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#contents_line(level=2,sep=/)
*21世紀に存在する歴史&16世紀に存在する歴史の差異
**21世紀に存在する歴史
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:年|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:国|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:出来事|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:日本|
|1543年9月23日|ポルトガル|ポルトガル人が乗ったキタイ船が種子島(鹿児島県)に漂着。(鉄砲伝来ってやつ)|戦国時代|
|1549年|ポルトガル|イエズス会のフランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教。|~|
|1550年|ポルトガル|貿易船が初めて平戸(長崎県)に入港。|~|
|1580年|-|&bold(){スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。}|安土桃山時代|
|1582年|スペイン領ポルトガル|イエズス会の発案で天正遣欧少年使節をローマへ派遣。&br()1584年8月ポルトガルのリスボン到着、1584年11月スペインのマドリードでフェリペ2世の歓待。|~|
|1584年|スペイン|貿易船が初めて平戸に入港。|~|
|1587年|-|豊臣秀吉がバテレン追放令を発布。(南蛮貿易の実利を重視した政策上、あくまで限定的なもの)|~|
|1593年|スペイン|フランシスコ会が来日。|~|
|1596年10月19日|スペイン|ガレオン船『サン・フェリペ号』が浦戸湾(土佐国)に漂着。|~|
|1609年|オランダ|平戸に商館を設置。|江戸時代|
|1613年|イギリス|平戸に商館を設置。(1623年閉鎖)|~|
**16世紀に存在する歴史
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:年|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:国|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:出来事|
|????年??月??日|ポルトガル|ポルトガル人が乗ったキタイ船が種子島(西部地域)に入港。|
|~|スペイン|ガレオン船『サン・フェリペ号』がアワ(東部地域、千葉の先っぽ安房国か?)に漂着。|
|その後|ポルトガル|イエズス会がキリスト教を布教。&br()ローマ教皇がイエズス会を送り込んだポルトガルに領有権を認める。|
|1580年|-|&bold(){スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。}&br()ポルトガルの領有権を撤回させた。以来キリスト教の布教をする権利をどちらにするか保留のまま。|
|その後|スペイン|フランシスコ会がキリスト教を布教。|
|その後|スペイン|フランシスコ会の発案で天正遣欧少年使節をローマへ派遣。|
*トルデシリャス条約とサラゴサ条約
スペインとポルトガルで勝手に決めた「君と僕とで地球を半分っこ」の約束。あっ日本が…。
この条約はローマ教皇のお墨付きだからカトリック教徒は絶対に守らなくちゃいけない。新参者のイングランド・ネーデルラント・フランスは植民地も作れないし、新大陸との貿易も自由にできない。
甘い汁を吸うにはスペインやポルトガルの船団を襲うか、ローマ教皇の決定を無視するしかない状況。
&ref(おはなし_大航海時代.PNG)
#region(close,大航海時代のざっくり年表)
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ポルトガル王|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:スペイン王|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:出来事(赤色はスペイン)|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ジョアン1世|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:エンリケ3世|1402|&color(red){フランス探検家ジャン・ド・ベタンクールがカナリア諸島の植民化開始。}|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:エンリケ航海王子|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:|1418|アフリカ沿岸を調査開始。|
|~|~|1419|マデイラ諸島を発見。植民地化開始。|
|~|~|1427|アゾレス諸島を発見。|
|~|~|1444|セネガルに到達。他にもアフリカのあちこちに到達。|
|~|~|1450|カーボベルデ群島を発見。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:アフォンソ5世|~|1471|エルミナに到達。&br()・ヨーロッパ初の黄金海岸(アフリカ西岸)を発見。金の貿易開始。|
|~|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カトリック両王|1479|&bold(){アルカソバス条約}&br()スペインは大西洋・アフリカ沿岸の領土(除カナリア諸島)を放棄。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ジョアン2世|~|1481|&bold(){教皇勅書『エテルニ・レギス』}…ローマ教皇シクストゥス4世&br()カナリア諸島以南で発見した土地はポルトガルの領土。|
|~|~|~|エルミナに砦の建設開始。(コロンブスも船団参加って学説あり。)|
|~|~|1492-1493|&color(red){①イタリア探検家コロンブスがインディア(実は西インド諸島)に到達。}|
|~|~|1493|&bold(){教皇勅書『インテル・チェテラ』}…ローマ教皇アレクサンデル6世|
|~|~|1494|&bold(){トルデシリャス条約}|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:マヌエル1世|~|1497-1499|②ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到達。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ジョアン3世|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カルロス1世|1522|&bold(){教皇勅書『オムニモダ』}…ローマ教皇ハドリアヌス6世|
|~|~|1519-1522|&color(red){③ポルトガル探検家マゼランが史上初の地球一周を達成。}|
|~|~|1529|&bold(){サラゴサ条約}|
あらまあ、大航海時代の先発はポルトガルみたいです。
この時代は地球平面説だったから航海は大冒険! ←球体説もあったけどマゼランが地球一周するまでスルー。
|&ref(おはなし_エテルニ・レギス(発見のモニュメント).PNG)|&ref(おはなし_エテルニ・レギス(地球平面説).JPG,,height=200)地球の端っこ|
■&bold(){エンリケ航海王子}…ポルトガル王子 (1394-1460) ポルトガル出身
大航海時代の先駆者。未知の領域だった大西洋(アフリカ西岸)をガンガン踏破、その目的は
・アフリカに豊富に存在するとウワサの金&象牙の採取。
・インドと直接貿易する新ルートの開発。(ただいまアラブ人が独占中)
その後1481年の教皇勅書『エテルニ・レギス』で黄金海岸(アフリカ西岸)はポルトガルが独占。 ←16世紀初には地球上の金1/10が輸出されるウハウハな場所。
■&bold(){カトリック両王}…アラゴン王フェルナンド2世&カスティーリャ女王イサベル1世
この2人が結婚してスペインができた。
#endregion
**1493年の教皇勅書『インテル・チェテラ』…教皇子午線/カーボベルデ諸島の西100リーグ(スペイン語:レグア)
①1492年コロンブスがインディア(実は西インド諸島)に到達。
&bold(){なに!西にも大陸があるのか!}で作った境界線。お互い西へGoGoモードだったからすごーくスペインに有利なもの。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Inter_caetera]]
教皇子午線の東側はポルトガル、西側はスペインの勢力圏ね By ローマ教皇アレクサンデル6世(スペイン人)
この教皇勅書は新たなトルデシリャス条約で無効化になったものの、廃止にはなってないみたいです。おい、おい。
|&ref(おはなし_インテル・チェテラ(プレゼン中のコロンブス).JPG,,height=200)スペインでプレゼン|&ref(おはなし_インテル・チェテラ(インディア到着のコロンブス).JPG,,height=200)インディア到着|
■&bold(){クリストファー・コロンブス}…探検家、奴隷商人 (1451頃-1506) イタリア出身
白人初のアメリカ大陸に到達。 ←コイツが『SASRAインカ編』の元凶。
航海を計画したコロンブスはポルトガル王ジョアン2世に支援を求めたけど「自腹で行けば?」と断られた。なんやかんやで支援したのはスペイン王フェルディナンド2世(フェリペ2世の曾おじいさん)。
あと「アメリカ」はイタリア探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名前が由来。南アメリカ大陸を探検して「コロンブスより先に着いてるもん」とウソをついたから。
**1494年のトルデシリャス条約…カーボベルデ諸島の西370リーグ
とーぜん不満なポルトガル王ジョアン2世はスペイン王フェルディナンド2世に直談判して境界線を修正。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tordesillas]]
教皇子午線をちょびっと西にずらしてよ By ポルトガル王ジョアン2世
この条約は1506年ローマ教皇ユリウス2世が教皇勅書『The bull Ea quae』で承認。
教皇勅書は「Papal bull」なので「The bull」の正しい日本語が分かりません。とりあえず教皇勅書でやっちゃってます。
|&ref(おはなし_トルデシリャス条約.JPG,,height=200)条約締結|&ref(おはなし_トルデシリャス条約(条約書).JPG,,height=200)条約書|
**1522年の教皇勅書『オムニモダ:The bull Omnimoda』
ローマ教皇ハドリアヌス6世が修道会聖職者に新世界の先住民への福音伝道を委任。 ←たぶん。
**1529年のサラゴサ条約…モルッカ諸島の西297.5リーグ
③1522年マゼランが史上初の世界一周を達成。
&bold(){なに!地球は丸いのか!}となると境界線1本では「地球を半分っこ」できない。スペインとポルトガルはちょうど香辛料諸島(モルッカ諸島)の取り合いをしていたので、そこを分断する第二境界線を作成。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Zaragoza]]
丸い地球もこれでオケ♥ モルッカ諸島の西側はポルトガル、東側はスペインの勢力圏ね
&ref(おはなし_サラゴサ条約(フィリピン).JPG,,height=200)フィリピンの英雄ラプ=ラプvs侵略者マゼラン
[[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Magellan]]&bold(){フェルディナンド・マゼラン}…探検家 (1480-1521) ポルトガル出身
史上初の地球一周を達成。 ←フィリピンで戦死したので、本当に一周したのはフアン・セバスティアン・エルカーノ達。
ポルトガル人だけど、なんやかんやでスペイン王カルロス1世(フェリペ2世の父親)の艦隊に乗船。ポルトガル&スペインの思惑ドロドロでけっこう苦労してます。
あと「フィリピン」はフェリペ2世(まだ皇太子)の名前が由来。
*航海日誌
航海、天候、戦闘、帆の修理などなどを記録。もともとは船の速度の記録帳で、この記録で出港地からの航行距離を知ることができた。
史上2番目に世界一周を達成した『ゴールデン・ハインド号』の航海日誌はエリザベス1世に届けられ、その後重要機密として表に出なかったそうです。そんなわけで、これは残念ながら18世紀誰かの航海日誌。
|&image(おはなし_航海日誌(その1).JPG,height=200)|&image(おはなし_航海日誌(その2).JPG,height=200)|
*天正遣欧少年使節
イエズス会の企画でキリシタン大名の名代がローマ教皇に会いに行った。
1582年長崎港を出港して1584年8月リスボンに到着。11月マドリードでスペイン王フェリペ2世とも会ってます。
1590年帰国。お土産はヨーロッパの印刷機、楽器、海図。
#image(おはなし_天正遣欧少年使節(ルート).PNG)
名代の選考基準は神学校に通う容姿端麗、すこぶる健康、頭脳明晰な13~14歳の少年。
美少年、美少年…と追い求めたらゲームになっちゃいました。現実の絵がきびしかったんです。
&ref(おはなし_天正遣欧少年使節.PNG)こんな雰囲気(友曰く大航海時代はメチャ面白い)
フェリペ2世は日本植民地化を目論んでたみたいです。
とりあえず織田信長がサクサク天下統一、豊臣秀吉がキリスト教をガッチリ禁止&追放したおかげでセーフ。ありがとう織田さん、ありがとう豊臣さん。
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*21世紀に存在する歴史&16世紀に存在する歴史の差異
**21世紀に存在する歴史
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:年|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:国|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:出来事|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:日本|
|1543年9月23日|ポルトガル|ポルトガル人が乗ったキタイ船が種子島(鹿児島県)に漂着。(鉄砲伝来ってやつ)|戦国時代|
|1549年|ポルトガル|イエズス会のフランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教。|~|
|1550年|ポルトガル|貿易船が初めて平戸(長崎県)に入港。|~|
|1580年|-|&bold(){スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。}|安土桃山時代|
|1582年|スペイン領ポルトガル|イエズス会の発案で天正遣欧少年使節をローマへ派遣。&br()1584年8月ポルトガルのリスボン到着、1584年11月スペインのマドリードでフェリペ2世の歓待。|~|
|1584年|スペイン|貿易船が初めて平戸に入港。|~|
|1587年|-|豊臣秀吉がバテレン追放令を発布。(南蛮貿易の実利を重視した政策上、あくまで限定的なもの)|~|
|1593年|スペイン|フランシスコ会が来日。|~|
|1596年10月19日|スペイン|ガレオン船『サン・フェリペ号』が浦戸湾(土佐国)に漂着。|~|
|1609年|オランダ|平戸に商館を設置。|江戸時代|
|1613年|イギリス|平戸に商館を設置。(1623年閉鎖)|~|
**16世紀に存在する歴史
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:年|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:国|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:出来事|
|????年??月??日|ポルトガル|ポルトガル人が乗ったキタイ船が種子島(西部地域)に入港。|
|~|スペイン|ガレオン船『サン・フェリペ号』がアワ(東部地域、千葉の先っぽ安房国か?)に漂着。|
|その後|ポルトガル|イエズス会がキリスト教を布教。&br()ローマ教皇がイエズス会を送り込んだポルトガルに領有権を認める。|
|1580年|-|&bold(){スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。}&br()ポルトガルの領有権を撤回させた。以来キリスト教の布教をする権利をどちらにするか保留のまま。|
|その後|スペイン|フランシスコ会がキリスト教を布教。|
|その後|スペイン|フランシスコ会の発案で天正遣欧少年使節をローマへ派遣。|
*トルデシリャス条約とサラゴサ条約
スペインとポルトガルで勝手に決めた「君と僕とで地球を半分っこ」の約束。あっ日本が…。
この条約はローマ教皇のお墨付きだからカトリック教徒は絶対に守らなくちゃいけない。新参者のイングランド・ネーデルラント・フランスは植民地も作れないし、新大陸との貿易も自由にできない。
甘い汁を吸うにはスペインやポルトガルの船団を襲うか、ローマ教皇の決定を無視するしかない状況。
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#region(close,大航海時代のざっくり年表)
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|~|~|1419|マデイラ諸島を発見。植民地化開始。|
|~|~|1427|アゾレス諸島を発見。|
|~|~|1444|セネガルに到達。他にもアフリカのあちこちに到達。|
|~|~|1450|カーボベルデ群島を発見。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:アフォンソ5世|~|1471|エルミナに到達。&br()・ヨーロッパ初の黄金海岸(アフリカ西岸)を発見。金の貿易開始。|
|~|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カトリック両王|1479|&bold(){アルカソバス条約}&br()スペインは大西洋・アフリカ沿岸の領土(除カナリア諸島)を放棄。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ジョアン2世|~|1481|&bold(){教皇勅書『エテルニ・レギス』}…ローマ教皇シクストゥス4世&br()カナリア諸島以南で発見した土地はポルトガルの領土。|
|~|~|~|エルミナに砦の建設開始。(コロンブスも船団参加って学説あり。)|
|~|~|1492-1493|&color(red){①イタリア探検家コロンブスがインディア(実は西インド諸島)に到達。}|
|~|~|1493|&bold(){教皇勅書『インテル・チェテラ』}…ローマ教皇アレクサンデル6世|
|~|~|1494|&bold(){トルデシリャス条約}|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:マヌエル1世|~|1497-1499|②ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到達。|
|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:ジョアン3世|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:カルロス1世|1522|&bold(){教皇勅書『オムニモダ』}…ローマ教皇ハドリアヌス6世|
|~|~|1519-1522|&color(red){③ポルトガル探検家マゼランが史上初の地球一周を達成。}|
|~|~|1529|&bold(){サラゴサ条約}|
あらまあ、大航海時代の先発はポルトガルみたいです。
この時代は地球平面説だったから航海は大冒険! ←球体説もあったけどマゼランが地球一周するまでスルー。
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■&bold(){エンリケ航海王子}…ポルトガル王子 (1394-1460) ポルトガル出身
大航海時代の先駆者。未知の領域だった大西洋(アフリカ西岸)をガンガン踏破、その目的は
・アフリカに豊富に存在するとウワサの金&象牙の採取。
・インドと直接貿易する新ルートの開発。(ただいまアラブ人が独占中)
その後1481年の教皇勅書『エテルニ・レギス』で黄金海岸(アフリカ西岸)はポルトガルが独占。 ←16世紀初には地球上の金1/10が輸出されるウハウハな場所。
■&bold(){カトリック両王}…アラゴン王フェルナンド2世&カスティーリャ女王イサベル1世
この2人が結婚してスペインができた。
#endregion
**1493年の教皇勅書『インテル・チェテラ』…教皇子午線/カーボベルデ諸島の西100リーグ(スペイン語:レグア)
①1492年コロンブスがインディア(実は西インド諸島)に到達。
&bold(){なに!西にも大陸があるのか!}で作った境界線。お互い西へGoGoモードだったからすごーくスペインに有利なもの。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Inter_caetera]]
教皇子午線の東側はポルトガル、西側はスペインの勢力圏ね By ローマ教皇アレクサンデル6世(スペイン人)
この教皇勅書は新たなトルデシリャス条約で無効化になったものの、廃止にはなってないみたいです。おい、おい。
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■&bold(){クリストファー・コロンブス}…探検家、奴隷商人 (1451頃-1506) イタリア出身
白人初のアメリカ大陸に到達。 ←コイツが『SASRAインカ編』の元凶。
航海を計画したコロンブスはポルトガル王ジョアン2世に支援を求めたけど「自腹で行けば?」と断られた。なんやかんやで支援したのはスペイン王フェルディナンド2世(フェリペ2世の曾おじいさん)。
あと「アメリカ」はイタリア探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名前が由来。南アメリカ大陸を探検して「コロンブスより先に着いてるもん」とウソをついたから。
**1494年のトルデシリャス条約…カーボベルデ諸島の西370リーグ
とーぜん不満なポルトガル王ジョアン2世はスペイン王フェルディナンド2世に直談判して境界線を修正。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tordesillas]]
教皇子午線をちょびっと西にずらしてよ By ポルトガル王ジョアン2世
この条約は1506年ローマ教皇ユリウス2世が教皇勅書『The bull Ea quae』で承認。
教皇勅書は「Papal bull」なので「The bull」の正しい日本語が分かりません。とりあえず教皇勅書でやっちゃってます。
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**1522年の教皇勅書『オムニモダ:The bull Omnimoda』
ローマ教皇ハドリアヌス6世が修道会聖職者に新世界の先住民への福音伝道を委任。 ←たぶん。
**1529年のサラゴサ条約…モルッカ諸島の西297.5リーグ
③1522年マゼランが史上初の世界一周を達成。
&bold(){なに!地球は丸いのか!}となると境界線1本では「地球を半分っこ」できない。スペインとポルトガルはちょうど香辛料諸島(モルッカ諸島)の取り合いをしていたので、そこを分断する第二境界線を作成。
[[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Zaragoza]]
丸い地球もこれでオケ♥ モルッカ諸島の西側はポルトガル、東側はスペインの勢力圏ね
&ref(おはなし_サラゴサ条約(フィリピン).JPG,,height=200)フィリピンの英雄[[ラプ=ラプ>http://en.wikipedia.org/wiki/Lapu-Lapu]]vs侵略者マゼラン
[[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Magellan]]&bold(){フェルディナンド・マゼラン}…探検家 (1480-1521) ポルトガル出身
史上初の地球一周を達成。 ←フィリピンで戦死したので、本当に一周したのはフアン・セバスティアン・エルカーノ達。
ポルトガル人だけど、なんやかんやでスペイン王カルロス1世(フェリペ2世の父親)の艦隊に乗船。ポルトガル&スペインの思惑ドロドロでけっこう苦労してます。
あと「フィリピン」はフェリペ2世(まだ皇太子)の名前が由来。
*航海日誌
航海、天候、戦闘、帆の修理などなどを記録。もともとは船の速度の記録帳で、この記録で出港地からの航行距離を知ることができた。
史上2番目に世界一周を達成した『ゴールデン・ハインド号』の航海日誌はエリザベス1世に届けられ、その後重要機密として表に出なかったそうです。そんなわけで、これは残念ながら18世紀誰かの航海日誌。
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*天正遣欧少年使節
イエズス会の企画でキリシタン大名の名代がローマ教皇に会いに行った。
1582年長崎港を出港して1584年8月リスボンに到着。11月マドリードでスペイン王フェリペ2世とも会ってます。
1590年帰国。お土産はヨーロッパの印刷機、楽器、海図。
#image(おはなし_天正遣欧少年使節(ルート).PNG)
名代の選考基準は神学校に通う容姿端麗、すこぶる健康、頭脳明晰な13~14歳の少年。
美少年、美少年…と追い求めたらゲームになっちゃいました。現実の絵がきびしかったんです。
&ref(おはなし_天正遣欧少年使節.PNG)こんな雰囲気(友曰く大航海時代はメチャ面白い)
フェリペ2世は日本植民地化を目論んでたみたいです。
とりあえず織田信長がサクサク天下統一、豊臣秀吉がキリスト教をガッチリ禁止&追放したおかげでセーフ。ありがとう織田さん、ありがとう豊臣さん。
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