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#contents_line(level=2,sep=/) ※&color(white,blue){あ}…「アルマダの海戦」のこと。?は本文に明記されてない史実。 *海賊船「グローリア号」 &ref(グローリア号_東郷海斗.jpg)カイト【誕生日:10月4日、年齢:15歳(実は17歳)、身長:5.5ft(168cm)、体重:110lb(50kg)】 ●&u(){&bold(){カイト(東郷海斗)}…[[キャビンボーイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Cabin_boy]]、占い師 【福山潤】} ロンドン在住/東京都港区出身 赤い髪に大きな瞳。母親への自己主張と反抗心で髪を赤く染めている。甘えん坊ながんばり屋さん。頭の回転は速いが探求心旺盛なため考えるより行動が先、たまにやり過ぎてしまう。ちょびっと高所恐怖症。 ホーの丘で「ドレイクの太鼓」を聞き16世紀へタイムスリップしてしまった。 ●&bold(){ブラッキ}ー…サー・フランシスからもらった子猫(♂) カディス出身(スペイン) 青い瞳。真っ白で右目の周りだけ黒で縁取られている。 ●&bold(){タナカ様(架空)}…海斗の主人。 ●&bold(){ペドロ・ゴメス(架空)}…フランシスコ会の修道士 セビリア出身 海斗の教師。ついでに英語とフランス語も教えてくれた。 ●&bold(){ジョン・キリグリュー(実在)}…コーンウォールの副総監、難破屋の元締め [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Women_in_piracy]]&bold(){エリザベス・キリグリュー(実在)}…ジョン・キリグリューの妻 歴史では:女海賊。1581年嵐でファルマス港に避難したスペイン船を襲撃して逮捕、死刑宣告を受けたが女王エリザベス1世の恩赦で免じられた。 ●&bold(){クリストファー(架空)}…サー・ジョンの会計書記 海斗に英語、スペイン語、フランス語を教えてくれた。 &ref(グローリア号_ジェフリー・ロックフォード.jpg)ジェフリー【誕生日:8月21日、年齢:26歳、身長:5.9ft(180cm)、体重:165lb(75kg)】 ●&u(){&bold(){ジェフリー・ロックフォード}…[[船長>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_captain]] 【諏訪部順一】} プリマス出身 黄金の髪にブルーの瞳。海賊らしくない美貌と自由を主張する長い髪。普段ヘラヘラしていてもヤル時はヤル、決心したことは必ず実行してみせる。この時代にしては珍しく個人の意志と個性を尊重し、珍しいモノ奇妙なモノに心引かれる柔軟な思考の持ち主。洒落者で気に入った物には金に糸目をつけない。 #region(close,ロックフォード家の小さな宗教戦争) [[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]は王妃[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]と離婚して愛人[[アン・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]と結婚したくてモンモンです。 でもカトリック教会は離婚禁止。 ってことで、離婚するためにカトリック教会を捨てて英国国教会を新設します(1534年:[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]])。 ・王妃キャサリン・オブ・アラゴン…女王メアリー1世の母親。カトリック教徒。 ・愛人アン・ブーリン…女王エリザベス1世の母親。英国国教徒。 [[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]はカトリック教徒のスペイン王フェリペ2世(まだ皇太子)と結婚してカトリック教会を復活します。 ついでに英国国教会を迫害(1554年:[[異端排斥法>https://en.wikipedia.org/wiki/Revival_of_the_Heresy_Acts]])。 [[女王エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]は英国国教会に戻します(1559年:[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]])。 &ref(【共通の画】イングランド_王様と国教.png,【共通】共通の画)C:カトリック教会(旧教)、P:英国国教会(新教、プロテスタント) #endregion ●&bold(){マーティン}…ジェフリーの父親。 ●&bold(){アン}…ジェフリーの母親。 &ref(グローリア号_ナイジェル・グラハム.jpg)ナイジェル【誕生日:11月15日、年齢:25歳、身長:5.8ft(177cm)、体重:157lb(71kg)】 ●&u(){&bold(){ナイジェル・グラハム}…[[航海長(セイリング・マスター、メイト)>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_(naval)]] 【小西克幸】} プリマス出身 褐色の黒髪に灰青色の瞳。全てに慎重な堅物男で、徹底した倹約家。繊細で激しい人見知りだが、一度懐に入れた者には無条件の好意を寄せる。性格が正反対のジェフリーとは強い絆で結ばれている。 細身の長剣[[レイピア>http://en.wikipedia.org/wiki/Rapier]]と短剣[[ダガー>http://en.wikipedia.org/wiki/Dagger]](サーフランシス→ジェフリー→ナイジェル)の両刀使い。 ●&bold(){ジョアン}…ナイジェルの祖母。 ●&bold(){エセル}…ナイジェルの母親。 ●&bold(){トマス}…ナイジェルの異母弟。 ●&u(){&bold(){ジョー・フィンリー}…ナイジェル邸の料理人 【樋口智透】} さびた釘を踏んで義足になり、グローリア号の檣楼手を引退。ナイジェルに忠実で、キットを「主人の貞操を脅かす悪魔」と忌み嫌っている。 ●&bold(){クー}…ジョーの犬。新月の夜みたいに真っ黒で子牛くらい大きい。 **水夫たち &ref(グローリア号_水夫たち.jpg)ルーファス、ユアン、マーシー、ヒュー ●&u(){&bold(){ルーファス・ベレット}…[[水夫長(ボースン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Boatswain]]、船長代理(ジェフリー不在中) 【岩崎征実】} ダートマス出身 荒削りな外見とは裏腹に細やかな神経の持ち主、情に厚く律義。掟破りには鞭で容赦ない罰を与える。[[ボースン・パイプ>http://en.wikipedia.org/wiki/Boatswain%27s_call]]は水夫達に指示を与えるときに使う笛。 ●&bold(){ロザライン}…ルーファスの妻。[[ミッドサマー・イブ>http://en.wikipedia.org/wiki/Midsummer]]の森で燃え上がり結婚。 ●&bold(){シャーロット}…ルーファスの娘 ●&u(){&bold(){ユアン}…檣楼手、水夫長代理(ジェフリー不在中) 【栗山浩一】} ベリック・アポン・トゥイード→ニューキャッスル→ハル→プリマス 水平線に見え隠れする小さな船影も見逃さない。手先が器用でブラッキーの顔が刺繍された救急バッグを海斗にプレゼントした。 ●&bold(){ポリー}…ユアンの妻。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり、できました結婚。父親は酒乱。 ●&bold(){フランシス・ジェフリー・ナイジェル}…ユアンの息子。 ●&u(){&bold(){マーシー}…帆職人 【峰健一】} 海斗に裁縫を教えた。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり結婚。 ●&u(){&bold(){ヒュー}…古参の測深手、水夫長代理(ジェフリー不在中) 【伊丸岡篤、杉崎亮】} 泳げない。何でも真に受けやすい。ブラッキーの名付け親。 ●&u(){&bold(){マック}…砲手長 【杉崎亮】} 長年大砲の近くにいるせいで耳が遠い。ブラッキーの名付け親。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり結婚。 ●&u(){&bold(){トーマス}…船大工 【千々和竜策】} 船医のいないグローリア号で怪我人を治療(患部をノコギリで切り落とすだけ)する。 ●&u(){&bold(){ジム}…水夫 【西野真人】} 落雷でミズン・マストから落ちた時の怪我が酷く足を切断。 ●&u(){&bold(){ウィル}…[[操舵手>https://en.wikipedia.org/wiki/Helmsman]]、航海長代理(ジェフリー不在中) 【西野真人】} ●&u(){&bold(){モーガン}…古参の水夫 【田中雅之】} ●&bold(){アーニー}…水夫 ●&bold(){ビリー}…水夫 ●&bold(){ジョン}…水夫  ●&bold(){ロブ}…水夫 ●&bold(){ジョージ}…水夫 ●&bold(){ルーク}…水夫 ●&bold(){ダニー}…料理長 ●&bold(){マシュー}…料理人 ●&bold(){ネヴィル}…砲手(火縄係) **カッター船「ゼファー号」…サー・フランシス提供のウィンチェスターへ行った船 ●&bold(){マーシャル}…一番の古参水夫 **王室直属船「ナンサッチ号」…アルトヴィッチをフランスへ送った船 ●&u(){&bold(){テッド・ウォールデン}…水夫長 【千々和竜策】} ●&bold(){ロブ}…操舵手 ●&bold(){ギル}…前甲板の責任者 ●&bold(){ニール}…水夫 ●&bold(){トッド}…砲撃手 **海賊船「キャサリン号」…少年時代のジェフリーとナイジェルが乗っていた船 ●&bold(){ウィリアム・ワッツ(ワッツ船長、ワッツ爺さん)}…(1巻P121)船長、ジェフリーの遠縁 道義心に溢れ、情けを知る男。少年だったジェフリーとナイジェルを船乗りに育て上げ、遺言で自分の船をジェフリーに譲った。 ●&bold(){ザック}…水夫長 ●&bold(){ダニー}…ザックが戦死した後の水夫長。ジェフリーに負けず劣らずの勇猛さだが、権威をひけらかすので嫌われ者。 ●&bold(){エディ}…航海士。ワッツ船長に忠実で優秀な航海士。感情の起伏が乏しい。 ●&bold(){ケリー}…水夫 ●&bold(){ジョン}…操舵手 ●&bold(){マーティン}…水夫 ●&bold(){クリス}…水夫 ●&bold(){ロビン}…水夫 ●&bold(){ウォーリー}…檣楼手 ●&bold(){ロブ}…水夫。ブッカブーを心底恐れている。 ●&bold(){トニー}…水夫 ●&bold(){モンティ}…水夫 ●&bold(){カリダス}…ヤギ(♀) *サー・フランシス・ドレイク &ref(【共通の画】イングランド_フランシス・ドレイク.jpg,【共通】共通の画)作者不明「[[Thomas Cavendish>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]], Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Drake]]&u(){&bold(){サー・フランシス・ドレイク}…プリマス市長、王立造船所の提督官→&color(white,blue){あ}副司令官? 【堀内賢雄】} (1543-赤痢:1596年) タビストック出身 かつては海賊としてスペインの植民地や商船を襲い、スペインから「悪魔の竜:エル・ドラゴン」と恐れられるイングランドの大英雄。強奪した財宝の一部を国に献上し国庫を潤した。本拠地はプリマスのバックランド・アビー。ジェフリーを信頼し考えを尊重している。 歴史では:世界一周(1577-1580年)の達成はこちら[[【船】ゴールデン・ハインド号>【船】ゴールデン・ハインド号]]をどうぞ。 ●&bold(){エリザベス}…サー・フランシスの妻 (1562-????年) 歴史では:[[Somerset地方の長官>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_High_Sheriffs_of_Somerset]]George Sydenhamの一人娘。残念ながら子供はできなくて、サー・フランシスの財産は甥フランシスが相続。デヴォン伯爵William Courtenay(1543–1630年)と再婚したが子供はできなかった。 ●&u(){&bold(){パーキンス}…サー・フランシス邸の執事 【杉崎亮】} ●&u(){&bold(){シェア}…サー・フランシスの使者 【上田陽司】} ●&bold(){蛇}…サー・フランシスのスペインで活動する間諜 ネーデルラント出身 リスボンでサンタ・クルズ侯爵の動向を探る。新教徒だが本当に信仰しているのはお金。 **王室直属船「[[エリザベス・ボナヴェンチャー号>http://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Bonaventure_%281567%29]]」…カディス湾襲撃の旗船 ●&bold(){フレンジー(フランシス)}…キャビンボーイ、サー・フランシスの遠い親戚 ●&bold(){リチャード}…(3巻P104)フレンジーの父親 ●&bold(){バラー}…(3巻P118)副司令官、女王の船舶書記官 女王がサー・フランシスの目付け役として派遣。アゾレス諸島に向かう途中の嵐で勝手に離脱、サー・フランシスが反逆罪による死刑を申告したため星室庁に訴えた。 ●&bold(){パット}…(3巻P113)料理長 **ピンネース船「バタフライ号」…カディス湾襲撃でサンタ・クルズ侯爵のガレオン船を襲撃 ●&u(){&bold(){ジョーンズ}…操舵手 【峰健一】} ●&bold(){フォックス}…(3巻P136)航海長 サー・フランシスを狙ったスペイン狙撃手の弾が当たり死亡。 **スペイン商船「ラ・ステラ・マリス号」→「セント・ジョージ号」 ●&bold(){マーク}…プリマスに戻るまでの船長代理 **アルマダ海戦 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]&bold(){エフィンガム男爵チャールズ・ハワード}…&color(white,blue){あ}総司令官 (1536–1624年) (20巻P79)アランデル伯爵フィリップ・ハワードの親戚。1585年海軍卿(海軍司令長官)に任命。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Frobisher]]&bold(){トーマス・フロビッシャー(マーティン・フロビッシャー?)}…&color(white,blue){あ}分艦隊司令官? (1535-負傷:1594年) アルトフツ出身 名高い船長の中では若手だが、燃え上がるような功名心の持ち主。サー・フランシスとは互いに不仲。 *プリマス ●&u(){&bold(){ジョージ・トマソン}…医師 【伊丸岡篤】} 街の人々から信頼されている。ジェフリーも航海から戻ると土産を持って挨拶に行くことがある。 ●&u(){&bold(){エセル}…トマソンの妻 【森沢芙美】} 思慮深く聡明で優しい女性。 ●&u(){&bold(){クレインズ夫人(キャサリン)}…クレインズの妻 【森夏姫】} どにでも嘴を突っ込んでくる仕切家さん。 ●&bold(){クレインズ}…市の建設官(市長サー・フランシスに次ぐ地位) **[[売春宿>https://en.wikipedia.org/wiki/Brothel]]「白鹿亭」 &ref(プリマス_リリー・フロム.jpg)[[Joachim Beuckelaer>https://en.wikipedia.org/wiki/Joachim_Beuckelaer]]画「売春宿」(1562年:ネーデルラント) ●&u(){&bold(){リリー・フロム}…女将 【浅川悠】} 30年以上プリマスに在住 賢明で度胸が据わっている。自分でも憎くなるほど好奇心旺盛。本当は売春家業から足を洗いたいが、娼婦の女の子達の行く末を考えると辞めることが出来ずにいる。 この時代にしては珍しくちゃんとした衛生観念を持つ。 ●&u(){&bold(){サム}…リリーの旦那 【樋口智透】} 生まれつき口が利けないが、イーディスから習った修道会で使う手話で会話する。フランス病(梅毒)の客をポイポイ追い出すほど力持ち。 ●&bold(){ロザリア}…サムの母親 ●&bold(){ビリー}…馬番 ●&bold(){エマ}…娼婦 ●&bold(){イーディス}…修道女 身元不明なリリーの面倒をみてくれた。治療の甲斐なく死んだ患者の家族に魔女と疑われ火刑。 *ホワイト・ホール宮殿 &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王エリザベス1世.jpg)[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Elizabeth I, the "Phoenix" portrait」(1575年頃) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]&u(){&bold(){女王エリザベス1世(在位:1559-1603年)}…[[チューダー朝>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Tudor]]最後の女王 【吉沢希梨】} (1533-1603年) 与えられた運命を受け入れ、その中で輝こうと努力している孤独な女王。数々の難題を「曖昧・引き延ばし・出し惜しみ」で乗り切る。背が高く顔のいい傲慢そうな若い男性がお好み。 カトリックからは「悪魔の娘」「緋色の大淫婦」「海賊女王」と呼ばれている。 歴史では:家臣には「有能な者」と「美貌を愛でるための者」を置いている。1562年天然痘を患い、皮膚に痕が残り髪も抜けてしまったのでカツラとお化粧に頼った。 #region(close,女王エリザベス1世をとりまく状況) #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドがスペインに乗っ取られないためぢゃ}} 英国国教会を復活した女王エリザベス1世は国内外のカトリック教会と対立します。でも戦争はしたくない。 ってことで、ネーデルラントやフランスのプロテスタントを支援。 他国を支援することでスペインやフランスの「イングランドへの敵対パワー」を分散できるんだそーです。 &ref(【共通の画】イングランド_女王エリザベス1世(陰謀事件).png,【共通】共通の画) } #blockquote(){&u(){&bold(){元・スコットランド女王メアリー・スチュアートは処刑ぢゃ}} 1568年スコットランドを追い出された元・スコットランド女王[[メアリー・スチュアート>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots]]がイングランドに亡命します。 肩身が狭かったカトリック教徒は狂喜乱舞。 陰謀事件「女王エリザベス1世を暗殺して元・女王メアリーをイングランド女王に!」を開始します。 スペインやフランスも「元・女王メアリーこそが正当なイングランド女王だ!」と陰謀事件を応援します。 元・女王メアリーまで陰謀事件に参加。 ってことで、1587年2月8日女王エリザベス1世は王座を揺るがす元・女王メアリーを処刑します。そしてF&Bがスタート。 } #blockquote(){&u(){&bold(){賊行為はけっこう儲かるぢゃ}} 敵対国スペイン船の略奪オケ!の[[私掠免許(私拿捕特許状)>http://en.wikipedia.org/wiki/Letter_of_marque]]システムを作って[[私掠船>http://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]の略奪行為を公認・奨励している。 私掠免許料と敵船から略奪した財産への課税は、国の財政難を補ってくれてホクホク。 女王の海賊は別名「[[海の犬>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]]」で海軍の一部。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]] &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王エリザベス1世(状況:私掠免許).jpg)イングランド海軍大将[[Henry Morgan>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Morgan]]の私掠免許(1699年) } #blockquote(){&u(){&bold(){16世紀末の宮廷は世代交代がスタートぢゃ}} 16世紀末女王エリザベス1世を支えた重要な政治家の皆さんがどんどん死亡しちゃいます。 ・レスター伯爵ロバート・ダッドリー(1533-1588年) ・バーリー男爵ウィリアム・セシル(1520-1598年) ・フランシス・ウォルシンガム(1532-1590年) ・クリストファー・ハットン(1540–1591年) ってことで、世代交代スタート。ロバート・セシルとエセックス伯爵ロバート・デヴェルーの派閥争いが始まります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_government]] } #endregion **女王エリザベス1世の家族 &ref(【共通の画】イングランド_王ヘンリー8世と妻.jpg,【共通】共通の画)王ヘンリー8世と6人の妻(○:離婚、×:処刑、△:病死) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]&bold(){王ヘンリー8世}…女王エリザベス1世の父親 (1491-1547年) (1巻P70)キャサリン・オブ・アラゴンと離婚&アン・ブーリンと結婚するためにカトリックを捨てて英国国教会を作った。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]&bold(){王妃アン・ブーリン}…王ヘンリー8世の2番目の妻、女王エリザベス1世の母親 (1507-刑死:1536年) (1巻P70)王ヘンリー8世の愛人で満足できず、王妃の座を強要。キツイ性格のため離婚、っていうか処刑された。国民に嫌われていた女王。父親が[[在仏イングランド大使>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ambassadors_of_the_Kingdom_of_England_to_France]]の頃にフランスに在住。フランス王妃クロード・ド・フランス(王フランソワ1世)の侍女を勤めた。 ※在仏イングランド大使は伝統的にイングランド外交職の中でも最上級の名門職。 &ref(【共通の画】スペイン_王フェリペ2世と女王メアリー1世.jpg,【共通】共通の画)スペイン王フェリペ2世(義兄)とイングランド女王メアリー1世(義母姉) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]&bold(){王妃キャサリン・オブ・アラゴン}…王ヘンリー8世の1番目の妻、女王メアリー1世の母親 (1487-1536年) カトリック教徒。跡継ぎを生めないので離婚された。国民に人気があった女王。スペイン王フェリペ2世の大叔母。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]&bold(){女王メアリー1世}…女王エリザベス1世の異母姉 (1516-卵巣腫瘍:1558年) (1巻P73)カトリック教徒。母親を離婚に追いやった女の娘エリザベス1世を終生憎み続けた。スペイン王フェリペ2世と結婚、子供ナシ。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_キャサリン・パー.jpg)義母キャサリン・パーとトーマス・シーモア [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Parr]]&bold(){王妃キャサリン・パー}…王ヘンリー8世の6番目の妻 (1512-産褥感染症:1548年) (6巻P124)エリザベス1世・メアリー1世・エドワード6世の教育係を務めた教養高い女性。王ヘンリー8世が亡くなると恋人トーマス・シーモアと即再婚し、エリザベス1世を引き取る。が、妊娠中にエリザベス1世の寝室に出入りする夫を発見。エリザベス1世を追放。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Seymour,_1st_Baron_Seymour_of_Sudeley]]&bold(){トーマス・シーモア}…キャサリン・パーの夫、女王の初恋の人? (1508–刑死:1549年) (6巻P124)妻の死後、王権に介入するためにエリザベス1世との結婚を画策して失敗。イングランド王エドワード6世への反逆罪で処刑。(「トマス・シーモア事件」) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Seymour,_1st_Duke_of_Somerset]]&bold(){サマーセット公エドワード・シーモア}…トーマス・シーモアの兄 (1506-刑死:1552年) (6巻P124)甥イングランド王エドワード6世の護国卿となり権力を振るった。が、「トマス・シーモア事件」 で共犯とされて処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Dudley,_1st_Duke_of_Northumberland]]&bold(){ノーサンバーランド公ジョン・ダドリー}…ロバート・ダッドリーの父 (1502-刑死:1553年) (6巻P124)サマーセット公を失脚させた中心人物。イングランド王エドワード6世の死後、強引にジェーン・グレイを女王にして処刑。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王メアリー・スチュアート.jpg)スコットランド女王メアリー・スチュアートと息子ジェームズ6世 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots]]&bold(){スコットランド女王メアリー・スチュアート(在位:1542-1567年)}…女王エリザベス1世の親戚 (1542-処刑:1587年) (1巻P70)カトリック教徒。祖国を追われてイングランドへ亡命。イングランドの王位継承権者を主張。女王エリザベス1世廃位の陰謀事件に関係して処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]&bold(){スコットランド王ジェームズ6世(在位:1567–1625年)}…メアリー・スチュアートの息子 (1566-1625年) プロテスタント教徒。母メアリーが廃位してスコットランド王となり、スコットランドに住んでいる。 次のイングランド王ジェームズ1世(在位:1603-1625年)。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/James_Hepburn,_4th_Earl_of_Bothwell]]&bold(){ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン}…メアリーの3番目の夫 (1535年-獄死:1578年) (6巻P121)絶え間なく進入を繰り返すイングランド軍を撃退した優秀な軍人。争いの絶えないスコットランドでメアリーを守ろうとしたが力及ばず。 **女王エリザベス1世の重臣(♠J、♦J、♣J、♥J:宮廷内の四大勢力) &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム.jpg)フランシス・ウォルシンガム(私のムーア:Her Moor) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Walsingham]]♠J&u(){&bold(){サー・フランシス・ウォルシンガム}…女王の[[スパイマスター>https://en.wikipedia.org/wiki/Spymaster]]、[[秘書官長>http://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]] 【長克巳】} (1532-[[精巣腫瘍>http://en.wikipedia.org/wiki/Testicular_cancer]]:1590年) エデンの蛇のような狡猾さと聖人のごとき信念を合わせ持つ「女王の闇の手」で「疑わしきは罰せよ」がモットー。ズケズケ意見するので女王からは嫌われている。 #region(close,歴史では(残酷な画があるのでご注意下さい)) フランシス・ウォルシンガムは父親William Walsingham(弁護士)と母親Joyce Denny([[Edmund Denny>https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Denny]]の娘)の息子です。 ガンガン才能を発揮して無名から女王の重臣に出世。 イングランドのために身を投じて働き、亡くなった時は多額の負債が残りました。 |BGCOLOR(lightgrey):王エドワード6世&br()(在位:1547–1553年)|BGCOLOR(lightgrey):1550年頃|ヨーロッパ大陸を旅行| |~|BGCOLOR(lightgrey):1552年頃|[[グレイ法曹院>https://en.wikipedia.org/wiki/Gray%27s_Inn]]に登録| |BGCOLOR(lightgrey):女王メアリー1世&br()(在位:1553-1558年)|BGCOLOR(lightgrey):|[[バーゼル大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Basel]](スイス)、[[パドヴァ大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Padua]](イタリア)へ留学&br()・女王のプロテスタント迫害で大勢の裕福なプロテスタントは海外に亡命したの| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世&br()(在位:1558–1603年)|BGCOLOR(lightgrey):1559年|ベッド フォード伯[[Francis Russell>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Russell,_2nd_Earl_of_Bedford]](亡命の仲間)の支援で庶民院に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1562-1564年|Anne Barne(元ロンドン市長[[ジョージ・バーン>https://en.wikipedia.org/wiki/George_Barne_II]]の娘)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1566年|[[Ursula St. Barbe>https://en.wikipedia.org/wiki/Ursula_St._Barbe]](娘フランセス・ウォルシンガムの母親)と再婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1570–1573年|官職[[在仏イングランド大使>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ambassadors_of_the_Kingdom_of_England_to_France]]に就任&br()・イングランドとフランスの対スペイン同盟を締結(1572年:[[Treaty of Blois>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Blois_(1572)]])| |~|BGCOLOR(lightgrey):1573年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |~|BGCOLOR(lightgrey):1573–1590年|官職[[秘書官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1577年|[[ナイト>https://en.wikipedia.org/wiki/Knight]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1578–1587年|[[ガーター騎士団長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Order_of_the_Garter]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1587-1590年|[[ランカスター公領担当大臣>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Duchy_of_Lancaster]]に就任| #blockquote(){&u(){&bold(){スパイマスターで本領発揮}} 1569年頃からフランシス・ウォルシンガムは秘書官長バーリー男爵ウィリアム・セシルと一緒に働き始めます。 2人で反エリザベス陰謀をガンガンぶっ潰しちゃおう♥ ってことで、情報網を張り巡らせて国内外を監視。諸悪の根源メアリー・スチュアートも処刑します。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:秘書官長|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:反エリザベス陰謀| |BGCOLOR(lightgrey):バーリー男爵ウィリアム・セシル&br()(在職:1558-1572年)|BGCOLOR(lightgrey):1568年|元スコットランド女王メアリー・スチュアートがイングランドへ亡命| |~|BGCOLOR(lightgrey):1569-1570年|[[北部諸侯の乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Rising_of_the_North]](メアリー・スチュアートがイングランド女王になる計画)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1571年|[[リドルフィ事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Ridolfi_plot]](〃)| |BGCOLOR(lightgrey):[[Thomas Smith>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Smith_(diplomat)]]&br()(在職:1572–1576年)|BGCOLOR(lightgrey):|・1572年バーリー男爵ウィリアム・セシルが[[大蔵卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]に就任&br()・1570–1573年フランセス・ウォルシンガムが在仏イングランド大使に就任| |BGCOLOR(lightgrey):フランシス・ウォルシンガム&br()(在職:1573–1590年)|BGCOLOR(lightgrey):1583年|[[スロックモートン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Throckmorton_Plot]](〃)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1586年|[[バビントン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Babington_Plot]](〃)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1587年|元スコットランド女王メアリー・スチュアートを処刑| 1586年から情報網に「スペイン海軍が準備中」のお知らせが飛び交います。特にAnthony Standenからのお知らせは詳細。 Anthony Standenは1582年頃ウォルシンガムに£100/年で雇われたカトリック教徒のスパイ。 マドリッドで駐西トスカーナ大使Giovanni Figliazziと友人になってスペインの詳細な情報をゲトしてます。 ウォルシンガムは駐オスマン帝国大使[[William Harborne>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Harborne]]に「[[皇帝ムラト3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Murad_III]]を説得」の指示を出します。 オスマン帝国に地中海のスペイン商船や海軍を襲ってもらうの。 高価な時計もプレゼントしたけど説得は失敗。でも1587年Spanish-Ottoman protocol(外交のなにか?)は更新されてません。 1588年アルマダ海戦に勝利した海峡戦隊(Narrow Seas)の指揮官[[ヘンリー・シーモア>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Henry_Seymour_(naval_commander)]] はウォルシンガムに手紙を送ります。 &italic(){&color(silver){You have fought more with your pen than many have in our English navy fought with their enemies.}} &italic(){&color(silver){貴方は我々イングランド艦隊と共に羽根ペンで幾度もスペインに善戦して下さいました。(訳はテキトー)}} } #blockquote(){&u(){&bold(){拷問、拷問、また拷問}} 在仏イングランド大使になったフランシス・ウォルシンガムは[[サン・バルテルミの虐殺>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Bartholomew%27s_Day_massacre]](1572年:フランス)に遭遇します。 もしイングランドがカトリックに逆戻りしたら我々も非道に虐殺されちゃう! ってことで、イングランドのカトリック教徒をガンガン拷問して芋づる式にガンガン取り締まります。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム(歴史:拷問).jpg)[[Hans Burgkmair>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Burgkmair]]画(神聖ローマ帝国) } #blockquote(){&u(){&bold(){お次のスパイマスターは誰だ!?}} 1571年頃からフランシス・ウォルシンガムは体調不良に悩みます。医者の診断はガン、尿路結石、尿路感染症、糖尿病。 1590年自宅(ロンドン塔近くのSeething Lane)で死亡。 葬儀は[[セント・ポール大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_St_Paul%27s_Cathedral]]で個人的に行われます。お墓は1666年[[ロンドン大火>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Fire_of_London]]で焼失。 イングランドのために身を投じたウォルシンガムは多額の負債を残します。宮廷からの借金は£43,000以上。 女王は財布の紐が固いから「火急の入り用」をとりあえず国庫から借りてたの。 この借金は家族が相続…いやいや、誰がどう考えても×借金○経費でしょ。1611年[[王ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]が借金チャラにします。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム(歴史:スパイマスター).jpg)[[Marcus Gheeraerts the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Marcus_Gheeraerts_the_Younger]]画「The Rainbow Portrait of Queen Elizabeth I」(1600年頃:ロバート・セシル邸[[ハットフィールド・ハウス>https://en.wikipedia.org/wiki/Hatfield_House]]) ウォルシンガムが残した書類は政府が没収してます。私文書も没収されたからウォルシンガムの人物像は謎が多いんだって。 お次のスパイマスターはバーリー男爵ウィリアム・セシル(ロバート・セシルの父親)が就任。 経験の浅いロバート・セシルは父親の仕事を手伝いながらスキルアップ。1596年スパイマスターを引き継ぎます。 } #endregion ●&u(){&bold(){トマス・ウォード}…ウォルシンガムの間諜 【増岡太郎】} ●&bold(){蠍}…ウォルシンガムのスペインで活動する間諜 スペインで宮廷に出入りする貴族の秘書。金の亡者。 ●&bold(){ハーパー}…ウォルシンガム邸の執事 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Ursula_St._Barbe]]&bold(){ウルスラ・セント・ベーベ}…(4巻P114)ウォルシンガムの妻 (?–1602年) ●&bold(){トマス・ウォルシンガム}…ウォルシンガムのダメダメ息子 (5巻P51)キットのパトロン。ゲイで派手に遊んでいる。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Walsingham]]&bold(){フランセス・ウォルシンガム}…(4巻P89)ウォルシンガムの娘 (1567–1631年) 歴史では:1583年フィリップ・シドニーと結婚。1590年エセックス伯爵ロバート・デヴェルーと再婚。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Sidney]]&bold(){フィリップ・シドニー}…フランセスの夫、詩人、外交官、軍人 (1554-戦死:1586年) (1巻P74)女王のお気に入り。ウォルシンガムはフランセスとの婚姻許可を渋る女王を叱りとばしたらしい。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー.jpg)レスター伯爵(私の目:Eyes)と義息子エセックス伯爵(Moste humble vassall) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_1st_Earl_of_Leicester]]♥J&bold(){レスター伯爵ロバート・ダッドリー(ロビン)}…有事の女王補佐→&color(white,blue){あ}陸軍司令官 (1533-胃ガン:1588年) (4巻P102)女王のお気に入りだったが再婚後は影が薄くなり、息子エセックス伯を女王に取りなしている。 歴史では:女王の幼なじみ。妻エイミー・ロブサートの不審な死後、女王はロバートとの結婚を考えたがバーリー男爵達の猛反発で断念。1578年[[レティス・ノウルズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lettice_Knollys]](ロバート・デヴェルーの母親)と再婚。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Devereux,_2nd_Earl_of_Essex]]&u(){&bold(){エセックス伯爵ロバート・デヴェルー}…レスター伯の義理の息子 【???】} (1566-[[斬首刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Decapitation]]:1601年) 女王の一番のお気に入り(チャド談)。女王の寵愛が自分から離れないと思っているアホアホな自信家。フランセス(ウォルシンガムの娘)に惚れている。 #region(close,歴史では) エセックス伯ロバート・デヴェルーは父親エセックス伯[[ウォルター・デヴァルー>https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Devereux,_1st_Earl_of_Essex]]と母親レティス・ノウルズの長男です。 [[名付け親>https://en.wikipedia.org/wiki/Godparent]]はレスター伯爵ロバート・ダッドリー。 宮廷デビューするとあーっという間に女王のお気に入り。1596年[[カディス襲撃>https://en.wikipedia.org/wiki/Capture_of_C%C3%A1diz]]の勝利で国民的英雄になります。 |BGCOLOR(lightgrey):1576年|父親ウォルター・デヴァルーが死亡。政界の有力者バーリー男爵[[ウィリアム・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley]]が[[後見人>https://en.wikipedia.org/wiki/Ward_(law)]]になる&br()・バーリー男爵は孤児になった貴族爵位の継承者を管理する[[後見裁判所長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Court_of_Wards_and_Liveries]](1561-1598年)| |BGCOLOR(lightgrey):1578年|母親レティス・ノウルズが女王のお気に入りレスター伯爵ロバート・ダッドリーと再婚| |BGCOLOR(lightgrey):1584年|宮廷デビュー| |BGCOLOR(lightgrey):1587–1601年|官職[[主馬頭>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_the_Horse]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1588年|[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受(1601年:剥奪)| |BGCOLOR(lightgrey):1590年|[[フランセス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Walsingham]](フランシス・ウォルシンガムの娘)と結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1592–1601年|官職[[ペンブルックシャー首席治安判事>https://en.wikipedia.org/wiki/Custos_Rotulorum_of_Pembrokeshire]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1593年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |BGCOLOR(lightgrey):1594頃–1601年|官職[[スタッフォードシャー首席治安判事>https://en.wikipedia.org/wiki/Custos_Rotulorum_of_Staffordshire]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1597–1601年|官職[[軍務伯>https://en.wikipedia.org/wiki/Earl_Marshal]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1597–1601年|軍職[[兵站総監>https://en.wikipedia.org/wiki/Master-General_of_the_Ordnance]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1599年|官職[[アイルランド総督>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Lieutenant_of_Ireland]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1601年|[[エセックスの反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex%27s_Rebellion]]に失敗して斬首刑| #blockquote(){&u(){&bold(){エセックス伯とセシル親子の対立}} イングランドはスペインと出口の見えない[[英西戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_(1585%E2%80%931604)]](1585–1604年)を続けてます。おまけにけっこう負け続き。 1598年同盟国フランスが抜け駆けしてスペインと仲直り([[Peace of Vervins>https://en.wikipedia.org/wiki/Peace_of_Vervins]])。 出口の見えない英西戦争に一筋の光明が差し込んだかも?ってことで、宮廷は和平派と主戦派に二分します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex_in_Ireland]] 和平派バーリー男爵「これは絶好のチャンス♥イングランドもスペインと仲直りしよう♥」 主戦派エセックス伯「不名誉な平和なんてクソ!スペインに徹底抗戦だあ!」 和平派バーリー男爵「アンタは戦争でのみ生きているのか!人生の半分を血に飢えた欺瞞で費やすなアホアホ」 エセックス伯は戦争が終わっちゃうと活躍の場を失って、逆にセシル親子の権力が増大するのを危惧したのでございます。 なんやかんやで戦争は続行。 イングランドとスペインの仲直りは1604年[[ロンドン条約>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_London_(1604)]]までお待ち下さい。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー(歴史:対立).jpg)[[Richard Doyle>https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Doyle_(illustrator)]]画「Elizabeth I with Robert Devereux 2nd Earl of Essex in council」(19世紀:イギリス) イングランドは[[植民地アイルランド>https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Ireland]]と[[ティロン伯の反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War_(Ireland)]](1594–1603年)も続けてます。スペインはアイルランドを応援。 1598年議会は空席の[[アイルランド総督>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_Lieutenant_of_Ireland]]に誰を据えるか検討。 女王はエセックス伯が支持する候補者にウンと言わない。むくれたエセックス伯はなーんと女王に背を向けちゃいます。 女王「なんと無礼な!」エセックス伯の頭をボコッ エセックス伯「ムカッ!」剣の柄に手をかける 海軍卿エフィンガム男爵チャールズ・ハワード「まぁまぁまぁ、落ち着けアホアホ」 エセックス伯「こんな侮辱と屈辱は我慢ならねー!」議会室を飛び出す 一同がポカーンとしてる間にイングランドはアイルランドに衝撃的な敗北を喫します(1598年:[[Battle of the Yellow Ford>https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Yellow_Ford]])。 ポカーンとしてる場合じゃねー!ってことで、アイルランド総督の検討を再開。 エセックス伯もロバート・セシル(ポカーンの間に父親バーリー男爵は死亡)もお互いの候補者を猛プッシュします。 この猛プッシュはエセックス伯とロバート・セシルの勢力争い。お互いに「議会から追放してやるぜ!」って勢いです。 譲らな過ぎて候補者リストも空になっちゃう勢い。 結局大人のロバート・セシルがリストの最後に「エセックス伯」を追加。アイルランド総督はエセックス伯に決まります。 } #blockquote(){&u(){&bold(){エセックス伯の落日}} アイルランド総督エセックス伯は皆さんの期待を一身に背負ってアイルランドの反乱鎮圧に向かいます。楽勝だぜ! と思ったら戦略の失敗や病気で負け続き。 ってことで、ティロン伯[[ヒュー・オニール>https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_O%27Neill,_Earl_of_Tyrone]](反乱の首謀者)と勝手に休戦協定を結んじゃいます。とーぜんロンドン激怒。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex%27s_Rebellion]] ロンドンのロバート・セシル「エセックス伯の責任問題だ!」 エセックス伯「このままアイルランドにいても立場が悪くなるだけだ」 ロンドンのロバート・セシル「エセックス伯の責任問題だ!」 エセックス伯「ヤバイ!女王に弁明しないと超ヤバイ!」軍を置き去りにして勝手にロンドンへ帰国 エセックス伯「女王さまあああ!僕の弁明を聞いでえええ!」女王の寝室に乱入 女王「ちょ、化粧するまでお待ち」 エセックス伯「どにがぐ僕の弁明を聞いでえ゛え゛え゛!」化粧した女王がエセックス伯の弁明を聞く 女王「話は全部聞かせてもらった!自宅謹慎しなさい」 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー(歴史:落日).jpg)[[David Wilkie Wynfield>https://en.wikipedia.org/wiki/David_Wilkie_Wynfield]]画「An Incident in the Life of Queen Elizabeth」(1875年:イギリス) 1600年エセックス伯は宮廷のオフィスも没収されて出入り禁止になります。弁明の手紙を何度送っても女王はスルー。 それどころか収入源のワイン輸入税独占権の更新も拒否。 女王に見捨てられたと悟ったエセックス伯は1601年「女王の政府を掌握(特にロバート・セシルの失脚)」を計画します。 エセックス伯「ロバート・セシルは僕を殺すつもりだ!」これで市井の支持をゲトだぜ! エセックス伯「ロバート・セシルはイングランドをスペインに売るつもりだ!」ついでに自宅に来た女王の使者も拘束だぜ! ロバート・セシル「エセックス伯は反逆者!反逆者!反逆者!」反逆者の連呼に市井がビビる 市井は支持してくれないし、人質の使者も逃げちゃうし、海軍卿に自宅を包囲されちゃうし…エセックス伯は降伏します。 裁判の判決は「反逆者で有罪」。 1601年2月25日[[タワー・グリーン>https://en.wikipedia.org/wiki/Tower_Green]]([[ロンドン塔>https://en.wikipedia.org/wiki/Tower_of_London]])で斬首されます。 } #endregion [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Penelope_Blount,_Countess_of_Devonshire]]&bold(){ペネロピー・ブロント}…(5巻P53)エセックス伯爵の姉 (1563-1607年) 歴史では:フィリップ・シドニー著「[[アストロフェルとステラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Astrophel_and_Stella]]」のステラ。1581年初代ウォリック伯[[ロバート・リッチ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Rich,_1st_Earl_of_Warwick]]と結婚。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ウィリアム・セシル.jpg)バーリー男爵(私のハート:Sir Spirit)と息子ロバート・セシル(私の小人:Pygmy) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley]]♦J&u(){&bold(){バーリー男爵ウィリアム・セシル}…[[大蔵卿>http://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]、宰相 【岩崎征実】} (1520-脳卒中か心臓発作:1598年) 女王から忠勤の褒美として地所や酒税の取り立て権を貰っている。 歴史では:女王が即位したときからの重臣。歴史学者[[Albert Pollard>https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Pollard]]曰く「バーリー男爵の業績が1558年から40年間の女王とイングランドの歴史を作った」 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cecil,_1st_Earl_of_Salisbury]]&u(){&bold(){ロバート・セシル}…バーリー男爵の次男 【代永翼】} (1563-1612年) 美形ではないが頭が切れ法律にも詳しい。病弱だった幼い頃からの習慣で、父に来客があると隣部屋から執務室を覗き見する。 #region(close,歴史では) ロバート・セシルは猫背で身長は150cmくらい(男性の平均身長は160cm)。父親バーリー男爵の死後に主要な大臣に就任します。 女王エリザベス1世と王ジェームズ1世の重臣として活躍。 モットーは「Sero, sed serio:焦らず真摯に(訳はテキトー)」。 |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世&br()(在位:1558–1603年)|BGCOLOR(lightgrey):1584年|[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_England]]に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1589年|Elizabeth Brooke(コバム卿[[ウィリアム・ブルック>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Brooke,_10th_Baron_Cobham]]の娘)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1591年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |~|BGCOLOR(lightgrey):1596–1612年|官職[[秘書官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1597–1599年|官職[[ランカスター公領担当大臣>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Duchy_of_Lancaster]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1598–1612年|官職[[璽尚書>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Privy_Seal]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1599–1612年|官職[[後見裁判所長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Court_of_Wards_and_Liveries]]に就任(エセックス伯爵がアイルランドへ出兵中)| |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世&br()(在位:1603–1625年)|BGCOLOR(lightgrey):1606年|[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1608–1612年|官職[[大蔵卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]に就任| #blockquote(){&u(){&bold(){裸一貫から財を築く}} 父親バーリー男爵の「[[バーリー男爵>https://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Exeter]]の爵位」「[[貴族院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Lords]]の議席」は長兄[[トマス・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cecil,_1st_Earl_of_Exeter]]が世襲します([[長子相続>https://en.wikipedia.org/wiki/Primogeniture]])。 相続分割いっさいナシだから他の息子達は自力で頑張れ! ってことで、父親バーリー男爵の政治的才能を引き継いだロバート・セシルも頑張ります。政治的才能が一番の相続かもね。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[呼称>https://en.wikipedia.org/wiki/Forms_of_address_in_the_United_Kingdom]]|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:履歴書| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|BGCOLOR(lightgrey):1563-1584年|Mr Robert Cecil|| |~|BGCOLOR(lightgrey):1584-1591年|Mr Robert Cecil MP|1584年:庶民院に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1591-1603年|The Rt Hon Robert Cecil MP|1591年:枢密院に入閣 | |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世)|BGCOLOR(lightgrey):1603-1604年|The Rt Hon The Lord Cecil PC|1603年:セシル男爵(Baron Cecil)を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1604-1605年|The Rt Hon The Viscount Cranborne PC|1604年:[[クランボーン子爵>https://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Salisbury]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1605-1606年|The Rt Hon The Earl of Salisbury PC|1605年:[[ソールズベリー伯爵 >https://en.wikipedia.org/wiki/Earl_of_Salisbury]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1606-1612年|The Rt Hon The Earl of Salisbury KG PC|1606年:[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受| 呼称の意味([[スタイル>https://en.wikipedia.org/wiki/Style_(manner_of_address)]])はこんな感じです。 ・MP(Members of Parliament):[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]の議員 ・The Rt Hon(The Right Honourable):[[閣下>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Right_Honourable]](伯爵以下の呼称、枢密院の閣僚) ・The Lord:[[貴族階級>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord]]の呼称 ・PC(Privy Counsellors):枢密院の閣僚 ・The Viscount Cranborne:クランボーン子爵 ・The Earl of Salisbury:ソールズベリー伯爵 ・KG(Knight of the Garter):ガーター勲章 } #endregion [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cecil,_1st_Earl_of_Exeter]]&bold(){トマス・セシル}…バーリー男爵の長男、ロバート・セシルの異母兄 (1542–1623年) 歴史では:父親バーリー男爵曰く「Robert could rule England, but Thomas could hardly rule a tennis court:ロバートはイングランドを統治できる。しかしトマスはテニスコートすら統治できないだろう」 ●&bold(){ラリー}…御者 ●&bold(){バーティ}…船頭 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Brooke,_10th_Baron_Cobham]]&bold(){コバム卿ウィリアム・ブルック}…[[五港監督官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Warden_of_the_Cinque_Ports]] (1527–1597年) ※[[五港>https://en.wikipedia.org/wiki/Cinque_Ports]]はヘイスティング、ロムニー、ハイズ、ドーヴァー、サンドウィッチ。これにウインチェルシー、ライが加わる。 ●&bold(){エリザベス・ブルック}…コバム卿の娘 (1562-1597年) (20巻P232)1589年8月31日ロバート・セシルと結婚。1591年息子第2代ソールズベリー伯[[ウィリアム・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_2nd_Earl_of_Salisbury]]を出産。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ウォルター・ローリー.jpg)ウォルター・ローリー(私のウォーター:Water) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Raleigh]]♣J&u(){&bold(){ウォルター・ローリー}…女王の[[護衛隊長>https://en.wikipedia.org/wiki/Esquire_of_the_Body]]、探検家、作家、詩人 【???】} (1552-斬首刑:1618年) デヴォン州出身 四大勢力の中で一番若造。女王の情愛を独り占めしているが、こっそりエルザにアタックしてる。 歴史では:1585年からバージニア(北アメリカ)植民事業に着手して失敗。1591年エルザと密かに結婚し、女王の逆鱗に触れてロンドン塔に送られる。出所後、探検中に部下がスペイン植民地インドで略奪をしたせいで有罪。 #region(close,夜の学校) ウォルター・ローリー主催の進歩思想(無神論)のサークル。 メンバーはキット、ジョージ・チャップマン(劇作家、詩人)、トーマス・ハリオット(天文学者、占星術師、数学者)など。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/The_School_of_Night]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ.jpg)キット #endregion [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Grenville]]&bold(){リチャード・グレンヴィル}…ウォルター・ローリーの従兄弟 (1542-戦死:1591年) (1巻P229)バックランド・アビーをサー・フランシスに譲った資金でウォルター・ローリーと共に植民事業を始めた。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ヘンリー・ケアリー.jpg)ハンズドン卿とハットン卿(私の羊:Sheep/まぶた:Lids) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Carey,_1st_Baron_Hunsdon]]&u(){&bold(){ハンズドン卿ヘンリー・ケアリー}…女王の従兄、宮内大臣 【株田裕介】} (1526–1596年) (4巻P103)穏やかな外見だが、悪口を言わせたら天下一品。 歴史では:母親メアリー・ブーリン(女王エリザベス1世の叔母)は王ヘンリー8世の愛人。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Hatton]]&u(){&bold(){ハットン卿クリストファー・ハットン}…[[大法官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Chancellor]] 【松田健一郎】} (1540–1591年) ダンスの名手。 歴史では:サー・フランシス・ドレイクの世界一周のパトロン。 **女王エリザベス1世の従者 &ref(ホワイト・ホール宮殿_エリザベス・スロックモートン.jpg)エルザと未来の夫ウォルター・ローリー [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Raleigh]]&bold(){エルザ(エリザベス・スロックモートン)}…[[女王の女官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lady-in-waiting]] (1565-1647年) 宮廷で海斗の一番の仲良し。天使のように無邪気な美少女。 歴史では:1591年ウォルター・ローリーと密かに結婚し女官を解雇される。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Throckmorton]]&bold(){ニコラス・スロックモートン}…エルザの父親 (1515–1571年) 在仏イングランド大使、在スコットランドのイングランド大使などなど。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Blanche_Parry]]&u(){&bold(){ブランチ・パリー}…女王の女官長 【加納千秋】} (1507–1590年) 歴史では:女王エリザベス1世が生まれた時からの世話係でロンドン塔へも付き添った。1565年から[[女官長>https://en.wikipedia.org/wiki/First_Lady_of_the_Bedchamber]](Chief Gentlewomen of the Privy Chamber)。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Russell,_Countess_of_Warwick]]&bold(){レディ・アン}(ウォリック伯夫人アン・ラッセル?)…(4巻P140)女王の女官。ジェフリーに[[女官パイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Maids_of_honour_tart]]の由来を説明 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Rodrigo_L%C3%B3pez_%28physician%29]]&u(){&bold(){ペレス(ロドリゴ・ロペス?)}…(5巻P18)女王の侍医 【土屋トシヒデ】} ●&bold(){ハンク}…世界一のラム焼職人(チャド談)。 **女王エリザベス1世の道化師「[[女王一座 >http://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth%27s_Men]]」 &ref(ホワイト・ホール宮殿_リチャード・タールトン.jpg)リチャード・タールトン [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Tarlton]]&u(){&bold(){チャド(リチャード・タールトン)}…[[フール(いびきかき)>https://en.wikipedia.org/wiki/Jester]] 【杉崎亮】} (????-1588年) 才能があり長年フールを勤めている。 ●&u(){&bold(){ピッポ(フィリップ・バーノン)}…フール 【藤吉浩二】} スランプ中で新しく入ってきた海斗に仕事を奪われるのではと危惧している。 ●&bold(){アリー}…[[クラウン(寝言言い)>https://en.wikipedia.org/wiki/Clown]] ●&bold(){ジョン}…クラウン [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Tilney]]&bold(){ティルニー(エドモンド・ティルニー)}…[[王室饗宴局長>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_the_Revels]](1536–1610年) #region(close,歴史では) #include(【共通】女王一座) #endregion *[[劇団>http://en.wikipedia.org/wiki/Playing_company]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ.jpg)キット【誕生日:2月26日、年齢:23歳、身長:5.64ft(172cm)、体重:143lb(65kg)】 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]]&u(){&bold(){キット(クリストファー・マーロウ)}…劇作家、ウォルシンガムの間諜 【三木眞一郎】} (1564-殺害:1593年) カンタベリー出身 無神論者でゲイを公言するケンブリッジ大出身の才子。つねに冷静に優雅に超然としている。他人からの無関心は誹謗中傷よりプライドが許さないが、狩猟本能をくすぐられるナイジェルにだけは抵抗できない。 ジェフリー達とは、任務のためグローリア号でフランスへ送ってもらった時からの付き合い。 #region(close,歴史では) クリストファー・マーロウは靴屋John Marloweの息子です。脚本家、詩人、翻訳者。そして[[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]]で1番の[[悲劇作家>https://en.wikipedia.org/wiki/Tragedy]]。 同い年の[[ウィリアム・シェイクスピア>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]を大いに触発。 1593年食事付きの下宿「[[エリノア・ブル>https://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]の居酒屋」([[デットフォード>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]])で[[イングラム・フライザー>http://en.wikipedia.org/wiki/Ingram_Frizer]]に殺されます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]] |BGCOLOR(lightgrey):1564年|BGCOLOR(lightgrey):2月26日|St George's Church([[カンタベリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Canterbury]])で[[洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]]を受ける。誕生日は不明だけどたぶん洗礼の2-3日前| |BGCOLOR(lightgrey):|BGCOLOR(lightgrey):|[[キングズ・スクール>https://en.wikipedia.org/wiki/The_King%27s_School,_Canterbury]]へ| |BGCOLOR(lightgrey):1584年|BGCOLOR(lightgrey):|奨学金で[[コーパス・クリスティ・カレッジ>https://en.wikipedia.org/wiki/Corpus_Christi_College,_Cambridge]]([[ケンブリッジ大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Cambridge]])へ。[[学士>https://en.wikipedia.org/wiki/Bachelor_of_Arts]]を取得| |BGCOLOR(lightgrey):1587年|BGCOLOR(lightgrey):|[[修士(マスター)>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_Arts]]を取得| |~|BGCOLOR(lightgrey):|ロンドンで「[[Tamburlaine(タンバレイン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」を公演(最初のレギュラー公演)&br()※イングランド初の[[ブランクヴァース>https://en.wikipedia.org/wiki/Blank_verse]]を操った演劇| |BGCOLOR(lightgrey):1593年|BGCOLOR(lightgrey):5月上旬|ロンドンでフランスやネーデルラントのプロテスタント難民への脅迫文が貼り出される&br()[[弱強5歩格>https://en.wikipedia.org/wiki/Iambic_pentameter]]で書かれた脅迫文にはマーロウの作品と「[[Tamburlaine(タンバレイン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」の署名が記載| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月11日|[[枢密院>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]が犯人の捜査開始| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月12日|マーロウの元同居人だった劇作家[[トマス・キッド>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Kyd]]が逮捕される&br()トマス・キッドは「下宿部屋で発見された無神論的小論文は2年前にマーロウが書いたモノ」と主張&br()※2年前に2人はパトロン[[Ferdinando Stanley>https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinando_Stanley,_5th_Earl_of_Derby]]の仕事に関係してたっぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月18日|枢密院がマーロウに逮捕状を発付&br()※このときマーロウは[[トマス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Walsingham_(literary_patron)]](フランシス・ウォルシンガムの親戚)の家に滞在中っぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月20日|マーロウが出頭&br()でも逮捕されずに「お許しが出るまで毎日裁判官へ出頭しなさい」と命じられただけ| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月30日|&bold(){マーロウがエリノア・ブルの居酒屋(デットフォード)でイングラム・フライザーに殺害される}| |~|BGCOLOR(lightgrey):6月1日|マーロウの死因審問&br()死因審問の直後マーロウの遺体は聖ニコラス教会(デットフォード)のお墓に埋葬。お墓には墓標が無い&br()※1925年学者[[Leslie Hotson>https://en.wikipedia.org/wiki/Leslie_Hotson]]が死因審問で使われた検死官[[William Danby>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Danby_(coroner)]]の報告書を発見| |~|BGCOLOR(lightgrey):6月28日|女王エリザベス1世が殺人犯イングラム・フライザーに恩赦を与える| #blockquote(){&u(){&bold(){修士でモメモメ}} 1587年ケンブリッジ大学はクリストファー・マーロウへの修士の授与をためらいます。 「マーロウがカトリック教会の聖職授任を受けるためにイングランドの大学([[ランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Reims]])に行く」とウワサがあったの。 [[枢密院>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]の介入でマーロウは予定通り修士をゲトできました。 &ref(劇団_クリストファー・マーロウ(歴史:修士).jpg)William Smith and Richard Lyne画「Map of Cambridge」(1575年) 枢密院はケンブリッジ大学に「彼は女王エリザベス1世に対してfaithful dealing、good serviceである」と手紙を送ってます。 具体的なマーロウのgood serviceは不明。 でもこの手紙でマーロウが秘書官長[[フランシス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Walsingham]]の間諜をやってたんじゃね?って考えられてます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){戯曲「フォースタス博士」}} クリストファー・マーロウの戯曲「フォースタス博士」(1588-1593年頃)はドイツの伝説[[ファウスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Faust]]を基にした悲劇です。 学問に行き詰まったフォースタスは魔術を学ぼうと悪魔[[メフィストフェレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Mephistopheles]]を召喚。 魂と引き替えに悪魔を従わせる契約を交わして[[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]を満喫。契約が終わると神に許しを乞うことなく地獄へ落ちます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Doctor_Faustus_(play)]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ(歴史:フォースタス博士).jpg)悪魔メフィストフェレスを召喚するフォースタス こちらは「フォースタス博士」の有名なセリフ。スパルタ王メネラーオスの王妃[[ヘレン>https://en.wikipedia.org/wiki/Helen_of_Troy]]を召喚した第5幕:第1場です。 王妃ヘレンは[[ギリシア神話>https://en.wikipedia.org/wiki/Greek_mythology]]に登場する地上で最も美しい女性。 トロイアの王子パリスにさらわれて「[[トロイア戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Trojan_War]]」が始まっちゃいました。[[アカイア軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Achaeans_(Homer)]]は総勢10万、1168隻の大艦隊。 &italic(){&color(silver){Was this the face that launch'd a thousand ships,}} おお、これが千艘の軍船を駆りたて、 &italic(){&color(silver){And burnt the topless towers of Ilium--}} [[トロイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Troy]]の天を魔す塔を焼き亡ぼしたあの顔なのか。 &italic(){&color(silver){Sweet Helen, make me immortal with a kiss.--}} 麗しいヘレン、お前の接吻でおれを永劫不滅の身にしてくれ、 &italic(){&color(silver){[kisses her]}} (ヘレン、彼に接吻する) &italic(){&color(silver){Her lips suck forth my soul: see, where it flies!--}} ああ、おれの魂がこの唇に吸われてしまった。見ろ、魂が飛んでゆく--- &italic(){&color(silver){Come, Helen, come, give me my soul again.}} 頼みだ、ヘレン、おれの魂をかえしてくれ。 &italic(){&color(silver){Here will I dwell, for heaven is in these lips,}} おれはもうここから離れんぞ、ここが、この唇が天国だ、 &italic(){&color(silver){And all is dross that is not Helena.}} ヘレンのもの以外はすべて塵芥にすぎぬ。 ちなみに「フォースタス博士」は「the A text(1604年版)」「the B text(1616年版)」があります。 1592年[[書籍出版業組合記録>https://en.wikipedia.org/wiki/Stationers%27_Register]]に登録したっぽい。 このとき混乱があって内容が違う2つのバージョンができたっぽい。こちらは「フォースタス博士(1604年版)」です。 } #blockquote(){&u(){&bold(){クリストファー・マーロウ殺人事件。検死官William Danbyの報告書による「目撃者スキヤーズとポウリーの証言」}} 1593年5月30日マーロウは仲間3人と一緒に[[エリノア・ブル>https://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]の居酒屋([[デットフォード>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]])で1日を過ごします。 勘定払い(Reckoning)でマーロウとフライザーが喧嘩。 マーロウはフライザーの[[ダガー>https://en.wikipedia.org/wiki/Dagger]]を奪って頭を切りつけます。すったもんだの末にフライザーに右目の上を刺されて死亡。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]] [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Skeres]]ニコラス・スキヤーズ…フランシス・ウォルシンガムの仕事に関係してたっぽい。[[バビントン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Babington_Plot]](スコットランド女王メアリー・スチュアートが処刑されるキッカケの事件)にも関与。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Poley]]ロバート・ポウリー…〃。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Ingram_Frizer]]イングラム・フライザー…トマス・ウォルシンガム(フランシス・ウォルシンガムの親戚)の仕事に関係してたっぽい。 &ref(【共通の画】イングランド_クリストファー・マーロウ殺人事件.jpg,【共通】共通の画)Angus McBride画「The killing of the poet, Christopher Marlowe」 6月1日殺人犯フライザーは死因審問を受けます。目撃者スキヤーズとポウリーの証言で正当防衛を認められて無罪放免。 でも目撃者の2人は「プロの嘘つき(スパイ的な意味で)」。 死ぬ前にもアレコレあったし、死ぬ時も一緒にいた人達もアレコレなだけに「暗殺じゃね?」って言われてます。 アレコレの1つは財務省(The warrant)に記録されてる「6月12日:ポウリーへの国庫支払命令(出張精算?)」です。 メッセージを携えたポウリーは5月8日[[ハーグ>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Hague]]へ出発。 6月8日[[ノンサッチ宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Nonsuch_Palace]]に返事を運んでます。支払い内容は独特な言い回し「in her Majesty's service all the aforesaid time」。 } #endregion ●&bold(){トマス・ワトスン}…ウォルシンガムの間諜 新進気鋭の劇作家。 **「[[レスター伯一座>http://en.wikipedia.org/wiki/Leicester%27s_Men]]」 &ref(劇団_ウィリアム・シェイクスピア.jpg)グッドウィル [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]&u(){&bold(){グッドウィル(ウィリアム・シェイクスピア)}…シリルの親方、役者 【遠近孝一】} (1564-1616年4月23日) ストラトフォード・アポン・エイヴォン出身 キットに刺激され劇作家の道に進もうとしている。 歴史では:四大悲劇や「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」など多くの傑作を残す。1594年には劇団を所有、イングランド王ジェームズ1世はこの劇団の庇護者となった。 #region(close,誰しも二人の主人に仕えることはできない) 「誰しも二人の主人に仕えることはできない」はイエス・キリストが山上で弟子たちに語った1節です([[山上の垂訓>https://en.wikipedia.org/wiki/Sermon_on_the_Mount]])。 英語だとこんな感じ? F&B時代は[[ジュネーヴ聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Geneva_Bible]](1560年)だと思うけど、こちらは[[欽定訳聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Version]](1611年)の1節です。 &italic(){&color(silver){No man can serve two masters: for either hewill hate the one, and love the other; or elsehe will hold to the one, and despise the other.Ye cannot serve God and mammon.}} &italic(){&color(silver){だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 ~マタイによる福音書6章24節~}} [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_6:24]] #blockquote(){&u(){&bold(){ウィリアム・シェイクスピアはカトリック教徒?}} シェイクスピアには「秘密のカトリック教徒」「カトリック教徒に同情的」「無神論者」って説があります。 例えば歴史家[[John Speed>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Speed]]著「History of Great Britain」(1611年)はイエズス会[[ロバート・パーソンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Persons]]と結びつけて「the Papist and his poet:カトリック教徒とその詩人」と非難。 21世紀も多くの学者が考察してるけど直接的な証拠はナイです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Religious_views_of_William_Shakespeare]] &ref(劇団_ウィリアム・シェイクスピア(二人の主人).jpg)[[Henry Bunbury>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Bunbury_(caricaturist)]]画「Shakespeare:Henry VI, Part 2, Act V, Scene 8」(18世紀) シェイクスピアの作品に登場する[[フォルスタッフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Falstaff]]はプロテスタント殉教者[[ジョン・オールドカースル>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Oldcastle]](処刑:1417年)がモデルと言われてます。 1604年ロバート・パーソンズは「オールドカースルというのはイングランド人の誰もが知っているならず者で、喜劇役者たちによってよく上演されていて、ヘンリー五世の時代に泥棒と反乱の罪で死刑になったものである」と揶揄。 John Speedはこれに食らいついてシェイクスピアを非難したっぽいです。えっ!? } #endregion [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Arden]]&bold(){エリック・アーデン(エドワード・アーデン?)}…グッドウィルの親戚 (1542–1583年) (5巻P121)カトリック信仰と国家反逆の罪でニューゲート監獄に収監、処刑された。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Hathaway_%28Shakespeare%29]]&bold(){アン・ハサウェイ}…グッドウィルの妻 (1555–1623年) 1582年妊娠3ヶ月(長女スザンナ)で結婚。 ●&u(){&bold(){シリル・モーズリー}…女役の役者、ジェフリーの恋人 【高城元気】} 誰もが目を奪われる美少年。慎ましやかな村娘から高貴な姫君まで自由自在に演じ分ける。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Burbage]]&u(){&bold(){リチャード・バーベッジ}…座長 【土屋利秀】} (1568-1619年) (4巻P145)16世紀きっての大名優で、ショアディッチにある劇場「[[カーテン座>http://en.wikipedia.org/wiki/Curtain_Theatre]]」の支配人。 歴史では:多くのシェイクスピア作品の主役を務めた。[[フォルスタッフ>http://en.wikipedia.org/wiki/Falstaff]]はシェイクスピアの作品に登場する、女王お気に入りのキャラ。 ●&bold(){トニー}…役者?スタッフ? **「[[海軍卿一座>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiral%27s_Men]]」…「薔薇座」の劇団 ●&u(){&bold(){ダニー}…戯曲「[[タンバレイン大王>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」のメディア貴族アジダス役 【藤吉浩二】} シリルにそそのかされ、公演中にアドリブで海斗を振り窮地に立たせる。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Alleyn]]&bold(){ネッド(エドワード・アレン)}…劇団のスター、戯曲「タンバレイン大王」のタンバレイン役 (1566–1626年) **サザーク:劇場「[[薔薇座>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Rose_%28theatre%29]]」 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Henslowe]]&bold(){ヘンズロー(フィリップ・ヘンズロー)}…(4巻P145)劇場主。バーベッジとは長年のライバル。 (1550–1616年) *ロンドン **監獄 ●&u(){&bold(){レイヴン}…ロンドン塔の拷問係 【喜山茂雄】} ウォルシンガムも認める当代一と謳われる拷問のプロ。ラック(拷問台)や鞭を使わない精神的な拷問も得意。代々王家の拷問係を務める家系で、最初のお務めはイングランド王エドワード2世(在位:1307-1327年)だったらしい。 ●&u(){&bold(){ギャリー}…クリンク監獄の獄使 【杉崎亮】} 威張りん坊のおしゃべり。 ●&bold(){トム}…クリンク監獄の獄使 ●&bold(){ジョシュ爺さん}…クリンク監獄の受付係 ●&bold(){クィント}…クリンク監獄の獄使 ●&bold(){ジョージ・ニューマン}…熱狂的なカトリック教徒 ●&bold(){アーデン}(=ネタバレ&openclose2(){グッドウィル})…熱狂的なカトリック教徒 ●&bold(){ケリー}…サー・フランシスの部下。 **デットフォード:王立造船所 &ref(【共通の画】イングランド_フランシス・ドレイク.jpg,【共通】共通の画)作者不明「[[Thomas Cavendish>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]], Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]]&u(){&bold(){サー・ジョン・ホーキンス}…サー・フランシスの従兄、王立造船所の艦隊主計官→&color(white,blue){あ}分艦隊司令官? 【谷昌樹】} (1532-赤痢:1595年) プリマス出身 かつてヤン・グリフュスに船舶の速度向上について相談したことがある。 歴史では:1562年~69年に3度航海、西インド諸島や南米で奴隷を売買した。4度目の航海で死亡。 **デットフォード:宿「牡牛亭」…サー・フランシスの定宿 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]&bold(){エリノア・ブル}…女将 (1550–1596年) ●&bold(){エドモン}…料理人 **サザーク:宿「鍵屋」 *ウィンチェスター ●&bold(){マニング主教}…[[ウィンチェスター大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Winchester_Cathedral]]の主教 海斗の英国国教会への改宗のためホワイト・ホール宮殿へ呼ばれたが、洗礼前夜の晩餐で胸を掻き毟りながら絶命。 ●&bold(){ウッドマン司祭}…マニング主教の健康を証言するため、ジェフリーがロンドンへ連れてきた。 *ポーツマス **アランデル城 &ref(ポーツマス_アン・デイカー・ハワード.jpg)レディ・アンと夫アランデル伯爵(ロンドン塔) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Howard,_Countess_of_Arundel]]&u(){&bold(){レディ・アン(アン・デイカー・ハワード)}…アランデル伯爵の妻 【寺田はるひ】} (1557–1630年) 熱烈なカトリック教徒。女王と英国国教会を憎み、幽閉されている夫を取り戻すためスペインに手を貸す。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Howard,_4th_Duke_of_Norfolk]]&bold(){ノーフォーク公トマス・ハワード}…フィリップ・ハワードの父親 (1536-処刑:1572年) (第6巻P54)女王エリザベス1世に対する陰謀([[リドルフィ陰謀事件>http://en.wikipedia.org/wiki/Ridolfi_plot]])に加担した罪で死刑、ノーフォーク公爵位は剥奪。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Howard,_1st_Earl_of_Arundel]]&bold(){アランデル伯爵フィリップ・ハワード}…レディ・アンの夫、女王エリザベス1世の親戚 (1557-赤痢:1595年、幽閉:1585-1595年) (第6巻P60)洗礼式は代父スペイン王フェリペ2世にてホワイト・ホール宮殿で行われた。英国国教会を断固拒否し、証拠がないのに国外逃亡の嫌疑でロンドン塔に幽閉。女王から「改宗したら妻子に会わせるし、名誉や領地も回復してあげる」と提案されても「信仰を捨てるくらいなら命を捨てる」と拒否。爵位も剥奪され、妻子との面会も出来ないまま獄死。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Howard,_2nd_Earl_of_Arundel]]&bold(){トマス・ハワード}…レディ・アンの息子 (1585–1646年) (第8巻P61)イングランド王ジェームズ1世の重臣となり、アランデル伯爵位も回復。ノーフォーク公復興への道のりはこちら[[【系図】身分>【系図】身分]]です。 ●&bold(){トーランド}…ハワード家の執事 ●&bold(){サクスウェル神父}…カトリックの神父。 **ポーツマス港 ●&u(){&bold(){サットン}…港湾監督官 【杉山大】} ●&bold(){スタン}…ヘースティングスからの使者 *お名前だけ登場 &u(){&bold(){F&B 1巻}} [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sixtus_V]]&bold(){ローマ教皇シクストゥス5世}…(P71)F&B時代のローマ教皇 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_the_Great]]&bold(){アレクサンダー大王}…(P72) [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Narcissus_(mythology)]]&bold(){ナルキッソス}…(P75)ギリシア神話の美少年 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Achilles]]&bold(){アキレウス}…(P81)ビセンテのあだ名 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Dee]]&bold(){ジョン・ディー}…(P104)宮廷占星術師。1583~1589年はポーランド辺りの王宮で出張占い中。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]&bold(){ニコラス・ヒリヤード}…(P126)細密画家。肖像ミニアチュール(ウォルター・ローリーの画像)やパネル絵(女王の画像)が有名。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]]&bold(){トーマス・キャベンディッシュ}…(P136)1586年~1588年2度目の航海で史上3番目の世界一周を達成(サー・フランシスの次)。航海中に2人の日本人を雇いイングランドへ連れて行った。3度目の航海で行方不明。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]&bold(){ハンス・ホルバイン}…(P198)王ヘンリー8世がお気に入りの画家。1536年に年30ポンドの契約で王ヘンリー8世の宮廷画家となった。 &u(){&bold(){F&B 4巻}} [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/King_Arthur]]&bold(){アーサー王}…(P54)5世紀後半~6世紀初めのブリトン人の伝説的な君主。騎士道物語「[[アーサー王物語>https://en.wikipedia.org/wiki/Matter_of_Britain]]」が有名。 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Socrates]]&bold(){ソクラテス}…(P82)古代ギリシアの哲学者。美青年[[アルキビアデス>https://en.wikipedia.org/wiki/Alcibiades]]が何度も誘惑したけど自制心の強靭なソクラテスはスルーって話しアリ [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Oliver_Cromwell]]&bold(){オリバー・クロムウェル}…(P97)清教徒、イングランド共和国の初代護国卿。清教徒革命を起こして王政(イングランド国チャールズ1世は処刑)・枢密院・貴族院を廃止、1649年イングランド共和国(護国卿時代)を樹立した。1660年にイングランドは王政復古する。 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Dickens]]&bold(){チャールズ・ディケンズ}…(P195)ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Burton]]&bold(){リチャード・バートン}…(P199)イギリス映画界を代表する俳優の1人 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Burns]]&bold(){ロバート・バーンズ}…(P213)スコットランドの国民的詩人。海斗が暗唱した詩「[[A Red, Red Rose>http://en.wikipedia.org/wiki/A_Red,_Red_Rose]]:我が恋人は紅き薔薇」(1794年)が有名 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Eighth_Wonder]]&bold(){エイス・ワンダー}…(P245)イギリスのバンド(Vo:[[パッツィ・ケンジット>https://en.wikipedia.org/wiki/Patsy_Kensit]])。 &u(){&bold(){F&B 5巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_II_of_England]]&bold(){イングランド王エドワード2世(在位:1307-1327)} (1284-1327) (P47)優柔不断な治世で宮廷闘争が発生。妻イザベラが率いる反乱軍により廃位。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_the_Great]]&bold(){アルフレッド大王(在位:871-899)}…イングランド七王国(イングランドの素)の1つウェセックス王 (849-899) (P89)イングランドのほぼ全域を掌握。敵国の船を研究し、諸国から水夫を集めて海軍を創立した「英国海軍の父」。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Wolsey]]&bold(){ウルジー枢機卿トマス・ウルジー}…ヨーク大司教、大法官 (1475-1530) (P137)多くの貴族・高官がご機嫌伺いに殺到する平民出身の実力者。多大な費用をかけて素敵な私邸(ハンプトン・コート宮殿)を建てるも、王ヘンリー8世が嫉妬したため進呈。王ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの離婚問題でローマ教皇との交渉に失敗、地位と財産を没収された。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]&bold(){トマス・モア}…大法官 (1478-斬首刑:1535) (P175)王ヘンリー8世の離婚問題や国王至上法(国王を英国国教会の首長とする)にカトリック信徒の立場から反対し、反逆罪で処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Fisher]]&bold(){ジョン・フィッシャー}…聖職者 (1469-斬首刑:1535) (P175)トマス・モアと共に反対し、反逆罪で処刑。 &u(){&bold(){F&B 6巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Spenser]]&bold(){エドマンド・スペンサー}…詩人 (1552–1599) (P44)ウォルター・ローリーに同伴して宮廷を訪れ、「妖精の女王」を女王に献呈。バーリー男爵を敵に回したため出世できず。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_II_of_England]]&bold(){イングランド王リチャード2世(在位:1377-1399)} (1367-1400) (P122)10歳で王位継承、頼った伯父達の権力が増幅し宮廷闘争が発生。従弟ヘンリー・ボリングブロクが率いる反乱軍により廃位。 &u(){&bold(){F&B 8巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Wriothesley,_3rd_Earl_of_Southampton]]&bold(){サウサンプトン伯爵ヘンリー・リズリー}…カトリックと噂されてる領主 (1573–1624) (P70)1593年シェイクスピアから「ヴィーナスとアドーニス」を献呈されパトロンになる。1601年エセックス伯爵の反逆に参加、死刑宣告を受けたが恩赦で免じられた。 ---- ----
#contents_line(level=2,sep=/) ※&color(white,blue){あ}…「アルマダの海戦」のこと。?は本文に明記されてない史実。 *海賊船「グローリア号」 &ref(グローリア号_東郷海斗.jpg)カイト【誕生日:10月4日、年齢:15歳(実は17歳)、身長:5.5ft(168cm)、体重:110lb(50kg)】 ●&u(){&bold(){カイト(東郷海斗)}…[[キャビンボーイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Cabin_boy]]、占い師 【福山潤】} ロンドン在住/東京都港区出身 赤い髪に大きな瞳。母親への自己主張と反抗心で髪を赤く染めている。甘えん坊ながんばり屋さん。頭の回転は速いが探求心旺盛なため考えるより行動が先、たまにやり過ぎてしまう。ちょびっと高所恐怖症。 ホーの丘で「ドレイクの太鼓」を聞き16世紀へタイムスリップしてしまった。 ●&bold(){ブラッキ}ー…サー・フランシスからもらった子猫(♂) カディス出身(スペイン) 青い瞳。真っ白で右目の周りだけ黒で縁取られている。 ●&bold(){タナカ様(架空)}…海斗の主人。 ●&bold(){ペドロ・ゴメス(架空)}…フランシスコ会の修道士 セビリア出身 海斗の教師。ついでに英語とフランス語も教えてくれた。 ●&bold(){ジョン・キリグリュー(実在)}…コーンウォールの副総監、難破屋の元締め [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Women_in_piracy]]&bold(){エリザベス・キリグリュー(実在)}…ジョン・キリグリューの妻 歴史では:女海賊。1581年嵐でファルマス港に避難したスペイン船を襲撃して逮捕、死刑宣告を受けたが女王エリザベス1世の恩赦で免じられた。 ●&bold(){クリストファー(架空)}…サー・ジョンの会計書記 海斗に英語、スペイン語、フランス語を教えてくれた。 &ref(グローリア号_ジェフリー・ロックフォード.jpg)ジェフリー【誕生日:8月21日、年齢:26歳、身長:5.9ft(180cm)、体重:165lb(75kg)】 ●&u(){&bold(){ジェフリー・ロックフォード}…[[船長>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_captain]] 【諏訪部順一】} プリマス出身 黄金の髪にブルーの瞳。海賊らしくない美貌と自由を主張する長い髪。普段ヘラヘラしていてもヤル時はヤル、決心したことは必ず実行してみせる。この時代にしては珍しく個人の意志と個性を尊重し、珍しいモノ奇妙なモノに心引かれる柔軟な思考の持ち主。洒落者で気に入った物には金に糸目をつけない。 #region(close,ロックフォード家の小さな宗教戦争) [[王ヘンリー8世>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]は王妃[[キャサリン・オブ・アラゴン>https://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]と離婚して愛人[[アン・ブーリン>https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]と結婚したくてモンモンです。 でもカトリック教会は離婚禁止。 ってことで、離婚するためにカトリック教会を捨てて英国国教会を新設します(1534年:[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]])。 ・王妃キャサリン・オブ・アラゴン…女王メアリー1世の母親。カトリック教徒。 ・愛人アン・ブーリン…女王エリザベス1世の母親。英国国教徒。 [[女王メアリー1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]はカトリック教徒のスペイン王フェリペ2世(まだ皇太子)と結婚してカトリック教会を復活します。 ついでに英国国教会を迫害(1554年:[[異端排斥法>https://en.wikipedia.org/wiki/Revival_of_the_Heresy_Acts]])。 [[女王エリザベス1世>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]は英国国教会に戻します(1559年:[[国王至上法>https://en.wikipedia.org/wiki/Acts_of_Supremacy]])。 &ref(【共通の画】イングランド_王様と国教.png,【共通】共通の画)C:カトリック教会(旧教)、P:英国国教会(新教、プロテスタント) #endregion ●&bold(){マーティン}…ジェフリーの父親。 ●&bold(){アン}…ジェフリーの母親。 &ref(グローリア号_ナイジェル・グラハム.jpg)ナイジェル【誕生日:11月15日、年齢:25歳、身長:5.8ft(177cm)、体重:157lb(71kg)】 ●&u(){&bold(){ナイジェル・グラハム}…[[航海長(セイリング・マスター、メイト)>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_(naval)]] 【小西克幸】} プリマス出身 褐色の黒髪に灰青色の瞳。全てに慎重な堅物男で、徹底した倹約家。繊細で激しい人見知りだが、一度懐に入れた者には無条件の好意を寄せる。性格が正反対のジェフリーとは強い絆で結ばれている。 細身の長剣[[レイピア>http://en.wikipedia.org/wiki/Rapier]]と短剣[[ダガー>http://en.wikipedia.org/wiki/Dagger]](サーフランシス→ジェフリー→ナイジェル)の両刀使い。 ●&bold(){ジョアン}…ナイジェルの祖母。 ●&bold(){エセル}…ナイジェルの母親。 ●&bold(){トマス}…ナイジェルの異母弟。 ●&u(){&bold(){ジョー・フィンリー}…ナイジェル邸の料理人 【樋口智透】} さびた釘を踏んで義足になり、グローリア号の檣楼手を引退。ナイジェルに忠実で、キットを「主人の貞操を脅かす悪魔」と忌み嫌っている。 ●&bold(){クー}…ジョーの犬。新月の夜みたいに真っ黒で子牛くらい大きい。 **水夫たち &ref(グローリア号_水夫たち.jpg)ルーファス、ユアン、マーシー、ヒュー ●&u(){&bold(){ルーファス・ベレット}…[[水夫長(ボースン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Boatswain]]、船長代理(ジェフリー不在中) 【岩崎征実】} ダートマス出身 荒削りな外見とは裏腹に細やかな神経の持ち主、情に厚く律義。掟破りには鞭で容赦ない罰を与える。[[ボースン・パイプ>http://en.wikipedia.org/wiki/Boatswain%27s_call]]は水夫達に指示を与えるときに使う笛。 ●&bold(){ロザライン}…ルーファスの妻。[[ミッドサマー・イブ>http://en.wikipedia.org/wiki/Midsummer]]の森で燃え上がり結婚。 ●&bold(){シャーロット}…ルーファスの娘 ●&u(){&bold(){ユアン}…檣楼手、水夫長代理(ジェフリー不在中) 【栗山浩一】} ベリック・アポン・トゥイード→ニューキャッスル→ハル→プリマス 水平線に見え隠れする小さな船影も見逃さない。手先が器用でブラッキーの顔が刺繍された救急バッグを海斗にプレゼントした。 ●&bold(){ポリー}…ユアンの妻。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり、できました結婚。父親は酒乱。 ●&bold(){フランシス・ジェフリー・ナイジェル}…ユアンの息子。 ●&u(){&bold(){マーシー}…帆職人 【峰健一】} 海斗に裁縫を教えた。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり結婚。 ●&u(){&bold(){ヒュー}…古参の測深手、水夫長代理(ジェフリー不在中) 【伊丸岡篤、杉崎亮】} 泳げない。何でも真に受けやすい。ブラッキーの名付け親。 ●&u(){&bold(){マック}…砲手長 【杉崎亮】} 長年大砲の近くにいるせいで耳が遠い。ブラッキーの名付け親。ミッドサマー・イブの森で燃え上がり結婚。 ●&u(){&bold(){トーマス}…船大工 【千々和竜策】} 船医のいないグローリア号で怪我人を治療(患部をノコギリで切り落とすだけ)する。 ●&u(){&bold(){ジム}…水夫 【西野真人】} 落雷でミズン・マストから落ちた時の怪我が酷く足を切断。 ●&u(){&bold(){ウィル}…[[操舵手>https://en.wikipedia.org/wiki/Helmsman]]、航海長代理(ジェフリー不在中) 【西野真人】} ●&u(){&bold(){モーガン}…古参の水夫 【田中雅之】} ●&bold(){アーニー}…水夫 ●&bold(){ビリー}…水夫 ●&bold(){ジョン}…水夫  ●&bold(){ロブ}…水夫 ●&bold(){ジョージ}…水夫 ●&bold(){ルーク}…水夫 ●&bold(){ダニー}…料理長 ●&bold(){マシュー}…料理人 ●&bold(){ネヴィル}…砲手(火縄係) **カッター船「ゼファー号」…サー・フランシス提供のウィンチェスターへ行った船 ●&bold(){マーシャル}…一番の古参水夫 **王室直属船「ナンサッチ号」…アルトヴィッチをフランスへ送った船 ●&u(){&bold(){テッド・ウォールデン}…水夫長 【千々和竜策】} ●&bold(){ロブ}…操舵手 ●&bold(){ギル}…前甲板の責任者 ●&bold(){ニール}…水夫 ●&bold(){トッド}…砲撃手 **海賊船「キャサリン号」…少年時代のジェフリーとナイジェルが乗っていた船 ●&bold(){ウィリアム・ワッツ(ワッツ船長、ワッツ爺さん)}…(1巻P121)船長、ジェフリーの遠縁 道義心に溢れ、情けを知る男。少年だったジェフリーとナイジェルを船乗りに育て上げ、遺言で自分の船をジェフリーに譲った。 ●&bold(){ザック}…水夫長 ●&bold(){ダニー}…ザックが戦死した後の水夫長。ジェフリーに負けず劣らずの勇猛さだが、権威をひけらかすので嫌われ者。 ●&bold(){エディ}…航海士。ワッツ船長に忠実で優秀な航海士。感情の起伏が乏しい。 ●&bold(){ケリー}…水夫 ●&bold(){ジョン}…操舵手 ●&bold(){マーティン}…水夫 ●&bold(){クリス}…水夫 ●&bold(){ロビン}…水夫 ●&bold(){ウォーリー}…檣楼手 ●&bold(){ロブ}…水夫。ブッカブーを心底恐れている。 ●&bold(){トニー}…水夫 ●&bold(){モンティ}…水夫 ●&bold(){カリダス}…ヤギ(♀) *サー・フランシス・ドレイク &ref(【共通の画】イングランド_フランシス・ドレイク.jpg,【共通】共通の画)作者不明「[[Thomas Cavendish>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]], Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Drake]]&u(){&bold(){サー・フランシス・ドレイク}…プリマス市長、王立造船所の提督官→&color(white,blue){あ}副司令官? 【堀内賢雄】} (1543-赤痢:1596年) タビストック出身 かつては海賊としてスペインの植民地や商船を襲い、スペインから「悪魔の竜:エル・ドラゴン」と恐れられるイングランドの大英雄。強奪した財宝の一部を国に献上し国庫を潤した。本拠地はプリマスのバックランド・アビー。ジェフリーを信頼し考えを尊重している。 歴史では:世界一周(1577-1580年)の達成はこちら[[【船】ゴールデン・ハインド号>【船】ゴールデン・ハインド号]]をどうぞ。 ●&bold(){エリザベス}…サー・フランシスの妻 (1562-????年) 歴史では:[[Somerset地方の長官>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_High_Sheriffs_of_Somerset]]George Sydenhamの一人娘。残念ながら子供はできなくて、サー・フランシスの財産は甥フランシスが相続。デヴォン伯爵William Courtenay(1543–1630年)と再婚したが子供はできなかった。 ●&u(){&bold(){パーキンス}…サー・フランシス邸の執事 【杉崎亮】} ●&u(){&bold(){シェア}…サー・フランシスの使者 【上田陽司】} ●&bold(){蛇}…サー・フランシスのスペインで活動する間諜 ネーデルラント出身 リスボンでサンタ・クルズ侯爵の動向を探る。新教徒だが本当に信仰しているのはお金。 **王室直属船「[[エリザベス・ボナヴェンチャー号>http://en.wikipedia.org/wiki/English_ship_Bonaventure_%281567%29]]」…カディス湾襲撃の旗船 ●&bold(){フレンジー(フランシス)}…キャビンボーイ、サー・フランシスの遠い親戚 ●&bold(){リチャード}…(3巻P104)フレンジーの父親 ●&bold(){バラー}…(3巻P118)副司令官、女王の船舶書記官 女王がサー・フランシスの目付け役として派遣。アゾレス諸島に向かう途中の嵐で勝手に離脱、サー・フランシスが反逆罪による死刑を申告したため星室庁に訴えた。 ●&bold(){パット}…(3巻P113)料理長 **ピンネース船「バタフライ号」…カディス湾襲撃でサンタ・クルズ侯爵のガレオン船を襲撃 ●&u(){&bold(){ジョーンズ}…操舵手 【峰健一】} ●&bold(){フォックス}…(3巻P136)航海長 サー・フランシスを狙ったスペイン狙撃手の弾が当たり死亡。 **スペイン商船「ラ・ステラ・マリス号」→「セント・ジョージ号」 ●&bold(){マーク}…プリマスに戻るまでの船長代理 **アルマダ海戦 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_1st_Earl_of_Nottingham]]&bold(){エフィンガム男爵チャールズ・ハワード}…&color(white,blue){あ}総司令官 (1536–1624年) (20巻P79)アランデル伯爵フィリップ・ハワードの親戚。1585年海軍卿(海軍司令長官)に任命。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Frobisher]]&bold(){トーマス・フロビッシャー(マーティン・フロビッシャー?)}…&color(white,blue){あ}分艦隊司令官? (1535-負傷:1594年) アルトフツ出身 名高い船長の中では若手だが、燃え上がるような功名心の持ち主。サー・フランシスとは互いに不仲。 *プリマス ●&u(){&bold(){ジョージ・トマソン}…医師 【伊丸岡篤】} 街の人々から信頼されている。ジェフリーも航海から戻ると土産を持って挨拶に行くことがある。 ●&u(){&bold(){エセル}…トマソンの妻 【森沢芙美】} 思慮深く聡明で優しい女性。 ●&u(){&bold(){クレインズ夫人(キャサリン)}…クレインズの妻 【森夏姫】} どにでも嘴を突っ込んでくる仕切家さん。 ●&bold(){クレインズ}…市の建設官(市長サー・フランシスに次ぐ地位) **[[売春宿>https://en.wikipedia.org/wiki/Brothel]]「白鹿亭」 &ref(プリマス_リリー・フロム.jpg)[[Joachim Beuckelaer>https://en.wikipedia.org/wiki/Joachim_Beuckelaer]]画「売春宿」(1562年:ネーデルラント) ●&u(){&bold(){リリー・フロム}…女将 【浅川悠】} 30年以上プリマスに在住 賢明で度胸が据わっている。自分でも憎くなるほど好奇心旺盛。本当は売春家業から足を洗いたいが、娼婦の女の子達の行く末を考えると辞めることが出来ずにいる。 この時代にしては珍しくちゃんとした衛生観念を持つ。 ●&u(){&bold(){サム}…リリーの旦那 【樋口智透】} 生まれつき口が利けないが、イーディスから習った修道会で使う手話で会話する。フランス病(梅毒)の客をポイポイ追い出すほど力持ち。 ●&bold(){ロザリア}…サムの母親 ●&bold(){ビリー}…馬番 ●&bold(){エマ}…娼婦 ●&bold(){イーディス}…修道女 身元不明なリリーの面倒をみてくれた。治療の甲斐なく死んだ患者の家族に魔女と疑われ火刑。 *ホワイト・ホール宮殿 &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王エリザベス1世.jpg)[[Nicholas Hilliard>https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]画「Elizabeth I, the "Phoenix" portrait」(1575年頃) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England]]&u(){&bold(){女王エリザベス1世(在位:1559-1603年)}…[[チューダー朝>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Tudor]]最後の女王 【吉沢希梨】} (1533-1603年) 与えられた運命を受け入れ、その中で輝こうと努力している孤独な女王。数々の難題を「曖昧・引き延ばし・出し惜しみ」で乗り切る。背が高く顔のいい傲慢そうな若い男性がお好み。 カトリックからは「悪魔の娘」「緋色の大淫婦」「海賊女王」と呼ばれている。 歴史では:家臣には「有能な者」と「美貌を愛でるための者」を置いている。1562年天然痘を患い、皮膚に痕が残り髪も抜けてしまったのでカツラとお化粧に頼った。 #region(close,女王エリザベス1世をとりまく状況) #blockquote(){&u(){&bold(){イングランドがスペインに乗っ取られないためぢゃ}} 英国国教会を復活した女王エリザベス1世は国内外のカトリック教会と対立します。でも戦争はしたくない。 ってことで、ネーデルラントやフランスのプロテスタントを支援。 他国を支援することでスペインやフランスの「イングランドへの敵対パワー」を分散できるんだそーです。 &ref(【共通の画】イングランド_女王エリザベス1世(陰謀事件).png,【共通】共通の画) } #blockquote(){&u(){&bold(){元・スコットランド女王メアリー・スチュアートは処刑ぢゃ}} 1568年スコットランドを追い出された元・スコットランド女王[[メアリー・スチュアート>https://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots]]がイングランドに亡命します。 肩身が狭かったカトリック教徒は狂喜乱舞。 陰謀事件「女王エリザベス1世を暗殺して元・女王メアリーをイングランド女王に!」を開始します。 &ref(【共通の画】スコットランド_女王メアリー(処刑).jpg,【共通】共通の画)[[Abel de Pujol>https://en.wikipedia.org/wiki/Abel_de_Pujol]]画「La mort de Marie Stuart, 1587」(19世紀:フランス) スペインやフランスも「元・女王メアリーこそが正当なイングランド女王だ!」と陰謀事件を応援します。 元・女王メアリーまで陰謀事件に参加。 ってことで、1587年2月8日女王エリザベス1世は王座を揺るがす元・女王メアリーを処刑します。そしてF&Bがスタート。 } #blockquote(){&u(){&bold(){賊行為はけっこう儲かるぢゃ}} 敵対国スペイン船の略奪オケ!の[[私掠免許(私拿捕特許状)>http://en.wikipedia.org/wiki/Letter_of_marque]]システムを作って[[私掠船>http://en.wikipedia.org/wiki/Privateer]]の略奪行為を公認・奨励している。 私掠免許料と敵船から略奪した財産への課税は、国の財政難を補ってくれてホクホク。 女王の海賊は別名「[[海の犬>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]]」で海軍の一部。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Sea_Dogs]] &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王エリザベス1世(状況:私掠免許).jpg)イングランド海軍大将[[Henry Morgan>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Morgan]]の私掠免許(1699年) } #blockquote(){&u(){&bold(){16世紀末の宮廷は世代交代がスタートぢゃ}} 16世紀末女王エリザベス1世を支えた重要な政治家の皆さんがどんどん死亡しちゃいます。 ・レスター伯爵ロバート・ダッドリー(1533-1588年) ・バーリー男爵ウィリアム・セシル(1520-1598年) ・フランシス・ウォルシンガム(1532-1590年) ・クリストファー・ハットン(1540–1591年) ってことで、世代交代スタート。ロバート・セシルとエセックス伯爵ロバート・デヴェルーの派閥争いが始まります。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_government]] } #endregion **女王エリザベス1世の家族 &ref(【共通の画】イングランド_王ヘンリー8世と妻.jpg,【共通】共通の画)王ヘンリー8世と6人の妻(○:離婚、×:処刑、△:病死) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England]]&bold(){王ヘンリー8世}…女王エリザベス1世の父親 (1491-1547年) (1巻P70)キャサリン・オブ・アラゴンと離婚&アン・ブーリンと結婚するためにカトリックを捨てて英国国教会を作った。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn]]&bold(){王妃アン・ブーリン}…王ヘンリー8世の2番目の妻、女王エリザベス1世の母親 (1507-刑死:1536年) (1巻P70)王ヘンリー8世の愛人で満足できず、王妃の座を強要。キツイ性格のため離婚、っていうか処刑された。国民に嫌われていた女王。父親が[[在仏イングランド大使>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ambassadors_of_the_Kingdom_of_England_to_France]]の頃にフランスに在住。フランス王妃クロード・ド・フランス(王フランソワ1世)の侍女を勤めた。 ※在仏イングランド大使は伝統的にイングランド外交職の中でも最上級の名門職。 &ref(【共通の画】スペイン_王フェリペ2世と女王メアリー1世.jpg,【共通】共通の画)スペイン王フェリペ2世(義兄)とイングランド女王メアリー1世(義母姉) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_of_Aragon]]&bold(){王妃キャサリン・オブ・アラゴン}…王ヘンリー8世の1番目の妻、女王メアリー1世の母親 (1487-1536年) カトリック教徒。跡継ぎを生めないので離婚された。国民に人気があった女王。スペイン王フェリペ2世の大叔母。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England]]&bold(){女王メアリー1世}…女王エリザベス1世の異母姉 (1516-卵巣腫瘍:1558年) (1巻P73)カトリック教徒。母親を離婚に追いやった女の娘エリザベス1世を終生憎み続けた。スペイン王フェリペ2世と結婚、子供ナシ。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_キャサリン・パー.jpg)義母キャサリン・パーとトーマス・シーモア [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Parr]]&bold(){王妃キャサリン・パー}…王ヘンリー8世の6番目の妻 (1512-産褥感染症:1548年) (6巻P124)エリザベス1世・メアリー1世・エドワード6世の教育係を務めた教養高い女性。王ヘンリー8世が亡くなると恋人トーマス・シーモアと即再婚し、エリザベス1世を引き取る。が、妊娠中にエリザベス1世の寝室に出入りする夫を発見。エリザベス1世を追放。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Seymour,_1st_Baron_Seymour_of_Sudeley]]&bold(){トーマス・シーモア}…キャサリン・パーの夫、女王の初恋の人? (1508–刑死:1549年) (6巻P124)妻の死後、王権に介入するためにエリザベス1世との結婚を画策して失敗。イングランド王エドワード6世への反逆罪で処刑。(「トマス・シーモア事件」) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Seymour,_1st_Duke_of_Somerset]]&bold(){サマーセット公エドワード・シーモア}…トーマス・シーモアの兄 (1506-刑死:1552年) (6巻P124)甥イングランド王エドワード6世の護国卿となり権力を振るった。が、「トマス・シーモア事件」 で共犯とされて処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Dudley,_1st_Duke_of_Northumberland]]&bold(){ノーサンバーランド公ジョン・ダドリー}…ロバート・ダッドリーの父 (1502-刑死:1553年) (6巻P124)サマーセット公を失脚させた中心人物。イングランド王エドワード6世の死後、強引にジェーン・グレイを女王にして処刑。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_女王メアリー・スチュアート.jpg)スコットランド女王メアリー・スチュアートと息子ジェームズ6世 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots]]&bold(){スコットランド女王メアリー・スチュアート(在位:1542-1567年)}…女王エリザベス1世の親戚 (1542-処刑:1587年) (1巻P70)カトリック教徒。祖国を追われてイングランドへ亡命。イングランドの王位継承権者を主張。女王エリザベス1世廃位の陰謀事件に関係して処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]&bold(){スコットランド王ジェームズ6世(在位:1567–1625年)}…メアリー・スチュアートの息子 (1566-1625年) プロテスタント教徒。母メアリーが廃位してスコットランド王となり、スコットランドに住んでいる。 次のイングランド王ジェームズ1世(在位:1603-1625年)。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/James_Hepburn,_4th_Earl_of_Bothwell]]&bold(){ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン}…メアリーの3番目の夫 (1535年-獄死:1578年) (6巻P121)絶え間なく進入を繰り返すイングランド軍を撃退した優秀な軍人。争いの絶えないスコットランドでメアリーを守ろうとしたが力及ばず。 **女王エリザベス1世の重臣(♠J、♦J、♣J、♥J:宮廷内の四大勢力) &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム.jpg)フランシス・ウォルシンガム(私のムーア:Her Moor) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Walsingham]]♠J&u(){&bold(){サー・フランシス・ウォルシンガム}…女王の[[スパイマスター>https://en.wikipedia.org/wiki/Spymaster]]、[[秘書官長>http://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]] 【長克巳】} (1532-[[精巣腫瘍>http://en.wikipedia.org/wiki/Testicular_cancer]]:1590年) エデンの蛇のような狡猾さと聖人のごとき信念を合わせ持つ「女王の闇の手」で「疑わしきは罰せよ」がモットー。ズケズケ意見するので女王からは嫌われている。 #region(close,歴史では(残酷な画があるのでご注意下さい)) フランシス・ウォルシンガムは父親William Walsingham(弁護士)と母親Joyce Denny([[Edmund Denny>https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Denny]]の娘)の息子です。 ガンガン才能を発揮して無名から女王の重臣に出世。 イングランドのために身を投じて働き、亡くなった時は多額の負債が残りました。 |BGCOLOR(lightgrey):王エドワード6世&br()(在位:1547–1553年)|BGCOLOR(lightgrey):1550年頃|ヨーロッパ大陸を旅行| |~|BGCOLOR(lightgrey):1552年頃|[[グレイ法曹院>https://en.wikipedia.org/wiki/Gray%27s_Inn]]に登録| |BGCOLOR(lightgrey):女王メアリー1世&br()(在位:1553-1558年)|BGCOLOR(lightgrey):|[[バーゼル大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Basel]](スイス)、[[パドヴァ大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Padua]](イタリア)へ留学&br()・女王のプロテスタント迫害で大勢の裕福なプロテスタントは海外に亡命したの| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世&br()(在位:1558–1603年)|BGCOLOR(lightgrey):1559年|ベッド フォード伯[[Francis Russell>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Russell,_2nd_Earl_of_Bedford]](亡命の仲間)の支援で庶民院に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1562-1564年|Anne Barne(元ロンドン市長[[ジョージ・バーン>https://en.wikipedia.org/wiki/George_Barne_II]]の娘)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1566年|[[Ursula St. Barbe>https://en.wikipedia.org/wiki/Ursula_St._Barbe]](娘フランセス・ウォルシンガムの母親)と再婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1570–1573年|官職[[在仏イングランド大使>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ambassadors_of_the_Kingdom_of_England_to_France]]に就任&br()・イングランドとフランスの対スペイン同盟を締結(1572年:[[Treaty of Blois>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Blois_(1572)]])| |~|BGCOLOR(lightgrey):1573年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |~|BGCOLOR(lightgrey):1573–1590年|官職[[秘書官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1577年|[[ナイト>https://en.wikipedia.org/wiki/Knight]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1578–1587年|[[ガーター騎士団長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Order_of_the_Garter]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1587-1590年|[[ランカスター公領担当大臣>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Duchy_of_Lancaster]]に就任| #blockquote(){&u(){&bold(){スパイマスターで本領発揮}} 1569年頃からフランシス・ウォルシンガムは秘書官長バーリー男爵ウィリアム・セシルと一緒に働き始めます。 2人で反エリザベス陰謀をガンガンぶっ潰しちゃおう♥ ってことで、情報網を張り巡らせて国内外を監視。諸悪の根源メアリー・スチュアートも処刑します。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:秘書官長|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:反エリザベス陰謀| |BGCOLOR(lightgrey):バーリー男爵ウィリアム・セシル&br()(在職:1558-1572年)|BGCOLOR(lightgrey):1568年|元スコットランド女王メアリー・スチュアートがイングランドへ亡命| |~|BGCOLOR(lightgrey):1569-1570年|[[北部諸侯の乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Rising_of_the_North]](メアリー・スチュアートがイングランド女王になる計画)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1571年|[[リドルフィ事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Ridolfi_plot]](〃)| |BGCOLOR(lightgrey):[[Thomas Smith>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Smith_(diplomat)]]&br()(在職:1572–1576年)|BGCOLOR(lightgrey):|・1572年バーリー男爵ウィリアム・セシルが[[大蔵卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]に就任&br()・1570–1573年フランセス・ウォルシンガムが在仏イングランド大使に就任| |BGCOLOR(lightgrey):フランシス・ウォルシンガム&br()(在職:1573–1590年)|BGCOLOR(lightgrey):1583年|[[スロックモートン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Throckmorton_Plot]](〃)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1586年|[[バビントン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Babington_Plot]](〃)| |~|BGCOLOR(lightgrey):1587年|元スコットランド女王メアリー・スチュアートを処刑| 1586年から情報網に「スペイン海軍が準備中」のお知らせが飛び交います。特にAnthony Standenからのお知らせは詳細。 Anthony Standenは1582年頃ウォルシンガムに£100/年で雇われたカトリック教徒のスパイ。 マドリッドで駐西トスカーナ大使Giovanni Figliazziと友人になってスペインの詳細な情報をゲトしてます。 ウォルシンガムは駐オスマン帝国大使[[William Harborne>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Harborne]]に「[[皇帝ムラト3世>https://en.wikipedia.org/wiki/Murad_III]]を説得」の指示を出します。 オスマン帝国に地中海のスペイン商船や海軍を襲ってもらうの。 高価な時計もプレゼントしたけど説得は失敗。でも1587年Spanish-Ottoman protocol(外交のなにか?)は更新されてません。 1588年アルマダ海戦に勝利した海峡戦隊(Narrow Seas)の指揮官[[ヘンリー・シーモア>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Henry_Seymour_(naval_commander)]] はウォルシンガムに手紙を送ります。 &italic(){&color(silver){You have fought more with your pen than many have in our English navy fought with their enemies.}} &italic(){&color(silver){貴方は我々イングランド艦隊と共に羽根ペンで幾度もスペインに善戦して下さいました。(訳はテキトー)}} } #blockquote(){&u(){&bold(){拷問、拷問、また拷問}} 在仏イングランド大使になったフランシス・ウォルシンガムは[[サン・バルテルミの虐殺>https://en.wikipedia.org/wiki/St._Bartholomew%27s_Day_massacre]](1572年:フランス)に遭遇します。 もしイングランドがカトリックに逆戻りしたら我々も非道に虐殺されちゃう! ってことで、イングランドのカトリック教徒をガンガン拷問して芋づる式にガンガン取り締まります。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム(歴史:拷問).jpg)[[Hans Burgkmair>https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Burgkmair]]画(神聖ローマ帝国) } #blockquote(){&u(){&bold(){お次のスパイマスターは誰だ!?}} 1571年頃からフランシス・ウォルシンガムは体調不良に悩みます。医者の診断はガン、尿路結石、尿路感染症、糖尿病。 1590年自宅(ロンドン塔近くのSeething Lane)で死亡。 葬儀は[[セント・ポール大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Old_St_Paul%27s_Cathedral]]で個人的に行われます。お墓は1666年[[ロンドン大火>https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Fire_of_London]]で焼失。 イングランドのために身を投じたウォルシンガムは多額の負債を残します。宮廷からの借金は£43,000以上。 女王は財布の紐が固いから「火急の入り用」をとりあえず国庫から借りてたの。 この借金は家族が相続…いやいや、誰がどう考えても×借金○経費でしょ。1611年[[王ジェームズ1世>https://en.wikipedia.org/wiki/James_VI_and_I]]が借金チャラにします。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_フランシス・ウォルシンガム(歴史:スパイマスター).jpg)[[Marcus Gheeraerts the Younger>https://en.wikipedia.org/wiki/Marcus_Gheeraerts_the_Younger]]画「The Rainbow Portrait of Queen Elizabeth I」(1600年頃:ロバート・セシル邸[[ハットフィールド・ハウス>https://en.wikipedia.org/wiki/Hatfield_House]]) ウォルシンガムが残した書類は政府が没収してます。私文書も没収されたからウォルシンガムの人物像は謎が多いんだって。 お次のスパイマスターはバーリー男爵ウィリアム・セシル(ロバート・セシルの父親)が就任。 経験の浅いロバート・セシルは父親の仕事を手伝いながらスキルアップ。1596年スパイマスターを引き継ぎます。 } #endregion ●&u(){&bold(){トマス・ウォード}…ウォルシンガムの間諜 【増岡太郎】} ●&bold(){蠍}…ウォルシンガムのスペインで活動する間諜 スペインで宮廷に出入りする貴族の秘書。金の亡者。 ●&bold(){ハーパー}…ウォルシンガム邸の執事 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Ursula_St._Barbe]]&bold(){ウルスラ・セント・ベーベ}…(4巻P114)ウォルシンガムの妻 (?–1602年) ●&bold(){トマス・ウォルシンガム}…ウォルシンガムのダメダメ息子 (5巻P51)キットのパトロン。ゲイで派手に遊んでいる。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Walsingham]]&bold(){フランセス・ウォルシンガム}…(4巻P89)ウォルシンガムの娘 (1567–1631年) 歴史では:1583年フィリップ・シドニーと結婚。1590年エセックス伯爵ロバート・デヴェルーと再婚。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Sidney]]&bold(){フィリップ・シドニー}…フランセスの夫、詩人、外交官、軍人 (1554-戦死:1586年) (1巻P74)女王のお気に入り。ウォルシンガムはフランセスとの婚姻許可を渋る女王を叱りとばしたらしい。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー.jpg)レスター伯爵(私の目:Eyes)と義息子エセックス伯爵(Moste humble vassall) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_1st_Earl_of_Leicester]]♥J&bold(){レスター伯爵ロバート・ダッドリー(ロビン)}…有事の女王補佐→&color(white,blue){あ}陸軍司令官 (1533-胃ガン:1588年) (4巻P102)女王のお気に入りだったが再婚後は影が薄くなり、息子エセックス伯を女王に取りなしている。 歴史では:女王の幼なじみ。妻エイミー・ロブサートの不審な死後、女王はロバートとの結婚を考えたがバーリー男爵達の猛反発で断念。1578年[[レティス・ノウルズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Lettice_Knollys]](ロバート・デヴェルーの母親)と再婚。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Devereux,_2nd_Earl_of_Essex]]&u(){&bold(){エセックス伯爵ロバート・デヴェルー}…レスター伯の義理の息子 【???】} (1566-[[斬首刑>https://en.wikipedia.org/wiki/Decapitation]]:1601年) 女王の一番のお気に入り(チャド談)。女王の寵愛が自分から離れないと思っているアホアホな自信家。フランセス(ウォルシンガムの娘)に惚れている。 #region(close,歴史では) エセックス伯ロバート・デヴェルーは父親エセックス伯[[ウォルター・デヴァルー>https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Devereux,_1st_Earl_of_Essex]]と母親レティス・ノウルズの長男です。 [[名付け親>https://en.wikipedia.org/wiki/Godparent]]はレスター伯爵ロバート・ダッドリー。 宮廷デビューするとあーっという間に女王のお気に入り。1596年[[カディス襲撃>https://en.wikipedia.org/wiki/Capture_of_C%C3%A1diz]]の勝利で国民的英雄になります。 |BGCOLOR(lightgrey):1576年|父親ウォルター・デヴァルーが死亡。政界の有力者バーリー男爵[[ウィリアム・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley]]が[[後見人>https://en.wikipedia.org/wiki/Ward_(law)]]になる&br()・バーリー男爵は孤児になった貴族爵位の継承者を管理する[[後見裁判所長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Court_of_Wards_and_Liveries]](1561-1598年)| |BGCOLOR(lightgrey):1578年|母親レティス・ノウルズが女王のお気に入りレスター伯爵ロバート・ダッドリーと再婚| |BGCOLOR(lightgrey):1584年|宮廷デビュー| |BGCOLOR(lightgrey):1587–1601年|官職[[主馬頭>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_the_Horse]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1588年|[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受(1601年:剥奪)| |BGCOLOR(lightgrey):1590年|[[フランセス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Walsingham]](フランシス・ウォルシンガムの娘)と結婚| |BGCOLOR(lightgrey):1592–1601年|官職[[ペンブルックシャー首席治安判事>https://en.wikipedia.org/wiki/Custos_Rotulorum_of_Pembrokeshire]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1593年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |BGCOLOR(lightgrey):1594頃–1601年|官職[[スタッフォードシャー首席治安判事>https://en.wikipedia.org/wiki/Custos_Rotulorum_of_Staffordshire]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1597–1601年|官職[[軍務伯>https://en.wikipedia.org/wiki/Earl_Marshal]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1597–1601年|軍職[[兵站総監>https://en.wikipedia.org/wiki/Master-General_of_the_Ordnance]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1599年|官職[[アイルランド総督>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Lieutenant_of_Ireland]]に就任| |BGCOLOR(lightgrey):1601年|[[エセックスの反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex%27s_Rebellion]]に失敗して斬首刑| #blockquote(){&u(){&bold(){エセックス伯とセシル親子の対立}} イングランドはスペインと出口の見えない[[英西戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Spanish_War_(1585%E2%80%931604)]](1585–1604年)を続けてます。おまけにけっこう負け続き。 1598年同盟国フランスが抜け駆けしてスペインと仲直り([[Peace of Vervins>https://en.wikipedia.org/wiki/Peace_of_Vervins]])。 出口の見えない英西戦争に一筋の光明が差し込んだかも?ってことで、宮廷は和平派と主戦派に二分します。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex_in_Ireland]] 和平派バーリー男爵「これは絶好のチャンス♥イングランドもスペインと仲直りしよう♥」 主戦派エセックス伯「不名誉な平和なんてクソ!スペインに徹底抗戦だあ!」 和平派バーリー男爵「アンタは戦争でのみ生きているのか!人生の半分を血に飢えた欺瞞で費やすなアホアホ」 エセックス伯は戦争が終わっちゃうと活躍の場を失って、逆にセシル親子の権力が増大するのを危惧したのでございます。 なんやかんやで戦争は続行。 イングランドとスペインの仲直りは1604年[[ロンドン条約>https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_London_(1604)]]までお待ち下さい。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー(歴史:対立).jpg)[[Richard Doyle>https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Doyle_(illustrator)]]画「Elizabeth I with Robert Devereux 2nd Earl of Essex in council」(19世紀:イギリス) イングランドは[[植民地アイルランド>https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Ireland]]と[[ティロン伯の反乱>https://en.wikipedia.org/wiki/Nine_Years%27_War_(Ireland)]](1594–1603年)も続けてます。スペインはアイルランドを応援。 1598年議会は空席の[[アイルランド総督>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Lords_Lieutenant_of_Ireland]]に誰を据えるか検討。 女王はエセックス伯が支持する候補者にウンと言わない。むくれたエセックス伯はなーんと女王に背を向けちゃいます。 女王「なんと無礼な!」エセックス伯の頭をボコッ エセックス伯「ムカッ!」剣の柄に手をかける 海軍卿エフィンガム男爵チャールズ・ハワード「まぁまぁまぁ、落ち着けアホアホ」 エセックス伯「こんな侮辱と屈辱は我慢ならねー!」議会室を飛び出す 一同がポカーンとしてる間にイングランドはアイルランドに衝撃的な敗北を喫します(1598年:[[Battle of the Yellow Ford>https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Yellow_Ford]])。 ポカーンとしてる場合じゃねー!ってことで、アイルランド総督の検討を再開。 エセックス伯もロバート・セシル(ポカーンの間に父親バーリー男爵は死亡)もお互いの候補者を猛プッシュします。 この猛プッシュはエセックス伯とロバート・セシルの勢力争い。お互いに「議会から追放してやるぜ!」って勢いです。 譲らな過ぎて候補者リストも空になっちゃう勢い。 結局大人のロバート・セシルがリストの最後に「エセックス伯」を追加。アイルランド総督はエセックス伯に決まります。 } #blockquote(){&u(){&bold(){エセックス伯の落日}} アイルランド総督エセックス伯は皆さんの期待を一身に背負ってアイルランドの反乱鎮圧に向かいます。楽勝だぜ! と思ったら戦略の失敗や病気で負け続き。 ってことで、ティロン伯[[ヒュー・オニール>https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_O%27Neill,_Earl_of_Tyrone]](反乱の首謀者)と勝手に休戦協定を結んじゃいます。とーぜんロンドン激怒。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Essex%27s_Rebellion]] ロンドンのロバート・セシル「エセックス伯の責任問題だ!」 エセックス伯「このままアイルランドにいても立場が悪くなるだけだ」 ロンドンのロバート・セシル「エセックス伯の責任問題だ!」 エセックス伯「ヤバイ!女王に弁明しないと超ヤバイ!」軍を置き去りにして勝手にロンドンへ帰国 エセックス伯「女王さまあああ!僕の弁明を聞いでえええ!」女王の寝室に乱入 女王「ちょ、化粧するまでお待ち」 エセックス伯「どにがぐ僕の弁明を聞いでえ゛え゛え゛!」化粧した女王がエセックス伯の弁明を聞く 女王「話は全部聞かせてもらった!自宅謹慎しなさい」 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ロバート・ダッドリー(歴史:落日).jpg)[[David Wilkie Wynfield>https://en.wikipedia.org/wiki/David_Wilkie_Wynfield]]画「An Incident in the Life of Queen Elizabeth」(1875年:イギリス) 1600年エセックス伯は宮廷のオフィスも没収されて出入り禁止になります。弁明の手紙を何度送っても女王はスルー。 それどころか収入源のワイン輸入税独占権の更新も拒否。 女王に見捨てられたと悟ったエセックス伯は1601年「女王の政府を掌握(特にロバート・セシルの失脚)」を計画します。 エセックス伯「ロバート・セシルは僕を殺すつもりだ!」これで市井の支持をゲトだぜ! エセックス伯「ロバート・セシルはイングランドをスペインに売るつもりだ!」ついでに自宅に来た女王の使者も拘束だぜ! ロバート・セシル「エセックス伯は反逆者!反逆者!反逆者!」反逆者の連呼に市井がビビる 市井は支持してくれないし、人質の使者も逃げちゃうし、海軍卿に自宅を包囲されちゃうし…エセックス伯は降伏します。 裁判の判決は「反逆者で有罪」。 1601年2月25日[[タワー・グリーン>https://en.wikipedia.org/wiki/Tower_Green]]([[ロンドン塔>https://en.wikipedia.org/wiki/Tower_of_London]])で斬首されます。 } #endregion [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Penelope_Blount,_Countess_of_Devonshire]]&bold(){ペネロピー・ブロント}…(5巻P53)エセックス伯爵の姉 (1563-1607年) 歴史では:フィリップ・シドニー著「[[アストロフェルとステラ>https://en.wikipedia.org/wiki/Astrophel_and_Stella]]」のステラ。1581年初代ウォリック伯[[ロバート・リッチ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Rich,_1st_Earl_of_Warwick]]と結婚。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ウィリアム・セシル.jpg)バーリー男爵(私のハート:Sir Spirit)と息子ロバート・セシル(私の小人:Pygmy) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley]]♦J&u(){&bold(){バーリー男爵ウィリアム・セシル}…[[大蔵卿>http://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]、宰相 【岩崎征実】} (1520-脳卒中か心臓発作:1598年) 女王から忠勤の褒美として地所や酒税の取り立て権を貰っている。 歴史では:女王が即位したときからの重臣。歴史学者[[Albert Pollard>https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Pollard]]曰く「バーリー男爵の業績が1558年から40年間の女王とイングランドの歴史を作った」 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cecil,_1st_Earl_of_Salisbury]]&u(){&bold(){ロバート・セシル}…バーリー男爵の次男 【代永翼】} (1563-1612年) 美形ではないが頭が切れ法律にも詳しい。病弱だった幼い頃からの習慣で、父に来客があると隣部屋から執務室を覗き見する。 #region(close,歴史では) ロバート・セシルは猫背で身長は150cmくらい(男性の平均身長は160cm)。父親バーリー男爵の死後に主要な大臣に就任します。 女王エリザベス1世と王ジェームズ1世の重臣として活躍。 モットーは「Sero, sed serio:焦らず真摯に(訳はテキトー)」。 |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世&br()(在位:1558–1603年)|BGCOLOR(lightgrey):1584年|[[庶民院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_of_England]]に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1589年|Elizabeth Brooke(コバム卿[[ウィリアム・ブルック>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Brooke,_10th_Baron_Cobham]]の娘)と結婚| |~|BGCOLOR(lightgrey):1591年|[[枢密院(内閣:国政の中心機関)>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]に入閣| |~|BGCOLOR(lightgrey):1596–1612年|官職[[秘書官長>https://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1597–1599年|官職[[ランカスター公領担当大臣>https://en.wikipedia.org/wiki/Chancellor_of_the_Duchy_of_Lancaster]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1598–1612年|官職[[璽尚書>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Privy_Seal]]に就任| |~|BGCOLOR(lightgrey):1599–1612年|官職[[後見裁判所長官>https://en.wikipedia.org/wiki/Court_of_Wards_and_Liveries]]に就任(エセックス伯爵がアイルランドへ出兵中)| |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世&br()(在位:1603–1625年)|BGCOLOR(lightgrey):1606年|[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1608–1612年|官職[[大蔵卿>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_High_Treasurer]]に就任| #blockquote(){&u(){&bold(){裸一貫から財を築く}} 父親バーリー男爵の「[[バーリー男爵>https://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Exeter]]の爵位」「[[貴族院>https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Lords]]の議席」は長兄[[トマス・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cecil,_1st_Earl_of_Exeter]]が世襲します([[長子相続>https://en.wikipedia.org/wiki/Primogeniture]])。 相続分割いっさいナシだから他の息子達は自力で頑張れ! ってことで、父親バーリー男爵の政治的才能を引き継いだロバート・セシルも頑張ります。政治的才能が一番の相続かもね。 |BGCOLOR(lightgrey):CENTER:王様|>|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:[[呼称>https://en.wikipedia.org/wiki/Forms_of_address_in_the_United_Kingdom]]|BGCOLOR(lightgrey):CENTER:履歴書| |BGCOLOR(lightgrey):女王エリザベス1世|BGCOLOR(lightgrey):1563-1584年|Mr Robert Cecil|| |~|BGCOLOR(lightgrey):1584-1591年|Mr Robert Cecil MP|1584年:庶民院に当選| |~|BGCOLOR(lightgrey):1591-1603年|The Rt Hon Robert Cecil MP|1591年:枢密院に入閣 | |BGCOLOR(lightgrey):王ジェームズ1世)|BGCOLOR(lightgrey):1603-1604年|The Rt Hon The Lord Cecil PC|1603年:セシル男爵(Baron Cecil)を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1604-1605年|The Rt Hon The Viscount Cranborne PC|1604年:[[クランボーン子爵>https://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Salisbury]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1605-1606年|The Rt Hon The Earl of Salisbury PC|1605年:[[ソールズベリー伯爵 >https://en.wikipedia.org/wiki/Earl_of_Salisbury]]を拝受| |~|BGCOLOR(lightgrey):1606-1612年|The Rt Hon The Earl of Salisbury KG PC|1606年:[[ガーター勲章>https://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_the_Garter]]を拝受| 呼称の意味([[スタイル>https://en.wikipedia.org/wiki/Style_(manner_of_address)]])はこんな感じです。 ・MP(Members of Parliament):[[イングランド議会>https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_England]]の議員 ・The Rt Hon(The Right Honourable):[[閣下>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Right_Honourable]](伯爵以下の呼称、枢密院の閣僚) ・The Lord:[[貴族階級>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord]]の呼称 ・PC(Privy Counsellors):枢密院の閣僚 ・The Viscount Cranborne:クランボーン子爵 ・The Earl of Salisbury:ソールズベリー伯爵 ・KG(Knight of the Garter):ガーター勲章 } #endregion [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cecil,_1st_Earl_of_Exeter]]&bold(){トマス・セシル}…バーリー男爵の長男、ロバート・セシルの異母兄 (1542–1623年) 歴史では:父親バーリー男爵曰く「Robert could rule England, but Thomas could hardly rule a tennis court:ロバートはイングランドを統治できる。しかしトマスはテニスコートすら統治できないだろう」 ●&bold(){ラリー}…御者 ●&bold(){バーティ}…船頭 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Brooke,_10th_Baron_Cobham]]&bold(){コバム卿ウィリアム・ブルック}…[[五港監督官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Warden_of_the_Cinque_Ports]] (1527–1597年) ※[[五港>https://en.wikipedia.org/wiki/Cinque_Ports]]はヘイスティング、ロムニー、ハイズ、ドーヴァー、サンドウィッチ。これにウインチェルシー、ライが加わる。 ●&bold(){エリザベス・ブルック}…コバム卿の娘 (1562-1597年) (20巻P232)1589年8月31日ロバート・セシルと結婚。1591年息子第2代ソールズベリー伯[[ウィリアム・セシル>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_2nd_Earl_of_Salisbury]]を出産。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ウォルター・ローリー.jpg)ウォルター・ローリー(私のウォーター:Water) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Raleigh]]♣J&u(){&bold(){ウォルター・ローリー}…女王の[[護衛隊長>https://en.wikipedia.org/wiki/Esquire_of_the_Body]]、探検家、作家、詩人 【???】} (1552-斬首刑:1618年) デヴォン州出身 四大勢力の中で一番若造。女王の情愛を独り占めしているが、こっそりエルザにアタックしてる。 歴史では:1585年からバージニア(北アメリカ)植民事業に着手して失敗。1591年エルザと密かに結婚し、女王の逆鱗に触れてロンドン塔に送られる。出所後、探検中に部下がスペイン植民地インドで略奪をしたせいで有罪。 #region(close,夜の学校) ウォルター・ローリー主催の進歩思想(無神論)のサークル。 メンバーはキット、ジョージ・チャップマン(劇作家、詩人)、トーマス・ハリオット(天文学者、占星術師、数学者)など。 [[wikipedia>http://en.wikipedia.org/wiki/The_School_of_Night]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ.jpg)キット #endregion [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Grenville]]&bold(){リチャード・グレンヴィル}…ウォルター・ローリーの従兄弟 (1542-戦死:1591年) (1巻P229)バックランド・アビーをサー・フランシスに譲った資金でウォルター・ローリーと共に植民事業を始めた。 &ref(ホワイト・ホール宮殿_ヘンリー・ケアリー.jpg)ハンズドン卿とハットン卿(私の羊:Sheep/まぶた:Lids) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Carey,_1st_Baron_Hunsdon]]&u(){&bold(){ハンズドン卿ヘンリー・ケアリー}…女王の従兄、宮内大臣 【株田裕介】} (1526–1596年) (4巻P103)穏やかな外見だが、悪口を言わせたら天下一品。 歴史では:母親メアリー・ブーリン(女王エリザベス1世の叔母)は王ヘンリー8世の愛人。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Hatton]]&u(){&bold(){ハットン卿クリストファー・ハットン}…[[大法官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Chancellor]] 【松田健一郎】} (1540–1591年) ダンスの名手。 歴史では:サー・フランシス・ドレイクの世界一周のパトロン。 **女王エリザベス1世の従者 &ref(ホワイト・ホール宮殿_エリザベス・スロックモートン.jpg)エルザと未来の夫ウォルター・ローリー [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Raleigh]]&bold(){エルザ(エリザベス・スロックモートン)}…[[女王の女官>https://en.wikipedia.org/wiki/Lady-in-waiting]] (1565-1647年) 宮廷で海斗の一番の仲良し。天使のように無邪気な美少女。 歴史では:1591年ウォルター・ローリーと密かに結婚し女官を解雇される。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Throckmorton]]&bold(){ニコラス・スロックモートン}…エルザの父親 (1515–1571年) 在仏イングランド大使、在スコットランドのイングランド大使などなど。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Blanche_Parry]]&u(){&bold(){ブランチ・パリー}…女王の女官長 【加納千秋】} (1507–1590年) 歴史では:女王エリザベス1世が生まれた時からの世話係でロンドン塔へも付き添った。1565年から[[女官長>https://en.wikipedia.org/wiki/First_Lady_of_the_Bedchamber]](Chief Gentlewomen of the Privy Chamber)。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Russell,_Countess_of_Warwick]]&bold(){レディ・アン}(ウォリック伯夫人アン・ラッセル?)…(4巻P140)女王の女官。ジェフリーに[[女官パイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Maids_of_honour_tart]]の由来を説明 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Rodrigo_L%C3%B3pez_%28physician%29]]&u(){&bold(){ペレス(ロドリゴ・ロペス?)}…(5巻P18)女王の侍医 【土屋トシヒデ】} ●&bold(){ハンク}…世界一のラム焼職人(チャド談)。 **女王エリザベス1世の道化師「[[女王一座 >http://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth%27s_Men]]」 &ref(ホワイト・ホール宮殿_リチャード・タールトン.jpg)リチャード・タールトン [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Tarlton]]&u(){&bold(){チャド(リチャード・タールトン)}…[[フール(いびきかき)>https://en.wikipedia.org/wiki/Jester]] 【杉崎亮】} (????-1588年) 才能があり長年フールを勤めている。 ●&u(){&bold(){ピッポ(フィリップ・バーノン)}…フール 【藤吉浩二】} スランプ中で新しく入ってきた海斗に仕事を奪われるのではと危惧している。 ●&bold(){アリー}…[[クラウン(寝言言い)>https://en.wikipedia.org/wiki/Clown]] ●&bold(){ジョン}…クラウン [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Tilney]]&bold(){ティルニー(エドモンド・ティルニー)}…[[王室饗宴局長>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_the_Revels]](1536–1610年) #region(close,歴史では) #include(【共通】女王一座) #endregion *[[劇団>http://en.wikipedia.org/wiki/Playing_company]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ.jpg)キット【誕生日:2月26日、年齢:23歳、身長:5.64ft(172cm)、体重:143lb(65kg)】 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]]&u(){&bold(){キット(クリストファー・マーロウ)}…劇作家、ウォルシンガムの間諜 【三木眞一郎】} (1564-殺害:1593年) カンタベリー出身 無神論者でゲイを公言するケンブリッジ大出身の才子。つねに冷静に優雅に超然としている。他人からの無関心は誹謗中傷よりプライドが許さないが、狩猟本能をくすぐられるナイジェルにだけは抵抗できない。 ジェフリー達とは、任務のためグローリア号でフランスへ送ってもらった時からの付き合い。 #region(close,歴史では) クリストファー・マーロウは靴屋John Marloweの息子です。脚本家、詩人、翻訳者。そして[[エリザベス朝>https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabethan_era]]で1番の[[悲劇作家>https://en.wikipedia.org/wiki/Tragedy]]。 同い年の[[ウィリアム・シェイクスピア>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]を大いに触発。 1593年食事付きの下宿「[[エリノア・ブル>https://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]の居酒屋」([[デットフォード>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]])で[[イングラム・フライザー>http://en.wikipedia.org/wiki/Ingram_Frizer]]に殺されます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]] |BGCOLOR(lightgrey):1564年|BGCOLOR(lightgrey):2月26日|St George's Church([[カンタベリー>https://en.wikipedia.org/wiki/Canterbury]])で[[洗礼>https://en.wikipedia.org/wiki/Baptism]]を受ける。誕生日は不明だけどたぶん洗礼の2-3日前| |BGCOLOR(lightgrey):|BGCOLOR(lightgrey):|[[キングズ・スクール>https://en.wikipedia.org/wiki/The_King%27s_School,_Canterbury]]へ| |BGCOLOR(lightgrey):1584年|BGCOLOR(lightgrey):|奨学金で[[コーパス・クリスティ・カレッジ>https://en.wikipedia.org/wiki/Corpus_Christi_College,_Cambridge]]([[ケンブリッジ大学>https://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Cambridge]])へ。[[学士>https://en.wikipedia.org/wiki/Bachelor_of_Arts]]を取得| |BGCOLOR(lightgrey):1587年|BGCOLOR(lightgrey):|[[修士(マスター)>https://en.wikipedia.org/wiki/Master_of_Arts]]を取得| |~|BGCOLOR(lightgrey):|ロンドンで「[[Tamburlaine(タンバレイン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」を公演(最初のレギュラー公演)&br()※イングランド初の[[ブランクヴァース>https://en.wikipedia.org/wiki/Blank_verse]]を操った演劇| |BGCOLOR(lightgrey):1593年|BGCOLOR(lightgrey):5月上旬|ロンドンでフランスやネーデルラントのプロテスタント難民への脅迫文が貼り出される&br()[[弱強5歩格>https://en.wikipedia.org/wiki/Iambic_pentameter]]で書かれた脅迫文にはマーロウの作品と「[[Tamburlaine(タンバレイン)>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」の署名が記載| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月11日|[[枢密院>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]が犯人の捜査開始| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月12日|マーロウの元同居人だった劇作家[[トマス・キッド>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Kyd]]が逮捕される&br()トマス・キッドは「下宿部屋で発見された無神論的小論文は2年前にマーロウが書いたモノ」と主張&br()※2年前に2人はパトロン[[Ferdinando Stanley>https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinando_Stanley,_5th_Earl_of_Derby]]の仕事に関係してたっぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月18日|枢密院がマーロウに逮捕状を発付&br()※このときマーロウは[[トマス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Walsingham_(literary_patron)]](フランシス・ウォルシンガムの親戚)の家に滞在中っぽい| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月20日|マーロウが出頭&br()でも逮捕されずに「お許しが出るまで毎日裁判官へ出頭しなさい」と命じられただけ| |~|BGCOLOR(lightgrey):5月30日|&bold(){マーロウがエリノア・ブルの居酒屋(デットフォード)でイングラム・フライザーに殺害される}| |~|BGCOLOR(lightgrey):6月1日|マーロウの死因審問&br()死因審問の直後マーロウの遺体は聖ニコラス教会(デットフォード)のお墓に埋葬。お墓には墓標が無い&br()※1925年学者[[Leslie Hotson>https://en.wikipedia.org/wiki/Leslie_Hotson]]が死因審問で使われた検死官[[William Danby>https://en.wikipedia.org/wiki/William_Danby_(coroner)]]の報告書を発見| |~|BGCOLOR(lightgrey):6月28日|女王エリザベス1世が殺人犯イングラム・フライザーに恩赦を与える| #blockquote(){&u(){&bold(){修士でモメモメ}} 1587年ケンブリッジ大学はクリストファー・マーロウへの修士の授与をためらいます。 「マーロウがカトリック教会の聖職授任を受けるためにイングランドの大学([[ランス>https://en.wikipedia.org/wiki/Reims]])に行く」とウワサがあったの。 [[枢密院>https://en.wikipedia.org/wiki/Privy_Council_of_England]]の介入でマーロウは予定通り修士をゲトできました。 &ref(劇団_クリストファー・マーロウ(歴史:修士).jpg)William Smith and Richard Lyne画「Map of Cambridge」(1575年) 枢密院はケンブリッジ大学に「彼は女王エリザベス1世に対してfaithful dealing、good serviceである」と手紙を送ってます。 具体的なマーロウのgood serviceは不明。 でもこの手紙でマーロウが秘書官長[[フランシス・ウォルシンガム>https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Walsingham]]の間諜をやってたんじゃね?って考えられてます。 } #blockquote(){&u(){&bold(){戯曲「フォースタス博士」}} クリストファー・マーロウの戯曲「フォースタス博士」(1588-1593年頃)はドイツの伝説[[ファウスト>https://en.wikipedia.org/wiki/Faust]]を基にした悲劇です。 学問に行き詰まったフォースタスは魔術を学ぼうと悪魔[[メフィストフェレス>https://en.wikipedia.org/wiki/Mephistopheles]]を召喚。 魂と引き替えに悪魔を従わせる契約を交わして[[七つの大罪>https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_deadly_sins]]を満喫。契約が終わると神に許しを乞うことなく地獄へ落ちます。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Doctor_Faustus_(play)]] &ref(劇団_クリストファー・マーロウ(歴史:フォースタス博士).jpg)悪魔メフィストフェレスを召喚するフォースタス こちらは「フォースタス博士」の有名なセリフ。スパルタ王メネラーオスの王妃[[ヘレン>https://en.wikipedia.org/wiki/Helen_of_Troy]]を召喚した第5幕:第1場です。 王妃ヘレンは[[ギリシア神話>https://en.wikipedia.org/wiki/Greek_mythology]]に登場する地上で最も美しい女性。 トロイアの王子パリスにさらわれて「[[トロイア戦争>https://en.wikipedia.org/wiki/Trojan_War]]」が始まっちゃいました。[[アカイア軍>https://en.wikipedia.org/wiki/Achaeans_(Homer)]]は総勢10万、1168隻の大艦隊。 &italic(){&color(silver){Was this the face that launch'd a thousand ships,}} おお、これが千艘の軍船を駆りたて、 &italic(){&color(silver){And burnt the topless towers of Ilium--}} [[トロイ>https://en.wikipedia.org/wiki/Troy]]の天を魔す塔を焼き亡ぼしたあの顔なのか。 &italic(){&color(silver){Sweet Helen, make me immortal with a kiss.--}} 麗しいヘレン、お前の接吻でおれを永劫不滅の身にしてくれ、 &italic(){&color(silver){[kisses her]}} (ヘレン、彼に接吻する) &italic(){&color(silver){Her lips suck forth my soul: see, where it flies!--}} ああ、おれの魂がこの唇に吸われてしまった。見ろ、魂が飛んでゆく--- &italic(){&color(silver){Come, Helen, come, give me my soul again.}} 頼みだ、ヘレン、おれの魂をかえしてくれ。 &italic(){&color(silver){Here will I dwell, for heaven is in these lips,}} おれはもうここから離れんぞ、ここが、この唇が天国だ、 &italic(){&color(silver){And all is dross that is not Helena.}} ヘレンのもの以外はすべて塵芥にすぎぬ。 ちなみに「フォースタス博士」は「the A text(1604年版)」「the B text(1616年版)」があります。 1592年[[書籍出版業組合記録>https://en.wikipedia.org/wiki/Stationers%27_Register]]に登録したっぽい。 このとき混乱があって内容が違う2つのバージョンができたっぽい。こちらは「フォースタス博士(1604年版)」です。 } #blockquote(){&u(){&bold(){クリストファー・マーロウ殺人事件。検死官William Danbyの報告書による「目撃者スキヤーズとポウリーの証言」}} 1593年5月30日マーロウは仲間3人と一緒に[[エリノア・ブル>https://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]の居酒屋([[デットフォード>https://en.wikipedia.org/wiki/Deptford]])で1日を過ごします。 勘定払い(Reckoning)でマーロウとフライザーが喧嘩。 マーロウはフライザーの[[ダガー>https://en.wikipedia.org/wiki/Dagger]]を奪って頭を切りつけます。すったもんだの末にフライザーに右目の上を刺されて死亡。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Marlowe]] [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Skeres]]ニコラス・スキヤーズ…フランシス・ウォルシンガムの仕事に関係してたっぽい。[[バビントン事件>https://en.wikipedia.org/wiki/Babington_Plot]](スコットランド女王メアリー・スチュアートが処刑されるキッカケの事件)にも関与。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Poley]]ロバート・ポウリー…〃。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Ingram_Frizer]]イングラム・フライザー…トマス・ウォルシンガム(フランシス・ウォルシンガムの親戚)の仕事に関係してたっぽい。 &ref(【共通の画】イングランド_クリストファー・マーロウ殺人事件.jpg,【共通】共通の画)Angus McBride画「The killing of the poet, Christopher Marlowe」 6月1日殺人犯フライザーは死因審問を受けます。目撃者スキヤーズとポウリーの証言で正当防衛を認められて無罪放免。 でも目撃者の2人は「プロの嘘つき(スパイ的な意味で)」。 死ぬ前にもアレコレあったし、死ぬ時も一緒にいた人達もアレコレなだけに「暗殺じゃね?」って言われてます。 アレコレの1つは財務省(The warrant)に記録されてる「6月12日:ポウリーへの国庫支払命令(出張精算?)」です。 メッセージを携えたポウリーは5月8日[[ハーグ>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Hague]]へ出発。 6月8日[[ノンサッチ宮殿>https://en.wikipedia.org/wiki/Nonsuch_Palace]]に返事を運んでます。支払い内容は独特な言い回し「in her Majesty's service all the aforesaid time」。 } #endregion ●&bold(){トマス・ワトスン}…ウォルシンガムの間諜 新進気鋭の劇作家。 **「[[レスター伯一座>http://en.wikipedia.org/wiki/Leicester%27s_Men]]」 &ref(劇団_ウィリアム・シェイクスピア.jpg)グッドウィル [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare]]&u(){&bold(){グッドウィル(ウィリアム・シェイクスピア)}…シリルの親方、役者 【遠近孝一】} (1564-1616年4月23日) ストラトフォード・アポン・エイヴォン出身 キットに刺激され劇作家の道に進もうとしている。 歴史では:四大悲劇や「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」など多くの傑作を残す。1594年には劇団を所有、イングランド王ジェームズ1世はこの劇団の庇護者となった。 #region(close,誰しも二人の主人に仕えることはできない) 「誰しも二人の主人に仕えることはできない」はイエス・キリストが山上で弟子たちに語った1節です([[山上の垂訓>https://en.wikipedia.org/wiki/Sermon_on_the_Mount]])。 英語だとこんな感じ? F&B時代は[[ジュネーヴ聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/Geneva_Bible]](1560年)だと思うけど、こちらは[[欽定訳聖書>https://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Version]](1611年)の1節です。 &italic(){&color(silver){No man can serve two masters: for either hewill hate the one, and love the other; or elsehe will hold to the one, and despise the other.Ye cannot serve God and mammon.}} &italic(){&color(silver){だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 ~マタイによる福音書6章24節~}} [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_6:24]] #blockquote(){&u(){&bold(){ウィリアム・シェイクスピアはカトリック教徒?}} シェイクスピアには「秘密のカトリック教徒」「カトリック教徒に同情的」「無神論者」って説があります。 例えば歴史家[[John Speed>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Speed]]著「History of Great Britain」(1611年)はイエズス会[[ロバート・パーソンズ>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Persons]]と結びつけて「the Papist and his poet:カトリック教徒とその詩人」と非難。 21世紀も多くの学者が考察してるけど直接的な証拠はナイです。 [[wikipedia>https://en.wikipedia.org/wiki/Religious_views_of_William_Shakespeare]] &ref(劇団_ウィリアム・シェイクスピア(二人の主人).jpg)[[Henry Bunbury>https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Bunbury_(caricaturist)]]画「Shakespeare:Henry VI, Part 2, Act V, Scene 8」(18世紀) シェイクスピアの作品に登場する[[フォルスタッフ>https://en.wikipedia.org/wiki/Falstaff]]はプロテスタント殉教者[[ジョン・オールドカースル>https://en.wikipedia.org/wiki/John_Oldcastle]](処刑:1417年)がモデルと言われてます。 1604年ロバート・パーソンズは「オールドカースルというのはイングランド人の誰もが知っているならず者で、喜劇役者たちによってよく上演されていて、ヘンリー五世の時代に泥棒と反乱の罪で死刑になったものである」と揶揄。 John Speedはこれに食らいついてシェイクスピアを非難したっぽいです。えっ!? } #endregion [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Arden]]&bold(){エリック・アーデン(エドワード・アーデン?)}…グッドウィルの親戚 (1542–1583年) (5巻P121)カトリック信仰と国家反逆の罪でニューゲート監獄に収監、処刑された。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Hathaway_%28Shakespeare%29]]&bold(){アン・ハサウェイ}…グッドウィルの妻 (1555–1623年) 1582年妊娠3ヶ月(長女スザンナ)で結婚。 ●&u(){&bold(){シリル・モーズリー}…女役の役者、ジェフリーの恋人 【高城元気】} 誰もが目を奪われる美少年。慎ましやかな村娘から高貴な姫君まで自由自在に演じ分ける。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Burbage]]&u(){&bold(){リチャード・バーベッジ}…座長 【土屋利秀】} (1568-1619年) (4巻P145)16世紀きっての大名優で、ショアディッチにある劇場「[[カーテン座>http://en.wikipedia.org/wiki/Curtain_Theatre]]」の支配人。 歴史では:多くのシェイクスピア作品の主役を務めた。[[フォルスタッフ>http://en.wikipedia.org/wiki/Falstaff]]はシェイクスピアの作品に登場する、女王お気に入りのキャラ。 ●&bold(){トニー}…役者?スタッフ? **「[[海軍卿一座>http://en.wikipedia.org/wiki/Admiral%27s_Men]]」…「薔薇座」の劇団 ●&u(){&bold(){ダニー}…戯曲「[[タンバレイン大王>https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine]]」のメディア貴族アジダス役 【藤吉浩二】} シリルにそそのかされ、公演中にアドリブで海斗を振り窮地に立たせる。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Alleyn]]&bold(){ネッド(エドワード・アレン)}…劇団のスター、戯曲「タンバレイン大王」のタンバレイン役 (1566–1626年) **サザーク:劇場「[[薔薇座>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Rose_%28theatre%29]]」 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Henslowe]]&bold(){ヘンズロー(フィリップ・ヘンズロー)}…(4巻P145)劇場主。バーベッジとは長年のライバル。 (1550–1616年) *ロンドン **監獄 ●&u(){&bold(){レイヴン}…ロンドン塔の拷問係 【喜山茂雄】} ウォルシンガムも認める当代一と謳われる拷問のプロ。ラック(拷問台)や鞭を使わない精神的な拷問も得意。代々王家の拷問係を務める家系で、最初のお務めはイングランド王エドワード2世(在位:1307-1327年)だったらしい。 ●&u(){&bold(){ギャリー}…クリンク監獄の獄使 【杉崎亮】} 威張りん坊のおしゃべり。 ●&bold(){トム}…クリンク監獄の獄使 ●&bold(){ジョシュ爺さん}…クリンク監獄の受付係 ●&bold(){クィント}…クリンク監獄の獄使 ●&bold(){ジョージ・ニューマン}…熱狂的なカトリック教徒 ●&bold(){アーデン}(=ネタバレ&openclose2(){グッドウィル})…熱狂的なカトリック教徒 ●&bold(){ケリー}…サー・フランシスの部下。 **デットフォード:王立造船所 &ref(【共通の画】イングランド_フランシス・ドレイク.jpg,【共通】共通の画)作者不明「[[Thomas Cavendish>https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]], Sir Francis Drake and Sir John Hawkins」(17世紀) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hawkins_(naval_commander)]]&u(){&bold(){サー・ジョン・ホーキンス}…サー・フランシスの従兄、王立造船所の艦隊主計官→&color(white,blue){あ}分艦隊司令官? 【谷昌樹】} (1532-赤痢:1595年) プリマス出身 かつてヤン・グリフュスに船舶の速度向上について相談したことがある。 歴史では:1562年~69年に3度航海、西インド諸島や南米で奴隷を売買した。4度目の航海で死亡。 **デットフォード:宿「牡牛亭」…サー・フランシスの定宿 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Bull]]&bold(){エリノア・ブル}…女将 (1550–1596年) ●&bold(){エドモン}…料理人 **サザーク:宿「鍵屋」 *ウィンチェスター ●&bold(){マニング主教}…[[ウィンチェスター大聖堂>https://en.wikipedia.org/wiki/Winchester_Cathedral]]の主教 海斗の英国国教会への改宗のためホワイト・ホール宮殿へ呼ばれたが、洗礼前夜の晩餐で胸を掻き毟りながら絶命。 ●&bold(){ウッドマン司祭}…マニング主教の健康を証言するため、ジェフリーがロンドンへ連れてきた。 *ポーツマス **アランデル城 &ref(ポーツマス_アン・デイカー・ハワード.jpg)レディ・アンと夫アランデル伯爵(ロンドン塔) [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Howard,_Countess_of_Arundel]]&u(){&bold(){レディ・アン(アン・デイカー・ハワード)}…アランデル伯爵の妻 【寺田はるひ】} (1557–1630年) 熱烈なカトリック教徒。女王と英国国教会を憎み、幽閉されている夫を取り戻すためスペインに手を貸す。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Howard,_4th_Duke_of_Norfolk]]&bold(){ノーフォーク公トマス・ハワード}…フィリップ・ハワードの父親 (1536-処刑:1572年) (第6巻P54)女王エリザベス1世に対する陰謀([[リドルフィ陰謀事件>http://en.wikipedia.org/wiki/Ridolfi_plot]])に加担した罪で死刑、ノーフォーク公爵位は剥奪。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Howard,_1st_Earl_of_Arundel]]&bold(){アランデル伯爵フィリップ・ハワード}…レディ・アンの夫、女王エリザベス1世の親戚 (1557-赤痢:1595年、幽閉:1585-1595年) (第6巻P60)洗礼式は代父スペイン王フェリペ2世にてホワイト・ホール宮殿で行われた。英国国教会を断固拒否し、証拠がないのに国外逃亡の嫌疑でロンドン塔に幽閉。女王から「改宗したら妻子に会わせるし、名誉や領地も回復してあげる」と提案されても「信仰を捨てるくらいなら命を捨てる」と拒否。爵位も剥奪され、妻子との面会も出来ないまま獄死。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Howard,_2nd_Earl_of_Arundel]]&bold(){トマス・ハワード}…レディ・アンの息子 (1585–1646年) (第8巻P61)イングランド王ジェームズ1世の重臣となり、アランデル伯爵位も回復。ノーフォーク公復興への道のりはこちら[[【系図】身分>【系図】身分]]です。 ●&bold(){トーランド}…ハワード家の執事 ●&bold(){サクスウェル神父}…カトリックの神父。 **ポーツマス港 ●&u(){&bold(){サットン}…港湾監督官 【杉山大】} ●&bold(){スタン}…ヘースティングスからの使者 *お名前だけ登場 &u(){&bold(){F&B 1巻}} [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Sixtus_V]]&bold(){ローマ教皇シクストゥス5世}…(P71)F&B時代のローマ教皇 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_the_Great]]&bold(){アレクサンダー大王}…(P72) [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Narcissus_(mythology)]]&bold(){ナルキッソス}…(P75)ギリシア神話の美少年 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Achilles]]&bold(){アキレウス}…(P81)ビセンテのあだ名 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Dee]]&bold(){ジョン・ディー}…(P104)宮廷占星術師。1583~1589年はポーランド辺りの王宮で出張占い中。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Hilliard]]&bold(){ニコラス・ヒリヤード}…(P126)細密画家。肖像ミニアチュール(ウォルター・ローリーの画像)やパネル絵(女王の画像)が有名。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cavendish]]&bold(){トーマス・キャベンディッシュ}…(P136)1586年~1588年2度目の航海で史上3番目の世界一周を達成(サー・フランシスの次)。航海中に2人の日本人を雇いイングランドへ連れて行った。3度目の航海で行方不明。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Holbein_the_Younger]]&bold(){ハンス・ホルバイン}…(P198)王ヘンリー8世がお気に入りの画家。1536年に年30ポンドの契約で王ヘンリー8世の宮廷画家となった。 &u(){&bold(){F&B 4巻}} [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/King_Arthur]]&bold(){アーサー王}…(P54)5世紀後半~6世紀初めのブリトン人の伝説的な君主。騎士道物語「[[アーサー王物語>https://en.wikipedia.org/wiki/Matter_of_Britain]]」が有名。 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Socrates]]&bold(){ソクラテス}…(P82)古代ギリシアの哲学者。美青年[[アルキビアデス>https://en.wikipedia.org/wiki/Alcibiades]]が何度も誘惑したけど自制心の強靭なソクラテスはスルーって話しアリ [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Oliver_Cromwell]]&bold(){オリバー・クロムウェル}…(P97)清教徒、イングランド共和国の初代護国卿。清教徒革命を起こして王政(イングランド国チャールズ1世は処刑)・枢密院・貴族院を廃止、1649年イングランド共和国(護国卿時代)を樹立した。1660年にイングランドは王政復古する。 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Dickens]]&bold(){チャールズ・ディケンズ}…(P195)ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Burton]]&bold(){リチャード・バートン}…(P199)イギリス映画界を代表する俳優の1人 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Burns]]&bold(){ロバート・バーンズ}…(P213)スコットランドの国民的詩人。海斗が暗唱した詩「[[A Red, Red Rose>http://en.wikipedia.org/wiki/A_Red,_Red_Rose]]:我が恋人は紅き薔薇」(1794年)が有名 [[■>https://en.wikipedia.org/wiki/Eighth_Wonder]]&bold(){エイス・ワンダー}…(P245)イギリスのバンド(Vo:[[パッツィ・ケンジット>https://en.wikipedia.org/wiki/Patsy_Kensit]])。 &u(){&bold(){F&B 5巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_II_of_England]]&bold(){イングランド王エドワード2世(在位:1307-1327)} (1284-1327) (P47)優柔不断な治世で宮廷闘争が発生。妻イザベラが率いる反乱軍により廃位。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_the_Great]]&bold(){アルフレッド大王(在位:871-899)}…イングランド七王国(イングランドの素)の1つウェセックス王 (849-899) (P89)イングランドのほぼ全域を掌握。敵国の船を研究し、諸国から水夫を集めて海軍を創立した「英国海軍の父」。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Wolsey]]&bold(){ウルジー枢機卿トマス・ウルジー}…ヨーク大司教、大法官 (1475-1530) (P137)多くの貴族・高官がご機嫌伺いに殺到する平民出身の実力者。多大な費用をかけて素敵な私邸(ハンプトン・コート宮殿)を建てるも、王ヘンリー8世が嫉妬したため進呈。王ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの離婚問題でローマ教皇との交渉に失敗、地位と財産を没収された。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_More]]&bold(){トマス・モア}…大法官 (1478-斬首刑:1535) (P175)王ヘンリー8世の離婚問題や国王至上法(国王を英国国教会の首長とする)にカトリック信徒の立場から反対し、反逆罪で処刑。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/John_Fisher]]&bold(){ジョン・フィッシャー}…聖職者 (1469-斬首刑:1535) (P175)トマス・モアと共に反対し、反逆罪で処刑。 &u(){&bold(){F&B 6巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Spenser]]&bold(){エドマンド・スペンサー}…詩人 (1552–1599) (P44)ウォルター・ローリーに同伴して宮廷を訪れ、「妖精の女王」を女王に献呈。バーリー男爵を敵に回したため出世できず。 [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_II_of_England]]&bold(){イングランド王リチャード2世(在位:1377-1399)} (1367-1400) (P122)10歳で王位継承、頼った伯父達の権力が増幅し宮廷闘争が発生。従弟ヘンリー・ボリングブロクが率いる反乱軍により廃位。 &u(){&bold(){F&B 8巻}} [[■>http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Wriothesley,_3rd_Earl_of_Southampton]]&bold(){サウサンプトン伯爵ヘンリー・リズリー}…カトリックと噂されてる領主 (1573–1624) (P70)1593年シェイクスピアから「ヴィーナスとアドーニス」を献呈されパトロンになる。1601年エセックス伯爵の反逆に参加、死刑宣告を受けたが恩赦で免じられた。 ---- ----

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