https://en.wikipedia.org/wiki/Patten_(shoe)]]が足裏を道路のゴミから防御します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hose_(clothing)]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下).JPG) 左側:作者不明「Philip II, King of Spain」(1580年頃) 中側:Giovanni Battista Moroni画「The Gentleman in Pink」(1560年) 右側:Antonis Mor画「Portrait of Philip II in Armour」(1557年) #blockquote(){&u(){&bold(){ずり落ちる靴下はガーターでピタッ}} 16世紀の靴下は綿、リネン、ウール、絹製の[[織布>https://en.wikipedia.org/wiki/Woven_fabric]]。ずり落ちないようになるべく足にフィットを目指して作られてます。 でもやっぱり落ちる。 ってことで、17世紀初め私達にお馴染みの[[編み物>https://en.wikipedia.org/wiki/Knitted_fabric]]の靴下が登場します。これなら足にフィットするわ♥ &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ガーター2).JPG) 左側:リネン製の織布ストッキング(1590-1615年頃:イングランド) 右側:ウール製の編み物ストッキング(1640年頃:イングランド) ジェフリーやビセンテは靴下を[[ガーター>https://en.wikipedia.org/wiki/Garter_(stockings)]](16世紀はただのリボンっぽい)で留めてずり落ちを防止してます。 靴下とcanionsを留めてもオケ。 canionsの正体はぜーんぜん分からなかったです。カボチャホーズ(膝上ホーズ)の下に履く[[レギンス>https://en.wikipedia.org/wiki/Leggings]]っぽいものらしい。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ガーター).JPG)Giovanni Battista Moroni画「The Gentleman in Pink」(1560年) } #blockquote(){&u(){&bold(){お金持ちの靴はヒール}} 16世紀の靴はモカシンみたいにペッタンコ。リボン、紐、キルティング、…アレコレのアクセサリが付いてます。 スペイン、イタリア、ドイツでは切り込み(slashing)も流行。 フランスではだんだん切り込みが時代遅れになって代わりに赤い靴台の流行が始まります。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_靴).JPG) 左側:[[Cornelis Ketel>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Ketel]]画「The Company of Captain Rosecrans」(1588年:ネーデルラント) 右側:ベルベット製ペッタンコ靴(1550-1574年:イタリア?) 世間はペッタンコだけど王族の皆さんはハイヒール(イタリアの[[チョピン>https://en.wikipedia.org/wiki/Chopine]]とか)を履き始めます。背を高く見せるぜ! イングランド女王[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]もハイヒール。 ってことで、1580年頃からお金持ちの男性にもヒール(heel)が流行。英語「well-heeled」は「お金持ち」って意味です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Shoe]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_靴2).JPG) 左側:作者不明「Sir Walter Raleigh and his Son」(1602年:イングランド) 中側:[[Willem Pieterszoon Buytewech>https://en.wikipedia.org/wiki/Willem_Pieterszoon_Buytewech]]画「Merry Company」(1620年:ネーデルラント) 右側:[[アンソニー・ヴァン・ダイク>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Robert Rich, Second Earl of Warwick」(1632-1641:イングランド) F&Bキャラクターブックを眺めてみたらジェフリーやビセンテ達もヒールを履いてます♥ 世間の皆さんも1610年頃からローヒール。 17世紀にはレースやリボンがパフパフした精巧なバラ結び「shoe roses」のアクセサリに進化します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでにブーツ(内容はほとんど17世紀前半です)}} 16世紀の[[ブーツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Boot]]はペッタンコで足にフィットした乗馬のときに履く靴です。足首までのブーツもたまにアリ。 ヒールは1620年頃から流行。 17世紀になるとトップは膝下で折り曲げられます。馬を傷つけないように膝上で折り曲げるミリタリースタイルも登場。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1600%E2%80%9350_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ブーツ).JPG) 左上:[[Jacob Duck>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Duck]]画「Soldiers arming themselves」 左下:[[Anthony van Dyck>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Portrait of Lord John Stuart and his brother Lord Bernard Stuart」(1638年頃:スコットランド) 右側:[[Adriaen van Nieulandt>https://en.wikipedia.org/wiki/Adriaen_van_Nieulandt]]画「Prince Maurits with His Horse and Groom」(1624年:ネーデルラント) 乗馬のとき馬に合図を送る[[拍車>https://en.wikipedia.org/wiki/Spur]]はアクセサリにもご使用。17世紀は蝶々っぽいモノで拍車を留めてる画が多い感じです。 ブーツのトップはどんどん拡大。 拡大は1630年頃に[[三銃士>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Three_Musketeers]]でお馴染みのトップがガパッと開いたbucket-topブーツの登場で落ち着きます。 &ref(洋服_パンツと靴下(靴下_ブーツ2).JPG) 左側:[[Daniël Mijtens>https://en.wikipedia.org/wiki/Dani%C3%ABl_Mijtens]]画「Charles I」(1600-49年:イングランド) 中側:イングランド王[[チャールズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]のものと思われるブーツホーズ 右側:[[Anthony van Dyck>https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_van_Dyck]]画「Portrait of Lord John Stuart and his brother Lord Bernard Stuart」(1638年頃:スコットランド) 17世紀の靴下は足首に精巧なclocks(靴下と違う色のデコレーション)や刺繍が施されてます。ブーツ履いたら擦れちゃう…。 ってことで、ブーツライナー[[ブーツホーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Boothose]]を着用。 頑丈なリネン製ブーツホーズを履けば大切な靴下を護れます。トップにレースの装飾が付いてるブーツホーズもあり。 } #endregion **マントと帽子 16世紀のマントは腰丈の[[クローク>https://en.wikipedia.org/wiki/Cloak]]または[[ケープ>https://en.wikipedia.org/wiki/Cape]]です。悪天候や旅行のときは丈の長いクローク([[Mantle>https://en.wikipedia.org/wiki/Mantle_(clothing)]])を着用。 フードや袖付きもアリ。 こちらは16世紀後半のマントと帽子の着こなし。悲しくなるくらい地味な感じだけど、ホントはとーってもファッショナブルです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/1550%E2%80%931600_in_Western_European_fashion]] &ref(洋服_マントと帽子.JPG)Hottenroth Friedrich著「Edad Moderna - Trajes De Los Españoles Y Portugueses En La Segunda Mitad Del Siglo Xvi」 #region(close,マント) &ref(洋服_マントと帽子(マント).JPG) 左側:クローク(1570-90年頃:イングランド)、手袋(1600-30年:?)、帽子(1600-10年:?) 右側:ケープ(1590-1600年:スペイン) #endregion ---- ----

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