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※16世紀を目指して調べたけどそうじゃないものも入っちゃてるかも。あと英語を訳したキリスト教用語は日本語ビミョーです。 #contents_line(level=2,sep=/) *16世紀のキリスト教 16世紀のヨーロッパはあちこちで[[宗教改革>http://en.wikipedia.org/wiki/Protestant_Reformation]](プロテスタントの脱カトリック教会運動)が絶賛勃発中です。 複雑な時代なのねー。 カトリック教会はプロテスタントの誕生をきっかけに「このままだと信徒が減る!ヤバイ!」といろいろ反省して標準化します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Christianity_in_the_16th_century]] &ref(キリスト教.PNG)F&Bに関係しそうなトコだけ #region(close,なんで複雑な時代になっちゃったの?) 15~16世紀カトリック教会は内部の確執、縁故採用、聖職売買、愛人、浪費…ダメダメです。 これはマズイ!改革せねば!と[[公会議で検討>http://en.wikipedia.org/wiki/Fifth_Council_of_the_Lateran]]や[[問題を分析>http://en.wikipedia.org/wiki/Consilium_de_Emendanda_Ecclesia]]したローマ教皇もいるけど歴史ある大企業だから簡単じゃない。 独占企業で危機感なさすぎ。ってことで、宗教改革が始まっちゃいます。 &ref(キリスト教(複雑な時代).JPG)作者不明「The Devil's Triumph over Rome's Idol」(1680年:イギリス) ・ダメダメの代表は好色で強欲なローマ教皇[[アレクサンデル6世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Alexander_VI]](在位:1492-1503年)です。孫のガンディア公[[フランシスコ・ボルハ>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Borgia,_4th_Duke_of_Gand%C3%ADa]](在位:1565-1572年)は第3代[[イエズス会総長>https://en.wikipedia.org/wiki/Superior_General_of_the_Society_of_Jesus]]。ちなみにF&B時代は第5代[[クラウディオ・アクアヴィーヴァ>https://en.wikipedia.org/wiki/Claudio_Acquaviva]](在位:1581-1615年)。 ・だんだん各地でプロテスタントのカトリック教会離れが勃発。1545年[[トリエント公会議>http://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]]でカトリック教会もやっと本気で反省します。 #blockquote(){&u(){&bold(){腐敗しまくるカトリック教会の風刺が大人気}} 上に立つカトリック教会がダメダメだと腹立つ!ってことで、とーぜんカトリック教会を批判する人達が登場します。 風刺本[[デジデリウス・エラスムス>https://en.wikipedia.org/wiki/Desiderius_Erasmus]]著「[[痴愚神礼讃>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Praise_of_Folly]]」(1509年:初版)は大人気。 宗教改革は「エラスムスが卵を産んで[[マルティン・ルター>https://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther]](95ヶ条の論題)が孵した」と言われてます。 &ref(キリスト教(複雑な時代:痴愚神礼讃).JPG)「Folly Steps Down from the Pulpit:説教壇を降りる愚か者」 「痴愚神礼讃(ラテン語)」は愚かさを擬人化。カトリック教会だけでなくローマ教皇や王侯貴族も痛烈に批判してます。 ヨーロッパ各地で翻訳。 こちらの画は「痴愚神礼讃」の海賊版[[Hans Holbein the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Marginal drawing of Folly」(1515年)です。 } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド王ヘンリー8世のコレクション「プロテスタント寓話」}} 怒って石を投げてる4人のオッサンは[[マタイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_the_Apostle]]、[[マルコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_the_Evangelist]]、[[ルカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Luke_the_Evangelist]]、[[ヨハネ>https://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Evangelist]]([[福音書記者>https://en.wikipedia.org/wiki/Four_Evangelists]]:新約聖書の正典[[福音書>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel]])です。 倒れてるのはローマ教皇[[クレメンス7世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Clement_VII]]と2人の女性(貪欲と偽善)。 奥の街はたぶんエルサレム。ロウソクは福音書の正しい光とローマの間違った教義を象徴してます。 &ref(キリスト教(複雑な時代:寓話).JPG)[[ジローラモ・ダ・トレヴィゾ>http://en.wikipedia.org/wiki/Girolamo_da_Treviso]]画「A Protestant Allegory」(1538-44年) 「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」のフレーズはイギリスの[[お祈り唄>http://en.wikipedia.org/wiki/Matthew,_Mark,_Luke_and_John]](童謡)にもなってます。 子供たちが眠る前にベッドの中で手を合わせるお祈り。 最初の2行は16世紀中頃、その下の[[韻文>https://en.wikipedia.org/wiki/Verse_(poetry)]]は17世紀に追加されてアレコレ変化します。こちらは21世紀バージョン。 &italic(){&color(silver){Matthew, Mark, Luke and John, マタイ、マルコ、ルカにヨハネ}} &italic(){&color(silver){Bless the bed that I lie on. わたしの寝るベッドをお守りください}} &italic(){&color(silver){Four corners to my bed, ベッドに四隅}} &italic(){&color(silver){Four angels round my head; 枕元に四天使}} &italic(){&color(silver){One to watch and one to pray 1人は見守り、1人はお祈り}} &italic(){&color(silver){And two to bear my soul away. あとの2人はわたしの魂を運ぶため}} } #endregion #region(close,ローマ教皇ってなに?) ローマ教皇は&bold(){カトリック教会の国々で一番の権威者}。1059年から[[枢機卿団>https://en.wikipedia.org/wiki/College_of_Cardinals]]の[[コンクラーヴェ>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_conclave]](教皇選挙)で選ばれてます。 この図だと「教皇権>王権」っぽいけどそれは昔のお話。 ローマ教皇の力も[[教皇のバビロン捕囚>http://en.wikipedia.org/wiki/Avignon_Papacy]](1309-1377年)、[[教会大分裂>http://en.wikipedia.org/wiki/Western_Schism]](1378-1417年)、…で下降。強国の思惑に左右さてます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Pope]] &ref(キリスト教(ローマ教皇).PNG)組織はこんな感じ? ・ローマ教皇の&bold(){必殺技は[[破門>https://en.wikipedia.org/wiki/Excommunication]]}([[破門一覧>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_excommunicated_by_the_Roman_Catholic_Church]])。歯向かった[[カノッサの屈辱>http://en.wikipedia.org/wiki/Walk_to_Canossa]](1077年)、[[イングランド欠地王ジョン>http://en.wikipedia.org/wiki/John,_King_of_England]](1209年)、…を破門。効果は絶大で王様達は後で教皇に謝罪してます。 ・ローマ教皇からの&bold(){重要な通知は[[教皇勅書>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_bull]]}([[勅書一覧>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_papal_bulls]])。カトリック教会の国々は勅書を厳守です。地球をスペインとポルトガルで半分こした[[インテル・チェテラ>http://en.wikipedia.org/wiki/Inter_caetera]](1493年)とかで発動。あとカトリック教会の司教への通知は[[回勅>https://en.wikipedia.org/wiki/Encyclical]]。 #blockquote(){&u(){&bold(){F&B時代はローマ教皇シクストゥス5世}} F&B時代はローマ教皇[[シクストゥス5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sixtus_V]](在位:1585-1590年)です。 打倒英国国教会!で女王エリザベス1世を破門(1570年)。打倒ユグノー!でナバラ国王[[エンリケ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_IV_of_France]](三アンリ)も破門。 ついでにアルマダ海戦でスペインに資金援助(十字軍税の徴収許可)してます。でも実は強引な王フェリペ2世が嫌い。 &ref(キリスト教(ローマ教皇:ローマ教皇シクストゥス5世).JPG)作者不明「Medal commemorating the defeat of the Spanish Armada」(1588年) こちらは「スペイン無敵艦隊が敗北」を祝ったアルマダ海戦のメダルです。 トゲトゲなスパイク床の上に座ってるのは「イングランドとネーデルラントを苦しめるクソ野郎」の皆様。 文字は調べたけど分かりませんでした。 ・O・COECAS・HOMINVM・MENTES・O・PECTORA・COECA(Oh! the blind minds, the blind hearts of men) ・DURVM.EST.CONTRA.STIMVLOS.CALCITRARE(It is hard to kick against the pricks - Acts ix.5:そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 ~[[使徒言行録>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_the_Apostles]]9章5節~) ・ET.MAGNA.FACIS.TV.SOLVS.DEVS(Thou, God, art great and doest wondrous things; thou art God alone - Psalms lxxxvi.10:あなたは大いなる神で、くすしきみわざをなされます。ただあなたのみ、神でいらせられます。 ~[[詩篇>https://en.wikipedia.org/wiki/Psalms]]86章10節~) ・VENI.VIDI.VIVE.1588(Come, see, live) } #endregion #region(close,贖宥状(しょくゆうじょう)ってなに?) 正攻法な罪の償いは「痛悔(反省)→告白(司祭に罪を告白)→償い(罪のゆるしに見合った行動」で完全に赦されます。 コレをお金(寄進)で解決したのがカトリック教会が発行する「&bold(){贖宥状(免罪符)}」。 贖宥状を買うだけで罪の償いはオケ!なんてお手軽! 贖宥状の販売は中世からよく使われた資金調達方法です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Indulgence]] &ref(キリスト教(贖宥状).JPG)ドミニコ会修道士[[ヨハン・テッツェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Tetzel]]販売の贖宥状(1517年:ドイツ) 贖宥状の訳は超テキトーです。 &italic(){&color(silver){In Vollmacht aller Heiligen und in Erbarmung gegen dich, absolviere ich dich von allen Sünden und Missethaten und erlasse dir alle Strafen auf zehn Tage.}} &italic(){&color(silver){全ての聖人の代理として、また慈悲により、10日間私はあなたの全ての罪と悪行を許し、あなたが受ける全ての神様の裁きを贖宥する。ヨハン・テッツェル}} ・調達した資金(寄付も含めて)は清く正しく美しい信徒のための教会、病院、ハンセン病患者のコロニー、学校、道、橋、…の公共事業に使われます。贖宥状は「罪も許されるし善意も目に見える形になる」ので信徒に大人気です。 ・贖宥状を私欲に利用しちゃったのがイベント好き派手好きなローマ教皇レオ10世。これを発端にプロテスタントが誕生します。 ・カトリック教会は1563年トリエント公会議で贖宥状を禁止します。 #blockquote(){&u(){&bold(){なんでローマ教皇レオ10世は資金調達が必要だったの?}} ローマ教皇[[レオ10世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Leo_X]]はカトリック教会の総本山[[サン・ピエトロ大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Peter%27s_Basilica]](バチカン)のリフォームを計画します。 でも資金がナイ。 ってことで、1517年マインツ大司教[[アルブレヒト>https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_of_Mainz]]に贖宥状の販売を許可。売り上げの半分がレオ10世へ届けられます。 &ref(キリスト教(贖宥状:資金調達).JPG)[[Jörg Breu the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%B6rg_Breu_the_Elder]]画「A Question to a Mintmaker」(1530年頃) サン・ピエトロ大聖堂は完成することなく1521年ローマ教皇レオ10世は死去します。その後も財政難で工事進まず。 レオ10世の散財でバチカンが未曾有の財政破綻に陥ったの。 ちなみにマインツ大司教アルブレヒトは1518年28才の若さで[[枢機卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Cardinal_(Catholicism)]]にちゃっかり当選してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){カトリック教会の死の概念}} カトリック教会では死ぬとき罪の償いをバッチリしてないと[[天国>https://en.wikipedia.org/wiki/Heaven_(Christianity)]]行けません。[[大罪>http://en.wikipedia.org/wiki/Mortal_sin]]を犯したまま死ぬと[[地獄>http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_Hell]]行き。 こちらは[[Hieronymus Bosch>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[七つの大罪と四終>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things]]」(1500-1525年)。 [[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]は「人間を罪に導く可能性がある欲望や感情」で大罪とは違うモノです。四終は「死・審判・天国・地獄」。 &ref(キリスト教(贖宥状:死の概念).JPG) &ref(キリスト教(贖宥状:死の概念2).JPG)「地獄」の拡大 } #endregion #region(close,95ヶ条の論題ってなに?) ローマ教皇レオ10世とマインツ大司教アルブレヒトは神聖ローマ帝国(ドイツ)で贖宥状をガンガン販売します。儲かる儲かる♥ コレに納得できなかったのがヴィッテンベルク大学(ドイツ)の神学教授[[マルティン・ルター>http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther]]。 「こんなんでいいのか!?」と1517年構内の聖堂の扉に「&bold(){95ヶ条の論題:贖宥状の販売にツッコミ}」の質問状を発表します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Ninety-Five_Theses]] &ref(キリスト教(95ヶ条の論題).JPG)作者不明「A broadside on the centenary of the German Reformation and a prophetic dream of Friedrich III of Saxony on Luther's posting of the 95 Theses in Wittenberg」(1617年) こちらは第100回[[宗教改革記念日>https://en.wikipedia.org/wiki/Reformation_Day]](1617年10月31日~11月1日:ドイツ)で印刷された風刺画(?)の1つです。 マルティン・ルターが巨大なペンで聖堂の扉に95ヶ条の論題をカキカキ。 巨大なペンの先っぽはライオン(ローマ教皇レオ10世)の耳を突き通して[[教皇冠>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_tiara]](地位を象徴する冠)をなぎ払ってます。 ・ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の干渉にウンザリなドイツの領邦君主達(ザクセン選帝侯領、ヘッセン方伯領など)が賛同。だんだん宗教改革に発展します。 ・カトリック教会は1521年ルターを破門します(教皇勅書「[[デチェト・ロマヌム・ポンティフィチェム>https://en.wikipedia.org/wiki/Decet_Romanum_Pontificem]]」)。 ・イングランド王ヘンリー8世はルターを非難して、1521年ローマ教皇レオ10世から「[[信仰の擁護者>http://en.wikipedia.org/wiki/Fidei_defensor]]」の称号を拝受。離婚問題でローマ教皇ともめて剥奪されたけど、その後英国国教会になったのに復活。不思議です。 ・カトリック教会は1555年[[アウクスブルクの和議>https://en.wikipedia.org/wiki/Peace_of_Augsburg]]でルター派を承認。それぞれの領邦君主が宗教を選択、領内の教会を統治します。 #blockquote(){&u(){&bold(){なんでルターは聖堂の扉に質問状を張ったの?}} ルターが聖堂の扉に質問状を張ったのは「意見のある人は聖堂の扉に質問状を張る」のルールだったからです。 贖宥状について聖職者達と話し合いたかっただけなの。 ってことで、質問状はカトリック教会の公用語ラテン語で発表してます。 &ref(キリスト教(95ヶ条の論題:質問状).JPG)質問状のレプリカ([[Schlosskirche>https://en.wikipedia.org/wiki/All_Saints%27_Church,_Wittenberg]]) この頃の旧約聖書や新約聖書もラテン語で書かれてるのがフツーです。ラテン語だと一般人は読めない。 ってことで、1534年ルターはドイツ語に翻訳した[[ルター聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Luther_Bible]]を出版。 ルター聖書はちょびっと前に発明された[[印刷機>https://en.wikipedia.org/wiki/Printing_press]]でガンガン拡散します。21世紀に使われてるドイツ語にも大きく貢献。 } #endregion #region(close,二重予定説ってなに?) フランスの神学者[[ジャン・カルヴァン>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Calvin]]は「カトリックっぽさが残ってるルター派は生ぬるい!」と考えます。 1543年 [[キリスト教綱要>https://en.wikipedia.org/wiki/Institutes_of_the_Christian_Religion]](第3版)で「&bold(){二重予定説:聖書は"神様は救う人と救わない人を決定済み。教会に寄進しても選ばれない"と教えてる}」と主張。 俗物なアレコレが入る隙をキリスト教からテッテー的に排除してるってコトなのかなぁ? [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Predestination]] &ref(キリスト教(二重予定説).JPG)Martinus van Beusecom画「La Balance(Op de Waag-Schaal)」(17世紀:ネーデルラント) ・フランスでは王様に弾圧されてユグノー戦争(1562-1598)が勃発します。抵抗した人達は[[ユグノー>http://en.wikipedia.org/wiki/Huguenot]]。 ・ネーデルラントではスペインに弾圧されて八十年戦争(1568-1648)が勃発します。抵抗した人達は[[乞食党>http://en.wikipedia.org/wiki/Geuzen]]、船に乗って抵抗した人達は海の乞食団。 ・イングランドでは王様の力が弱まってピューリタン革命(1641-1649)が勃発します。抵抗した人達は[[ピューリタン>http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan]]。 #blockquote(){&u(){&bold(){「キリスト教綱要」ってなに?}} ジャン・カルヴァン著「キリスト教綱要」はキリスト教神学の教科書です。やっぱりラテン語。 「権威を示すのは神様だけ」「真理は聖書の中だけ」をベースに[[組織神学>https://en.wikipedia.org/wiki/Systematic_theology]](創造・贖罪・恩寵・教会の教理…)を解説。 初版は1536年。1541年フランス語、1559年英語の翻訳本も出版されます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Institutes_of_the_Christian_Religion]] &ref(キリスト教(二重予定説:キリスト教綱要).JPG)ジュネーヴ議会(1549年:スイス) カルヴァンはもともとフランスの法律家でした。1529年から[[古典研究>https://en.wikipedia.org/wiki/Humanism]]に没頭して1532年頃「[[セネカ寛容論の注解>https://en.wikipedia.org/wiki/De_Clementia]]」を出版。 1534年[[檄文事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Affair_of_the_Placards]]でフランスのプロテスタントへの弾圧が激化。 改革派のパリ大学学長[[ニコラス・コップ>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicolas_Cop]]が追放されて、親友のカルヴァンも「俺もヤバイかも?」とスイスへ亡命します。 &ref(キリスト教(二重予定説:キリスト教綱要2).JPG)宗教改革中の[[スイス原初同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Swiss_Confederacy]](1536年) スイスは既にアチコチで[[宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/Reformation_in_Switzerland]]が始まってます。ってことで、[[バーゼル>https://en.wikipedia.org/wiki/Basel]](スイス)で「キリスト教綱要」の執筆を開始。 [[ジュネーヴ>https://en.wikipedia.org/wiki/Geneva]](スイス)で宗教改革にも着手。 晩年のカルヴァンは「俺は1533年秋に突然カトリック教会の改革に目覚めたのであーる」と言ってます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){決定済みだと皆さんヤル気なくなっちゃうんじゃない?}} 社会学者[[マックス・ヴェーバー>https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Weber]]著「[[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Protestant_Ethic_and_the_Spirit_of_Capitalism]]」(1904年)によると、皆さんは 「救われる人はきっと現世でも成功するはず!」 「成功したら神様に選ばれてるってコトじゃね?」 と考えたから禁欲的にガンガン働いてお金をガンガン貯蓄したそうです。「金儲け」が正当になって資本主義が発達したの。 &ref(キリスト教(二重予定説:ヤル気).JPG)[[Pieter van der Heyden>https://nl.wikipedia.org/wiki/Pieter_van_der_Heyden]]?画「The Battle about Money」(1570年以降) あっ!カルヴァン主義もカトリック教会と同じ「禁欲的じゃないとダメダメ」「金儲けなんかしちゃダメダメ」の宗教です。 信仰と労働に禁欲的に励んで社会に貢献。 結果的に「人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出してヒャッハーしちゃった。だって人間だもの」って感じです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){何と嘆かわしい…!羊が宮廷まで押し寄せてきましたぞ}} ちなみに16世紀イングランドの「毛織物を輸出してお金をガンガン稼いじゃおー!([[囲い込み>https://en.wikipedia.org/wiki/Enclosure]])」も資本主義です。 領主が小作人を追い出して土地を[[農地>https://en.wikipedia.org/wiki/Arable_land]]から[[牧草地>https://en.wikipedia.org/wiki/Pasture]]へ。 大法官[[トマス・モア>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]著「[[ユートピア>https://en.wikipedia.org/wiki/Utopia_(book)]]」は「the sheep are eating the people:羊が人間を喰い殺している」と嘆いてます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/British_Agricultural_Revolution]] &ref(キリスト教(二重予定説:羊).JPG)[[Edmund Spenser>https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Spenser]]著「[[The Shepheardes Calender>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Shepheardes_Calender]]」(1579年:イングランド) 中世は[[領主>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_the_manor]]やカトリック教会が「[[農奴(小作人)>https://en.wikipedia.org/wiki/Serfdom]]に土地を貸してガンガン耕しちゃおー!([[荘園制>https://en.wikipedia.org/wiki/Manor]])」でした。 冬穀・夏穀・休耕地のローテーションで生産力アップ([[輪栽式農業>https://en.wikipedia.org/wiki/Crop_rotation]])。 14世紀ペストや戦争で[[封建制度>https://en.wikipedia.org/wiki/Feudalism]]が崩壊すると[[ヨーマン(自立農奴)>https://en.wikipedia.org/wiki/Yeoman]]が登場。その後[[ジェントリ(上層農民)>https://en.wikipedia.org/wiki/Landed_gentry]]になります。 &ref(キリスト教(二重予定説:羊2).JPG)中世の荘園制 「囲い込み」で小作人は失業、穀物は値上がり。1549年[[ケット農民一揆>https://en.wikipedia.org/wiki/Kett%27s_Rebellion]]を皮切りにアッチコッチで反乱が勃発します。 ウィリアム・シェイクスピア著「[[コリオレイナス>https://en.wikipedia.org/wiki/Coriolanus]]」は1607年[[ミッドランド農民反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Midland_Revolt]]の影響って説アリ。 あっ!シェイクスピアは「穀物が値上がりするから買い占めて儲けちゃお♥」と反乱に便乗して何度も罰金刑を受けてます。 } #endregion **教派分布 ビセンテが妄想した[[ザクセン選帝侯領>https://en.wikipedia.org/wiki/Electorate_of_Saxony]]とヘッセン方伯領はブランデンブルク辺境伯領の下あたりです。 どっちも神聖ローマ帝国の[[領邦国家>https://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_State]]。 F&B時代のヘッセン方伯領は[[ヘッセン=カッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Kassel]]、[[ヘッセン=ダルムシュタット>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Darmstadt]]、[[ヘッセン=マールブルク>https://en.wikipedia.org/wiki/Hesse-Marburg]]に分裂してます。 |>|>|>|>|>|&ref(キリスト教_教派分布.PNG)1555年頃| |アイルランド王国|イングランド王国|オーストリア大公国|オスマン帝国||| |サヴォイア公国|神聖ローマ帝国|スイス原初同盟|スウェーデン王国|スコットランド王国|スペイン王国| |デンマーク王国|||||| |ナポリ王国|ネーデルラント|ノルウェー王国|||| |ハンガリー王国|フランス王国|ブランデンブルク辺境伯|プロシア公国|ポーランド王国|ポルトガル王国| |ローマ教皇領|ロシア・ツァーリ国||||| **教派 ピューリタンは1560年代カルヴァン派の聖職者達が始めた「英国国教会からカトリックっぽさを排除したい」です。 F&B時代は長老派教会を組織する[[トマス・カートライト>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cartwright_%28Puritan%29]] が地下でこっそり活動中。 女王エリザベス1世はカンタベリー大主教[[ジョン・ホイットギフト>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Whitgift]]を使って弾圧中。 レスター伯ロバート・ダドリーやフランシス・ウォルシンガムはピューリタンを後援しながら英国国教会との仲裁をしてるみたいです。 実態が分からなかったので表に入れてません。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Puritans_under_Elizabeth_I]] |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:西方教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:東方教会| |~|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:プロテスタント(新教)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ローマ・カトリック(旧教)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:オーソドックス| |~|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ルター派|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:英国国教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カルヴァン派|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カトリック教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:東方正教会| |BGCOLOR(lightgrey):地域|ザクセン選帝侯領、アン・オブ・クレーヴズ|イングランド|フランス、ネーデルラント、スコットランド、ヘッセン方伯領|スペイン、フランス、スコットランド女王メアリー、イングランド女王メアリー1世|東欧など| |BGCOLOR(lightgrey):統治|領邦君主|イングランド国王|教会会議|ローマ教皇(教皇首位説)|コンスタンディヌーポリ全地総主教庁| |BGCOLOR(lightgrey):教職者|牧師、伝道師、万人祭司|主教、司祭(牧師)、執事、伝道師|総会議長、牧師、伝道師、万人祭司|教皇、枢機卿、司教、司祭(神父)、助祭|主教、司祭(神父)、輔祭、教衆、伝教師| |BGCOLOR(lightgrey):修道制|女子修道院のみ|なし|なし|修道会/宣教会|修道院| |BGCOLOR(lightgrey):礼拝|>|>|聖餐式|ミサ|聖体礼儀 | |BGCOLOR(lightgrey):儀式|礼典(洗礼、聖餐)|聖奠(洗礼、聖餐)、&br()聖奠的諸式(婚姻、叙階、堅信、告解、終油)|礼典(洗礼、聖餐)|秘蹟(洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、終油)|機密(洗礼、傅膏 、聖体、痛悔、神品、婚配、聖傅) | |BGCOLOR(lightgrey):教義|「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」|カトリックとほぼ同様|ルター派より徹底した聖書主義、二重予定説|秘蹟の恩寵、マリアの崇敬|聖俗一致、聖肉一致| |BGCOLOR(lightgrey):聖人|あり|あり|なし|あり|あり| |BGCOLOR(lightgrey):離婚|保守的に可|可(離婚相手が存命中は再婚不可)|可|不可|不可| *16世紀に誕生した英国国教会 英国国教会は1534年「[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]]」でカトリック教会から独立した「王様がトップのカトリック教会っぽいプロテスタント」です。 誕生してからの150年間は王様によって宗教方針がアレコレ変化。 イングランドもゴタゴタ。1701年「[[王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_of_Settlement_1701]]」で「王様と王様の妻はイングランド国教会の信徒じゃないとダメダメ」になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Christianity_in_Britain]] |&ref(英国国教会.JPG)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様| |~|[[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]| |~|[[王エドワード6世>https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_VI_of_England]]| |~|[[女王ジェーン・グレイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Jane_Grey]]&br()(クーデター失敗で処刑)| |~|[[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]| |~|[[女王エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]| |~|[[王ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]| |~|[[王チャールズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]&br()([[ピューリタン革命>https://en.wikipedia.org/wiki/Wars_of_the_Three_Kingdoms]]で処刑)| |~|護国卿[[オリバー・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Oliver_Cromwell]]&br()([[イングランド内戦>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Civil_War]]で即位)| |~|[[王チャールズ2世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_II_of_England]]&br()([[王政復古>https://en.wikipedia.org/wiki/Restoration_(England)]]で即位)| |~|[[王ジェームズ2世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_II_of_England]]&br()([[大同盟戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War]]で追放)| |~|[[王ウィリアム3世>https://en.wikipedia.org/wiki/William_III_of_England]]&br()([[名誉革命>https://en.wikipedia.org/wiki/Glorious_Revolution]]で即位)| こちらは「王様の宗教メータ」です。カトリック信徒の女王メアリー1世はイングランドをカトリック教会に出戻り。 ピューリタン信徒の護国卿オリバー・クロムウェルは[[イングランド共和国>https://en.wikipedia.org/wiki/Commonwealth_of_England]]を樹立。 王チャールズ2世は死に際にカトリック信徒へ改宗。王ジェームズ2世はカトリック信徒の最後の王様です。[[宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation]]って大変なのね。 #region(close,国王至上法ってなに?) [[王ヘンリー8世>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]は「妻[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]](スペイン王族)と離婚して[[アン・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]と結婚したい」と考えます。 でも強国スペインに気を使ったローマ教皇クレメンス7世は[[結婚無効>https://en.wikipedia.org/wiki/Annulment]](≒離婚)を却下。 ってことで、1534年「&bold(){国王至上法:イングランドは国王([[首長>http://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Head]])が統治する英国国教会。脱カトリック教会!}」を宣言します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]] &ref(英国国教会(国王至上法).JPG)[[ジョン・フォックス>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Foxe]]著「殉教者列伝」(1570年) こちらの初版は占星術師[[ジョン・ディー>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dee]]著「[[殉教者列伝>http://en.wikipedia.org/wiki/Actes_and_Monuments]]」(1563年)です。プロテスタントと殉教者の歴史本。 特に「カトリック教会の下にいるイングランドとスコットランドの苦しみ」を強調。 一般人の読者が「カトリック教会ってヒドイわ!」と思うようになるとーっても影響力のあった本です。プロパガンダね。 ・カトリック教会は1538年王ヘンリー8世を破門します。 ・バリバリのカトリック教徒な女王メアリー1世は1554年国王至上法を廃止します。イングランドはカトリック教会へ出戻り。 ・女王エリザベス1世は1559年「&bold(){国王至上法: イングランドは国王([[統治者>http://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Governor_of_the_Church_of_England]])がウンヌン}」を復活します。「首長→統治者」になったのは女性が教会トップに批判的な貴族が要求したから。教会への国王の影響力が減るみたい。 ・カトリック教会は1570年女王エリザベス1世を破門します。すぐ(↑)に破門しなかったのは、女王エリザベス1世との結婚を目論む王様達の希望があったから。スペイン王フェリペ2世の圧力で破門になった? #blockquote(){&u(){&bold(){なんで王ヘンリー8世は妻キャサリン・オブ・アラゴンと離婚したかったの?}} 妻キャサリン・オブ・アラゴンはちゃんと男児を生んだけど皆さん短命でした。跡継ぎができない王ヘンリー8世はイライラ。 そこに洗練された妻キャサリンの[[女官>https://en.wikipedia.org/wiki/Maid_of_honour]]アン・ブーリンが登場。 王ヘンリー8世はメロメロ。愛人になった女官アンの「私は王妃になりたいの♥」で王ヘンリー8世は離婚を決心します。 ~[[Historic Royal Palaces>http://www.hrp.org.uk/]](Why did Henry VIII divorce Katherine of Aragon?)さんより~ &ref(【共通の画】ヘンリー8世と妻.JPG,【共通】共通の画)王ヘンリー8世と6人の妻(○:離婚、×:処刑、△:病死) &italic(){&color(silver){あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることだからである。 ~レビ記18章16節~}} 妻キャサリンはもともとイングランド王子[[アーサー>https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur,_Prince_of_Wales]](王ヘンリー8世の兄) の奥さんでした。 王子アーサーが亡くなって王ヘンリー8世と再婚。 王ヘンリー8世は「跡継ぎができないのは聖書↑に違反したからだ!」と結婚無効を宣言します。でもこんな聖書↓もあるの。 &italic(){&color(silver){兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。 ~申命記25章5節~}} } #blockquote(){&u(){&bold(){結婚無効ってなに?}} &italic(){&color(silver){さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。 ~マタイによる福音書19章3-9節~}} &ref(英国国教会(国王至上法:結婚無効).JPG)[[Emanuel Leutze>https://en.wikipedia.org/wiki/Emanuel_Leutze]]画「The Great Matter」(1846年) カトリック教会は「結婚は神様の前で結ばれたモノ。洗礼を受けた信徒同士の結婚はお互いが生きている限り続く」です。 [[カトリック教義>https://en.wikipedia.org/wiki/Dogma]]で[[離婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_divorce]]はダメダメ。 離婚が許されるのはこちらの特殊な状況のみ。「教義の離婚」は21世紀の「法的な離婚」と別物なのでご注意です。 ・[[パウロの特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Pauline_privilege]]…カトリック信徒じゃない2人が結婚して、その後一方が洗礼を受けてカトリック信徒になった場合は「あのときの結婚は[[男女の自然な成り行きの結婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_marriage]]で[[神聖な結婚(=サクラメント)>https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_(Catholic_Church)]]じゃないから解消」と言ってもオケ。2人が洗礼を受けてカトリック信徒になった場合は言っちゃダメダメ。 ・[[ペトロの特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Petrine_privilege]]…難しすぎて分かりませんでした。 &ref(英国国教会(国王至上法:結婚無効2).JPG)[[Henry Nelson O'Neil>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Nelson_O%27Neil]]画「Catherine of Aragon pleads her case against divorce from Henry VIII」(19世紀) 離婚がダメダメでも「&bold(){結婚無効:そもそも結婚してなかったことにする}」ならオケ。結婚無効は特に王族がご愛用します。 ただし[[ローマ教皇の特免>https://en.wikipedia.org/wiki/Dispensation_(canon_law)]](Papal dispensation)が必要。 王ヘンリー8世は「妻キャサリンとの結婚無効」をお願いしたけど、教皇クレメンス7世は「特免」しませんでした。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Annulment]] } #blockquote(){&u(){&bold(){なんで教皇クレメンス7世は結婚無効を拒否したの?}} 妻キャサリンは飛ぶ鳥を落とす勢いの神聖ローマ皇帝[[カール5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](スペイン王フェリペ2世の父親)の伯母です。 教皇クレメンス7世も皇帝カール5世にビクビク。 ってことで、教皇クレメンス7世はスペインに気を使って王ヘンリー8世の「妻キャサリンとの結婚無効」を拒否します。 &ref(【共通の画】スペイン_神聖ローマ皇帝カール5世.jpg,【共通】共通の画)[[Giulio Clovio>https://en.wikipedia.org/wiki/Giulio_Clovio]]画「Charles V enthroned over his defeated enemies:[[Suleiman>https://en.wikipedia.org/wiki/Suleiman_the_Magnificent]], Pope Clemens VII, Francis I, [[the Duke of Cleves>https://en.wikipedia.org/wiki/William,_Duke_of_J%C3%BClich-Cleves-Berg]], [[the Duke of Saxony>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Frederick_I,_Elector_of_Saxony]] and [[Philip I, Landgrave of Hesse>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_I,_Landgrave_of_Hesse]]」(16世紀中頃) こちらは神聖ローマ皇帝カール5世に落とされた皆さん。鷲([[神聖ローマ帝国>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Roman_Empire]]の[[双頭の鷲>https://en.wikipedia.org/wiki/Double-headed_eagle#Holy_Roman_Empire]])が咥えたロープに繋がれてます。 教皇クレメンス7世がビクビクのキッカケは1527年[[ローマ略奪>https://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(1527)]]([[イタリア戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Wars]])。 皇帝カール5世と犬猿のフランス王[[フランソワ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_I_of_France]]と仲良し([[コニャック同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_League_of_Cognac]])になって皇帝カール5世がキレました。 &ref(英国国教会(国王至上法:拒否2).JPG)[[Daniel Hopfer>https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Hopfer]]画「Die fünf Landsknechte:五人のランツクネヒト(神聖ローマ帝国の傭兵)」(1530年) 皇帝カール5世はバリバリのカトリック教徒。バチカンまで攻撃したのはルター派[[ランツクネヒト>https://en.wikipedia.org/wiki/Landsknecht]]の勝手な宗教的行動です。 ちなみにマルティン・ルターはこの攻撃を不支持。 予想外の攻撃に教皇クレメンス7世はビックリ!これからは皇帝カール5世を怒らせないようにしよう…。 教皇クレメンス7世と皇帝カール5世は1529年バルセロナ平和条約(The Peace of Barcelona)で仲直りします。 } #endregion #region(close,国王至上法への道のり(残酷な画があるのでご注意下さい)) 国王至上法までの道のり([[イングランド宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation]])をものすごく簡単に書いちゃったけど、実際はアレコレあります。 王ヘンリー8世はジワジワとローマ教皇クレメンス7世へ圧力。 ジワジワしたのは交渉で離婚を解決したかったからです。でも教皇クレメンス7世は「スペイン>>>>>イングランド」だったの。 あと省略しちゃってるけど宗教改革でビシバシ誕生する法律は[[宗教改革議会>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](王ヘンリー8世が思い通りに動かす議会)、[[カンタベリー聖職者会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Convocations_of_Canterbury_and_York]](聖職者の議会)、[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]([[貴族院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Lords]]と[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_England]])の可決を経て成立するっぽいです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_the_English_Reformation]] |>|>|&ref(英国国教会(道のり).JPG)王子アーサーのお墓([[ウスター大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Worcester_Cathedral]])| |BGCOLOR(lightgrey):1489年|BGCOLOR(lightgrey):3月27日|王子[[アーサー>https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur,_Prince_of_Wales]](王ヘンリー8世の兄)がキャサリン(王フェリペ2世の大伯母)と婚約&br()・イングランドとスペインがフランスに対抗するための同盟を結ぶ([[メディナ・デル・カンポ条約>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Medina_del_Campo_(1489)]])&br()・王子アーサーとキャサリンが[[結婚できる年齢>https://en.wikipedia.org/wiki/Canonical_age]]になったら結婚する&br()・キャサリンの持参金は20万クラウン(21世紀:£500万≒8億5千万円)| |BGCOLOR(lightgrey):1501年|BGCOLOR(lightgrey):10月2日|キャサリンがプリマス(イングランド)に到着| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月14日|王子アーサーがキャサリン・オブ・アラゴンと結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1502年|BGCOLOR(lightgrey):4月|王子アーサーが結核で死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1504年|BGCOLOR(lightgrey):|ローマ教皇[[ユリウス2世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Julius_II]]がアーサーと妻キャサリンの結婚を解消| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:妻キャサリンとの結婚).JPG)王ヘンリー8世と妻キャサリンの[[戴冠式>https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation]]| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから妻キャサリンとの結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1509年|BGCOLOR(lightgrey):6月11日|王ヘンリー8世(18歳)がキャサリン(24歳)と結婚&br()・4月21日[[王ヘンリー7世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VII_of_England]](王ヘンリー8世の父親)が亡くなって王子ヘンリー8世がイングランド王に即位| |BGCOLOR(lightgrey):1510年|BGCOLOR(lightgrey):1月31日|妻キャサリンが女児を死産| |BGCOLOR(lightgrey):1511年|BGCOLOR(lightgrey):1月1日|妻キャサリンが男児[[Henry, Duke of Cornwall>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry,_Duke_of_Cornwall]]を出産。2月22日に男児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1513年|BGCOLOR(lightgrey):春|アン・ブーリンがネーデルラント17州の総督[[マルグリット・ドートリッシュ>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_of_Austria,_Duchess_of_Savoy]]の宮廷に滞在(海外留学)| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|妻キャサリンが男児Henry, Duke of Cornwallを出産。すぐ男児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1515年|BGCOLOR(lightgrey):1月8日|妻キャサリンが男児を死産| |~|BGCOLOR(lightgrey):|アン・ブーリンが[[クロード・ド・フランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Claude_of_France]]の女官になる(海外留学)| |BGCOLOR(lightgrey):1516年|BGCOLOR(lightgrey):2月18日|妻キャサリンが王女[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]を出産| |BGCOLOR(lightgrey):1517年|BGCOLOR(lightgrey):10月31日|&bold(){マルティン・ルターが95ヶ条の論題を発表}| |BGCOLOR(lightgrey):1518年|BGCOLOR(lightgrey):11月10日|妻キャサリンが女児を出産。すぐ女児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1521年|BGCOLOR(lightgrey):|王ヘンリー8世がマルティン・ルターを非難する神学論文「[[七つの秘跡の擁護>https://en.wikipedia.org/wiki/Defence_of_the_Seven_Sacraments]]」を発表| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月11日|「七つの秘跡の擁護」に対してローマ教皇[[レオ10世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Leo_X]]が王ヘンリー8世へ「[[信仰の擁護者>https://en.wikipedia.org/wiki/Fidei_defensor]]」の[[称号>https://en.wikipedia.org/wiki/Style_of_the_British_sovereign]]を付与&br()・1533年英国国教会の誕生でローマ教皇パウルス3世は「七つの秘跡の擁護」を取り消し&br()・でも王ヘンリー8世はスルー。女王エリザベス1世やその後の王様達もずーっと「信仰の擁護者」をご使用| |BGCOLOR(lightgrey):1522年|BGCOLOR(lightgrey):|アン・ブーリンがフランスから帰国。妻キャサリンの女官になる| |BGCOLOR(lightgrey):1526年|BGCOLOR(lightgrey):2-3月|王ヘンリー8世がアン・ブーリンにメロメロ| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:妻キャサリンとの離婚).JPG)王ヘンリー8世ってサイテー!| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから妻キャサリンとの離婚を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1527年|BGCOLOR(lightgrey):|王ヘンリー8世が妻キャサリン(42歳)との結婚無効(≒離婚)をローマ教皇へ訴訟&br()・離婚理由は「妻キャサリンは処女じゃなかった。この結婚は近親相姦(聖書で禁止されてる)です」&br()・大法官[[トマス・ウルジー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Wolsey]]([[ローマ教皇特使>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_legate]])が教皇クレメンス7世との離婚交渉を担当| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月6日 |&bold(){スペイン王[[カルロス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)が[[ローマ略奪>https://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(1527)]]}&br()・教皇クレメンス7世が「スペインを怒らせたらヤバイ!とってもヤバイ!」と思うようになる| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月|妻キャサリンがローマ教皇へ「私は処女でした。離婚なんてイヤ」と懇請| |BGCOLOR(lightgrey):1528年|BGCOLOR(lightgrey):|教皇クレメンス7世が「離婚はイングランドで2人のローマ教皇特使が話し合って決定すべし」と許可&br()・話し合い担当の枢機卿[[カンペジオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lorenzo_Campeggio]](ローマ教皇特使)をイングランドへ派遣&br()・と見せかけて、枢機卿カンペジオは「イングランドへノロノロ行くぜ!」と話し合いを引き延ばし| |BGCOLOR(lightgrey):1529年|BGCOLOR(lightgrey):7月|やっとイングランドに到着した枢機卿カンペジオが話し合いを棚上げ。離婚交渉は事実上中止&br()・離婚が楽勝だと思ってた王ヘンリー8世と大法官ウルジーはガヒョーン!| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:大法官ウルジーの排除).JPG)没収された大法官ウルジーの[[ヨーク・パレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Whitehall]]| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから大法官ウルジーの排除を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1529年|BGCOLOR(lightgrey):10月9日|王ヘンリー8世が離婚交渉に難航する大法官ウルジーを[[王権軽視罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Praemunire]]で起訴&br()・業を煮やした愛人アン・ブーリンが王ヘンリー8世へ起訴を要望したからってウワサあり| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月22日|大法官ウルジーが罪を認める| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|&bold(){王ヘンリー8世が[[宗教改革議会>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](1529-1536年)を設置}&br()・宗教改革議会は「王ヘンリー8世が大法官ウルジーを排除する」の議会&br()・大法官ウルジーの排除が終わると「王ヘンリー8世が宗教改革するための主要な法律を作る」の議会に変身| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月3日|王ヘンリー8世が元・大法官ウルジーの私財を剥奪([[私権剥奪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Bill_of_attainder]])| |BGCOLOR(lightgrey):1530年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[王権軽視罪の罰金>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](Praemunire charges)」の復活&br()・イングランド国内の聖職者を王権軽視罪で訴えてもオケ&br()・王権軽視罪で訴えられた聖職者と信徒は£118,000払えば許してあげる♥| |~|BGCOLOR(lightgrey):夏|王ヘンリー8世が元・大法官ウルジーを擁護する8人の司教と7人の神学者を王権軽視罪で起訴| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月29日|元・大法官ウルジーがロンドンへ護送中(王ヘンリー8世が[[反逆罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Treason]]で起訴したから)に病死| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:カトリック教会へ圧力).JPG)離婚に反対した神学者[[ウィリアム・ティンダル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Tyndale]]の処刑(1536年)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからイングランドのカトリック教会へ圧力を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1530年|BGCOLOR(lightgrey):12月|&bold(){王ヘンリー8世が政治家[[トマス・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cromwell]]を側近に抜擢}| |BGCOLOR(lightgrey):1531年|BGCOLOR(lightgrey):|「聖職者の容赦法(Pardon to Clergy Act 1531)」が成立&br()・王様はイングランドのカトリック教会と聖職者の首長かつ保護者であーる&br()・イングランドのカトリック教会の特権は[[王様の特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_prerogative]]と法を損なわない範囲でオケ&br()・王権軽視罪で訴えられた聖職者と信徒は5年以内に£100,000払えば許してあげる♥| |BGCOLOR(lightgrey):1532年|BGCOLOR(lightgrey):3月18日|[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_the_United_Kingdom]]が王ヘンリー8世へ「[[聖職者に対する嘆願書>https://en.wikipedia.org/wiki/Supplication_against_the_Ordinaries]](Supplication against the Ordinaries)」を提出&br()・「聖職者の職権乱用(献金増額、異教裁判、破門、…など9項目)が目に余る」の嘆願書| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月16日|聖職者が「[[聖職者の服従>https://en.wikipedia.org/wiki/Submission_of_the_Clergy]](Submission of the Clergy 1532)」を承諾&br()1534年「聖職者の服従法(Act for the Submission of the Clergy and Restraint of Appeals 1534)」が成立&br()・[[教会法>https://en.wikipedia.org/wiki/Canon_law]]の立法は王様の同意が必要&br()・[[聖職者会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Convocation]]の開催を許可する委員会(The scrutiny of a committee)のメンバーは王様の同意が必要| |~|~|宗教改革と離婚に反対する大法官[[トマス・モア>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]が辞任&br()・1531年「聖職者の容赦法」でカトリック教会を支持する大量の聖職者が追放されてトマス・モアは孤立&br()・1535年7月6日[[国王至上の誓い>https://en.wikipedia.org/wiki/Oath_of_Supremacy]](「英国国教会は王様が一番エライ!」の宣誓)を拒否。反逆罪で処刑| |>|>|&ref(英国国教会(国王至上法).JPG)ローマ教皇クレメンス7世を踏んづける王ヘンリー8世| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからローマ教皇クレメンス7世へ圧力を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1532年|BGCOLOR(lightgrey):3月|「[[新任聖職者上納制限法>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](Act in Conditional Restraint of Annates 1532)」が成立&br()・[[聖職禄ろく取得納金>https://en.wikipedia.org/wiki/Annates]](新任の聖職者が初年度収益をローマ教皇庁へ上納する慣例)を1/3→5%に減額&br()・教皇クレメンス7世が年内に離婚を認めなかったら0%にしちゃうぜ!| |BGCOLOR(lightgrey):1533年|BGCOLOR(lightgrey):1月25日|王ヘンリー8世(41歳)がアン・ブーリン(26歳?32歳?)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):3月26日|ローマ教皇クレメンス7世の[[教皇勅書>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_bull]]「[[トマス・クランマー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cranmer]]が[[カンタベリー大司教>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Archbishops_of_Canterbury]]でオケ」が到着&br()・1532年10月1日王ヘンリー8世がトマス・クランマーへカンタベリー大司教への就任を打診&br()・ローマ教皇クレメンス7世が「脱カトリック教会しないでね」と王ヘンリー8世の希望をすんなり承諾| |~|BGCOLOR(lightgrey):3月|&bold(){「[[上告禁止法>https://en.wikipedia.org/wiki/Statute_in_Restraint_of_Appeals]](The Ecclesiastical Appeals Act 1532)」が成立}&br()同時に王ヘンリー8世が「イングランドは帝国であーる。イングランド君主は帝国君主であーる」を宣言&br()(帝国宣言することで法律が達成できるんだって)&br()・カトリック教会の問題は王様が法的に対処するからローマ教皇に上訴しちゃダメダメ!&br()・もっちろん元・妻キャサリンがローマ教皇へ「むりやり離婚された」と懇請するのもダメダメ!| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月23日|カンタベリー大司教トマス・クランマーが「王ヘンリー8世と妻キャサリンの結婚」を無効宣言| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月28日|カンタベリー大司教トマス・クランマーが「王ヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚」を有効宣言| |~|BGCOLOR(lightgrey):7月11日|ローマ教皇クレメンス7世が王ヘンリー8世へ「妻キャサリンと元の鞘に納まらないと破門だぞ!」と警告&br()・1535年8月30日ローマ教皇[[パウルス3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Paul_III]]が「王ヘンリー8世の破門」を教皇勅書へレベルアップ&br()・その後この教皇勅書はローマ教皇パウルス3世の意向で保留&br()・1538年12月17日ローマ教皇パウルス3世が王ヘンリー8世を破門| |~|BGCOLOR(lightgrey):9月7日|妻アンが王女[[エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]を出産| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:カトリック教会の排除).JPG)イングランド初の公式英語聖書[[大聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Bible]](1539年)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから英国国教会を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1534年|BGCOLOR(lightgrey):1-3月|「[[主教任命法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_Concerning_Ecclesiastical_Appointments_and_Absolute_Restraint_of_Annates]](The Appointment of Bishops Act 1533)」が成立&br()・大聖堂が開催する主教選挙の候補者は王ヘンリー8世が選任(Act for Ecclesiastical Appointments 1534)&br()・ローマ教皇庁への全ての献金を禁止。献金は王国財源へ(Act in Absolute Restraint of Annates 1534)| |~|~|「[[聖ペトロ献金禁止法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_Concerning_Peter%27s_Pence_and_Dispensations]](Act Concerning Peter's Pence and Dispensations)」が成立&br()・ローマ教皇庁へ納める[[聖ペトロ献金>https://en.wikipedia.org/wiki/Peter%27s_Pence]](家主が毎年徴収される税金)など全ての献金を禁止&br()・カンタベリー大司教がローマ教皇から与えられた献金徴収権も廃止| |~|~|「[[第一王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/First_Succession_Act]](Succession to the Crown Act 1533)」が成立&br()・王女エリザベス1世が正統な王位継承権を持つ。王女メアリー1世は庶子だから王位継承権はナシ&br()・1536年「[[第二王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Succession_Act]]」で王女エリザベス1世も王女メアリー1世も庶子だから王位継承権はナシ&br()・1543年「[[第三王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Third_Succession_Act]]」で王女エリザベス1世も王女メアリー1世も王位継承権が復活| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|&bold(){王ヘンリー8世が「[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]](Act of Supremacy 1534)」を宣言}&br()・英国国教会は王様が一番エライ!ローマ教皇なんて赤の他人だよーん!| |~|~|「[[反逆罪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Treasons_Act_1534]](Treasons Act 1534)」が成立&br()・[[国王至上の誓い>https://en.wikipedia.org/wiki/Oath_of_Supremacy]]を拒否(国王至上法を認めずカトリック教会を支持)する人は漏れなく死刑よ♥&br()・嫌疑をかけられた人は6日以内に城、砦、船、大砲、…を王様へ引き渡すこと。拒否したら反逆罪よ♥&br()・1547年新たな「[[反逆罪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Treason_Act_1547]]」で廃止| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:修道院の解散).JPG)[[カルトジオ修道会>https://en.wikipedia.org/wiki/Carthusians]]の[[首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Hanged,_drawn_and_quartered]](1535年頃)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからイングランド、ウェールズ、アイルランドの[[修道院の解散>https://en.wikipedia.org/wiki/Dissolution_of_the_Monasteries]]を開始(1536-1541年)| |BGCOLOR(lightgrey):1535年|BGCOLOR(lightgrey):2月|「[[小修道院解散法>https://en.wikipedia.org/wiki/Suppression_of_Religious_Houses_Act_1535]](Suppression of Religious Houses Act 1535)」が成立&br()・教会はイングランドの土地1/5~1/3を所有、資金も豊富。先ず抵抗が小さい修道院(年収£200未満)を解散&br()・没収した土地は王ヘンリー8世が頂いちゃうぜ!貴族や[[ジェントリ>https://en.wikipedia.org/wiki/Gentry]]へ販売して王様との結びつきを強化&br()・没収した資金は王ヘンリー8世が頂いちゃうぜ!いずれ起こる侵略に備えて沿岸防衛([[要塞城>https://en.wikipedia.org/wiki/Device_Forts]]など)に使用| |BGCOLOR(lightgrey):1536年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[ウェールズ合体法>https://en.wikipedia.org/wiki/Laws_in_Wales_Acts_1535_and_1542]](Acts of Union)」が成立&br()・多数の封建的な小国[[ウェールズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Wales]]もイングランドの法律を適応する。ウェールズはイングランドの配下だ!| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月|修道院の解散への抵抗運動[[恩寵の巡礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Pilgrimage_of_Grace]]が勃発| |BGCOLOR(lightgrey):1537年|BGCOLOR(lightgrey):10月|[[アイルランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_Ireland]]が「国王至上法」を導入&br()・王ヘンリー8世は名目上の支配者[[アイルランド卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lordship_of_Ireland]]。1541年から名目上の王様[[アイルランド王>https://en.wikipedia.org/wiki/Monarchy_of_Ireland]]&br()・でも修道院の抵抗で半分くらいの修道院が存続&br()・女王エリザベス1世も頑張ったけどアイルランド西側はいくつかの修道院が存続| |BGCOLOR(lightgrey):1539年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[大修道院解散法>https://en.wikipedia.org/wiki/Suppression_of_Religious_Houses_Act_1539]](Suppression of Religious Houses Act 1539)」が成立| #endregion *ミサ ミサは聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)です。 16世紀の主催日はたぶん日曜日と[[トリエント・カレンダー>http://en.wikipedia.org/wiki/Tridentine_Calendar]](ローマ教皇ピウス5世が作ったカレンダー)で決められた日。 ローマ教皇が主催のミサは「[[教皇ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Papal_Mass]]」、司教が主催のミサは「[[荘厳司教ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Pontifical_High_Mass]]」といいます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(liturgy)]] &ref(ミサ.JPG)ローマ教皇[[ベネディクト16世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Benedict_XVI]]の公演(2011年:[[エル・エスコリアル修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]]) 16世紀のミサの式次第(式の順序)はとーっても長い時間をかけてアレコレする[[トリエント・ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Tridentine_Mass]]です。 式文(唱えたり歌ったりする文章)がラテン語のみなので別名[[ラテン・ミサ>https://en.wikipedia.org/wiki/Latin_Mass]]。 21世紀は1969年に誕生した[[新しいミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Mass_of_Paul_VI]](トリエント・ミサの中身をアレコレ廃止・省略)が主流です。現地語でオケ。 **十字架の印(十字を切る) [[十字架>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_cross]]は[[磔になって処刑されたキリスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]のシンボルです。十字架の印は「十字架を3Dで辿る」の儀式。 印の順番は額→心臓(胸の中央)→左肩→右肩。「[[父>https://en.wikipedia.org/wiki/God_the_Father]]と[[子>https://en.wikipedia.org/wiki/God_the_Son]]と[[聖霊>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Spirit_(Christianity)]]」は[[三位一体>https://en.wikipedia.org/wiki/Trinity]]。「[[アーメン>https://en.wikipedia.org/wiki/Amen]]」は祈りや[[賛美歌>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_music]]の結びの言葉。 トリエント・ミサでは十字架の印が33回(イエス・キリストが地球にいた年数)あるそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sign_of_the_Cross]] |&ref(ミサ_十字架の印.JPG)|BGCOLOR(lightgrey):スペイン語| |~|En el nombre del Padre,&br()y del Hijo&br()y del Espíritu Santo.&br()Amén.| |~|BGCOLOR(lightgrey):英語| |~|In the Name of the Father,&br()and of the Son,&br()and of the Holy Ghost.&br()(=and of the Holy Spirit.)&br()Amen.| |~|BGCOLOR(lightgrey):ラテン語| |~|In nomine Patris,&br()et Filii,&br()et Spiritus Sancti.&br()Amen.| 16世紀が何語なのかは分かりませんでした。英語はラテン語「Spiritus:聖霊」を「Ghost(21世紀はSpirit)」と訳してるっぽい。 英国国教会も手の動きはカトリック教会と一緒。 「十字架の印なんて不要!」って意見(後のピューリタン)もあったけど、1604年[[聖公会祈祷書>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Common_Prayer]]で「必要!」とキッパリ決定します。 #region(close,小さい十字架の印) [[ミサ>https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(Catholic_Church)]]([[聖餐式>https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(liturgy)]])では[[福音書朗読>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_(liturgy)]]の前に「小さい十字架の印(Triple/Little sign of the cross)」をします。口と心臓を清める儀式。 印の順番は額→口→胸で、それぞれ小さい十字架を切る。 詳細は[[Marians of the Immaculate Conception>http://www.marian.org/]](Why Make the Sign of the Cross at the Gospel?)をどうぞ。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印).JPG)カトリック教会[[Congregation of Marian Fathers>https://en.wikipedia.org/wiki/Congregation_of_Marian_Fathers]]の小さい十字架の印 スペイン語とラテン語は分かりませんでした。日本語だと「主の御言葉が私の考え、言葉、心に常にありますように」っぽい。 英国国教会も手の動きはカトリック教会と一緒。 調べ方が悪かったのかもしれないけど、「小さい十字架の印」は検索ヒット少ないし説明も簡単な感じでした。 #blockquote(){&u(){&bold(){Cross my heart(胸に十字を切って)}} クロス・マイ・ハートは「神に誓ってウソじゃないもーん」ってこと。日本でいう「指きりげんまん」ね。 &italic(){&color(silver){cross my heart and hope to die(, stick a needle in my eye).}} &italic(){&color(silver){十字を切って誓ったからには嘘付いたら死んでも良いよーん(、針を自分の目に突き刺しちゃうよーん)。}} 語源はハッキリしてないけど1900年初めには皆さん使ってるっぽいです。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:クロス・マイ・ハート).GIF)こんな感じ? 映画「[[カールじいさんの空飛ぶ家>https://en.wikipedia.org/wiki/Up_(2009_film)]]」(2009年)でもカールじいさんがクロス・マイ・ハートしてます。 あれはそーゆー意味だったのか! カールじいさんが妻を思い出してるシーンは「指切りげんまん」というより「お祈り」っぽいけど…どうなんでしょね? } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでにハートつながりでSacred Heart(聖心)}} 聖心は「イエス・キリストの心臓(神様の人類に対する愛の象徴)への崇敬」で、[[献身>https://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Catholic_devotions]](身を捧げる)の1つです。 中世にカトリック教会で[[神秘主義>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_mysticism]]な聖心崇敬が普及。 16世紀になると[[イエズス会>https://en.wikipedia.org/wiki/Society_of_Jesus]]などで[[禁欲主義>https://en.wikipedia.org/wiki/Asceticism]]な聖心崇敬のお祈りや修行(special exercises)が誕生します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacred_Heart]] &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:聖心).JPG) 左側:1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会のフランシスコ・ザビエル(17世紀:神戸市立博物館) 右側:1522年にイエズス会の[[イグナチオ・デ・ロヨラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Ignatius_of_Loyola]]が[[霊操>https://en.wikipedia.org/wiki/Spiritual_Exercises_of_Ignatius_of_Loyola]]した[[聖イグナシの洞窟>https://en.wikipedia.org/wiki/Cave_of_Saint_Ignatius]](スペイン) 聖心は「後光で輝く燃える心臓、槍に刺された心臓、[[茨の冠>https://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_thorns]]に囲まれた心臓、十字架、出血」で表現されます。 [[フランシスコ・ザビエル>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Xavier]]の腕の交差は[[聖アンデレ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Saltire]](St. Andrew's Cross、Crux decussata、X-shaped cross、Saltire)。 天上から伝わった神様の愛情([[神様の祝福>https://en.wikipedia.org/wiki/Blessing_(Roman_Catholic_Church)]]?)を受け止めてるそうです。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:聖心2).JPG) 左側:[[Hieronymus Wierix>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Wierix]]画「P. Franciscus Xavierius...invexit」(1619年以前) 右側:[[Schelte a Bolswert>https://en.wikipedia.org/wiki/Schelte_a_Bolswert]]画「S. Franciscvs Xaverivs」(1600-1659年) こちらは神戸市立博物館より前の作品です。聖アンデレ十字の腕の交差が違うけど聖アンデレ十字は拘らないんでしょか? 聖アンデレ十字は[[十二使徒>https://en.wikipedia.org/wiki/Apostle_(Christian)]]の1人[[聖アンデレ>https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_the_Apostle]]が磔にされた十字架の形。 それしか分かりませんでした。ちなみに1506-1701年スペイン海軍の軍艦旗も聖アンデレ十字の形[[ブルゴーニュ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Cross_of_Burgundy]]。 } #endregion **ロザリオ カトリック教会はミサがなくても毎日[[聖マリアへの祈り>https://en.wikipedia.org/wiki/Hail_Mary]](アヴェ・マリア)をします。 やり方は、十字架の印→信仰宣言→主の祈り→聖マリアへの祈り→栄唱の後に、主の祈り→聖マリアへの祈り→黙想を5回。 ロザリオは間違えないように回数を確認するためのもの。 「天にましますわれらの父よ…(主の祈り)」「めでたし聖寵満ち満てるマリア…(聖マリアへの祈り)」と唱えながら珠を移動。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Rosary]] [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_prayer_beads]] ちょっと見づらいけどスペイン王フェリペ2世が左手にロザリオを持ってます。([[アロンソ・サンチェス・コエリョ>http://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]]作) |&ref(ミサ_ロザリオ.PNG)|&ref(ミサ_ロザリオ(フェリペ2世).JPG,,height=287)| #region(close,黙想ってなに?) 黙想は福音書の一文&bold(){ロザリオの十五玄義}(信仰箇条=3種類の神秘×5回の黙想)を脳内朗読すること。 16世紀ローマ教皇ピウス5世が標準化。 曜日毎に黙想する神秘が決まってる。21世紀は「光の神秘」が追加されて、曜日も変更されてます。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:日曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:月曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:火曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:水曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:木曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:金曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:土曜日| |喜びの神秘:アドベント、クリスマス&br()苦しみの神秘:四旬節、枝の主日&br()栄えの神秘:それ以外?|喜びの神秘|苦しみの神秘|栄えの神秘|喜びの神秘|苦しみの神秘|栄えの神秘| #endregion *儀式(サクラメント) サクラメントは「神様の見えない恩寵を目に見える」「体感して受け取ることができる」の儀式です。 教派によってやり方がいろいろ。 キリスト教用語も英語は同じなにのに日本語だと違ったり、その逆だったり、…複雑です。ここではなるべくカトリック教会を。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament]] &ref(サクラメント.JPG)[[Rogier van der Weyden>https://en.wikipedia.org/wiki/Rogier_van_der_Weyden]]画「[[The Seven Sacraments Altarpiece>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Sacraments_Altarpiece]]」(1445-1450年:ネーデルラント) |BGCOLOR(lightgrey):[[カトリック教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacraments_of_the_Catholic_Church]]|BGCOLOR(lightgrey):[[秘跡>>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacraments_of_the_Catholic_Church]]|>|[[洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]]、[[堅信>https://en.wikipedia.org/wiki/Confirmation_(Catholic_Church)]]、[[聖体>https://en.wikipedia.org/wiki/Eucharist_in_the_Catholic_Church]]|キリスト教入信の儀式| |~|~|>|[[告解>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament_of_Penance_%26_Reconciliation_(Catholic_Church)]]、[[終油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_(Catholic_Church)]]|いやしの儀式| |~|~|>|[[叙階>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_orders_(Catholic_Church)]]、[[結婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_(Catholic_Church)]]|交わりと使命を育てる儀式| |BGCOLOR(lightgrey):[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_sacraments]]&br()([[39箇条>https://en.wikipedia.org/wiki/Thirty-Nine_Articles]])|BGCOLOR(lightgrey):[[聖奠(せいてん)>>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_sacraments]]|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:洗礼|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:聖餐|イエス・キリストが制定した儀式| |~|~|洗礼|聖餐(=聖体)|~| |~|BGCOLOR(lightgrey):聖奠的諸式|[[懺悔>https://en.wikipedia.org/wiki/Confession_(religion)]]、[[聖婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_marriage]]|堅信、[[聖職按手>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_orders]](=叙階)、終油|聖霊の導きで教会がする儀式| |BGCOLOR(lightgrey):プロテスタント教会|BGCOLOR(lightgrey):礼典|>|洗礼、聖餐(=聖体)|新約聖書に書いてある儀式| #region(close,七つの秘蹟) サクラメントは聖書の中に書いてあるエピソードがベースになってます。宗派で違うのは重視するエピソードが違うから。 こちらは[[ニコラ・プッサン>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicolas_Poussin]]画「[[七つの秘蹟>https://de.wikipedia.org/wiki/Die_sieben_Sakramente_(Poussin)]]」(1637-1640年)。 「※」は聖書のどの部分か分からなかったので勝手に調べたモノです。画と内容が違っちゃってるかも。 &ref(サクラメント(七つの秘蹟:洗礼).JPG)七つの秘蹟「洗礼」 &italic(){&color(silver){そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 ~マタイによる福音書3章13-17節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:堅信).JPG)七つの秘蹟「堅信」 &italic(){&color(silver){エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。 ~使徒言行録8章14-17節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:聖体).JPG)七つの秘蹟「聖体」 &italic(){&color(silver){一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 ~マルコによる福音書14章22-24節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:告解).JPG)七つの秘蹟「告解」 &italic(){&color(silver){あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。-中略-そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。-中略-それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。 ~ルカによる福音書7章36-48節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:終油).JPG)七つの秘蹟「終油」 &italic(){&color(silver){あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。 ~ヤコブの手紙5章14-15節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:叙階).JPG)七つの秘蹟「叙階」 &italic(){&color(silver){イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 ~マタイによる福音書16章13-19節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:結婚).JPG)七つの秘蹟「結婚」 &italic(){&color(silver){イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。 ~マタイによる福音書1章18-25節~}}※ #endregion **洗礼(バプテスマ)の秘蹟 洗礼はキリスト教への入信の儀式。[[入信者>https://en.wikipedia.org/wiki/Catechumen]]は洗礼式で洗礼を受けると原罪と今までにやっちゃった罪が赦されます。 幼児は[[幼児洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_baptism]]。大人は成人洗礼(Adult baptism)で「信仰」「いままでの罪の痛悔」「キリスト教の教え」のバッチリ理解が必須。 「神様に対する契約の証人」「信仰生活の導き手」「後見人」として[[名付け親>http://en.wikipedia.org/wiki/Godparent]](代父母)が洗礼式に立ち会います。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]] &ref(サクラメント_洗礼.JPG)[[サン・パブロ教会>https://en.wikipedia.org/wiki/San_Pablo_Church]]で幼児洗礼を受けるフェリペ2世([[Palacio de Pimentel>https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_Pimentel]]のタイル) #region(close,原罪ってなに?) 原罪は人間の元祖アダムが神様の言いつけを守らなかった罪です。人間がやっちゃった最初の罪。 だからアダムの子孫は生まれながらこの罪を負ってるらしい。 ちなみに21世紀に発見されてる最古の元祖は[[猿人ルーシー>http://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_%28Australopithecus%29]]です。アディスアベバ国立博物館(エチオピア)にレプリカを展示中。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Original_sin]] &ref(サクラメント_洗礼(原罪).JPG)[[ヒエロニムス・ボス>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[快楽の園>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Garden_of_Earthly_Delights]]」(1490-1510年) #blockquote(){&u(){&bold(){人間がやっちゃった最初の罪の超ざっくりなお話}} &italic(){&color(silver){更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 ~創世記3章17節~}} &ref(サクラメント_洗礼(原罪:お話し).JPG)[[ミケランジェロ>https://en.wikipedia.org/wiki/Michelangelo]]画「アダムとエヴァの原罪とエデンの園からの追放」(1509年:[[システィーナ礼拝堂天井画>http://en.wikipedia.org/wiki/Sistine_Chapel_ceiling]]) 神様は1週間で地球と動物と人間(アダムとイブ)を造りました。 あっ、日曜日はお休みしてます。 そしてアダムとイブに「人間を増やすのぢゃ。地球を上手く運営するのぢゃ」と言って、エデンの園に住まわせました。 エデンの園は水と食べ物がワンサカありました。真ん中には[[知恵の樹>http://en.wikipedia.org/wiki/Tree_of_the_knowledge_of_good_and_evil]]と生命の樹が生えてました。 知恵の樹の実を食べると神様級の善悪の知識、生命の樹の実を食べると神様級の永遠の命が授かります。 神様は「知恵の樹の実だけは食べちゃダメぢゃ。死ぬで」と言いました。 ある日、ヘビがイブに「へーきへーき。知恵の樹の実を食べても死なないよー」と言いました。 イブは見るからに美味しそうな実を見て食べちゃいました…生きてます。 ついでにアダムにも食べさせちゃいました…生きてます。 神様は死ななかった2人にビックリしつつ「これで生命の樹の実まで食べたら人間は神様級ぢゃ!ヤバイ!」と思いました。 アダムとイブをエデンの園から追放しました。 そしてアダムには労働の苦しみ、イブには陣痛の苦しみ、ヘビにはニョロニョロ這う苦しみの罰を与えました。 } #endregion #region(close,洗礼ってどんなコトするの?) 洗礼は洗礼司式者が「父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名を授ける」と[[入信者の頭に聖水をペチャペチャ(潅水)>https://en.wikipedia.org/wiki/Affusion]]します。 幼児洗礼の問答は幼児を抱く親が代弁、成人洗礼は自分で答弁。 12~14世紀の主流は[[入信者がハダカで聖水をペチャペチャ(浸礼)>https://en.wikipedia.org/wiki/Immersion_baptism]]です。16世紀の一部地域は浸礼を継続中。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼).JPG)[[Pietro Longhi>https://en.wikipedia.org/wiki/Pietro_Longhi]]画「The Baptism」(1755年) #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン王フェリペ2世の洗礼}} 1527年5月21日[[ピメンテル宮殿>https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_Pimentel]]([[バリャドリッド>https://en.wikipedia.org/wiki/Valladolid]])で生まれた王フェリペ2世は祖父カスティーリャ王[[フェリペ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_I_of_Castile]]の名を取ってフェリペ(Felipe)と命名されます。 宮殿近くのサン・パブロ教会で幼児洗礼。 洗礼の日付、ペチャペチャしてる洗礼司式者、名付け親、…アレコレはぜーんぜん分からなかったです。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:スペイン王フェリペ2世).JPG)[[白い洗礼ドレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptismal_clothing]]を着用する王フェリペ2世(Palacio de Pimentelのタイル) この頃のバリャドリッドはスペインの首都です。[[マドリード>https://en.wikipedia.org/wiki/Madrid]]は王フェリペ2世が1561年6月遷都したの。 ついでに王や女王が名付け親になった人達を。 名付け親は複数で洗礼式は名代が出席する場合があります。例えばイングランド王ジェームズ1世の名付け親はイングランド女王エリザベス1世(名代:第2代ベッドフォード伯爵[[フランシス・ラッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Russell,_2nd_Earl_of_Bedford]])、フランス王[[シャルル9世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_IX_of_France]](名代:リニー伯爵[[ジョン3世>https://en.wikipedia.org/wiki/John_III,_Count_of_Ligny]])、サヴォイア公[[エマヌエーレ・フィリベルト>https://en.wikipedia.org/wiki/Emmanuel_Philibert,_Duke_of_Savoy]]。 |BGCOLOR(lightgrey):王フェリペ2世|肖像画家[[アロンソ・サンチェス・コエリョ>https://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]](1531–1588年)の娘2人| |~|初代ダヴレ侯[[シャルル=フィリップ・ド・クロイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Philippe_de_Cro%C3%BF,_Marquis_d%E2%80%99Havr%C3%A9]](1549–1613年:スペイン)| |~|第3代ウォートン男爵[[フィリップ・ウォートン>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Wharton,_3rd_Baron_Wharton]](1555–1625年:イングランド)| |~|第20代アランデル伯爵[[フィリップ・ハワード>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Howard,_20th_Earl_of_Arundel]](1557–1595年:イングランド)| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|イングランド王[[ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]](1566–1625年:スコットランド)| |~|[[マリー・エリザベート・ド・フランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Elisabeth_of_France]](1572–1578年:フランス)| |~|初代リンジー伯爵[[ロバート・バーティ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Bertie,_1st_Earl_of_Lindsey]](1583–1642年:イングランド)| |~|メクレンブルク公爵夫人[[エリザベス・ヘッセン=カッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_of_Hesse-Kassel,_Duchess_of_Mecklenburg]](1596–1625年:[[ヘッセン=カッセル方伯領>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Kassel]])| } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド女王エリザベス1世の洗礼}} 1533年9月7日[[プラセンティア宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Placentia]]で生まれた女王エリザベス1世は祖母[[エリザベス・オブ・ヨーク>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_of_York]]と[[エリザベス・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Boleyn,_Countess_of_Wiltshire]]の名を取ってエリザベス(Elizabeth)と命名されます。 9月10日宮殿近くのthe church of the Observant Friars(?)で幼児洗礼。 名付け親はカンタベリー大司教[[トマス・クランマー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cranmer]]、[[エクセター侯爵ヘンリー・コートニー>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Courtenay,_1st_Marquess_of_Exeter]]、[[ノーフォーク公爵夫人エリザベス・ハワード>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Howard,_Duchess_of_Norfolk]]、[[ドーセット侯爵夫人マーガレット・ウォットン>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Wotton,_Marchioness_of_Dorset]]です。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:イングランド女王エリザベス1世).JPG) 左側:[[William Peters>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Peters_(painter)]]画「Henry VIII, Act V, Scene IV, The Christening of Princess Elizabeth」(1787年頃) 右側:女王エリザベス1世が着たと思われる洗礼ドレス([[Sudeley Castle>https://en.wikipedia.org/wiki/Sudeley_Castle]]) [[ヘラルド>https://en.wikipedia.org/wiki/Herald]](君主の布告や声明を伝えるために派遣される伝令官)が[[官服>https://en.wikipedia.org/wiki/Tabard]]を手に持ちました。 付添人達が火の点いていない松明を支えました。 貴族達が典礼聖具-金の塩入れ([[祓魔式>https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_exorcism_in_Christianity]]の[[聖塩>https://en.wikipedia.org/wiki/Blessed_salt_in_Christianity]])、銀メッキの[[聖油入れ>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrismarium]]([[塗油式>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing]]の[[聖油>https://en.wikipedia.org/wiki/Oil_of_catechumens]])、[[クリムソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrisom]](幼児の額に塗られた聖油を保護する布)、[[パスカル・キャンドル>https://en.wikipedia.org/wiki/Paschal_candle]]([[キリストの光>https://en.wikipedia.org/wiki/Light_of_Christ]]の炎を灯すロウソク)-を運びました。 3人の貴婦人を従えた公爵夫人がエリザベスを抱いてやって来ました。長い行列が後に続きました。 4人の男爵がエリザベスの上に天蓋を掲げました。 ロンドン司教[[ジョン・ストークスリー>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Stokesley]]がエリザベスに洗礼を授けました。 カンタベリー大司教トマス・クランマーが「父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名エリザベスを授ける」と言いました。 エリザベスは額に[[洗礼盤>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptismal_font]]の[[聖水>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_water]]を3度ペチャペチャと注がれ、手にキリストの光を灯すロウソクが添えられました。 付添人達が支える全ての松明に火が灯されました。 ヘラルドが官服を纏いました。 トランペットが「イングランドおよびフランス王女エリザベス」を祝してパンパカパーン♪と鳴り響きました。 ~[[On the Tudor Trail>http://onthetudortrail.com/Blog/]](On this day in 1533 Elizabeth I was Christened)さんより~ } #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼の祓魔式(ふつま)ってなに?}} 祓魔式は入信者が悪魔の力を遠ざけ、誘惑から護るための「神様への援助要請」です。 洗礼司式者が幼児の口に聖塩をパパパッと振る。 聖水をペチャペチャの前にやります。英国国教会は1549年[[聖公会祈祷書>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Common_Prayer]]から教会の入り口で十字を切ってパパパッ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_exorcism_in_Christianity]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:祓魔式).JPG) 左側:Spinello Aretino画「St Benedict's Prayer Enables the Monks to Lift the Stone on Which the Devil Is Sitting」(1387年:[[Sagrestia di San Miniato al Monte>https://it.wikipedia.org/wiki/Sagrestia_di_San_Miniato_al_Monte]]) 右側:[[Giacomo Raffaelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Giacomo_Raffaelli]]画「レオナルド・ダ・ヴィンチ画[[最後の晩餐>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Supper_(Leonardo_da_Vinci)]]のモザイク」 キリスト教会で塩は浄化と保護のシンボル。[[サバト>https://en.wikipedia.org/wiki/Witches%27_Sabbath]](魔女の集会)で出される食事には塩が使われてないと考えられてます。 ヨーロッパの迷信で「[[塩をこぼす>https://en.wikipedia.org/wiki/Spilling_salt]]」は悪いことが起きる前兆。 [[イスカリオテのユダ>https://en.wikipedia.org/wiki/Judas_Iscariot]]は最後の晩餐で塩をこぼしちゃってます。ヨーロッパに行ったら塩壺にご注意だ! } #blockquote(){&u(){&bold(){塗油式(とゆ)ってなに?}} 塗油式は入信者が悪魔と誘惑と罪から背を向けるための「入信者の強化の援助」「入信者の[[禁欲>https://en.wikipedia.org/wiki/Asceticism]]の準備」です。 洗礼司式者が幼児の額に聖油を十字に塗る。 聖水をペチャペチャの前にやります。王や女王も[[即位式>https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation]]で聖油をヌリヌリ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Oil_of_catechumens]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:塗油式).JPG) 左側:Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) 右側:[[Cornelis Schut>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Schut]]画「The Coronation of Charles V Holy Roman Emperor」 カトリック教会と英国国教会の[[塗油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing]]には3種類の[[聖油>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrism]]があるのでご注意!洗礼で使うのはOSです。 ・洗礼志願者用の聖油(OS:ラテン語のOleum Sanctum/Oil of the Catechumens) ・病者用の聖油(OI:Oil of the Infirm) ・聖香油(SC:Sacred Chrism) } #endregion #region(close,洗礼名ってなに?) 洗礼名は洗礼で入信者に与えられるお名前です。諸説ある起源の1つは出生8日目の男児が[[割礼式>https://en.wikipedia.org/wiki/Circumcision]]で[[命名>https://en.wikipedia.org/wiki/Hebrew_name]]する[[ユダヤ教>https://en.wikipedia.org/wiki/Judaism]]の伝統。 割礼は男児のアレをチョキチョキ。 イエス・キリストが割礼した1月1日は英国国教会の祝日[[主イエス命名の日>https://en.wikipedia.org/wiki/Feast_of_the_Circumcision_of_Christ]](2000年から)、カトリック教会は祝日[[神の母>https://en.wikipedia.org/wiki/Theotokos]]です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名).JPG)[[Pontormo>https://en.wikipedia.org/wiki/Pontormo]]画「Birth of John the Baptist」(1526年) &italic(){&color(silver){八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、[[ヨハネ>https://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Baptist]]という名にしなくてはいけません」と言った。人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 ~ルカによる福音書1章59-63節~}} #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼名はちゃんと洗礼登録簿に記録}} 1497年スペインの枢機卿[[ヒメネス>https://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_Jim%C3%A9nez_de_Cisneros]]は「洗礼登録簿」を導入します。第1号は[[トレド>https://en.wikipedia.org/wiki/Toledo,_Spain]]でその後西ヨーロッパに拡大。 イングランドは1538年司教総代理[[トマス・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cromwell]]が「[[教会区記録簿>https://en.wikipedia.org/wiki/Parish_register]]」を導入。 1563年カトリック教会は「洗礼登録簿に洗礼・結婚を記録しなさーい」と決定します。日本でいう市役所の出生届って感じ? &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:洗礼登録簿).JPG)教会区記録簿(1593年:イングランド) イングランドの教会区記録簿は教区司祭が信徒の洗礼・結婚・埋葬を教会区記録簿に記録・保管します。 記録を怠けたら罰金。 紙の記録簿は虚弱すぎて保管が大変。ってことで、1598年から[[羊皮紙>https://en.wikipedia.org/wiki/Parchment]]の「Great decent books of parchment」に記録します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){俗名(Personal name)と洗礼名(Christian name)}} 日本の洗礼名は俗名(自分のお名前)に洗礼名を追加します。順番は「洗礼名・氏名」(エリザベス山田花子)って感じ。 ヨーロッパは俗名が洗礼名。 ①も②も洗礼名だけど中身が違うのにご注意!厳密に言うと①と[[幼児洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_baptism]]が正式な洗礼名だそうです。難しいなあ。 ・洗礼命名式(Christening)で命名される&bold(){[[①洗礼名(Baptismal/Christian name)>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]]}が俗名になる。洗礼司式者は「I christen thee in the name of the Father…:父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名を授ける」と言います。 ・親が命名した俗名が洗礼で&bold(){[[②洗礼名(Given/Personal/First/Christian name)>https://en.wikipedia.org/wiki/Given_name]]}になる。洗礼司式者は「I baptize thee in the name of the Father…:父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼を授ける」と言います。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:俗名と洗礼名).JPG)ヴァイキングが支配した地域([[デーンロウ>https://en.wikipedia.org/wiki/Danelaw]]) 初期のキリスト教会では洗礼で俗名を洗礼名へ改名したっぽいです。キリスト教へ改宗する大人が多い時代だもんね。 改名は強制的って説もアリ。 イングランドを支配した[[デーン人>https://en.wikipedia.org/wiki/Danes_(Germanic_tribe)]]の[[王Guthrum>https://en.wikipedia.org/wiki/Guthrum]]([[ヴァイキング>https://en.wikipedia.org/wiki/Vikings]])は878年洗礼を受けてÆthelstanと名乗るようになります。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:俗名と洗礼名2).JPG)デンマーク王子[[ヴィンセント>https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Vincent_of_Denmark]]の洗礼命名式(2011年4月14日) [[中世のキリスト教会>https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Christianity_during_the_Middle_Ages]](5-16世紀前半)は洗礼命名式で命名される&bold(){①洗礼名(Baptismal name)}が俗名になります。 洗礼しないと名無しの権兵衛さん? 心配はご無用。幼児洗礼が一般的な時代なので異教徒じゃなければ名無しの権兵衛さんにはなりません。 [[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]]になると洗礼命名式で命名される&bold(){①洗礼名(Baptismal name)}は「家族の中で個を識別」が重要になります。 私達が使ってる「お名前」と同じ認識ね。 20世紀後半から親が命名した俗名が洗礼で&bold(){②洗礼名(Given name)}になるが一般的になります。 } #endregion #region(close,ついでにF&Bに登場する皆さんの洗礼名の由来♥(ネタバレ)) 洗礼名は願い(Clement=慈悲深い)、家職(George=農民)、状況(Quintus=五男)、特徴(Calvin=ハゲ頭)…で命名します。 聖書の登場人物(Elizabethなど)や[[聖人>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint]](Francisなど)もご使用。 聖人は子供の[[守護聖人>https://en.wikipedia.org/wiki/Patron_saint]]になります。守護聖人の[[祝日>https://en.wikipedia.org/wiki/Calendar_of_saints]](Feast day)は子供のもう1つの誕生日[[聖名祝日>https://en.wikipedia.org/wiki/Name_day]]。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]] &ref(サクラメント_洗礼(由来).PNG)1560-1621年イングランドで人気の洗礼名([[オックスフォード大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Oxford]]名簿より) |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Elizabeth>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_(given_name)]]&br()西:Elisabet、Isabel、…|・由来は[[ギリシャ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Greek_language]]のΕλισάβετ、[[ヘブライ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Hebrew_language]]のElisheva(我は神に捧げられしもの)&br()・[[Elizabeth>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_(biblical_figure)]]は旧約聖書や新約聖書に登場するので聖人や女王がご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Philip>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_(name)]]&br()西:Felipe|・由来はギリシャ語のΦίλιππος=φίλος(愛する)+ ἵππος(カバ・馬)&br()・古代ギリシャではお金持ちだけが馬を所有できたの。カバは分かりませんでした| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[William>https://en.wikipedia.org/wiki/William_(given_name)]]&br()西:Guillermo|・由来は古[[ゲルマン語派>https://en.wikipedia.org/wiki/Germanic_languages]]のWilhelm=Wil(意志・願望)+helm(騎士の大きなヘルメット)&br()・イングランドでは1066年[[ノルマン征服>https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_conquest_of_England]]の後から人気| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Robert>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert]]&br()西:Roberto|・由来は[[古高ドイツ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_High_German]]のHrodebert=hruod(名声・栄光)+berht(輝く)&br()・イングランドではノルマン征服の前からご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Francis>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_(given_name)]]&br()西:Francisco|・由来はフランシスコ会の創設者[[聖アッシジのフランチェスコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_of_Assisi]]の洗礼名Francesco(フランス人)&br()・イングランドでは16世紀からご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Geoffrey>https://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_(given_name)]]、[[Jeffrey>https://en.wikipedia.org/wiki/Jeffrey_(given_name)]]&br()仏:Geoffrey、Jeoffrey&br()西:ナシ|・由来は古高ドイツ語の[[Godafrid>https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried]]=god(godとgoodの融合)+frid(平和・保護)&br()・[[ノルマン系>https://en.wikipedia.org/wiki/Normans]]のジェフリー(Jeoffrey)になるまでの超ざっくりな道のりはこんな感じ&br()&ref(サクラメント_洗礼(由来:Geoffrey).PNG)| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Nigel>https://en.wikipedia.org/wiki/Nigel]]&br()西:ナシ|・由来は[[ゲール語>https://en.wikipedia.org/wiki/Goidelic_languages]]のNiall=[[古アイルランド語>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Irish]]のniadh(戦士・勝者・雲・情熱・熱心)&br()・ナイジェル(Nigel)になるまでの超ざっくりな道のりはこんな感じ&br()&ref(サクラメント_洗礼(由来:Nigel).PNG)| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Vincent>https://en.wikipedia.org/wiki/Vincent]]&br()西:Vicente、Vincente|・由来はラテン語のVincentius=ラテン語の動詞vincere(征服する・勝つ)のing形| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Leonard>https://en.wikipedia.org/wiki/Leonard]]&br()西:Leonardo|・由来は古高ドイツ語のLeonhard=levon(ライオン)+hardu(勇敢な・我慢強い)&br()・もう1つの由来はラテン語[[Leo>https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_(given_name)]](ライオン)| |BGCOLOR(lightgrey):英:ナシ&br()西:[[Alonso>https://en.wikipedia.org/wiki/Alonso]]|・由来は[[ガリシア・ポルトガル語>https://en.wikipedia.org/wiki/Galician-Portuguese]]のAdelfuns=adel(貴族)+funs(戦闘の準備完了)| #endregion #region(close,洗礼の次は堅信) 堅信は洗礼の終わった信徒が思春期になって受ける「聖霊の力・聖霊の恵みを受ける」の儀式です。日本でいう成人式って感じ? カトリック教会では「堅信で洗礼が完成」。 英国国教会は1563年[[39箇条>https://en.wikipedia.org/wiki/Thirty-Nine_Articles]]だと「堅信はサクラメントだけど通常の[[救済>https://en.wikipedia.org/wiki/Salvation_(Christianity)]]に必要ない」って扱いです。ちんぷんかんぷん…。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Confirmation]] &ref(サクラメント_洗礼(堅信).JPG)Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼名の次は堅信名(Confirmation name)}} 1551年9月19日[[フォンテーヌブロー宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Fontainebleau]]で生まれたフランス王[[アンリ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_III_of_France]]は12月5日(?)幼児洗礼を受けます。 洗礼名はアレクサンドル=エドゥアール(Alexandre Édouard)。 1565年3月17日[[トゥールーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Toulouse]]で堅信式を受けます。堅信名は父親のお名前アンリ(Henri)でその後「アンリ」の名で君臨。 &ref(サクラメント_洗礼(堅信:堅信名).JPG)ドミニコ会修道士[[ジャック・クレマン>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_Cl%C3%A9ment]]に刺されるアンリ3世([[三アンリの戦い>War of the Three Henrys]]) } #endregion **聖体(ホスチア)の秘蹟 聖体は聖変化した聖体(パン:神様の御体、水で薄めたワイン:神様の御血)を口にして神様を身体の中に受け入れる儀式です。 イエス・キリストの最後の晩餐が由来。 洗礼を受けてない人が気軽に食べちゃダメっぽいです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacramental_bread]] &ref(サクラメント_聖体.JPG)[[Sandro Botticelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Sandro_Botticelli]]画「[[The Last Communion of St. Jerome>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Communion_of_St_Jerome_(Botticelli)]]」(1494–1495年) ミサの中の「[[聖餐>https://en.wikipedia.org/wiki/Eucharist]]」で司祭は御血が入ってる[[聖杯>http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Chalice]](カリス)に浸した御体を信者の舌の上に乗せます。 飲み込んだりバリバリ噛んだりするっぽい。 バリバリ噛むのは賛否両論。口の中で溶ける聖体もあります。聖体を食べられない幼児や病人はワインでもオケ。 #region(close,聖変化ってなに?) 聖変化は司教・司祭が奉献文を唱えてパン→御体、ワイン→御血に変化させるコトです。 &bold(){新しいミサ}の奉献文は「主よ、あなたはまことに神聖で、すべての神聖なるものの泉です。あなたに捧げる供えものを聖霊によって尊いものとしてください。私達の主イエス・キリストの御体と御血となりますように。…」 &bold(){トリエント・ミサ}は奉献文が違うかも。どうせラテン語だし、ってことで調べる気力がぜーんぜん湧きませんでした。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Transubstantiation]] &ref(サクラメント_聖体(聖変化).JPG)奉献文を唱える[[ローマ教皇ベネディクト16世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Benedict_XVI]](2010年:スコットランド) #blockquote(){&u(){&bold(){聖変化でパンとワインはどうなっちゃうの?}} &italic(){&color(silver){一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 ~マタイによる福音書3章26-28節~}} &ref(サクラメント_聖体(聖変化_Species).JPG)[[Joan de Joanes>https://en.wikipedia.org/wiki/Vicente_Juan_Masip]]画「The Last Supper」(1562年) 聖変化は手品じゃないのでパンもワインも形、味、香りは変化しません。でも普通のパンとワインとは違うモノになるの。 気持ちの問題って感じ? 1551年第13回[[トリエント公会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]]は「実体は外観のみ残してキリストの実体に変化([[Species>https://en.wikipedia.org/wiki/Species_(Christianity)]])」とキッパリ決定します。 } #endregion **終油の秘蹟 終油の秘蹟(Extreme Unction)は死を迎えるカトリック教徒が受ける最後の儀式です。死を迎える魂の死への準備。 病死以外の死刑囚が受けられるのは告解と聖体のみ。 時代によって名前や方法が変わるのでF&B時代の方法はちんぷんかんぷん。1970年初期からは[[病者の塗油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_(Catholic_Church)]]になります。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Last_Rites]] &ref(サクラメント_終油.JPG)Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) |BGCOLOR(lightgrey):1|BGCOLOR(lightgrey):[[告解>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament_of_Penance_%28Catholic_Church%29]]|教徒が洗礼後に犯した罪の赦しのために司教・司祭に告白する。いない場合は誰でもオケ。&br()もし罪を犯したままだと地獄や煉獄に行っちゃう。天国に行けない。| |BGCOLOR(lightgrey):2|BGCOLOR(lightgrey):[[終油>http://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_%28Catholic_Church%29]]|教徒に平穏や勇気を与えるために司教・司祭が教徒の体(額や唇など)にオリーブ油や純正植物油を塗る。&br()告解できない教徒はこれで罪の赦しオケ。| |BGCOLOR(lightgrey):3|BGCOLOR(lightgrey):[[聖体>http://en.wikipedia.org/wiki/Viaticum]]|教徒にあの世に旅立つ体力回復、永遠の命を与えるために司教・司祭・助祭・[[臨時奉仕者>http://en.wikipedia.org/wiki/Extraordinary_minister_of_Holy_Communion]]が聖体を与える。&br()聖体を口にできない時は、たぶんワインでもオケ。告解や終油ができなかった教徒にも必ずやる。| #region(close,最後の審判で「永遠の生命」を与えてもらうぞー!) 最後の審判([[公審判>https://en.wikipedia.org/wiki/General_judgment]])は[[キリストの再臨>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Coming]]で「死者を天国と地獄に振り分ける最終的な審判」です。 [[終わりの時>https://en.wikipedia.org/wiki/End_time]]にイエス・キリストが全部の天使と一緒に「キリスト教徒を天へ導き入れるため」に来るの([[終末論>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_eschatology]])。 ちなみに最後の審判の後[[この世>https://en.wikipedia.org/wiki/Cosmos]](The Universe)は[[新天新地>https://en.wikipedia.org/wiki/The_New_Earth]]、[[新しいエルサレム>https://en.wikipedia.org/wiki/New_Jerusalem]]になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Judgment]] &ref(サクラメント_終油(最後の審判).PNG) カトリック教会と英国国教会の「終わりの時」は[[千年王国>https://en.wikipedia.org/wiki/Millenarianism]](無千年王国説)の終わり。千年王国は「しばらくの間」続きます。 もともとの千年王国は1000年([[前千年王国説>https://en.wikipedia.org/wiki/Premillennialism]])。 4世期に神学者[[アウグスティヌス>https://en.wikipedia.org/wiki/Augustine_of_Hippo]]が無千年王国説を体系化して中世で広まります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Amillennialism]] #blockquote(){&u(){&bold(){最後の審判で「永遠の生命」を与えてもらうぞー!}} こちらは超ざっくりな最後の審判への道のり。全部は把握できてないけどなるべくF&B時代のカトリック教会です。 キリスト神学はビシっとルール化してないっぽい。 それにしてもキリスト神学って気絶しそうなくらい小難しい言葉が並んでるなあ。以上、愚痴でした。 &ref(サクラメント_終油(最後の審判:永遠の生命).PNG) |BGCOLOR(lightgrey):[[私審判>https://en.wikipedia.org/wiki/Particular_judgment]]|>|>|・全ての人々が死の直後に審判される「[[神のさばき>https://en.wikipedia.org/wiki/Divine_judgment]]」| |BGCOLOR(lightgrey):[[中間の状態>https://en.wikipedia.org/wiki/Intermediate_state]]|>|>|・私審判した死者の魂が現世で犯した罪を浄化する場所&br()・生きてる人々は葬儀、ミサ、[[死者の日>https://en.wikipedia.org/wiki/All_Souls%27_Day]](万霊節)で死者の魂へ祈り[[レクイエム>https://en.wikipedia.org/wiki/Requiem]]を捧げる| |~|BGCOLOR(lightgrey):[[神の座>https://en.wikipedia.org/wiki/Throne_of_God]]|BGCOLOR(lightgrey):[[天国>https://en.wikipedia.org/wiki/Heaven_(Christianity)]]|・道徳的に[[義しい人生>https://en.wikipedia.org/wiki/Righteousness]](ただしい人生)を送った人の魂が住む場所| |~|BGCOLOR(lightgrey):[[冥界>https://en.wikipedia.org/wiki/Underworld]]|BGCOLOR(lightgrey):[[煉獄>https://en.wikipedia.org/wiki/Purgatory]]|・[[神の恩寵>https://en.wikipedia.org/wiki/Grace_in_Christianity]]は受けてるけど天国に行くにはポイント不足な人生を送った人の魂が住む場所| |~|~|BGCOLOR(lightgrey):[[地獄>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_hell]]|・邪悪な人生(Wickedness)を送った人の魂が住む場所| |~|~|BGCOLOR(lightgrey):[[リンボ>https://en.wikipedia.org/wiki/Limbo]]|・[[原罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Original_sin]]を持ったままの人生(洗礼を受けてない)を送った人の魂が住む場所&br()・リンボは父祖リンボ(洗礼を受けてない大人)と幼児リンボ(〃幼児)の2種類| |BGCOLOR(lightgrey):[[最後の審判>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Judgment]]|>|>|・[[キリストの再臨>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Coming]]で全ての死者の肉体と魂が合体([[死者の復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_the_dead]])&br()・全ての合体死者が審判される「神の絶対的な正義のさばき」「最終かつ永遠の審判」| |BGCOLOR(lightgrey):[[永遠の生命>https://en.wikipedia.org/wiki/Eternal_life_(Christianity)]]|>|>|・最後の審判した合体死者が永遠に住む場所([[あの世>https://en.wikipedia.org/wiki/Afterlife]])&br()・合体死者は神様が「死者の復活」で腐敗しない生命(Incorruptible life)を肉体に与えた永遠対応型に改造済み| |~|BGCOLOR(lightgrey):神の座|BGCOLOR(lightgrey):天国|・天国と煉獄にいた人が行く「永遠の幸福(Everlasting bliss)」の場所&br()・キリスト教徒じゃなくても義しい人も行けるっぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):冥界|BGCOLOR(lightgrey):地獄|・地獄にいた人が行く「永遠の責め苦(Everlasting condemnation)」の場所&br()・hellの別名がhell fireってくらい「地獄の火」に責められて苦しむ| ・&bold(){中間の状態}は「死んだら最後の審判までどこにいるの?」で中世に誕生した場所。聖書の解釈で誕生したから「罪を浄化する火(cleansing fire)」の有無とかで悩んでるっぽい。[[トリエント公会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]](1545-1563年)は「難解な問題はこれ以上議論しませーん!司教も説教で触れちゃダメダメ!だが中間の状態はある!」と決定します。 ・&bold(){リンボ}は聖書には書かれてないキリスト神学上の仮説の場所。最後の審判でどうなっちゃうかは明言されてません。 ・&bold(){最後の審判}は「最終かつ永遠の審判」だけど多くのキリスト神学が「最後の審判で天国に行った合体死者は&bold(){新天新地}へ帰る」と考えてます。F&B時代も考えてるかは分かりませんでした。 ・ちなみに中世は&bold(){中間の状態}で地獄に行っても&bold(){最後の審判}で天国に行くチャンスがありました。だから「コレを買えば貴方も死者も魂が地獄の苦しみから解放されます♥」の贖宥状がビシバシ売れたの。 } #blockquote(){&u(){&bold(){「望みの洗礼」でリンボを回避}} 「望みの洗礼」は洗礼を受けたかったけど受ける前に亡くなった人の[[救済>https://en.wikipedia.org/wiki/Salvation]]です。洗礼を受けた人と同じになるの。 中世は「望みの洗礼」の有効性で悩んでるっぽい。 [[ドゥエ=ランス聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Douay%E2%80%93Rheims_Bible]](1582年)はヨハネによる福音書3章5節に「望みの洗と血の洗礼([[殉教>https://en.wikipedia.org/wiki/Martyr]])礼は有効」と注釈してます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism_of_desire]] &ref(サクラメント_終油(最後の審判:望みの洗礼).JPG)マタイによる福音書21章(1582年:ドゥエ=ランス聖書) ドゥエ=ランス聖書は[[イングランド神学校>https://en.wikipedia.org/wiki/English_College,_Douai]]([[ドゥエー>https://en.wikipedia.org/wiki/Douai]])のイングランド人が英語に翻訳した聖書です。 } #endregion #region(close,どんな人が地獄へいくの?) 小難しいキリスト神学にウンザリ。ってことで、こちらは[[ウィリアム・シェイクスピア>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]著「[[ハムレット>https://en.wikipedia.org/wiki/Hamlet]]」(1599-1602年)です。 第3幕-第3場(城内の一室)のハムレットのセリフ。 ハムレットは「父親を殺した叔父クローディアスをどうやって地獄へ落とそうか!?」とモンモン中。 叔父クローディアスも「俺は兄弟殺しの罪で地獄行きかも!ヤバイくない?」とモンモン中。 モンモンの詳細は[[旅の途中で、シェイクスピア、イエス伝、法華経、阿弥陀経、十月の詩>http://www.james.3zoku.com/index.html]]さんをどうぞ。神学より分かりやすい♥ |&ref(サクラメント_終油(地獄).JPG)|今が絶好の機会だ。しかし、今あいつ(叔父)は祈っている。&br()今おれ(ハムレット)が殺る。あいつは天国へ行く。おれは復讐を果たした。&br()これはちょっと変だぞ、もっと考えなきゃ。&br()悪党が父を殺す、&br()一人息子のおれが、報復のために、その悪党を天国へ送る。&br()これじゃ人殺しの褒美に天国へ送るようなもんだ、復讐ではない。&br()あいつは、罪障消滅する間も与えず、父を殺したのだ、&br()断食もせず、五月の木々が芽吹くように、今が盛りの罪をいっぱいつけたまま。&br()父のあの世の清算はどうなるのだろう。&br()しかしこの世のあれやこれやを考えれば、父の罪の負債は重たいはずだ。&br()そしておれは、あいつが魂を清めているときに殺すのだ、&br()まさにあの世への旅路に相応しく。&br()だめだ。&br()剣をおさめろ、そしてもっと罪深い機会をとらえるのだ、&br()酔っ払って眠っているとか、怒り狂っているとか、&br()近親相姦のベッドで快楽をむさぼっているとか 、&br()賭けに興じているとか、汚い言葉でののしっているとか、&br()救いのかけらもないときに殺るのだ。&br()そうしてあいつをつまづかせ、あいつが天国を蹴飛ばして&br()呪われた黒い地獄へ落ちるようにしてやる。&br()母が待っている。奴の祈りは、苦しむ日々を長引かせるだけだ。| #blockquote(){&u(){&bold(){地獄への道のりってどんな感じ?}} こちらは[[Hieronymus Bosch>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[The Seven Deadly Sins and the Four Last Things>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things]]:七つの大罪と四終」(1500年頃)です。 聖職者がベットで死を迎える罪人に終油の秘蹟を実施中。 後では天使と悪魔が罪人の魂を計測中。 なんで罪人がロウソクを握ってるのかは分かりませんでした。いくつかチェックしたけどそーゆー画は少ないっぽい。 &ref(サクラメント_終油(地獄_七つの大罪と四終).JPG)F&B時代は王フェリペ2世が[[エル・エスコリアル修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]]に所蔵 こちらは[[El Greco>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Greco]]画「[[The Burial of the Count of Orgaz>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Burial_of_the_Count_of_Orgaz]]:オルガス伯の埋葬」(1586-1588年)です。 埋葬されてるのは13世紀[[オルガス>https://en.wikipedia.org/wiki/Orgaz]](トレド)の最有力者[[ドン・ゴンサロ・ルイス・デ・トレド>https://es.wikipedia.org/wiki/Gonzalo_Ruiz_de_Toledo]](1323年没)。 伝説によると[[聖ステファノ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Stephen]]と[[聖アウグスティヌス>https://en.wikipedia.org/wiki/Augustine_of_Hippo]]が降臨して埋葬をお手伝い。 後の参列者はトレド協会(Toledan society)の主要メンバー。 当時の貴族には「街の著名な貴族の埋葬を手伝うべし」の慣習がありました。上部はオルガス伯を迎える[[楽園>https://en.wikipedia.org/wiki/Paradise]](≒天国)。 &ref(サクラメント_終油(地獄_オルガス伯の埋葬).JPG)F&B時代は[[サント・トメ教会>https://es.wikipedia.org/wiki/Iglesia_de_Santo_Tom%C3%A9_(Toledo)]]に所蔵(庶民に公開) こちらはHieronymus Bosch画「[[The Harrowing of Hell>https://en.wikipedia.org/wiki/Harrowing_of_Hell]]:地獄の征服」(16世紀)です。出所が不確かな作品。 [[キリストの磔刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]と[[復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_Jesus]]の間にキリストが地獄にいる「義しい人」を救済中。 この画には「キリストが行ったのは地獄じゃなくて実はリンボ([[ニコデモによる福音>https://en.wikipedia.org/wiki/Harrowing_of_Hell]])」など別バージョンもあります。 &ref(サクラメント_終油(地獄_地獄の征服).JPG) こちらは[[Hans Memling>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Memling]]画「[[The Last Judgment>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Judgment_(Memling)]]:最後の審判」(1467-1471年)です。 [[メディチ銀行>https://en.wikipedia.org/wiki/Medici_Bank]]([[ブルッヘ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bruges]]支店)の依頼で描いたけど、納品中に[[グダニスク>https://en.wikipedia.org/wiki/Gda%C5%84sk]]の私略船[[Paul Beneke>https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Beneke]]に強奪されちゃった作品。 もっちろんブルッヘ支店は[[ハンザ同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/Hanseatic_League]]で訴訟を開始…ちなみに21世紀は[[グダニスク国立博物館>https://en.wikipedia.org/wiki/National_Museum,_Gda%C5%84sk]]に展示中。 中央は天使[[ミカエル>https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_(archangel)]]がブルッヘ支店長[[Tommaso Portinari>https://en.wikipedia.org/wiki/Tommaso_Portinari]]の魂を天秤で判定中。 左側は使徒[[ペトロ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Peter]]と天使に誘導されて天国に行くハダカの人達。右側は地獄で[[天罰>https://en.wikipedia.org/wiki/Damnation]]を受けるハダカの人達です。 &ref(サクラメント_終油(地獄_最後の審判).JPG)F&B時代は[[聖マリア教会>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Mary%27s_Church,_Gda%C5%84sk]](グダニスク)に所蔵 こちらは[[Sandro Botticelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Sandro_Botticelli]]画「Chart of Hell:地獄の見取り図」(1480-1490年)です。 [[ダンテ・アリギエーリ>https://en.wikipedia.org/wiki/Dante_Alighieri]]著「[[神曲>http://en.wikipedia.org/wiki/Divine_Comedy]]」(1320年)の挿絵。 リンボは第1圏、異端者は第6圏、BLは第7圏、キリストを裏切った[[イスカリオテのユダ>https://en.wikipedia.org/wiki/Judas_Iscariot]]は第9圏で永遠に苦しんでます。 &ref(サクラメント_終油(地獄_地獄の図).JPG) } #endregion *大斎日(カ:だいさい、英:たいさい)と小斎日(しょうさい) 大斎と小斎は食べる量を減らす日です。元ネタは[[初代教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Early_Christianity]]の水曜日と金曜日の断食。 神様への集中(spiritual focus)、自身への鍛錬(self discipline)、[[神様の模倣>http://en.wikipedia.org/wiki/Imitation_of_Christ]]、罪のゆるし(performing penance)をするためのもの。 21世紀もカトリック教徒は金曜日に[[魚フライ>https://en.wikipedia.org/wiki/Fish_fry]]を食べる習慣があります。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Fasting_and_abstinence_in_the_Roman_Catholic_Church]] &ref(大斎日と小斎日.JPG)[[Daniele Crespi>https://it.wikipedia.org/wiki/Daniele_Crespi]]画「The Fasting of St. Charles:[[聖カルロ・ボッロメーオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Borromeo]]の大斎日」(1625年頃:イタリア) |BGCOLOR(lightgrey):大斎日|[[断食>http://en.wikipedia.org/wiki/Fasting]]の日。1日に1回十分な食事を摂って、あとの2食は少ない量に抑える。| |BGCOLOR(lightgrey):小斎日|[[禁欲>http://en.wikipedia.org/wiki/Abstinence]]の日。鳥獣の肉、卵(16世紀はお肉ってジャンルなの)、乳製品を食べないようにする。お魚は食べてもいい。| #region(close,修道院の小斎日ってどんな感じ?) こちらは復活祭前の木曜日です。 明日は小斎日だからお肉を食べちゃダメダメ!ってことで、[[フランシスコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Franciscan]]修道士が修道院の養魚池でお魚釣ってるトコ。 &ref(大斎日と小斎日(修道院:Thursday).JPG)[[Walter Dendy Sadler>http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Dendy_Sadler]]画「Thursday:Tomorrow will be friday」(1880年:イギリス) こちらは「Thursday:Tomorrow will be friday」の姉妹編。お肉を食べちゃダメダメ!な小斎日の金曜日です。 [[ドミニコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]修道士がご招待したフランシスコ会修道士と一緒に夕食してるトコ。 お夕飯のメニューは大きな画を見てこんな感じ?と書いたものなので間違っちゃってるかもしれません。 &ref(大斎日と小斎日(修道院:friday).JPG)Walter Dendy Sadler画「Friday」(1882年:イギリス) 小斎の食事が豪華でビックリ。ちなみにWalterさんはこんなコトを言ってたそうです。 &italic(){&color(silver){I can recall no reason why I tried to paint monks, but I do remember that I never had a real monk as a model. I have studied them on the Continent, also at a small monastery at Crawley, in Sussex.}} &italic(){&color(silver){描こうと思った理由は忘れちゃったけど、モデルになる本物の修道士がぜーんぜんいなかったのは覚えてます。しょーがないから大陸やクローリー(イギリス)の小さな修道院の修道士を参考にしましたよ。}} ~[[Garden of Praise>http://gardenofpraise.com/index.htm]](Friday by W. Dendy Sadler)さんより~ #endregion **年間スケジュール 全部は把握できてないけどなるべくF&B時代の開催日、なるべくカトリック教会の名称です。 英国国教会は調べてる途中で力尽きたorz 年中やってるのは16世紀の食料事情もあるようです。あと7歳以下の子供、病人、体力が必要な仕事、学生、旅行者は免除かも。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール.PNG) |BGCOLOR(lightgrey):[[四旬節>http://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]|キリスト教徒の最重要日[[▲復活祭>http://en.wikipedia.org/wiki/Easter]]までの46日間。復活祭は1587年は3月29日、1588年は4月17日です。| |BGCOLOR(lightgrey):[[祈願節>http://en.wikipedia.org/wiki/Rogation_days]]|[[▲昇天日>http://en.wikipedia.org/wiki/Ascension_Day]](木曜日)までの3日間。祈願節 は年に4回あるみたいだけど、よく分からなかったです。| |BGCOLOR(lightgrey):[[待降節(アドベント)>http://en.wikipedia.org/wiki/Advent]]|[[▲クリスマス>http://en.wikipedia.org/wiki/Christmas]]までの4週間。日曜日から始まる。| |BGCOLOR(lightgrey):[[四季の斎日>http://en.wikipedia.org/wiki/Ember_days]]|・冬…待降節の第3日曜日からの一週間。&br()・春…四旬節の第1日曜日からの一週間。&br()・夏…[[▲聖霊降臨祭>http://en.wikipedia.org/wiki/Pentecost]](神様の聖霊が降ってきた出来事)から[[▲三位一体の祝日?>http://en.wikipedia.org/wiki/Trinity_Sunday]](日曜日)までの一週間。&br()・秋…[[▲十字架称賛祝日>http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Cross_Day]](処刑に使った十字架が発見された出来事)の後の日曜日からの一週間。| |BGCOLOR(lightgrey):重要な[[ビジリア>http://en.wikipedia.org/wiki/Vigil]]|・▲聖霊降臨祭の前の土曜日。&br()・[[▲諸聖人の日>http://en.wikipedia.org/wiki/All_Saints%27_Day]](すべての聖人と殉教者を記念)の前夜10月31日。&br()・▲クリスマス・イブの12月24日。 などなど。| #region(close,とっても大変な四旬節) [[四旬節>https://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]は[[灰の水曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Ash_Wednesday]]から[[復活祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter]]の前日までの6週間祈りを通して[[償い>https://en.wikipedia.org/wiki/Penance]]、[[悔い改め>https://en.wikipedia.org/wiki/Repentance_(Christianity)]]、[[慈善>https://en.wikipedia.org/wiki/Alms]]、[[贖い>https://en.wikipedia.org/wiki/Atonement_in_Christianity]]、[[禁欲>https://en.wikipedia.org/wiki/Ascetical_theology]]を準備する期間です。 皆さんでイエス・キリストが[[40日断食しながら荒野をウロウロして悪魔の誘惑に耐えた>https://en.wikipedia.org/wiki/Temptation_of_Christ]]を体験。 多くのカトリック教会は祭壇の花飾りを取り除いて、[[十字架像>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifix]]などの装飾品は紫色の布(violet fabric)で覆い隠します。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節).JPG)[[Pieter Bruegel the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「[[謝肉祭と四旬節の喧嘩>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Fight_Between_Carnival_and_Lent]]」(1559年) こちらはネーデルラント南部の「左側:いっぱい食べる[[謝肉祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Carnival]]」と謝肉祭の後に始まる「右側:いっぱい節制する[[四旬節>https://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]」です。 下側では謝肉祭と四旬節の擬人像が戦闘中。 謝肉祭で肉を売り尽くした肉屋のオヤジは、四旬節になると店を閉めて牛を仕入れに田園地方へ旅行するそうです。 #blockquote(){&u(){&bold(){四旬節の伝統料理}} ・謝肉祭の擬人像…ビア樽に乗った肉屋のオヤジ。頭にミートパイ。手に豚・鳥・ソーセージが刺さった串。 ・四旬節の擬人像…椅子に座った&tooltip(サラコスティ夫人){Lady Lent (Kyra Sarakosti)。この人は修道女の服を着た男。21世紀は7本足の紙人形やクッキーで四旬節の毎週日曜日に足を1本抜く。オーソドックスの習慣なのかも?}。手にニシンが乗ったシャモジ。台車には四旬節の伝統料理[[プレッツェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Pretzel]]、[[ワッフル>https://en.wikipedia.org/wiki/Waffle]]、[[ムール貝>https://en.wikipedia.org/wiki/Mussel]]。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:伝統料理).JPG)Pieter Bruegel the Elder画「謝肉祭と四旬節の喧嘩」(1559年) カトリック教会では四旬節の間にラード、乳製品(ミルクやバターなど)、タマゴ…を食べちゃダメダメです。 ってことで、小麦粉と水で作る簡単な焼き菓子プレッツェルならオケ。 結び目の形は「[[お祈り>https://en.wikipedia.org/wiki/Prayer]]の手」を表現してると言われてます。ワッフルとムール貝の理由は分かりませんでした。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Pretzel]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:伝統料理2).JPG) 右側:[[Pieter Brueghel the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Younger]]画「Battle of Carnival and Lent」(時代不明) 左側:[[Hieronymus Wierix>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Wierix]]画「P. Franciscus Xavierius...invexit」(1619年以前) } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドの「ホカホカの十字パン」}} イングランドでは[[聖金曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Friday]]に十字パンを食べます。[[懺悔の火曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Shrove_Tuesday]](パンケーキ・デイ)から十字パンを焼くの。 パンに上に生地やナイフ(21世紀はチョコやクリーム)で十字の印。 1592年女王エリザベス1世は「ロンドンの市場で十字パンの販売は聖金曜日・クリスマス・[[埋葬>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_burial]]だけオケ」と命令します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hot_cross_bun]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:十字パン).JPG) 十字パンの最初の記録はこちらの[[書籍出版業組合>https://en.wikipedia.org/wiki/Worshipful_Company_of_Stationers_and_Newspaper_Makers]]出版「[[貧しいロビンの暦>https://en.wikipedia.org/wiki/Poor_Robin]]」(1733年:イングランド)です。 スパイスの効いた[[生活暦>https://en.wikipedia.org/wiki/Almanac]]の本。 この歌が進化したマザーグースの「[[ホカホカの十字パン>https://en.wikipedia.org/wiki/Hot_Cross_Buns]]」の方が有名かも。F&B時代はおいくらなんでしょね? &italic(){&color(silver){Good Friday comes this month, 聖金曜日が始まったよ}} &italic(){&color(silver){the old woman runs. 老婆が声を張る}} &italic(){&color(silver){With one or two a penny hot cross buns 1つでも2つでも1ペニーのホカホカの十字パン♪}} &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:十字パン2).JPG) 左側:パンケーキ・レース(1951年:オルニー) 右側:中世の暴走サッカー ちなみに「懺悔の火曜日(パンケーキ・デイ)」はイングランド各地でパンケーキ・レース(Pancake race)を開催します。 最初の開催は1445年[[オルニー>https://en.wikipedia.org/wiki/Olney,_Buckinghamshire]](バッキンガムシャー)。 パンケーキ焼きで大忙しの奥様が教会の鐘を聞いて「あら!11時だわ!」とプライパンを持ったまま教会へ走るレースです。 9~12世紀の「懺悔の火曜日」はお昼ご飯を食べ終わった若者が[[暴走サッカー>https://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_football]](Mob football)を開催してます。 16世紀になると冬のバイオレンスなスポーツへ。 試合中の打撲や骨折、暴動もアリ。王ヘンリー8世が1526年ビロードや革製のサッカーシューズを注文した記録があります。 } #endregion #region(close,四旬節が終わった!復活祭のイースター・エッグだ!) 復活祭(イースター)は[[処刑されたイエス・キリスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]が3日目に[[復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_Jesus]]したことを記念・記憶するお祝いです。 死人が生き返って皆さんビックリ中。 復活したイエス・キリストは弟子達の前に登場したりしばらく地上をウロウロして[[天に昇り>https://en.wikipedia.org/wiki/Ascension_of_Jesus]]ます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(イースター・エッグ).JPG)[[Sebastiano Ricci>https://en.wikipedia.org/wiki/Sebastiano_Ricci]]画「The Resurrection」(1715-16年頃) 四旬節が終わった復活祭の朝は「復活祭だ!春が来た!」のお祝いにプレッツェルを隠す習慣がありました。 禁止のタマゴも食べられるぜ! タマゴは「豊かと再生」の象徴です。四旬節の間にニワトリが生んで貯まったタマゴを腐る前に一気に消費できて一石二鳥。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter_egg]] #blockquote(){&u(){&bold(){スペインの伝統料理「オルナソ」}} オルナソはスペインの[[サラマンカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Salamanca]]や[[アビラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Province_of_%C3%81vila]]で復活祭のお祭り「[[Lunes de aguas>https://es.wikipedia.org/wiki/Lunes_de_aguas]]:川の月曜日?」に食べるミートパイです。 他の地域では甘いパンもあり。 どちらも固ゆでタマゴを使ってます。四旬節の間は貯まったタマゴを「固ゆでタマゴ」にして保存してたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hornazo]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(イースター・エッグ:スペイン).JPG) 左側:ミートパイのオルナソ(中身は固ゆでタマゴ、ベーコン、チョリソー) 右側:甘いパンのオルナソ 不思議なお名前「Lunes de aguas」の由来は「enagua:ねじれ」「[[ペティコート>https://en.wikipedia.org/wiki/Petticoat]]:街の[[売春婦>https://en.wikipedia.org/wiki/Prostitution]]がドレスの下に着用」です。 神聖な四旬節の間は男性を惑わせる売春も禁止。 サラマンカにいた王フェリペ2世は「売春婦はトルメス川の向こう岸へ行け。復活祭になったら街へ戻ってオケ」と命令。 復活祭で売春婦との再会に喜んだ人達がトルメス川へ飛び込んだそうです。 } #endregion #region(close,イエス・キリストの誕生だ!公現祭のロスコだ!(残酷な画があるのでご注意下さい)) 公現祭は「東方三博士の礼拝」のお祝いです。元ネタは[[東方教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Eastern_Christianity]]の[[イエスの洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism_of_Jesus]](ユリウス暦:1月6日)のお祝いっぽい。 洗礼が公現祭になった理由は昔過ぎて謎だけど、361年には公現祭を祝った記録アリ。 こちらの絵画の主題は「The King Drinks and As the Old Sing, So Pipe the Young.:王様は飲み、老人は歌い、若人は奏でる」です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Epiphany_(holiday)]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭).JPG)[[Jacob Jordaens>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Jordaens]]画「The King Drinks」(1640年頃:アントワープ) 16世紀の公現祭は1月6~13日の「8日間([[オクターヴ>https://en.wikipedia.org/wiki/Octave_(liturgical)]])飲めや歌えや(The Octave of Epiphany)」のお祝いです。 カトリック教会は1955年、英国国教会は1976年に「8日間」を廃止。 なんやかんやで21世紀は「1月6日辺りの日曜日だけ飲めや歌えや(The Epiphany of the Lord)」のお祝いになります。 #blockquote(){&u(){&bold(){「東方三博士の礼拝」ってなに?}} &italic(){&color(silver){イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 (中略) 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。 ~マタイによる福音書2章1-11節~}} &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:東方三博士の礼拝).JPG)[[El Greco>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Greco]]画「Adoración de los Reyes Magos:東方三博士の礼拝」(1568年) 「東方三博士の礼拝」は[[星の出現>https://en.wikipedia.org/wiki/Star_of_Bethlehem]]でイエス・キリストの誕生を知った[[マギ>https://en.wikipedia.org/wiki/Magi]](賢者・王様)がお祝いに行くエピソードです。 マギは[[メルキオール>https://en.wikipedia.org/wiki/Melchior_(Magi)]](アラビア)、[[カスパール>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Caspar]](アジア)、[[バルタザール>https://en.wikipedia.org/wiki/Balthazar_(Magi)]](アフリカ)の3人。 スペインではカッコの地区の代表マギと信じられてます。マギはイエスを拝んで[[乳香>https://en.wikipedia.org/wiki/Frankincense]]・[[没薬>https://en.wikipedia.org/wiki/Myrrh]]・黄金をプレゼント。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Biblical_Magi]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:東方三博士の礼拝2).JPG)[[Matteo di Giovanni>https://en.wikipedia.org/wiki/Matteo_di_Giovanni]]画「Massacre of the Innocents」(1488年) 実はマギが「王様になる赤ちゃんはどこ?どこ?どこなのよ?」と聞き込みしてるのを[[ヘロデ王>https://en.wikipedia.org/wiki/Herod_the_Great]]が耳にしちゃってました。 ってことで、ヘロデ王は「赤ちゃんが自分の地位を揺るがしかねない!」と2歳以下の男児を殺害。 マギのせいでとんでもない展開に…賢者というよりアホアホ?ちなみにイエス・キリストはエジプトへ逃げたので無事です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Massacre_of_the_Innocents]] } #blockquote(){&u(){&bold(){スペインの王様のケーキ「王様のロスコ:Roscón de Reyes」}} スペインでは1月5日の夜、3人の王様(Reyes Magos)からのプレゼントを受け取る靴を磨いて置いておく伝統があります。 王様が乗るラクダのゴハン(干し草とお水)もご一緒に準備。 朝起きるとゴハンはカラッポになって靴の下にプレゼントが♥ 悪い子のプレゼントは炭菓子[[Carbón dulce>https://es.wikipedia.org/wiki/Carb%C3%B3n_dulce]]。21世紀は公現祭だけでなくクリスマスもプレゼントを貰うようになります。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:ロスコ).JPG) カトリック教会は1月6日王様が来たお祝いに[[王様のケーキ>https://en.wikipedia.org/wiki/King_cake]]を食べます。スペインは冠の形をした「王様のロスコ」。 ロスコの中に「ヘロデ王から赤ちゃんイエス・キリストを逃がす」の伝統で乾燥[[ソラ豆>https://en.wikipedia.org/wiki/Vicia_faba]]や人形を隠す。 ソラ豆が当たった人は来年のロスコまたはパーティー費用を負担。 人形が当たった人は祝福されてパーティーの王様に任命。人形は2月2日[[聖燭祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Presentation_of_Jesus_at_the_Temple]]にご近所の教会に納めなくちゃいけません。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Rosca_de_reyes]] } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドの王様のケーキ「十二夜のケーキ:Twelfth Cake」}} 十二夜はクリスマス・シーズン([[クリスマス~公現際の12日>https://en.wikipedia.org/wiki/Twelve_Days_of_Christmas]])の終わりです。 元ネタはケルトの[[サウィン>https://en.wikipedia.org/wiki/Samhain]](収穫期が終わり冬(Darker half)が始まる)や古代ローマの[[サートゥルナリア祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Saturnalia]](農神祭)。 日常は「[[逆さまの世界>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_Misrule]]」になって午前0時なると日常へ戻ります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Twelfth_Night_(holiday)]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:イングランド).JPG) 左側:「逆さまの世界」で狩猟犬にまたがる得意げなウサギ(中世:The Friary House([[Derby Blackfriars>https://en.wikipedia.org/wiki/Derby_Blackfriars]])のタイル) 右側:ワセイル 16世紀の英国国教会は1月5日(ユリウス暦:1月17日)に[[豆>https://en.wikipedia.org/wiki/Bean]]を隠した王様のケーキ「十二夜のケーキ」を食べます。 豆が当たった人が豪華な食事を支配。 暖かい[[蜂蜜酒>https://en.wikipedia.org/wiki/Mead]](蜂蜜入り[[エール>https://en.wikipedia.org/wiki/Ale]])に焼きリンゴを漬けた[[ワセイル>https://en.wikipedia.org/wiki/Wassail]]([[フルーツポンチ>https://en.wikipedia.org/wiki/Punch_(drink)]]の1つ)もご一緒にどうぞ。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:イングランド2).JPG)[[Pieter Bruegel the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「The Festival of Fools」(1570年頃:ネーデルラント) 「逆さまの世界」では[[愚者の饗宴>https://en.wikipedia.org/wiki/Feast_of_Fools]]を開催してお百姓さん達から選ばれた[[無礼講の王>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_Misrule]]をおもてなしします。 [[Philip Stubbes>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Stubbs]]著「Anatomie of Abuses:悪弊の解剖」(1583年)によるとこんな感じ。 Google先生は古英語が苦手っぽいので、C. L . バーバー著「シェイクスピアの祝祭喜(玉泉八州男訳)」を引用しました。 &italic(){&color(silver){まず初めに, 教区の気違い野郎どもは, 集まると, 彼らが「無礼講の王(=Lord of Misrule)」の尊称を奉っている(悪事百般の) 頭領(=grand captain (of mischief))を選びだし, 恭々しくその男に王冠を冠せ, 彼らの王に認ずる。}} &italic(){&color(silver){この油塗られた王は, 自分と同じ屈強な若者(=lusty guts)を二十人か四十人, または八十人か百人選び, 王権にかしずかせ, 高貴な身である自らの身辺の護衛に当たらせる。}} &italic(){&color(silver){そして,その従者の一人一人に, 緑か黄かまたは他の明るい淫りがましい色のお仕着せを与える。}} &italic(){&color(silver){しかし, それだけでは充分に(淫らでも) 派手すぎもしないとでもいいたげに, 彼らはスカーフを巻いたりリボンをつけたりレースを身に纒ったりし, そこに金環, 貴石その他の宝石類をびっちりぶらさげる。}} &italic(){&color(silver){(中略)}} &italic(){&color(silver){それですっかり身仕度が整うと, 彼らは木馬や龍やその他古めかしいものをもちだし, みだらな楽を奏でる笛吹き男や耳をつんざかんばかりの音を打ちならす鼓手に合図すると, 忌わしいダンスを開始する。}} &italic(){&color(silver){それから,教会やその敷地内へ向けて, これらのばち当たりどもは行進していく。}} &italic(){&color(silver){ブーブー, ドンドン楽器をならし, ハタハタ, ジャンジャン, 足を踏みならすやら鈴をならすやら, 騒々しい限りである。}} &italic(){&color(silver){おまけに気違いのように頭の回りに巻いたハンカチを風に扉かせながら, その雑踏の中で木馬やその他の怪物どもに小ぜりあいをやらせる。}} &italic(){&color(silver){そういう調子で奴らは( こともあろうに) 教会まで押しかけ, (牧師が祈祷や説教中というのに) 踊りながら閣入し, 教会の中で悪魔よろしく頭上でハンカチを振りまわし, 嬌声を発する。}} &italic(){&color(silver){ために牧師の声がかき消されてしまう始末である。そして, 間抜けづらをしたり, 人をにらみつけたり笑ったりからかったり, あまつさえベンチや座席の上に飛び上がったりして, かかる結構な見せものを荘厳なものに化そうとするのである。}} } #endregion *スペイン異端審問 スペイン異端審問はスペイン、スペインの領土、スペインの植民地で[[異端>https://en.wikipedia.org/wiki/Heresy_in_Christianity]]の容疑者を裁判するカトリック教会のシステムです。 1478年[[カトリック両王>https://en.wikipedia.org/wiki/Catholic_Monarchs]]がユダヤ教徒とイスラム教徒を確実に改宗させるために設立。 最後の処刑は1826年[[理神論>https://en.wikipedia.org/wiki/Deism]]を唱えた教師[[Cayetano Ripoll>https://en.wikipedia.org/wiki/Cayetano_Ripoll]]。ヨーロッパ中から「時代遅れ」とドン引きされて1834年廃止します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Inquisition]] &ref(スペイン異端審問.jpg)González de Montes, Raimundo著「Sanctae Inquisitionis Hispanicae artes aliquot detectae, ac palam traductae. English」(1569年) #region(close,スペイン異端審問の組織) スペイン異端審問は検邪聖省(Santo Oficio)の管轄です。王様が[[異端審問官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Grand_Inquisitor]]を指名(=王様が主導できる裁判ってコト)。 異端審問官長はメンバー6-10人の[[スプレマ(最高異端審問会議)>https://es.wikipedia.org/wiki/Consejo_de_la_Suprema_Inquisici%C3%B3n]]を統轄。 その下に宗教裁判所。最初は「必要な時に必要な場所で開催」だったけどセビリア、コルドバ、…と常設の宗教裁判所になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Inquisition]] &ref(スペイン異端審問(組織).jpg)The districts of the Spanish Inquisition, 1570–1820 #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン異端審問の構成}} 宗教裁判所を仕切る[[異端審問官>https://en.wikipedia.org/wiki/Inquisitor]]はほとんどが[[教区の聖職者>https://en.wikipedia.org/wiki/Secular_clergy]]([[修道会>https://en.wikipedia.org/wiki/Religious_order]]に属さない)。神学者より法学者が多く選ばれました。 任期アリ(バレンシア宗教裁判所で平均2年)。 ちなみに1608年王フェリペ3世(王フェリペ2世の息子)は「異端審問官は全員法律経験者じゃないとダメダメ」にします。 &ref(スペイン異端審問(組織:構成).png)Structure of the Spanish Inquisition(日本語は超テキトー) 初期の宗教裁判所は2人の異端審問官と検察官(Fiscal)、調査官(Calificador)、獄吏官(Alguacil)で構成されてました。 その後どーんどん大きくなったの。 お名前だけではサッパリ分からないこちらの2つは検邪聖省の外部協力者です。任期ナシなんだって。 ・[[ファミリアル(Familiares)>https://es.wikipedia.org/wiki/Familiar_de_la_Inquisici%C3%B3n]]…もともとは[[中世の異端審問>https://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_Inquisition]]の情報提供者。「[[血の純化>https://en.wikipedia.org/wiki/Limpieza_de_sangre]]」と呼ばれる名誉職で特権「異端審問の被告になりません」を貰えるから皆さんに大人気。 ・[[コミサリオ(Comisarios)>https://es.wikipedia.org/wiki/Comisario_del_Santo_Oficio]]…もともとは「必要な時に必要な場所で開催」だった宗教裁判所の最高責任者?たまに検邪聖省に協力する修道会の皆さん。 } #endregion #region(close,スペイン異端審問の流れ) 裁判ってドラマしか知らないけどスペイン異端審問は21世紀の裁判とぜーんぜん違うなぁって思いました。 被告の権利なんてナシっぽい。 ちなみに日本国憲法は「36条:拷問、残虐刑の禁止」「37条:刑事被告人の権利」「39条:一事不再理」を保証してます。ほー! &ref(スペイン異端審問(流れ).jpg)21世紀日本の刑事裁判の流れ([[平哲也 法律事務所>http://ttlo.jp/]]さんより) #blockquote(){&u(){&bold(){1.告発}} 日曜日のミサで[[異端審問官>https://en.wikipedia.org/wiki/Inquisitor]]が宗教裁判所に提出された告発状「[[Edicto de gracia>https://es.wikipedia.org/wiki/Edicto_de_gracia]]」を読み上げます([[公然たる非難>https://en.wikipedia.org/wiki/Denunciation]])。 被告には教会と和解する30-40日の[[猶予期間>https://en.wikipedia.org/wiki/Grace_period]]があるの。 この期間にほとんどの被告が自発的に出頭。宗教裁判所は出頭した被告に「別の異端者」のタレコミを推奨します。 1500年頃から告発状Edicto de graciaは猶予期間ナシの告発状「[[Edicto de fe>https://es.wikipedia.org/wiki/Edicto_de_fe]]」に代わります。 告発は匿名でオケ。 被告にナイショで告発できるぜ!ってことで、個人的な嫉妬、恨み、…のニセ告発が多発しちゃいます。 &ref(スペイン異端審問(流れ:1.告発).jpg)Edicto de gracia inquisitorial dictado en 1524 告発は異教徒だけじゃなく[[ウィッチクラフト>https://en.wikipedia.org/wiki/Witchcraft]]、[[冒涜(ぼうとく)>https://en.wikipedia.org/wiki/Blasphemy]]、[[重婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Bigamy]]、[[ソドミー>https://en.wikipedia.org/wiki/Sodomy]]、[[フリーメイソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Freemasonry]]も対象者です。 ちなみにソドミーの割合は聖職者19%、貴族6%、労働者37%、使用人19%、兵士と水夫18%。 レイプや12歳未満の被告は無罪になるチャンスアリ。若者なら軽い刑罰、25歳以上の被告はほぼ死刑でございます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){2.勾留}} 調査官(calificadores)が「被告は異教徒か?キリスト教徒か?」を調査します。たいていの調査官は神学者が担当。 調査開始に被告が数年待たされる場合もアリ。 勾留費や調査費は宗教裁判所が差し止め(≒没収)た被告の財産から支払われます。異端審問ってお金が掛かるの。 &ref(スペイン異端審問(流れ:2.勾留).jpg)[[Museo de la Inquisición y del Congreso>https://es.wikipedia.org/wiki/Museo_de_la_Inquisici%C3%B3n_y_del_Congreso]](ペルー) 被告は告発内容を知らないまま勾留されます。勾留中はミサへの参加も[[サクラメント>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament]]を受けるのも禁止でとーっても孤独。 ちなみに異端審問の進行状況も非公開。 なのもかもナイショじゃ被告は裁判の準備なんてムリよねー。被告のお世話は看守官(alcaide)が担当します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){3.審議}} 告発者と被告が証言します。この段階でやっと付いた被告の弁護士は「正直に話しなさい」とアドバイスするだけ。 超ピンチな状況で被告が身を守る方法はこちら。 ・非難証言(proceso de tachas)…告発者や証人が個人的な嫉妬、恨み、…のニセ告発したコトを証明する。 ・保証証言(proceso de abonos)…被告に有利な証人を見つける。 ・間接証言(proceso de indirectas)…告発状を論破できる証人を見つける。 異端審問は被告の証言(=自白)に拷問もご利用します。 H. C. Lea著「García Cárcel」(1976年)によると1575-1610年トレド異端審問は1/3に拷問をご利用したんだって。 被告の拷問は腕の良い強制執行官(alguacil)が担当します。 &ref(スペイン異端審問(流れ:3.裁判).jpg)作者不明「[[Galileo Galilei>https://en.wikipedia.org/wiki/Galileo_Galilei]] at his trial at the Inquisition in Rome in 1633」 [[レクサシオン(不服申し立て)>https://es.wikipedia.org/wiki/Recusaci%C3%B3n]]は法律用語「Challenge to the judge:裁判官の忌避」です(Dahl's Law Dictionary)。 うーん、16世紀と意味が違うのかも…。 1591年3月[[トレド大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Toledo_Cathedral]]の司祭Alonso de Mendozaがスプレマに「[[Lucrecia de León>https://es.wikipedia.org/wiki/Lucrecia_de_Le%C3%B3n]]の逮捕は偏見と先入観に満ちてる」とレクサシオンを提出してます。 Lucrecia de Leónは夢で「[[サンタ・クルス侯爵>https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%81lvaro_de_Baz%C3%A1n,_1st_Marquis_of_Santa_Cruz]]の後任」、「アルマダ海戦の敗北」、…415件の未来を予言した女性です。 1590年5月王フェリペ2世の命令でトレド異端審問がLucreciaを逮捕。 拷問したけど「夢に対する責任の自白」は引き出せなかった。ってことで、1595年9月投票(diferencias)で軽い刑罰[[ abjuración de levi>https://en.wikipedia.org/wiki/Abjuration]](鞭打ち100回、2年間修道院に監禁、マドリードを追放)を課します。 ~[[Richard Kagan>https://es.wikipedia.org/wiki/Richard_Kagan]]著「Lucrecia’s Dreams: Politics and Prophecy in Sixteenth-Century Spain」さんより~ } #blockquote(){&u(){&bold(){4.判決}} 裁判委員会(consulta de fe)が被告の量刑を決めます。ちなみに異端審問は「無罪」がウルトラ大嫌いなのでめったにナシ。 無罪にしても「新しい証拠」が出たら「古い証拠」と一緒にまた裁判を再開。 あと「告発が間違ってた」と分かっても絶対にコレを認めません。何が何でも有罪にするぜー!って感じなの。 ・無罪(acquitted)…被告を解放(=無罪)。 ・中断(suspended)…告発が間違ってた被告を解放(≒無罪)または嫌疑は晴れてない被告を裁判の再会まで長期拘禁。 ・懺悔(penanced)…有罪の被告を公開で処罰。ついでに追放、罰金、ガレー船の漕ぎ手、…もアリ。 ・和解(reconciled)…有罪の被告を公開で告解。ついでに体罰、収監、財産没収、ガレー船の漕ぎ手、…もアリ。 ・火刑(relaxation)…改心しない異教徒の被告を公開で火あぶり。もし悔い改めたら火あぶりの前に絞首刑の慈悲もアリ。 死刑囚が裁判中に死亡したときは代わりに[[人形>https://en.wikipedia.org/wiki/Effigy]]をご使用します。 &ref(スペイン異端審問(流れ:4.判決).jpg)[[Pedro Berruguete>https://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Berruguete]]画「[[Auto de Fe presidido por Santo Domingo de Guzmán>https://es.wikipedia.org/wiki/Auto_de_Fe_presidido_por_Santo_Domingo_de_Guzm%C3%A1n]]」(1493年頃:スペイン) [[聖ドミニコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Dominic]](列聖:1234年)は[[ドミニコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]の創設者です。ちなみにスペイン異端審問はドミニコ会の猛プッシュで設立。 ってことで、異端審問官はドミニコ会が多いんだって。 こちらの画の被告たちは当時ドミニコ会の最優先ターゲットだった[[カタリ派>https://en.wikipedia.org/wiki/Catharism]]と言われてます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){5.アウト・デ・フェ(スペイン語:Auto de fe、英語:auto da fé)}} 有罪になった被告が公の場で[[贖罪(しょくざい:罪を償う)>https://en.wikipedia.org/wiki/Penance]]します。異端審問のクライマックスな儀式。 アウト・デ・フェの意味は「act of faith:とことん神様を信仰している証」。 でも最大の贖罪「[[burning at the stake>https://en.wikipedia.org/wiki/Death_by_burning]]:大きな木杭に拘束して火あぶり」の方が一般的な意味になっちゃいました。 &ref(スペイン異端審問(流れ:5.アウト・デ・フェ).jpg)[[Pedro Berruguete>https://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Berruguete]]画「[[Auto de Fe presidido por Santo Domingo de Guzmán>https://es.wikipedia.org/wiki/Auto_de_Fe_presidido_por_Santo_Domingo_de_Guzm%C3%A1n]]」(1493年頃:スペイン) [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sanbenito]] &ref(スペイン異端審問(流れ:5.アウト・デ・フェ2).jpg)[[Philipp van Limborch>https://en.wikipedia.org/wiki/Philipp_van_Limborch]]著「Historia Inquisitionis」(1692年:ネーデルラント) } #endregion ---- ----
※16世紀を目指して調べたけどそうじゃないものも入っちゃてるかも。あと英語を訳したキリスト教用語は日本語ビミョーです。 #contents_line(level=2,sep=/) *16世紀のキリスト教 16世紀のヨーロッパはあちこちで[[宗教改革>http://en.wikipedia.org/wiki/Protestant_Reformation]](プロテスタントの脱カトリック教会運動)が絶賛勃発中です。 複雑な時代なのねー。 カトリック教会はプロテスタントの誕生をきっかけに「このままだと信徒が減る!ヤバイ!」といろいろ反省して標準化します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Christianity_in_the_16th_century]] &ref(キリスト教.PNG)F&Bに関係しそうなトコだけ #region(close,なんで複雑な時代になっちゃったの?) 15~16世紀カトリック教会は内部の確執、縁故採用、聖職売買、愛人、浪費…ダメダメです。 これはマズイ!改革せねば!と[[公会議で検討>http://en.wikipedia.org/wiki/Fifth_Council_of_the_Lateran]]や[[問題を分析>http://en.wikipedia.org/wiki/Consilium_de_Emendanda_Ecclesia]]したローマ教皇もいるけど歴史ある大企業だから簡単じゃない。 独占企業で危機感なさすぎ。ってことで、宗教改革が始まっちゃいます。 &ref(キリスト教(複雑な時代).JPG)作者不明「The Devil's Triumph over Rome's Idol」(1680年:イギリス) ・ダメダメの代表は好色で強欲なローマ教皇[[アレクサンデル6世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Alexander_VI]](在位:1492-1503年)です。孫のガンディア公[[フランシスコ・ボルハ>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Borgia,_4th_Duke_of_Gand%C3%ADa]](在位:1565-1572年)は第3代[[イエズス会総長>https://en.wikipedia.org/wiki/Superior_General_of_the_Society_of_Jesus]]。ちなみにF&B時代は第5代[[クラウディオ・アクアヴィーヴァ>https://en.wikipedia.org/wiki/Claudio_Acquaviva]](在位:1581-1615年)。 ・だんだん各地でプロテスタントのカトリック教会離れが勃発。1545年[[トリエント公会議>http://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]]でカトリック教会もやっと本気で反省します。 #blockquote(){&u(){&bold(){腐敗しまくるカトリック教会の風刺が大人気}} 上に立つカトリック教会がダメダメだと腹立つ!ってことで、とーぜんカトリック教会を批判する人達が登場します。 風刺本[[デジデリウス・エラスムス>https://en.wikipedia.org/wiki/Desiderius_Erasmus]]著「[[痴愚神礼讃>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Praise_of_Folly]]」(1509年:初版)は大人気。 宗教改革は「エラスムスが卵を産んで[[マルティン・ルター>https://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther]](95ヶ条の論題)が孵した」と言われてます。 &ref(キリスト教(複雑な時代:痴愚神礼讃).JPG)「Folly Steps Down from the Pulpit:説教壇を降りる愚か者」 「痴愚神礼讃(ラテン語)」は愚かさを擬人化。カトリック教会だけでなくローマ教皇や王侯貴族も痛烈に批判してます。 ヨーロッパ各地で翻訳。 こちらの画は「痴愚神礼讃」の海賊版[[Hans Holbein the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]画「Marginal drawing of Folly」(1515年)です。 } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド王ヘンリー8世のコレクション「プロテスタント寓話」}} 怒って石を投げてる4人のオッサンは[[マタイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_the_Apostle]]、[[マルコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_the_Evangelist]]、[[ルカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Luke_the_Evangelist]]、[[ヨハネ>https://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Evangelist]]([[福音書記者>https://en.wikipedia.org/wiki/Four_Evangelists]]:新約聖書の正典[[福音書>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel]])です。 倒れてるのはローマ教皇[[クレメンス7世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Clement_VII]]と2人の女性(貪欲と偽善)。 奥の街はたぶんエルサレム。ロウソクは福音書の正しい光とローマの間違った教義を象徴してます。 &ref(キリスト教(複雑な時代:寓話).JPG)[[ジローラモ・ダ・トレヴィゾ>http://en.wikipedia.org/wiki/Girolamo_da_Treviso]]画「A Protestant Allegory」(1538-44年) 「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」のフレーズはイギリスの[[お祈り唄>http://en.wikipedia.org/wiki/Matthew,_Mark,_Luke_and_John]](童謡)にもなってます。 子供たちが眠る前にベッドの中で手を合わせるお祈り。 最初の2行は16世紀中頃、その下の[[韻文>https://en.wikipedia.org/wiki/Verse_(poetry)]]は17世紀に追加されてアレコレ変化します。こちらは21世紀バージョン。 &italic(){&color(silver){Matthew, Mark, Luke and John, マタイ、マルコ、ルカにヨハネ}} &italic(){&color(silver){Bless the bed that I lie on. わたしの寝るベッドをお守りください}} &italic(){&color(silver){Four corners to my bed, ベッドに四隅}} &italic(){&color(silver){Four angels round my head; 枕元に四天使}} &italic(){&color(silver){One to watch and one to pray 1人は見守り、1人はお祈り}} &italic(){&color(silver){And two to bear my soul away. あとの2人はわたしの魂を運ぶため}} } #endregion #region(close,ローマ教皇ってなに?) ローマ教皇は&bold(){カトリック教会の国々で一番の権威者}。1059年から[[枢機卿団>https://en.wikipedia.org/wiki/College_of_Cardinals]]の[[コンクラーヴェ>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_conclave]](教皇選挙)で選ばれてます。 この図だと「教皇権>王権」っぽいけどそれは昔のお話。 ローマ教皇の力も[[教皇のバビロン捕囚>http://en.wikipedia.org/wiki/Avignon_Papacy]](1309-1377年)、[[教会大分裂>http://en.wikipedia.org/wiki/Western_Schism]](1378-1417年)、…で下降。強国の思惑に左右さてます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Pope]] &ref(キリスト教(ローマ教皇).PNG)組織はこんな感じ? ・ローマ教皇の&bold(){必殺技は[[破門>https://en.wikipedia.org/wiki/Excommunication]]}([[破門一覧>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_excommunicated_by_the_Roman_Catholic_Church]])。歯向かった[[カノッサの屈辱>http://en.wikipedia.org/wiki/Walk_to_Canossa]](1077年)、[[イングランド欠地王ジョン>http://en.wikipedia.org/wiki/John,_King_of_England]](1209年)、…を破門。効果は絶大で王様達は後で教皇に謝罪してます。 ・ローマ教皇からの&bold(){重要な通知は[[教皇勅書>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_bull]]}([[勅書一覧>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_papal_bulls]])。カトリック教会の国々は勅書を厳守です。地球をスペインとポルトガルで半分こした[[インテル・チェテラ>http://en.wikipedia.org/wiki/Inter_caetera]](1493年)とかで発動。あとカトリック教会の司教への通知は[[回勅>https://en.wikipedia.org/wiki/Encyclical]]。 #blockquote(){&u(){&bold(){F&B時代はローマ教皇シクストゥス5世}} F&B時代はローマ教皇[[シクストゥス5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sixtus_V]](在位:1585-1590年)です。 打倒英国国教会!で女王エリザベス1世を破門(1570年)。打倒ユグノー!でナバラ国王[[エンリケ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_IV_of_France]](三アンリ)も破門。 ついでにアルマダ海戦でスペインに資金援助(十字軍税の徴収許可)してます。でも実は強引な王フェリペ2世が嫌い。 &ref(キリスト教(ローマ教皇:ローマ教皇シクストゥス5世).JPG)作者不明「Medal commemorating the defeat of the Spanish Armada」(1588年) こちらは「スペイン無敵艦隊が敗北」を祝ったアルマダ海戦のメダルです。 トゲトゲなスパイク床の上に座ってるのは「イングランドとネーデルラントを苦しめるクソ野郎」の皆様。 文字は調べたけど分かりませんでした。 ・O・COECAS・HOMINVM・MENTES・O・PECTORA・COECA(Oh! the blind minds, the blind hearts of men) ・DURVM.EST.CONTRA.STIMVLOS.CALCITRARE(It is hard to kick against the pricks - Acts ix.5:そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 ~[[使徒言行録>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_the_Apostles]]9章5節~) ・ET.MAGNA.FACIS.TV.SOLVS.DEVS(Thou, God, art great and doest wondrous things; thou art God alone - Psalms lxxxvi.10:あなたは大いなる神で、くすしきみわざをなされます。ただあなたのみ、神でいらせられます。 ~[[詩篇>https://en.wikipedia.org/wiki/Psalms]]86章10節~) ・VENI.VIDI.VIVE.1588(Come, see, live) } #endregion #region(close,贖宥状(しょくゆうじょう)ってなに?) 正攻法な罪の償いは「痛悔(反省)→告白(司祭に罪を告白)→償い(罪のゆるしに見合った行動」で完全に赦されます。 コレをお金(寄進)で解決したのがカトリック教会が発行する「&bold(){贖宥状(免罪符)}」。 贖宥状を買うだけで罪の償いはオケ!なんてお手軽! 贖宥状の販売は中世からよく使われた資金調達方法です。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Indulgence]] &ref(キリスト教(贖宥状).JPG)ドミニコ会修道士[[ヨハン・テッツェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Tetzel]]販売の贖宥状(1517年:ドイツ) 贖宥状の訳は超テキトーです。 &italic(){&color(silver){In Vollmacht aller Heiligen und in Erbarmung gegen dich, absolviere ich dich von allen Sünden und Missethaten und erlasse dir alle Strafen auf zehn Tage.}} &italic(){&color(silver){全ての聖人の代理として、また慈悲により、10日間私はあなたの全ての罪と悪行を許し、あなたが受ける全ての神様の裁きを贖宥する。ヨハン・テッツェル}} ・調達した資金(寄付も含めて)は清く正しく美しい信徒のための教会、病院、ハンセン病患者のコロニー、学校、道、橋、…の公共事業に使われます。贖宥状は「罪も許されるし善意も目に見える形になる」ので信徒に大人気です。 ・贖宥状を私欲に利用しちゃったのがイベント好き派手好きなローマ教皇レオ10世。これを発端にプロテスタントが誕生します。 ・カトリック教会は1563年トリエント公会議で贖宥状を禁止します。 #blockquote(){&u(){&bold(){なんでローマ教皇レオ10世は資金調達が必要だったの?}} ローマ教皇[[レオ10世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Leo_X]]はカトリック教会の総本山[[サン・ピエトロ大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Peter%27s_Basilica]](バチカン)のリフォームを計画します。 でも資金がナイ。 ってことで、1517年マインツ大司教[[アルブレヒト>https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_of_Mainz]]に贖宥状の販売を許可。売り上げの半分がレオ10世へ届けられます。 &ref(キリスト教(贖宥状:資金調達).JPG)[[Jörg Breu the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%B6rg_Breu_the_Elder]]画「A Question to a Mintmaker」(1530年頃) サン・ピエトロ大聖堂は完成することなく1521年ローマ教皇レオ10世は死去します。その後も財政難で工事進まず。 レオ10世の散財でバチカンが未曾有の財政破綻に陥ったの。 ちなみにマインツ大司教アルブレヒトは1518年28才の若さで[[枢機卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Cardinal_(Catholicism)]]にちゃっかり当選してます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){カトリック教会の死の概念}} カトリック教会では死ぬとき罪の償いをバッチリしてないと[[天国>https://en.wikipedia.org/wiki/Heaven_(Christianity)]]行けません。[[大罪>http://en.wikipedia.org/wiki/Mortal_sin]]を犯したまま死ぬと[[地獄>http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_Hell]]行き。 こちらは[[Hieronymus Bosch>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[七つの大罪と四終>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things]]」(1500-1525年)。 [[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]は「人間を罪に導く可能性がある欲望や感情」で大罪とは違うモノです。四終は「死・審判・天国・地獄」。 &ref(キリスト教(贖宥状:死の概念).JPG) &ref(キリスト教(贖宥状:死の概念2).JPG)「地獄」の拡大 } #endregion #region(close,95ヶ条の論題ってなに?) ローマ教皇レオ10世とマインツ大司教アルブレヒトは神聖ローマ帝国(ドイツ)で贖宥状をガンガン販売します。儲かる儲かる♥ コレに納得できなかったのがヴィッテンベルク大学(ドイツ)の神学教授[[マルティン・ルター>http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther]]。 「こんなんでいいのか!?」と1517年構内の聖堂の扉に「&bold(){95ヶ条の論題:贖宥状の販売にツッコミ}」の質問状を発表します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Ninety-Five_Theses]] &ref(キリスト教(95ヶ条の論題).JPG)作者不明「A broadside on the centenary of the German Reformation and a prophetic dream of Friedrich III of Saxony on Luther's posting of the 95 Theses in Wittenberg」(1617年) こちらは第100回[[宗教改革記念日>https://en.wikipedia.org/wiki/Reformation_Day]](1617年10月31日~11月1日:ドイツ)で印刷された風刺画(?)の1つです。 マルティン・ルターが巨大なペンで聖堂の扉に95ヶ条の論題をカキカキ。 巨大なペンの先っぽはライオン(ローマ教皇レオ10世)の耳を突き通して[[教皇冠>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_tiara]](地位を象徴する冠)をなぎ払ってます。 ・ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の干渉にウンザリなドイツの領邦君主達(ザクセン選帝侯領、ヘッセン方伯領など)が賛同。だんだん宗教改革に発展します。 ・カトリック教会は1521年ルターを破門します(教皇勅書「[[デチェト・ロマヌム・ポンティフィチェム>https://en.wikipedia.org/wiki/Decet_Romanum_Pontificem]]」)。 ・イングランド王ヘンリー8世はルターを非難して、1521年ローマ教皇レオ10世から「[[信仰の擁護者>http://en.wikipedia.org/wiki/Fidei_defensor]]」の称号を拝受。離婚問題でローマ教皇ともめて剥奪されたけど、その後英国国教会になったのに復活。不思議です。 ・カトリック教会は1555年[[アウクスブルクの和議>https://en.wikipedia.org/wiki/Peace_of_Augsburg]]でルター派を承認。それぞれの領邦君主が宗教を選択、領内の教会を統治します。 #blockquote(){&u(){&bold(){なんでルターは聖堂の扉に質問状を張ったの?}} ルターが聖堂の扉に質問状を張ったのは「意見のある人は聖堂の扉に質問状を張る」のルールだったからです。 贖宥状について聖職者達と話し合いたかっただけなの。 ってことで、質問状はカトリック教会の公用語ラテン語で発表してます。 &ref(キリスト教(95ヶ条の論題:質問状).JPG)質問状のレプリカ([[Schlosskirche>https://en.wikipedia.org/wiki/All_Saints%27_Church,_Wittenberg]]) この頃の旧約聖書や新約聖書もラテン語で書かれてるのがフツーです。ラテン語だと一般人は読めない。 ってことで、1534年ルターはドイツ語に翻訳した[[ルター聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Luther_Bible]]を出版。 ルター聖書はちょびっと前に発明された[[印刷機>https://en.wikipedia.org/wiki/Printing_press]]でガンガン拡散します。21世紀に使われてるドイツ語にも大きく貢献。 } #endregion #region(close,二重予定説ってなに?) フランスの神学者[[ジャン・カルヴァン>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Calvin]]は「カトリックっぽさが残ってるルター派は生ぬるい!」と考えます。 1543年 [[キリスト教綱要>https://en.wikipedia.org/wiki/Institutes_of_the_Christian_Religion]](第3版)で「&bold(){二重予定説:聖書は"神様は救う人と救わない人を決定済み。教会に寄進しても選ばれない"と教えてる}」と主張。 俗物なアレコレが入る隙をキリスト教からテッテー的に排除してるってコトなのかなぁ? [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Predestination]] &ref(キリスト教(二重予定説).JPG)Martinus van Beusecom画「La Balance(Op de Waag-Schaal)」(17世紀:ネーデルラント) ・フランスでは王様に弾圧されてユグノー戦争(1562-1598)が勃発します。抵抗した人達は[[ユグノー>http://en.wikipedia.org/wiki/Huguenot]]。 ・ネーデルラントではスペインに弾圧されて八十年戦争(1568-1648)が勃発します。抵抗した人達は[[乞食党>http://en.wikipedia.org/wiki/Geuzen]]、船に乗って抵抗した人達は海の乞食団。 ・イングランドでは王様の力が弱まってピューリタン革命(1641-1649)が勃発します。抵抗した人達は[[ピューリタン>http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan]]。 #blockquote(){&u(){&bold(){「キリスト教綱要」ってなに?}} ジャン・カルヴァン著「キリスト教綱要」はキリスト教神学の教科書です。やっぱりラテン語。 「権威を示すのは神様だけ」「真理は聖書の中だけ」をベースに[[組織神学>https://en.wikipedia.org/wiki/Systematic_theology]](創造・贖罪・恩寵・教会の教理…)を解説。 初版は1536年。1541年フランス語、1559年英語の翻訳本も出版されます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Institutes_of_the_Christian_Religion]] &ref(キリスト教(二重予定説:キリスト教綱要).JPG)ジュネーヴ議会(1549年:スイス) カルヴァンはもともとフランスの法律家でした。1529年から[[古典研究>https://en.wikipedia.org/wiki/Humanism]]に没頭して1532年頃「[[セネカ寛容論の注解>https://en.wikipedia.org/wiki/De_Clementia]]」を出版。 1534年[[檄文事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Affair_of_the_Placards]]でフランスのプロテスタントへの弾圧が激化。 改革派のパリ大学学長[[ニコラス・コップ>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicolas_Cop]]が追放されて、親友のカルヴァンも「俺もヤバイかも?」とスイスへ亡命します。 &ref(キリスト教(二重予定説:キリスト教綱要2).JPG)宗教改革中の[[スイス原初同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Swiss_Confederacy]](1536年) スイスは既にアチコチで[[宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/Reformation_in_Switzerland]]が始まってます。ってことで、[[バーゼル>https://en.wikipedia.org/wiki/Basel]](スイス)で「キリスト教綱要」の執筆を開始。 [[ジュネーヴ>https://en.wikipedia.org/wiki/Geneva]](スイス)で宗教改革にも着手。 晩年のカルヴァンは「俺は1533年秋に突然カトリック教会の改革に目覚めたのであーる」と言ってます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){決定済みだと皆さんヤル気なくなっちゃうんじゃない?}} 社会学者[[マックス・ヴェーバー>https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Weber]]著「[[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Protestant_Ethic_and_the_Spirit_of_Capitalism]]」(1904年)によると、皆さんは 「救われる人はきっと現世でも成功するはず!」 「成功したら神様に選ばれてるってコトじゃね?」 と考えたから禁欲的にガンガン働いてお金をガンガン貯蓄したそうです。「金儲け」が正当になって資本主義が発達したの。 &ref(キリスト教(二重予定説:ヤル気).JPG)[[Pieter van der Heyden>https://nl.wikipedia.org/wiki/Pieter_van_der_Heyden]]?画「The Battle about Money」(1570年以降) あっ!カルヴァン主義もカトリック教会と同じ「禁欲的じゃないとダメダメ」「金儲けなんかしちゃダメダメ」の宗教です。 信仰と労働に禁欲的に励んで社会に貢献。 結果的に「人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出してヒャッハーしちゃった。だって人間だもの」って感じです。 } #blockquote(){&u(){&bold(){何と嘆かわしい…!羊が宮廷まで押し寄せてきましたぞ}} ちなみに16世紀イングランドの「毛織物を輸出してお金をガンガン稼いじゃおー!([[囲い込み>https://en.wikipedia.org/wiki/Enclosure]])」も資本主義です。 領主が小作人を追い出して土地を[[農地>https://en.wikipedia.org/wiki/Arable_land]]から[[牧草地>https://en.wikipedia.org/wiki/Pasture]]へ。 大法官[[トマス・モア>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]著「[[ユートピア>https://en.wikipedia.org/wiki/Utopia_(book)]]」は「the sheep are eating the people:羊が人間を喰い殺している」と嘆いてます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/British_Agricultural_Revolution]] &ref(キリスト教(二重予定説:羊).JPG)[[Edmund Spenser>https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Spenser]]著「[[The Shepheardes Calender>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Shepheardes_Calender]]」(1579年:イングランド) 中世は[[領主>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_the_manor]]やカトリック教会が「[[農奴(小作人)>https://en.wikipedia.org/wiki/Serfdom]]に土地を貸してガンガン耕しちゃおー!([[荘園制>https://en.wikipedia.org/wiki/Manor]])」でした。 冬穀・夏穀・休耕地のローテーションで生産力アップ([[輪栽式農業>https://en.wikipedia.org/wiki/Crop_rotation]])。 14世紀ペストや戦争で[[封建制度>https://en.wikipedia.org/wiki/Feudalism]]が崩壊すると[[ヨーマン(自立農奴)>https://en.wikipedia.org/wiki/Yeoman]]が登場。その後[[ジェントリ(上層農民)>https://en.wikipedia.org/wiki/Landed_gentry]]になります。 &ref(キリスト教(二重予定説:羊2).JPG)中世の荘園制 「囲い込み」で小作人は失業、穀物は値上がり。1549年[[ケット農民一揆>https://en.wikipedia.org/wiki/Kett%27s_Rebellion]]を皮切りにアッチコッチで反乱が勃発します。 ウィリアム・シェイクスピア著「[[コリオレイナス>https://en.wikipedia.org/wiki/Coriolanus]]」は1607年[[ミッドランド農民反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Midland_Revolt]]の影響って説アリ。 あっ!シェイクスピアは「穀物が値上がりするから買い占めて儲けちゃお♥」と反乱に便乗して何度も罰金刑を受けてます。 } #endregion **教派分布 ビセンテが妄想した[[ザクセン選帝侯領>https://en.wikipedia.org/wiki/Electorate_of_Saxony]]とヘッセン方伯領はブランデンブルク辺境伯領の下あたりです。 どっちも神聖ローマ帝国の[[領邦国家>https://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_State]]。 F&B時代のヘッセン方伯領は[[ヘッセン=カッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Kassel]]、[[ヘッセン=ダルムシュタット>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Darmstadt]]、[[ヘッセン=マールブルク>https://en.wikipedia.org/wiki/Hesse-Marburg]]に分裂してます。 |>|>|>|>|>|&ref(キリスト教_教派分布.PNG)1555年頃| |アイルランド王国|イングランド王国|オーストリア大公国|オスマン帝国||| |サヴォイア公国|神聖ローマ帝国|スイス原初同盟|スウェーデン王国|スコットランド王国|スペイン王国| |デンマーク王国|||||| |ナポリ王国|ネーデルラント|ノルウェー王国|||| |ハンガリー王国|フランス王国|ブランデンブルク辺境伯|プロシア公国|ポーランド王国|ポルトガル王国| |ローマ教皇領|ロシア・ツァーリ国||||| **教派 ピューリタンは1560年代カルヴァン派の聖職者達が始めた「英国国教会からカトリックっぽさを排除したい」です。 F&B時代は長老派教会を組織する[[トマス・カートライト>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cartwright_%28Puritan%29]] が地下でこっそり活動中。 女王エリザベス1世はカンタベリー大主教[[ジョン・ホイットギフト>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Whitgift]]を使って弾圧中。 レスター伯ロバート・ダドリーやフランシス・ウォルシンガムはピューリタンを後援しながら英国国教会との仲裁をしてるみたいです。 実態が分からなかったので表に入れてません。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Puritans_under_Elizabeth_I]] |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:|>|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:西方教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:東方教会| |~|>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:プロテスタント(新教)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ローマ・カトリック(旧教)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:オーソドックス| |~|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ルター派|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:英国国教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カルヴァン派|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カトリック教会|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:東方正教会| |BGCOLOR(lightgrey):地域|ザクセン選帝侯領、アン・オブ・クレーヴズ|イングランド|フランス、ネーデルラント、スコットランド、ヘッセン方伯領|スペイン、フランス、スコットランド女王メアリー、イングランド女王メアリー1世|東欧など| |BGCOLOR(lightgrey):統治|領邦君主|イングランド国王|教会会議|ローマ教皇(教皇首位説)|コンスタンディヌーポリ全地総主教庁| |BGCOLOR(lightgrey):教職者|牧師、伝道師、万人祭司|主教、司祭(牧師)、執事、伝道師|総会議長、牧師、伝道師、万人祭司|教皇、枢機卿、司教、司祭(神父)、助祭|主教、司祭(神父)、輔祭、教衆、伝教師| |BGCOLOR(lightgrey):修道制|女子修道院のみ|なし|なし|修道会/宣教会|修道院| |BGCOLOR(lightgrey):礼拝|>|>|聖餐式|ミサ|聖体礼儀 | |BGCOLOR(lightgrey):儀式|礼典(洗礼、聖餐)|聖奠(洗礼、聖餐)、&br()聖奠的諸式(婚姻、叙階、堅信、告解、終油)|礼典(洗礼、聖餐)|秘蹟(洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、終油)|機密(洗礼、傅膏 、聖体、痛悔、神品、婚配、聖傅) | |BGCOLOR(lightgrey):教義|「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」|カトリックとほぼ同様|ルター派より徹底した聖書主義、二重予定説|秘蹟の恩寵、マリアの崇敬|聖俗一致、聖肉一致| |BGCOLOR(lightgrey):聖人|あり|あり|なし|あり|あり| |BGCOLOR(lightgrey):離婚|保守的に可|可(離婚相手が存命中は再婚不可)|可|不可|不可| *16世紀に誕生した英国国教会 英国国教会は1534年「[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]]」でカトリック教会から独立した「王様がトップのカトリック教会っぽいプロテスタント」です。 誕生してからの150年間は王様によって宗教方針がアレコレ変化。 イングランドもゴタゴタ。1701年「[[王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_of_Settlement_1701]]」で「王様と王様の妻はイングランド国教会の信徒じゃないとダメダメ」になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Christianity_in_Britain]] |&ref(英国国教会.JPG)|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様| |~|[[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]| |~|[[王エドワード6世>https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_VI_of_England]]| |~|[[女王ジェーン・グレイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Jane_Grey]]&br()(クーデター失敗で処刑)| |~|[[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]| |~|[[女王エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]| |~|[[王ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]| |~|[[王チャールズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_I_of_England]]&br()([[ピューリタン革命>https://en.wikipedia.org/wiki/Wars_of_the_Three_Kingdoms]]で処刑)| |~|護国卿[[オリバー・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Oliver_Cromwell]]&br()([[イングランド内戦>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Civil_War]]で即位)| |~|[[王チャールズ2世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_II_of_England]]&br()([[王政復古>https://en.wikipedia.org/wiki/Restoration_(England)]]で即位)| |~|[[王ジェームズ2世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_II_of_England]]&br()([[大同盟戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War]]で追放)| |~|[[王ウィリアム3世>https://en.wikipedia.org/wiki/William_III_of_England]]&br()([[名誉革命>https://en.wikipedia.org/wiki/Glorious_Revolution]]で即位)| こちらは「王様の宗教メータ」です。カトリック信徒の女王メアリー1世はイングランドをカトリック教会に出戻り。 ピューリタン信徒の護国卿オリバー・クロムウェルは[[イングランド共和国>https://en.wikipedia.org/wiki/Commonwealth_of_England]]を樹立。 王チャールズ2世は死に際にカトリック信徒へ改宗。王ジェームズ2世はカトリック信徒の最後の王様です。[[宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation]]って大変なのね。 #region(close,国王至上法ってなに?) [[王ヘンリー8世>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]は「妻[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]](スペイン王族)と離婚して[[アン・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]と結婚したい」と考えます。 でも強国スペインに気を使ったローマ教皇クレメンス7世は[[結婚無効>https://en.wikipedia.org/wiki/Annulment]](≒離婚)を却下。 ってことで、1534年「&bold(){国王至上法:イングランドは国王([[首長>http://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Head]])が統治する英国国教会。脱カトリック教会!}」を宣言します。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]] &ref(英国国教会(国王至上法).JPG)[[ジョン・フォックス>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Foxe]]著「殉教者列伝」(1570年) こちらの初版は占星術師[[ジョン・ディー>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dee]]著「[[殉教者列伝>http://en.wikipedia.org/wiki/Actes_and_Monuments]]」(1563年)です。プロテスタントと殉教者の歴史本。 特に「カトリック教会の下にいるイングランドとスコットランドの苦しみ」を強調。 一般人の読者が「カトリック教会ってヒドイわ!」と思うようになるとーっても影響力のあった本です。プロパガンダね。 ・カトリック教会は1538年王ヘンリー8世を破門します。 ・バリバリのカトリック教徒な女王メアリー1世は1554年国王至上法を廃止します。イングランドはカトリック教会へ出戻り。 ・女王エリザベス1世は1559年「&bold(){国王至上法: イングランドは国王([[統治者>http://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Governor_of_the_Church_of_England]])がウンヌン}」を復活します。「首長→統治者」になったのは女性が教会トップに批判的な貴族が要求したから。教会への国王の影響力が減るみたい。 ・カトリック教会は1570年女王エリザベス1世を破門します。すぐ(↑)に破門しなかったのは、女王エリザベス1世との結婚を目論む王様達の希望があったから。スペイン王フェリペ2世の圧力で破門になった? #blockquote(){&u(){&bold(){なんで王ヘンリー8世は妻キャサリン・オブ・アラゴンと離婚したかったの?}} 妻キャサリン・オブ・アラゴンはちゃんと男児を生んだけど皆さん短命でした。跡継ぎができない王ヘンリー8世はイライラ。 そこに洗練された妻キャサリンの[[女官>https://en.wikipedia.org/wiki/Maid_of_honour]]アン・ブーリンが登場。 王ヘンリー8世はメロメロ。愛人になった女官アンの「私は王妃になりたいの♥」で王ヘンリー8世は離婚を決心します。 ~[[Historic Royal Palaces>http://www.hrp.org.uk/]](Why did Henry VIII divorce Katherine of Aragon?)さんより~ &ref(【共通の画】ヘンリー8世と妻.JPG,【共通】共通の画)王ヘンリー8世と6人の妻(○:離婚、×:処刑、△:病死) &italic(){&color(silver){あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることだからである。 ~レビ記18章16節~}} 妻キャサリンはもともとイングランド王子[[アーサー>https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur,_Prince_of_Wales]](王ヘンリー8世の兄) の奥さんでした。 王子アーサーが亡くなって王ヘンリー8世と再婚。 王ヘンリー8世は「跡継ぎができないのは聖書↑に違反したからだ!」と結婚無効を宣言します。でもこんな聖書↓もあるの。 &italic(){&color(silver){兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。 ~申命記25章5節~}} } #blockquote(){&u(){&bold(){結婚無効ってなに?}} &italic(){&color(silver){さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。 ~マタイによる福音書19章3-9節~}} &ref(英国国教会(国王至上法:結婚無効).JPG)[[Emanuel Leutze>https://en.wikipedia.org/wiki/Emanuel_Leutze]]画「The Great Matter」(1846年) カトリック教会は「結婚は神様の前で結ばれたモノ。洗礼を受けた信徒同士の結婚はお互いが生きている限り続く」です。 [[カトリック教義>https://en.wikipedia.org/wiki/Dogma]]で[[離婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_divorce]]はダメダメ。 離婚が許されるのはこちらの特殊な状況のみ。「教義の離婚」は21世紀の「法的な離婚」と別物なのでご注意です。 ・[[パウロの特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Pauline_privilege]]…カトリック信徒じゃない2人が結婚して、その後一方が洗礼を受けてカトリック信徒になった場合は「あのときの結婚は[[男女の自然な成り行きの結婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_marriage]]で[[神聖な結婚(=サクラメント)>https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_(Catholic_Church)]]じゃないから解消」と言ってもオケ。2人が洗礼を受けてカトリック信徒になった場合は言っちゃダメダメ。 ・[[ペトロの特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Petrine_privilege]]…難しすぎて分かりませんでした。 &ref(英国国教会(国王至上法:結婚無効2).JPG)[[Henry Nelson O'Neil>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Nelson_O%27Neil]]画「Catherine of Aragon pleads her case against divorce from Henry VIII」(19世紀) 離婚がダメダメでも「&bold(){結婚無効:そもそも結婚してなかったことにする}」ならオケ。結婚無効は特に王族がご愛用します。 ただし[[ローマ教皇の特免>https://en.wikipedia.org/wiki/Dispensation_(canon_law)]](Papal dispensation)が必要。 王ヘンリー8世は「妻キャサリンとの結婚無効」をお願いしたけど、教皇クレメンス7世は「特免」しませんでした。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Annulment]] } #blockquote(){&u(){&bold(){なんで教皇クレメンス7世は結婚無効を拒否したの?}} 妻キャサリンは飛ぶ鳥を落とす勢いの神聖ローマ皇帝[[カール5世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](スペイン王フェリペ2世の父親)の伯母です。 教皇クレメンス7世も皇帝カール5世にビクビク。 ってことで、教皇クレメンス7世はスペインに気を使って王ヘンリー8世の「妻キャサリンとの結婚無効」を拒否します。 &ref(【共通の画】スペイン_神聖ローマ皇帝カール5世.jpg,【共通】共通の画)[[Giulio Clovio>https://en.wikipedia.org/wiki/Giulio_Clovio]]画「Charles V enthroned over his defeated enemies:[[Suleiman>https://en.wikipedia.org/wiki/Suleiman_the_Magnificent]], Pope Clemens VII, Francis I, [[the Duke of Cleves>https://en.wikipedia.org/wiki/William,_Duke_of_J%C3%BClich-Cleves-Berg]], [[the Duke of Saxony>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Frederick_I,_Elector_of_Saxony]] and [[Philip I, Landgrave of Hesse>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_I,_Landgrave_of_Hesse]]」(16世紀中頃) こちらは神聖ローマ皇帝カール5世に落とされた皆さん。鷲([[神聖ローマ帝国>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Roman_Empire]]の[[双頭の鷲>https://en.wikipedia.org/wiki/Double-headed_eagle#Holy_Roman_Empire]])が咥えたロープに繋がれてます。 教皇クレメンス7世がビクビクのキッカケは1527年[[ローマ略奪>https://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(1527)]]([[イタリア戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Wars]])。 皇帝カール5世と犬猿のフランス王[[フランソワ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_I_of_France]]と仲良し([[コニャック同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_League_of_Cognac]])になって皇帝カール5世がキレました。 &ref(英国国教会(国王至上法:拒否2).JPG)[[Daniel Hopfer>https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Hopfer]]画「Die fünf Landsknechte:五人のランツクネヒト(神聖ローマ帝国の傭兵)」(1530年) 皇帝カール5世はバリバリのカトリック教徒。バチカンまで攻撃したのはルター派[[ランツクネヒト>https://en.wikipedia.org/wiki/Landsknecht]]の勝手な宗教的行動です。 ちなみにマルティン・ルターはこの攻撃を不支持。 予想外の攻撃に教皇クレメンス7世はビックリ!これからは皇帝カール5世を怒らせないようにしよう…。 教皇クレメンス7世と皇帝カール5世は1529年バルセロナ平和条約(The Peace of Barcelona)で仲直りします。 } #endregion #region(close,国王至上法への道のり(残酷な画があるのでご注意下さい)) 国王至上法までの道のり([[イングランド宗教改革>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation]])をものすごく簡単に書いちゃったけど、実際はアレコレあります。 王ヘンリー8世はジワジワとローマ教皇クレメンス7世へ圧力。 ジワジワしたのは交渉で離婚を解決したかったからです。でも教皇クレメンス7世は「スペイン>>>>>イングランド」だったの。 あと省略しちゃってるけど宗教改革でビシバシ誕生する法律は[[宗教改革議会>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](王ヘンリー8世が思い通りに動かす議会)、[[カンタベリー聖職者会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Convocations_of_Canterbury_and_York]](聖職者の議会)、[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]([[貴族院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Lords]]と[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_England]])の可決を経て成立するっぽいです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_the_English_Reformation]] |>|>|&ref(英国国教会(道のり).JPG)王子アーサーのお墓([[ウスター大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Worcester_Cathedral]])| |BGCOLOR(lightgrey):1489年|BGCOLOR(lightgrey):3月27日|王子[[アーサー>https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur,_Prince_of_Wales]](王ヘンリー8世の兄)がキャサリン(王フェリペ2世の大伯母)と婚約&br()・イングランドとスペインがフランスに対抗するための同盟を結ぶ([[メディナ・デル・カンポ条約>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Medina_del_Campo_(1489)]])&br()・王子アーサーとキャサリンが[[結婚できる年齢>https://en.wikipedia.org/wiki/Canonical_age]]になったら結婚する&br()・キャサリンの持参金は20万クラウン(21世紀:£500万≒8億5千万円)| |BGCOLOR(lightgrey):1501年|BGCOLOR(lightgrey):10月2日|キャサリンがプリマス(イングランド)に到着| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月14日|王子アーサーがキャサリン・オブ・アラゴンと結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1502年|BGCOLOR(lightgrey):4月|王子アーサーが結核で死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1504年|BGCOLOR(lightgrey):|ローマ教皇[[ユリウス2世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Julius_II]]がアーサーと妻キャサリンの結婚を解消| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:妻キャサリンとの結婚).JPG)王ヘンリー8世と妻キャサリンの[[戴冠式>https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation]]| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから妻キャサリンとの結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1509年|BGCOLOR(lightgrey):6月11日|王ヘンリー8世(18歳)がキャサリン(24歳)と結婚&br()・4月21日[[王ヘンリー7世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VII_of_England]](王ヘンリー8世の父親)が亡くなって王子ヘンリー8世がイングランド王に即位| |BGCOLOR(lightgrey):1510年|BGCOLOR(lightgrey):1月31日|妻キャサリンが女児を死産| |BGCOLOR(lightgrey):1511年|BGCOLOR(lightgrey):1月1日|妻キャサリンが男児[[Henry, Duke of Cornwall>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry,_Duke_of_Cornwall]]を出産。2月22日に男児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1513年|BGCOLOR(lightgrey):春|アン・ブーリンがネーデルラント17州の総督[[マルグリット・ドートリッシュ>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_of_Austria,_Duchess_of_Savoy]]の宮廷に滞在(海外留学)| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|妻キャサリンが男児Henry, Duke of Cornwallを出産。すぐ男児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1515年|BGCOLOR(lightgrey):1月8日|妻キャサリンが男児を死産| |~|BGCOLOR(lightgrey):|アン・ブーリンが[[クロード・ド・フランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Claude_of_France]]の女官になる(海外留学)| |BGCOLOR(lightgrey):1516年|BGCOLOR(lightgrey):2月18日|妻キャサリンが王女[[メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]を出産| |BGCOLOR(lightgrey):1517年|BGCOLOR(lightgrey):10月31日|&bold(){マルティン・ルターが95ヶ条の論題を発表}| |BGCOLOR(lightgrey):1518年|BGCOLOR(lightgrey):11月10日|妻キャサリンが女児を出産。すぐ女児死亡| |BGCOLOR(lightgrey):1521年|BGCOLOR(lightgrey):|王ヘンリー8世がマルティン・ルターを非難する神学論文「[[七つの秘跡の擁護>https://en.wikipedia.org/wiki/Defence_of_the_Seven_Sacraments]]」を発表| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月11日|「七つの秘跡の擁護」に対してローマ教皇[[レオ10世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Leo_X]]が王ヘンリー8世へ「[[信仰の擁護者>https://en.wikipedia.org/wiki/Fidei_defensor]]」の[[称号>https://en.wikipedia.org/wiki/Style_of_the_British_sovereign]]を付与&br()・1533年英国国教会の誕生でローマ教皇パウルス3世は「七つの秘跡の擁護」を取り消し&br()・でも王ヘンリー8世はスルー。女王エリザベス1世やその後の王様達もずーっと「信仰の擁護者」をご使用| |BGCOLOR(lightgrey):1522年|BGCOLOR(lightgrey):|アン・ブーリンがフランスから帰国。妻キャサリンの女官になる| |BGCOLOR(lightgrey):1526年|BGCOLOR(lightgrey):2-3月|王ヘンリー8世がアン・ブーリンにメロメロ| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:妻キャサリンとの離婚).JPG)王ヘンリー8世ってサイテー!| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから妻キャサリンとの離婚を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1527年|BGCOLOR(lightgrey):|王ヘンリー8世が妻キャサリン(42歳)との結婚無効(≒離婚)をローマ教皇へ訴訟&br()・離婚理由は「妻キャサリンは処女じゃなかった。この結婚は近親相姦(聖書で禁止されてる)です」&br()・大法官[[トマス・ウルジー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Wolsey]]([[ローマ教皇特使>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_legate]])が教皇クレメンス7世との離婚交渉を担当| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月6日 |&bold(){スペイン王[[カルロス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_V,_Holy_Roman_Emperor]](王フェリペ2世の父親)が[[ローマ略奪>https://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(1527)]]}&br()・教皇クレメンス7世が「スペインを怒らせたらヤバイ!とってもヤバイ!」と思うようになる| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月|妻キャサリンがローマ教皇へ「私は処女でした。離婚なんてイヤ」と懇請| |BGCOLOR(lightgrey):1528年|BGCOLOR(lightgrey):|教皇クレメンス7世が「離婚はイングランドで2人のローマ教皇特使が話し合って決定すべし」と許可&br()・話し合い担当の枢機卿[[カンペジオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lorenzo_Campeggio]](ローマ教皇特使)をイングランドへ派遣&br()・と見せかけて、枢機卿カンペジオは「イングランドへノロノロ行くぜ!」と話し合いを引き延ばし| |BGCOLOR(lightgrey):1529年|BGCOLOR(lightgrey):7月|やっとイングランドに到着した枢機卿カンペジオが話し合いを棚上げ。離婚交渉は事実上中止&br()・離婚が楽勝だと思ってた王ヘンリー8世と大法官ウルジーはガヒョーン!| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:大法官ウルジーの排除).JPG)没収された大法官ウルジーの[[ヨーク・パレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Whitehall]]| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから大法官ウルジーの排除を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1529年|BGCOLOR(lightgrey):10月9日|王ヘンリー8世が離婚交渉に難航する大法官ウルジーを[[王権軽視罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Praemunire]]で起訴&br()・業を煮やした愛人アン・ブーリンが王ヘンリー8世へ起訴を要望したからってウワサあり| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月22日|大法官ウルジーが罪を認める| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|&bold(){王ヘンリー8世が[[宗教改革議会>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](1529-1536年)を設置}&br()・宗教改革議会は「王ヘンリー8世が大法官ウルジーを排除する」の議会&br()・大法官ウルジーの排除が終わると「王ヘンリー8世が宗教改革するための主要な法律を作る」の議会に変身| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月3日|王ヘンリー8世が元・大法官ウルジーの私財を剥奪([[私権剥奪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Bill_of_attainder]])| |BGCOLOR(lightgrey):1530年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[王権軽視罪の罰金>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](Praemunire charges)」の復活&br()・イングランド国内の聖職者を王権軽視罪で訴えてもオケ&br()・王権軽視罪で訴えられた聖職者と信徒は£118,000払えば許してあげる♥| |~|BGCOLOR(lightgrey):夏|王ヘンリー8世が元・大法官ウルジーを擁護する8人の司教と7人の神学者を王権軽視罪で起訴| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月29日|元・大法官ウルジーがロンドンへ護送中(王ヘンリー8世が[[反逆罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Treason]]で起訴したから)に病死| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:カトリック教会へ圧力).JPG)離婚に反対した神学者[[ウィリアム・ティンダル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Tyndale]]の処刑(1536年)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからイングランドのカトリック教会へ圧力を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1530年|BGCOLOR(lightgrey):12月|&bold(){王ヘンリー8世が政治家[[トマス・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cromwell]]を側近に抜擢}| |BGCOLOR(lightgrey):1531年|BGCOLOR(lightgrey):|「聖職者の容赦法(Pardon to Clergy Act 1531)」が成立&br()・王様はイングランドのカトリック教会と聖職者の首長かつ保護者であーる&br()・イングランドのカトリック教会の特権は[[王様の特権>https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_prerogative]]と法を損なわない範囲でオケ&br()・王権軽視罪で訴えられた聖職者と信徒は5年以内に£100,000払えば許してあげる♥| |BGCOLOR(lightgrey):1532年|BGCOLOR(lightgrey):3月18日|[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_the_United_Kingdom]]が王ヘンリー8世へ「[[聖職者に対する嘆願書>https://en.wikipedia.org/wiki/Supplication_against_the_Ordinaries]](Supplication against the Ordinaries)」を提出&br()・「聖職者の職権乱用(献金増額、異教裁判、破門、…など9項目)が目に余る」の嘆願書| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月16日|聖職者が「[[聖職者の服従>https://en.wikipedia.org/wiki/Submission_of_the_Clergy]](Submission of the Clergy 1532)」を承諾&br()1534年「聖職者の服従法(Act for the Submission of the Clergy and Restraint of Appeals 1534)」が成立&br()・[[教会法>https://en.wikipedia.org/wiki/Canon_law]]の立法は王様の同意が必要&br()・[[聖職者会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Convocation]]の開催を許可する委員会(The scrutiny of a committee)のメンバーは王様の同意が必要| |~|~|宗教改革と離婚に反対する大法官[[トマス・モア>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]が辞任&br()・1531年「聖職者の容赦法」でカトリック教会を支持する大量の聖職者が追放されてトマス・モアは孤立&br()・1535年7月6日[[国王至上の誓い>https://en.wikipedia.org/wiki/Oath_of_Supremacy]](「英国国教会は王様が一番エライ!」の宣誓)を拒否。反逆罪で処刑| |>|>|&ref(英国国教会(国王至上法).JPG)ローマ教皇クレメンス7世を踏んづける王ヘンリー8世| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからローマ教皇クレメンス7世へ圧力を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1532年|BGCOLOR(lightgrey):3月|「[[新任聖職者上納制限法>https://en.wikipedia.org/wiki/English_Reformation_Parliament]](Act in Conditional Restraint of Annates 1532)」が成立&br()・[[聖職禄ろく取得納金>https://en.wikipedia.org/wiki/Annates]](新任の聖職者が初年度収益をローマ教皇庁へ上納する慣例)を1/3→5%に減額&br()・教皇クレメンス7世が年内に離婚を認めなかったら0%にしちゃうぜ!| |BGCOLOR(lightgrey):1533年|BGCOLOR(lightgrey):1月25日|王ヘンリー8世(41歳)がアン・ブーリン(26歳?32歳?)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):3月26日|ローマ教皇クレメンス7世の[[教皇勅書>https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_bull]]「[[トマス・クランマー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cranmer]]が[[カンタベリー大司教>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Archbishops_of_Canterbury]]でオケ」が到着&br()・1532年10月1日王ヘンリー8世がトマス・クランマーへカンタベリー大司教への就任を打診&br()・ローマ教皇クレメンス7世が「脱カトリック教会しないでね」と王ヘンリー8世の希望をすんなり承諾| |~|BGCOLOR(lightgrey):3月|&bold(){「[[上告禁止法>https://en.wikipedia.org/wiki/Statute_in_Restraint_of_Appeals]](The Ecclesiastical Appeals Act 1532)」が成立}&br()同時に王ヘンリー8世が「イングランドは帝国であーる。イングランド君主は帝国君主であーる」を宣言&br()(帝国宣言することで法律が達成できるんだって)&br()・カトリック教会の問題は王様が法的に対処するからローマ教皇に上訴しちゃダメダメ!&br()・もっちろん元・妻キャサリンがローマ教皇へ「むりやり離婚された」と懇請するのもダメダメ!| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月23日|カンタベリー大司教トマス・クランマーが「王ヘンリー8世と妻キャサリンの結婚」を無効宣言| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月28日|カンタベリー大司教トマス・クランマーが「王ヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚」を有効宣言| |~|BGCOLOR(lightgrey):7月11日|ローマ教皇クレメンス7世が王ヘンリー8世へ「妻キャサリンと元の鞘に納まらないと破門だぞ!」と警告&br()・1535年8月30日ローマ教皇[[パウルス3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Paul_III]]が「王ヘンリー8世の破門」を教皇勅書へレベルアップ&br()・その後この教皇勅書はローマ教皇パウルス3世の意向で保留&br()・1538年12月17日ローマ教皇パウルス3世が王ヘンリー8世を破門| |~|BGCOLOR(lightgrey):9月7日|妻アンが王女[[エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]を出産| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:カトリック教会の排除).JPG)イングランド初の公式英語聖書[[大聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Bible]](1539年)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここから英国国教会を開始| |BGCOLOR(lightgrey):1534年|BGCOLOR(lightgrey):1-3月|「[[主教任命法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_Concerning_Ecclesiastical_Appointments_and_Absolute_Restraint_of_Annates]](The Appointment of Bishops Act 1533)」が成立&br()・大聖堂が開催する主教選挙の候補者は王ヘンリー8世が選任(Act for Ecclesiastical Appointments 1534)&br()・ローマ教皇庁への全ての献金を禁止。献金は王国財源へ(Act in Absolute Restraint of Annates 1534)| |~|~|「[[聖ペトロ献金禁止法>https://en.wikipedia.org/wiki/Act_Concerning_Peter%27s_Pence_and_Dispensations]](Act Concerning Peter's Pence and Dispensations)」が成立&br()・ローマ教皇庁へ納める[[聖ペトロ献金>https://en.wikipedia.org/wiki/Peter%27s_Pence]](家主が毎年徴収される税金)など全ての献金を禁止&br()・カンタベリー大司教がローマ教皇から与えられた献金徴収権も廃止| |~|~|「[[第一王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/First_Succession_Act]](Succession to the Crown Act 1533)」が成立&br()・王女エリザベス1世が正統な王位継承権を持つ。王女メアリー1世は庶子だから王位継承権はナシ&br()・1536年「[[第二王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Succession_Act]]」で王女エリザベス1世も王女メアリー1世も庶子だから王位継承権はナシ&br()・1543年「[[第三王位継承法>https://en.wikipedia.org/wiki/Third_Succession_Act]]」で王女エリザベス1世も王女メアリー1世も王位継承権が復活| |~|BGCOLOR(lightgrey):11月|&bold(){王ヘンリー8世が「[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]](Act of Supremacy 1534)」を宣言}&br()・英国国教会は王様が一番エライ!ローマ教皇なんて赤の他人だよーん!| |~|~|「[[反逆罪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Treasons_Act_1534]](Treasons Act 1534)」が成立&br()・[[国王至上の誓い>https://en.wikipedia.org/wiki/Oath_of_Supremacy]]を拒否(国王至上法を認めずカトリック教会を支持)する人は漏れなく死刑よ♥&br()・嫌疑をかけられた人は6日以内に城、砦、船、大砲、…を王様へ引き渡すこと。拒否したら反逆罪よ♥&br()・1547年新たな「[[反逆罪法>https://en.wikipedia.org/wiki/Treason_Act_1547]]」で廃止| |>|>|&ref(英国国教会(道のり:修道院の解散).JPG)[[カルトジオ修道会>https://en.wikipedia.org/wiki/Carthusians]]の[[首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Hanged,_drawn_and_quartered]](1535年頃)| |>|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ここからイングランド、ウェールズ、アイルランドの[[修道院の解散>https://en.wikipedia.org/wiki/Dissolution_of_the_Monasteries]]を開始(1536-1541年)| |BGCOLOR(lightgrey):1535年|BGCOLOR(lightgrey):2月|「[[小修道院解散法>https://en.wikipedia.org/wiki/Suppression_of_Religious_Houses_Act_1535]](Suppression of Religious Houses Act 1535)」が成立&br()・教会はイングランドの土地1/5~1/3を所有、資金も豊富。先ず抵抗が小さい修道院(年収£200未満)を解散&br()・没収した土地は王ヘンリー8世が頂いちゃうぜ!貴族や[[ジェントリ>https://en.wikipedia.org/wiki/Gentry]]へ販売して王様との結びつきを強化&br()・没収した資金は王ヘンリー8世が頂いちゃうぜ!いずれ起こる侵略に備えて沿岸防衛([[要塞城>https://en.wikipedia.org/wiki/Device_Forts]]など)に使用| |BGCOLOR(lightgrey):1536年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[ウェールズ合体法>https://en.wikipedia.org/wiki/Laws_in_Wales_Acts_1535_and_1542]](Acts of Union)」が成立&br()・多数の封建的な小国[[ウェールズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Wales]]もイングランドの法律を適応する。ウェールズはイングランドの配下だ!| |~|BGCOLOR(lightgrey):10月|修道院の解散への抵抗運動[[恩寵の巡礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Pilgrimage_of_Grace]]が勃発| |BGCOLOR(lightgrey):1537年|BGCOLOR(lightgrey):10月|[[アイルランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_Ireland]]が「国王至上法」を導入&br()・王ヘンリー8世は名目上の支配者[[アイルランド卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lordship_of_Ireland]]。1541年から名目上の王様[[アイルランド王>https://en.wikipedia.org/wiki/Monarchy_of_Ireland]]&br()・でも修道院の抵抗で半分くらいの修道院が存続&br()・女王エリザベス1世も頑張ったけどアイルランド西側はいくつかの修道院が存続| |BGCOLOR(lightgrey):1539年|BGCOLOR(lightgrey):|「[[大修道院解散法>https://en.wikipedia.org/wiki/Suppression_of_Religious_Houses_Act_1539]](Suppression of Religious Houses Act 1539)」が成立| #endregion *ミサ ミサは聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)です。 16世紀の主催日はたぶん日曜日と[[トリエント・カレンダー>http://en.wikipedia.org/wiki/Tridentine_Calendar]](ローマ教皇ピウス5世が作ったカレンダー)で決められた日。 ローマ教皇が主催のミサは「[[教皇ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Papal_Mass]]」、司教が主催のミサは「[[荘厳司教ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Pontifical_High_Mass]]」といいます。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(liturgy)]] &ref(ミサ.JPG)ローマ教皇[[ベネディクト16世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Benedict_XVI]]の公演(2011年:[[エル・エスコリアル修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]]) 16世紀のミサの式次第(式の順序)はとーっても長い時間をかけてアレコレする[[トリエント・ミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Tridentine_Mass]]です。 式文(唱えたり歌ったりする文章)がラテン語のみなので別名[[ラテン・ミサ>https://en.wikipedia.org/wiki/Latin_Mass]]。 21世紀は1969年に誕生した[[新しいミサ>http://en.wikipedia.org/wiki/Mass_of_Paul_VI]](トリエント・ミサの中身をアレコレ廃止・省略)が主流です。現地語でオケ。 **十字架の印(十字を切る) [[十字架>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_cross]]は[[磔になって処刑されたキリスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]のシンボルです。十字架の印は「十字架を3Dで辿る」の儀式。 印の順番は額→心臓(胸の中央)→左肩→右肩。「[[父>https://en.wikipedia.org/wiki/God_the_Father]]と[[子>https://en.wikipedia.org/wiki/God_the_Son]]と[[聖霊>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Spirit_(Christianity)]]」は[[三位一体>https://en.wikipedia.org/wiki/Trinity]]。「[[アーメン>https://en.wikipedia.org/wiki/Amen]]」は祈りや[[賛美歌>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_music]]の結びの言葉。 トリエント・ミサでは十字架の印が33回(イエス・キリストが地球にいた年数)あるそうです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sign_of_the_Cross]] |&ref(ミサ_十字架の印.JPG)|BGCOLOR(lightgrey):スペイン語| |~|En el nombre del Padre,&br()y del Hijo&br()y del Espíritu Santo.&br()Amén.| |~|BGCOLOR(lightgrey):英語| |~|In the Name of the Father,&br()and of the Son,&br()and of the Holy Ghost.&br()(=and of the Holy Spirit.)&br()Amen.| |~|BGCOLOR(lightgrey):ラテン語| |~|In nomine Patris,&br()et Filii,&br()et Spiritus Sancti.&br()Amen.| 16世紀が何語なのかは分かりませんでした。英語はラテン語「Spiritus:聖霊」を「Ghost(21世紀はSpirit)」と訳してるっぽい。 英国国教会も手の動きはカトリック教会と一緒。 「十字架の印なんて不要!」って意見(後のピューリタン)もあったけど、1604年[[聖公会祈祷書>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Common_Prayer]]で「必要!」とキッパリ決定します。 #region(close,小さい十字架の印) [[ミサ>https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(Catholic_Church)]]([[聖餐式>https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_(liturgy)]])では[[福音書朗読>https://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_(liturgy)]]の前に「小さい十字架の印(Triple/Little sign of the cross)」をします。口と心臓を清める儀式。 印の順番は額→口→胸で、それぞれ小さい十字架を切る。 詳細は[[Marians of the Immaculate Conception>http://www.marian.org/]](Why Make the Sign of the Cross at the Gospel?)をどうぞ。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印).JPG)カトリック教会[[Congregation of Marian Fathers>https://en.wikipedia.org/wiki/Congregation_of_Marian_Fathers]]の小さい十字架の印 スペイン語とラテン語は分かりませんでした。日本語だと「主の御言葉が私の考え、言葉、心に常にありますように」っぽい。 英国国教会も手の動きはカトリック教会と一緒。 調べ方が悪かったのかもしれないけど、「小さい十字架の印」は検索ヒット少ないし説明も簡単な感じでした。 #blockquote(){&u(){&bold(){Cross my heart(胸に十字を切って)}} クロス・マイ・ハートは「神に誓ってウソじゃないもーん」ってこと。日本でいう「指きりげんまん」ね。 &italic(){&color(silver){cross my heart and hope to die(, stick a needle in my eye).}} &italic(){&color(silver){十字を切って誓ったからには嘘付いたら死んでも良いよーん(、針を自分の目に突き刺しちゃうよーん)。}} 語源はハッキリしてないけど1900年初めには皆さん使ってるっぽいです。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:クロス・マイ・ハート).GIF)こんな感じ? 映画「[[カールじいさんの空飛ぶ家>https://en.wikipedia.org/wiki/Up_(2009_film)]]」(2009年)でもカールじいさんがクロス・マイ・ハートしてます。 あれはそーゆー意味だったのか! カールじいさんが妻を思い出してるシーンは「指切りげんまん」というより「お祈り」っぽいけど…どうなんでしょね? } #blockquote(){&u(){&bold(){ついでにハートつながりでSacred Heart(聖心)}} 聖心は「イエス・キリストの心臓(神様の人類に対する愛の象徴)への崇敬」で、[[献身>https://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Catholic_devotions]](身を捧げる)の1つです。 中世にカトリック教会で[[神秘主義>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_mysticism]]な聖心崇敬が普及。 16世紀になると[[イエズス会>https://en.wikipedia.org/wiki/Society_of_Jesus]]などで[[禁欲主義>https://en.wikipedia.org/wiki/Asceticism]]な聖心崇敬のお祈りや修行(special exercises)が誕生します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacred_Heart]] &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:聖心).JPG) 左側:1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会のフランシスコ・ザビエル(17世紀:神戸市立博物館) 右側:1522年にイエズス会の[[イグナチオ・デ・ロヨラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Ignatius_of_Loyola]]が[[霊操>https://en.wikipedia.org/wiki/Spiritual_Exercises_of_Ignatius_of_Loyola]]した[[聖イグナシの洞窟>https://en.wikipedia.org/wiki/Cave_of_Saint_Ignatius]](スペイン) 聖心は「後光で輝く燃える心臓、槍に刺された心臓、[[茨の冠>https://en.wikipedia.org/wiki/Crown_of_thorns]]に囲まれた心臓、十字架、出血」で表現されます。 [[フランシスコ・ザビエル>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Xavier]]の腕の交差は[[聖アンデレ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Saltire]](St. Andrew's Cross、Crux decussata、X-shaped cross、Saltire)。 天上から伝わった神様の愛情([[神様の祝福>https://en.wikipedia.org/wiki/Blessing_(Roman_Catholic_Church)]]?)を受け止めてるそうです。 &ref(ミサ_十字架の印(小さい十字架の印:聖心2).JPG) 左側:[[Hieronymus Wierix>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Wierix]]画「P. Franciscus Xavierius...invexit」(1619年以前) 右側:[[Schelte a Bolswert>https://en.wikipedia.org/wiki/Schelte_a_Bolswert]]画「S. Franciscvs Xaverivs」(1600-1659年) こちらは神戸市立博物館より前の作品です。聖アンデレ十字の腕の交差が違うけど聖アンデレ十字は拘らないんでしょか? 聖アンデレ十字は[[十二使徒>https://en.wikipedia.org/wiki/Apostle_(Christian)]]の1人[[聖アンデレ>https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_the_Apostle]]が磔にされた十字架の形。 それしか分かりませんでした。ちなみに1506-1701年スペイン海軍の軍艦旗も聖アンデレ十字の形[[ブルゴーニュ十字>https://en.wikipedia.org/wiki/Cross_of_Burgundy]]。 } #endregion **ロザリオ カトリック教会はミサがなくても毎日[[聖マリアへの祈り>https://en.wikipedia.org/wiki/Hail_Mary]](アヴェ・マリア)をします。 やり方は、十字架の印→信仰宣言→主の祈り→聖マリアへの祈り→栄唱の後に、主の祈り→聖マリアへの祈り→黙想を5回。 ロザリオは間違えないように回数を確認するためのもの。 「天にましますわれらの父よ…(主の祈り)」「めでたし聖寵満ち満てるマリア…(聖マリアへの祈り)」と唱えながら珠を移動。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Rosary]] [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_prayer_beads]] ちょっと見づらいけどスペイン王フェリペ2世が左手にロザリオを持ってます。([[アロンソ・サンチェス・コエリョ>http://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]]作) |&ref(ミサ_ロザリオ.PNG)|&ref(ミサ_ロザリオ(フェリペ2世).JPG,,height=287)| #region(close,黙想ってなに?) 黙想は福音書の一文&bold(){ロザリオの十五玄義}(信仰箇条=3種類の神秘×5回の黙想)を脳内朗読すること。 16世紀ローマ教皇ピウス5世が標準化。 曜日毎に黙想する神秘が決まってる。21世紀は「光の神秘」が追加されて、曜日も変更されてます。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:日曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:月曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:火曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:水曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:木曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:金曜日|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:土曜日| |喜びの神秘:アドベント、クリスマス&br()苦しみの神秘:四旬節、枝の主日&br()栄えの神秘:それ以外?|喜びの神秘|苦しみの神秘|栄えの神秘|喜びの神秘|苦しみの神秘|栄えの神秘| #endregion *儀式(サクラメント) サクラメントは「神様の見えない恩寵を目に見える」「体感して受け取ることができる」の儀式です。 教派によってやり方がいろいろ。 キリスト教用語も英語は同じなにのに日本語だと違ったり、その逆だったり、…複雑です。ここではなるべくカトリック教会を。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament]] &ref(サクラメント.JPG)[[Rogier van der Weyden>https://en.wikipedia.org/wiki/Rogier_van_der_Weyden]]画「[[The Seven Sacraments Altarpiece>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Sacraments_Altarpiece]]」(1445-1450年:ネーデルラント) |BGCOLOR(lightgrey):[[カトリック教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacraments_of_the_Catholic_Church]]|BGCOLOR(lightgrey):[[秘跡>>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacraments_of_the_Catholic_Church]]|>|[[洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]]、[[堅信>https://en.wikipedia.org/wiki/Confirmation_(Catholic_Church)]]、[[聖体>https://en.wikipedia.org/wiki/Eucharist_in_the_Catholic_Church]]|キリスト教入信の儀式| |~|~|>|[[告解>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament_of_Penance_%26_Reconciliation_(Catholic_Church)]]、[[終油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_(Catholic_Church)]]|いやしの儀式| |~|~|>|[[叙階>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_orders_(Catholic_Church)]]、[[結婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_(Catholic_Church)]]|交わりと使命を育てる儀式| |BGCOLOR(lightgrey):[[英国国教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_sacraments]]&br()([[39箇条>https://en.wikipedia.org/wiki/Thirty-Nine_Articles]])|BGCOLOR(lightgrey):[[聖奠(せいてん)>>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_sacraments]]|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:洗礼|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:聖餐|イエス・キリストが制定した儀式| |~|~|洗礼|聖餐(=聖体)|~| |~|BGCOLOR(lightgrey):聖奠的諸式|[[懺悔>https://en.wikipedia.org/wiki/Confession_(religion)]]、[[聖婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_marriage]]|堅信、[[聖職按手>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_orders]](=叙階)、終油|聖霊の導きで教会がする儀式| |BGCOLOR(lightgrey):プロテスタント教会|BGCOLOR(lightgrey):礼典|>|洗礼、聖餐(=聖体)|新約聖書に書いてある儀式| #region(close,七つの秘蹟) サクラメントは聖書の中に書いてあるエピソードがベースになってます。宗派で違うのは重視するエピソードが違うから。 こちらは[[ニコラ・プッサン>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicolas_Poussin]]画「[[七つの秘蹟>https://de.wikipedia.org/wiki/Die_sieben_Sakramente_(Poussin)]]」(1637-1640年)。 「※」は聖書のどの部分か分からなかったので勝手に調べたモノです。画と内容が違っちゃってるかも。 &ref(サクラメント(七つの秘蹟:洗礼).JPG)七つの秘蹟「洗礼」 &italic(){&color(silver){そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 ~マタイによる福音書3章13-17節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:堅信).JPG)七つの秘蹟「堅信」 &italic(){&color(silver){エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。 ~使徒言行録8章14-17節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:聖体).JPG)七つの秘蹟「聖体」 &italic(){&color(silver){一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 ~マルコによる福音書14章22-24節~}}※ &ref(サクラメント(七つの秘蹟:告解).JPG)七つの秘蹟「告解」 &italic(){&color(silver){あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。-中略-そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。-中略-それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。 ~ルカによる福音書7章36-48節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:終油).JPG)七つの秘蹟「終油」 &italic(){&color(silver){あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。 ~ヤコブの手紙5章14-15節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:叙階).JPG)七つの秘蹟「叙階」 &italic(){&color(silver){イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 ~マタイによる福音書16章13-19節~}} &ref(サクラメント(七つの秘蹟:結婚).JPG)七つの秘蹟「結婚」 &italic(){&color(silver){イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。 ~マタイによる福音書1章18-25節~}}※ #endregion **洗礼(バプテスマ)の秘蹟 洗礼はキリスト教への入信の儀式。[[入信者>https://en.wikipedia.org/wiki/Catechumen]]は洗礼式で洗礼を受けると原罪と今までにやっちゃった罪が赦されます。 幼児は[[幼児洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_baptism]]。大人は成人洗礼(Adult baptism)で「信仰」「いままでの罪の痛悔」「キリスト教の教え」のバッチリ理解が必須。 「神様に対する契約の証人」「信仰生活の導き手」「後見人」として[[名付け親>http://en.wikipedia.org/wiki/Godparent]](代父母)が洗礼式に立ち会います。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]] &ref(サクラメント_洗礼.JPG)[[サン・パブロ教会>https://en.wikipedia.org/wiki/San_Pablo_Church]]で幼児洗礼を受けるフェリペ2世([[Palacio de Pimentel>https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_Pimentel]]のタイル) #region(close,原罪ってなに?) 原罪は人間の元祖アダムが神様の言いつけを守らなかった罪です。人間がやっちゃった最初の罪。 だからアダムの子孫は生まれながらこの罪を負ってるらしい。 ちなみに21世紀に発見されてる最古の元祖は[[猿人ルーシー>http://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_%28Australopithecus%29]]です。アディスアベバ国立博物館(エチオピア)にレプリカを展示中。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Original_sin]] &ref(サクラメント_洗礼(原罪).JPG)[[ヒエロニムス・ボス>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[快楽の園>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Garden_of_Earthly_Delights]]」(1490-1510年) #blockquote(){&u(){&bold(){人間がやっちゃった最初の罪の超ざっくりなお話}} &italic(){&color(silver){更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 ~創世記3章17節~}} &ref(サクラメント_洗礼(原罪:お話し).JPG)[[ミケランジェロ>https://en.wikipedia.org/wiki/Michelangelo]]画「アダムとエヴァの原罪とエデンの園からの追放」(1509年:[[システィーナ礼拝堂天井画>http://en.wikipedia.org/wiki/Sistine_Chapel_ceiling]]) 神様は1週間で地球と動物と人間(アダムとイブ)を造りました。 あっ、日曜日はお休みしてます。 そしてアダムとイブに「人間を増やすのぢゃ。地球を上手く運営するのぢゃ」と言って、エデンの園に住まわせました。 エデンの園は水と食べ物がワンサカありました。真ん中には[[知恵の樹>http://en.wikipedia.org/wiki/Tree_of_the_knowledge_of_good_and_evil]]と生命の樹が生えてました。 知恵の樹の実を食べると神様級の善悪の知識、生命の樹の実を食べると神様級の永遠の命が授かります。 神様は「知恵の樹の実だけは食べちゃダメぢゃ。死ぬで」と言いました。 ある日、ヘビがイブに「へーきへーき。知恵の樹の実を食べても死なないよー」と言いました。 イブは見るからに美味しそうな実を見て食べちゃいました…生きてます。 ついでにアダムにも食べさせちゃいました…生きてます。 神様は死ななかった2人にビックリしつつ「これで生命の樹の実まで食べたら人間は神様級ぢゃ!ヤバイ!」と思いました。 アダムとイブをエデンの園から追放しました。 そしてアダムには労働の苦しみ、イブには陣痛の苦しみ、ヘビにはニョロニョロ這う苦しみの罰を与えました。 } #endregion #region(close,洗礼ってどんなコトするの?) 洗礼は洗礼司式者が「父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名を授ける」と[[入信者の頭に聖水をペチャペチャ(潅水)>https://en.wikipedia.org/wiki/Affusion]]します。 幼児洗礼の問答は幼児を抱く親が代弁、成人洗礼は自分で答弁。 12~14世紀の主流は[[入信者がハダカで聖水をペチャペチャ(浸礼)>https://en.wikipedia.org/wiki/Immersion_baptism]]です。16世紀の一部地域は浸礼を継続中。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼).JPG)[[Pietro Longhi>https://en.wikipedia.org/wiki/Pietro_Longhi]]画「The Baptism」(1755年) #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン王フェリペ2世の洗礼}} 1527年5月21日[[ピメンテル宮殿>https://es.wikipedia.org/wiki/Palacio_de_Pimentel]]([[バリャドリッド>https://en.wikipedia.org/wiki/Valladolid]])で生まれた王フェリペ2世は祖父カスティーリャ王[[フェリペ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_I_of_Castile]]の名を取ってフェリペ(Felipe)と命名されます。 宮殿近くのサン・パブロ教会で幼児洗礼。 洗礼の日付、ペチャペチャしてる洗礼司式者、名付け親、…アレコレはぜーんぜん分からなかったです。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:スペイン王フェリペ2世).JPG)[[白い洗礼ドレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptismal_clothing]]を着用する王フェリペ2世(Palacio de Pimentelのタイル) この頃のバリャドリッドはスペインの首都です。[[マドリード>https://en.wikipedia.org/wiki/Madrid]]は王フェリペ2世が1561年6月遷都したの。 ついでに王や女王が名付け親になった人達を。 名付け親は複数で洗礼式は名代が出席する場合があります。例えばイングランド王ジェームズ1世の名付け親はイングランド女王エリザベス1世(名代:第2代ベッドフォード伯爵[[フランシス・ラッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Russell,_2nd_Earl_of_Bedford]])、フランス王[[シャルル9世>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_IX_of_France]](名代:リニー伯爵[[ジョン3世>https://en.wikipedia.org/wiki/John_III,_Count_of_Ligny]])、サヴォイア公[[エマヌエーレ・フィリベルト>https://en.wikipedia.org/wiki/Emmanuel_Philibert,_Duke_of_Savoy]]。 |BGCOLOR(lightgrey):王フェリペ2世|肖像画家[[アロンソ・サンチェス・コエリョ>https://en.wikipedia.org/wiki/Alonso_S%C3%A1nchez_Coello]](1531–1588年)の娘2人| |~|初代ダヴレ侯[[シャルル=フィリップ・ド・クロイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Philippe_de_Cro%C3%BF,_Marquis_d%E2%80%99Havr%C3%A9]](1549–1613年:スペイン)| |~|第3代ウォートン男爵[[フィリップ・ウォートン>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Wharton,_3rd_Baron_Wharton]](1555–1625年:イングランド)| |~|第20代アランデル伯爵[[フィリップ・ハワード>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Howard,_20th_Earl_of_Arundel]](1557–1595年:イングランド)| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|イングランド王[[ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]](1566–1625年:スコットランド)| |~|[[マリー・エリザベート・ド・フランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Elisabeth_of_France]](1572–1578年:フランス)| |~|初代リンジー伯爵[[ロバート・バーティ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Bertie,_1st_Earl_of_Lindsey]](1583–1642年:イングランド)| |~|メクレンブルク公爵夫人[[エリザベス・ヘッセン=カッセル>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_of_Hesse-Kassel,_Duchess_of_Mecklenburg]](1596–1625年:[[ヘッセン=カッセル方伯領>https://en.wikipedia.org/wiki/Landgraviate_of_Hesse-Kassel]])| } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランド女王エリザベス1世の洗礼}} 1533年9月7日[[プラセンティア宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Placentia]]で生まれた女王エリザベス1世は祖母[[エリザベス・オブ・ヨーク>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_of_York]]と[[エリザベス・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Boleyn,_Countess_of_Wiltshire]]の名を取ってエリザベス(Elizabeth)と命名されます。 9月10日宮殿近くのthe church of the Observant Friars(?)で幼児洗礼。 名付け親はカンタベリー大司教[[トマス・クランマー>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cranmer]]、[[エクセター侯爵ヘンリー・コートニー>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Courtenay,_1st_Marquess_of_Exeter]]、[[ノーフォーク公爵夫人エリザベス・ハワード>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Howard,_Duchess_of_Norfolk]]、[[ドーセット侯爵夫人マーガレット・ウォットン>https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Wotton,_Marchioness_of_Dorset]]です。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:イングランド女王エリザベス1世).JPG) 左側:[[William Peters>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Peters_(painter)]]画「Henry VIII, Act V, Scene IV, The Christening of Princess Elizabeth」(1787年頃) 右側:女王エリザベス1世が着たと思われる洗礼ドレス([[Sudeley Castle>https://en.wikipedia.org/wiki/Sudeley_Castle]]) [[ヘラルド>https://en.wikipedia.org/wiki/Herald]](君主の布告や声明を伝えるために派遣される伝令官)が[[官服>https://en.wikipedia.org/wiki/Tabard]]を手に持ちました。 付添人達が火の点いていない松明を支えました。 貴族達が典礼聖具-金の塩入れ([[祓魔式>https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_exorcism_in_Christianity]]の[[聖塩>https://en.wikipedia.org/wiki/Blessed_salt_in_Christianity]])、銀メッキの[[聖油入れ>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrismarium]]([[塗油式>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing]]の[[聖油>https://en.wikipedia.org/wiki/Oil_of_catechumens]])、[[クリムソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrisom]](幼児の額に塗られた聖油を保護する布)、[[パスカル・キャンドル>https://en.wikipedia.org/wiki/Paschal_candle]]([[キリストの光>https://en.wikipedia.org/wiki/Light_of_Christ]]の炎を灯すロウソク)-を運びました。 3人の貴婦人を従えた公爵夫人がエリザベスを抱いてやって来ました。長い行列が後に続きました。 4人の男爵がエリザベスの上に天蓋を掲げました。 ロンドン司教[[ジョン・ストークスリー>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Stokesley]]がエリザベスに洗礼を授けました。 カンタベリー大司教トマス・クランマーが「父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名エリザベスを授ける」と言いました。 エリザベスは額に[[洗礼盤>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptismal_font]]の[[聖水>https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_water]]を3度ペチャペチャと注がれ、手にキリストの光を灯すロウソクが添えられました。 付添人達が支える全ての松明に火が灯されました。 ヘラルドが官服を纏いました。 トランペットが「イングランドおよびフランス王女エリザベス」を祝してパンパカパーン♪と鳴り響きました。 ~[[On the Tudor Trail>http://onthetudortrail.com/Blog/]](On this day in 1533 Elizabeth I was Christened)さんより~ } #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼の祓魔式(ふつま)ってなに?}} 祓魔式は入信者が悪魔の力を遠ざけ、誘惑から護るための「神様への援助要請」です。 洗礼司式者が幼児の口に聖塩をパパパッと振る。 聖水をペチャペチャの前にやります。英国国教会は1549年[[聖公会祈祷書>https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Common_Prayer]]から教会の入り口で十字を切ってパパパッ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Minor_exorcism_in_Christianity]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:祓魔式).JPG) 左側:Spinello Aretino画「St Benedict's Prayer Enables the Monks to Lift the Stone on Which the Devil Is Sitting」(1387年:[[Sagrestia di San Miniato al Monte>https://it.wikipedia.org/wiki/Sagrestia_di_San_Miniato_al_Monte]]) 右側:[[Giacomo Raffaelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Giacomo_Raffaelli]]画「レオナルド・ダ・ヴィンチ画[[最後の晩餐>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Supper_(Leonardo_da_Vinci)]]のモザイク」 キリスト教会で塩は浄化と保護のシンボル。[[サバト>https://en.wikipedia.org/wiki/Witches%27_Sabbath]](魔女の集会)で出される食事には塩が使われてないと考えられてます。 ヨーロッパの迷信で「[[塩をこぼす>https://en.wikipedia.org/wiki/Spilling_salt]]」は悪いことが起きる前兆。 [[イスカリオテのユダ>https://en.wikipedia.org/wiki/Judas_Iscariot]]は最後の晩餐で塩をこぼしちゃってます。ヨーロッパに行ったら塩壺にご注意だ! } #blockquote(){&u(){&bold(){塗油式(とゆ)ってなに?}} 塗油式は入信者が悪魔と誘惑と罪から背を向けるための「入信者の強化の援助」「入信者の[[禁欲>https://en.wikipedia.org/wiki/Asceticism]]の準備」です。 洗礼司式者が幼児の額に聖油を十字に塗る。 聖水をペチャペチャの前にやります。王や女王も[[即位式>https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation]]で聖油をヌリヌリ。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Oil_of_catechumens]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼:塗油式).JPG) 左側:Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) 右側:[[Cornelis Schut>https://en.wikipedia.org/wiki/Cornelis_Schut]]画「The Coronation of Charles V Holy Roman Emperor」 カトリック教会と英国国教会の[[塗油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing]]には3種類の[[聖油>https://en.wikipedia.org/wiki/Chrism]]があるのでご注意!洗礼で使うのはOSです。 ・洗礼志願者用の聖油(OS:ラテン語のOleum Sanctum/Oil of the Catechumens) ・病者用の聖油(OI:Oil of the Infirm) ・聖香油(SC:Sacred Chrism) } #endregion #region(close,洗礼名ってなに?) 洗礼名は洗礼で入信者に与えられるお名前です。諸説ある起源の1つは出生8日目の男児が[[割礼式>https://en.wikipedia.org/wiki/Circumcision]]で[[命名>https://en.wikipedia.org/wiki/Hebrew_name]]する[[ユダヤ教>https://en.wikipedia.org/wiki/Judaism]]の伝統。 割礼は男児のアレをチョキチョキ。 イエス・キリストが割礼した1月1日は英国国教会の祝日[[主イエス命名の日>https://en.wikipedia.org/wiki/Feast_of_the_Circumcision_of_Christ]](2000年から)、カトリック教会は祝日[[神の母>https://en.wikipedia.org/wiki/Theotokos]]です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]] &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名).JPG)[[Pontormo>https://en.wikipedia.org/wiki/Pontormo]]画「Birth of John the Baptist」(1526年) &italic(){&color(silver){八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、[[ヨハネ>https://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Baptist]]という名にしなくてはいけません」と言った。人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 ~ルカによる福音書1章59-63節~}} #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼名はちゃんと洗礼登録簿に記録}} 1497年スペインの枢機卿[[ヒメネス>https://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_Jim%C3%A9nez_de_Cisneros]]は「洗礼登録簿」を導入します。第1号は[[トレド>https://en.wikipedia.org/wiki/Toledo,_Spain]]でその後西ヨーロッパに拡大。 イングランドは1538年司教総代理[[トマス・クロムウェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cromwell]]が「[[教会区記録簿>https://en.wikipedia.org/wiki/Parish_register]]」を導入。 1563年カトリック教会は「洗礼登録簿に洗礼・結婚を記録しなさーい」と決定します。日本でいう市役所の出生届って感じ? &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:洗礼登録簿).JPG)教会区記録簿(1593年:イングランド) イングランドの教会区記録簿は教区司祭が信徒の洗礼・結婚・埋葬を教会区記録簿に記録・保管します。 記録を怠けたら罰金。 紙の記録簿は虚弱すぎて保管が大変。ってことで、1598年から[[羊皮紙>https://en.wikipedia.org/wiki/Parchment]]の「Great decent books of parchment」に記録します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){俗名(Personal name)と洗礼名(Christian name)}} 日本の洗礼名は俗名(自分のお名前)に洗礼名を追加します。順番は「洗礼名・氏名」(エリザベス山田花子)って感じ。 ヨーロッパは俗名が洗礼名。 ①も②も洗礼名だけど中身が違うのにご注意!厳密に言うと①と[[幼児洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_baptism]]が正式な洗礼名だそうです。難しいなあ。 ・洗礼命名式(Christening)で命名される&bold(){[[①洗礼名(Baptismal/Christian name)>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]]}が俗名になる。洗礼司式者は「I christen thee in the name of the Father…:父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼名を授ける」と言います。 ・親が命名した俗名が洗礼で&bold(){[[②洗礼名(Given/Personal/First/Christian name)>https://en.wikipedia.org/wiki/Given_name]]}になる。洗礼司式者は「I baptize thee in the name of the Father…:父と子と聖霊の御名によって汝に洗礼を授ける」と言います。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:俗名と洗礼名).JPG)ヴァイキングが支配した地域([[デーンロウ>https://en.wikipedia.org/wiki/Danelaw]]) 初期のキリスト教会では洗礼で俗名を洗礼名へ改名したっぽいです。キリスト教へ改宗する大人が多い時代だもんね。 改名は強制的って説もアリ。 イングランドを支配した[[デーン人>https://en.wikipedia.org/wiki/Danes_(Germanic_tribe)]]の[[王Guthrum>https://en.wikipedia.org/wiki/Guthrum]]([[ヴァイキング>https://en.wikipedia.org/wiki/Vikings]])は878年洗礼を受けてÆthelstanと名乗るようになります。 &ref(サクラメント_洗礼(洗礼名:俗名と洗礼名2).JPG)デンマーク王子[[ヴィンセント>https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Vincent_of_Denmark]]の洗礼命名式(2011年4月14日) [[中世のキリスト教会>https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Christianity_during_the_Middle_Ages]](5-16世紀前半)は洗礼命名式で命名される&bold(){①洗礼名(Baptismal name)}が俗名になります。 洗礼しないと名無しの権兵衛さん? 心配はご無用。幼児洗礼が一般的な時代なので異教徒じゃなければ名無しの権兵衛さんにはなりません。 [[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]]になると洗礼命名式で命名される&bold(){①洗礼名(Baptismal name)}は「家族の中で個を識別」が重要になります。 私達が使ってる「お名前」と同じ認識ね。 20世紀後半から親が命名した俗名が洗礼で&bold(){②洗礼名(Given name)}になるが一般的になります。 } #endregion #region(close,ついでにF&Bに登場する皆さんの洗礼名の由来♥(ネタバレ)) 洗礼名は願い(Clement=慈悲深い)、家職(George=農民)、状況(Quintus=五男)、特徴(Calvin=ハゲ頭)…で命名します。 聖書の登場人物(Elizabethなど)や[[聖人>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint]](Francisなど)もご使用。 聖人は子供の[[守護聖人>https://en.wikipedia.org/wiki/Patron_saint]]になります。守護聖人の[[祝日>https://en.wikipedia.org/wiki/Calendar_of_saints]](Feast day)は子供のもう1つの誕生日[[聖名祝日>https://en.wikipedia.org/wiki/Name_day]]。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_name]] &ref(サクラメント_洗礼(由来).PNG)1560-1621年イングランドで人気の洗礼名([[オックスフォード大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Oxford]]名簿より) |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Elizabeth>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_(given_name)]]&br()西:Elisabet、Isabel、…|・由来は[[ギリシャ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Greek_language]]のΕλισάβετ、[[ヘブライ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Hebrew_language]]のElisheva(我は神に捧げられしもの)&br()・[[Elizabeth>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_(biblical_figure)]]は旧約聖書や新約聖書に登場するので聖人や女王がご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Philip>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_(name)]]&br()西:Felipe|・由来はギリシャ語のΦίλιππος=φίλος(愛する)+ ἵππος(カバ・馬)&br()・古代ギリシャではお金持ちだけが馬を所有できたの。カバは分かりませんでした| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[William>https://en.wikipedia.org/wiki/William_(given_name)]]&br()西:Guillermo|・由来は古[[ゲルマン語派>https://en.wikipedia.org/wiki/Germanic_languages]]のWilhelm=Wil(意志・願望)+helm(騎士の大きなヘルメット)&br()・イングランドでは1066年[[ノルマン征服>https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_conquest_of_England]]の後から人気| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Robert>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert]]&br()西:Roberto|・由来は[[古高ドイツ語>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_High_German]]のHrodebert=hruod(名声・栄光)+berht(輝く)&br()・イングランドではノルマン征服の前からご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Francis>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_(given_name)]]&br()西:Francisco|・由来はフランシスコ会の創設者[[聖アッシジのフランチェスコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_of_Assisi]]の洗礼名Francesco(フランス人)&br()・イングランドでは16世紀からご使用| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Geoffrey>https://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_(given_name)]]、[[Jeffrey>https://en.wikipedia.org/wiki/Jeffrey_(given_name)]]&br()仏:Geoffrey、Jeoffrey&br()西:ナシ|・由来は古高ドイツ語の[[Godafrid>https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried]]=god(godとgoodの融合)+frid(平和・保護)&br()・[[ノルマン系>https://en.wikipedia.org/wiki/Normans]]のジェフリー(Jeoffrey)になるまでの超ざっくりな道のりはこんな感じ&br()&ref(サクラメント_洗礼(由来:Geoffrey).PNG)| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Nigel>https://en.wikipedia.org/wiki/Nigel]]&br()西:ナシ|・由来は[[ゲール語>https://en.wikipedia.org/wiki/Goidelic_languages]]のNiall=[[古アイルランド語>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Irish]]のniadh(戦士・勝者・雲・情熱・熱心)&br()・ナイジェル(Nigel)になるまでの超ざっくりな道のりはこんな感じ&br()&ref(サクラメント_洗礼(由来:Nigel).PNG)| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Vincent>https://en.wikipedia.org/wiki/Vincent]]&br()西:Vicente、Vincente|・由来はラテン語のVincentius=ラテン語の動詞vincere(征服する・勝つ)のing形| |BGCOLOR(lightgrey):英:[[Leonard>https://en.wikipedia.org/wiki/Leonard]]&br()西:Leonardo|・由来は古高ドイツ語のLeonhard=levon(ライオン)+hardu(勇敢な・我慢強い)&br()・もう1つの由来はラテン語[[Leo>https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_(given_name)]](ライオン)| |BGCOLOR(lightgrey):英:ナシ&br()西:[[Alonso>https://en.wikipedia.org/wiki/Alonso]]|・由来は[[ガリシア・ポルトガル語>https://en.wikipedia.org/wiki/Galician-Portuguese]]のAdelfuns=adel(貴族)+funs(戦闘の準備完了)| #endregion #region(close,洗礼の次は堅信) 堅信は洗礼の終わった信徒が思春期になって受ける「聖霊の力・聖霊の恵みを受ける」の儀式です。日本でいう成人式って感じ? カトリック教会では「堅信で洗礼が完成」。 英国国教会は1563年[[39箇条>https://en.wikipedia.org/wiki/Thirty-Nine_Articles]]だと「堅信はサクラメントだけど通常の[[救済>https://en.wikipedia.org/wiki/Salvation_(Christianity)]]に必要ない」って扱いです。ちんぷんかんぷん…。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Confirmation]] &ref(サクラメント_洗礼(堅信).JPG)Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) #blockquote(){&u(){&bold(){洗礼名の次は堅信名(Confirmation name)}} 1551年9月19日[[フォンテーヌブロー宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Fontainebleau]]で生まれたフランス王[[アンリ3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_III_of_France]]は12月5日(?)幼児洗礼を受けます。 洗礼名はアレクサンドル=エドゥアール(Alexandre Édouard)。 1565年3月17日[[トゥールーズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Toulouse]]で堅信式を受けます。堅信名は父親のお名前アンリ(Henri)でその後「アンリ」の名で君臨。 &ref(サクラメント_洗礼(堅信:堅信名).JPG)ドミニコ会修道士[[ジャック・クレマン>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_Cl%C3%A9ment]]に刺されるアンリ3世([[三アンリの戦い>War of the Three Henrys]]) } #endregion **聖体(ホスチア)の秘蹟 聖体は聖変化した聖体(パン:神様の御体、水で薄めたワイン:神様の御血)を口にして神様を身体の中に受け入れる儀式です。 イエス・キリストの最後の晩餐が由来。 洗礼を受けてない人が気軽に食べちゃダメっぽいです。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacramental_bread]] &ref(サクラメント_聖体.JPG)[[Sandro Botticelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Sandro_Botticelli]]画「[[The Last Communion of St. Jerome>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Communion_of_St_Jerome_(Botticelli)]]」(1494–1495年) ミサの中の「[[聖餐>https://en.wikipedia.org/wiki/Eucharist]]」で司祭は御血が入ってる[[聖杯>http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Chalice]](カリス)に浸した御体を信者の舌の上に乗せます。 飲み込んだりバリバリ噛んだりするっぽい。 バリバリ噛むのは賛否両論。口の中で溶ける聖体もあります。聖体を食べられない幼児や病人はワインでもオケ。 #region(close,聖変化ってなに?) 聖変化は司教・司祭が奉献文を唱えてパン→御体、ワイン→御血に変化させるコトです。 &bold(){新しいミサ}の奉献文は「主よ、あなたはまことに神聖で、すべての神聖なるものの泉です。あなたに捧げる供えものを聖霊によって尊いものとしてください。私達の主イエス・キリストの御体と御血となりますように。…」 &bold(){トリエント・ミサ}は奉献文が違うかも。どうせラテン語だし、ってことで調べる気力がぜーんぜん湧きませんでした。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Transubstantiation]] &ref(サクラメント_聖体(聖変化).JPG)奉献文を唱える[[ローマ教皇ベネディクト16世>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Benedict_XVI]](2010年:スコットランド) #blockquote(){&u(){&bold(){聖変化でパンとワインはどうなっちゃうの?}} &italic(){&color(silver){一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 ~マタイによる福音書3章26-28節~}} &ref(サクラメント_聖体(聖変化_Species).JPG)[[Joan de Joanes>https://en.wikipedia.org/wiki/Vicente_Juan_Masip]]画「The Last Supper」(1562年) 聖変化は手品じゃないのでパンもワインも形、味、香りは変化しません。でも普通のパンとワインとは違うモノになるの。 気持ちの問題って感じ? 1551年第13回[[トリエント公会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]]は「実体は外観のみ残してキリストの実体に変化([[Species>https://en.wikipedia.org/wiki/Species_(Christianity)]])」とキッパリ決定します。 } #endregion **終油の秘蹟 終油の秘蹟(Extreme Unction)は死を迎えるカトリック教徒が受ける最後の儀式です。死を迎える魂の死への準備。 病死以外の死刑囚が受けられるのは告解と聖体のみ。 時代によって名前や方法が変わるのでF&B時代の方法はちんぷんかんぷん。1970年初期からは[[病者の塗油>https://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_(Catholic_Church)]]になります。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Last_Rites]] &ref(サクラメント_終油.JPG)Rogier van der Weyden画「The Seven Sacraments Altarpiece」(1445-1450年:ネーデルラント) |BGCOLOR(lightgrey):1|BGCOLOR(lightgrey):[[告解>http://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament_of_Penance_%28Catholic_Church%29]]|教徒が洗礼後に犯した罪の赦しのために司教・司祭に告白する。いない場合は誰でもオケ。&br()もし罪を犯したままだと地獄や煉獄に行っちゃう。天国に行けない。| |BGCOLOR(lightgrey):2|BGCOLOR(lightgrey):[[終油>http://en.wikipedia.org/wiki/Anointing_of_the_Sick_%28Catholic_Church%29]]|教徒に平穏や勇気を与えるために司教・司祭が教徒の体(額や唇など)にオリーブ油や純正植物油を塗る。&br()告解できない教徒はこれで罪の赦しオケ。| |BGCOLOR(lightgrey):3|BGCOLOR(lightgrey):[[聖体>http://en.wikipedia.org/wiki/Viaticum]]|教徒にあの世に旅立つ体力回復、永遠の命を与えるために司教・司祭・助祭・[[臨時奉仕者>http://en.wikipedia.org/wiki/Extraordinary_minister_of_Holy_Communion]]が聖体を与える。&br()聖体を口にできない時は、たぶんワインでもオケ。告解や終油ができなかった教徒にも必ずやる。| #region(close,最後の審判で「永遠の生命」を与えてもらうぞー!) 最後の審判([[公審判>https://en.wikipedia.org/wiki/General_judgment]])は[[キリストの再臨>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Coming]]で「死者を天国と地獄に振り分ける最終的な審判」です。 [[終わりの時>https://en.wikipedia.org/wiki/End_time]]にイエス・キリストが全部の天使と一緒に「キリスト教徒を天へ導き入れるため」に来るの([[終末論>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_eschatology]])。 ちなみに最後の審判の後[[この世>https://en.wikipedia.org/wiki/Cosmos]](The Universe)は[[新天新地>https://en.wikipedia.org/wiki/The_New_Earth]]、[[新しいエルサレム>https://en.wikipedia.org/wiki/New_Jerusalem]]になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Judgment]] &ref(サクラメント_終油(最後の審判).PNG) カトリック教会と英国国教会の「終わりの時」は[[千年王国>https://en.wikipedia.org/wiki/Millenarianism]](無千年王国説)の終わり。千年王国は「しばらくの間」続きます。 もともとの千年王国は1000年([[前千年王国説>https://en.wikipedia.org/wiki/Premillennialism]])。 4世期に神学者[[アウグスティヌス>https://en.wikipedia.org/wiki/Augustine_of_Hippo]]が無千年王国説を体系化して中世で広まります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Amillennialism]] #blockquote(){&u(){&bold(){最後の審判で「永遠の生命」を与えてもらうぞー!}} こちらは超ざっくりな最後の審判への道のり。全部は把握できてないけどなるべくF&B時代のカトリック教会です。 キリスト神学はビシっとルール化してないっぽい。 それにしてもキリスト神学って気絶しそうなくらい小難しい言葉が並んでるなあ。以上、愚痴でした。 &ref(サクラメント_終油(最後の審判:永遠の生命).PNG) |BGCOLOR(lightgrey):[[私審判>https://en.wikipedia.org/wiki/Particular_judgment]]|>|>|・全ての人々が死の直後に審判される「[[神のさばき>https://en.wikipedia.org/wiki/Divine_judgment]]」| |BGCOLOR(lightgrey):[[中間の状態>https://en.wikipedia.org/wiki/Intermediate_state]]|>|>|・私審判した死者の魂が現世で犯した罪を浄化する場所&br()・生きてる人々は葬儀、ミサ、[[死者の日>https://en.wikipedia.org/wiki/All_Souls%27_Day]](万霊節)で死者の魂へ祈り[[レクイエム>https://en.wikipedia.org/wiki/Requiem]]を捧げる| |~|BGCOLOR(lightgrey):[[神の座>https://en.wikipedia.org/wiki/Throne_of_God]]|BGCOLOR(lightgrey):[[天国>https://en.wikipedia.org/wiki/Heaven_(Christianity)]]|・道徳的に[[義しい人生>https://en.wikipedia.org/wiki/Righteousness]](ただしい人生)を送った人の魂が住む場所| |~|BGCOLOR(lightgrey):[[冥界>https://en.wikipedia.org/wiki/Underworld]]|BGCOLOR(lightgrey):[[煉獄>https://en.wikipedia.org/wiki/Purgatory]]|・[[神の恩寵>https://en.wikipedia.org/wiki/Grace_in_Christianity]]は受けてるけど天国に行くにはポイント不足な人生を送った人の魂が住む場所| |~|~|BGCOLOR(lightgrey):[[地獄>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_hell]]|・邪悪な人生(Wickedness)を送った人の魂が住む場所| |~|~|BGCOLOR(lightgrey):[[リンボ>https://en.wikipedia.org/wiki/Limbo]]|・[[原罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Original_sin]]を持ったままの人生(洗礼を受けてない)を送った人の魂が住む場所&br()・リンボは父祖リンボ(洗礼を受けてない大人)と幼児リンボ(〃幼児)の2種類| |BGCOLOR(lightgrey):[[最後の審判>https://en.wikipedia.org/wiki/Last_Judgment]]|>|>|・[[キリストの再臨>https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Coming]]で全ての死者の肉体と魂が合体([[死者の復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_the_dead]])&br()・全ての合体死者が審判される「神の絶対的な正義のさばき」「最終かつ永遠の審判」| |BGCOLOR(lightgrey):[[永遠の生命>https://en.wikipedia.org/wiki/Eternal_life_(Christianity)]]|>|>|・最後の審判した合体死者が永遠に住む場所([[あの世>https://en.wikipedia.org/wiki/Afterlife]])&br()・合体死者は神様が「死者の復活」で腐敗しない生命(Incorruptible life)を肉体に与えた永遠対応型に改造済み| |~|BGCOLOR(lightgrey):神の座|BGCOLOR(lightgrey):天国|・天国と煉獄にいた人が行く「永遠の幸福(Everlasting bliss)」の場所&br()・キリスト教徒じゃなくても義しい人も行けるっぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):冥界|BGCOLOR(lightgrey):地獄|・地獄にいた人が行く「永遠の責め苦(Everlasting condemnation)」の場所&br()・hellの別名がhell fireってくらい「地獄の火」に責められて苦しむ| ・&bold(){中間の状態}は「死んだら最後の審判までどこにいるの?」で中世に誕生した場所。聖書の解釈で誕生したから「罪を浄化する火(cleansing fire)」の有無とかで悩んでるっぽい。[[トリエント公会議>https://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_Trent]](1545-1563年)は「難解な問題はこれ以上議論しませーん!司教も説教で触れちゃダメダメ!だが中間の状態はある!」と決定します。 ・&bold(){リンボ}は聖書には書かれてないキリスト神学上の仮説の場所。最後の審判でどうなっちゃうかは明言されてません。 ・&bold(){最後の審判}は「最終かつ永遠の審判」だけど多くのキリスト神学が「最後の審判で天国に行った合体死者は&bold(){新天新地}へ帰る」と考えてます。F&B時代も考えてるかは分かりませんでした。 ・ちなみに中世は&bold(){中間の状態}で地獄に行っても&bold(){最後の審判}で天国に行くチャンスがありました。だから「コレを買えば貴方も死者も魂が地獄の苦しみから解放されます♥」の贖宥状がビシバシ売れたの。 } #blockquote(){&u(){&bold(){「望みの洗礼」でリンボを回避}} 「望みの洗礼」は洗礼を受けたかったけど受ける前に亡くなった人の[[救済>https://en.wikipedia.org/wiki/Salvation]]です。洗礼を受けた人と同じになるの。 中世は「望みの洗礼」の有効性で悩んでるっぽい。 [[ドゥエ=ランス聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Douay%E2%80%93Rheims_Bible]](1582年)はヨハネによる福音書3章5節に「望みの洗と血の洗礼([[殉教>https://en.wikipedia.org/wiki/Martyr]])礼は有効」と注釈してます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism_of_desire]] &ref(サクラメント_終油(最後の審判:望みの洗礼).JPG)マタイによる福音書21章(1582年:ドゥエ=ランス聖書) ドゥエ=ランス聖書は[[イングランド神学校>https://en.wikipedia.org/wiki/English_College,_Douai]]([[ドゥエー>https://en.wikipedia.org/wiki/Douai]])のイングランド人が英語に翻訳した聖書です。 } #endregion #region(close,どんな人が地獄へいくの?) 小難しいキリスト神学にウンザリ。ってことで、こちらは[[ウィリアム・シェイクスピア>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]著「[[ハムレット>https://en.wikipedia.org/wiki/Hamlet]]」(1599-1602年)です。 第3幕-第3場(城内の一室)のハムレットのセリフ。 ハムレットは「父親を殺した叔父クローディアスをどうやって地獄へ落とそうか!?」とモンモン中。 叔父クローディアスも「俺は兄弟殺しの罪で地獄行きかも!ヤバイくない?」とモンモン中。 モンモンの詳細は[[旅の途中で、シェイクスピア、イエス伝、法華経、阿弥陀経、十月の詩>http://www.james.3zoku.com/index.html]]さんをどうぞ。神学より分かりやすい♥ |&ref(サクラメント_終油(地獄).JPG)|今が絶好の機会だ。しかし、今あいつ(叔父)は祈っている。&br()今おれ(ハムレット)が殺る。あいつは天国へ行く。おれは復讐を果たした。&br()これはちょっと変だぞ、もっと考えなきゃ。&br()悪党が父を殺す、&br()一人息子のおれが、報復のために、その悪党を天国へ送る。&br()これじゃ人殺しの褒美に天国へ送るようなもんだ、復讐ではない。&br()あいつは、罪障消滅する間も与えず、父を殺したのだ、&br()断食もせず、五月の木々が芽吹くように、今が盛りの罪をいっぱいつけたまま。&br()父のあの世の清算はどうなるのだろう。&br()しかしこの世のあれやこれやを考えれば、父の罪の負債は重たいはずだ。&br()そしておれは、あいつが魂を清めているときに殺すのだ、&br()まさにあの世への旅路に相応しく。&br()だめだ。&br()剣をおさめろ、そしてもっと罪深い機会をとらえるのだ、&br()酔っ払って眠っているとか、怒り狂っているとか、&br()近親相姦のベッドで快楽をむさぼっているとか 、&br()賭けに興じているとか、汚い言葉でののしっているとか、&br()救いのかけらもないときに殺るのだ。&br()そうしてあいつをつまづかせ、あいつが天国を蹴飛ばして&br()呪われた黒い地獄へ落ちるようにしてやる。&br()母が待っている。奴の祈りは、苦しむ日々を長引かせるだけだ。| #blockquote(){&u(){&bold(){地獄への道のりってどんな感じ?}} こちらは[[Hieronymus Bosch>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Bosch]]画「[[The Seven Deadly Sins and the Four Last Things>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things]]:七つの大罪と四終」(1500年頃)です。 聖職者がベットで死を迎える罪人に終油の秘蹟を実施中。 後では天使と悪魔が罪人の魂を計測中。 なんで罪人がロウソクを握ってるのかは分かりませんでした。いくつかチェックしたけどそーゆー画は少ないっぽい。 &ref(サクラメント_終油(地獄_七つの大罪と四終).JPG)F&B時代は王フェリペ2世が[[エル・エスコリアル修道院>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Escorial]]に所蔵 こちらは[[El Greco>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Greco]]画「[[The Burial of the Count of Orgaz>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Burial_of_the_Count_of_Orgaz]]:オルガス伯の埋葬」(1586-1588年)です。 埋葬されてるのは13世紀[[オルガス>https://en.wikipedia.org/wiki/Orgaz]](トレド)の最有力者[[ドン・ゴンサロ・ルイス・デ・トレド>https://es.wikipedia.org/wiki/Gonzalo_Ruiz_de_Toledo]](1323年没)。 伝説によると[[聖ステファノ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Stephen]]と[[聖アウグスティヌス>https://en.wikipedia.org/wiki/Augustine_of_Hippo]]が降臨して埋葬をお手伝い。 後の参列者はトレド協会(Toledan society)の主要メンバー。 当時の貴族には「街の著名な貴族の埋葬を手伝うべし」の慣習がありました。上部はオルガス伯を迎える[[楽園>https://en.wikipedia.org/wiki/Paradise]](≒天国)。 &ref(サクラメント_終油(地獄_オルガス伯の埋葬).JPG)F&B時代は[[サント・トメ教会>https://es.wikipedia.org/wiki/Iglesia_de_Santo_Tom%C3%A9_(Toledo)]]に所蔵(庶民に公開) こちらはHieronymus Bosch画「[[The Harrowing of Hell>https://en.wikipedia.org/wiki/Harrowing_of_Hell]]:地獄の征服」(16世紀)です。出所が不確かな作品。 [[キリストの磔刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]と[[復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_Jesus]]の間にキリストが地獄にいる「義しい人」を救済中。 この画には「キリストが行ったのは地獄じゃなくて実はリンボ([[ニコデモによる福音>https://en.wikipedia.org/wiki/Harrowing_of_Hell]])」など別バージョンもあります。 &ref(サクラメント_終油(地獄_地獄の征服).JPG) こちらは[[Hans Memling>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Memling]]画「[[The Last Judgment>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Judgment_(Memling)]]:最後の審判」(1467-1471年)です。 [[メディチ銀行>https://en.wikipedia.org/wiki/Medici_Bank]]([[ブルッヘ>https://en.wikipedia.org/wiki/Bruges]]支店)の依頼で描いたけど、納品中に[[グダニスク>https://en.wikipedia.org/wiki/Gda%C5%84sk]]の私略船[[Paul Beneke>https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Beneke]]に強奪されちゃった作品。 もっちろんブルッヘ支店は[[ハンザ同盟>https://en.wikipedia.org/wiki/Hanseatic_League]]で訴訟を開始…ちなみに21世紀は[[グダニスク国立博物館>https://en.wikipedia.org/wiki/National_Museum,_Gda%C5%84sk]]に展示中。 中央は天使[[ミカエル>https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_(archangel)]]がブルッヘ支店長[[Tommaso Portinari>https://en.wikipedia.org/wiki/Tommaso_Portinari]]の魂を天秤で判定中。 左側は使徒[[ペトロ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Peter]]と天使に誘導されて天国に行くハダカの人達。右側は地獄で[[天罰>https://en.wikipedia.org/wiki/Damnation]]を受けるハダカの人達です。 &ref(サクラメント_終油(地獄_最後の審判).JPG)F&B時代は[[聖マリア教会>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Mary%27s_Church,_Gda%C5%84sk]](グダニスク)に所蔵 こちらは[[Sandro Botticelli>https://en.wikipedia.org/wiki/Sandro_Botticelli]]画「Chart of Hell:地獄の見取り図」(1480-1490年)です。 [[ダンテ・アリギエーリ>https://en.wikipedia.org/wiki/Dante_Alighieri]]著「[[神曲>http://en.wikipedia.org/wiki/Divine_Comedy]]」(1320年)の挿絵。 リンボは第1圏、異端者は第6圏、BLは第7圏、キリストを裏切った[[イスカリオテのユダ>https://en.wikipedia.org/wiki/Judas_Iscariot]]は第9圏で永遠に苦しんでます。 &ref(サクラメント_終油(地獄_地獄の図).JPG) } #endregion *大斎日(カ:だいさい、英:たいさい)と小斎日(しょうさい) 大斎と小斎は食べる量を減らす日です。元ネタは[[初代教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Early_Christianity]]の水曜日と金曜日の断食。 神様への集中(spiritual focus)、自身への鍛錬(self discipline)、[[神様の模倣>http://en.wikipedia.org/wiki/Imitation_of_Christ]]、罪のゆるし(performing penance)をするためのもの。 21世紀もカトリック教徒は金曜日に[[魚フライ>https://en.wikipedia.org/wiki/Fish_fry]]を食べる習慣があります。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Fasting_and_abstinence_in_the_Roman_Catholic_Church]] &ref(大斎日と小斎日.JPG)[[Daniele Crespi>https://it.wikipedia.org/wiki/Daniele_Crespi]]画「The Fasting of St. Charles:[[聖カルロ・ボッロメーオ>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Borromeo]]の大斎日」(1625年頃:イタリア) |BGCOLOR(lightgrey):大斎日|[[断食>http://en.wikipedia.org/wiki/Fasting]]の日。1日に1回十分な食事を摂って、あとの2食は少ない量に抑える。| |BGCOLOR(lightgrey):小斎日|[[禁欲>http://en.wikipedia.org/wiki/Abstinence]]の日。鳥獣の肉、卵(16世紀はお肉ってジャンルなの)、乳製品を食べないようにする。お魚は食べてもいい。| #region(close,修道院の小斎日ってどんな感じ?) こちらは復活祭前の木曜日です。 明日は小斎日だからお肉を食べちゃダメダメ!ってことで、[[フランシスコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Franciscan]]修道士が修道院の養魚池でお魚釣ってるトコ。 &ref(大斎日と小斎日(修道院:Thursday).JPG)[[Walter Dendy Sadler>http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Dendy_Sadler]]画「Thursday:Tomorrow will be friday」(1880年:イギリス) こちらは「Thursday:Tomorrow will be friday」の姉妹編。お肉を食べちゃダメダメ!な小斎日の金曜日です。 [[ドミニコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]修道士がご招待したフランシスコ会修道士と一緒に夕食してるトコ。 お夕飯のメニューは大きな画を見てこんな感じ?と書いたものなので間違っちゃってるかもしれません。 &ref(大斎日と小斎日(修道院:friday).JPG)Walter Dendy Sadler画「Friday」(1882年:イギリス) 小斎の食事が豪華でビックリ。ちなみにWalterさんはこんなコトを言ってたそうです。 &italic(){&color(silver){I can recall no reason why I tried to paint monks, but I do remember that I never had a real monk as a model. I have studied them on the Continent, also at a small monastery at Crawley, in Sussex.}} &italic(){&color(silver){描こうと思った理由は忘れちゃったけど、モデルになる本物の修道士がぜーんぜんいなかったのは覚えてます。しょーがないから大陸やクローリー(イギリス)の小さな修道院の修道士を参考にしましたよ。}} ~[[Garden of Praise>http://gardenofpraise.com/index.htm]](Friday by W. Dendy Sadler)さんより~ #endregion **年間スケジュール 全部は把握できてないけどなるべくF&B時代の開催日、なるべくカトリック教会の名称です。 英国国教会は調べてる途中で力尽きたorz 年中やってるのは16世紀の食料事情もあるようです。あと7歳以下の子供、病人、体力が必要な仕事、学生、旅行者は免除かも。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール.PNG) |BGCOLOR(lightgrey):[[四旬節>http://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]|キリスト教徒の最重要日[[▲復活祭>http://en.wikipedia.org/wiki/Easter]]までの46日間。復活祭は1587年は3月29日、1588年は4月17日です。| |BGCOLOR(lightgrey):[[祈願節>http://en.wikipedia.org/wiki/Rogation_days]]|[[▲昇天日>http://en.wikipedia.org/wiki/Ascension_Day]](木曜日)までの3日間。祈願節 は年に4回あるみたいだけど、よく分からなかったです。| |BGCOLOR(lightgrey):[[待降節(アドベント)>http://en.wikipedia.org/wiki/Advent]]|[[▲クリスマス>http://en.wikipedia.org/wiki/Christmas]]までの4週間。日曜日から始まる。| |BGCOLOR(lightgrey):[[四季の斎日>http://en.wikipedia.org/wiki/Ember_days]]|・冬…待降節の第3日曜日からの一週間。&br()・春…四旬節の第1日曜日からの一週間。&br()・夏…[[▲聖霊降臨祭>http://en.wikipedia.org/wiki/Pentecost]](神様の聖霊が降ってきた出来事)から[[▲三位一体の祝日?>http://en.wikipedia.org/wiki/Trinity_Sunday]](日曜日)までの一週間。&br()・秋…[[▲十字架称賛祝日>http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Cross_Day]](処刑に使った十字架が発見された出来事)の後の日曜日からの一週間。| |BGCOLOR(lightgrey):重要な[[ビジリア>http://en.wikipedia.org/wiki/Vigil]]|・▲聖霊降臨祭の前の土曜日。&br()・[[▲諸聖人の日>http://en.wikipedia.org/wiki/All_Saints%27_Day]](すべての聖人と殉教者を記念)の前夜10月31日。&br()・▲クリスマス・イブの12月24日。 などなど。| #region(close,とっても大変な四旬節) [[四旬節>https://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]は[[灰の水曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Ash_Wednesday]]から[[復活祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter]]の前日までの6週間祈りを通して[[償い>https://en.wikipedia.org/wiki/Penance]]、[[悔い改め>https://en.wikipedia.org/wiki/Repentance_(Christianity)]]、[[慈善>https://en.wikipedia.org/wiki/Alms]]、[[贖い>https://en.wikipedia.org/wiki/Atonement_in_Christianity]]、[[禁欲>https://en.wikipedia.org/wiki/Ascetical_theology]]を準備する期間です。 皆さんでイエス・キリストが[[40日断食しながら荒野をウロウロして悪魔の誘惑に耐えた>https://en.wikipedia.org/wiki/Temptation_of_Christ]]を体験。 多くのカトリック教会は祭壇の花飾りを取り除いて、[[十字架像>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifix]]などの装飾品は紫色の布(violet fabric)で覆い隠します。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節).JPG)[[Pieter Bruegel the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「[[謝肉祭と四旬節の喧嘩>http://en.wikipedia.org/wiki/The_Fight_Between_Carnival_and_Lent]]」(1559年) こちらはネーデルラント南部の「左側:いっぱい食べる[[謝肉祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Carnival]]」と謝肉祭の後に始まる「右側:いっぱい節制する[[四旬節>https://en.wikipedia.org/wiki/Lent]]」です。 下側では謝肉祭と四旬節の擬人像が戦闘中。 謝肉祭で肉を売り尽くした肉屋のオヤジは、四旬節になると店を閉めて牛を仕入れに田園地方へ旅行するそうです。 #blockquote(){&u(){&bold(){四旬節の伝統料理}} ・謝肉祭の擬人像…ビア樽に乗った肉屋のオヤジ。頭にミートパイ。手に豚・鳥・ソーセージが刺さった串。 ・四旬節の擬人像…椅子に座った&tooltip(サラコスティ夫人){Lady Lent (Kyra Sarakosti)。この人は修道女の服を着た男。21世紀は7本足の紙人形やクッキーで四旬節の毎週日曜日に足を1本抜く。オーソドックスの習慣なのかも?}。手にニシンが乗ったシャモジ。台車には四旬節の伝統料理[[プレッツェル>https://en.wikipedia.org/wiki/Pretzel]]、[[ワッフル>https://en.wikipedia.org/wiki/Waffle]]、[[ムール貝>https://en.wikipedia.org/wiki/Mussel]]。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:伝統料理).JPG)Pieter Bruegel the Elder画「謝肉祭と四旬節の喧嘩」(1559年) カトリック教会では四旬節の間にラード、乳製品(ミルクやバターなど)、タマゴ…を食べちゃダメダメです。 ってことで、小麦粉と水で作る簡単な焼き菓子プレッツェルならオケ。 結び目の形は「[[お祈り>https://en.wikipedia.org/wiki/Prayer]]の手」を表現してると言われてます。ワッフルとムール貝の理由は分かりませんでした。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Pretzel]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:伝統料理2).JPG) 右側:[[Pieter Brueghel the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Younger]]画「Battle of Carnival and Lent」(時代不明) 左側:[[Hieronymus Wierix>https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_Wierix]]画「P. Franciscus Xavierius...invexit」(1619年以前) } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドの「ホカホカの十字パン」}} イングランドでは[[聖金曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Friday]]に十字パンを食べます。[[懺悔の火曜日>https://en.wikipedia.org/wiki/Shrove_Tuesday]](パンケーキ・デイ)から十字パンを焼くの。 パンに上に生地やナイフ(21世紀はチョコやクリーム)で十字の印。 1592年女王エリザベス1世は「ロンドンの市場で十字パンの販売は聖金曜日・クリスマス・[[埋葬>https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_burial]]だけオケ」と命令します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hot_cross_bun]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:十字パン).JPG) 十字パンの最初の記録はこちらの[[書籍出版業組合>https://en.wikipedia.org/wiki/Worshipful_Company_of_Stationers_and_Newspaper_Makers]]出版「[[貧しいロビンの暦>https://en.wikipedia.org/wiki/Poor_Robin]]」(1733年:イングランド)です。 スパイスの効いた[[生活暦>https://en.wikipedia.org/wiki/Almanac]]の本。 この歌が進化したマザーグースの「[[ホカホカの十字パン>https://en.wikipedia.org/wiki/Hot_Cross_Buns]]」の方が有名かも。F&B時代はおいくらなんでしょね? &italic(){&color(silver){Good Friday comes this month, 聖金曜日が始まったよ}} &italic(){&color(silver){the old woman runs. 老婆が声を張る}} &italic(){&color(silver){With one or two a penny hot cross buns 1つでも2つでも1ペニーのホカホカの十字パン♪}} &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(四旬節:十字パン2).JPG) 左側:パンケーキ・レース(1951年:オルニー) 右側:中世の暴走サッカー ちなみに「懺悔の火曜日(パンケーキ・デイ)」はイングランド各地でパンケーキ・レース(Pancake race)を開催します。 最初の開催は1445年[[オルニー>https://en.wikipedia.org/wiki/Olney,_Buckinghamshire]](バッキンガムシャー)。 パンケーキ焼きで大忙しの奥様が教会の鐘を聞いて「あら!11時だわ!」とプライパンを持ったまま教会へ走るレースです。 9~12世紀の「懺悔の火曜日」はお昼ご飯を食べ終わった若者が[[暴走サッカー>https://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_football]](Mob football)を開催してます。 16世紀になると冬のバイオレンスなスポーツへ。 試合中の打撲や骨折、暴動もアリ。王ヘンリー8世が1526年ビロードや革製のサッカーシューズを注文した記録があります。 } #endregion #region(close,四旬節が終わった!復活祭のイースター・エッグだ!) 復活祭(イースター)は[[処刑されたイエス・キリスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion_of_Jesus]]が3日目に[[復活>https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_of_Jesus]]したことを記念・記憶するお祝いです。 死人が生き返って皆さんビックリ中。 復活したイエス・キリストは弟子達の前に登場したりしばらく地上をウロウロして[[天に昇り>https://en.wikipedia.org/wiki/Ascension_of_Jesus]]ます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(イースター・エッグ).JPG)[[Sebastiano Ricci>https://en.wikipedia.org/wiki/Sebastiano_Ricci]]画「The Resurrection」(1715-16年頃) 四旬節が終わった復活祭の朝は「復活祭だ!春が来た!」のお祝いにプレッツェルを隠す習慣がありました。 禁止のタマゴも食べられるぜ! タマゴは「豊かと再生」の象徴です。四旬節の間にニワトリが生んで貯まったタマゴを腐る前に一気に消費できて一石二鳥。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Easter_egg]] #blockquote(){&u(){&bold(){スペインの伝統料理「オルナソ」}} オルナソはスペインの[[サラマンカ>https://en.wikipedia.org/wiki/Salamanca]]や[[アビラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Province_of_%C3%81vila]]で復活祭のお祭り「[[Lunes de aguas>https://es.wikipedia.org/wiki/Lunes_de_aguas]]:川の月曜日?」に食べるミートパイです。 他の地域では甘いパンもあり。 どちらも固ゆでタマゴを使ってます。四旬節の間は貯まったタマゴを「固ゆでタマゴ」にして保存してたの。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Hornazo]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(イースター・エッグ:スペイン).JPG) 左側:ミートパイのオルナソ(中身は固ゆでタマゴ、ベーコン、チョリソー) 右側:甘いパンのオルナソ 不思議なお名前「Lunes de aguas」の由来は「enagua:ねじれ」「[[ペティコート>https://en.wikipedia.org/wiki/Petticoat]]:街の[[売春婦>https://en.wikipedia.org/wiki/Prostitution]]がドレスの下に着用」です。 神聖な四旬節の間は男性を惑わせる売春も禁止。 サラマンカにいた王フェリペ2世は「売春婦はトルメス川の向こう岸へ行け。復活祭になったら街へ戻ってオケ」と命令。 復活祭で売春婦との再会に喜んだ人達がトルメス川へ飛び込んだそうです。 } #endregion #region(close,イエス・キリストの誕生だ!公現祭のロスコだ!(残酷な画があるのでご注意下さい)) 公現祭は「東方三博士の礼拝」のお祝いです。元ネタは[[東方教会>https://en.wikipedia.org/wiki/Eastern_Christianity]]の[[イエスの洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism_of_Jesus]](ユリウス暦:1月6日)のお祝いっぽい。 洗礼が公現祭になった理由は昔過ぎて謎だけど、361年には公現祭を祝った記録アリ。 こちらの絵画の主題は「The King Drinks and As the Old Sing, So Pipe the Young.:王様は飲み、老人は歌い、若人は奏でる」です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Epiphany_(holiday)]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭).JPG)[[Jacob Jordaens>https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Jordaens]]画「The King Drinks」(1640年頃:アントワープ) 16世紀の公現祭は1月6~13日の「8日間([[オクターヴ>https://en.wikipedia.org/wiki/Octave_(liturgical)]])飲めや歌えや(The Octave of Epiphany)」のお祝いです。 カトリック教会は1955年、英国国教会は1976年に「8日間」を廃止。 なんやかんやで21世紀は「1月6日辺りの日曜日だけ飲めや歌えや(The Epiphany of the Lord)」のお祝いになります。 #blockquote(){&u(){&bold(){「東方三博士の礼拝」ってなに?}} &italic(){&color(silver){イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 (中略) 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。 ~マタイによる福音書2章1-11節~}} &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:東方三博士の礼拝).JPG)[[El Greco>https://en.wikipedia.org/wiki/El_Greco]]画「Adoración de los Reyes Magos:東方三博士の礼拝」(1568年) 「東方三博士の礼拝」は[[星の出現>https://en.wikipedia.org/wiki/Star_of_Bethlehem]]でイエス・キリストの誕生を知った[[マギ>https://en.wikipedia.org/wiki/Magi]](賢者・王様)がお祝いに行くエピソードです。 マギは[[メルキオール>https://en.wikipedia.org/wiki/Melchior_(Magi)]](アラビア)、[[カスパール>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Caspar]](アジア)、[[バルタザール>https://en.wikipedia.org/wiki/Balthazar_(Magi)]](アフリカ)の3人。 スペインではカッコの地区の代表マギと信じられてます。マギはイエスを拝んで[[乳香>https://en.wikipedia.org/wiki/Frankincense]]・[[没薬>https://en.wikipedia.org/wiki/Myrrh]]・黄金をプレゼント。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Biblical_Magi]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:東方三博士の礼拝2).JPG)[[Matteo di Giovanni>https://en.wikipedia.org/wiki/Matteo_di_Giovanni]]画「Massacre of the Innocents」(1488年) 実はマギが「王様になる赤ちゃんはどこ?どこ?どこなのよ?」と聞き込みしてるのを[[ヘロデ王>https://en.wikipedia.org/wiki/Herod_the_Great]]が耳にしちゃってました。 ってことで、ヘロデ王は「赤ちゃんが自分の地位を揺るがしかねない!」と2歳以下の男児を殺害。 マギのせいでとんでもない展開に…賢者というよりアホアホ?ちなみにイエス・キリストはエジプトへ逃げたので無事です。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Massacre_of_the_Innocents]] } #blockquote(){&u(){&bold(){スペインの王様のケーキ「王様のロスコ:Roscón de Reyes」}} スペインでは1月5日の夜、3人の王様(Reyes Magos)からのプレゼントを受け取る靴を磨いて置いておく伝統があります。 王様が乗るラクダのゴハン(干し草とお水)もご一緒に準備。 朝起きるとゴハンはカラッポになって靴の下にプレゼントが♥ 悪い子のプレゼントは炭菓子[[Carbón dulce>https://es.wikipedia.org/wiki/Carb%C3%B3n_dulce]]。21世紀は公現祭だけでなくクリスマスもプレゼントを貰うようになります。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:ロスコ).JPG) カトリック教会は1月6日王様が来たお祝いに[[王様のケーキ>https://en.wikipedia.org/wiki/King_cake]]を食べます。スペインは冠の形をした「王様のロスコ」。 ロスコの中に「ヘロデ王から赤ちゃんイエス・キリストを逃がす」の伝統で乾燥[[ソラ豆>https://en.wikipedia.org/wiki/Vicia_faba]]や人形を隠す。 ソラ豆が当たった人は来年のロスコまたはパーティー費用を負担。 人形が当たった人は祝福されてパーティーの王様に任命。人形は2月2日[[聖燭祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Presentation_of_Jesus_at_the_Temple]]にご近所の教会に納めなくちゃいけません。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Rosca_de_reyes]] } #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドの王様のケーキ「十二夜のケーキ:Twelfth Cake」}} 十二夜はクリスマス・シーズン([[クリスマス~公現際の12日>https://en.wikipedia.org/wiki/Twelve_Days_of_Christmas]])の終わりです。 元ネタはケルトの[[サウィン>https://en.wikipedia.org/wiki/Samhain]](収穫期が終わり冬(Darker half)が始まる)や古代ローマの[[サートゥルナリア祭>https://en.wikipedia.org/wiki/Saturnalia]](農神祭)。 日常は「[[逆さまの世界>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_Misrule]]」になって午前0時なると日常へ戻ります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Twelfth_Night_(holiday)]] &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:イングランド).JPG) 左側:「逆さまの世界」で狩猟犬にまたがる得意げなウサギ(中世:The Friary House([[Derby Blackfriars>https://en.wikipedia.org/wiki/Derby_Blackfriars]])のタイル) 右側:ワセイル 16世紀の英国国教会は1月5日(ユリウス暦:1月17日)に[[豆>https://en.wikipedia.org/wiki/Bean]]を隠した王様のケーキ「十二夜のケーキ」を食べます。 豆が当たった人が豪華な食事を支配。 暖かい[[蜂蜜酒>https://en.wikipedia.org/wiki/Mead]](蜂蜜入り[[エール>https://en.wikipedia.org/wiki/Ale]])に焼きリンゴを漬けた[[ワセイル>https://en.wikipedia.org/wiki/Wassail]]([[フルーツポンチ>https://en.wikipedia.org/wiki/Punch_(drink)]]の1つ)もご一緒にどうぞ。 &ref(大斎日と小斎日_年間スケジュール(公現祭:イングランド2).JPG)[[Pieter Bruegel the Elder>https://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Bruegel_the_Elder]]画「The Festival of Fools」(1570年頃:ネーデルラント) 「逆さまの世界」では[[愚者の饗宴>https://en.wikipedia.org/wiki/Feast_of_Fools]]を開催してお百姓さん達から選ばれた[[無礼講の王>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_of_Misrule]]をおもてなしします。 [[Philip Stubbes>https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Stubbs]]著「Anatomie of Abuses:悪弊の解剖」(1583年)によるとこんな感じ。 Google先生は古英語が苦手っぽいので、C. L . バーバー著「シェイクスピアの祝祭喜(玉泉八州男訳)」を引用しました。 &italic(){&color(silver){まず初めに, 教区の気違い野郎どもは, 集まると, 彼らが「無礼講の王(=Lord of Misrule)」の尊称を奉っている(悪事百般の) 頭領(=grand captain (of mischief))を選びだし, 恭々しくその男に王冠を冠せ, 彼らの王に認ずる。}} &italic(){&color(silver){この油塗られた王は, 自分と同じ屈強な若者(=lusty guts)を二十人か四十人, または八十人か百人選び, 王権にかしずかせ, 高貴な身である自らの身辺の護衛に当たらせる。}} &italic(){&color(silver){そして,その従者の一人一人に, 緑か黄かまたは他の明るい淫りがましい色のお仕着せを与える。}} &italic(){&color(silver){しかし, それだけでは充分に(淫らでも) 派手すぎもしないとでもいいたげに, 彼らはスカーフを巻いたりリボンをつけたりレースを身に纒ったりし, そこに金環, 貴石その他の宝石類をびっちりぶらさげる。}} &italic(){&color(silver){(中略)}} &italic(){&color(silver){それですっかり身仕度が整うと, 彼らは木馬や龍やその他古めかしいものをもちだし, みだらな楽を奏でる笛吹き男や耳をつんざかんばかりの音を打ちならす鼓手に合図すると, 忌わしいダンスを開始する。}} &italic(){&color(silver){それから,教会やその敷地内へ向けて, これらのばち当たりどもは行進していく。}} &italic(){&color(silver){ブーブー, ドンドン楽器をならし, ハタハタ, ジャンジャン, 足を踏みならすやら鈴をならすやら, 騒々しい限りである。}} &italic(){&color(silver){おまけに気違いのように頭の回りに巻いたハンカチを風に扉かせながら, その雑踏の中で木馬やその他の怪物どもに小ぜりあいをやらせる。}} &italic(){&color(silver){そういう調子で奴らは( こともあろうに) 教会まで押しかけ, (牧師が祈祷や説教中というのに) 踊りながら閣入し, 教会の中で悪魔よろしく頭上でハンカチを振りまわし, 嬌声を発する。}} &italic(){&color(silver){ために牧師の声がかき消されてしまう始末である。そして, 間抜けづらをしたり, 人をにらみつけたり笑ったりからかったり, あまつさえベンチや座席の上に飛び上がったりして, かかる結構な見せものを荘厳なものに化そうとするのである。}} } #endregion *スペイン異端審問 スペイン異端審問はスペイン、スペインの領土、スペインの植民地で[[異端>https://en.wikipedia.org/wiki/Heresy_in_Christianity]]の容疑者を裁判するカトリック教会のシステムです。 1478年[[カトリック両王>https://en.wikipedia.org/wiki/Catholic_Monarchs]]がユダヤ教徒とイスラム教徒を確実に改宗させるために設立。 最後の処刑は1826年[[理神論>https://en.wikipedia.org/wiki/Deism]]を唱えた教師[[Cayetano Ripoll>https://en.wikipedia.org/wiki/Cayetano_Ripoll]]。ヨーロッパ中から「時代遅れ」とドン引きされて1834年廃止します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Inquisition]] &ref(スペイン異端審問.jpg)González de Montes, Raimundo著「Sanctae Inquisitionis Hispanicae artes aliquot detectae, ac palam traductae. English」(1569年) #region(close,スペイン異端審問の組織) スペイン異端審問は検邪聖省(Santo Oficio)の管轄です。王様が[[異端審問官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Grand_Inquisitor]]を指名(=王様が主導できる裁判ってコト)。 異端審問官長はメンバー6-10人の[[スプレマ(最高異端審問会議)>https://es.wikipedia.org/wiki/Consejo_de_la_Suprema_Inquisici%C3%B3n]]を統轄。 その下に宗教裁判所。最初は「必要な時に必要な場所で開催」だったけどセビリア、コルドバ、…と常設の宗教裁判所になります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Inquisition]] &ref(スペイン異端審問(組織).jpg)The districts of the Spanish Inquisition, 1570–1820 #blockquote(){&u(){&bold(){スペイン異端審問の構成}} 宗教裁判所を仕切る[[異端審問官>https://en.wikipedia.org/wiki/Inquisitor]]はほとんどが[[教区の聖職者>https://en.wikipedia.org/wiki/Secular_clergy]]([[修道会>https://en.wikipedia.org/wiki/Religious_order]]に属さない)。神学者より法学者が多く選ばれました。 任期アリ(バレンシア宗教裁判所で平均2年)。 ちなみに1608年王フェリペ3世(王フェリペ2世の息子)は「異端審問官は全員法律経験者じゃないとダメダメ」にします。 &ref(スペイン異端審問(組織:構成).png)Structure of the Spanish Inquisition(日本語は超テキトー) 初期の宗教裁判所は2人の異端審問官と検察官(Fiscal)、調査官(Calificador)、獄吏官(Alguacil)で構成されてました。 その後どーんどん大きくなったの。 お名前だけではサッパリ分からないこちらの2つは検邪聖省の外部協力者です。任期ナシなんだって。 ・[[ファミリアル(Familiares)>https://es.wikipedia.org/wiki/Familiar_de_la_Inquisici%C3%B3n]]…もともとは[[中世の異端審問>https://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_Inquisition]]の情報提供者。「[[血の純化>https://en.wikipedia.org/wiki/Limpieza_de_sangre]]」と呼ばれる名誉職で特権「異端審問の被告になりません」を貰えるから皆さんに大人気。 ・[[コミサリオ(Comisarios)>https://es.wikipedia.org/wiki/Comisario_del_Santo_Oficio]]…もともとは「必要な時に必要な場所で開催」だった宗教裁判所の最高責任者?たまに検邪聖省に協力する修道会の皆さん。 } #endregion #region(close,スペイン異端審問の流れ) 裁判ってドラマしか知らないけどスペイン異端審問は21世紀の裁判とぜーんぜん違うなぁって思いました。 被告の権利なんてナシっぽい。 ちなみに日本国憲法は「36条:拷問、残虐刑の禁止」「37条:刑事被告人の権利」「39条:一事不再理」を保証してます。ほー! &ref(スペイン異端審問(流れ).jpg)21世紀日本の刑事裁判の流れ([[平哲也 法律事務所>http://ttlo.jp/]]さんより) #blockquote(){&u(){&bold(){1.告発}} 日曜日のミサで[[異端審問官>https://en.wikipedia.org/wiki/Inquisitor]]が宗教裁判所に提出された告発状「[[Edicto de gracia>https://es.wikipedia.org/wiki/Edicto_de_gracia]]」を読み上げます([[公然たる非難>https://en.wikipedia.org/wiki/Denunciation]])。 被告には教会と和解する30-40日の[[猶予期間>https://en.wikipedia.org/wiki/Grace_period]]があるの。 この期間にほとんどの被告が自発的に出頭。宗教裁判所は出頭した被告に「別の異端者」のタレコミを推奨します。 1500年頃から告発状Edicto de graciaは猶予期間ナシの告発状「[[Edicto de fe>https://es.wikipedia.org/wiki/Edicto_de_fe]]」に代わります。 告発は匿名でオケ。 被告にナイショで告発できるぜ!ってことで、個人的な嫉妬、恨み、…のニセ告発が多発しちゃいます。 &ref(スペイン異端審問(流れ:1.告発).jpg)Edicto de gracia inquisitorial dictado en 1524 告発は異教徒だけじゃなく[[ウィッチクラフト>https://en.wikipedia.org/wiki/Witchcraft]]、[[冒涜(ぼうとく)>https://en.wikipedia.org/wiki/Blasphemy]]、[[重婚>https://en.wikipedia.org/wiki/Bigamy]]、[[ソドミー>https://en.wikipedia.org/wiki/Sodomy]]、[[フリーメイソン>https://en.wikipedia.org/wiki/Freemasonry]]も対象者です。 ちなみにソドミーの割合は聖職者19%、貴族6%、労働者37%、使用人19%、兵士と水夫18%。 レイプや12歳未満の被告は無罪になるチャンスアリ。若者なら軽い刑罰、25歳以上の被告はほぼ死刑でございます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){2.勾留}} 調査官(calificadores)が「被告は異教徒か?キリスト教徒か?」を調査します。たいていの調査官は神学者が担当。 調査開始に被告が数年待たされる場合もアリ。 勾留費や調査費は宗教裁判所が差し止め(≒没収)た被告の財産から支払われます。異端審問ってお金が掛かるの。 &ref(スペイン異端審問(流れ:2.勾留).jpg)[[Museo de la Inquisición y del Congreso>https://es.wikipedia.org/wiki/Museo_de_la_Inquisici%C3%B3n_y_del_Congreso]](ペルー) 被告は告発内容を知らないまま勾留されます。勾留中はミサへの参加も[[サクラメント>https://en.wikipedia.org/wiki/Sacrament]]を受けるのも禁止でとーっても孤独。 ちなみに異端審問の進行状況も非公開。 なのもかもナイショじゃ被告は裁判の準備なんてムリよねー。被告のお世話は看守官(alcaide)が担当します。 } #blockquote(){&u(){&bold(){3.審議}} 告発者と被告が証言します。この段階でやっと付いた被告の弁護士は「正直に話しなさい」とアドバイスするだけ。 超ピンチな状況で被告が身を守る方法はこちら。 ・非難証言(proceso de tachas)…告発者や証人が個人的な嫉妬、恨み、…のニセ告発したコトを証明する。 ・保証証言(proceso de abonos)…被告に有利な証人を見つける。 ・間接証言(proceso de indirectas)…告発状を論破できる証人を見つける。 異端審問は被告の証言(=自白)に拷問もご利用します。 H. C. Lea著「García Cárcel」(1976年)によると1575-1610年トレド異端審問は1/3に拷問をご利用したんだって。 被告の拷問は腕の良い強制執行官(alguacil)が担当します。 &ref(スペイン異端審問(流れ:3.裁判).jpg)作者不明「[[Galileo Galilei>https://en.wikipedia.org/wiki/Galileo_Galilei]] at his trial at the Inquisition in Rome in 1633」 [[レクサシオン(不服申し立て)>https://es.wikipedia.org/wiki/Recusaci%C3%B3n]]は法律用語「Challenge to the judge:裁判官の忌避」です(Dahl's Law Dictionary)。 うーん、16世紀と意味が違うのかも…。 1591年3月[[トレド大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Toledo_Cathedral]]の司祭Alonso de Mendozaがスプレマに「[[Lucrecia de León>https://es.wikipedia.org/wiki/Lucrecia_de_Le%C3%B3n]]の逮捕は偏見と先入観に満ちてる」とレクサシオンを提出してます。 Lucrecia de Leónは夢で「[[サンタ・クルス侯爵>https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%81lvaro_de_Baz%C3%A1n,_1st_Marquis_of_Santa_Cruz]]の後任」、「アルマダ海戦の敗北」、…415件の未来を予言した女性です。 1590年5月王フェリペ2世の命令でトレド異端審問がLucreciaを逮捕。 拷問したけど「夢に対する責任の自白」は引き出せなかった。ってことで、1595年9月投票(diferencias)で軽い刑罰[[ abjuración de levi>https://en.wikipedia.org/wiki/Abjuration]](鞭打ち100回、2年間修道院に監禁、マドリードを追放)を課しました。 ~[[Richard Kagan>https://es.wikipedia.org/wiki/Richard_Kagan]]著「Lucrecia’s Dreams: Politics and Prophecy in Sixteenth-Century Spain」さんより~ } #blockquote(){&u(){&bold(){4.判決}} 裁判委員会(consulta de fe)が被告の量刑を決めます。ちなみに異端審問は「無罪」がウルトラ大嫌いなのでめったにナシ。 無罪にしても「新しい証拠」が出たら「古い証拠」と一緒にまた裁判を再開。 あと「告発が間違ってた」と分かっても絶対にコレを認めません。何が何でも有罪にするぜー!って感じなの。 ・無罪(acquitted)…被告を解放(=無罪)。 ・中断(suspended)…告発が間違ってた被告を解放(≒無罪)または嫌疑は晴れてない被告を裁判の再会まで長期拘禁。 ・懺悔(penanced)…有罪の被告を公開で処罰。ついでに追放、罰金、ガレー船の漕ぎ手、…もアリ。 ・和解(reconciled)…有罪の被告を公開で告解。ついでに体罰、収監、財産没収、ガレー船の漕ぎ手、…もアリ。 ・火刑(relaxation)…改心しない異教徒の被告を公開で火あぶり。もし悔い改めたら火あぶりの前に絞首刑の慈悲もアリ。 死刑囚が裁判中に死亡したときは代わりに[[人形>https://en.wikipedia.org/wiki/Effigy]]をご使用します。 &ref(スペイン異端審問(流れ:4.判決).jpg)[[Pedro Berruguete>https://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Berruguete]]画「[[Auto de Fe presidido por Santo Domingo de Guzmán>https://es.wikipedia.org/wiki/Auto_de_Fe_presidido_por_Santo_Domingo_de_Guzm%C3%A1n]]」(1493年頃:スペイン) [[聖ドミニコ>https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Dominic]](列聖:1234年)は[[ドミニコ会>https://en.wikipedia.org/wiki/Dominican_Order]]の創設者です。ちなみにスペイン異端審問はドミニコ会の猛プッシュで設立。 ってことで、異端審問官はドミニコ会が多いんだって。 こちらの画の被告たちは当時ドミニコ会の最優先ターゲットだった[[カタリ派>https://en.wikipedia.org/wiki/Catharism]]と言われてます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){5.アウト・デ・フェ(スペイン語:Auto de fe、英語:auto da fé)}} 有罪になった被告が公の場で[[贖罪(しょくざい:罪を償う)>https://en.wikipedia.org/wiki/Penance]]します。異端審問のクライマックスな儀式。 アウト・デ・フェの意味は「act of faith:とことん神様を信仰している証」。 でも最大の贖罪「[[burning at the stake>https://en.wikipedia.org/wiki/Death_by_burning]]:大きな木杭に拘束して火あぶり」の方が一般的な意味になっちゃいました。 &ref(スペイン異端審問(流れ:5.アウト・デ・フェ).jpg)[[Pedro Berruguete>https://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_Berruguete]]画「[[Auto de Fe presidido por Santo Domingo de Guzmán>https://es.wikipedia.org/wiki/Auto_de_Fe_presidido_por_Santo_Domingo_de_Guzm%C3%A1n]]」(1493年頃:スペイン) [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sanbenito]] &ref(スペイン異端審問(流れ:5.アウト・デ・フェ2).jpg)[[Philipp van Limborch>https://en.wikipedia.org/wiki/Philipp_van_Limborch]]著「Historia Inquisitionis」(1692年:ネーデルラント) } #endregion ---- ----

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