…「アルマダの海戦」のこと。?は本文に明記されてない史実。

ガレオン船「サンティアゴ号」


ビセンテ【誕生日:1月22日(本当は1月21日)、年齢:25歳、身長:5.8ft(177cm)、体重:156lb(71kg)】

ビセンテ・デ・サンティリャーナ(ビセンテ・デ・メンドーサ、ヴィンセント)…船長(マエストロ)、海軍将校 【大川透】  レイノサ 出身
漆黒の髪にエメラルド色の瞳。誰もが認める美貌の持ち主。一途に思い込む生真面目さで、祖国スペインに忠誠を誓う誇り高き男。けっこう短気。訛りのない英語を話す。
メンドーサ家 の本家筋だが傍流のため貧乏。財と権力を得るため手柄を立てようと危険な敵地をかけずり回っている。

マリア…(1巻P78)ビセンテの妹
家が貧しくて良い医者に診せられず、風邪をこじらせて死亡。ビセンテのロザリオにはマリアが愛用していたリボンが結んである。
ミゲル…(1巻P78)ビセンテの父親

レオ【誕生日:4月5日、年齢:15歳(見た目は13歳)、身長:5.2ft(159cm)、体重:101lb(46kg)】

レオ(レオナルド・バレーラ)…ビセンテの小姓 【宮田幸季】 レイノサ出身
蜂蜜のような金髪に空色の瞳。小柄な美少年。勇敢で責任感が強い、形は幼くとも漢の中の漢。子供扱いされると誇りを傷つけられる。一人前のスペイン軍人になるため、同郷のビセンテを頼った。

マルセーラ…レオの母親。
父親(名前不明)…ネーデルラント反乱の戦いで戦死。


水夫たち


ディエゴ・ペレス…副船長 【樋口智透】
王フェリペ2世がビセンテの目付け役として派遣。聖ニコラス(海難救護の聖人)のメダルを首に下げている。

サンチョ・アルバレス…水夫長 【佐藤拓也】

パブロ・エスコバル神父…従軍神父&船医 【岡和男】
迷信に凝り固まったフランシスコ会「改革派」の僧侶。以前はセゴビアの異端審問所でカリフィカドール(審査の補佐)の助手を勤めていた。
※スペインでは艦船に聖職者を乗せる義務がある。

フリオ バスク人 の水夫 【???】  ビルバオ 出身
幽霊船を心底恐れている。 ※アパレシード(スペイン語:aparecida)…で、でたあ。aparecer(出現する)の過去分詞形。
パコ…水夫


ガレー船「サン・サルヴァドール号」…ビセンテは航海長


アロンソ・デ・ルイス(ルイス提督)…船長、ビセンテの上官→サン・マルティン号の艦長
(第1巻P80)名誉を重んじ、サー・フランシスも「敵ながらあっぱれ」と思う程の男。内陸出身のビセンテを優れた船乗りに育て上げた。ビセンテ曰くもう少し身分が高ければ彼がサンタ・クルズ侯爵の後継者となっていた。


エル・エスコリアル宮殿


スペイン王フェリペ2世とイングランド女王メアリー1世

王フェリペ2世(在位:1556-1598年)…スペインの国王 【中田譲治】 (1527-1598年)
烈々なカトリック教徒。繊細な感受性を持ちながら、鋭い洞察力で汚れた騙し合いに進んで身を投じる「慎重王」。数々の難題を「情報・熟考・孤高」で乗り切る。
歴史では:中央集権体制を整え、宮殿に籠って政務に専念し、家臣からの報告書に基づいて政策を組み立てた。宮廷もバリャドリッドから真ん中のマドリードに遷都。

+ 王フェリペ2世をとりまく状況
イタリアは俺のもの!フランスと大喧嘩(1521-1544年:イタリア戦争)

父カルロス1世の領土はフランスを包囲。ビクビクのフランスは突破できそうなイタリアを攻撃しました。
なんやかんやでイングランドも巻き込んでスペインの勝利。
1559年ぼろ負けのフランスがイタリアへの権利を放棄する「カトー・カンブレジ条約」で完全終結します。
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娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア

王フェリペ2世は「カトー・カンブレジ条約」でイサベル・デ・バロイス(フランス王アンリ2世の娘)と結婚しました。
イサベルはもともとカルロス殿下(王フェリペ2世の息子)の婚約者。

地中海は俺のもの!オスマン帝国(トルコ)と大喧嘩(1571年:レパント海戦)

キプロス島(ヴェネツィア共和国領)にオスマン帝国が侵攻。スペインはイタリア軍団と一緒に徹底抗戦しました。
なんやかんやでスペインの勝利。
とーっても強いオスマン帝国に勝てたのはすっごいコト。実はオスマン帝国の作戦ミスだけど勝ちは勝ちです♥
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ドン・ファン サンタ・クルズ侯爵 ミゲル・デ・セルバンテス

ドン・ファン・デ・アウストリア (王フェリペ2世の異母弟)は 神聖同盟 の総司令官(1番エライ人)です。
サンタ・クルズ侯爵は指揮官。
ミゲル・デ・セルバンテスは左手が不自由になるほど負傷しました。

「太陽の沈まぬ帝国」

1556年父カルロス1世からヨーロッパ・アフリカ・アメリカの領土を継承。その後ポルトガル・アジア・南米も追加します。
スペインに金銀と砂糖(アメリカ・南米)、香料(アジア)、奴隷(アフリカ)が運ばれてホクホク。
ちなみに インディアス艦隊 (ビセンテのお仕事♥)が運んでくる大量の金銀はヨーロッパをインフレにしてます( 価格革命 )。
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スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀)

「太陽の沈まぬ帝国」はお貧乏

父カルロス1世は 神聖ローマ皇帝の選挙 の懐柔工作資金に莫大なお金(スペインの国家予算5年分)を投入しました。
おまけに戦争、戦争、…でますます出費。
王フェリペ2世は領土と一緒に膨大な借金も継承してます。実は「太陽の沈まぬ帝国」ってお貧乏なの。

サン・ジョルジョ銀行 (1407-1805年:ジェノヴァ共和国)

王フェリペ2世も戦争、戦争、…そこに「 ネーデルラントの反乱 」も始まってますます軍事費が増加します。
新大陸から運ばれてくる富も焼け石に水。
Timothy R Walton著「The Spanish Tresure Fleets」(1994年)によると1590年に運ばれてきた富1,100万ペソのうち
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  • フランスへ(輸入代:200万ペソ)
  • イタリアへ(輸入代・軍事費:600万ペソ(対ネーデルラント:250万ペソ、対オスマン帝国:100万ペソ)
  • アジアへ(維持費?:150万ペソ)
軍事費の増加はイタリア銀行から借金しても足りません。
ってことで、王フェリペ2世は在位中に4回も 破産宣告 (1557年、1560年、1575年、1596年)。
  • フッガー家 …父親に選挙資金を融資した御用銀行、鉱山も経営。破産宣告と安い新大陸の銀のせいで没落。
  • ジェノヴァ共和国 …スペインの海外遠征に融資する新参銀行。第1回破産宣告してからは、新大陸の銀を担保にすることで融資継続。

離縁していただきます!ネーデルラントが反乱(1568-1648年:八十年戦争)

熱烈なカトリック教徒でお貧乏な王フェリペ2世はネーデルラントに厳しいプロテスタント弾圧と増税を課しました。
これにネーデルラントがキレて反乱勃発。
南部はパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼが制圧、北部7州はユトレヒト同盟を組んで徹底抗戦中です。
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作者不明「Queen Elizabeth I Feeds the Dutch Cow」(1585年頃)

目障りなイングランド

イングランド女王メアリー1世と結婚したけど子供ナシで乗っ取り失敗(イングランド共同統治は結婚中のみ)。ちっ!
それならばと女王エリザベス1世に求婚したけど拒絶されて乗っ取り失敗。ちっ!
イングランドは英国国教会、ネーデルラントを支援、新大陸の輸送船を襲撃、…こうなったら潰しちゃおうかなぁって考えてます。
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スペイン無敵艦隊(映画「 Elizabeth:The Golden Age 」)



王フェリペ2世の家族


父カルロス1世と母イサベル・デ・ポルトゥガル

王カルロス1世、神聖ローマ皇帝カール5世…王フェリペ2世の父親 (1500–1558年)
王妃イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン…王フェリペ2世の母親 (1503–1539年)

異母弟ドン・ファン

ファン王子(ドン・ファン・デ・アウストリア)…王フェリペ2世の異母弟、元ネーデルラント総督 (1547-発疹チフス:1578年)
(4巻P22)王カルロス1世(王フェリペ2世の父親)の庶子。レパント海戦など数々の戦いで武名を馳せた。

息子カルロス殿下と息子フェリペ王子

カルロス殿下(ドン・カルロス・デ・アウストリア)…王フェリペ2世の息子 (1545-牢死:1568年)
(4巻P33)階段から落ちて頭を怪我してから行動がおかしくなり、父親に殺されると思い込んでネーデルランドへの逃亡を計画。バレて独房に監禁。
フェリペ王子…王フェリペ2世の愛息子 (1578-1621年)
(10巻P161)次のスペイン王フェリペ3世(在位:1598-1621年)。生まれつき病弱で、スペイン帝国を担うにはいささか力不足な「怠惰王」。


王フェリペ2世の腹心(♥)


アロンソ【誕生日:6月24日、年齢:32歳、身長:5.74ft(175cm)、体重:149lb(68kg)】

アロンソ・デ・レイバ…陸軍将校、ミラノ守備隊長の息子、リオハの領主 【遊佐浩二】 (1544-1588年) イタリア出身
淡褐色に近い金髪に褐色の瞳。ジェフリー似の美男子。王フェリペ2世の1番のお気に入り。
数々の戦いで華やかな武勲をたて、如才なく社交界を生きるスペイン全土のアイドルだが、決して傲らず惑わされない。
歴史では:アイルランドの出来事は【海戦】アルマダの海戦をどうぞ。

トマーソ・モントーヤ…父親の代からレイバ家に仕える従者。新婚さん。
マルティン・デ・ゴメス…アロンソの副官 【千葉一伸】
代々レイバ家に仕える従者。アロンソとは幼なじみで理解者。
エンリケ…従者

サンティリャーナ侯爵…ビセンテの伯父(宮殿での省略型) 【木村雅史】
ビセンテ曰く鈍感な男。誰しもが不可能と思うメアリー・スチュアート救出作戦にビセンテを隊長として据えた。
インファンタード公爵…サンティリャーナ侯爵の父親、メンドーサ家の本家筋。

ホセ・デ・シグエンサ…王フェリペ2世の贖罪神父、図書館の室長 【間宮康弘】 (1544-1606年)
マテオ・ヴァスケス…王フェリペ2世の秘書官 【大原崇】 (1542-1591年)


宮廷内の人々


ペドロ・デ・パチェコ…王フェリペ2世の近衛隊
近衛隊員の中でも特に忠実。

セバスティアン修道士…リスボンのヒエロニムス会。モンセラートの聖母巡礼中に宿坊を借りた。


検邪聖省


ペドロ・デ・サラテ…マドリードのスプレマ(最高異端審問会議)から派遣された審問官 【岡野浩介】
トレドの異端審問所出身の選り抜き。

キローガ枢機卿…マドリードのスプレマから派遣された審問官
マドリードのスプレマ長官。


マドリッド


フェリア公爵夫人

フェリア公爵夫人ジェーン・ドーマー…サンティリャーナ侯爵の妹の姑 (1538–1612年) イングランド出身
ビセンテにイングランドの英語や習慣を教えた先生。
歴史では:イングランド女王メアリー1世の侍女。王フェリペ2世とメアリー1世の婚姻に陪臣としてイングランドに同行したフェリア公爵に見初められ1558年結婚。イングランドのカトリック亡命者を助けている。夫は1571年死亡。


デスカルサス・レアレス修道院


マリア・デ・アブスブルゴ…王フェリペ2世の妹 (1528-1603年)
ビセンテにフランシスコ会の動向を提供。
歴史では:1548年オーストリアの神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と結婚。夫の死後、1582年スペインへ帰国。

アリェンデ…マリアの聴罪神父、フランシスコ会のエライ人

娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア

イサベル・クララ・エウヘニア…王フェリペ2世の愛娘 (1566-1633年)
母親譲りの黒い瞳は、宮廷の男達が魅了されるのを恐れるほどの美しさで有名。
歴史では:スペイン語しか話せない父親をずっと補佐。1601年ネーデルラントの総督となり、彼女が統治している間は「ネーデルラントの黄金時代」。

王妃イサベル・デ・バロイス…王フェリペ2世の3番目の妻、イサベルの母親 (1545-産褥死:1568年) フランス出身
(10巻P159)フランス王アンリ3世(三アンリの一人)の姉。イサベルが天然痘にかかったとき、王フェリペ2世はずっと付き添うほどのオシドリ夫婦。


宿「花冠亭」


蛇ミゲル(=ネタバレ 表示 )…サー・フランシスの間諜(蛇)、イエズス会の修道士
ネーデルラント出身の新教徒。どこぞの遣り手ババアな金額でイングランドに協力。
※本文ではただのミゲルです。他にもミゲルがいっぱい登場するので、区別するために蛇ミゲルと書きました。


リスボン(スペイン領ポルトガル)



海軍本部


サンタ・クルズ侯爵

サンタ・クルズ侯爵アルバロ・デ・バサン…海軍総司令官 【丸山詠二】 (1526-1588年) グラナダ出身ナポリ出身
数々の軍功をたてた「スペイン海軍の父」。イングランドがスペインに重大な脅威を与えると王フェリペ2世にアルマダ海戦を提案。
自分の死を予言した海斗を「死に神」と呼ぶ。
歴史では:1582年 ポンタ・デルガダの海戦 で「イングランドがスペイン帝国に重大な脅威を与える」と認識。1583年8月9日王フェリペ2世への手紙の中に「 アルマダ海戦 の提案」を書いた。

ミゲル・カサージャ…スペイン商船「ラ・ステラ・マリス号」の船長→サンタ・クルズ侯爵の個人秘書 【松本保典】
ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)からコチニールを輸送中、カナリア諸島で「グローリア号」に拿捕された。
ロレンソ・カサージャ神父…セリビアのフランシスコ会士、ミゲル・カサージャの従兄。

ディエゴ・ダ・シルバ…(第4巻P18)海軍本部の待合室にいた人。

ラウル【誕生日:9月2日、年齢:30歳、身長:5.3ft(162cm)、体重:110lb(50kg)】

ラウル・アルバレス・デ・トレド・イ・ファルネーゼ…イエズス会の修道士、サンタ・クルズ侯爵の顧問 【近藤隆】  カセレス 出身
褐色の髪に淡い褐色の瞳。少女と見まがう美しい容姿で、おっそろしい切れ者。パルマ公と王フェリペ2世の間諜。父方(アルバ公の一門)はナポリ副王、母方(パルマ公の一門)はイタリア大公を勤めた家柄。

ミゲル…ラウルの兄

+ スペイン人のお名前
スペイン人のお名前は名(洗礼名)の後に2つの姓が続きます。1番目は父親の「1番目の姓」2番目は母親の「1番目の姓」。
21世紀は父母の順番を逆に命名してもオケ。
長いから普段は2番目を省略して名乗ってもオケ。ただし公式での省略は不可です。
wikipedia

ラウル(単純名/複合名) デ(~の) トレド(父親の姓) イ(~と) ファルネーゼ(母親の姓)
      ↓
父親「トレド家」と母親「ファルネーゼ家」の子供「ラウル」

トレド家(またはアルバレス・デ・トレド家)ってなに?

トレド家は13世紀 カスティーリャ王朝 に誕生したスペイン貴族です。1085年から連続で トレド 市長に就任。
大勢の一族が グランデ をゲト。
F&Bに登場する元ネーデルラント総督アルバ公 フェルナンド・アルバレス・デ・トレド (1507–1582年)もトレド家です。
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ファルネーゼ家ってなに?

ファルネーゼ家は984年頃に誕生したルネサンス・イタリアの名門貴族です。所有するFarneti 要塞 から命名したっぽい。
15世紀 コンドッティエーレ(傭兵隊長) だった Ranuccio Farnese il Vecchio (1390–1450年)から台頭。
F&Bに登場するネーデルラント総督パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ (1545–1592年)もファルネーゼ家です。
wikipedia

ネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼと母親パルマ公妃マルゲリータ・ダウストリア(王フェリペ2世の異母姉)


ホルヘ…ラウルの奴隷 【宮下栄治】 東欧出身
子供の頃にトルコの海賊にさらわれ奴隷となり、乗っていた船がスペイン海軍に捕獲されてラウルに買われた。妻は病死。
マヌエル…ラウルの奴隷、ホルヘの息子

ヤン【誕生日:12月25日、年齢:42歳、身長:6.23ft(190cm)、体重:176lb(80kg)】

ファン・グリフス(ヤン・グリフュス、ミニュ、ミニア)…ラウルの部下 【三宅健太】  アントウェルペン 出身
淡い黄金の髪に碧瞳。右の首筋に「SI(エス・クラーボ:奴隷」の焼印がある。リスボンのドックで船大工として働き「サンティアゴ号」を設計。以前イングランドで働いていたので、訛りのない英語を話す。

妻(名前不明)…ファンの妻  ブリストル 在住(イングランド)
父親(名前不明)…ファンの父親
腕の良い船大工だったが、八十年戦争で故郷を焼き出されアムステルダムで死亡。スペイン商船「デ・ギースト号」は最後の建造船。

ミゲル・デ・セルバンテスとドン・キホーテ(風車に突進のシーン)

ミゲル・デ・セルバンテス…作家 【上田燿司】 (1547-1616年4月23日)
スペイン軍の伝統ある歩兵部隊に所属し、レパント海戦で左手の自由を失う。が、いつだって前向き。アルマダ海戦で役に立ちたいとサンタ・クルズ侯爵を訪ねた。
歴史では:1571年レパント海戦で本国へ帰還中、バルバリア海賊に襲われて5年間虜囚となった。アルマダ海戦後に「 ドン・キホーテ 」(1605年:前編、1615年:後編)を著す。


アルマダ海戦の頭脳


メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人

メディナ・シドーニア公爵アロンソ・ペレス・デ・グスマン…行政官、カディスの領主→艦隊総司令官 (1550-1615年)
(1巻P101)陸軍で名を成した、温厚で優れた行政官。サンタ・クルズ侯爵の急死により後任として総司令官に任命される。
歴史では:陸将のため海戦に疎いと別人を推薦したが、王フェリペ2世は高位名門出身者がふさわしいと却下。アルマダ海戦では、メディナ・シドーニア公を含む本隊は比較的順調に帰国。

+ 大聖堂での占い(ネタバレ)
攻撃すべき時にためらい、幕僚の意見を聞き流し、みすみす勝機を逃す。彼の指揮により惨敗。

※プリマス港やワイト島で攻撃のチャンスがありながら「だって王様に命令されてないもん」と提案却下してるみたいです。
  • プリマス港の時…上げ潮(潮流が海→陸)だから港内で投錨中のイングランド不利、港外のスペイン有利の状況。
  • ワイト島の時…イングランドは砲弾も食料も不足してて戦っても勝てない状況。

王フェリペ2世の対策
アロンソ・デ・ルイスをメディナ・シドーニア公の乗る旗艦艦長に据える。ビセンテは航海長としてメディナ・シドーニア公を監視、もし命令違反した場合はヤってよし。


アナ…メディナ・シドーニア公の妻、エボリ大公夫人の娘 (1560-1610年)
(11巻P172)4歳でメディナ・シドーニア公と婚約。1572年ローマ教皇が「 結婚 」を許可。

アスコリ大公アントニオ・デ・レイバ…アロンソ・デ・レイバの親戚→王フェリペ2世とパルマ公の連絡係
大貴族の2代目を継いだアホアホ。王室礼拝堂で痴漢したアホアホ。仲間はカルピオ候、カスタネダ伯、ルイス・コルドバ。パルマ公とは共にイタリアに領地を持つ縁で親しい関係。

+ 大聖堂での占い(ネタバレ)
戦いの最中に神父と侍従を連れてこっそり逃げ、パルマ公に救いを求める。


ディエゴ・デ・バルデス…大西洋の守備艦隊→艦隊参謀長 (1530-1595年)
バルデス家は海軍の名門。造船技術と水圏学の専門家。

+ 大聖堂での占い(ネタバレ)
造船技術と水圏学の専門家とは名ばかりで、功績は優秀な部下の手柄を奪ったもの。メディナ・シドーニア公の決断には決して異を唱えようとしない。

王フェリペ2世の対策
命令系統を円滑に進めるためには名門の血筋が必須、参謀本部長として覚悟も能力もなくてもコイツにするしかない。でもメディナ・シドーニア公に何かあった場合の指揮権はアロンソ・デ・レイバに引き継がせる。



アルマダ海戦の テルシオス (精鋭スペイン陸軍)


艦隊副司令官リカルデとギブスコア戦隊長

ファン・マルティネス・デ・リカルデ艦隊副司令官、ビスカヤ戦隊長 (1526-疫病:1588年)
体調不良になった優秀な司令官。
ミゲル・デ・オケンドギブスコア戦隊長 (1534-1588年)
清廉潔白な軍人らしい軍人。
ウーゴ・デ・モンカーダガレアス戦隊長 (????-戦死:1588年)
血の気が多く短気。艦隊参謀長ディエゴ・デ・バルデスと食料配分で揉めた。
ペドロ・デ・バルデスアンダルシア戦隊長? (1544-1615年)
親族の艦隊参謀長ディエゴ・デ・バルデスとは不仲。
マルティン・デ・ベルテンドーナレパント戦隊長 (1530-1604年)
堅苦しく控えめな性格で口数が少ない。温厚で知られる。
ファン・ゴメスハルク戦隊長
フランシスコ・デ・ボバディーリャ上陸部隊指揮官

ペドロ・デ・ソト…サン・ファン・デ・ポルトガル号の航海長

カルロス・フェンテス・デ・ローサ…ラ・ラタ・デ・サンタ・マリア・エンコロナーダ号の艦長
マルティン・デ・ベルテンドーナが信頼する誠実な男。

エステバン…サン・マルティン号の操舵手
ホセ…サン・マルティン号の威勢のいい水夫  アラセナ 出身
ペペ…サン・マルティン号の威勢のいい水夫 リオティント出身
エドゥアルド・ラロ…タラの漁師→サン・マルティン号の威勢のいい水夫  ビルメオ 出身の バスク人

ホセ…怠け者の船大工
リコ(=ネタバレ 表示 )…遠征手当が必要な水夫
ニコラス(ニコリート、=ネタバレ 表示 )…船大工見習い


その他


アルメイダ伯爵夫人…アロンソ・デ・レイバに魅了された美女

ロドリゲス…小麦問屋


パストラーナ(エボリ大公夫人の息子 パストラーナ公爵 ルイスの公爵領)


メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人

エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサ・イ・デ・ラ・セルダ…王フェリペ2世の愛人 【勝生真沙子】 (1540-1592年)  グアダラハラ 出身
虫も殺さぬたおやかな美貌と情熱的な激しい気性を持つ「隻眼の大公夫人」。王フェリペ2世を裏切ってパストラーナ城に幽閉されている。
歴史では:1553年王フェリペ2世のオススメでエボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバと結婚。秘書官アントニオ・ペレスと一緒に逮捕されて1581年から パストラーナ城 で幽閉生活。
エボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバ…エボリ大公夫人の夫 (1516-1573年) ポルトガル出身
(11巻P40)1527年王フェリペ2世の 小姓 になったのが縁で2人は親友。宮廷で強い影響力を持ち外国大使の間で「ゴメス王」と呼ばれてた。「和平派 エボリ党 」のリーダ。

+ 「和平派エボリ党」のメンバー(ネタバレ)
「エボリ、ナポリ…そうか(11巻P111)」ってことで、イタリア中心に調べたけどイマイチ分かりませんでした。
ちなみにエボリ夫婦の爵位はこちら。
あと「エボリ大公領があるのはシシリアだ(11巻P112)」はぜーんぜん分からなかったです。

Map of Italy at the end of the Sixteenth Century

「和平派エボリ党」のメンバー 領地と勤務地
エボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバ
エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサ
エボリ
フランカヴィッラ(ナポリ)、 メリート・ディ・ナポリ
痴漢の カルピオ候 スペイン爵位
痴漢の カスタネダ伯 スペイン爵位
痴漢の アスコリ大公 アントニオ・デ・レイバ アスコリ・サトリアーノ
アルコス公 スペイン爵位
メディナ・セリ公 Juan de la Cerda スペイン爵位 父親 Juan de la Cerda シチリア副王
メディナ・シドーニア公 アロンソ・ペレス・デ・グスマン スペイン爵位 アナ はエボリ大公夫人の娘
ディエゴ・デ・バルデス
パルマ公 アレサンドロ・デ・ファルネーゼ イタリア爵位 パルマ公国 ネーデルラント総督
ラウル・アルバレス・デ・トレド・イ・ファルネーゼ
父方: アルバ公 フェルナンド・アルバレス・デ・トレド
母方:パルマ公アレサンドロ・デ・ファルネーゼ

スペイン爵位
イタリア爵位

ミラノ総督 ナポリ副王 、ネーデルラント総督
パルマ公国、ネーデルラント総督


ルシンダ…エボリ大公夫人の侍女 【白川りさ】

アントニオ・ペレスとフアン・デ・エスコベド

アントニオ・ペレス…王フェリペ2世の秘書官、エボリ大公夫人の愛人 (1540–1611年) マドリッド出身
(11巻P40)アラゴン王国の有力者の息子。「和平派エボリ党」のリーダになると自分の立場を利用して利益を得ようとアレコレ裏工作。1579年エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサと一緒に逮捕。1587年「個人秘書エスコベドの暗殺」で再逮捕。1590年刑務所を脱獄してアラゴン王国へ逃げる。
フアン・デ・エスコベド…ドン・ファン(王フェリペ2世の異母弟)の個人秘書 (1530-暗殺:1578年)
(11巻P40)秘書官アントニオ・ペレスがネーデルラント総督ドン・ファンに送り込んだ間諜。1578年秘書官アントニオ・ペレスを裏切ったせいで聖マリア教会(マドリッド)の外で刺殺される。

+ 16世紀のミステリー「個人秘書フアン・デ・エスコベドの暗殺」
スペイン宮廷には2つの派閥「主戦派 アルバ党 中央集権主義 )」「和平派エボリ党( 連邦主義 )」があります。
1573年「和平派エボリ党」のエボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ が死亡。
リーダを引き継いだ秘書官 アントニオ・ペレス は自分の立場を利用して利益を得ようとアレコレ裏工作します。
wikipedia


個人秘書フアン・デ・エスコベドの暗殺

秘書官ペレスは「王フェリペ2世がネーデルラント総督 ドン・フアン の野望に不審を抱いてる」をご利用します。
信頼する フアン・デ・エスコベド を総督ドン・フアンの個人秘書にして監視。
でも個人秘書エスコベドは総督ドン・フアンに本気で仕えて身も心も捧げちゃいました。あちゃー!

ってことで、秘書官ペレスは王フェリペ2世が2人に不審を抱くようにアレコレ裏工作します。
個人秘書エスコベドの報告書を改ざん。
1578年3月裏切り者の個人秘書エスコベドを暗殺します。アレコレ裏工作に騙された王フェリペ2世も暗殺に同意。

アントニオ・ペレスとフアン・デ・エスコベド

10月総督ドン・フアンの死亡で王フェリペ2世は個人秘書エスコベドの暗殺に疑問を抱きます。1579年秘書官ペレスを逮捕。
なかなか尻尾を掴めなかったけど1584年「横領と王様に送られる書類の改ざん」で起訴。
1585年秘書官ペレスに「役職の剥奪」「宮廷から10年間追放」「懲役2年」「罰金」の判決が下ります。

エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサも一緒に逮捕

隻眼のエボリ大公夫人 アナ・デ・メンドーサ は華やかで魅力的なスペイン宮廷の有名人でした。
1553年王フェリペ2世の重臣エボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ と結婚。
王妃 エリザベート・ド・ヴァロワ と仲良し。夫や王妃との繋がりで王フェリペ2世の「 Valido:お気に入り 」です。
wikipedia

メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人

1573年「和平派エボリ党」の夫エボリ大公が死亡。未亡人になったエボリ大公夫人は修道院で生活しました。
その頃リーダを引き継いだ秘書官ペレスはアレコレ裏工作。
1576年俗世に戻ったエボリ大公夫人は秘書官ペレスと同盟を結びます。2人は愛情豊かな関係だったのかも。

1578年秘書官ペレスが裏切り者の個人秘書エスコベドを暗殺しちゃいます。
暗殺の動機は不明。
2人の愛情豊かな関係を暴露しようとしたのかも。そして2人はこんな陰謀を企んでたのかもしれません。
  • ポルトガル王国 をスペインから切り離そうとしてた(エボリ大公夫人の息子Diego de Silva y Mendozaを ポルトガル王 にするっぽい)。
  • ネーデルラント総督ドン・フアンの「僕はイングランドの王様になりたい」に反対してた。

鉄格子の窓とエントランス上のバルコニー(パストラーナ城)

1579年王フェリペ2世は秘書官ペレスと一緒にエボリ大公夫人も「国家機密漏洩」で逮捕します。
Pinto城 (マドリード)、その後 Torremocha城 (〃)に幽閉。
1581年 パストラーナ城 (エボリ大公夫人の息子Ruy II Gómez de Silva y Mendozaの公爵領 パストラーナ )に移されます。

幽閉生活のエボリ大公夫人は1日1時間だけバルコニー(Plaza de la Hora)に出ることが許されます。
1590年元・秘書官ペレスが刑務所(マドリード)を脱獄。
王フェリペ2世の命令でエボリ大公夫人の部屋のドアと窓に鉄格子がセット。幽閉生活13年目の1592年死亡します。

王フェリペ2世vs元・秘書官アントニオ・ペレス

1587年王フェリペ2世は元・秘書官ペレスを「個人秘書エスコベドの暗殺」で再逮捕します。
「王様が暗殺に関与してる証拠の書類」を回収したかったの。
1590年4月19日拷問に負けなかった元・秘書官ペレスは仲間の手助けで刑務所(マドリード)を脱獄します。

4月23日王フェリペ2世は脱獄した元・秘書官ペレスを提訴します。
  • 個人秘書エスコベドを暗殺するために王様にウソの情報を与えた。
  • 自分の利益のために職権乱用した。
  • あろうことか取り調べ中に逃げ出した。
7月1日マドリード裁判所は死刑判決します。元・秘書官ペレスを身柄確保したら即刻処刑しちゃうぜー!


元・秘書官ペレスはマドリード( カスティーリャ王国 )から サラゴサ アラゴン王国 )に逃げました。
父親Gonzalo Pérezが有力者だったアラゴン王国には支援者が多いの。
速攻で フエロ(王様の暴挙への防御権) をゲト。王フェリペ2世はアラゴン裁判所の許可ナシに身柄確保できませーん。

アラゴン裁判所は元・秘書官ペレスを王フェリペ2世から護るために刑務所(prison of manifestados)に匿います。
王フェリペ2世からの起訴も却下。
9月1日王フェリペ2世は「アラゴン王」の名においてアラゴン裁判所に元・秘書官ペレスを再度起訴します。


アラゴン裁判所のダラダラ裁判にイライラした王フェリペ2世は元・秘書官ペレスを 異端審問 に起訴します。
異端審問はカスティーリャ王国とアラゴン王国で共通の教会管轄。
1591年5月13日アラゴン王国の皆さんが「王フェリペ2世が我々の司法を侮辱した」と暴動を起こします。

王フェリペ2世はカオス化したアラゴン王国の鎮圧にカスティーリャ軍を送ります。アラゴン裁判所も軍隊には勝てない。
11月10日元・秘書官ペレスはサラゴサの刑務所から逃亡。
アラゴン王国はあっという間に鎮圧。12月20日王フェリペ2世は裁判長Juan de Lanuza y Urreaを裁判ナシで処刑します。

元・秘書官アントニオ・ペレスの逃亡生活

1591年11月23日の夜羊飼いに化けた元・秘書官ペレスは大雪のピレネー山脈を超えて ナバラ王国 に行きます。
その後 ベアルン (フランス: カトリーヌ・ド・ブルボン の領地)へ。
イングランドに「僕が知ってる秘密の情報」を売り込んで生計を立てようとします。でも女王エリザベス1世からの反応ナシ。

1593年 Anthony Bacon (哲学者 フランシス・ベーコン の兄)の招待でイングランドに行きます。
イングランドで何度か暗殺の標的に。
1594年女王エリザベス1世の毒殺未遂で処刑された女王の主治医 Roderigo Lopez も彼を標的にしてたっぽいです。

Levinus Hulsius 画「Lopez speaking with a Spaniard」(1627年)

1595年フランス王 アンリ4世 のご招待でフランスへ行きます。ちなみにご家族はマドリードの刑務所でずーっと監禁生活。
王フェリペ2世が死亡した1598年解放されたっぽい。
その後元・秘書官ペレスは妻 Juana Coello と一緒に生活したっぽい。1611年パリで死亡します。


パストラーナ公爵ルイス(Ruy II Gómez de Silva y Mendoza)…エボリ大公夫人の息子 【徳本英一郎】 (1562–1596年)
メンドーサ家の分家筋で、ビセンテを後見している本家筋とは不仲。母親のおかげで失墜した王フェリペ2世の寵愛を再び取り戻そうと奮闘努力中。

アナ・デ・ポルトガル・イ・ボルハ…パストラーナ公爵の妻、お姑さんとは犬猿の仲。
アレルガ…執事
フランコ…パストラーナ公の小姓
トレース…パストラーナ公の騎士

クリストバル修道士(=ネタバレ 表示 )…蛇ミゲルの助手
ローマのイエズス会付属校で神学をフランスのモンペリエ大学で医術を修めた。

村長(名前不明) 【大羽武士】


アビラ(パストラーナ近くの大きな街)


パブロ・ブランカ修道士…蛇ミゲルの秘書 【吉田裕秋】
自分を馬鹿にする蛇ミゲルに不満を持っている。(=ネタバレ 表示

ルカ…ヒターノ(ジプシー、ロマ)、クリストバル修道士の連絡係 【岩田安宣】

修道士見習い(名前不明)(=ネタバレ 表示 )…神学校の生徒
ホフレ(=ネタバレ 表示 )…クリストバル修道士と修道士見習いを世話する寺男


フランドル(スペイン領ネーデルラント)



総督邸(アントウェルペン/アントワープ)


ネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼと母親パルマ公妃マルゲリータ・ダウストリア(王フェリペ2世の異母姉)

パルマ公アレサンドロ・デ・ファルネーゼ…ネーデルラント総督(在位:1578–1592年)、ラウルの従兄弟→上陸部隊 【福田信昭】 (1545-戦傷:1592年)
王フェリペ2世に次ぐ権力者で、高名なスペイン軍の将。
歴史では:ネーデルラント南部10州をあっという間に帰順(アラス同盟)。アルマダ海戦では必死の思いで合流地点にたどり着いた艦隊を「上陸部隊はまだ準備できてない」と拒否。弾薬や食料の補給要請も拒否。

+ 大聖堂での占い(ネタバレ)
王フェリペ2世の命令に背き再三に渡る艦隊からの出動依頼も聞き流し、主力部隊をフランドルの岸に留め置く。


アルバ公フェルナンド・アルヴァレス・デ・トレド…元ネーデルラント総督(在位:1567-1573年) (1507-1582年)
(9巻P77)ネーデルラントで「血の審判所」を設け多くの新教徒を処刑するが、反乱を制圧できずクビ。その後もポルトガル王位継承戦争で活躍。


アントウェルペン/アントワープ


サントス(=ネタバレ 表示 )…ポルトガルの砂糖商人

ヴィレム…サントスの玩具 【室元気】 フランドル人


サヴォア公国(サヴォイア公国)


娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア

カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア…サヴォア公国へ嫁いだ王フェリペ2世の娘(次女) (1567-1597年)
(12巻P65)サヴォイア公 カルロ・エマヌエーレ1世 と結婚。


貿易商の老舗「バンベリーニ商会」


ジャック・バンベリーニ…社長
王フェリペ2世や間諜の密書をフランス、イタリア、フランドルへ運ぶサヴォア商人(サヴォイア公国)の輸送旅団。

リカルド(リック、リチャード)…蛇ミゲルの部下 【豊永利行】
両親はイングランド人の亡命カトリック教徒。

リッツォーリ…社員 【矢野正明】
書類整理から人捜しまで。


お名前だけ登場


F&B 1巻
アメリゴ・ヴェスプッチ…(P81)1497年~1504年の間に4度新大陸へ航海。アメリカ大陸の「アメリカ」は彼の名に由来する。

F&B 3巻
マルコ・ポーロ…(P80)「 東方見聞録 」で日本を紹介。
フランシスコ・ザビエル…(P84) イエズス会 の創立者の1人。日本に初めてキリスト教を伝えた。
イグナチオ・デ・ロヨラ…(P84)イエズス会の創立者の1人。
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ…(P84)イエズス会の宣教師。 天正遣欧少年使節 の派遣を計画・実施。

F&B 4巻
アレクサンダー大王…(P46) マケドニア王国 の王様
ハンニバル…(P46) カルタゴ の将軍

F&B 9巻
アンドレア・ドーリア…サンタ・クルズ侯爵と共にレパント海戦で戦った仲間 (1466-1560) ジェノヴァ共和国出身
(P80)イタリアの軍人。フランス海軍で活躍し、1528年以降は神聖ローマ帝国(スペイン)に雇われ海軍提督となった。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…カイトもビックリの王フェリペ2世の容貌を忠実に再現した画家 (1477-1576) イタリア出身
(P160)王フェリペ2世の肖像画家。王フェリペ2世がイングランド女王メアリー1世と結婚する際は彼の描いた肖像画がイングランドへ送られた。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン…王フェリペ2世がカイトの髪を見て例えた画家 (1399-1464年) ネーデルラント出身
(P161)豊麗な温かみのある色使いで感情豊かな人物像を描く画家。
エル・グレコ…アロンソ・デ・レイバ(アロンソの画像)を適当に描いた画家 (1541-1614年) クレタ島(ギリシャ)出身
(P172)王フェリペ2世が発注した「聖マウリティウスの殉教」はヒエロニムス会士の反対でエル・エスコリアル宮殿の修道院に飾られなかった。
メンドーサ枢機卿…ビセンテの先祖、エボリ大公夫人の曾祖父 (1428–1495年) グアダラハラ出身
(P181)カスティーリャ女王イサベル1世を補佐し、1482年第79代トレド大司教(スペインのカトリック教会の最高峰聖職者)となった。
ペッレグリーノ・ティバルディ…エル・エスコリアル宮殿の図書館の天井と壁面を担当した画家 (1527–1596年) イタリア出身
(P213)最初に担当したのはフェデリコ・ツッカリ。王フェリペ2世に気に入って貰えずティバルディが描き直した。
ヒエロニムス・ボッス…スペインが誇る至宝「快楽の園」を描いた画家 (1450-1516年) ネーデルラント出身
(P213)ヨーロッパ各地からの求めで多数の作品が制作されたが、ほとんどが16世紀の宗教改革運動の偶像破壊のあおりを受けて滅失。

F&B 10巻
トマス・ルイス・デ・ビクトリア…デスカルサス・レアレス修道院の音楽長 (1548-1611年) アビラ出身
(P79)ルネサンス音楽最大の作曲家の一人。マリア(王フェリペ2世の妹)に奉職。

F&B 11巻
庶子の王子アントニオ(アントニオ・デ・ポルトゥガル)…王フェリペ2世とポルトガル王の後継者を争う (1531-1595年) リスボン出身
(P38)父ベージャ公ルイス(王族)と愛人の子。ポルトガル国民に支持されて王位継承を主張したが、王フェリペ2世の軍に敗退してフランスへ亡命。
グランベル枢機卿アントワーヌ・ド・グランヴェル…王フェリペ2世の相談役 (1517-肺病:1586年) ブルゴーニュ自由伯領出身
(P42)王フェリペ2世(まだ王子)とイングランド女王メアリー1世の結婚交渉、ネーデルラントのカトー・カンブレジ条約の成立やプロテスタントの抑圧などなど多数活躍。
ジュゼッペ・ヴェルディ…エボリ大公夫人が悪女で登場するオペラの作者 (1813-1901年) パルマ公国出身
(P87)オペラ「ドン・カルロス」はこちら wikipedia です。
クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)…新大陸から黄金と奴隷をスペインへ送った探検家 (1451-1506年) ジェノヴァ共和国出身
(P185)カスティーリャ女王イサベル1世(王フェリペ2世の祖先)の支援で西インド諸島や南米に到達。ここからスペインのアメリカ大陸植民地化が開始。
トマス・マロリー…カイトが伝言を残した「アーサー王の死」の作者 (1399-1471) イングランド出身
(P235)円卓の騎士ガウェインはこちらwikipediaです。



最終更新:2017年07月29日 12:29